小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

昭和天皇、裕仁、の戦争責任

2019-04-16 07:06:58 | 考察文
昭和天皇は人間のクズである。

昭和天皇は、神風特攻隊の存在を知っていた。

陸軍にも内閣にも、自分の意志を言うことが、出来た。

陸軍も、昭和天皇に物申すことは出来なかった。

なんせ、現人神であるのだから。

大日本帝国憲法にある、

第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スべカラズ

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ズ

は、形式だけのものではなかったのである。

実行力をもっていたのである。

軍部が天皇を、お飾りの、大義名分にして、政治利用したのではない。

軍部や、東条英機は、天皇の、お言葉に、従わなくてはならなかったのである。

開戦前の御前会議で、天皇が、開戦に否定的な意見を言った、が、開戦を決定した、その日の夜、東条英機は、「私は陛下のお心に逆らってしまった」、と涙したのである。

昭和天皇は、「神風特攻隊作戦は、中止しなさい」、と、陸軍に言うこと、が出来る立ち場だったのである。

それをしなかった昭和天皇、裕仁、は、当然、人間のクズである。

私が、昭和天皇の立ち場だったとしたら、絶対、「神風特攻隊作戦は、中止しなさい」、と、軍部に言っていただろう。



世間の人間は、こう言うだろう。

陛下は、開戦の決断の御前会議の時、明治天皇の歌、

「四方の海 みな同胞と 思う世に など波風の たちさわぐらん」

(世界の国々を兄弟だと思うのなら、どうして、争いが起こるのだろう)

を、歌い、開戦に反対した。

そして、終戦を決める、御前会議で、

「私の身はどうなってもいい。日本民族を絶やしてはならない。この戦争をやめるべきである」

と、言った。

その、おかげで、太平洋戦争は、終わった。

一億総玉砕しないですんだ。

そして、GHQ、マッカーサー、に対し、

「私はどうなってもいいから。どうか、飢えている国民に食べ物をあげてください」

と、頼んだ。

そんなことは、高校生の時から、知っている、百も千も承知のことである。

そして、その行為は、正しい、し、立派である、と言ってもいいだろう。

そして、そういう天皇の、おかげで、広島、長崎、に次ぐ、第三の原爆が落とされずにすみ、戦争が終わった。

というのは、確かに事実である。

しかし。

世間の人間は、太平洋戦争における、そういう、天皇の良い面だけを、もって、天皇の戦争責任を責めることをひかえている。

無意識のうちに。

しかし、世間の人間は、天皇の悪い面からは、目をそむけ、タブーにして、考えないようにしている。

考えるべきものを、考えないで、目をそらしていると、本当に、わからなくなってしまうのである。

世間の常識、という空気に流されてしまって盲目になってしまっている。

そこに僕は、日本人の欺瞞、危険性を感じる。

特攻隊作戦が行われた最初は、1944年10月17日、のレイテ沖海戦において、大西瀧治郎中将の考案による。

その時、特攻隊である、「敷島隊」、「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」、が、編成され、「敷島隊」の海軍大尉、関行男は、アメリカの空母セント・ローを、一機で、撃沈した。

それによって、関行男海軍大尉は、軍神として、讃えられ、それは、大本営発表で、大々的に報道された。

それは、天皇陛下も知っている。

その時、天皇は、「特攻隊作戦などのような非人道的な戦術はやめるべきだ」、と言うべきだった。

それを言わなかった、責任は天皇にある。

本土決戦のための、時間稼ぎのための、沖縄地上戦もそうである。

天皇は、「やめるべきだ」、と言うべきだった。

それら、戦争における、天皇の、悪い面に触れることを、日本人は、タブーにしている。

無意識のうちに。

僕は、日本国を守るために、命を捨てて戦った、神風特攻隊の戦士たちは、神として尊敬している。

そして、特攻で死んでいった戦士たちのために、一生懸命、生きなくてはならない、と、思っている。

しかし、天皇に対しては、素直に喜べない。

複雑な気持ちである。

昭和天皇が国民に、「あっそう。あっそう」、と語るのを、ニコニコ、ヘラヘラ、笑って見ている、日本人を見ると、

「こいつら。空気に流されてしまっているだけの、人間だな」

と、つくづく思う。



昭和天皇、自身、空気に流されていた。

物事を直視する勇気がなかった。

戦争は、軍部がやっている、ことであって、当事者意識がなく、軍部に物申す勇気がなかった。

自分は、軍部に、担がれているのであって、戦争の、本当の、厳密な、当事者、指導者は、自分である、という、ことを、真摯に、自覚していなかった。

もし、天皇が、勇気をもって、側近に、「戦争を早くやめるよう」、言えば、広島にも、長崎にも、原爆は落とされなかった。

神風特攻隊などという、戦法は、天皇の発言があれば、行われずにすんだ。

そういうことに対しては、日本人は、目をそらしている。

1975年10月31日に、日本記者クラブ主催の公式記者会見で、昭和天皇は、

「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます」

と発言した。

ならば。

特攻隊についても、発言して欲しいものである。

さて。何と発言するのか?

「神風特攻隊作戦については、死んでいった学徒たちに対しては、遺憾には思っていますが、日本にとって、物量で勝ち目のない戦争であった以上、死んでいった特攻兵達に対しては、気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます」

とでも、言うのだかろうか?

実際のところは。

「神風特攻隊作戦については、死んでいった学徒たちに対しては、遺憾には思っていますが、なにぶん、私は、軍部に利用され、担がれた、戦争指導者であり、また、軍部の力が強く、軍部の方針に、命令する勇気はありませんでした」

というところだろう。

つまり。

ある生徒が、学校の数学のテストで、80点とった、時。

「彼は、80点もとった。素晴らしい」

と言うのと、

「彼は、80点しか、とれなかった。頭が悪い」

と、言う類の、言葉のアヤである。

GHQが、天皇を、東京裁判の被告にしなかったのは、天皇を、戦犯としてしまうと、日本人の、何万人もが、自殺したり、発狂したりすることを、おそれて、しなかった、という、アメリカの政治的判断からである。

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