小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

杜子春 (の二次創作小説)

2020-07-09 13:43:58 | 小説
杜子春

ある春の日暮です。
唐の都の洛陽の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費つかい尽して、今日、泊まる所もなくて、どうしようかと困って立っていました。
すると、突然、彼の前へ一人の老人が現れました。
「お前は何を考えているのだ」
と、老人は杜子春に声をかけました。
「私は今夜寝る所もないので、どうしようかと考えているのです」
杜子春は正直に答えました。
「そうか。それは可哀そうだな」
老人は往来にさしている夕日の光を指さしました。
「ではおれが好いいことを教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。そこに車にいっぱいの黄金が埋っているぞ」
そう言って老人は去って行きました。

     △

 杜子春は翌日から、洛陽の都で一番の大金持ちになりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位の黄金が一山出て来たのです。
大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買いました。そして途方もない贅沢な暮らしを始めました。
すると、その噂を聞いて、多くの人達が杜子春の家にやって来ました。杜子春は客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。
しかしいくら大金持でも、金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、だんだん貧乏になり出しました。
そして、ついに杜子春は、一文無しになってしまいました。杜子春の家に遊びに来ていた人達の家に行っても、みな、冷たくて、泊めてくれる人は一人もいません。
そこで、仕方なく、杜子春は、また、あの洛陽の門の下へ行って、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。すると、前回の謎の老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考えているのだ」
と、声をかけました。
「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」
と、杜子春は答えました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いいことを一つ教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その胸に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車にいっぱいの黄金が埋まっている筈だから」
老人はこう言って去って行きました。
杜子春はその翌日から、また洛陽の都で一番の大金持ちに返りました。老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位の黄金が一山出て来たからです。
大金持になった杜子春は、また、すぐに立派な家を買い、そして、また、贅沢な暮らしを始めました。しかし金には際限がありますから、杜子春は、また、だんだん貧乏になり、また、ついに一文無しになってしまいました。

     △

杜子春は、また洛陽の門の下に行きました。すると、また、以前と同じ謎の老人が、現れました。
「お前は何を考えているのだ」
老人は、杜子春に聞きました。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思っているのです」
杜子春は、そう答えました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その腹に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの・・・」
老人がここまで言いかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。
「いや、お金はもういらないのです」
「金はもういらない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまったと見えるな」
老人は審しそうな眼つきで、じっと杜子春の顔を見つめました。
「いえ、贅沢に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです」
杜子春は不平そうな顔をしながら、突慳貪にこう言いました。
「どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」
「人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になると、無視して相手にしてくれません。そんなことを考えると、たとえもう一度大金持になったところが、何にもならないような気がするのです」
老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑い出しました。
「そうか。お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか?」
杜子春はちょっとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、
「そういう気にもなれません。あなたは仙人でしょう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることなど出来ない筈です。私は仙人になりたいと思います。先生。どうか私に仙術を教えて下さい」
老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、
「いかにもおれは峨眉山に棲すんでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで大金持にしてやったのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にしてやろう」
と、快く杜子春の願いを受け入れてくれました。
「ありがとうございます」
杜子春は大喜びして、大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜をしました。
「よし。では、これから仙人になる修行として、峨眉山へ行くぞ。そこでお前は仙人になるための修行をするのだ」
鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中うちに咒文を唱えながら、杜子春といっしょにその竹へ、馬にでも乗るように跨がりました。すると不思議なことに、二人の乗った竹杖は、勢いよく大空へ舞い上って、春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。

     △

二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞い下がりました。
そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でした。
二人がこの岩の上に着陸すると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせました。
「おれはこれから天上へ行って、西王母という女仙人に会って来るから、お前はその間ここに坐って、おれの帰るのを待っていろ。おれがいなくなると、いろいろな魔物が現れるだろうが、決して声を出すな。もし一言でも口を利いたら、お前は仙人にはなれないぞ」
と言いました。
「わかりました。決して声を出しません。命がなくなっても、黙っています」
「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」
老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、天空へ飛んでいきました。
杜子春は黙って岩の上に坐っていました。するとかれこれ半時ばかり経った頃、凛々と眼を光らせた虎と、四斗樽程の大蛇が現れました。
しかし杜子春は平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。
虎と蛇とは、一つ餌食を狙ねらって、互に隙でも窺うのか、暫くは睨合いの体でしたが、やがて、一時に杜子春に飛びかかりました。が虎の牙に噛かまれるか、蛇の舌に呑のまれるか、と思った時、虎と蛇とは、パッと霧の如く、消え失うせてしまいました。
「なるほど、今のは幻覚だったのだな」
と杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、待っていました。
すると今度は。一陣の風が吹き起って、黒雲が一面にあたりをとざすや否や、金の鎧を着た、身の丈三丈もあろうという、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉の戟を持っていましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けました。
「こら、お前は一体、何者だ。この峨眉山は、おれが住居をしている所だぞ。それも憚らず、なぜ、ここにいるんだ。理由を言え。言わぬと殺すぞ」
と怒鳴りつけました。
しかし杜子春は鉄冠子の言葉通り、黙っていました。
神将は彼が答えないのを見ると、怒り狂いました。
「この剛情者め。では約束通り殺してやる」
神将はこう喚わめくが早いか、三叉の戟で一突きに杜子春を突き殺しました。

     △

 杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、静かに体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
「こら、お前は何の為ために、峨眉山の上へ坐っていた?」
地獄の閻魔王様が杜子春に聞きました。
杜子春は早速その問に答えようとしましたが、「決して口を利くな」という鉄冠子の戒めの言葉を思い出して、唖のように黙っていました。すると閻魔大王は、顔中の鬚を逆立てながら、
「お前はここをどこだと思う? 速やかに返答をすれば好し、さもなければ、地獄の呵責に遇わせるぞ」
と、威丈高に罵りました。
が、杜子春は相変らず唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、
「こやつを徹底的に責めろ。責めて責めて責め抜け」
と怒り狂って叫びました。
 鬼どもは、杜子春を剣の山や血の池に放り込んだり、焦熱地獄や極寒地獄に入れたりなどと、ありとあらゆる方法で責め抜きました。しかし杜子春は我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言も口を利きませんでした。
これにはさすがの鬼どもも、呆れ返ってしまいました。
鬼ともは、杜子春を閻魔大王のもとに連れて行きました。そして、
「この者はどうしても、ものを言う気色がございません」
と、口を揃えて言上しました。
閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、
「この男の父母は、畜生道に落ちている筈だから、早速ここへ連れて来い」
と、一匹の鬼に言いつけました。
鬼はすぐに、二匹の痩せた馬を連れて来ました。その馬を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜなら、それは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母だったからです。
「こら、お前は何のために、峨眉山の上に坐っていたのだ。白状しなければ、今度は、お前の父母に痛い思いをさせてやるぞ」
杜子春はこう嚇されても、やはり返答をせずにいました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いいと思っているのだな」
閻魔大王は凄まじい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」
閻魔大王は、そう鬼どもに命じました。
鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身を悶えて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程嘶き立てました。
「どうだ。まだお前は白状しないか」
閻魔大王は、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに倒れ伏していたのです。
杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、殆ど声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰ても、言いたくないことは黙っておいで」
それは確かに懐しい、母親の声に違いありませんでした。杜子春は思わず、眼をあけました。そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。

     二(ここより創作)

杜子春は、一瞬、仙人の戒めを忘れて、「おっ母さん」と叫んで、飛び出して母親である半死の馬を抱きしめたくなりました。しかし、やはり考え直して、ぐっと堪えて、目をつぶって手で着物をギュッと握り締めながら、仙人の戒め通り、黙っていました。
「この親不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いいと思っているのだな」
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」
という怒り狂った閻魔大王の声。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰ても、言いたくないことは黙っておいで」
という母親の声。
そして、ビシーン。ビシーンという鬼どもの振るう、鉄の鞭の音。
それらが目をつぶっていても、杜子春の耳に聞こえてきます。しかし、杜子春が黙っていると、その鞭の音や、叫び声は、だんだん小さくなっていきました。そして、ついには何も物音が聞こえなくなりました。
「もう、お前を試す試練は終わりだ。もう、喋ってもいいぞ」
仙人の声が聞こえました。杜子春は、恐る恐る、ゆっくり目を開けました。目の前には仙人、鉄冠子がいます。あたりを見ると。気づくと、杜子春は、峨眉山の岩の上に座っていました。
杜子春は、ほっとして、
「はあ。疲れた」
と、溜め息をつきました。
仙人は、訝しそうな目で杜子春をじっと見ています。
杜子春は、すぐに、キッと仙人に鋭い目を向けました。
「さあ。約束です。私は黙り通しました。私を仙人にして下さい」
杜子春は強気の口調で仙人に迫りました。
仙人は不思議なものを見るような顔で杜子春を見つめました。
「お前は、自分の父母が、責め苛まれても何とも、思わないのか?お前は、それでも人間の心というものが、あるのか?」
仙人は、威嚇的な口調で杜子春に聞きました。
杜子春は、ニヤッと笑いました。
「な、なんだ。その不敵な笑いは?」
仙人は、少したじろいで、一歩、後ずさりしました。
「あれは、峨眉山での、私への責めと同様、幻覚だと確信していましたから」
杜子春は、勝ち誇ったように言いました。
「どうして、そう思ったのだ?」
仙人は首を傾げて杜子春に聞きました。
「私の父母が地獄に落ちるはずがありません」
杜子春はキッパリと言いました。
「どうしてそう思ったのだ?」
仙人は聞きました。
杜子春は、自信に満ちた口調で仙人に諭すように言いました。
「いいですか。鬼どもに鉄の鞭で打たれながら『心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰おっしゃっても、言いたくないことは黙って御出おいで』などと言うような神にも近い心の優しい人間が地獄に落ちるはずが、ないではありませんか」
杜子春は自信に満ちた口調で言いました。
仙人は、苦し紛れの表情で黙っていました。
杜子春は、さらに続けて言いました。
「私は仏教の輪廻転生のことは、よくわかりません。しかしですよ。かりに、生きている時に、悪い事をして、地獄に落ちたとしてでもですよ。ああまで反省して、心を入れ替えた人間を永遠に責めつづけるというのは・・・物の道理から考えて・・・いくらなんでも酷すぎるのではありませんか」
杜子春は、自信に満ちた口調で言いました。
仙人は、眉間に皺を寄せて、困惑した顔つきになりましたが、すぐに何かを思い立ったらしく、刺すような鋭い眼光で、杜子春をにらみつけ、懐から短剣を取り出して、杜子春の頭上に振り上げました。その時。
「待って下さい」
そう杜子春は、落ち着きはらった顔で仙人を制しました。
「あなたは、私を殺すつもりでしょう」
杜子春は、仙人をじっと見つめて言いました。
「そうだ。自分の父母が苦しんでいても、自分さえ都合が好ければ、好いと思っているような、そんな薄情で冷血でエゴイストな人間は、生きている資格などないわ」
そう言って、仙人は、再び、短剣を杜子春の頭上に振り上げました。
「待って下さい」
と、再び杜子春は、また仙人を制しました。
「確かに、父母が苦しんでいても、自分さえ都合が好ければ、好いと思っているような、そんな薄情で冷血でエゴイストな人間は、あなたが言うように生きている資格などないかもしれません。しかしですよ。私は、そんな薄情な人間では、ありませんよ」
杜子春は、キッパリと言い切りました。
「ふん。口先でなら、どんなウソでも言えるわ」
仙人は、不快そうに顔を歪めて、言いました。
そして、また短剣を杜子春の頭上に振り上げました。
「待って下さい」
杜子春は、またしても仙人を制しました。
「あなたは頭が悪い。私はそんな薄情な人間ではありません。確かに、本当に、私の母が、鬼どもに責められているのを見たら、私は、涙を流して、おっ母さん、と叫んだでしょう。しかしですよ。私は、あれは、絶対、幻覚だと、確信していたから、黙っていたのです。私がそう確信した理由は、今、言ったばかりではありませんか」
仙人は黙ってしまいました。
杜子春は、仙人に詰め寄りました。
「それにですよ。あなたは仙人であって、神ではない。仙人というのは、修行によって妖術を使えるようになった超能力者です。しかし超能力者である仙人は、人間の善行悪行から、人間を裁く権限まで持っている者なのですか。人間の善悪から、人間を裁く権限まで持っているのは、神、つまり、お釈迦様、だけにしか、ないのではないですか。あなたのしようとしている行為は、まさに越権行為です」
仙人は、言い返せず、黙ってしまいました。
「さあ。約束です。私を、仙人にして下さい」
杜子春は、強気に仙人に詰め寄りました。
「わかった。私の負けだ。この杖をやろう。この杖は仙人の杖だ。これがあれば、何でも出来る」
そう言って仙人は、杜子春に、杖を差し出しました。
「では、お言葉にあまえて、頂戴させていただきます」
そう言って杜子春は嬉しそうに、仙人から杖を受けとりました。
「それで、お前は、これからどう生きていくつもりだ」
仙人は目を細めて訝しそうに聞きました。
「そうですね。さてと、どう生きて行こうかな」
杜子春は目を虚空に向けて、独り言のように呟きました。
「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住んでみてはどうか。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」
仙人は、パンと手を打って嬉しそうに、そんな提案をしました。
「では、その泰山の南の麓の一軒の家を、頂きましょう」
杜子春は、嬉しそうに言いました。
「おお。お前は、そこで、貧しくても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりなのだな」
仙人は嬉しそうに言いました。
「いえ。家ももらいますが、仙術も使わせてもらいますよ」
杜子春は、当然の権利と言わんばかりに、堂々と言いました。
「おまえは一体、仙術を使って、何をするつもりなのだ?」
仙人は拍子抜けした顔になって、訝しそうな目つきで杜子春を見つめました。
「それは、もちろん。そうですね。まず、透明人間になって、女の裸を見ます。それと、もちろん、また贅沢な生活もさせていただきますよ」
杜子春は、何憚ることなく堂々と言いました。
「あまり悪い事はやらないでくれよ」
仙人は寂しそうに言いました。
そうして青竹に跨って、空へと浮上し、峨眉山から去っていきました。

   △

仙人になった杜子春は、さあて、まずは何をしようかな、と、しばし考えを巡らしました。これから杜子春は、妖術を使って何でも出来るのです。
「よし。まず手始めに、京子と愛子の家に行ってみよう」
そう杜子春は決めました。京子と愛子は、杜子春が大金持ちだった時、毎日、杜子春の家に遊びに来ていた双子の姉妹です。京子と愛子は、親が事業に失敗して、多額の借金を残し、家も土地も失って、もはや売春婦になるしかなくなって辛い日々を過ごしている、という身の上を杜子春に泣きながら、縷々と語りました。杜子春は、二人に同情し、二人に多額の金をあげました。それが、杜子春が、大金を早く使い果たしてしまった理由の一つでもあるのです。京子と愛子は、今、どうしているだろう、と杜子春は思って、魔法の杖を跨ぐと、勢いよく大空へ舞い上って、一途、京子と愛子の家に飛んでいきました。

   △

ようやく京子と愛子の家を見つけた杜子春は、ゆっくりと高度を下げていき、二人の家の前に着地しました。杜子春は、驚きました。京子と愛子の家は、乞食の住むような藁葺きのオンボロ家だったのですが、なんと、身分の高い貴族が住むかと思うほど立派な家に改修されていたからです。窓から家の中を覗くと、京子と愛子が、ソファーにもたれて、極上のワインを飲んでいました。二人が愉快そうに、話し合っているので、杜子春は、二人の会話に聞き耳を立てました。

「お姉さま。よかったわね。大金持ちになれて」
妹の愛子が真珠のネックレスを触りながら言いました。
「これも全て杜子春のバカのおかげだわ」
姉の京子が、指にはめている18カラットのダイヤの指輪をしげしげと見つめながら言いました。
「ふふ。これで、もう私達、一生、遊んで暮らせるわね」
妹の愛子がワイングラスにブランデーを注ぎながら言いました。
「私達、本当は、多額の借金なんてないし、売春婦でもなく、貧しい花屋で、貧乏だけど、何とか生活は出来ていたのにね。ホロリと涙を流して杜子春に、ウソの悲惨な身の上話を、語ったら、私たちの話を本当に信じて、大金をくれちゃったんだからね」
妹の愛子がブランデーを飲みながら言いました。
「男なんて、みんなバカなのよ」
姉の京子もブランデーを飲みながら言いました。
「杜子春のバカ。今頃、どうしてるかしら?」
「さあね。もう、とっくに野垂れ死にしてるんじゃないかしら」
二人は、顔を見合わせて、ふふふ、と笑い合いました。
これを聞いた杜子春が怒ったの怒らないのではありません。
(そういうことだったのか。よくも。よくも。これは絶対、許さんぞ)
そう心に中で呟いて、杜子春は、力強く拳をギュッと握り締めました。杜子春は、
「地震よ。起これ」
と呪文を唱えて仙人の杖を一振りしました。
すると、どうでしょう。姉妹の家が、急にガタガタと、揺れ始めました。揺れは、どんどん激しくなって、壁に掛かっていた絵画や、家具が倒れていきました。
「きゃー。お姉さま。地震だわ。怖いわ」
「愛子。落ち着いて。テーブルの下に隠れましょう」
二人は、大理石のテーブルの下に身を潜めました。
「こ、怖いわ」
「早く、おさまって」
二人は、手をギュッと握りあって、地震がおさまるのを待ちました。すると、揺れは、だんだん、小さくなっていきました。そして、ついに、揺れは、なくなりました。二人は、そっとテーブルの下から出て来ました。
「はー。よかったわね」
「久々の地震だったわね」
「でも、まだ安心しちゃダメよ。余震が来るかもしれないから」
「そうね」
そう言いながら、二人は、身を寄せ合って、ソファーに座りました。
しかし二人が安心したのも束の間でした。突然、
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」
と不気味な笑い声が、家の中に、轟きました。
「お、お姉さま。怖いわ。一体、何なの。この薄気味悪い声は?」
「わ、わからないわ。家の外に誰かいるのかしら?」
「でも、何だか、家の外から、というより、声は家の中から、起こっているみたいに感じるわ」
その時です。二人は同時に、あっ、と驚愕の声を出しました。なぜなら、二人の目の前に杜子春が立っていたからです。
「あっ。あなたは杜子春じゃない」
「まだ生きていたの?」
「一文無しになって、私たちに、たかりに来たの?お金のない、あなたなんかを泊める気なんて毛頭ないわよ」
「さあ。出てって」
二人は杜子春に向かって突慳貪に言いました。
「お前たち、よくも、ウソをついてオレをだましてくれたな。お前たちが、そういう性悪なヤツラだとは、知らなかったぜ」
そう言って杜子春は悠然と椅子に座って膝組みしました。
「ゴチャゴチャうるさいわよ」
姉が言いました。
「だまされる方がバカなのよ」
妹が言いました。
「住居不法侵入で警察に通報するわよ」
二人は矢継ぎ早に杜子春に罵倒の言葉を浴びせました。
「ふふふ。オレはな。厳しい修行をして、仙人になったのさ。仙人だから、妖術を身につけているから、何でも出来るのさ。今の地震もオレが起こしたのさ」
杜子春は、ふてぶてしい口調で言いました。
「ま、まさか、そんなバカげた非科学的なことが出来るはずはないわ」
姉の京子が言いました。
「何、寝ぼけたこと言っているのよ。とっとと、早く出て行きなさい」
妹の愛子が言いました。
しかし杜子春は、ニヤニヤ笑ったままです。
「ともかく、早く出て行きなさい」
そう言って、姉の京子は、テーブルに乗っていたフォークを、つかむと、杜子春に向かって投げつけました。しかし、杜子春が、えいっ、と魔法の杖を一振りすると、フォークは、パッと消えて無くなってしまいました。
「ま、まさか・・・」
二人は、恐怖に駆られたように手当たり次第に、杜子春に向かって皿や茶碗やコップなどテーブルの上の物を投げつけました。しかし、物は、杜子春の体に当たる前に、パッと消えて無くなってしまいます。
「どうだ。これでオレの言ってることが本当だとわかっただろ」
杜子春は横柄な口調で二人に言いました。
「ウソよ。これは、何かのまやかしよ」
二人は、まだ信じることが出来ない、という様子でした。
「よし。じゃあ、いい物を出してやる」
そう言って杜子春は、
「虎よ。出でよ」
と叫んで魔法の杖を一振りしました。すると、どうでしょう。突然、大きな虎が二匹、部屋の中に現れました。
「きゃー」
「ひいー」
二人は、咄嗟に悲鳴を上げました。二匹の虎は凛々と眼を光らせて、京子と愛子の様子を窺うかのように、部屋の中を、のそりのそりと徘徊していましたが、突然、ガーと大きな猛り声をあげて、大きな口を開けて、一匹は姉の京子に向かって、もう一匹は妹の愛子に向かって飛びかかりました。
「きゃー」
「ひいー」
京子と愛子が大きな悲鳴をあげました。虎の牙に噛かまれるか、と思うほど姉妹の顔の直前に、来た時に、パッと二匹の虎は、霧の如く消え失せてしまいました。
「どうだ。これでオレの仙術が本物であることが、わかっただろう」
杜子春は、勝ち誇ったように言いました。
しかし、まだ二人は信じられない、のか、恐怖のあまり、腰を抜かして口が利けないのか、黙っています。
「仕方がないな。それでは、もう一度」
と言って、杜子春は、魔法の杖を、えいっ、と一振りしました。すると、突然、四斗樽程の大きな蛇が二匹、部屋の中にパッと現れました。
「きゃー」
「ひいー」
二人の姉妹は、またも、大きな悲鳴をあげました。
二匹の蛇は、とぐろを巻いて、気味の悪い赤い舌をシューシュー出しています。
二人は、恐怖に凍った顔を見合わせるや否や、脱兎のごとく咄嗟に部屋から逃げ出そうとしました。
「おっと。そうはいかないぜ」
杜子春は、魔法の杖を姉の姉妹に向けて、
「不動。金縛りの術」
と叫んで、えいっ、と一振りしました。すると、どうでしょう。二人の体は石膏のごとく、ピタリと動かなくなってしまいました。指先から、足先まで、まるで彫刻のように微動だにしません。
「お、お姉さま。か、体が動かないわ」
「私もよ。愛子」
とぐろを巻いていた二匹の蛇は、気味の悪い赤い舌をシューシュー出しながら、二手に分かれて、一匹は姉の京子の方に、もう一匹は妹の愛子の方に向かって、ゆっくりと動き出しました。
「きゃー。いやー。来ないでー」
二人は、絹を裂くような悲鳴をあげました。
杜子春は、ニヤニヤ笑いながら、
「ふふふ。服がちょっと邪魔だな」
とふてぶてしい口調で言って、仙人の杖を、えいっ、と一喝して、一振りしました。すると、どうでしょう。箪笥の上に乗っていた、鋏が、スーと宙に浮きました。そして、空中を飛行して、京子のチャイナ・ドレスをジョキジョキと切り出しました。
「いやー」
京子が叫びましたが、鋏は聞く耳をもたない生き物の如く、京子の薔薇の模様の入った美しいチャイナ・ドレスを切っていきました。
とうとう、京子のチャイナ・ドレスがパサリと床に落ちました。京子は、パンティーとブラジャーだけ、という姿になりました。京子の豊満な胸と尻が、下着には覆われていますが、その輪郭がはっきりと露わになりました。
「ふふふ。素晴らしいプロポーションだな。さすが、オレがやった金で、贅沢三昧に美味い物を食ってきたからな」
杜子春は、そんなことを嘯きました。
鋏は、次に、妹の愛子の方へ飛行していって愛子のチャイナ・ドレスをジョキジョキと切り出しました。
「いやー」
愛子も、悲鳴をあげましたが、鋏は容赦なく、愛子のチャイナ・ドレスをも切り落としてしまいました。愛子のプロポーションも姉の京子に勝るとも劣りませんでした。
こうして、二人の姉妹は、パンティーとブラジャーだけ、という姿で、彫刻のように並びました。
二匹の蛇は、薄気味の悪い赤い舌をシューシュー出しながら、姉妹の方に方へ、どんどん近づいていきます。一匹の蛇は姉の京子の方へ向かって、そして、もう一匹の蛇は妹の愛子の方へと。
「いやー。来ないで―」
京子と愛子は、全身に鳥肌を立てながら叫びましたが、二匹の蛇は、頓着する様子もなく、とうとう、それぞれ二人の足に触れんばかりの間近までやって来ました。
「いやー」
京子と愛子は、天地が裂けんばかりの悲鳴をあげました。しかし蛇は、京子と愛子の恐怖などは余所に、京子と愛子の足に向かって、赤い舌をシューシュー出して、二人の形のいい足を舐め出しました。
「きゃー」
「ひいー」
二人は一際、激しい叫び声をあげました。
杜子春は、椅子に膝組みしながら、面白い見物を見るように、二人の姉妹を見ながら冷笑しました。
「ふふふ。どうだ。これで、オレが仙人で、仙術を使えるということが、わかったかな?」
自分たちの体を動けなくしたり、恐ろしい虎を出してみたり、鋏を動かしてみたり、恐ろしい蛇を出してみたり、と、ここまで、摩訶不思議な現象の連続に、姉妹はとうとう、杜子春が仙人になったことを確信したのでしょう。
「はい。とくとわかりました」
二人は顔を見合わせて、恭しい口調で言いました。
蛇は、相変わらず、京子と愛子の足にシューシューと薄気味の悪い赤い舌を出して京子と愛子の足を舐めています。
「杜子春さまー。お許し下さいー」
「私たちが悪うございましたー。ごめんなさいー」
姉妹は悲鳴を張りあげました。
しかし杜子春は相手にしません。煙草をとりだして、ふー、と一服して、煙の輪をホッと吹き出しました。
蛇は、女の柔肌の温もりが気にいったのか、木に登るように、京子と愛子のスラリとした脚に巻きつきながら、よじ登り出しました。
蛇は、スラリとした形のいい姉妹の足から、尻へ、そして腹へと、どんどん這い上って行きました。そして、ついに気味の悪い赤い舌をチョロチョロ出しながら、二人の姉妹の体を這い回りました。しかし、爬虫類、特に蛇嫌いの京子と愛子にとっては、たまったものではありません。
「ひー。杜子春さまー。お許し下さいー」
「へ、蛇を・・・離して・・・ください」
と京子と愛子はプルプルと体を震わせながら叫び続けました。
「ふふふ。ごめんで済んだら、世の中、警察いらないぜ」
杜子春は、煙草を燻らせながら、突き放すように言いました。
赤い舌を出して、京子と愛子の体に巻きついていた二匹の蛇は、今度は、とうとう京子と愛子の顔にまで巻きつき出しました。
「ひいー。杜子春さまー。お許し下さいー」
二人の姉妹は叫び続けました。二人の姉妹は恐怖のあまり、失禁していました。
「ふふふ。蛇を体から離してやってもいいぜ」
杜子春は思わせぶりな口調で、そう言いました。
「お願いです。離して下さい」
「ただし条件があるぞ」
「何でしょうか。何でも、お聞きします」
「お前ら。二人でレズショーをするんだ。そうするんなら、蛇を体から離してやるぜ」
「は、はい。します。します」
狂せんばかりの、この蛇の、ぬめり這い回りには、他に選択を考える余地など、あろうはずがありません。実際、二人は、発狂寸前でした。
「よし。その言葉を忘れるなよ」
そう念を押すや、杜子春は、魔法の杖を、姉妹に向けて、
「蛇よ。降りろ」
と一喝しました。すると、どうでしょう。京子と愛子の体に巻きついていた二匹の蛇は、飼い主の命令に従う忠実な犬のように、スルスルと、それぞれ京子と愛子の体から、床に降りて行きました。そして、椅子に座っている杜子春の所へ這って行って、一匹は杜子春の右に、そして、もう一匹は杜子春の左に行き、とぐろを巻いておとなしそうな様子になりました。まるで蛇は杜子春の忠実な家来のようです。杜子春は、二匹の蛇の頭を優しそうに撫でました。
おとなしく杜子春の横でとぐろを巻いている二匹の蛇を見て、京子と愛子は、ほっと一息つきました。
「杜子春さま。お慈悲を有難うございました」
姉妹は、恭しい口調で言いました。
しかし、まだ二人の体は、凍りついたように、固まっています。
「よし。体も自由にしてやろう」
杜子春はそう言って、魔法の杖を姉妹に向け、
「金縛り、解けよ」
と一喝しました。
すると、どうでしょう。石膏のように固まっていた二人の体は、急に柔らかくなりました。
二人は、立ち続けていた疲労と、蛇の恐怖から、解放されて、クナクナと床に座り込んでしまいました。しかし二人の姉妹は、すぐに杜子春の方に向いて正座し、頭を床に擦りつけました。
「杜子春さま。お慈悲を有難うございます」
と、頭を床に擦りつけて、恭しい口調で言いました。杜子春は、さも満足げな顔で、大王のように、悠然と足組みして椅子に座っています。実際、二人にとって、杜子春は絶対服従すべき大王の立場です。なぜかといって、二人の生殺与奪の権利は杜子春の胸先三寸にあるのですから。
「さあ。約束は守れよ。二人でレズショーをしろ」
杜子春は、両側にいる二匹の蛇の頭を優しそうに撫でながら、大王のように居丈高に命じました。
京子と愛子の二人は、恥ずかしそうに顔を見合わせました。が二人とも言葉がありませんでした。
「さあ。二人とも。早く、ブラジャーとパンティーを脱いで、一糸まとわぬ丸裸になれ」
杜子春が厳しい口調で二人に命じました。
「ぬ、脱ぎましょう。愛子」
「え、ええ」
二人は、命じられるまま、恐る恐る、震える手で、ブラジャーを外し、パンティーを脱ぎました。姉妹は一糸まとわぬ丸裸になりました。二人は、恥ずかしそうに、胸と股間を手で覆いました。
「ほう。二人とも、抜群のプロポーションじゃないか」
杜子春は、感心したように言いました。
「さあ。二人でレズショーをするんだ」
杜子春は、豹変したように厳しい口調で二人に命じました。
「あ、あの。杜子春さま」
京子が声を震わせて言いました。
「何だ?」
杜子春は、両横に控えている二匹の蛇の頭を撫でながら、突慳貪な口調で聞き返しました。
「あ、あの。その二匹の蛇を、杜子春さまの魔術で消して頂けないでしょうか?」
京子が、おどおどした口調で哀願しました。
「どうしてだ?」
杜子春が乱暴な口調で聞き返しました。
「蛇がいると、襲ってきそうで怖いんです」
京子が言いました。
「駄目だ。お前たちのレズショーが少しでも手を抜いているとわかったら、すぐさま、この蛇を、お前たちに襲いかからせるんだ。そのために、こいつらは消さない」
杜子春は、京子の哀願を無下に断りました。
京子は、ガックリと項垂れた。
「あ、あの。杜子春さま」
京子が、また、か細い声で杜子春に聞いた。
「何だ?」
杜子春が聞き返した。
「あ、あの。何をすれば、いいのでしょうか?」
京子は、声を震わせて聞きました。
「お前はレズショーも知らないのか。そんなこと聞かなくてもわかるだろう。まず、二人とも立ち上がって、向き合って抱きしめ合うんだ」
杜子春は、怒鳴りつけるように荒々しく言いました。
京子と愛子の二人は、そっと立ち上がった。そして向き合いました。
二人の目と目が合うと、弾かれるように、二人は目をそらしましたが、二人とも顔は激しく紅潮していました。
「あ、愛子。こ、これは悪い夢だと思って我慢しましょう」
京子が声を震わせて言いました。
「は、はい。お姉さま」
愛子も声を震わせて言いました。

   △

二人は、お互い、相手に向かって歩み寄っていきました。柔らかい女の肉と肉が触れ合いました。二人は、お互いに両手を相手の背中に、そっと回しました。二つの柔らかい肉と肉がピッタリとくっつきました。二人は、お互いを、黙って、じっと抱きしめ合いました。そうすることによって、近親相姦レズなどという、おぞましい行為から逃げるように。
しばしの時間が経ちました。
「おい。抱き合っているだけではレズショーじゃないだろう。キスするんだ」
杜子春が、苛立たしげな口調で言いました。
「さ、さあ。愛子。キスしましょう」
「で、でも。お姉さま」
「愛子。わがまま、言わないで。杜子春さまの命令には逆らえないわ」
姉の京子がたしなめました。
姉の京子は、ためらっている妹の愛子の唇に自分の唇を近づけていきました。愛子は、咄嗟に目をつぶりました。
姉は妹の唇に自分の唇を触れ合わせました。その瞬間、妹の体がビクッと震えました。姉は妹が逃げないように両手で妹の頭をしっかり掴みましだ。そして姉も目をつぶりました。二人の姉妹は唇を触れ合わせました。
しばしの時間、キスしていた二人は、唇を離しました。
愛子は、サッと頭を後ろに引きました。二人の顔と顔が向き合いました。二人は目と目が合うと、恥じらいから、すぐに視線を相手からサッとそらしました。しかし、二人の顔は激しく紅潮していました。
「ああっ。お姉さま。わ、私。頭がおかしくなってしまいそうです」
「愛子。わがまま言わないで。私を他人だと思って」
「で、でも・・・」
「愛子。どのみち避けられないのよ。もう、とことん、おかしくなりましょう」
「・・・わ、わかったわ」
そう言って二人は、また唇を重ね合わせました。しばしの時間、二人は唇を触れ合わせたままでじっとしていました。
「おい。そんな形だけ口をつけているだけじゃ駄目だ。ディープキスしろ。舌を絡め合って、唾液を吸いあうんだ」
杜子春が、怒鳴るように言いました。
「は、はい」
姉が言いました。
「あ、愛子。中途半端な気持ちでいると、かえって辛いわ。いっそのこと、開き直って、行き着くとこまで行きましょう」
姉はそう言って、再び、妹の唇に自分の唇を触れ合わせました。姉の喉仏がヒクヒク動き始めました。京子が妹の唾液を貪るように吸っているのです。
しばしして、愛子が、京子から顔を離して、プハーと大きく呼吸しました。
「ああっ。お姉さま。わ、私。頭がおかしくなってしまいそうです」
愛子はハアハア喘ぎながら言いました。
「愛子。どのみち避けられないのよ。もう、とことん、おかしくなりましょう」
姉がたしなめました。
「よし。今度は乳首の擦りっこをしろ」
杜子春がニヤリと笑いながら命令的な口調で言いました。
「愛子。乳首の擦りっこをしましょう」
京子は声を震わせながら言いました。
京子は、そっと胸を近づけた。京子と愛子の二人の乳首が触れ合いました。
「ああっ」
愛子が苦しげに眉根を寄せて叫びましだ。
「どうしたの」
京子が聞きました。
「か、感じちゃうの」
愛子が顔を紅潮させて、小さな声で言いました。
「我慢して」
そう言って京子は愛子の肩をつかみながら、二人の乳首を擦り合わせました。二人の乳首は、まるで、じゃれあう動物のように、弾き合ったり、押し合ったりしました。だんだん二人の乳首が大きく尖り出しました。二人はハアハアと呼吸が荒くなってきました。
「お、お姉さま。わ、私、何だか変な気持ちになってきちゃった。な、何だか凄く気持ちが良くなってきちゃったわ」
愛子が虚ろな目つきでハアハアと息を荒くしながら言いました。
「わ、私もよ。愛子」
京子が言いました。二人は、体を揺らしながら、しばらく、もどかしげに乳首を擦り合わせていました。
「ふふ。二人とも心境が変わってきたようだな」
杜子春が、得意げな顔で、したり気な口調で言いました。
「愛子。今度は乳房を擦り合わせましょう」
京子が言いました。
「ええ」
愛子は逆らわずに肯きました。二人は乳房を擦り合わせました。二人は乳房を押しつけたり、擦り合ったりさせました。まるで、お互いの乳房が相手の乳房を揉み合っているようでした。時々、乳首が触れ合うと、二人は、
「ああっ」
と苦しげに喘ぎました。
愛子と京子の二人の顔は目と鼻の先です。 二人の目と目が合いました。暗黙の了解を二人は感じとりました。二人は、そっと顔を近づけていきました。二人の乳房はピッタリと密着して、平べったく押し潰されました。二人は、お互いに唇を近づけていきました。二人の唇が触れ合うと、二人は無我夢中でお互いの口を貪り合いました。京子は、両手を愛子の背中に回して、ガッチリと愛子を抱きしめています。しばしして、二人は唇を離して、ハアハアと大きく深呼吸しました。二人は恥じらいがちにお互いの顔を見つめ合いました。
「ああっ。お姉さま。感じるー」
愛子が言いました。
「愛子。私もよ」
京子が言いました。二人は再び、尖って大きくなった乳首を擦り合わせ出しました。二人は、これでもか、これでもかと、さかんに乳房を押しつけ合いました。そして、唇をピッタリと合わせてお互いの口を貪り合いました。
「ああー。感じちゃう」
愛子が大声で叫びました。
「私もよ。愛子」
京子も大声で叫びました。超えてはならない禁断の一線を越えた二人はもう一心同体でした。
「ふふふ。おい。京子。愛子。胸だけじゃなく、アソコもお互い愛撫しあいな。女同士なら、どこが感じやすいか、男よりよく知っているだろう」
杜子春が、したり気な口調で言いました。
「わ、わかりました。杜子春さま」
京子は杜子春の方を向いてそう言いました。そして、すぐに愛子に目をもどしました。
「愛子。もっと気持ちよくしてあげてるわ」
京子が言いました。
京子は、愛子のアソコを、触り出しました。
「ああっ」
愛子は、反射的に、腰を引きました。
「愛子。ダメ。腰を引いちゃ」
京子は、叱るように言って愛子の腰をグイと自分の方に引き寄せました。
しかし愛子は足をピッタリと閉じ合せています。
「愛子。もっと足を開いて」
京子が言いました。
「はい。お姉さま」
言われて愛子は、素直に閉じていた足を開きました。
京子は愛子の女の穴に中指を入れました。愛子のアソコは、もう、じっとりと濡れていたので、指はスルっと入りました。京子は、ゆっくりと、愛子の女の穴に入れた中指を動かし出しました。
「ああー」
愛子が眉根を寄せて大きく喘いだ。愛子のアソコがクチャクチャ音を立て出しました。白い粘っこい液体が出始めました。
「ああー」
愛子は体をプルプル震わせて叫びました。
「あ、愛子。私のアソコも触って」
京子が言いました。
「わ、わかったわ」
愛子がハアハアと喘ぎながら答えました。
愛子はハアハアと苦しそうに喘ぎながら、自分も右手を下に降ろし、正面の京子のアソコに手を当てて、しばしアソコの肉を揉んだり撫でたりしました。そして中指を京子の女の穴に入れて、ゆっくり動かし出しました。
「ああー」
京子もプルプル体を震わせて、喘ぎ声を出しました。
京子のアソコもクチャクチャと音を立て出しました。京子のアソコからも白濁液が出てきました。
京子は、一心に愛子のアソコに入れた指を動かしています。
「あ、愛子。もっと激しくやって」
京子が言いました。
「ええ。わかったわ」
愛子は、指の蠕動を速めていきました。
「ああー」
二人は、指責めの辛さのやりきれなさを相手にぶつけるように、お互いの女の穴に入れた指の蠕動を、一層、速めていきました。愛子と京子は、抱き合って、乳房を押しつけながら、お互いの口を激しく吸い合いました。
「ああー。いくー」
ついに愛子が叫びました。
「ああー。いくー」
京子も叫びました。二人は、
「ああー」
とことさら大きな声を出して全身をガクガクさせました。まるで痙攣したかのようでした。二人は同時にいきました。二人は、ペタンと床に座り込んで、しばしハアハアと荒い呼吸をしました。
「ふふふ。お前たち。姉妹の絆が強まって嬉しいだろう」
杜子春は、煙草を吹かしながら、そんな嫌味な皮肉を言いました。
「ふふ。今度は69をするんだ」
杜子春がしたり顔で言いました。
「ええー」
二人は顔を見合わせて真っ赤になりました。だが、妖術を使える杜子春に、目の前に、居据わられているので逃げることは出来ません。しかもレズショーをやると杜子春と約束したのです。それにもう二人は他人ではありません。血のつながった姉妹でありながら、禁断の一線を越えてしまったのです。
「あ、愛子。あ、諦めてやりましょう」
京子が言いました。
「そ、そうね。京子おねえさま」
愛子が相槌を打ちました。
「じゃ、じゃあ、私が下になるわ」
京子はそう言って、床の上に仰向けに寝ました。
「さ、さあ。愛子。四つん這いになって私の上を跨いで」
京子が言いました。
「わ、わかったわ」
そう言って愛子は京子と反対向きに四つん這いになって京子の上に跨りました。
愛子の顔のすぐ下には、京子のアソコが触れんばかりにあります。一方、京子の顔の真上には、京子の、アソコが触れんばかりにあります。
「ああー」
二人は、耐えられない恥ずかしさに思わず、声をあげました。

杜子春は満悦至極といった様子で二人を見つめています。四つん這いの愛子は、尻の穴までポッカリ杜子春に晒しています。
「ふふふ。愛子。尻の穴が丸見えだぜ」
杜子春が揶揄すると、愛子は顔を真っ赤にして、
「ああー」
と叫びました。愛子が、必死で尻の穴を窄めようとしたので尻の穴がヒクヒクと動きました。
「さあ。69でレズショーを始めな」
杜子春が命令しました。
「あ、愛子。仕方がないわ。やり合いましょう」
京子が言いました。
「そ、そうね」
愛子が相槌を打ちました。
「あ、愛子。もう、こうなったら、中途半端じゃなく、何もかも忘れて、徹底的にやりあいましょう。中途半端な気持ちでいると、かえって辛いわ。いっそのこと、開き直って、行き着くとこまで行きましょう」
京子が言いました。
「そ、そうね。私達、もう禁断の一線を越えてしまったんだから」
愛子が言いました。
京子は膝を立てて足を開いています。
「京子。すごく形のいい太腿ね。私、いつも、うらやましく思ってたの」
そう言って愛子は、京子の太腿のあちこちに接吻しました。
「ああっ」
愛子にアソコをキスされて、恥ずかしいやら、気持ちいいやらで、京子は喘ぎ声を出しました。京子も手を伸ばして愛子の尻を優しく撫でました。京子の方が下なので、寝たままで両手を自由に使えます。京子は車体の下から上を見上げながら車の底を修理する自動車修理工のような体勢で、愛子の股間を色々と、弄くりました。アソコの肉をつまんだり、大きな柔らかい愛子の尻に指先を軽やかに這わせたり、ただでさえ開いている尻の割れ目をことさらグイと開いたり、尻の割れ目をすーと指でなぞったりしました。尻の割れ目をなぞられた時、愛子は、
「あっ」
と叫んで、反射的に尻の穴をキュッと窄めようとしました。
「どうしたの。愛子」
京子が聞きました。
「そ、そうやられると、感じちゃうの」
愛子が言いました。
「愛子の一番の性感帯は、肛門なのね」
京子が言いました。
「違うわよ。そんな所、触られたの生まれて初めてだもの。誰だって感じちゃうわ」
京子は、ふふふ、と笑いました。まるで相手の弱点を知って得意になっているようでした。京子は、愛子の大きな尻を軽やかな手つきで、指を這わせました。そして、時々、すーと尻の割れ目を指でなぞりました。
「ああー」
愛子は尻の割れ目をなぞられる度に悲鳴を上げました。京子は、ふふふ、と悪戯っぽく笑いました。
「京子おねえさま。わ、私も遠慮しないわよ」
愛子はそう言って、京子の女の割れ目に舌を入れて舐め出しました。
「ああっ。愛子。やめて。そんなこと」
京子は、激しく首を振って言いました。だが、愛子は京子の言うことなど聞かず、唇で小陰唇やクリトリスをペロペロ舐めました。京子は、
「ああー」
と羞恥の声を上げました。愛子は四つん這いで膝を立てていて、京子は寝ているため、口が愛子のアソコにとどきません。だが手は自由に動かせます。京子は愛子の小陰唇を開いて、右手の中指を入れました。
「ああっ」
と愛子が声を出しました。京子はゆっくり指を動かし出しました。
「ああっ」
愛子が苦しげな声を出しました。愛子のアソコはすでに濡れていて、指はヌルリと容易に入りました。京子は、穴に入れた指をゆっくり動かしながら、左手で、愛子の尻の割れ目をすーとなぞりました。
「ああー」
敏感な所を二箇所、同時に京子に責められて、愛子は、眉を寄せて苦しげな喘ぎ声を出しました。愛子も負けてなるものかと、中指を京子の女の穴に入れ、ゆっくりと動かし出しました。
「ああー」
京子も眉を寄せ、苦しげな喘ぎ声を出しました。女同士なので、どこをどう刺激すれば感じるかは知っています。だんだんクチャクチャという音がし出して、ネバネバした白っぽい液体が出始めました。二人は愛撫をいっそう強めていきました。
「ああー。い、いくー」
愛子が叫んびました。
「ああー。い、いくー」
京子が叫びました。二人は、
「ああー」
とことさら大きな声を出して全身をガクガクさせました。まるで痙攣したかのようでした。
二人は同時にいきました。京子はガックリと倒れ伏して、ハアハアと荒い呼吸をしました。
「ふふ。早くも二回もいったな」
杜子春がしたり顔で言いました。杜子春は、呆気に取られた顔していました。
「女は男と違って、射精がないから、何度でもいくことが出来るんだ」
杜子春が得意顔で説明しました。
愛子は京子の体の上に倒れ伏し、虚脱したような状態になりました。二人はしばし、ハアハアと荒い呼吸をしていました。
だんだん二人は呼吸が元に戻って落ち着いてきました。
二人は床の上で、グッタリしています。

   △

「よし。もうレズショーは勘弁して、終わりにしてやる。服を着ていいぞ」
杜子春が言いました。
「ありがとうございます。杜子春さま」
そう言って京子と愛子の二人は、起き上がりました。そしてパンティーを履き、ブラジャーをつけました。そしてチャイナ・ドレスを着ました。二人は、ほっとした様子です。
杜子春も、椅子から立ち上がって、テーブルの上のブランデーをとろうと身を乗り出しました。
その時です。
姉の京子が、サッと飛び出して、杜子春の魔法の杖を奪ってしまいました。
「ふふふ。これでもう、あなたは、怪しい仙術は使えないわね。これからは、私たちが、この便利な杖を使わせて貰うわよ」
姉の京子は、得意げな口調で言いました。
「お姉さま。よかったわね」
妹の愛子が嬉しそうに言いました。
「よくも、よくも、私達にレズショーなんか、やらせたわね。覚悟は出来ているでしょうね」
姉の京子は、天下をとったかのように凄んで杜子春に言いました。
「お姉さま。杜子春をどうしましょう?」
妹の愛子が姉の京子に目を向けました。
「呂后のやった人豚にしちゃいましょう」
「人豚って何なの?」
「人豚っていうのはね・・・昔ね、劉邦という王がいたの。劉邦には呂后という正妻がいたのだけれど、劉邦は戚夫人という愛人を寵愛して、呂后を愛さなかったの。そのため劉邦が死んで呂后が権力を握ると、呂后は戚夫人に、恐ろしい復讐をしたの」
「どうしたの?」
「呂后は戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をえぐり抜き、鼓膜を破って耳を潰し、声帯をつぶして声も出ないようにしたの。そして便所の中で人豚と呼んで飼ったのよ」
「ふうん。残酷ね。でも杜子春には、ふさわしい罰だわね」
そう言って妹の愛子は、杜子春の方に目を向けました。
杜子春の両横には、巨大な蛇が赤い舌をチョロチョロ出して、薄気味悪く、蜷局を巻いています。
「お姉さま。まず、仙術で、二匹の蛇を消して下さい」
妹の愛子が姉に訴えました。
「わかったわ」
姉の京子は、そう言って、仙人の杖を、蛇に向け、杜子春がやったように、
「蛇よ。消えよ」
と大きな声で一喝しました。しかし、蛇は消えません。
あれっ、と姉の京子は、うろたえて、もう一度、仙人の杖を、蛇に向け、
「蛇よ。消えよ」
と大声で叫びました。しかし、やはり、蛇は消えません。
「ふっふっふっふっ」
杜子春が、不敵な笑みを浮かべて二人を見ました。
杜子春は、右手を突き出して、やっ、と一喝しましまた。するとどうでしょう。京子が持っていた仙人の杖は、京子の手を離れ、宙に浮いて、杜子春の右手に収まりました。
「ふふふ。バカどもめ。この杖は単なる棒きれに過ぎないのだ。いわば仙人のシンボルのように、もっともらしく使っていたのだ。オレは峨眉山で厳しい仙人の修行をしたから、仙術を使えるようになったのだ。仙人になる修行をしていない、お前たちが、この杖を使ったからといって、仙術など使えないのさ。この杖など無くても仙術は使えるし、また、この杖に仙術を使える力など宿っていないのさ」
杜子春は勝ち誇ったように言いました。
「そ、そうだったんですか」
「杜子春さま。ごめんなさい」
二人は、掌を返したように、杜子春にペコペコ謝りました。
「お前たちは、根っからの悪人だな。オレを人豚にしようとは。よし。じゃあ、罰として、お前たちこそ、人豚にしてやる」
杜子春は勝ち誇ったように言いました。
「ええー。そんなー」
二人は真っ青になりました。
「杜子春さま。ごめんなさい」
「杜子春さま。申し訳ありませんでした」
京子と愛子は、すぐにしゃがみ込んで土下座して、頭を床に擦りつけて、何度もペコペコと頭を下げて、泣きじゃくりながら謝りました。
「まったく。仕方ねーヤツラだな。まあ、オレは、お前らみたいに、残酷なことは出来ない性分だからな。人豚は、勘弁してやるよ」
杜子春は、やれやれ、といった様子で言いました。
「あ、有難うございます。杜子春さま」
「御恩は一生、忘れません」
京子と愛子は、ペコペコ頭を下げて謝りました。
さてと、と言って杜子春は、両脇の二匹の蛇を見ました。
「お前たちが、怖がるからな。蛇は消してやるよ」
そう言って、杜子春は、仙人の杖を、二匹の蛇に向け、
「蛇よ。消えよ」
と一喝しました。すると二匹の蛇は、霧の如く、パッと消えてなくなりました。
「あ、有難うございます。杜子春さま」
「御恩は一生、忘れません」
姉妹は杜子春にペコペコ頭を下げました。

   △

「さてと、オレも眠くなってきたな。今日はここで寝させてもらうぞ。元々、この家は、オレがお前たちにやった金で建ったものだからな」
杜子春か姉妹を見て言いました。
「はい。ごゆるりとお休み下さい。杜子春さま」
姉妹は、ひれ伏して答えました。
「さて。お前たちの、今後の処分についてだが・・・。オレは仙人に、泰山の南の麓に一軒の家を貰ったんだ。桃の農園だ。お前たちは、そこへ行って貧しくても正直に暮らせ。今日はもう遅いから明日、出発しろ」
「はい。わかりました。杜子春さま」
京子が恭しく言いました。
「殺そうとまでしようとしたのに、家まで頂けるなんて、そんな寛大な処分で、有難うございます」
愛子も恭しく言いました。

「愛子。これからは、その泰山の麓の家で正直に過ごしましょう」
姉の京子が、諭すように妹の愛子に言いました。
「はい。お姉さま」
愛子も素直に応じました。

   △

「お前たちも疲れただろう。寝ろ」
杜子春が言いました。
「はい。杜子春さま」
姉妹は立ち上がって寝室に向かいました。杜子春は、その後に着いて行きました。寝室には、京子と愛子の二つのベッドがありました。
二人は、それぞれのベッドに向かいました。蛇にからまれたり、レズショーをさせられたりと、心身共に疲れ切っているのでしょう。二人とも、どっと、ベッドに身を投げたしました。
杜子春は、手錠を取り出して、京子の両手首をそれぞれ、ベッドの鉄柵につなぎとめました。
「あっ。杜子春さま。何をなさるんですか?」
「すまないな。出来ることなら、こんなことはしたくないんだが。オレは、お前らを信じ切ることは出来ないんだ。オレが寝ている間に、寝首をかかれては困るからな。ちょっと、不自由だろうが、我慢してくれ」
杜子春は、そう京子に説明しました。
「わかりました。杜子春さま」
京子をベッドにつなぎとめると、杜子春は次に、愛子もベッドにつなぎとめました。
「おしっこがしたくなったら、大声でオレを呼べ。手錠をはずしてやるから」
「有難うございます。杜子春さま」
「今日は、蛇で虐めたり、レズショーをさせたりして、すまなかったな。ゆっくり休め」
そう言って杜子春は、京子と愛子に布団をかけてやりました。
「おやすみ」
「お休みなさい。杜子春さま」
杜子春は、客室用の部屋にもどると、どっとベッドに身を投げ出しました。厳しい仙術の修行をしたり、姉妹と戦ったりと、杜子春も、クタクタに疲れていました。なので、杜子春も、すぐにグーガーと大鼾をかいて、深い眠りに落ちました。

    △

翌日になりました。
杜子春は目を覚ますと、急いで、姉妹の寝室に行きました。二人は、クーカーと小さな寝息をたてて眠っています。杜子春は、台所に行って、朝食を三人分、用意しました。そしてまた、姉妹の寝室に行きました。
「あっ。杜子春さま。おはようございます」
目を覚ました京子と愛子が杜子春に挨拶しました。
「おはよう」
杜子春も挨拶して、京子と愛子の手錠をはずしました。
「おい。朝食を作ったぞ。三人で食べよう」
「有難うございます。杜子春さま」
三人は、大理石の食卓に着きました。
「杜子春さま。食事を用意して下さって有難うございます」
「いや。たいした物じゃないよ」
食卓には、厚切りトーストとスクランブルエッグとツナサラダと紅茶が乗っています。
「いただきます」
と言って京子と愛子、そして杜子春は朝食を食べ始めました。
「美味しいわ。杜子春さまは料理が上手なんですね」
二人はムシャムシャと杜子春の作った朝食を食べました。
食事が終わりました。
「よし。じゃあ、お前たちは、泰山の麓の家に行け。お前たちの荷物は、オレがまとめてクロネコヤマトで送ってやる」
「あ、あの。杜子春さま」
「何だ?」
「杜子春さま。昨日、妹と二人で話し合ったんですが。私達を杜子春さまの召し使いとして、ここに住まわせて貰えないでしょうか。いいえ。召し使いでなく、奴隷でも構いません」
京子は切実な口調で訴えました。
「どうして、そういう心境になったのだ?」
杜子春は、京子をじっと見ながら聞きました。
「杜子春さまは、人の心、人の道を教えて下さいました。私たちは杜子春さまを尊敬しています。どうか、お側において頂けないでしょうか」
杜子春は、うーん、と腕組みをして考え込みました。
「杜子春さま。杜子春さまは、私達が信じられないのですね。無理もありません。私たちは、杜子春さまを、何度も卑劣に騙しましたから・・・」
杜子春は眉間に皺を寄せて、黙っています。
京子はテーブルに乗っていた、ナイフをサッとつかみました。
「何をするんだ?」
杜子春が驚いて京子に聞きました。
「杜子春さま。私達の忠誠のしるしとして、私は小指を切ります」
そう言うや否や、京子は、日本のヤクザのオトシマエのように、小指を一本、伸ばしたまま、えいっ、と掛け声をかけて、ナイフを力一杯、小指めがけて振り下ろしました。
「ばか。やめろっ」
杜子春は、咄嗟に大声で注意しました。しかし、もう間に合いませんでした。
京子の小指は、千切れて、床に落ちました。京子の小指の根元からは、赤い血が噴き出しました。
「い、痛い。痛い」
京子は、苦痛に顔を歪めながら、叫びました。
「お姉さま」
妹の愛子が、すぐに駆け寄って、ハンカチを千切って、血の出ている京子の小指の根元を、結紮しました。
「杜子春さま。これで信じて頂けないでしょうか?」
京子が、目に涙を浮かべ憐みを乞う瞳を杜子春に向けました。
杜子春は、おもむろに、立ち上がると、杖を京子の方へ向け、やっ、と一喝しました。すると、どうでしょう。床に転がっていた、京子の千切れた小指が、すーと浮かんで、京子の小指の根元にピタリと、くっつきました。
「お姉さま。大丈夫?」
「ええ。痛くないわ。元通りにくっついたわ」
「杜子春さま。有難うございました」
「京子。お前は、自分の指を切ってもオレが仙術で治すだろうと思っていたのだろう」
「は、はい。優しい杜子春さまのことですから、きっと、仙術で治して下さるのではないだろうか、と思っていました」
「わかった。お前の忠誠の気持ちが本当であることを。小指を切るのは、物凄く痛かっただろう、し、物凄く、勇気が要っただろう。オレが仙術で治す、という保証は無いのにな。オレはお前たちを信じた。これからは三人で仲良く、ここで暮らそう」
「有難うございます。杜子春さま」
こうして三人は、杜子春を主人として、この家で過ごすことになりました。
姉の京子が杜子春の第一夫人となり、妹の愛子か第二夫人となりました。
杜子春が仙術を使えるようになった、という噂は、瞬く間に洛陽中に知れ渡りました。

   △

その頃、中国では、東の北京で、習近平という悪党が独裁政治をしてのさばっていました。
習近平は、徹底した武力によって、個人の思想、言論、集会、結社の自由を認めず、政府を批判する者は、捕まえて、天安門広場の前で公開処刑していました。政府批判の本は検閲されて出版できず、新聞やテレビなどは、体制維持のためのウソの報道しかしません。そして政界と財界の癒着、公務員の汚職が、至る所ではびこっていました。民衆は、政府の、この横暴な独裁政治に内心、怒り狂っていました。そこで、したたかな習近平は、怒りの矛先が政府にではなく、日本に向かうよう、徹底した反日教育を教師にするよう命じていました。確かに、日本は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦における、21ヶ条の要求による中国権益の獲得、満州国の設立、張作霖爆殺、満州事変、日中戦争における南京大虐殺など、中国を侵略してきました。しかし、南京大虐殺の死者の数を20万人から、40万人に水増ししたり、日本政府の閣僚の靖国神社参拝は、日本が、行った戦争を正当化するためである、などとか、尖閣諸島は、中国の領土なのに、日本が、自国の領土などと言い張っている、などと、ウソも交え、初等教育から、憎しみを込めて、反日洗脳教育を行っているのです。そのくせ、日本政府の出している多額のODAについては、一切述べません。ですから、中国人は、子供の頃から、日本は悪い国だと教えられて、洗脳されてしまっています。しかし、その本当の目的は、共産党の一党独裁政治に民衆が気づいて、体制を批判することを、恐れているからです。そこで、真に憎むべきは、日本であると、怒りの矛先を日本に向けさせて体制を維持させているのです。しかし市場経済の導入や、パソコンやツイッターや携帯電話などによって、だんだん中国国民も、目が開けてきました。国営の新幹線で事故が起こって多数の死者が出ても、政府は、説明責任も果たしませんし、遺族への補償もなく、また企業の排出する有毒物質による水質汚染で、魚が大量に死んで、漁師たちが困って国に訴えても、企業と癒着している中央政府は、お茶を濁すいい加減な答弁しかしません。
国民は独裁政治をしている政府、習近平に対して、憎しみを持つようになりました。
このままでは、国民による打倒政府の流血革命の勃発が起こるのは時間の問題だと、杜子春は危惧しました。

   △

その日は国慶節でした。政府に不満を持った改革派の者達が、密かにツイッターで連絡を取り合っていたのでしょう。中国各地で、とうとう一斉に革命が起こり、反体制派は警察署を襲い出しました。
杜子春は、急いで、ツイッターで、こう流しました。
「愛する全国の国民よ。私は杜子春という仙人だ。武力革命は、いけない。今から、私が習近平と政府首脳を捕まえる。それまで待て」
すると、
「わかりました。杜子春さま」
という返事が、全国からやってきました。
杜子春は、ほっとしました。
杜子春は青竹に乗って、ひとっ跳びに、習近平の豪邸に向かいました。
習近平の屋敷には、武装した警察官や兵士たちが、わんさと杜子春を待ち構えていました。
「撃て。撃ち落とせ」
習近平は、狂ったように叫びました。
ズガガガガー。
警官や軍の兵士達は、一斉に杜子春めがけて発砲しました。しかし、弾は、全部、途中で落っこちてしまいます。杜子春は、仙人の杖で、
「不動、金縛りの術」
と一喝しました。すると、護衛の警官や兵士達は、ピタッと止まって動けなくなりました。
杜子春は、習近平の屋敷に入りました。
奥の部屋に、習近平が、オドオドしています。
「さあ。オレは仙術を使えるから、何でも出来るぞ。降伏すれば命の保証はする。嫌なら殺すぞ。お前は、どっちを選択する?」
杜子春はそう言って習近平に詰め寄りました。
「わ、わかった。私の負けだ。降参する。命だけは助けてくれ」
そう習近平は言いました。

杜子春は、習近平および政府首脳の人間を集め、中国の宇宙ステーション天宮三号に乗り込ませました。
「そんなに、独裁政治がしたいなら、てめえらだけで勝手に、火星人か金星人、相手に宇宙でやってろ」
そう言って杜子春は、天宮三号の打ち上げの用意をしました。
「あれー。杜子春さま。そんなことは、ゆるして下さい」
習近平たちは、叫びましたが、杜子春は、無視して、天宮三号の発射ボタンを押しました。天宮三号は、みるみる内に、物凄い勢いで、天空へ飛んで行きました。操縦士もいませんし、彼らは、宇宙飛行士としての訓練もしていませんので、おそらく地球には戻ってこれないでしょう。
杜子春は、青竹に乗って、急いで、中国の国営テレビ局に、行きました。
「愛する中国の全国民よ。今、習近平と、共産党首脳陣たちは、天宮三号に乗せて、宇宙に飛ばした。もう戻って来れないだろう。これからは、この国を独裁国家ではなく、民主主義国家にしようではないか。それと、軍と警察に告げる。オレは仙術を使えるから、お前たちには勝ち目はないぞ。オレが仙術を使えば、戦艦も戦車も戦闘機も、一瞬でぶっ壊すことが出来るぞ。命が惜しければ無駄な抵抗はするな」
と全国に放送しました。
軍も警察も、仙人が相手では、勝ち目がないと、判断して諦めたのでしょう。抵抗する者はいませんでした。
杜子春のもとには、全国から、「杜子春さま。万歳」というツイッターがネットで届きました。
天安門広場や全国各地で、「杜子春さま。万歳」と全中国国民が叫びました。

   △

杜子春は、国民の総意によって、大統領に選ばれました。
ここに至って、64年間、続いた共産主義国家、中華人民共和国はついに倒れ、民主主義国家、中華人民杜子春共和国として、あらたに生まれ変わりました。
杜子春は、主権在民。議会制民主主義。地方分権。三権分立。平和主義。思想、信教の自由、基本的人権の尊重、などを柱とした憲法を制定しました。そして、刑務所で服役していた政治犯を釈放し、歪んだ歴史教科書を廃棄し、事実に基づいた、誇張や偽りのない歴史教科書を有識者に作らせませた。
日本も、ギクシャクした日中関係が、終焉したことを喜びました。
日本から、総理大臣が、新たになった中華人民杜子春共和国に訪中しました。
杜子春は、日本の総理大臣を快く迎え、尖閣諸島は日本の領土であること、北朝鮮に対し今後、いっさいの経済支援を行わないこと、などを約束しました。
こうして杜子春のおかげで、中国は、平和な民主主義的国家へと生まれ変わり、末永く繁栄しました。




平成25年6月26日(水)擱筆

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七夕の日の恋 (小説)

2020-07-09 13:29:55 | 小説
七夕の日の恋

平成28年の、夏である。
その日は、7月6日だった。
連日の、猛暑で、夏バテで、僕は、まいっていた。
子供の頃は、夏が来ると、単純に嬉しかった。
しかし、大人になると、夏になるのは、子供の時と、同様に、嬉しかったが、連日の猛暑で、夏バテして、いささか、夏の到来を、素直には、喜べなくなっていた。
それと、もう一つ、嫌なことが、あった。
二年に一度の、車の車検の期限が、1週間後の、7月14日で、切れるからである。
今年は、車検が切れる年だった。
だいたい、車検にかかる費用は、10万円くらいだろう、と思っていた。
いつも、そうだったからだ。
しかし、去年、ある時、バックした時に、電信柱に、車をぶつけてしまい、車の後ろが、少し凹んでしまった。その時から、電気系統が故障したのか、ドライブにギアチェンジすると、「D」の、ランプが点かなくなった。
しかし、運転には、問題ないので、そのまま、乗っていた。
僕の車は、旧型マーチだった。
今回の車検は、いくら、かかるのだろうか、と、日産のディーラー店に、入ってみた。
車検は、7月14日で、切れるから、あと、1週間である。
「車検にかかる費用、見積もってもらえませんか?」
と僕は聞いた。
「はい。わかりました」
と、店の人が言った。
店では、新車を売っているが、店の裏に、修理場があって、修理工が、働いている。
僕は、自動車の、修理工を立派だと思っていた。
毎日、油にまみれ、汚れた服で働いて。
働く、とは、ああいうことを、言うものだ、と僕は思っていた。
一時間、くらいして、店の人が、やって来た。
それで、見積もりの明細を見せてくれた。
部品交換と、工賃が、バーと、並んでいて、合計で、18万円だった。
僕は、あせった。
僕は、車検にかかる費用が、10万、程度なら、買い替えることなく、乗り継ごうと思っていた。
僕は、車の事情については、素人だか、それでも。18万ともなれば、もう少し、金を出せば、中古車が買える。
ボロボロになった、車を、18万も出して、乗り続けるよりは、あらたに中古車を買い替えようと、思った。
僕は、スズキのラバンが欲しかったので、スズキのディーラー系の中古車店に行くことに決めた。
ディーラー系の中古車店は、アフターサービスがいいからである。
そのぶん、値段が、高目だが、表示価格10万とかの、激安車は、諸経費が10万円、くらい、かかって、合計20万円くらいになり、1年、以内に、色々と、故障個所が出てきて、結局は、修理に次ぐ、修理となってまう。
なので、多少、高目でも、信頼できる、ディーラー系の中古車店の中古車を買った方が、いいと信じ込んでいた。
国道467号線は、中古車通り、と、言われるくらい、道路の左右に、無数の中古車店がある。
しかし、ある中古車店で、表示価格1万円の、激安中古車が目に止まった。
ラパンだった。
激安中古車なんて、走行距離は長いし、年式も古いし、色々と、性能に問題があって、修理しなくてはならないから、結局は、高くつく。
しかし、そのラパンは、車検2年つき、で、年式も、平成26年式で、走行距離も、1万km、と、信じられないくらい、いい条件だった。
僕は、一応、店に入ってみることにした。
僕は、中古車店に車を入れた。
「こんにちはー」
僕が、大きな声で、呼ぶと、中から、男が出てきた。
「はい。私が、この店の店長です。ご用は何でしょうか?」
男が言った。
「店頭にある、表示価格1万円のラパン、なんですけど。諸経費は、いくらですか?」
僕は、聞いた。
大体、中古車なんて、表示価格は、下げて、安く見えるようにして、諸経費は、最低でも、10万は、かかるものである。
その諸経費に、ある程度の金額を水増しして、諸経費で、儲けているのだろう。
ガリバーなんて、諸経費が、40万もする。
「あの、ラパンは、本体と諸経費、込みの、全額で、一万円です」
これは、ちょっと、安すぎる、と、僕は、おどろいた。
「どうして、そんなに安いのですか?」
「まあ。ちょっと、事情があって」
そう言って、店長は、へへへ、と笑った。
どうせ、事故車とか、性能に問題のある車だろうと思った。
僕は、性能が気になった。
たとえ、安くても、性能が、悪くて、すぐに、故障してしまうのでは、意味がない。
それで。
「ちょっと、試運転しても、いいですか?」
と、店長に聞いた。
「ええ。いいですよ」
と、店長は、言ってくれた。
僕は、すぐに、ラパンに乗り、店を出た。
乗り心地は快適だった。
僕は、すぐに車買い取り店、ガリバーに行って、車の性能を見てもらった。
「別に、問題は、ありませんよ。ほとんど、新車同様です。事故を起こさなければ、5年間は、修理なしで、乗れるでしょう」
と店員は、言った。
「あのー。売るとしたら、いくらで買ってくれますか?」
僕は聞いた。
「そうですねー。新車同様ですから、大体、50万円で、買いますよ」
ガリバーの人は、そう言った。
僕は、中古車店にもどった。
僕は、車を買うことにした。
「じゃあ、このラパン、買います」
僕は、そう言って、一万円札を、渡した。
「毎度、ありがとうございます」
店長は、やけに、嬉しそうに言った。
「今、乗っているマーチ。廃車にしたいんですけれど・・・」
僕は言った。
「ええ。廃車の処理は、やっておきますよ」
店長は、やけに、嬉しそうだった。
こうして、僕は、一日で、マーチから、ラパンに乗り換えることが出来た。
(やった。もうけものだ)
と僕は思った。
僕は、事故車だの、何だのには、関心がなかった。
(どうせ、こんな激安車だ。そのうち、故障が起こるかもしれない。しかし、故障が起こっても、たかが、一万円の損だ。それに、ガリバーの人も、新車同様と言ってくれた。一ヶ月でも、乗れれば、御の字だ。故障した時、修理代が、10万円、以下だったら、修理して乗ろう。修理代が高かったら、ガリバーで、売るなり、廃車にして、別の車を買うなりすれば、いいや)
と、僕は思った。

翌日。
さっそく、僕は、新しく買ったラパンで、大磯ロングビーチに行くことにした。
僕は、朝の8時に、アパートを出た。
大磯ロングビーチは、朝9時から、入場開始である。
途中、日焼け止めのオイルを買うために、僕は、コンビニに、入った。
そして、日焼け止めのオイルと、ついでに、ポカリスエットを買って、車にもどって、エンジンを駆けて、車を走らせた。
僕は、鼻歌を歌いながら、いい気分で、走っていた。
そのうち、赤信号の交差点になった。
僕は、ふと、バックミラーを見た。
20代に間違いない、きれいな、女の人が、後部座席に乗っていた、からだ。
僕は、びっくりした。
「あなたは、誰ですか?」
僕は聞いた。
「佐藤由香里といいます」
彼女は答えた。
「どうして、この車に乗っているのですか。というか、どうやって、この車に乗ったのですか?」
僕は聞いた。
「あ、あの。さっき、あなたが、コンビニの駐車場に、車をとめた時に、勝手に、入ってしまいました。ごめんなさい」
彼女は答えた。
僕は、さっき、コンビニに、入った時、車にキーをかけるのが、面倒なので、キーを、かけずに、コンビニに入った。
彼女は、僕が、コンビニに、入った隙に、車に、乗り込んだんだろう。
「でも、どうして、僕の車に乗り込んだんですか?」
僕は、疑問に思って、聞いた。
「あ、あの。私。あのコンビニで、親指を上げて、ヒッチハイクしていたんです。でも、どの車も、止まってくれなくて・・・。それで、勝手に、あなたの車に乗り込んでしまったんです。ごめんなさい」
と、彼女は言った。
「そうですか。でも、あなたのような、きれいな人なら、止まってくれる車も、あったんじゃないでしょうか?」
僕は、疑問に思って、聞いた。
「いえ。男の人が、運転している車は、みんな、助手席に、彼女が、乗っていて・・・止まってくれませんでした」
と、彼女は言った。
それは、もっともなことだ、と、僕は、思った。
彼女とのドライブなら、たとえ、美人であっても、見知らぬ女を、男は、乗せたりはしない。
彼女との、二人きりの、アツアツを、楽しみたいからだ。
「でも、車の数は多いです。男一人の車も、何台かは、あったのでは、ないでしょうか?」
僕は聞いた。
「ええ。確かに、男の人が一人で運転している車も、数台は、ありました」
「では、なぜ、その車に、ヒッチハイクの合図をして、乗らなかったのですか?」
「男の人が、なんだか、みんな、エッチなこと、してきそうに思われて、こわかったんです」
彼女は答えた。
「僕は違うんですか?」
「ええ。あなたは、真面目で、優しそうに、見えたので・・・」
「そうですか。そう言ってもらえると、嬉しいです」
人間は、なかなか、自分を客観視できないものである。
僕は、女性に、そのように、見られていることに、嬉しくなった。
「ところで、あなたは、どこに、行くのが目的なんですか?」
僕は聞いた。
「えっ」
と、彼女は、言葉を詰まらせた。
「ヒッチハイクするっていうのは、行く目的地があるからじゃないですか。それを、教えてもらえないと、あなたを、目的地に連れていけないじゃないですか」
僕は聞いた。
「私を、私の目的地まで、連れていって下さるのですか?」
「ええ」
「でも、あなたも、どこかに、行く予定があるんじゃないんでしょうか?」
彼女が聞いた。
「え、ええ。そりゃー。ありますけれど、急ぐ用でもないし、あなたを、あなたの、目的地まで、連れていきますよ」
僕は言った。
「やっぱり、思った通り、優しい方なんですね」
彼女は、嬉しそうに言った。
「そうでしょうか?」
僕は、聞き返した。
「そうですわ。男なんて、女を、ヒッチハイクしたら、みんな、呈のいいことを言って、結局は、100%、ラブホテルに、連れ込みますわ。それが、こわいから、女は、ヒッチハイクがこわくて、出来にくいんです」
彼女が言った。
「そんなものですか?」
僕は、友達づきあい、が、ほとんどないので、彼女がいないのは、もちろんのこと、世の男が、どういうことを、考えているのかも、あまり知らなかった。
「ええ。そんなものです」
彼女は言った。
「ともかく、あなたの行く目的地を教えて下さい」
僕は彼女に聞いた。
「あ、あの。私の目的地なんて、ないです」
彼女は、あっさり、言った。
僕は、おどろいた。
「じゃあ、なんで、僕の車に乗り込んだんですか?」
「あなたと、ドライブして、少し、お話しがしたかったからです」
「ええっ。本当ですか?」
僕は、耳を疑った。
「ええ。本当です」
彼女は、あっさり、言った。
「じゃあ。あなたが、僕の車に、乗り込んだのは、僕と、ドライブするためですか?」
僕は聞いた。
「ええ。そうです」
僕は、信じられない思いだった。
なにか、裏があるんじゃないか、とも、考えた。
しかし、まあ、ともかく、彼女の言うことを、素直に信じることにした。
「うわー。嬉しいなー。あなたのような、きれいな人と、ドライブ出来るなんて・・・。夢のようだ。僕、女の人と、つきあったことが一度もないんです。僕は、岡田純と言います」
僕は、飛び上がらんばかりに、喜んで、そう言った。。
「ところで、あなたは、どこへ行く予定だったんですか?」
彼女が聞いた。
「僕は、大磯ロングビーチに、行こうと、思っていました」
僕は、答えた。
「じゃあ、私も、大磯ロングビーチに、連れて行って下さい」
彼女が言った。
「本当に、いいんですか?」
僕は彼女に確かめた。
「ええ」
彼女は、あっさり、言った。
「うわー。嬉しいな。僕、女の人と、大磯ロングビーチに、行くのが、夢だったんです」
僕は、信じがたい思いだった。
しかし、バックミラーから、見える彼女の顔は、嬉しそうに、ニッコリ笑っていた。
しばし行くと、道の左手に、コンビニが、見えてきた。
「そうとわかれば・・・」
僕は、そう言って、左のウィンカーランプを点けて、左折して、コンビニの駐車場に入った。
そして、車を止めた。
「さあ。佐藤由香里さん。後部座席ではなく、助手席に乗って下さい」
そう言って、僕は、ドアロックを解き、助手席のドアを開けた。
「はい」
彼女は、僕の要求どおり、後部座席から出て、助手席に乗った。
「由香里さん。飲み物は、何がいいですか?」
僕は彼女に聞いた。
「何でも、いいです」
彼女は、答えた。
「では、オレンジジュースで、いいですか?」
「はい」
僕は、コンビニに、入って、500mlの、ペットボトルの、オレンジジュースを買い、ストローを一本、貰って、車にもどった。
「はい」
と言って、僕は、彼女に、オレンジジュースを渡した。
「ありがとう。純さん」
と、彼女は、礼を言って、オレンジジュースを、受けとった。
僕は、エンジンを駆けて、車を走らせた。
「咽喉が、渇いたでしょう。オレンジジュースを飲んで下さい」
僕は、運転しながら言った。
「はい」
彼女は、ペットボトルの蓋を開け、ストローを、その中に入れ、オレンジジュースを飲んだ。
コクコクと、彼女の咽喉が、動く様子が、可愛らしかった。
「僕も、咽喉が、渇いたなあ」
僕は、思わせ振りに言った。
「あ、あの。純さん。私が口をつけてしまった、オレンジジュースですが、飲まれますか?」
彼女が聞いた。
「ええ。飲みたいです。でも、僕は、運転しているから、手を離せません。片手運転は危険です」
僕は、思わせ振りに言った。
「で、では・・・」
そう言って、彼女は、ストローの入った、オレンジジュースを、僕の口の所に持ってきた。
僕は、ストローを口に含み、オレンジジュースを、啜った。
「ふふふ。これで、由香里さんと、間接キスしちゃった」
僕は、そんなことを言って、笑った。
彼女は、少し、恥ずかしそうに、顔を赤らめた。
「由香里さん。何か、歌を歌ってくれませんか?」
僕は彼女に頼んだ。
「何がよろしいでしょうか?」
「何でもいいです。由香里さんの、好きな歌を歌って下さい」
「わかりました。では、小坂明子の、あなた、を歌います」
そう言って、彼女は、小坂明子の、あなた、を歌い出した。
「もーしもー。わたしがー、家をー、建てたなら―。小さな家を建てたでしょう・・・♪」
彼女の歌は、上手かった。
「いやー。由香里さん。歌。上手いですね。歌手になれますよ」
僕は、感心して言った。
お世辞ではない。
「い、いえ。そんなに・・・」
彼女は謙遜して、顔を赤らめた。

そうこうしている、うちに、大磯ロングビーチに、ついた。
僕たちは、車を降りた。
「純さん」
「はい。何ですか?」
「あ、あの。私。水着、持っていないんです」
彼女は言った。
「ははは。大丈夫ですよ。場内で売っていますから」
「大人二人。一日券」
と言って、僕は、入場券を買い、大磯ロングビーチに入った。
僕は、場内にある、水着売り場で、彼女に、セクシーな、ビキニを買ってあげた。
ビキニ姿の、彼女は、ものすごくセクシーだった。
僕は、スマートフォンで、彼女の、ビキニ姿を、何枚も撮った。
そして、僕と彼女が、手をつないでいる写真も、何枚も撮った。
僕と彼女は、ウォータースライダーや、流れるプールで、うんと、楽しんだ。
「今日は、僕の人生で、最高に幸せな一日です」
僕は彼女に、そう言った。
し、実際、その通りだった。

12時を過ぎ、1時に近くなった。
「由香里さん。何か、食べましょう。由香里さんは、何が食べたいですか?」
僕は彼女に聞いた。
「私は、何でも、いいです。純さんと、同じ物でいいです」
と、彼女は言った。
「そうですか。じゃあ、焼きソバでいいですか?」
「ええ」
僕は、焼きそば、を、二人分、買った。
そして、彼女と一緒に食べた。
「あ、あの。純さん」
「はい。何ですか?」
「私。純さんに、言わなくてはならないことがあるんです。そして、謝らなくてはならないことがあるんです」
彼女は、あらたまった口調で、言った。
「はい。何でしょうか?」
「このことは、最初に言うべきだったんです。ですが、純さんが、優しくて、私も楽しくて、つい、言いそびれてしまいました。本当に、申し訳ありません」
と、彼女は、深刻な口調で言った。
「はい。それは、一体、何でしょうか?」
僕には、どういうことか、さっぱり、わからなかった。
彼女に、何か、謝るべきことなど、僕には、さっぱり思いつかなかった。
「あ、あの。私。実は、幽霊なんです」
彼女は言った。
「そうですか」
僕は、あっさりと言った。
「あ、あの。純さんは、幽霊がこわくないんですか?」
彼女は聞いた。
「こわくありませんね。僕は、幽霊の存在なんて、信じていません。し、仮に、幽霊がいたとしても、こわくありません」
僕は、キッパリと言った。
「僕は、唯物主義を信じていて、精神も、脳の神経回路の活動によるものだと、確信しています。物質によらない、精神の存在など、無いと、信じています。なので、もちろん、無神論者だし、「神」だの、死後の、「天国」だの、「地獄」だのも、もちろん、存在しない、と、確信しています。それらは、人間の想像力が、生み出した、産物だと確信しています」
と、僕は、自分の信念を、言った。
「そうですか。でも、本当に、私は、幽霊なんです」
と、彼女は言った。
「由香里さん。それにですよ。仮に、あなたが、幽霊だとしても、あなたは、僕に、何の危害も加えません。なので、由香里さん、が、仮に、幽霊だとしても、僕はこわくは、ありません」
と、僕は、キッパリと言った。
「純さん、や、多くの人々が、唯物論を信じるのは、無理のないことだと思います。だって、神さまは、幽霊や、霊魂や、死後の世界などを、知らせると、人間が、こわがって、しまって、人間世界が、混乱してしまう、ことを、心配して、人間には、それらのことは、知らせませんもの」
と、彼女は言った。
「そうですか」
と、僕は、言った。
なるほど、彼女の言い分にも、一理あるな、と思った。
人間は、一度、死んだら、生きかえることは、出来ない。
死んで、その後、生きかえって、死後、人間は、どうなるのか、その体験を、語った人間は、いないのだから。
だから、人間は、死後、どうなるのかは、本当は、わからないのである。
物質に全く依存しないで、独立して、存在する、精神、というものも、無い、と、科学的に、証明されてはいない。
僕は、証明されていない事は、信じることも、否定することも、しない主義である。
なので、彼女の言うことを、僕は、頭から、否定する気には、なれなかった。
彼女の言うことを、傾聴しようと思った。
「あなたが、幽霊だと、言うのなら、一応、それを信じましょう」
僕は、言った。
「信じてくれて、ありがとうございます」
と、彼女は言った。
「ところで、あなたは、さっき、僕に、謝らなくてはならないことが、ある、と、言いましたよね。それは、一体、何なのですか?」
僕は、彼女に聞いた。
「そのことなんです。単刀直入に、率直に、正直に言います。私は、幽霊です。そして幽霊である、私と一日、付き合った人間は、一年間、寿命が短くなるんです。もう、私は、純さんと、一日、つきあいましたから、純さんの寿命は、一年間、短くなっているんです。これは、最初に言うべきでした。ごめんなさい」
と、彼女は、涙を流しながら、謝った。
「そうですか。でも、別に、僕は、それでも構いませんよ」
僕は言った。
「どうしてですか。純さんは、寿命が短くなることが、こわくは、ないのですか?」
彼女は聞いた。
「こわくは、ないですね。人間は、いつかは、死にます。それが、一年、短くなったからといって、僕は、別に気にしません。僕は、人間の価値は、いかに長く生きるか、ではなく、生きている間に、何事をなすか、だと思っています。今日、あなたと、楽しく過ごすことが出来た、一日は、歳をとって、寝たきりになって、何も出来ないで、過ごす、一年間より、はるかに、価値があると、思っています。それに、あなたが、幽霊だという主張は、僕は、一応、信じることにしているだけで、僕は、あなたが、幽霊だという主張を、完全には、信じては、いませんし、僕の寿命が一年、短くなった、という、あなたの、主張も、完全には、信じることは、出来ませんから」
と、僕は言った。
「ありがとうございます。そう言って、いただけると、この上なく嬉しいです」
と、言って、彼女は、また、泣いた。
「由香里さん。ところで、あなたは、どうして幽霊になってしまったのですか?」
僕が聞くと、彼女は、また、ポロポロと、涙を流し出した。
そして、語り出した。
「私は、純さん、が、買った車に、はねられて、死にました。大学を卒業して、晴れて、ある、アパレル会社に就職した、社会人一年目の年です。真夜中に、あの車を運転していた人に、はねられて、死んでしまったのです。はねた人は、真夜中で、誰も周りに人はいませんでしたが、すぐに、車を止めて、警察と、消防に、連絡してくれました。でも、私は、アスファルトの道路に、頭を強くぶつけていて、即死でした。ですから、私は、彼を怨んではいません。でも、私も、男の人と、一度もつき合ったことが、なく、どうしても、優しい男の人と、楽しい恋愛を、楽しみたい、という願望が、あまりにも、強くあって、それが、心残りで、どうしても、成仏できないのです。それで、成仏できずに、あの車に、幽霊として、居続けることになってしまったのです」
と、彼女は語った。
僕の心は、彼女の主張を信じる方に、かなり傾いた。
中古車店の、店長が、あんなに、新車に近い、いい、車を、ほとんど、タダに近い、安い金額で、売ってくれたことの理由が、彼女の訴えによって、説明が、つくからだ。
僕は、彼女の言うことを、一応、信じることにした。
「そうだったんですか。それは、気の毒ですね。あなたは、今まで、とても、つらい思いをしてきたんですね。でも、さっき、言った通り、僕は、年老いて、寝たきりになってからの、一年、より、今日の、あなたとの楽しい一日の方が、はるかに、価値があるんです。ですから、気にしないで下さい。今日は、うんと、楽しみましょう」
と、僕は言った。
「ありがとうございます。純さん」
そう言って、彼女は、涙をポロポロ流した。

その後は、もう、彼女とは、辛気臭い、暗い話はせず、波のプール、や、流れるプールで、彼女と、水をかけあったり、つかまえっこをしたりと、うんと、夏の楽しい、一日を過ごした。

時計を見ると、もう、4時30分だった。
大磯ロングビーチは、以前は、6時まで、営業していたが、最近は、不況で、経営が厳しく、午後5時で、閉館となっていた。
もう、あと、30分しかない。
昨日から、平塚七夕まつり、が、始まって、今日は、2日目だった。
「由香里さん。今日は、平塚七夕まつり、を、やっています。行きませんか?」
僕は、彼女に聞いた。
「ええ。ぜひ、行きたいわ」
彼女は、ニコッと、笑って答えた。
僕と彼女は、大磯ロングビーチを、出た。
そして、国道1号線を、走って、平塚駅に向かった。
東海道線の下りで、平塚の次が、大磯で、一駅、だけで、距離も、4kmなので、すぐに、平塚に着いた。
平塚七夕まつり、は、関東三大七夕まつり、の一つである。
来場者は、145万人と、大規模である。
平塚駅の北口の、駅前の、三つの、大通りには、隙間の無いほど、びっしりと、露店が、並んでいた。
大勢の人が、賑やかに行き来していた。
僕と彼女は、金魚すくい、を、したり、焼きトウモロコシ、や、綿アメを、食べたりした。
「金魚すくいって、可哀想ですね」
と、彼女は、言った。
「どうしてですか?」
僕は聞いた。
「だって、金魚は、弱って、動きの鈍い、金魚ばかりが、狙われるんですもの」
と、彼女は、言った。
「そうですね。でも、すくった金魚を、家に持ち帰りたい人は、元気な金魚を狙うんじゃないんですか」
と、僕は言った。
こんな、他愛もないことでも、お祭りは、楽しいのである。
僕は、彼女と、手をつないで、露店を見ながら歩いた。
彼女が、浴衣でないのが、ちょっと残念だった。
通りの中には、お化け屋敷、があった。
入場料、500円と書いてある。
「由香里さん。あれに入って、みませんか?」
僕は、彼女に言った。
「え、ええ。でも、なんだか、こわそうだわ」
彼女は言った。
「何を言ってるんですか。お化け屋敷なんて、人間を、こわがらせるために、巧妙に、わざと、こわく見えるように、作った偽物であって、本当の、お化け、なんかじゃないですよ。その点、あなたは、幽霊じゃないですか」
と、僕は言った。
「でも、本当に、こわいんですもの」
と、彼女は言った。
「ともかく、入りましょう」
と、言って、僕は、二人分の、入場料の、1000円を、払って、彼女と、お化け屋敷、に、入った。
彼女は、入る前から、こわいのか、私の腕をガッシリと、握っていた。
お化け屋敷、の中は、うす暗かった。
お岩さん、や、ろくろ首、や、フランケンシュタイン、や、ドラキュラ、や、化け猫、や、ミイラ、などが、バッと、いきなり、出てきた。
その度に、彼女は、
「うわー」
「きゃー」
「ひいー。こ、こわいー」
と、大声で、叫んで、僕に、ガッシリと、しがみついた。
僕は、こんなのは、全然、こわくなかったので、平然としていた。
そして、やっと、お化け屋敷、を出た。
「ああ。こわかったわ。こわくて、ショック死するかと思ったわ」
と、彼女は、ハアハアと、息を荒くしながら、言った。
僕は、ははは、と、笑った。
「何を言ってるんですか。あなたは、幽霊で、もう、死んでいるんじゃないですか。死んでいる幽霊が、死ぬかと思った、なんて、発言は、矛盾していますよ」
僕は、やはり、彼女は、幽霊ではないのではないか、と思った。
「でも、本当に、こわかったんですもの」
と、彼女は言った。
「そうですか」
幽霊とは、そんなものなのか、と、僕は、ちょっと、違和感を感じた。
お化け、を、こわがる幽霊というのも、変なものだと思った。
「本当に、こわいのは、あなたの方ですよ。だって、あなたは、幽霊なんですから」
と、僕は彼女に言った。
「じゃあ、純さんは、何で、私を、こわがらないんですか?」
彼女は僕に聞いた。
「それは、あなたが、こわい容貌ではなく、美人で、可愛いからです。それと、僕は、あなたが、幽霊であるとは、完全には、信じ切っていません。車の値段が、安すぎるのが、いまだに、不思議ですが、あなたが、幽霊だというのなら、車の値段が、安かった説明が、あなたの主張によって、つくから、一応、信じることに、しているだけ、だからです」
と、僕は言った。

「由香里さん。もう、帰りましょう」
「はい」
僕と、彼女は、駐車場に停めておいた、車にもどった。
「純さん。今日は、楽しかったです。ありがとうございました」
「僕も、楽しかったです。今日は、最高に楽しい一日でした。ありがとうございます。由香里さん」
「あ、あの。純さん」
「はい。何でしょうか?」
「これからも、私と、つきあってくれますか?」
「ええ。大歓迎です」
「でも、私は、幽霊ですから、一日、私とつきあうと、純さんの寿命が一年、縮まりますよ。それでも、つきあって下さいますか?」
「僕は、あなたを、まだ、完全に、幽霊だと、信じ切ることが、出来ないのです。だから、その質問には、答えようが、ありません。あなたが、幽霊だということを、証明することが、出来ますか?」
「わかりました。では、証明します。それでは、一度、車から、降りて、私の写真を撮って下さい」
彼女は、そう言った。
僕は、彼女に、言われた通り、車から、降りた。
彼女も車から出た。
彼女は、車の前に、立った。
「さあ。純さん。車を背にして、立っている、私の、写真を、たくさん、撮って下さい」
彼女は言った。
「はい。わかりました」
僕は、車を背にして、立っている、彼女の、写真を、たくさん、撮った。
「純さん。私の顔写真も、たくさん、撮って下さい」
彼女は言った。
「はい。わかりました」
僕は、彼女の、顔写真も、たくさん、撮った。
彼女は、口を、アーンと、大きく開いた。
「純さん。口を開けている、私の顔も、撮って下さい」
彼女に言われて、僕は、口を開けている、彼女の顔も、撮った。
こんな事をして、何になるのかと、僕は、疑問に思いながら。
「では、AKB48の、ヘビーローテーションを、踊りながら、歌いますので、その動画も、撮って下さい」
彼女は言った。
「はい。わかりました」
彼女は、車の前で、踊りながら、歌い出した。
「ポップコーンが、弾けるように、好きという文字が躍る・・・・♪」
彼女の歌は、上手かった。
しかし、こんな事をして、何になるのかと、僕は、疑問に思っていた。
歌い終わると、彼女は、
「では。車にもどりましょう」
と、彼女が言った。
僕と、彼女は、車にもどった。
彼女は、助手席に座った。
「純さん。私の指紋をとって下さい」
彼女が言った。
僕は、彼女の指紋をとった。
「純さん。私の髪の毛を、数本、とって下さい」
彼女が言った。
僕は、彼女の、髪の毛を、数本、とった。
「では。私が、幽霊だということを、証明します。茅ヶ崎に、私の実家がありますので、そこへ行って下さい。場所は、私が、案内します」
「わかりました」
僕は、車のエンジンを駆けた。
そして、国道一号線を、藤沢の方に、向けて、走り出した。
彼女は、「そこの交差点を左に」とか、「そこの交差点を右に」とか、言った。
僕は、彼女の言う通りに、車を運転した。

「純さん。車を止めて下さい」
彼女が言ったので、僕は、車を止めた。
「あそこの、二階建ての、青い屋根の家が、私の実家です」
そう言って、彼女は、少し先にある、二階建ての、青い屋根の家を指差した。
「では。純さん。私の家族に、さっき、スマートフォンで、撮った、写真や、動画を、見せて下さい。そうすれば、私の言っていることが、本当だということが、証明できます。私は、ここで待っています」
彼女は、自信に満ちた口調で言った。
「わかりました」
そう言って、僕は車を降りた。
そして、二階建ての、青い屋根の家の前に行った。
表札には、「佐藤圭介」、と、書いてある。
彼女の苗字は、「佐藤」だから、合っている。
僕は、チャイムを押した。
ピンポーン。
家の中で、チャイムの音が、響くのが、聞こえた。
「はーい」
女性の声が聞こえて、パタパタ、走ってくる音が聞こえた。
すぐに、玄関が開いた。
一人の、中年の、女性が姿を現した。
「どちらさまでしょうか。ご用は何でしょうか?」
女性は、僕を見ると、そう聞いた。
「あの。ここは、佐藤由香里さんの、お宅でしょうか?」
僕は聞いた。
「由香里は死にました。あなたは、どなたでしょうか?」
女性が聞いた。
「ちょっと、由香里さん、と、縁のある者です。由香里さんに関して、お聞きしたいことが、あります。なので、少し、お話しを聞かせて欲しいのです」
僕は言った。
「由香里の、生前の、お友達ですか?それなら、どうぞ、お入り下さい」
そう言って、彼女は、僕を家に入れてくれた。
僕は、居間に通された。
「どうぞ。お座り下さい」
僕は、彼女に勧められて、居間のソファーに座った。
「あなたは、由香里さん、と、どういう関係の人でしょうか?」
僕は聞いた。
「私は、死んだ由香里の母です」
と、彼女は言った。
「そうですか」
と僕は、言った。
確かに、顔が、彼女と、似ている。
「ところで、あなたは、由香里と、どういう関係の人でしょうか?」
今度は、彼女が僕に、聞いた。
「僕は、由香里さん、の友達です」
僕は言った。
「そうですか」
彼女は、少し、憔悴ぎみの顔で言った。

「あの。これを見て欲しいのです」
そう言って、僕は、スマートフォンを、テーブルの上に置き、さっき、撮った、写真や、動画を再生して見せた。
「ああっ。由香里だわ。これは、いつ、撮られたのですか?」
母親は聞いた。
「少し前です」
僕はそう言った。
「この人は、本当に、あなたの、娘さんの、由香里さん、ですか?」
僕は、念を押すように聞いた。
「間違いありません。これは、娘の由香里です。母親の私が、娘を間違うはずなど、ありません。右足の甲に、由香里の、ほくろ、も、ありますし、右の眉毛の所に、子供の頃、怪我をして、縫った小さな傷痕もありますし、口を開けている写真では、右下の奥から二本目に、治療した、銀歯も、ありますし。娘が、得意だった、ヘビーローテーションの、踊り方も、声も、娘に間違いありません」
母親は、昔を思い出して、少し涙ぐんで言った。
「それに、由香里が着ている服は、由香里が、事故で死んだ時に、着ていた服です」
母親は言った。
「でも、不思議ですわ」
母親が言った。
「何がですか?」
「由香里が背にしている車は、由香里が、はねられた車です。青のラパンです」
「そうですか。でも、青のラパンなど、いくらでも、走っています。由香里さん、が、はねられた車か、どうかは、わからないでは、ないですか?」
「それは、その通りですね。ところで、こういう写真を持っているということは、あなたは、由香里と、かなり、親しい仲だったんですね?」
「え、ええ。まあ、そうです」
と、僕は言った。

「ところで、由香里さん、の写真は、ありますか?」
僕は聞いた。
「ええ。あります。ちょっと、待っていて、下さい。由香里の部屋に行って、とってきます」
そう言って、母親は、階段を昇っていった。
そして、母親は、すぐに、アルバムと、パソコンを、持って、もどってきた。
「これが、由香里の写真です」
そう言って、母親は、アルバムを開いた。
アルバムには、彼女の子供の頃から、大学の卒業式、や、会社に入社した時の、写真が、たくさん、載っていた。
確かに、それは、由香里さん、だった。
高校生の頃の、彼女の写真も、今の、彼女の面影がある。
「これも、見て下さい」
母親は、そう言って、パソコンのディスプレイを、表示させた。
「これは、由香里が、友達と、飲み会をした時に、カラオケ喫茶で、由香里の友達が、撮影してくれた動画です」
そう言って、母親は、スタートボタンを押した。
パソコンのディスプレイに、彼女が、AKB48の、ヘビーローテーションを、踊りながら、歌っている、動画が、映し出された。
その、声も、踊り方も、さっき、見た、彼女の、ヘビーローテーション、と、全く、同じだった。
「うーん」
僕は、唸った。
やはり、彼女は、彼女が言うように、幽霊なのかも、しれないな、と、僕は、思うようになった。
「あなたは、由香里と、親しかった人なんですね?だって、一緒に、レジャープールに行くほどなんですから」
母親が聞いた。
「ええ。そうです」
僕は答えた。
「では。由香里の冥福を、祈って、焼香してやって下さい」
母親が言った。
僕は、二階の、由香里さん、の部屋に入った。
由香里さん、の、写真が祀られた、額縁と、由香里さん、の、位牌が、あった。
僕は、手を合わせて、由香里さん、の、冥福を祈った。
「由香里さん、が、死んだ、ということを、僕は、最近、知りました。ちょっと、変わった、お願いがあるんですが・・・」
僕は言った。
「はい。何でしょうか?」
母親は、聞き返した。
「由香里さん、が、死んだ、ということを、証明できる、ものが、他に何か、あるでしょうか?」
僕は聞いた。
「由香里は、本名で、ブログをやっていました。由香里が死んでも、ブログは、残してあります」
母親は、そう言って、彼女のブログを、見せてくれた。
ブログには、彼女の写真も、たくさん、載っていた。
そして、最後のブログの記事のコメントには、「由香里。悲しいわ。でも、あなたは、立派に生きたわ。私。あなたを、いつまでも、忘れないわ」、などと、いう、友達のメッセージが、たくさん、載っていた。
そして、パソコンで、「佐藤由香里」で、検索すると、「茅ヶ崎市に住む、東海大学、文学部教授の、一人娘の、佐藤由香里さん、が、昨日、自動車事故で亡くなられました」という、記事が、いくつも、出てきた。
「うーん」
と、僕は、唸った。
ここまで、物的証拠があれば、彼女が、本当に、幽霊だということを、信じるしか、ないな。
と、僕は思った。
「どうも、色々と、ありがとうございました」
そう言って、僕は、彼女の家を出た。

そして、車にもどった。
助手席には、彼女が、座っていた。
「どう。私が、幽霊だということが、確信できましたか?」
彼女は僕に聞いた。
僕は、黙っていた。
「まだ、信じられない、というのなら、私の部屋には、私の指紋が、いっぱい、ついているから、私の指紋と、照合しても、いいわよ」
と、彼女は言った。
「由香里さん。あなたは、幽霊になったのなら、どうして、お母さんと、会わないのですか?」
僕は聞いた。
「それは。幽霊と、出会うと、寿命が、一年、縮まるからですよ。私。お母さんの寿命を、縮めたくないもの。それに、私が、成仏できないで、幽霊になってしまった、ということを、おかあさん、が、知ったら、驚くし、不安になるでしょ。それに、幽霊が、本当に、存在する、などと、わかったら、世間を騒がせて、混乱させてしまうでしょ。私、世間を混乱させたくないもの」
と、彼女は、飄々と言った。
「なるほど」
と、僕は言った。
「指紋を照合しても、また、信じられない、というのなら、私の髪の毛で、DNA解析して、調べて下さい。母は、私の遺髪として、私の髪の毛を、持っていますから。DNAが、一致したら、確実に、私だと、証明されるでしょ」
と、彼女は言った。
「いや。由香里さん。その必要はありません。ここまで、確かな証拠が、そろっていれば、僕は、あなたが、幽霊だということを、100%、確信しました」
と、僕は言った。
「ありがとうございます。やっと、信じていただけて、嬉しいです」
と、彼女は、嬉しそうに言った。
「僕は、唯物論を信じ切っていません。確かに、この世の事のほとんどは、唯物論で、説明できます。しかし、人間は、時間、というものを、説明することが出来ません。時計の針の、動きは、時間を、便宜的に、図るための道具に過ぎません。宇宙に、上下があるのかも、説明できません。し、宇宙のはて、は、どうなっているのか、も、わかりません。死後、人間は、どうなるのか、物質によらない精神というものは、存在しない、ということも、科学的に証明されていません。僕は、証明されていないことは、否定しない主義です。ですから、ここまで、証拠が、そろえば、僕は、あなたが、幽霊だということを、信じます」
と僕は言った。
「ありがとうございます。やっと、信じていただけて、嬉しいです」
と、彼女は、嬉しそうに言った。

「あ、あの。純さん」
「はい。何でしょうか?」
「私が、幽霊だと、信じてもらえましたが、こんな私でも、これからも、つきあってくれますか?」
「ええ。大歓迎です」
「でも、私は、幽霊ですから、一日、私とつきあうと、純さんの寿命が一年、縮まりますよ。それでも、つきあって下さいますか?」
「ええ。構いませんよ」
「嬉しいわ」
そう言って、彼女は、涙を流した。
「ところで、由香里さん」
「はい。何でしょうか?」
「あなたと、一日、つきあうと、僕の寿命が一年、縮まるんですよね」
「ええ。そうです」
「僕は、今、二十歳です。僕が、何歳まで、生きられるのかは、わかりませんけれど、平均寿命から考えて、80歳まで、生きられる、と、仮定しましょう。すると、あなたと、これから、毎日、つきあうと、60日後、つまり、二ヶ月後に、僕は、死ぬことになりますね」
「ええ。そうです」
「そこで、僕に提案があるんです。あなたと、つきあう一日は、充実した、一日にしたいですね。毎日、つきあうと、僕は、60日で、死ぬことになります。しかし、月に一度だけ、会う、というように、すれば、60/12=5年、あなたと、結婚生活を、送れることが出来ます。月に、一度でなくても、月に二度でも、構いませんし、あるいは、逆に、二ヶ月に、一度、会う、と、いうように、しても、いいんでは、ないでしょうか。二ヶ月に、一度、会う、とすれば、60/6=10年、あなたと、結婚生活を、送れます。どのくらいの、頻度で会うかは、あなたに任せます」
「なるほど。そういう方法もありますね。気がつきませんでした」
と、彼女は言った。
「結婚生活なんて、毎日、顔を見ていると、惰性で、だんだん、新鮮味が、なくなるものですよ。ささいなことで、夫婦ケンカになったりも、しますしね。芸能人でも、一般の人でも、アツアツの想いで、結婚しても、その半分ちかくは離婚しています。毎日は、会えず、時たま、会える、という方が、いつまでも、新鮮でいられると、思います。毎日、会っていると、厭き、も、来やすいものです。会えない期間があった方が、会いたい、という、情熱が、強くなります。七夕にしたって、織姫と牽牛は、一年に一度しか、会えないから、二人の愛は、激しく燃えあがるのでは、ないですか。一年に一度、会うとすれば、僕は、あと、30年、生きられます。ゲーテも、「ふたりの愛を深くするにはふたりを遠く引き離しさえすればよい」、と言っています。プブリウス・オウィディウス・ナソも、「満ちたりてしまった恋は、すぐに退屈になってしまうものである」、と言っています。シェイクスピアも、「ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋です」、と言っています。どうでしょうか?」
「わかりました。純さん、って、理性的な方なんですね。ちょっと、拍子抜けしてしまいました。でも・・・」
と、言い出して、彼女は、少し、渋い顔になった。
僕は、彼女の思っている事をすぐに、察知した。
そのため、僕は、先手を打った。
「ははは。由香里さん。あなたが、不安に思っていることは、わかりますよ。会わない期間が長いと、僕が、心変わりして、他の女性と、つきあうように、なってしまうんではないかと、心配しているんでしょう?」
彼女は、黙っている。
「由香里さん。答えて下さい」
僕は、強気の口調で、問い詰めた。
「・・・え、ええ。恥ずかしいですけれど、その通りです・・・」
彼女は、顔を赤くして言った。
「その点は、大丈夫です。安心して下さい」
僕は、自信をもって言った。
「どうして、ですか。それを、証明して下さい」
今度は、彼女が、僕に証明を求めるようになった。
「だって、僕は、内気で、無口で、ネクラで、友達なんて、一人もいませんから。彼女をつくることなんて、不可能です。僕は、憶病ですから、女性に、声をかけることなんて、出来ません。僕は、今まで、一度も、彼女、というものを、つくることが出来ませんでした。これからも、つくれないしょう。だから、あなたと、会った時、僕は、有頂天になって、喜んだじゃないですか。僕が、女性と、デートするのは、今日が、生まれて初めてだと、言ったじゃありませんか。僕の、パソコンでも、スマートフォンでも、調べてもらえば、わかりますが、僕が、女性と、楽しそうにしている、写真なんて、一枚もありません。ですから、それが、僕の証明です。科学的には、証明できませんが、あとは、由香里さん、が、信じてくれる、か、どうかに、かかっています」
と、僕は言った。
「僕のスマートフォンを、見て下さい。もし、僕に、恋人が、いるのなら、スマートフォンに、恋人との、メールのアドレスや、恋人との、メールのやりとり、や、恋人と撮った写真が、のっているでしょう」
そう言って、僕は、彼女に、スマートフォンを渡した。
彼女は、スマートフォンを、受けとると、一心に、カチャカチャ操作した。
「どうです。何もないでしょう?」
僕は、彼女に聞いた。
「確かに、何もありません。わかりました。純さんを信じます」
と、彼女は言った。
「ところで、由香里さん」
「はい。なんでしょうか?」
「一日、つきうと、と、寿命が一年、縮まる、と、あなたは、言いましたが、一日というのは、24時間、ちょうど、ですか?」
「いえ。12時間です」
「そうですか。それなら、早く、アパートにもどらないと」
僕は、車のエンジンを駆け、アクセルをグンと踏んだ。
急いで、アパートに帰らねば、と思った。
なぜなら、今日一日、彼女と、つきあってしまったのだから、僕は、一年、寿命が、縮まってしまったのだ。
それなら、彼女と、少し、ペッティングも、したいと思ったからだ。
「ところで、由香里さん」
僕は、車を運転しながら聞いた。
「はい。なんでしょうか?」
「この次は、いつ、会う予定ですか?」
「それは、まだ、決めていません」
「そうですか。できれば、日曜日に、出てきてくれると、助かります。今度、あなたと、会う時は、ディズニーランドに、行きましょう」
「はい。ありがとうございます。楽しみだわ」
彼女は、嬉しそうに言った。

途中に、コンビニがあった。
「ちょっと、トイレに行ってきます。すぐ、もどってきます」
そう言って、僕は、コンビニに入った。
僕は、コンビニのトイレで、オシッコをして、すぐに、コンビニを出た。
急いで、車に入ったが、彼女は、いなかった。
そして、車の中には、彼女の服があった。
そして、メモがあった。
それには、こう書いてあった。
「純さん。ちょうど、12時間、経ちました。私は、消えます。この次は、いつ、お会いするかは、考えておきます。もしかすると、成仏できるかもしれません。由香里」
彼女と、今日、会ったのは、午前、8時頃で、今、ちょうど、午後8時である。
ちょうど、12時間、経ってしまったのだ。
僕は、ちょっと、残念だった。

それから、三ヶ月経った。
彼女は、現れない。
僕が、言ったように、彼女は、気をきかせて、くれているのだろう。
もしかすると、一年は、現れないかも、しれない。
さらに、もしかすると、彼女は、成仏できたのかもしれない。
まあ、しかし、僕としては、彼女がまた現われて、彼女と、ディズニーランドに行くのが、楽しみである。

しかし、日が経つにつれ、僕は、だんだん彼女が恋しくなった。
あんな、きれいな人と、出会えたんだから、ペッティングしておけば、良かった、と、僕は後悔した。
(もう、現れてくれないだろうか?)
僕は、彼女の、ビキニ姿の写真を見ながら、何回も、オナニーした。
彼女が、僕と会いたがっている、のと、同様に、僕も、彼女に会いたくなった。
だが、いつまで、経っても、彼女は、現れなかった。
「きっと、彼女は、成仏してしまったんだろう」
と、僕は、思って、あきらめだした。

それから、一年が経った。
僕は、由香里さん、のことなど、忘れていた。
もちろん、僕は、シャイで、憶病なので、彼女など、つくれない。
町で、手をつないで、歩いているカップルを、うらやましく、眺めるだけである。
七月七日になった。
「純さん。お久しぶり」
そう言って、ひょっこり、由香里さん、が、現れた。
びっくりすると、同時に、僕は、嬉しくなった。
「ああ。由香里さん。会いたかったよ」
僕は言った。
「私もよ」
彼女も言った。
僕は彼女を、ガッシリと抱きしめて、キスした。
「じゃあ、今日は、ディズニーランドに行きましょう」
「ええ」
こうして、僕と、由香里さん、は、ディズニーランドに行き、一年ぶりに、楽しい一日を過ごした。
前回、出来なかったので、一日、ディズニーランドで楽しんだ後は、近くのホテルに、入り、うんと、彼女と、ペッティングした。
「一年に、一回、くらいの、割り合が、良さそうだと思います。では。来年の、七月七日に、お会い致しましょう」
そう言って、12時間、経つと、彼女は、姿を消した。
僕は、来年の、七月七日が、待ち遠しい。



平成28年8月18日(木)擱筆

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焼きリンゴ(医師国家試験小説)

2020-07-09 13:24:04 | 小説
焼きリンゴ(医師国家試験小説)

それは、ある冬のことだった。
哲也は、医学部の6年生で、3ヶ月後には、医師国家試験が、ひかえていた。
哲也は、毎日、毎日、猛勉強の日々だった。
哲也は、自分のアパートで、勉強する、ことが出来なかった。
ストレート・ネックで、肩や腰が凝りやすいため、アパートの机だと、前かがみの、猫背になり。また、哲也は、副交感神経優位型の、人間なので、一人だと、アドレナリンが出ないため、気合いが、入らない。なので、人のいる所でしか、勉強できなかった。
これは、医学的に言うと、「人のいる所でないと、だらけて勉強できない症候群」と言う。
そのため、昼は、大学の図書館で、勉強した。
大学が休みの日は、市の図書館で、勉強した。
そして、図書館が、閉まった後では、24時間、営業の、マクドナルドとか、ファミリーレストランで、勉強した。
しかし、アパートに近い、マクドナルドが、閉店してしまったのである。
そのため、彼は、ある、アパートに近い、ガストで、夜、遅くまで、勉強した。
彼が、夜、いつも、来るので、レストランの、アルバイトの女に、顔を覚えられてしまった。
彼女は、彼が来ると、
「いらっしゃいませー」
と、彼女は、笑顔で、挨拶した。
しかし、彼は、きまりが悪く、感情を入れず、注文をした。
彼は、いつも、ガストの、リブロステーキを注文していた。
なぜ、リブロステーキを注文するか、といえば、彼の目的は、お腹が減って、レストランで、何か、食べるのが、目的ではなく、三時間、以上も、ねばって、レストランで勉強するのが、目的だったから、である。しかし、ファミリーレストランは、食事をする所であって、勉強する所ではない。
レストランとしては、あまり、粘られては、困るのだ。
レストランが、どう思っているかは、わからない。
まあ、一時間くらいなら、レストランも迷惑ではないだろうが。
そして、実際に、食事目的で、レストランに入って、ついでに、ちょっと、食後の食休みとして、文庫本を、少し読んでから、出で行く客もいる。
そういう客は、レストランとしても何の問題もない。
また、恋人同士とか、友達同士が食事目的で入って、その後、長々と、一時間、以上、長話し、する場合だってある。
しかし、レストランは、そういう客を迷惑だとは、思っていない。
男女に限らず、人間が、二人、入ったら、無限に、お喋りは、続きうる。
しかし、レストランとしては、それは、異様なことではない。
しかし、食事をするテーブルの上に、教科書を、堂々と、開き、ノートで、カリカリと、勉強するとなると、これは、明らかに、レストランに、不似合い、である。
実際、彼は、ある別の、ファミリーレストランで、5時間、以上、粘って勉強して、「お客さん。申し訳ありませんが、レストランで、勉強するのは、ひかえて下さい」と、言われたことも、あった。
その時は、ショックだった。
それで、それ以来、彼は、腹が減っていなくても、ある程度、値段のする、料理を注文する、ことで、レストランで、勉強することを、断られないように、したのである。
時間も、3時間まで、と、決めた。
レストランも、値段のする、料理を注文されたなら、儲かるのだから、「勉強しないで下さい」とは、言いにくくなる。というか、言いにくく、しようと、いうのが、彼の作戦であった。
そして、食事を食べて、3時間、したら、出て、他の、ファミリーレストランで、勉強することにした。
彼の作戦は、成功した。
というか。
ファミリーレストランでも、店長によって、考え方が、違っていて、別に長く居てもいいよ、と、思っているような、のんびりした性格の店長もいれば、食事以外のことで、長居されたら、困るな、と思っているような、神経質な性格の店長もいる。
あるファミリーレストランの店長が、どういう性格なのか、それは、客の側からは、わからない。
ただ。一度でも、「あまり、長居して、勉強しないで下さい」と、言われたら、もう、その店では、長居でなくても、20分とか、短時間でも、勉強できにくい、雰囲気になるから、ヒヤヒヤものであった。
店長は、厨房の奥にいて、出てこないから、どんな人か、わからないのである。
そういうわけで、彼は、昼は、図書館で勉強し、(といっても、大学の方でも、図書館を遅くまで利用したい人が多いので、アルバイトを雇って、夜7時まで、開けてくれていた)、図書館が閉まってからは、ガストで、勉強した。
彼が店に入ると、
「いらっしゃいませー」
と、ある、女のアルバイトのウェイターが、愛想よく、笑顔で、挨拶した。
彼女は、いつも、小さなハート型のピアスをしていて、それが似合っていた。
しかし、彼は、黙って、事務的に、テーブルに着き、リブロステーキ・セットを注文した。
彼女は、きれいで、彼女に会えるのは、彼にとって、嬉しくもあるのだが、彼は、不愛想に事務的に答えて、彼女と、感情的には、話さなかった。
それは、彼は、彼女のような、きれいな、女には、声をかけられたことなど、ないから、たとえば、旅で、余所の遠い土地で、そういうふうに、聞かれたら、彼も、笑顔で、感情を入れて、友好的に、対話できるのだが、ここの、レストランは、勉強のために、ほとんど毎日、使わなくてはならない。なので、彼は、事務的に不愛想に答えた。彼女は、彼に好意をもっているようなので、親しい態度をとったら、「勉強、たいへんですね」などと、彼女なら、言いかねない。しかし、そんなことを言われたら、彼にとって、決まりが悪くて仕方がない。
彼女との、感情的な関係を持つか、勉強をとるか、といったら、もちろん、彼は、勉強の方をとった。もちろん、女に無縁な、彼は、女を求める欲求は、人一倍、強いが、学問の価値に比べたら、女の価値なんて、紙クズみたいに、小さなもの、というのが、彼の価値観なのである。
それを、察してか、彼女の方でも、「いらっしゃいませー」と、「ご注文は、何になさいますか?」と、店を出る時に、「ありがとうございました」、という、挨拶しか、しなかった。

ある日のことである。
冬のメニューに、焼きリンゴが、加わった。
めずらしいな、と、彼は思った。
彼は、子供の頃、焼きリンゴが、好きだった。
生の、リンゴは、酸味が強く、あまり好きではなかったが、砂糖で味つけして、甘く焼いた、焼きリンゴは、歯ごたえの感触が、よく、酸味が、砂糖で味つけされて、美味しくなり、それは、天国の美味だった。
それで、彼は、ガストの、焼きリンゴは、どんなものかと、注文してみた。
食べてみると、美味い。特別、美味い、というわけではないが、子供の頃、食べた、焼きリンゴの懐かしさ、が思い出され、また、食べる機会は、これを、除いては、無い。
ちょうど、綿アメ、や、焼きトウモロコシ、や、ケバブ、は、お祭りの時の、出店でしか、食べられないのと同じである。
それで、メニューに、焼きリンゴが、加わってから、彼は、リブロステーキ、だけでなく、焼きリンゴも、注文するようになった。
まず、リブロステーキだけを注文し、食べてから、さりげなく、国家試験の教科書を開いて、勉強し、一時間くらいしてから、テーブルにある、ボタンを押して、焼きリンゴを注文した。きれいな、アルバイトの女が、トコトコと、やって来る。そして、
「はい。ご注文は何でしょうか?」
と、笑顔で聞いてくる。
彼は、メニューを開いて、焼きリンゴを、指さして、
「焼きリンゴ、お願いします」
と言う。彼女は、
「はい。わかりました」
と、言って、厨房に向かう。
しばしして、彼女は、焼きリンゴ、を、持って、彼のテーブルにやって来る。
待っている間は、彼は、医学の教科書は、カバンの中にしまう。
それは、店へ、来るのは、勉強するのが、目的ではなく、あくまで、食事するのが、目的であり、勉強は、その、ついで、と、思わせるためであった。
その目的も、もちろんあったが、勉強で、疲れた頭を、一休みする目的もあった。
(はあ。疲れた。焼きリンゴを食べて、酷使した脳にブドウ糖を送らねば)
そう重いながら、彼は、焼きリンゴ、が、来るのを待っていた。
すぐに、アルバイトの女が、焼きリンゴ、を持ってきて、ニコッと、笑い、
「はい。どうぞ」
と、一礼して、おもむろに、テーブルに焼きリンゴ、を置いた。
彼は、いかにも、泰然自若として、紳士然として、焼きリンゴ、を食べた。
それは、もちろん、焼きリンゴ、を味わうためであることは、間違いないが、彼が、店に来るのは、こうして、食事をするためだ、ということを、協調するためでもあった。

しかし、ある時である。
それは、木枯らしが、ふいて、特に寒い夜だった。
彼が、毎回、焼きリンゴ、を注文するので、アルバイトの女は、焼きリンゴ、を持ってきた時、笑顔で、
「焼きリンゴ。美味しいですか?」
と、聞いてきた。
彼は、内心、おわわっ、と、あせった。
毎日、毎日、勉強に明け暮れ、さらには、俗なる世事に関心が向かわぬ、道学者なる彼にとって、世の女の心など、知る由もなかった。
ただ、彼女の態度から、彼女が、彼に好意を持っていることは、気づいていた。
彼は、彼女が、聞いてきたのは、焼きリンゴ、が、美味しいのか、どうか、と、いうことを、知りたい、という理由からではなく、彼に、話しかける、キッカケのためだと、感じとった。そして、それは、まず、間違いないだろう。
彼は、レストランで、勉強するのが、目的だったから、彼女の好意は、嬉しかったが、彼女と、親しくなりたくなく、それで、
「ええ」
と、小さな声で、厳格さを装って、答えた。
彼女は、彼が、無機的な態度をとったので、さびしそうに、厨房にもどっていった。
彼女が、彼に、好意を持ってくれていることは、無上に嬉しかった。
こんな機会は、彼の人生でも、めったになかった。
だから、勉強目的ではなく、単に、食事のためだけに、ガストに入っているなら、彼は、彼女と、うちとけて、心を開いて、話すことも、出来る。
自分の携帯番号と、メールアドレスを彼女に教え、また、彼女の方でも、彼女の、携帯番号と、メールアドレスを彼に教えてくれた、だろう。
というか、彼女に、メールアドレスを教えれば、きっと、彼女は、彼に、メールを送ってくれるだろう。彼に、メールを送ることで、彼女の、メールアドレスも、わかる。
そして、「一度、会いませんか」ということになって、どこかの喫茶店で会って、話して、意気投合して、親しくなり、彼の、夢である、大磯ロングビーチに、セクシーなビキニ姿をした彼女と、行くことも、出来たに違いない。
しかし、彼には、医師国家試験に通るまでは、勉強が何より、あらゆることに、優先するので、残念ながら、それは、出来なかった。

年が明け、いよいよ、勉強がラストスパートに入った。
国家試験は、二月の中旬だった。
彼は、昼間は、大学の図書館で、勉強し、図書館が閉館した後は、ガストに行って、勉強した。
そして、二月に入り、勉強は、今までの、復習と、模擬試験の復習の、ラストスパートに入った。

そして、とうとう医師国家試験の前日になった。
朝から、気合いが入った。
試験会場は、近畿大学だった。
彼は、試験会場に近い、ホテルを、あらかじめ、予約しておいた。
ホテルには、イヤーノート、パターンで解く産婦人科、100%小児科、チャート式の公衆衛生、の、教科書を持っていった。
医師国家試験の模擬試験の結果から、まず、自信は、あったが、今回から、それまでの、総合点、6割、合格、から、今回から、採点方法が、変なふうに、変更されていた。医師国家試験は4年ごとに、改定があるのだが、今年は、その年だった。総合点、6割、合格は、変わりないが、まず、必修問題というのが、決められて、それは、8割、取らなくてはならず、また、マイナー科目では、4割、以上、取らないと、足きりを、すると、厚生省は、発表していた。
彼の模擬試験の成績は、7割を切ったことがなく、合格は、まず自信があったが、必修問題で、8割、取らなくてはならない、となると、これは、油断できない試験だった。
ホテルには、他の医学部の受験生も、多く、来ていた。
国家試験が近づくと、今年は、どんな問題が、出そうだとかいう、予想問題の本が出て、彼らは、噂によると、試験前日でも、夜遅くまで、勉強するらしかった。
しかし、予想問題など、たいして当たらない、ということも、彼は、噂で聞いて知っていた。
模擬試験で、まず、合格点が出ているのだから、彼は、持ってきた、参考書を、サラサラ―と、通し読みして、ゆったり風呂に、浸かって、軽い夕食をとって、早めに寝床に入った。
彼は、朝が弱いので、モーニング・コールと、目覚まし時計をかけて、寝床に入った。
寝つきの悪い彼ではあったが、睡眠をとっておかなくては、という意識が強く働いてか、いつの間にか、眠りに就いた。

翌朝。試験第一日目である。
目が覚めると、7時、少し前だった。
モーニング・コールも、目覚まし時計のセットも、必要がなかった。
彼は、机に、向かって、サラサラッと、昨日と、同じように、参考書に目を通した。
そして、軽いトーストと、ゆで卵と、紅茶の朝食を食べてから、少ししてホテルを出た。
少し早めにホテルを出たので、試験会場は、まだ、受験生は少なかった。
彼は、自分の席の番号の席についた。
ここでも、参考書を、再度、サラサラッと見直した。
だんだん、受験生が入ってきた。
この試験を落とすと、もう1年、暗い浪人生活を送らねばならないかと、思うと、嫌が上でも、緊張感が高まっていった。
試験監督が入ってきて、試験用紙を配った。
ガヤガヤ話していた、受験生たちも、しんと静かになった。
「はじめ」
の合図で、受験生は、一斉に、パラパラと試験用紙をめくった。
第1日は、一般問題、2つと、量の少ない、臨床問題、一つだった。
試験が、始まるまでは、緊張感で張りつめていたが、いざ、問題を解き出すと、だんだん、落ち着いてきた。
試験問題は、5者択一だが、しぼりきれず、二者択一となる、問題が、結構、多かった。
そういう問題は、模擬試験の時も、そうしていたが、一応、一番、正しいと思われる、ものに、マークして、△マークをつけて、後で、熟考することにしていた。
最初の問題が、終わると、ほっとした。
その後の、2つの試験は、リラックスして受けれた。
だいたい、大丈夫、だという感触があった。
ただ、必修問題で、しっかり、取れているか、が、気にかかった。
試験会場を出ると、すでに、今日の問題の、正解を配っている人がいた。
国家試験の予備校の人である。
どうして、そんなに、すぐに、解答を配れるのかは、わからなかった。
試験問題は、試験が終われば、持って帰れる。
しかし、試験問題を持って帰れるのは、受験生だけである。
厚生省が、国家試験の予備校にも、試験問題を一部、試験終了とともに、配っているとも思えない。
ただ、試験が終わったら、受験生は、試験問題を持っているので、それを、予備校の講師が、見せてもらって、猛スピードで、解いて、解答を出しているとしか思えない。
しかし、実際のところは、どうなのかは、わからない。
もちろん、彼も、解答の紙を受けとって、電車に乗り、ホテルにもどった。
1日目の問題は、2日目の問題の傾向が、わかりやすい、と、言われているが、彼は、1日目の、問題の、答え合わせは、しなかった。
他の人なら、答え合わせする人の方が、圧倒的に多いだろうが、彼はしなかった。
それは、もう、済んでしまった試験であり、採点して、いたずらに、気持ちが動揺しないように、という理由からである。
気持ちが、動揺して、眠れなくなることのリスクの方が、大きいとも、思っていた。
それに、模擬試験の結果から、まず、合格できる実力はあるのだから、小賢しいことに気を使わず、堂々と、していた方が精神的に、いいと、思ったからである。
精神の安定が、彼にとって、何より大事だった。
1日目の試験が終わって、高まっていた緊張感が、ぐっと解けていた。
彼は、風呂に浸かり、参考書を、パラパラッと、見直して、軽い夕食を食べて、モーニング・コールと、アラームをセットして、寝床に入った。
気持ちが、リラックスしていたので、その晩は、すぐに寝つけた。

2日目の朝となった。
泣いても、笑っても、今日で、試験は終わりである。
朝は、昨日と、大体、同じに、7時頃に目が覚めた。
彼は、机に向かって、パラパラッと、参考書に目を通した。
そして、軽い朝食を食べて、カバンを持って、ホテルをチェック・アウトした。
2日目は、ぐっと、気持ちがリラックスしていた。
2日目は、2つの試験で、2つとも、臨床問題である。
一般問題より、臨床問題の方が、頭を使うが、1日目の、3番目の試験は、量は少ないが、臨床問題なので、それが、予行練習となっていたので、それほど、緊張しないで解くことが、出来た。
1日目と、同様、試験問題は、5者択一だが、しぼりきれず、二者択一となる、問題が、結構、あった。
そういう問題は、1日目と同様、一番、正しいと思われる、ものに、マークして、△マークをつけて、後で、熟考することにした。
2番目の問題も、終わった。
試験が終わった時には、
(ああ。全力を出し切った)
という満足感があった。
ともかく、張りつめ続けていた、気持ちが、全部、吹っ飛んだ。
採点していないが、手ごたえは、十分、あった。
試験場を出ると、昨日と同じように、今日の試験問題の解答を配っている人がいたので、それを、受け取った。
手ごたえは、あったが、必修問題で、8割、取れているか、は、すごく気にかかっていた。
今すぐにでも、採点したい気持ちを押さえて、彼は、近くの喫茶店に入り、急いで、採点した。
総合点は、6割合格の試験で、7割5分、あったので、問題は、全くなかった。
しかし、必修問題を採点すると、78%だった。
彼はあせった。
(総合点で、十分、取っているのに、必修問題で、2点、足りないだけで、落とされるんだろうか?)
まさか、と思いつつ、その悩みは、深刻だった。
しかし、まさか、そんな理不尽なことは、しないだろう、という考えも、一方で、強くあった。試験後、すぐに配られる国家試験の予備校の解答は、必ずしも、100%、正確というわけではない。また、国家試験は、不適切問題、というのが、毎年、2~3問、ある。
試験は、マークシート形式だから、採点は、早く出来るはずだが、国家試験の合否の発表は、1ヶ月後である。国家試験の模擬試験の、全国の平均点は、ちょうど、6割くらいであり、それは、本試験でも、同じである。ちょうど、合否をわける60点、前後をとった受験生が、圧倒的に多く、そのため、厚生省としても、合否の決定は、慎重にする。
不安な思いのまま、彼は、アパートに帰り、コンビニの幕の内弁当を買って食べて寝た。

翌日になった。
彼は、必修問題で、2点、足りないことが、気にかかって仕方がなかった。
それで、彼は、医師国家試験の模擬試験や、医師国家試験の予備校、医師国家試験用の参考書などを出版している、大手の、(株)TECOMに電話してみた。
すると、(株)TECOMでは、
「総合点は、6割、越しているが、必修問題で、8割、取れていない、私と、同じような人からの、問い合わせが、殺到している」
「今回の試験では、必修問題での、8割、での、足きり、や、マイナー科目での、4割、以下、の足きりは、しないだろう」
という答えが、かえってきた。
彼は、それを聞いて、ほっと、胸を撫で下ろした。
医師国家試験は、資格試験であるから、運転免許試験と同じであり、規定の点数が取れていれば、合格となるはずなのだが、それは、建て前的な、要素があるのである。
国家試験の、過去の合格率でも、大体、いつも、9割、に近い、8割台で、続いている。
医師国家試験は、合格率、9割の、選抜試験的な面があり、受験生100人に対し、10人、落とす試験、と、毎年、なっている。
そのため、厚生省としても、合否の決定は、1ヶ月かけて、慎重にする。
しかし、TECOMで、私と同じように、総合点では、合格点なのに、必修問題で、8割、取れていない受験生が多い、ということと、今年は、必修問題での、8割、の、足きりは、無いだろう、という、ことを聞いて、彼を悩ませていた、不安は、一気に、取り除かれた。
まず、合格できる、だろうと、彼は、強く確信した。
総合点で、75%も、取っているのに、それでも、落とせるものなら、落としてみろ、という、開き直り、の気持ちに、彼は、なっていた。
不安が、一気に吹っ飛んだ。
それまで、医学部の中間試験、期末試験、そして、国家試験と、試験に次ぐ、試験の日々を送ってきたが、もう、これで、試験はなくなるのだ。
そう思うと、試験、という今まで、のしかかっていた重圧が、全て吹き飛んだ。
彼は、歌でも歌い出したい気分になった。
医者になっても、たえず、進歩する、医学の勉強は、一生、しなくては、ならないが、合否を分ける試験というものは、もう、無いのだ。
あらゆる、束縛から、解放されて、彼は、自由の身になった喜びを感じていた。
思えば、医学部に入ってからというもの、試験に次ぐ、試験の毎日だった。
それが、試験のない時でも、潜在意識として、彼の心の重荷になっていた、学生生活だった。
いつの間にか、それが、当たり前の、生活と思うようになっていた。
しかし、国家試験が、終わって、潜在意識で、絶えず、彼を圧していた、重荷から解放されて、彼は、羽が生えて、飛べるかのような、解放感、自由の有り難さを、あらためて、ひしひしと感じた。
医学部といえども、入学して2年間の教養課程は、比較的、楽であり、遊ぶゆとりの時間があった。
特に、1年は、楽で、実習もなく、ほとんど、みな、車の免許を取り、授業には、出ず、アルバイトに励んでいた。
100人のクラスで、授業に出ているのは、10人もいない授業も多かった。
1年の時は、法学だの、美学だの、人類学だの、の授業があったが、講師が、早口で、まくしたてるだけで、何を言っているのか、さっぱり、わからなかった。
それでも、彼は、数人の、授業に出ている、真面目な生徒と、出席し、そして、彼らと、友達になった。
3年からは、基礎医学が始まって、一気に、医学一辺倒の勉強になった。
もう、3年からは、遊べなかった。
ひたすら、分厚い医学書で、医学の知識の、詰め込みである。
人間は、机に向かって、頭ばかり、使っていると、体を動かしたくなるものである。
他の生徒は、部活の運動部で、その生理的欲求をはらしているのだろうが、彼は、集団に属することが嫌いで、部活には入らなかった。

彼は、久しぶりに、琵琶湖バレースキー場に行った。
琵琶湖バレースキー場は、2年の冬に行ったのが、最後だった。
彼は、うんと、思うさまゲレンデを滑った。
スキーの技術は、衰えていなかった。
一度、身につけた技術が、衰えるということはない。
それで、その後には、近くにある、テニススクールに、スポットレッスンという、スクール生でなくても、随時、一回、一定の料金を払えば、スクール生と、一緒に、レッスンを受けられる、テニススクールがあったので、そのテニススクールで、久しぶりに、テニスをやった。
彼は、大学一年の頃、しばしば、スポットレッスンで、そのテニススクールで、レッスンを受けたことがあった。
そして、大阪へ行って、市内観光バスで、大阪市内を見学した。
国家試験直後に、十分、休みをとったら、また、脳に、活動したい欲求が起こってきた。
それで、彼は、毎日、小説を読んだ。
医学の、ややこしい、本を読み続けてきた、ために、頭の回転が、良くなっていて、小説、や、文学書は、一気に、かなり速く読めた。

そうこうしている内に、卒業式が行われた。
男は、スーツに、ネクタイで、女は、着物だった。
彼は、スーツを持っていないので、友達に、スーツを借りた。
長い、勉強一色の六年間だった。
しかし、もう、これで、クラスメートと会うことも無い。
彼は、本当は、実家に近い、横浜市立大学医学部に入りたかったのである。
国公立は、二校、受験できたが、横浜市立大学医学部は、東京に近いためか、偏差値が、少し高く、もちろん、彼の第一志望で受験したが、最終的には、合格できなかった。
それで、彼は、第二志望として、群馬大学医学部も、考えた。
群馬大学医学部は、国立だが、なぜか、偏差値は、そう高くなく、模擬試験でも、十分、合格の判定が出ていた。
しかし、彼は、第二志望として、群馬大学医学部は、考えなかった。
なぜか、というと、群馬大学医学部は、二次試験が、なぜか、数学と国語だったからである。それと、小論文であった。
彼は、ガチガチの論理的思考型理系人間なので、英語や、数学や、理科、は、得意だったが、物事を大づかみに理解する、文科系学問である、国語や社会は、苦手だった。もちろん、小論文も苦手だった。
模擬試験の総合偏差値の結果では、入れる可能性が十分あったが、それは、理系の学科で、点数をかせいでいる、のであって、二次試験の、国語や小論文で、入れるか、どうかは、非常に不安だった。
彼は、カケをしない性格であった。
彼は、危険なバクチは、しない。
東北や沖縄の国公立医学部では、遠すぎる。
それで、彼は、本州の国公立医学部で、家から、大学まで、新幹線で、五時間で、行ける、奈良県立医科大学を、第二志望に選んだ。
奈良県立医科大学の、二次試験は、英語、数学、理科二科目、で、小論文もなく、彼にとって、得意な学科で、勝負できた。しかも、奈良県立医科大学は、一次試験よりも、二次試験の配点の方が、高かった。
なので、彼は、第二志望に、奈良県立医科大学を選んだのである。
そして、合格した。
もしかすると、第二志望で、群馬大学医学部を受験していても、入れたかもしれない。
しかし、それは、わからない。
彼は、危険な賭け、は、しない主義だった。
試験は、合格か不合格かの、全か無か、なのである。
そのため、彼は、安全策をとって、奈良県立医科大学を第二志望として受験し、そして無事、合格した。
しかし、彼は、関西が肌に合わなかった。
そのため、彼は、卒業前の6年の夏に、横浜市立大学医学部の内科に、入局の願いをしていたのである。そして、大学の方でも、それを、快く認めてくれたのである。

卒業式が終わって、数日後に、国家試験の発表の日が来た。
発表の場所は、大阪の、厚生局事務所だった。
近鉄大阪線に乗って、彼は、大阪の、厚生局事務所に行った。
受験番号「4126」
彼は、まず、大丈夫だろうと、思いつつも、一抹の不安も、持っていた。
必修問題で、8割、行かず、78点だったからだ。
しかし、掲示板に、彼の番号はあった。
ほっとした。
「やった。これで、オレは、医者になれたのだ」
「もう、厳しい試験勉強をしなくてもいいのだ」
そういう思いが、胸から、沸き上がってきた。
これで、彼は、完全に、ほっとした。
彼は、近鉄大阪線で、アパートに帰った。

アパートに着いた彼は、久しぶりに、彼は、ガストの、焼きリンゴ、を食べたくなった。
リブロステーキも。
そのため、彼は、ガストへ行った。
国家試験が終わって、合否の発表まで、一ヶ月あり、その間、一度も、ガストには、行かなかったので、一ヶ月ぶりである。
もう、勉強するためではなく、食事を味わうためである。
しかし、食後、小説を読もうと、カバンに、小説を数冊、入れて、持っていった。
久しぶりに、彼に、好意を持ってくれている、アルバイトの女性に会えるのが、非常に、楽しみだった。
彼は、事務的な、受け答えではなく、彼女に話しかけられたら、彼も、感情を入れて、対話しようと思った。
レストランで、受験勉強をしていた時は、試験に、合格できるか、どうかの、一世一代の、大きな、試練だったので、彼女に、心を開けなかったのだが、今は、もう、医師国家試験に合格した、立派な医者である。
まだ、一人前ではないが、法的には、医者である。
彼女が、「焼きリンゴ、美味しいですか?」と、聞いてきたら、「ええ。とっても、美味しいです」と、笑顔で、嬉しさを込めて、答えようと思った。
そして、彼女との、会話も、弾んで、携帯電話の番号や、メールアドレスも、教えあって、「いつか、どこかの、喫茶店で、お話しませんか」ということになって、どこかの喫茶店で会って、話す。そして、意気投合して、夏には、リゾートプールで、抜群のプロポーションのビキニ姿の彼女と、手をつないで、プールサイドを歩く。などという、想像が、どんどん、ふくらんでいった。
高鳴る気持ちを押さえながら、ガストのドアを彼は、開けた。
「いらっしゃいませー」
アルバイトの女の店員が声を掛けた。
しかし、そのアルバイトの店員は、彼女ではなかった。
彼は疑問に思いながらも、あるテーブルについた。
「何になさいますか?」
アルバイトの女が彼の所に来て聞いた。
「リブロステーキを、お願いします」
そう彼は、注文した。
しばしして、アルバイトの女が、リブロステーキを持ってきた。
彼は、リブロステーキを食べた。
受験前の勉強の時は、疲れた頭を休める休息のための食事だったが、潜在意識に、受験の緊張感が、いつもあったので、料理を、ゆっくり味わう、ことが出来なかったが、全ての肩の荷が降りて、純粋に、食事のために、味わう、リブロステーキは、格別に美味しかった。
リブロステーキを食べ終わると、彼は、カバンから、文庫本を取り出して、読んだ。
彼は、森鴎外の、「渋江抽斎」の続きを、読み始めた。
彼は、学生時代中に、森鴎外の、素晴らしさに、気づき、森鴎外の、歴史の短編小説を読んでいたが、「渋江抽斎」は、長く、国家試験の勉強が、始まってからは、勉強一色の毎日になってしまったので、とても、長編小説は、読む時間がなくなり、国家試験が終わってから、読もう、と、思っていた。
「渋江抽斎」は、特に、ストーリーのある、話しではないが、森鴎外の、文章は、読んでいて、心地良い、不思議な魅力があった。
しかし、彼は、一方で、あの、アルバイトの女は、どうしたんだろう、と、そのことが、気にかかっていた。
もう少し、待てば、来るかもしれない、と、思いながら、彼は、小説を読んだ。
一時間くらい経った。
しかし、彼女は、来ない。
彼は、読書の一休みとして、テーブルのブザーを押した。
アルバイトのウェイトレスがやって来た。
「はい。ご注文は何でしょうか?」
新しいアルバイトのウェイトレスが聞いた。
「焼きリンゴ、を、下さい」
と、彼は言った。
「はい。わかりました」
そう言って、アルバイトの女は、厨房に戻って行った。
しばしして、ウェイターは、焼きリンゴ、を、持ってきた。
そして、焼きリンゴ、を、テーブルの上に置いた。
「あ、あの・・・」
アルバイトのウェイトレスが話しかけてきた。
「はい。何でしょうか?」
彼は、聞き返した。
「お客さま。もしかして、一ヶ月、ほど前まで、毎日、夜に、ここへ来ていた、お客さまでは、ないでしょうか?」
アルバイトの女が聞いた。
「え、ええ」
彼は、どうして、彼女が、それを知っていて、そんな質問をするのだろうか、と疑問に思いながら、聞いた。
「やっぱり、そうでしたか」
アルバイトの女が納得したような口調で言った。
「一体、どういうことでしょうか?」
彼は、どういうことなのか、さっぱりわからず、疑問に思って聞いた。
「お客さまが、来ていた時、髪の長い、ハートのピアスをした、女のウェイトレスが、いたのを、お客さまは、覚えていらっしゃるでしょうか?」
アルバイトの女が聞いた。
「ええ。覚えています。今日は、彼女は、休みなのでしょうか?」
彼は聞いた。
「いえ。一週間前に、やめました」
アルバイトの女が言った。
「ええっ。そうなんですか?」
彼は、驚いて、思わず、大きな声を出した。
「ええ。それで、ここで、求人の広告があったので、私が、一週間前に、彼女がやめる日に、彼女と、入れ代わるように、私が、勤め始めたんです」
と、アルバイトの女が言った。
「私は、彼女と、一日だけですが、一緒に働きました。彼女が、やめる日です。そして、彼女は、さびしそうな顔で、こう言ったんです。『もし、私が辞めたあとに、万一、リブロステーキと、焼きリンゴ、を、注文する、学生くらいの歳の男のお客さまが来たら、この手紙を渡して下さい』と。そう言って、彼女は、辞めていきました」
これがその手紙です、と彼女は言って、一通の封筒を、テーブルの上に置いた。
そして、アルバイトの女は、厨房に戻って行った。
彼は、急いで、封筒を開けた。
中には、手紙が入っていた。
それには、こう書かれてあった。
「焼きリンゴ様。こういう、呼び方をすることを、お許し下さい。私は、あなた様の、名前を存じませんので。あなた様が、店に来られるのは、私の、密かな楽しみでした。率直に、言いますが、私は、あなた様を好きでした。あなた様が、店に来られる時、私の胸は高鳴りました。しかし、一方、あなた様が、私のことを、どう思っているのかは、どうしても、分かりませんでした。私が、あなた様と、懇意になりたくて、親しく話しかけても、あなた様は、感情を出さないで、事務的に、答えるだけで、あなた様の、私に対する気持ちは、どうしても、分かりませんでした。しかし、もしかすると、私に好感を持って来ていてくれるのではないか、とも思っていました。毎日、店に来て下さるのですから。外食は、値段が高く、自炊したり、自炊しないのであれば、コンビニ弁当を買って食べた方が、ずっと、安いはずです。それでも、来るのは、私が目的、なのではないだろうか、と、私は、思いました。男の人は、特に、気難しい、神経質な性格の人は、女の人を、心の中で、好いていても、それを、素直に感情に表わさない、または、表せない人もいる、ということは、聞いて、知っていました。あなた様は、そのタイプなのだろうかと思いました。しかし、あなた様は、とうとう来なくなりました。私は、その時、確信しました。あなた様は、私に対して、特別な感情は、持っていないのだと。そして、あなた様には、親しくしている女の人が、いるのだろうと。それで、三週間、来なかったら、店を辞めようと思いました。私も生活が楽ではなく、田舎に帰って、見合いすることを、親に勧められていました。それを、断って、店のアルバイトを続けていたのは、あなた様に、会いたい一念からでした。しかし、あなた様は、来なくなりました。さびしいですが、私は、田舎に帰ります。私の実家は熊本です。ただ、私の、切ない胸の内は、どうしても、告げておきたくて、手紙を、新しく入った、アルバイトに、渡して、あなた様が、万一、来たなら、渡して欲しい、と、頼みました。さようなら。幸せになって下さい。かしこ」
読み終えて、彼は、顔が真っ青になった。
彼は、テーブルのブザーを押して、ウェイトレスを呼んだ。
ウェイトレスは、すぐに、やって来た。
「はい。ご注文は、何でしょうか?」
ウェイトレスが聞いた。
「いや。注文ではありません。この手紙の女の人の住所か、連絡先は、わかりませんか?」
彼は聞いた。
「・・・い、いえ。わかりません」
ウェイトレスが言った。
「そうですか。店長は、いますか?」
「はい。います。厨房の奥にいます」
「店長と、ちょっと、話しがしたいのですが、呼んでいただけないでしょうか?」
「どんなご用件でしょうか?」
「それは、会ってから、話します」
「わかりました」
そう言って、ウェイトレスは、厨房に戻って行った。
すぐに、中年の男が、やって来た。
ウェイトレスと一緒に。
「私が、この店の店長です。お客さま。ご用は何でしょうか?」
中年の男の店長が聞いた。
「まあ、掛けて下さい。といっても、あなた店ですが・・・」
そう言って、彼は、店長に、座るように、手を差し出して、促した。
言われて、店長は、彼のテーブルに、彼と向かい合わせに座った。
「ご用は何でしょうか?」
店長は、再び、同じ質問をした。
無理もない。客が、店長を、呼び出して、話す、ということなど、まずない。料理に、ケチをつける客なら、もっと、乱暴な口の利き方をするはずである。
彼は丁寧な口調で話し出した。
「一週間前まで、この店で、働いていた、アルバイトの女の人が、いましたよね。耳にハートのピアスをした。そして、彼女は、一週間前に、この店を辞めましたよね」
「ええ。それが何か?」
店長は、彼を、訝しそうな目で見た。
「彼女の、住所か、電話番号か、何か、彼女の身元は、わかりませんか?」
彼は聞いた。
「それを、調べて、どうするのですか?」
店長が聞き返した。
「彼女に会いたいんです。お願いします」
そう言って、彼は頭を下げた。
店長は、困惑した表情になった。
「・・・しかし、そう言われましても。お客さまに、店員の個人情報を、お教えすることは、出来ないのですが・・・」
店長は、困った様子で言った。
「そこを、何とか、お願いします。さっき、ウェイトレスから、彼女からの、手紙を、受け取りました。これが、それです。ちょっと、これを読んでください」
そう言って、彼は、手紙を店長に手渡した。
店長は、手紙を、受けとると、すぐに、手紙に目を走らせた。
そして、読み終えると、彼に目を向けた。
「そんなことが、あったんですか。全然、知りませんでした。それで、お客様は、何のために、彼女に会いたいのでしょうか?」
店長が聞いた。
「彼女の誤解です。私は、彼女を好きでした。今でも、好きです。彼女が誤解したまま、田舎に帰って、見合いしてしまうのは、私にとっても、彼女にとっても、やりきれないことです。ですから、どうか、彼女の身元を知っていたら、教えて欲しいのです」
彼は、熱心に、そう店長に頼んだ。
店長は、しばし、思案を巡らしている様子だった。
しかし、少しして、店長は、口を開いた。
「わかりました。そういう事情なら、特別に、お教え致しましょう。ちょっと、待っていて下さい」
そう言って、店長は、厨房に戻って行った。
そして、また、すぐに、彼のテーブルに戻ってきた。
店長は、テーブルに、彼と、向き合うように座った。
そして、彼にメモを差し出した。
メモには、住所が書いてあった。
「これが、彼女の住所です。彼女の履歴書をまだ捨てていませんでした」
そう店長は、言った。
「どうも、有難うございます」
彼は、深々と頭を下げると、彼女の住所を、スマートフォンに入力した。
彼は、レシートを持って立ち上がった。
そして、レジで、リブロステーキと、焼きリンゴの代金を払って、店を出た。
店の前の、道路を待っていると、すぐに、空車の赤ランプ、のついた、タクシーがやってきた。
彼は、手を上げて、タクシーに乗り込んだ。
「この住所の所まで、お願いします」
そう言って、彼は、タクシーの運転手に、彼女の住所のメモを渡した。
「わかりました」
そう言って、タクシーの運転手は、車を走らせた。
10分、ほど、タクシーは、走って、その住所の所に着いた。
同じ市内だが、そこは、彼の行ったことのない場所だった。
二階建ての、10棟の、集合住宅だった。
彼は、彼女の、部屋番号である、203号の前に立った。
表札には、「安藤美奈子」と、書いてあった。
彼は、勇気を出して、チャイムを押した。
ピンポーン。
チャイムが、部屋の中で響く音が聞こえた。
「はーい」
女の声がして、パタパタと、玄関に向かって、走ってくる音が聞こえた。
「どなたさまでしょうか?」
ガチャリ。
戸が開いた。
「こんにちは。いや、はじめまして。いや、はじめて、ではないですね」
と、彼は、笑って挨拶した。
「あっ」
彼女の顔は、真っ赤になった。
彼女は、何と言っていいか、わからない様子で、困っている。
「あの。おじゃまして、よろしいでしょうか?」
彼の方から聞いた。
「は、はい。どうぞ。お入り下さい」
彼女は、あせって言った。
彼は、彼女の部屋に入っていった。
部屋は、まるで、入居前のように、きれいにかたづけられていて、段ボールが、何箱も、積まれていた。
「私のことを、覚えていて下さっているのでしょうか?」
彼女がおそるおそる聞いた。
「ええ。はっきりと、覚えていますよ。ガストで、アルバイトしていた人ですよね」
彼は、余裕の口調で堂々と言った。
「あの。さっき、ガストへ、行ってきたんです。そして、あなたと入れ替わりに、新しく入ったアルバイトのウェイターから、あなたの、私に宛てた手紙を受け取りました。それで、店長に、あなたの住所を聞いて、そのまま、やってきたんです」
彼は、穏やかな口調で言った。
「そうだったんですか。お手数を、おかけしてしまいまして、申し訳ありません」
彼女は、丁寧な口調で言った。
「手紙、読みました。このように、荷物がまとめられているのは、実家の熊本へ帰るためですか?」
彼は聞いた。
「え、ええ。明日、宅配便で、実家に送って、明日、ここを出る予定です」
彼女が言った。
「そうだったんですか。それは、ちょうど、よかった」
彼が言った。
「何が、良かったのでしょうか?」
彼女が聞いてきた。
「美奈子さん。僕は大東徹と云います。あなたの手紙、読みました。私は、あなたを、悩ましていたのですね。申し訳ありませんでした」
そう言って、彼は、両手をついて、彼女に深々と、頭を下げた。
「いえ。変な手紙を、お渡しして、しまって、申し訳ありません。あんな手紙を読まれてしまって恥ずかしいです」
彼女は謝った。
「いえ。私の方こそ、あなたに、変な態度をとって、あなたを、悩ましてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
彼も謝った。
「変な態度、って、どういうことでしょうか?」
美奈子が聞いた。
「つまり、あなたが、親しく話しかけてくれたのに、私が不愛想な態度だったことです」
彼は言った。
「いえ。私に、気がないのですから、変でも、何でもありません」
美奈子が言った。
「美奈子さん。正直に言います。実は、僕も、あなたの、笑顔や、温かい心が、とても、嬉しかったんです。僕も、あなたと、親しくなりたいと思っていたんです」
そう言って、彼は、彼女の手をとった。
彼女の手は、冷たかった。
「ええっ。本当ですか?」
彼女の表情が、一気に変わった。
「ええ。本当です。あの時、僕は、人生の生死を分けるほどの、試験である、医師国家試験の勉強が最大のことだったんです。僕は、実は、ガストへ、毎日、行っていたのは、勉強するのが目的、だったんです。僕は、一人では、緊張できなくて、勉強できなくて。あなたが親しく話しかけてきても、合格するまでは、勉強を最優先にしたい、と、思っていたんです。そのため、あなたの、親しげな、話しかけも、合格するまでは、感情を現さないように、と、勤めていたんです。それで、試験に合格できて、やっと、あなたと、親しく話せると、思ったら、こういうことになっていて、あせって、やってきたんです」
彼は、強い口調で、一気に言った。
「本当ですか?」
彼女は、まだ信じられない、という感じだった。
「ええ。本当です。僕は、ストレート・ネックで、肩が凝りやすく、また、意欲が出にくいため、人のいる所でないと、勉強できないんです」
と、彼は言った。
だが、彼女は、まだ信じられない、という顔つきだった。
「美奈子さん。よろしかったら、お付き合いして頂けないでしょうか?」
彼は、そんな大胆な告白をして、彼女の手を、そっと、握った。
「本当なんですね?。本当なんですね?」
彼女は、何度も聞き返した。
「ええ。本当です」
彼は、キッパリと答えた。
ここに至って、やっと、彼女は、彼の言っていることを信じたようだった。
「嬉しいわ。大東さん」
そう言って、美奈子は、泣いた。
「では、田舎へ帰るのは、思いとどまって、くれますか?」
「ええ。もちろんです。田舎へ帰るのも、親のすすめで、見合い結婚するのも、私の本意では、ありませんもの」
彼女の目からは、涙がポロポロ流れていた。
「よかったー」
彼は、美奈子の手を力強くギュッと握った。
「大東さん。ちょっと、待っていて下さい」
と、言って、彼女は、台所に向かった。
彼は、座ったまま、彼女を待った。
オーブンが鳴って、彼女は、何やら、料理しているようだった。
しばしして、彼女は、皿をもって、戻ってきた。
そして、それを机の上に乗せた。
それは、焼きリンゴだった。
「はい。大東さん。焼きリンゴです。大東さんが、焼きリンゴが、好きなので、付き合うようになったら、私が作ってあげたい、と、思って、作り方を、覚えたんです」
彼女は、ニコニコ笑いながら言った。
「美奈子さん。そんなことまで、してくれていたなんて、嬉しいです」
彼は言った。
「いえ。そんなことよりも、召し上がって下さい」
「はい」
彼は、彼女の作った焼きリンゴを食べた。
「うーん。レーズンと、シナモンの味が、美味しいです。ガストの、焼きリンゴより、美味しいです。もっとも、ファミリーレストランの料理は、冷凍してあるものを、解凍するだけですから、当然ですが」
「お気に召して下さって、嬉しいです。大東さんに、食べて頂くことが、楽しみだったんです。それが、出来なくなって、とても、さびしかったんですが、食べて頂けて、すごく嬉しいです」
彼女は、ウキウキした、顔で言った。
「美奈子さん。僕は、地元の神奈川県に引っ越します。そして、横浜市立大学医学部の医局、に入局して、二年間、研修することになります。ですから、僕は、横浜に引っ越します。美奈子さんは、こっちに残りますか。それとも、横浜に来ますか?」
「私も、横浜に行きます」
美奈子は、即座に答えた。
「お仕事とか、住まい、とか、大丈夫ですか?」
彼が聞いた。
「ええ。何とかします」
彼女は、即座に答えた。
彼女は、そう言ったが、彼女が仕事を見つけられるか、大丈夫だろうかと、彼は不安に思った。
しかし、あまり、立ち入ったことを聞くのも、彼女に対して、失礼だと思って、彼は、具体的なことは、聞かなかった。
それに、彼女は、しっかりした性格のように見えて、彼女なら、きっと、何かの仕事を見つけられそうにも見えた。
「そうですか。研修医の二年間は、給料は、少ないですが、二年の研修が、終わって、病院勤めの、勤務医になれば、給料は、ぐっと、高くなります。二年間、辛抱して頂けませんか?」
「はい」
彼女の、彼を慕う強い思いを、彼は感じとった。
「美奈子さん。さっそく、明日にでも、どこかへ行きませんか?」
彼も、自分の彼女に対する想いが、本当であることを、できるだけ早く、彼女に実感させたくて、そんな提案をした。
「は、はい」
彼女は、二つ返事で答えた。
「僕、京都には、行ったこと、ないんです。京都でいいですか?」
「はい」
美奈子は、即座に答えた。

翌日、大東と、美奈子は、早春の京都に行った。
二人は、清水寺や、平安神宮、金閣寺、嵐山、などを見て回った。
彼は、家から、奈良へ行く時、東海道新幹線で、京都で降りて、近鉄京都線で、橿原市に行っていた。京都は、乗り換えで、プラットホームからは、いつも見ていたが、勉強が忙しく、六年間で、一度も、京都、見物をしたことがなかった。
京都は、大阪と違って、心が落ち着く町だった。
特に、初めて見る、金閣寺に、彼は、圧倒された。
彼は、寺の建築美が好きだった。
しかし、彼は、人の来ない、さび、のある、無名の、古寺、荒れ寺、などの方が好きだった。
そういう、さびしい物の方が、幽玄さ、や、想像力を、かきたてられた、からである。
しかし、金閣寺は違った。
彼は、金閣寺の美しさに、胸が震えるほどの感動を覚えた。
三層作りの、この寺は、一層は、貴族の寝殿造り、二層は武家造りで、三層は禅宗様式である。二層、三層は、まぶしいほどの金箔であり、寺というには、あまりにも、優美すぎた。
その、違和感が、金閣寺の魅力なのかもしれない。
また、寺に面した、物音一つしない、小さな鏡湖池は、明らかに、金閣寺から眺めてみて風流を楽しめるのが、一目瞭然だった。
釣り殿など、家に居ながら、釣りを楽しもうなどと、何と、贅沢な優雅な発想なのだろう。
それは、寺でありながら、優雅な別荘であった。
見ているうちに、自分の意識や視線が、その別荘の中に、引きこまれていくような錯覚に、一瞬、彼はなった。
金閣寺は、室町幕府、三代将軍、足利義満が、自分の権威を示すために、最高の、優美さと、荘厳さ、を、示すために、美と風雅の限界を求めて作った、という、故人の意志が、はっきりと、伝わってきた。
「いやー。綺麗ですね」
と、彼が言うと、美奈子は、
「そうですね」
と、相槌を打った。
歩きながら、美奈子の手が、彼の手に触れると、彼女は、そっと、彼の手を握った。
彼も、彼女の手を、彼女以上の握力で、握り返した。
こうして、京都の観光旅行は無事、終わった。

数日後、彼は、大学に近い所にあるアパートに引っ越した。
美奈子も、彼のアパートに近い所の、アパートに引っ越した。
忙しい、研修が始まった。
しかし、やりがいもあった。
学生時代の、机上の勉強と違って、やりがいもあった。
研修医といえども、れっきとした医者である。
指導医が、あれこれ、事細かく、指導してくれるから、ちょうど、運転免許で言えば、それまで、小さな教習所の中を走っていた、生徒が、仮免許を取って、一般車道を、走れるように、なったような、そんな感覚だった。
毎日、自分の、医学の実力が、目に見えて、ついていくような、実感があった。
そして、休日には、美奈子のアパートに行った。
美奈子は、彼の好きな、リブロステーキと、焼きリンゴを作って、待っていてくれた。
夏季休暇には、大磯ロングビーチにいったり、した。
美奈子のビキニ姿は、美しかった。
またディズニーランドにも行った。
二年の研修が、終わると、彼は、横浜市立医学部の関連病院、の総合病院に勤務した。
研修医の年収は、300万、と少ないが、勤務医として、病院に就職すると、給料は、非常にいい。
彼は、広い、二人で住めるくらいのアパートに、移り住み、美奈子と、一緒に暮らすようになった。
そして、二人は、結婚した。



平成28年1月21日(木)擱筆

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草食系男の恋愛 (小説)

2020-07-09 13:09:46 | 小説
草食系男の恋愛

ある銀行である。大手の銀行ではない。小規模の信用金庫である。

哲也は、内気な性格だった。
世の人間は、内気な人間が、なぜ、内気なのか、わからない。
今年、大学を卒業して、この銀行に就職した。
京子も、今年、大学を卒業して、この銀行に就職した。

女子社員に、お茶配りを、させるのは、セクハラ、などと、いわれるように、なった今だが、それは、男の上司が、居丈高に命令するから、セクハラになるのであって、それが、なければ、男が、レディーファーストの精神を持ってっていれば、女は、男の社員に、「はい。どうぞ」と言って、お茶を配ってやりたい、とも、思っているのである。男の、心のこもった、「ありがとう」の笑顔が、女には、嬉しいのである。

京子は、きれいな、明るい、社員だった。
京子は、よく、皆に、お茶を配った。
性格が明るいのである。
特に、京子は、哲也に、お茶を、渡す時が、楽しみだった。
「はい。哲也さん」と言って、哲也に、お茶を、渡すと、哲也は、顔を真っ赤にして、声を震わせながら、「あ、ありがとうごさいます」と、言って、お茶を受けとって、ペコペコ頭を下げた。

哲也は、昼休みは、いつも、コンビニ弁当、とか、カロリーメイトとか、だった。
京子は、いつも、自分で、弁当を作って、食べていた。
ある時の昼休み。
「ねえ。京子。近くに、最近、出来た、インド料理店があるでしょ。昼休みバイキングで、850円、だって。行ってみない?」
同僚が誘った。
「ええ。行くわ」
京子は、即座に、答えた。
「あっ。京子は、いつも、弁当、もって来てるけれど、どうする?」
同僚が聞いた。
「私。今日は、お弁当、作ってきませんでした」
京子は、そう答えた。
同僚は、ニコッと笑った。
「決まり。じゃあ、行きましょ」
そう言って、社員みなが、出て行った。
あとには、京子と、哲也が、残された。
「あ、あの。哲也さん」
と京子は、おそるおそる一人の哲也に声をかけた。
哲也は、カロリーメイトの箱を開けるところだった。
「は、はい。何でしょうか?」
哲也は、声を震わせて言った。
「あ、あの。もし、よろしかったら、私の、作った、お弁当ですけど、召し上がって頂けないでしょうか?」
京子は、そう言って、弁当箱を差し出した。
「あ、ありがとうございます。喜んで、頂きます」
そう言って、哲也は、京子の弁当箱を受け取った。
「ありがとうございます」
そう言って、京子は、急いで、みなの後を追った。

みなが、帰ってきた。
「あー。美味しかったわね。本場のインド料理」
「食べ放題、といっても、そんなに、食べられるものじゃないわね。小麦粉を練って、作った、ナンが腹にはるのよ」
「でも、異国に行ったような、気分になるじゃない」
皆は、そんなことを、言いながら、席に着いた。
哲也は、そっと紙袋を持って、京子に近づいた
「有難うございました。とっても、美味しかったでした」
哲也は、小声で、京子に言って、京子に、紙袋を渡して、そそくさと、自分の席に戻った。
京子は、紙袋の中を見た。
中には、京子の弁当箱があり、弁当箱の中は、空っぽになっていた。
京子は、ニコッと、哲也に、向かって、微笑んだ。

その日の仕事も、終わった。
皆が帰った後。京子と哲也の二人が残された。
「あの。哲也さん。お弁当、食べて下さって、有難うございました」
京子が言った。
「いえ。とても、美味しかったでした」
哲也が言った。
「哲也さん。一人分の弁当を、作って、自分で食べても、さびしいものです。それに、どうせ、作るなら、作る手間は、同じですし、安くなります。二人分、作った方が、安くなります。よろしかったら、これからも、哲也さんの分の、お弁当の分も、作ってもって来てもよろしいでしょうか?」
京子が聞いた。
「それは、大歓迎です。でも、タダで、頂くわけには、いきません。かかった分の材料費と、手間賃を、大まかに、市販の弁当の値段、相当に払います」
哲也が言った。
「有難うございます。哲也さんも、カロリーメイトばかり、食べていては、栄養のバランスが悪いですわ。カロリーメイトばかり、毎日、食べていて、栄養失調になって、死んだ人の、記事を新聞で見たことがあります」
京子が言った。

その日、以来、京子は、二人分の弁当を作って、会社で、哲也に、そっと、弁当を渡すようになった。

ある時、ある田舎の、信用金庫に強盗が入った、という新聞記事が載った。
「ここの銀行も、狙われるかも、しれない。田舎の銀行が、狙われやすいんだ。それに、備えて、万一、銀行強盗が入った時のために、模擬練習をしておこう」
と支店長が提案した。
「異議なし」
と、社員たちは、賛同した。
「では、今週の日曜、に、やろう」
と支店長は、言った。
「異議なし」
と、社員たちは、賛同した。
「それで、強盗の役は、誰がやる?」
支店長が、みなに聞いた。
皆の視線が、哲也に集まった。
銀行で、若い男の社員は、哲也だけだった。
「山野哲也くん。君。強盗の役、やって貰えないかね?」
支店長が、哲也に聞いた。
「は、はい。わかりました。やります」
哲也は、気が小さいので、何事でも、頼まれると、断れないのである。
「それは、ありがとう。では、君の判断で、強盗になりきって、好きなように、演技してみてくれたまえ。君が、どういう行動を、とるか、は、君に全て任せるよ。その方が、実践的な練習になるからね」
と、支店長が言った。

日曜日になった。
哲也を除いた社員は、みな、出社していた。
日曜なのに、出社したので、支店長は、それなりの、特別手当を皆に渡すことを、約束していた。
みな、席に着いて、いつものように働いている様子である。
そこへ、カバンを持った、スーツ姿の哲也が入ってきた。
哲也は、さりげなく、まわりを見渡すと、振り込み用紙に、記入し、順番待ち、の番号札をとった。
すぐに電光掲示板の数字が、哲也の持っている、番号札を示した。
哲也は、受け付けに、行った。
「いらっしゃいませー」
京子が、明るい笑顔で、言った。
「あの。これを振り込みたいんですけど・・・」
と言って、哲也は、振り込み用紙を京子に、渡した。
京子が、振り込み用紙を手にした、瞬間、哲也は、カウンターをパッと、乗り越えた。
そして、京子の手を背中に、捩じ上げた。
「ああっ」
京子は、哲也の力が強いのに、驚いた。
キャー。
みなは、叫び声を上げた。
「おとなしくしろ。全員、手を上げろ。少しでも、動いたら、この女を殺すぞ」
哲也は、ドスの利いた声で言った。
哲也に、言われた通り、みなは、手を上げた。
哲也は、京子の、両方の手を、背中に捩じ上げ、手首を交差して、胸の内ポケットから、縄を取り出して、背中で、京子の手首を重ねて、縛った。
哲也は、京子の縄尻を取って、金庫の方へ行った。
「さあ。金庫を開けろ。そして、現金、一千万円を、そろえて出せ」
哲也は、女の事務員に言った。
事務員は、おそるおそる、金庫を開けて、札束を取り出して、積み上げた。
哲也は、札束の中から、数枚を、取り出して、宙にかざした。
「よし。すかし、が、入っている。本物の、札だな」
そう言って、哲也は、カバンから、大きな袋を、取り出して、その中に、札束を入れた。
「たかが、一千万円だ。この女は、人質として、連れて行く。オレが無事に、逃げ切れたら、この女は、自由にしてやる。警察に知らせたら、この女を即、殺すからな」
哲也は、そう言って、登山ナイフを、京子の、喉笛に、突きつけた。
「オレは、途中で、車を乗り換える。だから、ナンバーを、ひかえても、無駄だ。それと、警察には、知らせるな。たかが、一千万円と、この女の命と、どっちが、大切だと思う?オレは、途中で、警察に、捕まったら、この女を殺し、自分も死ぬ。オレは、かなりの距離、逃げたら、この女を、ある人気のない林の中に、縛っておく。オレは、さらに遠くに、逃げる。絶対、捕まらない方法で。オレの安全が、確実と、わかったら、警察に、この女の、居場所を教えてやる」
哲也は、そう言った。
みなが、ホールド・アップしている、中を、哲也は、後ろ手に縛られた京子を、首筋にナイフを突きつけながら、引き連れて、銀行を出た。
銀行の前には、車が止められていた。
哲也は、車のドアを開け、助手席に、京子を乗せ、自分は、運転席に、乗り込んだ。
そして、エンジンを駆けて、車を飛ばして、走り去った。

あとには、銀行員たちが残された。
「どうしよう?」
「警察に連絡しようか?」
「でも、人質になった、京子のことが心配だわ。確かに、一千万円と、京子の命とを、考えたら、京子の命の方が、はるかに、大切ね」
「じゃあ、犯人の言うように、犯人が京子の居場所を、連絡してきた時に、警察に連絡したらいいんじゃない?」
「でも、犯人の言うことが、本当という、保障は、ないわ。まず、警察に電話して、事情を全部、話して、どうするかは、警察の判断にまかせたら?」
「でも、京子の命のことを、考えたら、犯人の言う事を、聞いておいた方がいいんじゃないかしら?」
「でも、犯人は、私達が警察に連絡したか、どうかは、わからないじゃない」
「でも、警察が、非常線を張って、犯人を見つけて、追いかけた時に、わかるわ」
「でも、その時、犯人が京子を連れているか、それとも、京子を、どこかの林の中に、縛りつけておいて、一人で逃走中なのか、わからないじゃない」
「でも、そもそも、犯人の言うことなど、信用できないから、言ったことを、本当に実行するか、どうか、わからないじゃない。やっぱり、犯人が逃げた直後に警察に連絡して、警察の判断に任せた方がいいんじゃないの?」
などと、社員たちは、話し合った。
が、どうすれば一番いいかの結論は、出なかった。
あたかも、ナポレオンの後のウィーン会議の、「会議は踊る。されど進まず」のように。

そんなことを話しあっている、うちに、車の止まる音がした。
哲也が、京子と、もどって来た。
「やあ。ただいま」
哲也が、言った。
「ただいま、帰りました」
京子が言った。
哲也と、京子は、そう言って、席に着いた。
「やあ。哲也君。ありがとう。強盗が入った時の、いい練習になったよ」
支店長が言った。
「い、いえ」
哲也は、小さな声で、言った。
「君が、一千万円、という、割と、少額の要求と、人命との比較を、言うものだから、我々も、咄嗟には、一番、適切な対応を判断できにくかったよ」
と、支店長が言った。
「でも、哲也さんも、おとなしそうに見えても、かなり、荒っぽくなるのね。驚いちゃったわ」
社員の一人が言った。
「そうね。人は、見かけによらないわね」
と、別の社員が言った。
哲也は、そんなことを、言われて、顔を赤くして、俯いた。

数日後のことである。
仕事が終わって、皆が、帰ってしまって、哲也と、京子の二人になった。
「あ、あの。哲也さん」
京子が哲也に声を掛けた。
「は、はい。何でしょうか?」
哲也が聞き返した。
「あ、あの。この前の、銀行強盗の練習の時、私、ちょっと、犯人の、なすがままにされて、しまって、それ以来、恥ずかしかったんです。ちょっと、銀行員として、もう少し、自覚しなくては、ならないと、思って、護身術を、少し、研究してみました。もう一度、私を、つかまえて、みて、くれませんか?」
京子が、そう言った。
「わかりました。京子さんの、護身術、僕も、見てみたいです」
そう言って、哲也は、立ち上がった。
「さあ。私を取り押えてみて下さい」
京子には、何か、自信があるような様子だった。
「では、取り押えます」
そう言って、哲也は、京子の背後から、京子を、ガッシリと、つかまえた。
京子は、ふふふ、と笑って、ふっと、小さく体を動かした。
しかし、哲也は、ガッシリと、京子を、つかまえたままで、京子は、抜けられない。
少し、あがいたが、京子は、抜けられなかった。
哲也は、ふふふ、と、笑って、京子の右手を背中に、捻じり上げ、そして、左手も、背中に、捻じり上げ、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
京子は、クナクナと、床に座り込んだ。
「おかしいわ。抜けれる、はずなのに?」
京子は、残念そうに言った。
「京子さん。あなたが、研究した、護身術というのは、You-Tubeに出でいる、日野晃、という人の、護身術でしょう?」
哲也が言った。
「ええ。実は、そうなんです。よく、知ってますね」
京子が言った。
「僕も、あの動画は、見ました。抱きつかれた時、ほんの少し、片方の手を、動かすことで、相手の意識を、そっちの方に、持って行かせ、手薄になった、反対側から、抜ける、という方法ですね。人間の、無意識の反射的な、行動ですから、知らない人に、抱きつかれたのなら、抜けられると思いますよ。でも、たまたま、僕も、あの動画は、見ていましたので、きっと、あの方法で、抜けるのだろうと、思って、あらかじめ、精神的な用意をしていたんです」
哲也は、言った。
「そうだったんですか」
京子は、残念そうな顔をして言った。
誰もいなくなった、銀行に、後ろ手に、縛られて、座っている女と、その縄尻をとっている男、という図は、何か、官能的だった。
哲也は、もう少し、このままで、いたいと思いながらも、京子の、縄を解いた。
「あ、あの。哲也さん」
京子が口を開いた。
「はい。何でしょうか?」
哲也が聞いた。
「あ、あの。今日の夕食は、何でしょうか?」
京子が聞いた。
「ローソンのコンビニ弁当です」
哲也が答えた。
「あ、あの。もし、よろしかったら、私の家で、晩御飯、食べていって下さいませんか?毎日、コンビニ弁当では、栄養が偏ると思います。毎日、コンビニ弁当を、食べていて、栄養失調になって、死んだ人の、記事を新聞で見たことがあります」
京子が聞いた。
「は、はい。喜んで」
哲也が答えた。
こうして、哲也は、京子のアパートに行った。
二人は、満月の月夜の中を、銀行を出た。
そして、電車に乗った。
京子のアパートの最寄りの駅で、二人は、降りた。
そして、10分ほど、歩いて、京子のアパートに着いた。
京子のアパートは、一軒家の借家だった。
「失礼します」
と言って、哲也は、京子のアパートに入った。
京子は、キッチンに行くと、すぐに、調理を始めた。
しばしして、京子が、食事を持ってきた。
ビーフシチューだった。
「うわー。美味しそうだ。頂きまーす」
と言って、哲也は、ハフハフ言いながら、京子の作った料理を食べた。
「うん。とても、美味しいです」
と哲也は、笑顔で京子に言った。
「そう言って、頂けると、私も嬉しいです」
と京子がニコッと、笑って言った。
そして、京子も自分の作った、料理を食べた。
食事が終わった。
「あ、あの。哲也さん」
「はい。何でしょうか?」
「さっき、護身術が通用しなくて、抜けられなかったことが、ちょっと、口惜しいんです。抜けれる自信がありましたから。You-Tubeの動画を、見ただけで、一度も、試してみたことがなかったので、抜けられなかったんじゃなかったのかと、思っているんです。なので、もう少し、練習して、実際のコツを、つかんでみたいと、思って、哲也さんに、アパートに来てもらったんです」
京子が言った。
「そうだったんですか。わかりました」
「では、もう一度、私をつかまえて、みて下さい」
そう言って、京子は、立ち上がった。
「さあ。どうぞ」
京子が言った。
「では、いきますよ」
そう言って、哲也は、京子にガッシリと、抱きついた。
京子は、ふー、と呼吸を整えて、抜けようとした。
しかし、やはり、抜けられなかった。
哲也は、ふふふ、と、笑って、京子の右手を背中に、捻じり上げ、そして、左手も、背中に、捻じり上げ、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
京子は、クナクナと、床に座り込んだ。
後ろ手に縛られて、座っている、女の図は、官能的だった。
京子は、黙って、うつむいていた。
哲也が、縄を解こうとすると、
「あっ。哲也さん。待って下さい」
と、京子が制した。
「こうやって、縛られた時、抜ける方法も、You-Tubeで、見たんです。ちょっと、試してみます」
そう言って、京子は、背中の手を、モジモジさせた。
だが、縄は、はずれない。
「ふふふ。京子さん。ダメみたいですね」
哲也が、嬉しそうに笑った。
「え、ええ」
「じゃあ、そろそろ、縄を解きます」
そう言って、哲也は、京子の縄を解こうとした。
その時。
「あっ。待って下さい」
と京子が制した。
「どうして、ですか?」
哲也が聞いた。
「あ、あの。もうちょっと、こうしていたいんです。何だか、気持ちがいいんです」
京子は、顔を赤くして言った。
哲也は、嬉しくなった。
「僕も、すごく気持ちがいいです。縛られている京子さんを見ていると」
そう言って、哲也は、笑った。
しばし、アパートの一室で、縛られている女と、それを見ている男という図がつづいた。
それは、とても、官能的だった。
哲也は、時間が止まって、いつまでも、こうしていたい、と思った。
京子も、同じだった。
二時間くらい、二人は、何も話さないで、その状態をつづけた。
「あ、あの。京子さん。もう終電になってしまうんで、残念ですけれど、そろそろ帰ります」
哲也は、そう言って、京子の後ろ手の縄を解いた。
「あ、あの。哲也さん。また、縄抜け、や、護身術の練習に来て下さいますか?」
京子が、帰ろうとする哲也に、顔を赤くしながら、小声で聞いた。
「ええ。もちろん、いいですよ」
哲也は、嬉しそうに、笑った。

こうして、哲也は、その後も、夕食は、京子の家で、食べて、その後、京子を後ろ手に縛る、ということを、頻繁にするようになった。

ある時のことである。
京子のアパートで、夕食をした後。
「哲也さん。今日は、縛ったまま、帰って下さい。私。抜けてみせます」
と彼女は言った。
「哲也さんがいると、緊張してしまって・・・・。一人なら、きっと、抜けて見せます」
と彼女は、自信を持って言った。
「わかりました」
哲也は、優しく微笑んで、京子を、後ろ手に縛った。
そして、両足首も、まとめて、縛った。
そして、京子の後ろ手の、縄尻を、食卓のテーブルの脚の一本に、結びつけた。
そして、京子に目隠しをした。
「それでは、さようなら。見事、抜けられるよう、頑張って下さい」
そう言って、哲也は、京子の家を出た。
最寄りの、駅まで歩いて、電車に乗って、月夜の道を歩いて、哲也は、アパートに着いた。
もう、11時を過ぎていた。
哲也は、パジャマに着替え、歯を磨いて、ベッドの中に入った。
京子は、今、どうしているだろう、と思うと、なかなか、寝つけなかった。
どうしても、京子が、一人で、縛られて、縄と格闘している姿が、思い浮かんできて、眠れなかった。

翌日になった。
哲也は、起きると、真っ先に、京子のことを思った。
はたして、京子は、縄を抜けられただろうか、それとも、抜けられなかった、だろうか?
もし、京子が、縄を抜けられたのなら、スマートフォンで連絡してきているだろう。
連絡がないということは、縄を抜けられていない、ということだろう。
と、哲也は、考えたが、もしかすると、連絡しないで、会社に出社して、「見事、抜けられたわよ」と、哲也に、勝ち誇こる、ということも、考えられると、思った。
京子の、悪戯っぽい性格なら、それも、十分あり得ることだ。と哲也は思った。
しかし、やはり、京子を心配する気持ちの方が勝った。
哲也は、出社時刻より、早めにアパートを出て、京子のアパートに行った。
ピンポーン。
哲也は、京子の部屋のチャイムを鳴らした。
しかし、返事がない。
哲也は、京子の部屋の合鍵を持っていたので、それで、部屋を開けた。
「おはようございます。京子さん」
哲也は、元気に声をかけた。
しかし、返事がない。
哲也は、部屋に入った。
驚いた。
なぜなら、京子が、昨日、縛ったままの状態で、床に、伏していたからだ。
後ろ手の縛めも、足首の縛めも、昨日のままで、食卓のテーブルに、後ろ手の縄尻が縛りつけられている。
そして、我慢できなかったのだろう。
床は、京子の小水で濡れていた。
哲也は、急いで、京子の元に行った。
「京子さん。京子さん」
哲也は、京子の体を激しく揺すった。
京子は、ムクッと顔を上げると、充血した目を哲也に向けた。
「ああ。哲也さん。ダメでした。抜けられませんでした」
京子は、弱々しい声で、言った。
「京子さん。ごめんなさい」
哲也は、とりあえず、謝った。
そして、すぐに、京子の、後ろ手の縛めを解き、足首の縛めも解いた。
「ありがとう。哲也さん」
京子は礼を言った。
京子は、ムクッと起き上がると、急いで、箪笥から、替えの下着と、制服を持って、風呂場に行った。
シャーと、シャワーの音がした。
哲也は、その間、雑巾で、床の小水を拭いた。
しばしして、京子が出てきた。
京子は、会社の制服を着ていた。
「京子さん。つらかったでしょう?」
濡れた髪をバスタオルで、拭いている京子に、哲也は、言った。
「いえ。本当に、監禁されたみたいで、哲也さんが、助けに来てくれるのが、待ち遠しくて、何だか、気持ちよかったです」
京子は、髪を拭きながら、笑って言った。
「でも、哲也さんが、早く来て下さって、助かりました」
京子は、ニコッと笑って言った。
「では、会社に行きましょう」
「ええ」
二人は、一緒に、アパートを出た。

年の瀬が近づいた、ある日のことである。
京子が、哲也のデスクにやって来た。
「あ、あの。哲也さん」
「はい。何でしょうか?」
「年末年始の予定は、おありでしょうか?」
「い、いえ」
「実は、私。年末は、大学時代の友人と、二人で、JTBの、大晦日から、一泊二日の、ハワイのパック旅行に、行こうと、チケットまで、買って、予約してしまったんです。でも、友人の母親が、脳梗塞を起こして、実家に、帰らなくては、ならなくなってしまったんです。それで、ホテルも、飛行機も、二人分として、予約していたので、相手がいなくて、困っているんです。もし、哲也さんが、よろしかったら、一緒に行って貰えないでしょうか?」
と京子が言った。
「は、はい。僕は、年末年始は、寝て過ごそうと思っていたので、予定は、ないです」
と哲也は、答えた。
「嬉しい。哲也さんと、ハワイに行けるなんて。旅行は、一人で行っても、さびしいものですから」
そう言って、京子は、旅行のパンフレットを渡して、ルンルン気分で、自分の席に戻って行った。

哲也は、その晩、眠れなかった。
無理もない。
二人のパック旅行となれば、ホテルの部屋は、一緒である。

哲也は、夜、京子と一緒の部屋に寝ることになる。
ベッドはツインだが、男と女が、一緒の部屋で、過ごす、ことを想像すると、哲也は、心臓がドキドキしてきた。
内気な哲也は、今まで、彼女を作ることが出来なかった。
なので、なおさら、である。

大晦日になった。
二人は、電車で羽田空港に行った。
「哲也さんは、海外に行ったことは、ありますか?」
京子が聞いた。
「いえ。ないです。これが初めてです」
と哲也は、答えた。
羽田空港に着いた。
出発のフライトの予定時間の、30分前だった。
ゲートが開いて、二人は、飛行機に乗った。
二人は、並んで、窓際の席に着いた。
飛行機は、勢いよく加速して、離陸した。
離陸した瞬間だけ、フワッと、体が浮いた感じがした。
飛行機は、旋回しながら、だんだん高度を上げていった。
羽田空港の近辺の街の、点灯している、明かりが、人々の生活の営みを感じさせた。
「ああ。あそこで、人々が働き、生活しているんだな」
という実感。である。
自分も、いつもは、あの小さな光の中の一つなのだ、と思うと、自分が、ちっぽけな存在のように思われたが、今、高い所から、見下ろすと、何だか、自分が、彼らより、精神的にも上になったような、気分になった。
ジャンボジェット機は、かなり高くなっているが、それでも地上の様子は、よく見えた。
やがて、千葉の九十九里浜を過ぎて太平洋に出ると、あとは、真っ暗な海で、何も見えなくなった。
羽田から、ハワイまでは、7時間である。
機内食を食べた後、隣りの京子は、クークー寝てしまった。
哲也は、緊張して、なかなか寝つけなかったが、二時間くらいすると、眠くなってきて、寝てしまった。
しかし、哲也は、眠りが浅いので、少し寝ただけで、目を覚ました。
外を見ると、真っ暗だった、空と海が、わずかなオレンジ色になっていた。
空と海は、ゆっくりと、明るさを増していった。
そして、やっと、水平線の彼方から、太陽が顔を現した。
哲也は、トントンと、隣で、気持ちよさそうに、寝ている京子の肩を、ちょっと叩いた。
京子は、寝ぼけ眼を開いた。
「京子さん。日の出ですよ」
気持ちよさそうに寝ている、京子を起こすのは、迷ったが、あまりにも、日の出が、美しいので、哲也は、京子にも、それを見せたかったのである。
京子は、窓の外を見た。
「あっ。本当。きれいね。ありがとう。哲也さん。起こしてくれて」
と京子は言った。
やがて、ハワイ諸島が見えてきた。

やがて、飛行機は、ホノルル空港に着陸した。
空港から、ホテルまでは、JTBが用意した、バスで行った。
ホテルは、十二階建てで、ワイキキビーチに面して、ズラリと並んでいる、部屋から、海が見える豪華なホテルではなかったが、格安パック旅行にしては、かなり、いい部屋だった。ワイキキビーチには、歩いて、5分で行ける距離だった。
哲也にとって、嬉しかったことは、ワイキキビーチ沿いの、高級ホテルのプールは、レジャープールばかりで、本格的に、泳げないか、ここのホテルには、15mくらいだが、水深2mと深く、長方形で、泳げることが、出来る、プールがあることだった。
というか、ある程度、泳ぐことを、目的として、作られたプールだった、ことであった。
「わあ。いい部屋ですね」
京子は、部屋を見ると、嬉しそうに言った。
トイレが手前にあって、その奥が、風呂場となっていた。
京子は、すぐに、風呂場に行った。
すぐに京子が出てきた。
京子は、ピンク色のビキニを着ていた。
哲也は、その姿を、見て、思わず、うっ、と声を洩らした。
京子のビキニ姿が、あまりにも、セクシーで、美しかったからである。
スラリと伸びたしなやかな脚。細い華奢なつくりの腕と肩。細くくびれたウェスト。それとは対照的に、尻には余剰と思われるほど、たっぷりとついた弾力のある柔らかい肉。日常生活で、邪魔になりそうに見えてしまう大きな胸。それらが全体として美しい女の肉体の稜線を形づくっていた。
「哲也さん。ワイキキビーチに行きませんか?」
京子は、そう言って、哲也を誘った。
「は、はい」
哲也も、風呂場で、トランクスを履いた。
京子は、ビキニの上に、ショートパンツを履いていた。
京子と、哲也は、アロハシャツを羽織って、ワイキキビーチに行った。
ワイキキビーチは、各国からの観光客で一杯だった。
京子は、砂浜にビニールシートを引いて、そこに横たえて、うつ伏せになった。
「哲也さん。オイルを塗って下さらない?」
「ど、どこにですか」
「もちろん体全部です」
哲也は、おぼつかない手つきで足首から膝小僧のあたりまでプルプル手を震わせながらオイルを塗った。それ以上はどうしても触れられなかった。変なところに触れて京子の気分を損ねてしまうのが恐かった。
「あん。そんなんじゃなくって、水着以外のところは全部ちゃんと塗って」
京子が不服そうに言った。
哲也は、 今度はしっかりオイルを塗ることが義務感になった。哲也は、彼女に嫌われたくない一心からビキニの線ギリギリまで無我夢中でオイルを塗った。
哲也の、股間の、ある部分が、硬く、尖り出した。
幸せ、って、こういうものなのだな、と哲也は、つくづく思った。
哲也は、出来ることなら、時間が止まって、いつまでも、こうしていたかった。
京子は、夏と海外の解放感に浸って、目をつぶって、じっとしている。
哲也は、せっかく、ワイキキビーチに来たんだから、泳ごうかとも思ったが、ワイキキビーチは、そうとう、遠くまで、遠浅で、これでは、泳いでも、全然、つまらないと、思って、海水に、ちょっと、足を浸すだけにした。
哲也は、京子が、咽喉が渇いているだろうと、思って、
「京子さん。飲み物は、何がいいですか?」
と聞いた。
「オレンジジュースがいいです」
と京子は、うつ伏せのまま、答えた。
哲也は、急いで、近くの、ABCストアーに行って、オレンジジュースを二つ、買ってきた。
ハワイには、自動販売機がなかった。
哲也が、京子に、オレンジジュースを渡すと、京子は、
「ありがとう。哲也さん」
と言って、二人で、オレンジジュースを、飲んだ。
二時間くらいして、京子は、ムクッと起き上がった。
「哲也さん。そろそろ、ホテルにもどりませんか?」
京子が言った。
「はい」
哲也が答えた。
二人は、立ち上がって、ホテルにもどった。
京子が、着替え、と、オイルを洗い流すため、風呂場に入った。
シャーと、シャワーの音がした。
哲也の目に、開きっぱなしの、京子のバッグが目についた。
哲也は、そっと、バッグの中を覗いてみた。
中には、京子のパンティーとブラジャーが、無造作に、投げ込まれてあった。
京子が、ビキニに着替えた時、脱いだパンティーとブラジャーである。
哲也は、思わず、ゴクリと唾を呑んだ。
京子は、日焼け用オイルをおとすために、少し時間が、かかるだろうと哲也は、思った。
哲也は、京子の、パンティーを、取り出すと、鼻先を、京子の、パンティーに当てて、スーと鼻から空気を吸い込んだ。
京子の、女の部分の匂いが、わずかにして、哲也は、それに陶酔した。
シャワーの音がピタッっと、止まったので、哲也は、あわてて、パンティーをバッグに戻した。
京子は、裸の体に、バスタオルを一枚、巻きつけただけの格好だった。
「哲也さん。どうぞ」
と、京子は、濡れた髪をタオルで拭きながら、言った。
「は、はい」
哲也は、あわてて返事して、風呂場に入った。
哲也も、シャワーを浴びて、トランクスを履いて、アロハシャツを着た。
その後、二人は、JTBのトロリーバスに乗って、ホノルル市内を見て回った。
その晩は、近くの、レストランで、ハワイ料理を食べた。
京子は、酒を飲めるが、哲也は、酒を飲めないので、コーラを飲んだ。

夜になった。
「疲れちゃった。私、寝るわ」
そう言って、京子は、ツインの、一方のベッドにもぐった。
哲也も、もう一つのベッドに、もぐった。
「おやすみなさい」
京子が言った。
「おやすみなさい」
哲也が言った。
哲也は、緊張していたが、飛行機でフライト中に、あまり、眠れなかったため、いつしか、深い眠りに就いていた。

朝の光が、差し込んでくる早朝、哲也は、目を覚ました。
哲也は、吃驚した。
なんと、京子が、哲也の布団にもぐりこんでいて、からだ。
京子は、ギュッと、哲也の腕をつかんでいた。
「おはよう。哲也さん」
京子が言った。
「おはようございます」
哲也が答えた。
「夜中に目を覚まして、さみしかったから、こっちに来ちゃったの。ごめんなさい」
京子が言った。
「い、いえ」
哲也は、極力、平静を装おうとした。
「男と女が、一緒に、ハワイ旅行して、一つの部屋に泊まったのに、何もなかったって、いうの、さびしい、と思いませんか?」
京子が聞いた。
「そ、そうですね」
哲也が言った。
「じゃ、もう少し、こうしていても、いいですか?」
京子が聞いた。
「え、ええ」
哲也が答えた。
「嬉しい。哲也さん。哲也さんの体、少し、触ってもいいですか?」
京子が聞いた。
「え、ええ」
哲也は、困ったが、京子の頼みに、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
京子の手が、哲也の体の方に伸びてきた。
吃驚したことに、京子の手は、哲也のブリーフの上から、金玉に伸びてきたのである。
「ああっ。そ、そこは・・・」
そこは止めて下さい、と、哲也は、言いたかったのだが、哲也は、京子の頼みに、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
京子は、ふふふ、と、笑いながら、哲也の金玉を、揉んだ。
「ああ。気持ちいいわ。男の人の、金玉って、プニョプニョしてて、弾力があって、握っているだけで、気持ちいいわ」
京子は、そんなことを言った。
哲也は、うっ、うっ、と言いながら、歯を食いしばって我慢した。
だんだん、哲也の、マラが勃起してきた。
「わあ。すごい。おちんちん、が、大きく、硬くなってきたわ」
京子は、そう言って、哲也の、おちんちん、をさすり出した。
「ああっ。そ、そんなことは・・・」
そんなことは止めて下さい、と、哲也は、言いたかったが、哲也は、京子のする行為に、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
「哲也さん。私だけ、一方的に、哲也さんの体を触って、ごめんなさい。哲也さんも、私の体を触って下さい」
京子は、そう言って、ホテルの浴衣を脱いだ。
京子の、浴衣の下は、パンティーだけだった。
「哲也さんも、浴衣を脱いで」
京子が言った。
「は、はい」
哲也は、京子に、言われて、浴衣を脱いだ。
哲也も、浴衣の下は、ブリーフだけだった。
これで、哲也は、ブリーフだけ、京子は、パンティーだけの姿になった。
哲也は、そっと、手を伸ばして、京子の体に触れた。
柔らかくて、温かくて、最高の感触だった。
哲也は、京子の体のラインを、そっと撫でた。
「哲也さん。胸でも、どこでも、触って、下さっていいのよ」
躊躇している、哲也に、京子が、言った。
哲也は、そっと、京子の、乳房に手を当てた。
「ああっ。感じる」
京子は、小さく言った。
哲也が、京子の乳房や乳首を触っているうちに、だんだん、京子の乳首が勃起してきた。
「て、哲也さん」
「は、はい」
「乳首を舐めて下さいませんか?」
京子が、大胆なことを言った。
「は、はい」
京子は、掛け布団をベッドから降ろした。
そして、ベッドの上に仰向けになった。
「さあ。やって」
「は、はい」
哲也は、京子の体の上に乗って、京子の乳房を揉んだり、乳首を口に含んだりした。
「ああっ。感じちゃう」
京子は、髪を振り乱して、言った。
哲也は、こんなことが出来る機会は、これを逃したらないと、思い、一心に、京子の乳首を舐めたり、大きな尻を触ったりした。
そして、ガッシリと、力強く、京子を抱きしめた。
「ふふふ。哲也さん。何だか、私たち、ハネムーンみたいね」
と、京子は、悪戯っぽい口調で言った。
「でも、嬉しいわ。これで、旅行が、ロマンティックな思い出になったわ」
と京子が言った。
「僕も、そうです」
と哲也も言った。
「あの。哲也さん。この旅行のことは、帰国したら、夢だったと思うことにしませんか?」
と京子が言った。
「ええ。そうしましょう」
と哲也も同意した。
哲也は、何もかも忘れて、京子を抱きしめた。
とても心地よかった。
哲也は、出来ることなら、ずっと、こうして、いたかった。

時計を見ると、7時になっていた。
一泊二日の旅行なので、今日が帰国日である。
しかし一泊二日といっても、二人は、もう十分、ハワイを満喫した。
9時に、ホノルル空港行きの、JTBのバスに乗るために、ハイアット・リージェント・ホテルの前に集合しなくてはならない。
「京子さん。そろそろ、出発の準備をしましょう」
哲也が言った。
「ええ」
と京子も答えた。
二人は、ベッドを出た。
そして、服を着て、荷物をまとめた。
二人は、昨日、ABCストアーで、買っておいた、耳つきの、BLTサンドイッチと、紅茶を食べて、飲んだ。

そして、二人は、ホテルをチェックアウトして、ハイアット・リージェント・ホテルの前に行った。
帰りのフライトは、行きと違って、少し、さびしかった。
しかし、ともかく、こうして、二人のハワイ旅行は、無事に終わった。

単調な、いつもの生活にもどった。
ハワイから、帰ってきて、最初の昼休み。
哲也は、ウキウキして、京子の所に、弁当を貰いに行った。
「京子さん。お弁当、下さい」
と哲也は、言った。
しかし、京子は、
「ごめんなさい。お弁当は、作ってきませんでした」
と、そっけなく言った。
「そうですか。わかりました」
と言って、哲也は、近くの、コンビニに行って、コンビニ弁当を買って食べた。
しかし、それなら、どうして、携帯で、あらかじめ、教えて、くれなかったのだろうと、思ったが、まあ、こういうことも、あるものだ、と哲也は、気にしなかった。

しかし、京子は、次の日も、その、次の日も、弁当を持って来てくれなかった。
哲也が、わけを聞くと、
「ごめんなさい。哲也さん。ちょっと、わけがあって、哲也さんの、お弁当は、作れなくなって、しまいました。ごめんなさい」
と、京子は言った。
哲也は、残念に思ったが、女心と秋の空、というように、女は、何か、ちょっとしたことで、気分が変わることが、あるので、仕方ないな、と思って、あきらめた。

しかし、京子の、哲也に対する態度の変化は、弁当だけでは、なかった。
ハワイから、帰国してから、京子は、哲也を、夕食に誘うこともなくなった。
しかし、京子には、哲也を嫌っている様子もない。
京子の、哲也に対する、気持ちに、何か、微妙な、変化が起こったのだろうと、哲也は、思ったが、哲也は、京子に嫌われたくないので、問い詰めることは、しなかった。
哲也は、また、孤独になってしまった。

京子が、昼休み、皆と、楽しそうに、バレーボールを、している姿を、見ると、哲也に、複雑な感情が起こった。
それは、京子と親しくなる前の、京子に対する感情である。
京子の、天真爛漫な笑顔は、まさに天女であり、女神であり、崇拝の対象だった。
天女が笑顔で、バレーボールをしている姿は、無上に魅力的だった。
まあ、きっと、いつか、京子も、気が変わって、また、付き合ってくれるだろうと、哲也は、思った。

哲也は、ハワイで、京子の、ビキニ姿を見た。
ベッドで、ペッティングまでした。
京子の、体に、触れたのだ、と哲也は、無理に自分に言い聞かせた。

哲也は、夜、ベッドに就くと、京子のビキニ姿や、京子とペッティングした事が思い出されてきた。
人間は、絶えず、時間と共に進行し、現在の一瞬だけを生きているから、現在の、その人が、紛れもない、その人であって、過去のその人は、もはや、存在しないのである。
京子との、二人のハワイ旅行は、もはや、思い出、という、過去の記憶に変わっていた。
現在の京子は、といえば、悩ましい制服を着た、手の届かない、悩ましい美人社員なのである。
だんだん、その思い出に浸っているうちに、哲也は、興奮してきて、オナニーするようになった。
もっと、ハワイでの、ペッティングの時は、京子のパンティーの中に、手を入れたり、さらには、パンティーを脱がしてしまっても、よかったと、哲也は、後悔した。
自分は、女に消極的すぎたのだ。あの時なら、京子のパンティーの中に、手を入れても、京子は、何とも言わなかっただろう。
哲也は、それを、後悔すると、同時に、想像で、京子のパンティーを脱がし、激しい、ペッティングをしている場面を想像した。
それによって、哲也は、激しい興奮と、ともに、大量の精液を放出した。

会社での京子の態度は、変わらない。
京子は、哲也を、避けている、とか、嫌っているような、態度は、とらない。
しかし、以前のように、特別、親しく話しかけてくることもない。

哲也は、悩まされ、毎日、オナニーをするようになってしまった。

とうとう、哲也は、我慢できなくなり、ある日、京子に、ダメで、元々、の覚悟で、京子に話しかけてみた。
「京子さん。今日、久しぶりに、京子さんの、アパートに行っても、いいでしょうか?」
と哲也は、勇気を出して聞いてみた。
すると、京子は、以外にも、あっさりと、
「ええ。いいです」
と答えた。
哲也は、京子の、予想外の返事に、驚くと同時に、飛び上がらんばかりに、狂喜した。
女は、何を考えているのか、わからないものだな、と哲也は、思った。

その日、会社が終わると、二人は、電車に乗って、京子の、アパートに行った。
久しぶりだった。
京子の、心がわからないので、哲也は、電車の中で、京子に話しかけなかった。
京子のアパートに着いた。
京子は、以前と、同じように、哲也に、料理を作って、出してくれた。
「ありがとう」
と言った。
京子は、哲也と、一緒に、晩御飯を食べた。
食事が終わった後。
哲也は、
「京子さん。また、護身術の練習をしてみませんか?」
と勇気を出して聞いてみた。
京子は、以外にも、
「はい」
と答えた。
哲也は、京子の、予想外の返事に、驚くと同時に、飛び上がらんばかりに、狂喜した。
女は、何を考えているのか、わからないものだな、と哲也は、思った。
「さあ。京子さん。立って下さい」
哲也が、言うと、京子は、スクッと立ち上がった。
久しぶりに、京子を触れる、機会である。
この次、いつ、京子を、触れるか、わからない。
そう思うと、哲也は、今回は、たっぷりと、京子を弄んでやろうと、思った。
「京子さん。今日は、あなたのような、きれいな女の人の家に、強盗が入った時に、実際に、どうするかを、想定して、実践的にやりたいと思います。いいですか?」
哲也が聞いた。
「は、はい」
京子は、素直に返事した。
哲也は、ナイフを取り出した。
「さあ。着ている物を、全部、脱いで、裸になって下さい。きれいな、女の人は、痴漢に襲われた時のために、そなえて、合気道的な、護身術を、身につけている場合が、かなりあります。しかも、非常事態ですから、火事場のバカ力が出ますから、女といっても、あなどれません。だから、実践では、男は、いきなり、女の人に、抱きつこうとは、しません。関節を取られて、格闘になったり、悪い場合には、取り押さえられたりしてしまうことも、あり得ます。それに、防犯ブザーや、ナイフや、シャープペンなどの、尖った物を、服の中に、隠し持っている場合もあります。特に、最近は、小型の防犯用品が、たくさん、売られていますから、なおさらです。だから、女の人を、襲う場合、距離をとって、ナイフで、脅して、まず、丸裸にするものです」
と、哲也は、もっともらしく、説明した。
「は、はい」
今日は素直に返事して、服を脱ぎ出した。
ブラウスを脱ぎ、スカートを脱ぎ、そして、ブラジャーを外し、パンティーを、脱いで、一糸まとわぬ丸裸になった。
京子は、恥ずかしそうに、ボッティチェリのビーナスの誕生のように、片手で、乳房を隠し、片手で、女の恥部を隠した。
哲也は、京子の服を、自分の方に、引き寄せた。
そして、念入りに、京子の、服を調べた後、おもむろに、
「ふむ。凶器になるような、物は、ないですね」
と、哲也は、もっともらしく言った。
「さあ。両手を後ろに回して、背中で、手首を重ね合せて下さい」
哲也が命令的に言った。
「は、はい」
京子は、哲也に命じられたように、両手を後ろに回して、背中で、手首を重ね合せた。
哲也は、重ね合った、京子の、手首を、縄で縛った。
「女性が、関節の逆とり、や、肘鉄砲などで、抵抗しないよう、プロの強盗は、女に命じて、自分で、両手を後ろに回さしてから、縛るものです」
と、哲也は、もっともらしく、説明した。
「さあ。床に仰向けに寝て下さい」
哲也は、次に、京子に、そう命じた。
京子は、哲也に、言われたように、後ろ手に縛られたまま、床に仰向けに寝た。
「そう。それで、いいんです」
哲也は、そう言って、京子に抱きついた。
そして、京子の髪を優しく撫でた後、首筋、に優しくキスしたり、乳房を、優しく揉んだり、乳首を、つまんで、コリコリさせたり、口に含んで、舌で、転がしたりした。
「ああー」
京子は、喘ぎ声を上げた。
京子の乳首が、だんだん、尖っていった。
哲也は、京子の、女の穴に、指を入れて、Gスポットを、探り当て、ゆっくりと、そこを刺激した。
もう片方の手で、京子の乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせながら。
「ああー」
京子は、また、喘ぎ声を上げた。
京子のアソコが、クチャクチャと音を出し始め、トロリとした、愛液が出始めた。
哲也は、女の穴に、入れた指を、ゆっくりと、指を、前後に、動かし出した。
「ああー」
京子は、悲鳴を上げた。
京子の、アソコは、クチャクチャと、音を立てている。
そして、京子のアソコから、粘稠な、白濁液が、ドロドロと、出てきた。
哲也は、その間も、あいかわらず、京子の顔を上から覗き込みながら、乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせた。
哲也は、指の振動を、いっそう、激しく、速めた。
「ああー。いくー」
「ああー。出ちゃうー」
京子が悲鳴にも近い声で叫んだ。
哲也は、サッと、京子の、女の穴に入れていた、指を抜いた。
京子のアソコから、激しく、潮が吹き出した。
それは、放射状に、何度も、大量に放出された。
京子は、しばし、ガクガクと、全身を痙攣させていた。
「京子さんの、潮吹き、って、凄いですね」
と、哲也は言った。
「ふふふ。京子さん。女の家に入った強盗は、決して、荒々しく、乱暴に、女を犯したりは、しません。極力、女を、優しく扱います。拉致したり、人質にしたりしたら、犯人と、被害者という関係でも、話をして、一緒に過ごしているうちに、一種の、特殊な人間関係が、出来ます。これを、ストックホルム症候群、といって、これを良好な関係にしておくことが大切なのです。犯罪を成功させるために」
と、哲也は、もっともらしく、言った。
「では、京子さん。立って下さい」
と、哲也が言った。京子は、
「はい」
と言って、後ろ手に縛られた、素っ裸のまま、立ち上がった。
京子は、後ろ手に縛られて、素っ裸、で、今度は、何をされるのかと、オドオドしている。
後ろ手に縛られているため、胸と恥部を隠すことが出来ないので、京子は、恥ずかしそうに、体をモジモジさせている。
「京子さん。動いちゃダメですよ」
哲也は、そう言ってから、ズボンの、ベルトを、引き抜いて、京子の、豊満な、柔らかい尻を、思い切り、ビシーンと、鞭打った。
「ああー」
京子は、今度は、苦痛の悲鳴を上げた。
尻が、ピクピク震えている。
「京子さん。絶対、動いちゃダメですよ」
そう言って、哲也は、立て続けに、京子の尻を鞭打った。
ビシーン。ビシーン。ビシーン。
「ああー。許して―」
京子は、何度も、叫び声を、張り上げた。
ある程度、鞭打ったところで、哲也は、鞭打ち、を、やめた。
京子の尻には、赤い線が、鞭打たれた所に出来ていた。
「さあ。京子さん。今度は、うつ伏せに、寝て下さい」
哲也が命じた。京子は、
「はい」
と言って、床に、うつ伏せに寝た。
「痛かったでしょう。ごめんなさい」
哲也は、そう言って、京子の、後ろ手の縄を解いた。
そして、濡れたタオルを持って来て、京子の尻を、丁寧に、拭いた。
そして、京子の尻に、優しくチュッ、チュッと、キスをした。
「京子さん。拉致犯人は、こうやって、つかまえた女を、一度は、意地悪く、いたぶる、ことも、しておくものです。優しいだけではなく、いうことを聞かなかったら、こういう目にあわすぞ、ということを、わからせて、おくためです。つまり、ビスマルクのアメとムチの政策です」
と、哲也は、もっともらしく言った。
哲也は、うつ伏せの、京子を、丁寧に、優しく、マッサージして、全身を揉みほぐした。
時計を見ると、もう、終電ちかい時刻だった。
「京子さん。もう、終電が近いので、終わりにしましょう。僕は、帰ります」
哲也は、そう言って、京子に、パンティーを、履かせ、ブラジャーをつけた。
京子は、疲れ果てた様子で、グッタリしていて、哲也のなすがままに、されていた。
哲也は、さらに、京子に、ブラウスと、スカートを着せた。
京子は、まるで、着せ替え人形のようだった。

「京子さん。今日は、鞭打ったりして、ごめんなさい」
そう言って、哲也が去ろうとした時である。
「待って。哲也さん」
京子が呼び止めた。
「はい。何でしょうか?」
「哲也さん。気持ちよかったですか?」
京子が聞いた。
「はっ?」
哲也には、京子の質問の意図が、わからなくて、何と答えていいか、わからなかった。
「私は、すごく、気持ちよかったです」
京子は、ニコッと笑って言った。
「はっ?」
哲也には、京子の態度が、どうして急変したのか、わからなかった。
「今まで、冷たくして、ごめんなさい」
京子は、深々と頭を下げて謝った。
「どういうこと、なんでしょうか?」
哲也は、わけが、わからなくて、遠慮がちに聞いた。
「私の計画を正直に話します」
そう言って、京子は、語り出した。
「哲也さん。今まで、つめたくして、ごめんなさい。正直に白状します。私は、哲也さんと、ハワイで、ペッティングしましまた。私は、その後、哲也さんの気持ちが、ほぐれて、私に対する気持ちに、緊張感がなくなって、惰性的になって、しまうのを、怖れたんです。男と女の関係は、言いたいのに、言い出せない、ためらい、の気持ちがある方が、緊張感があって、良いと私は思っているのです。そうすれば、いつも、新鮮な気持ちでいられます。芸能人でも、一般の人でも、離婚してしまうのは、相手に対する、遠慮がなくなって、惰性になってしまうからです。どんなに、魅力的に見える相手でも、惰性で、馴れ合いになってしまって、相手に、遠慮する気持ちがなくなって、しまうと、厭き、が、起こります。私は、それが、嫌だったんです。私は、哲也さんとは、いつまでも、新鮮な関係でいたかったんです。それと、哲也さんに、犬の、おあずけ、のようなことをして、優越感に浸りたかったんです。いつまでも、哲也さんの、憧れの女でいたかったんです。それと、一度、哲也さんを、怒らせて、本当に虐められてみたかったんです。それと、哲也さんの意志で、愛撫されたかったんです。今まで、つめたくして、ごめんなさい」
京子は、穏やかな口調で語った。
哲也は、ほっと、溜め息をついた。
「そうだったんですか。京子さんが、そんな、計算をしていたとは、知りませんでした。僕は、まんまと、京子さんの、計画に、はまってしまっていたんですね。でも、京子さんの気持ちを知れて、僕も、安心しました」
哲也は、言った。
「でも、もう、タネあかしを、してしまいましたから、これからは、哲也さんを、悩ませることは、出来ませんね」
京子は、残念そうな口調で言った。
「いえ。そんなことは、ありませんよ」
哲也は、咄嗟に否定した。
「僕も、本心を言います。さっき、京子さんを、鞭打ってる時、僕は、サディストになりきっていました。苦痛に、悲鳴を上げる京子さんは、たまらなく、美しく、愛おしかったでした。また、京子さんを、触れるのは、今度は、いつになるのか、わからない。もしかすると、もう一生、触れないかもしれない、これが最後の期会かもしれないと、思っていたので、思う存分、夢中で京子さんを、弄んでいました。僕が、本当の強盗なら、こうしますよ、と言っていたのは、ウソです。本当の強盗なら、こうする。という口実で、僕は、京子さんを、弄び尽くしていたのです」
哲也は、そう言ってから、さらに、もう一言、つけ加えた。
「でも、京子さんの考えも、もっともです。恋愛も、馴れ合いになってしまうと、新鮮さ、が、なくなってしまいます。ですから、これからも、距離をおいて、下さって、一向に、構いません」
「嬉しい。きっと、哲也さんは、そう言ってくれると、思っていました。では、昼の、お弁当は、私の気の向いた時に、作ることにします。私のアパートに来ることも、私の気の向いた時に、呼ぶようにします。それで、いいでしょうか?」
京子が聞いた。
「ええ。もちろん、構いません」
哲也が答えた。
「ところで、京子さんは、僕が、ハワイや、それまで、京子さんに、遠慮していたのが、物足りなかったのですね?」
哲也が聞いた。
「え、ええ。そうです。哲也さんの、遠慮した、思い遣りのある、態度も、嬉しかったんですけれど、ちょっと、あまりにも、煮え切らない態度に、満足感を得られなくて、もっと、能動的に、責めて欲しいとも、思っていました。普通、ハワイの時のように、男と女が、一つの部屋で、寝たら、草食系の男の人でも、女に抱きついてきますよ。そんなことをしないのは、哲也さんくらいですよ。でも、そういう超草食系男子の性格だから、私は、哲也さんが、好きなんです」
京子は、さらに、続けて言った。
「女は貞淑などと、思っている男の人も、多いかもしれません。確かに、女は、男の人のように、いつも、発情は、していません。しかし、女は、いったん、性欲の火がつくと、女は男、以上に、物凄く、淫乱になってしまうんです。動物の、発情期と似ていますね」
と、京子が自嘲的に言った。
「そうですか。それなら、今度、その気になって、僕を呼んでくれたなら、その時には、僕は、本気で、思い切り、京子さんを責めます。僕は、京子さんに、嫌われたくないので、今まで、消極的に振舞っていましたが、僕の心にも、女の人を、徹底的に、弄びたい欲求は、あります。ただ、京子さんに、嫌われたくない一心で、僕の中の肉食系男子の、野獣を飼い慣らしていただけです」
哲也は、そう言った。
「そうですか。本気になった、哲也さんが、どうなるのか、わからなくて、ちょっと、こわいですけれど、もう、すでに、私は、そのスリルに、ゾクゾクしています」
と、京子は言った。




平成27年6月5日(金)擱筆

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秋田なまはげ旅行 (小説)

2020-07-09 13:04:22 | 小説
秋田なまはげ旅行

「泣く子はいねだが」と言って、鬼の面をつけ、蓑を被り、包丁を持って、突然、家に入ってきて、「泣く子はいねだが」と叫んで、その家の住人を威嚇する伝統行事が、秋田の、なまはげ、である。これは、年の暮に行われる。なんで、鬼が来るかというと、鬼は、怖い物のようなイメージがあるが、実は、鬼は福をもたらす存在なのである。節分の時、「鬼は外。福は内」と言って豆をまくが、あれは、実は、鬼は福をもたらしてくれる、ありがたい存在であり、「鬼を、家の中に入ってくれるよう、呼びよせるために豆を撒くのである。しかし、鬼は角が生えており、怖い風貌から、いつの間にか、怖い、悪い物という意味に変わってしまったのである。言葉の意味が変わったら、新しい意味の方を使わねばならなくなる。
・・・・・・・・・
順子と京子は、会社の同僚である。新卒で今年の春、入社したばかりで、新入社員の給料は、低い。二人は相性が良く、すぐに親しくなった。
「順子。今年の正月は、どうやって、過ごそうか」
京子が、隣りの席に座っている順子に聞いた。
「そうね。スキー場は、混んでるし・・・。初詣にでも、行かない?」
順子が答えた。
「でも初詣も混んでるわ」
京子が否定的な意見を述べた。
「あっ。順子。面白そうなツアーがあるわ」
パソコンを操作していた京子が言った。
「なあに。それ?」
「秋田なまはげ旅館。二泊三日。豪華な郷土料理。旅費、宿泊費、なまはげショー付き、合計一万円だって」
「へー。安いわね。そういえば秋田は、まだ行ったことがなかったわね」
「残りあとわずか、って書いてあるわ」
「じゃあ、それにしましょう」
順子が言った。
「決まり。じゃあ、すぐに予約するわね」
そう言って、京子は携帯で、その旅館に電話をかけた。
「もしもし。ネットの広告で見たんですけど。秋田なまはげ旅館でしょうか?」
「はい。そうです」
相手が答えた。
「二人で泊まりたいんですけど、よろしいでしょうか?」
「ああ。誠にすみません。一週間前に全部、予約が決まってしまいまして。申し訳ございません」
相手がペコペコ頭を下げながら、話しているような光景がイメージされた。
「そうですか。わかりました」
そう言って、京子は携帯を切った。
「あーあ。残念だったわね」
「いい所は、早く決まっちゃうのは、仕方がないわ」
「じゃあ、どこかいい所がないか、また探すわ」
そう言って京子は、パソコンで、また年末年始のツアーを検索し始めた。
その時。
トルルルルル。
京子の携帯電話が鳴った。
「あっ。もしもし。寸刻前に電話を掛けて下さった方ですか?」
「はい。そうです」
京子は、発信者番号通知で、かけたのである。
「幸い。今、二人連れの客からキャンセルが入りました。もし、よろしければ、お泊り出来ますが、いかがいたしましょうか?」
相手が言った。
「はい。それは、すごく嬉しいです」
京子は、隣りの順子を見た。
「順子。いいわね?」
京子は順子の意志を確かめた。
「うん。異議なし」
順子に異論はなかった。京子は、携帯に口を当て、
「はい。それでは、お願い致します」
と元気に言った。
「二名様でございましょうか?」
相手が聞いた。
「はい」
京子は元気よく答えた。
「では、お名前と電話番号をうかがっても、よろしいでしょうか?」
「はい。佐々木京子と吉田順子の二人です。今、私は、自分の携帯電話でかけているので、電話番号は、今、そちらに表示されている番号です」
「わかりました。では、お待ちしております」
「よろしくお願い致します」
そう言って京子は、電話を切った。
「やったね。順子」
京子はガッツポーズをつくって嬉しそうに順子を見た。
「よかったわね」
順子も嬉しそうにニコッと笑った。
こうして、二人の年末の行き先が決まった。
一月一日と二日の二泊の、秋田なまはげ旅館である。
・・・・・・・・・・
二人は、それぞれ仕事にもどった。
「こら。仕事中に何を話しているんだ」
と課長に叱られた。
「ごめんなさい」
と言って京子と順子はペロリと舌を出した。
・・・・・・・・・・・・
大晦日になり、いよいよ仕事納めとなった。
「今年の我が社の経営は、政府の円安誘導により、まずまずだったが、今後の見通しは、不透明だ。来年からは、人件費を抑えるために、中国や東南アジアに生産工場を作る予定だ。来年も、皆も気を入れて頑張ってくれ」
と課長が言った。が、入社一年目の新入社員にとっては、自分達とは関係ないことだった。
・・・・・・・・・・
その日(大晦日)の仕事の後、二人は駅前の喫茶店に入った。
「はー。やっと、今年の仕事も終わったわね」
京子が、ホットココアを飲みながら言った。
「終わったといっても、休めるのは、正月の三日だけ。年が明けたら、また仕事だわ」
順子がホットレモンティーを一飲みして言った。
「ぜいたく言うもんじゃないわ。賃金の安い発展途上国の製造工場では、一日中、流れ作業じゃないの」
「そんなこと言ったら、途上国の人達に失礼じゃない。私たちは、まだ、恵まれている方だわ」
順子がホットレモンティーを啜りながら言った。
「でも、ヨーロッパでは、一ヶ月もサマーバカンスをとったりしているじゃない。どうして日本は、一ヶ月のサマーバカンスがとれないのかしら?」
「それは、プラザ合意によるバブル崩壊と不良債権と、リーマンショックの影響だからよ」
二人は、共に中堅私立大出で、それでも、京子は、120社、順子は、150社、回ったあげく、やっとのこと、この会社に内定がとれたのである。内定をとれるまでに、何度、自殺を本気で考えたことか。今の日本では、自殺も一つの就職先の選択肢の一つなのである。
特技といったら、順子がTOEIC=875で、京子は、美人で、日本語文章能力検定準二級だった。
「今夜はどう、過ごす?」
京子が聞いた。
「そうね。年越し蕎麦を食べながら、紅白歌合戦を見るんじゃないからしら」
「私も、そうだわ」
京子が相槌を打った。
・・・・・・・・・
「じゃあ、明日の10時に東京駅で会いましょう」
「ええ」
そう言って二人は別れた。レジは京子が払った。
二人は、その晩、それぞれ、家で年越し蕎麦を食べながら、紅白歌合戦を見た。
そして、それが終わり、「行く年、来る年」を見た。
・・・・・・・・・・・
年が明けて新年になった。
町は、コンビニ以外どこも、シャッターを閉めている。そして、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」と書かれている。車のナンバープレートに、注連飾りが取り付けられている車は少なく、それでも、10台に一台くらいは、注連飾りをした車もあった。初詣に行く人々も、たった三日の休みだが、どこか、仕事の荷が降りて、ほっとしているような、のほほんとした雰囲気である。
・・・・・・・・・・・・
京子と順子は、東京駅の東北新幹線の中央口で、お互い相手を見つけた。京子が先に来ていた。京子は順子を見つけると、大きく手を振った。
「京子。待った?」
順子が聞いた。
「ううん。私も、ちょうど今、来たところ」
二人は、東北、上越、長野、新幹線の改札を通った。東北新幹線は、全て指定席である。スキーやスノーボードを持った人や、帰省と思しき人達が、所狭しと、待合室を占めていた。新幹線の発車時刻には、まだ20分ある。待合室のロビーの正面の電光掲示板では、最前の新幹線が発車する時刻と行き先と発車時間が示されていて、発車時間ちょうどになると、次の新幹線が繰り上げられて表示された。次発の新幹線が先発に変わって、それに乗る客が数名、立ち上がって、待合室から出ていった。
ちょうど二人隣り合った座席が空いたので、二人は、そこに座った。
「順子。何か飲む?」
京子が聞いた。
「じぇあ、粒入りのお汁粉」
京子は、立ち上がって自動販売機に行き、二つ缶を持って戻ってきた。
「はい」
京子は順子に、粒入りのお汁粉を渡した。
「ありがとう」
京子は、ホットレモンだった。順子が、財布をバッグから取り出そうとすると、京子が手を振って制した。
「いいわよ。たかが130円」
「ありがとう」
二人は、缶の詮をプシュッと開け、コクコクと飲んだ。
「寒い時に、暖かい所へ行くのも、いいけれど、雪国に行くのもいいわね」
「そうね。冬は雪が降って積もっていると、何だか、冬らしい楽しい気分になるからね」
「東京では、ホワイトクリスマスなんて見れないけれど、クリスマスに雪が降ってくれたらロマンチックな感覚になるものね」
「でも、東北の人にしてみれば、雪は嫌なものでしかないんじゃないかしら」
そんなことを話している内に、電光掲示板の一番上が、京子たちの乗る、秋田新幹線の表示になった。
「京子。行きましょう」
順子が言った。
「待って。新幹線は、車内清掃で、発車時間の5分前くらにならないと開かないから、まだ開いてないわよ」
と京子が制した。
時計を見ると、発車時間まで、あと10分あった。その間、二人は、じっと待合室にある時計を見守った。
発車時間の5分前になった。
「行きましょう」
二人は、立ち上がって、地下の待合室を出て、エスカレーターで、プラットホームに出た。
もう、秋田新幹線は、来ていた。ちょうど、車内清掃が終わって、客がゾロゾロと乗り込んでいる所だった。
秋田新幹線こまち号は、東北新幹線の前に連結されている。二つ、連結された新幹線は、岩手県の盛岡駅まで、連結されたまま、一緒に走って、盛岡駅で、切り離され、秋田新幹線は、西方の秋田に向かって走り、東北新幹線は、そのまま北上して、新青森へ行くのである。
途中の停車駅は、盛岡までは、上野、大宮、仙台、盛岡、の4駅で、盛岡駅で、後ろに連結されている東北新幹線が切り離されて、秋田新幹線こまち号だけとなり、秋田へ向かうのである。秋田新幹線は、雫石、田沢湖、角館、大曲、と止まって終点の秋田に着く。

仙台までは、雪は少なかったが、仙台を過ぎて、岩手県に入ると、窓外の景色は、一面、雪で覆われていた。
「うわー。すごい雪ね」
二人は、嬉しそうに叫んだ。
盛岡駅で、秋田行きの、こまち号と、新青森行きの、はやて号に、分かれ、秋田に向かうと、窓外の雪は、一層、積もっていた。
・・・・・・・・・・
秋田新幹線が、終点の秋田駅に着いた。
「やっと、ついたわね」
「何だか、長かったわね」
二人は、それから、男鹿半島へ向かう男鹿線に乗り、約1時間で、終点の男鹿駅に着いた。男鹿線は、男鹿半島の右側に沿って走っている。
右手には、日本海があるが、沿線は住宅と防風林が視界を遮っており、車窓からは日本海が見えなかった。

男鹿駅では、二人を用意した旅館のバスが待っていた。回りは一面、雪で覆われている。
30位して、ようやく旅館に着いた。
「お客さんが、着きましたべ」
バスのザクザク雪を踏み鳴らす音で、わかったのだろう。旅館の主人が出て来た。頭の禿げた、かなり歳のいった、じいさんだった。
「こんにちは。初めまして。明けましておめでとうございます」
京子と順子は、笑顔で深々と頭を下げて挨拶した。
「よう来たべな。明けまして、おめでとうべな」
旅館の親爺も、嬉しそうに挨拶した。
・・・・・・・・・
二人は、親爺に案内されて部屋に入った。
「温泉があるべな。先に入るだがね。それとも、食事にするだがね?」
親爺が聞いた。
二人の腹がグーと鳴った。二人は、旅館での郷土料理を美味しく食べるために、新幹線の中でも、あえて駅弁を買わなかった。それでも、やはり長旅は、腹が減るので、ワゴンサービスが回って来た時、トッポを買って食べた。
「どうする?」
順子が京子に聞いた。
「そうね。まず温泉に入らない。寒くて仕方がないわ。温まってから、食事にしない?」
京子が、そう聞いた。
「そうね。そうしましょ」
順子が肯いた。
「そうかね。じゃ、案内するべ」
二人は部屋に入って、浴衣に着替えた。
そして親爺に案内されて、二人は、親爺の後についていった。
旅館から数分ほど歩いた所の、雑木林の中に露天風呂があった。
「ここは混浴じゃけんども、今日は、泊まり客は、あんたらしかおらん。安心して入りんしゃい」
そう言って旅館の親爺は、旅館に戻っていった。
・・・・・・・・・・
「へー。京子。ここ。混浴だって。水着、持ってきた?」
「一応、着けてきたわ。でも、誰も来そうもないし、裸で入っちゃいましょう」
「そうね。ふふふ」
二人は顔を見合わせて、ふふふ、と笑った。
二人は浴衣を脱いだ。浴衣の下はビキニだった。
二人は、ビキニも、脱いで、全裸になった。そして、ドボンと温泉に入った。
なんやかんや言っても、女は結局、みんな露出趣味があるのである。女が露天風呂に行きたがるのは、温泉が好きなのと、もう一つ、男に見られるかもしれない、というスリルを味わいたいためである。
「はー。いい気持ち」
「一年の疲れが、スッキリとれるような感じね」
二人は温泉に浸かりながら、そんなことを言い合った。
その時である。雑木林の中でカサッと物音がした。
「誰。誰かいるの?」
京子が、雑木林の方に向かって言った。しかし返事は返って来ない。
「熊かしら。狸かしら。きっと、何かの動物よ」
順子が言った。
「ちょっと私、見てくるわ」
そう言って京子は、湯から上がると、バスタオルを体に巻いて、音のした方へ歩んだ。
すると一本の木の裏に、少年が縮こまっていた。小学生くらいの、男の子だった。
「ボク。何をしているの?」
京子が問いかけると、少年は、逃げようとした。京子は、少年の手をつかんで逃げれなくした。
「ははあ。覗きにきたのね」
京子は笑って言った。
「ち、違います」
少年は即座に反駁した。
「じゃあ、何をしにきたの?」
「あ、あの。温泉に入りに来たんです。でも、あなた達、二人が入っていたから、入るのを、ためらっていたんです」
「どうして私達がいると入れないの?」
「そ、それは。この温泉は、入浴料、500円、旅館の主人に払って、断らないといけないからです」
「子供は200円よ。そんなの、私が払ってあげるから、入りなさいよ」
そう言って京子は、少年の手を引いて、露天風呂に連れてきた。
「さあ。遠慮しないで、入りなさい」
ためらっている少年に京子は強気の口調で言った。
・・・・・・・・・・
相手は女とはいえ、小学生の力では、大人の力にかなわない。
逃げられない、と少年は観念したのだろう。少年は服を脱ぎ出した。セーターを脱ぎ、厚手の上着とズボンを脱いで、パンツ一枚になった。ズボンを脱いだ時、ポケットから、小型の高性能デジカメがポロッと落ちた。京子は、それをサッと拾った。
調べると、それには、ここの露天風呂に浸かっている若い女の写真がたくさん、写されていた。
「うわー。すごーい。盗撮の常習犯なのね。秋田県警に連絡しなくちゃ」
「ち、違います」
少年は焦って反駁した。
「どう違うの?」
「そ、それは・・・つまり・・・その写真は・・・温泉に来た人の記念として、相手の同意を得て、写してあげたものなのです」
「それにしては、若い女のスナップ写真ばかりじゃない。普通、相手の同意を得た記念撮影の写真なら、カメラに向かってピースサインをしている写真なはずよ」
「そ、それは・・・つ、つまり・・・女の人に、どういう写真を撮って欲しいかと聞いたら、スナップ写真の方が芸術的で、スナップ写真を、お願いします、という返事ばかりだったからです」
「わかったわ。ともかく、温泉に入りなさいよ。そのために来たんでしょ」
そう言われても、少年は、パンツをなかなか脱げないで躊躇している。
しかし、京子が、さあ、早く入りなさいよ、と催促するものだから、少年も、ついに、観念したらしく、少年は、パンツを履いたまま、温泉に入ろうとした。
京子が、サッと少年の手をつかんだ。
「パンツを履いたまま、温泉に入る、なんて聞いたことないわ。パンツが濡れちゃうじゃない。さあ、パンツも脱ぎなさい」
京子が、少年の手をつかんで、言った。
「混浴風呂では、男はみんな裸よ。女は水着を着ることもあるけれど、私達は全裸よ」
少年は、パンツのゴムの縁に手をかけた。しかし、躊躇して、なかなか下げられない。
京子は、少年の後ろに回って、パンツの縁を、つかむと、グイと降ろした。
「ああっ」
少年は、あわててパンツを引き上げようとした。しかし京子は、素早く、パンツを足から抜きとってしまった。
少年の、石棒は、天狗の鼻のように、激しく怒張して、せせり立っていた。
「うわー。すごーい」
京子と順子は、それを見て、驚嘆の声をあげた。
少年は、見られる恥ずかしさから、のがれるように、急いで、湯に入った。
京子も湯に入った。

京子と順子は両方から少年を挟むように、少年の間近に寄ってきた。
少年は、茹で蛸のように、真っ赤になっている。
「やっぱり、普天風呂では、男と女が一緒に入るのがいいわね」
しばし、三人は、黙って、露天風呂の心地よさに浸っていた。
しかし、少年は、心地よかったか、どうかは、わからない。
少年は、真っ赤な顔で真正面を見ていた。
順子が二人から、離れて、二人の対岸に行き、振り返って、京子と少年の方を向いた。
「はあ。ちょっと、長く浸かっていたんで、湯疲れしちゃたわ」
そう言って、順子は、湯から上がって、湯の縁に腰かけた。
「温泉では、温まるのと、体を冷ますのを交互に繰り返して、交感神経と副交感神経の活動を切り替えるのが、自律神経を整えるのにいいのよ」
そう言って、京子も、湯から上がって、湯の縁に腰かけた。
少年は、目のやり場に困っている。目の前には全裸の順子が、縁に腰かけているし、後ろには、全裸の京子がいる。
「順子―。凄くセクシーでいいわ。温泉に来た記念として、写真を撮ってあけましょうか?」
「ええ。お願い」
順子は、立ち上がって、乳房と恥部を手で覆った。それは、ボッティチェリのビーナスの誕生のポーズだった。
「ボク。写真を撮りたいから、デジカメを借りてもいい?」
京子は少年に聞いた。
「は、はい」
カシャ。カシャ。
京子は、少年のデジカメで、順子の全裸の写真を、何枚も撮った。
「私も撮って」
そう言って、京子はデジカメを順子に渡し、順子に全裸の写真を何枚も撮ってもらった。
「ボク。旅の一期一会で、出会えたんだから、一緒に写真を撮りましょう」
そう言って京子は、少年の手をつかんだ。
「えっ。そんな。いいです」
「そう遠慮しないで」
そう言って、京子は、少年の手を引っ張った。
やむなく、少年は、湯からあがった。
少年の石棒は、天狗の鼻のように、ビンビンに反り上がっていた。
「すごーい。やっぱり盗撮魔だけあって、すごくスケベなのね」
京子は、立ち上がって、少年を後ろから、抱くようにした。京子は、少年の後ろから、少年と手をつないだ。少年の頭の上には、京子の豊満な、乳房が、乗っている、京子の恥部は、少年の体で隠されて、見えない。しかし、少年の、ビンビンに勃起した石棒は、丸見えである。
「さあ。順子。撮って―」
カシャ。カシャ。
少年は、ジタバタ抵抗したが、順子は、何枚も、写真を撮った。
「じゃあ、今度は、凌辱の図」
京子は、そう言って、座った。
「ボク。手で、アソコと胸を隠して」
京子は少年を後ろに座らせて、片手を京子の恥部に、片手を京子の胸に当てさせた。
「ふふ。これで、恥ずかしい所は、写らないわね」
「京子。凄いエロティックよ。何だか、京子が、少年に凌辱されているみたい」
そう言って順子は、何枚もそのポーズの写真を撮った。
少年は、ハアハアと、激しく興奮していた。
「ボク。精液がいっぱい、溜まっちゃってるでしょ。体内に溜まり過ぎた物は出さないと健康に悪いわよ」
京子が言った。
「さあ。横になって。体に溜まっている悪い物を出してあげるわ」
そう言って、京子は、順子の方を見た。
「順子―。こっちに来てー」
京子は、仰向けになっている少年の腹の上に、跨いでドッカと尻を乗せた。
少年は、身動きがとれない。
順子は、仰向けに寝た少年の両足を開いて、つかんだ。
京子は、少年のビンビンに勃起した、石棒を握って、ゆっくりと、しごき出した。
「ふふ。私の体を触ってもいいわよ」
京子に言われて、少年は、京子の白桃のような尻を触った。
京子は、しごく度合いを強めていった。
クチャクチャとカウパー腺の音がし出した。
「ああー。で、出る―」
そう叫ぶや、少年の亀頭から、勢いよく、白濁液が放射状に飛び出した。
「ふふ。気持ち良かったでしょ」
「は、はい」
「本当は、ボク。物凄くエッチなんでしょ」
「は、はい」
少年は、とうとう正直に告白した。
三人は、また風呂に入った。
「じゃあ、もう、そろそろ、私たち旅館にもどるわ」
「あ、有難うございました」
服を着ると、少年は、そう礼を言って、雑木林の中に去って行った。
・・・・・・・・
「ふふふ。楽しかったわね」
「そうね。せっかく温泉旅館に来たんだから、このくらい面白いことが、ないとね」
「私。お腹ペコペコだわ」
「私もよ」
二人は旅館にもどった。
「いい湯でしたわ」
二人は旅館の親爺に、そう言って、旅館に入った。
「そうか。そりゃよがっだべな。食事をすぐ持ってぐけん」
親爺が言った。
トントン。
しばしして、戸がノックされた。
「どうぞ」
スーと戸が開いて、親爺が入って来た。
「食事を持ってきたべな」
そう言って親爺は、卓の上に、食事を並べだした。
秋田の郷土料理の、きりたんぽ、や、比内地鶏、の鍋物をメインに、小皿で、色々な山菜や、海鮮料理が、ボリュームたっぷりに、卓上に並べられた。
「うわー。美味しそー」
腹を減らして来ただけに、二人の腹がグーと鳴った。
「全部、食べても、まだ足りなかったら、言うべさ。料理は、ぎょうさん、あるけん」
親爺は、そう言って、出ていった。
「いただきまーす」
二人は、ハフハフ言いながら、料理を食べた。
「美味しいわね。順子」
「そうね。五臓六腑にしみわたる、みたいな感じだわ」
二人は、ボリュームたっぷりの料理を全部、食べた。
そして、デザートのアイスクリームを食べ、地酒を飲んだ。
「はー。食べた。食べた」
「美味しかったわね」
「何か、面白いことはないかしら?」
「また、露天風呂に行ってみる?」
「そうね。また、あの子が来るかもしれないし」
二人が、そんな、とりとめのない話をしている時だった。
突然、ノックもなく、部屋がガラリと勢いよく開いた。
恐ろしい鬼の面を被り、蓑を着て、木製の包丁を持った二人が、断りも無く、ズカズカと部屋に入ってきた。鬼たちは、
「泣く子はいねだが」
「泣き虫はいねだが」
と言いながら、京子と順子を、威嚇するように、四股を踏んだ。
「はー。吃驚した」
「なまはげ、って本当に、いきなり入ってくるものなのね」
「きっと、これは、旅館のサービスね」
京子と順子は、そう言い合った。
「でも、面白いわね」
「でも、幼児だったら、本当に泣いちゃうんじゃないかしら」
「でも、なんで、正月に、なまはげ、が来るのかしら?」
「それは、鬼は、厄払いの来訪神だからよ。鬼は、本当は、幸福を呼ぶ存在なのよ」
京子と順子は、立ち上がって、
「ふふふ。鬼さん。こちら。手のなる方へ」
と言って、笑いながら、手を叩きながら、キャッ、キャッ、と叫びながら、部屋の中を、逃げ回った。
鬼は、二人を追いかけて、二人を、それぞれ、部屋の隅に、追いつめた。
キャーと二人は、叫んだ。

一匹の鬼は、京子を捕まえると、京子の両手を背中に捩じ上げて、縄で手首を縛り上げた。順子を、追っていた鬼も、京子と同様、順子の両手を背中に捩じ上げて、縄で手首を縛り上げた。
二人は、後ろ手に縛られたまま、畳の上に正座させられた。
「ふふ。かなり、本格的なのね」
「ふふふ。かなり、際どいことをするのね」
二人の鬼は、それぞれ、京子と順子の縄尻をとると、背中を突いて、部屋から、連れ出した。
「ふふ。かなり、本格的なのね」
「でも、スリルがあって、面白いわ」
二人は旅館の外に、連れ出された。
旅館の外には、車が止めてあった。
二人の、なまはげ、は、京子と順子を車の後部座席に乗せると、自分達は、運転席に乗った。そして、エンジンをかけて、車を出した。
「あ、あの。これは、どういうことなのですか?」
「どこへ連れていくのですか?」
二人は、後ろ手に、縛られたまま、運転席と助手席の、なまはげ、に聞いた。
だが、なまはげ、は、何も答えない。
「きっと、どこかのレジャー施設に連れて行って、新年の御馳走をしてくれるのよ」
「秋田の、なまはげ、の行事って、かなり本格的なのね」
二人は、そう言い合った。
車は林の中を走っていった。
「あ、あの。どこへ連れていって下さるのですか?」
そう聞いても、なまはげ、は、何も喋らない。
もう、外は真っ暗である。
しばし走った後、車は、ある建物の前で止まった。
なまはけ、に、促されて、二人は降ろされた。二人は、その建物の裏手に入らされた。
「どういうことかしら」
「わ、わからないわ」
二人の、なまはげ、は京子と順子を、ある小さな部屋に入れた。そこは、小さな楽屋のような感じだった。その部屋の一面は大きなカーテンで仕切られていた。閉められたカーテンの隙間から、その先が見えた。
「ああっ」
二人は、驚いて叫んだ。
そこは、コウコウとスポットライトの点いた、小劇場のようなステージだった。ステージの前は、客席になっており、客達は、みな、なまはげの面を被っていた。それは、ちょうどストリップ劇場のようだった。
二人の、なまはげ、は、京子と順子の二人の縄尻をとりながら、背中をトンと押して、ステージの中央に引き出した。
「おおっ。すげえ美人」
客達は、一斉に叫んだ。
「こ、これは、どういうことなの?」
京子と順子は、彼女らの縄尻をとっている、なまはげに聞いた。
しかし、なまはげ、は、黙っている。
・・・・・・・・・
「やあ。みな様。本日は、ようこそ、お出で下さいました。秋田なまはげSMショーを、たっぷりと、お楽しみ下さい。本日のスターは、飛び切りの美女二人です」
と一人の男が言った。背広を着て、蝶ネクタイをしていることから、おそらく司会者なのだろう。
「順子。これは、なまはげ、の行事なんかじゃないわ」
「そ、そうだわ。これは本当の犯罪だわ」
「なまはげ、の、仮面をかぶって人を脅す行事を利用した、本当の犯罪だわ」
ここに至って、二人は、やっと事実に気づいて青ざめた。
「どうしよう。京子?」
「どうしようって、どうしようも出来ないわ」
「私たち、どうなってしまうのからしら?」
「わ、わからないわ」
二人は恐怖に引き攣った顔を見合わせた。
ステージの両脇に、もう二人の、なまはげ、が仁王立ちしていて、か弱い女の身では、逃げようもない。
「さあ。着てるもんさ。全部、脱ぐべ」
二人の縄尻を、とっている、二人の、なまはげ、が、言った。
そして、二人の後ろ手の縛めを解いた。
手が自由になったが、か弱い女の身では、逃げようがない。
・・・・・・・・・・
「順子。あきらめて、言うことに従いましょう。まさか、殺したりはしないでしょうし・・・」
「そ、そうね。京子。おとなしく言うことを聞いていれば、ショーが終わったら、きっと解放してくれるわ」
二人は、そう言って合意し合った。
京子と順子の二人は、おそるおそる浴衣を脱いだ。浴衣の下は、豊満な乳房を覆うブラジャーと、大きな尻を覆うパンティーだった。
二人は、チラリと、後ろに控えている、なまはげ、を見たが、なまはげ、は、仁王立ちしていて、許しを乞うても、無駄であるのは、一瞬で見てとれた。
二人は、観念して、まず、ブラジャーを、はずした。
豊満な乳房が、ブラジャーから、プルンと弾け出た。
「おおっ。すげーだべ」
客達が、一斉に歓声をあげた。
二人は、思わず、反射的に、乳房を手で覆った。
しかし、裸という以上、パンティーも脱がないわけには、いかない。
二人は、中腰で、片手で露出した乳房を押えながら、パンティーも降ろしていった。その姿は、極めてエロチックだった。
なまはげ、は、二人の脱いだ、ブラジャーとパンティーを、拾い上げると、それを、客席に向かって、あたかも節分の豆まきのように、四方に、放り投げた。
「おおっ」
客たちは、われ先にと、手を伸ばした。しかし、下着は四つしかない。四人の客が、それを、掴み取った。ブラジャーとパンティーを、掴み取った四人の客は、すぐに、それを鼻先に当て、クンクンと貪るように嗅いだ。
丸裸になった、京子と順子は、乳房と恥部を、必死に手で隠している。
二人の、なまはげ、は、京子と順子の、それぞれ、右手の手首を縄で縛ると、その縄尻を、天井の梁にひっかけて、グイグイ引っ張っていった。
「ああっ」
二人の右手が引き上げられていったが、それでも、なまはげ、は、縄を引っ張りつづける。

二人は、それに、つられるように、体が伸ばされていき、そして、とうとうピンと直立に、立ち上がされた。
二人は、右手を、高々と上げて、立っている、という姿である。二人とも、自由な左手で、恥部を必死に隠している。しかし片手では、一か所しか、隠せないため、豊満な乳房は、丸見えである。わざと、片手を自由にさせ、女の羞恥心を見ようとする、手の込んだ演出である。それは、確かに、両手首を縛って、吊るよりも、エロチックだった。
「おおっ。セグシーだべな」
観客たちが言った。
ステージの両脇に仁王立ちしていた、二人の、なまはげ、が、それぞれ、洗面器を持ってきて、ステージの、二人の、なまはげ、に渡した。そして、次に、石鹸と、鋏、安全カミソリを、次々と、渡した。
ステージ上の、二人の、なまはげ、は、それを、京子と順子の、それぞれ、背後に置いた。

なまはげ、は、京子と順子の肩を掴むと、クルリと体を回し、二人を後ろ向きにさせた。
体の前の、露わに露出した乳房と、手で隠した恥部の、恥ずかしい姿が、客から見えなくなった、ことは、二人にとって、多少の救いになったが、今度は、白桃のような大きな尻が、客に丸見えになった羞恥に、二人は、晒されることになった。
「おおっ。セクシーな尻だべな」
「すご、むっちり、しとるべな」
客達が口々に言った。
もちろん、二人も、始めから、後ろ向きになることは、出来た。しかし、後ろ向きになると、客の顔が、見えなくなる。前を向いていると、たとえ、恥ずかしくても、客の視線が見えて、それに備えることが出来る。本能が、そうしてしまうのである。
しかし、後ろ向きになると、客の視線が、見えなくなり、見えない視線に晒されることは、前を向いている以上に、恥ずかしく、怖いものである。
二人は、客の視線が、二人の尻の割れ目に、集まっているように、感じて、思わず、尻の肉に力を入れて、尻の割れ目を、閉じ合せようとした。
ステージの上の、二人の、なまはげ、は、それぞれ、京子と順子の、前にドッカと屈み込んだ。
そして、両方の足首を掴んで、グイと大きく開いた。
「ああー」
二人は、思わず、声を上げた。
なまはげ、は、恥部を覆っている、左手を掴んで、グイと、どかした。
「ああー」
二人は、思わず、声を上げた。
「おおー」
観客たちも、どよめいた。
観客たちには、見えないが、京子と順子の、秘部は、二人の、なまはげ、の目の前に、もろに晒されている、のである。それが、観客たちを興奮させたのである。
京子と順子の手は、乳房の上に行った。
尻は、もう見られてしまっているし、全裸の恥ずかしい姿を晒しているのに、それでもなお、むなしく、尻を隠そうとする、みじめな徒労を、客たちに、見られる方が、余計、屈辱的だったからである。
それに、片手を後ろに回して、尻の割れ目を、隠す姿は、極めて、みじめ、で滑稽である。
そういう心理が働いて、客には、見えないが、目の前の、なまはげ、には、見えないよう、二人は、左手で、乳房を覆ったのである。
二人の、なまはげ、は、洗面器の中の、湯をすくって、京子と順子の、恥部を潤した。
「ああー」
二人は、叫んだ。
「何をするべがな?」
「決まっとるべな。毛をそるべな」
なまはげ、は、次に、石鹸を泡立てて、それを、京子と順子の恥部に塗りつけた。
そして、鋏とカミソリで、二人の恥毛を、ショリショリと、剃っていった。
「ああー」
京子と順子は、羞恥の叫びを上げた。
剃り終わると、なまはげ、は、京子と順子の、腰に糸を巻いた。
そして、何かを、二人の恥部の前に、取りつけた。
そして、二人の肩をつかんで、クルリと体を回し、元のように、客の方に向かせた。
「おおー」
観客たちは、一斉に、叫んだ。
二人の腰には、糸が巻かれており、恥部の前には、5cm×5cmくらいの、正方形の赤い布切れ、が、垂れていたからである。布切れは、ちょうど、ギリギリに、女の恥部を隠していた。
しかし、この方が、全裸よりも、もっとエロチックだった。見たいが、見れない、という、もどかしさ、が、観客たちを、興奮させた。のである。
京子と順子の左手は、畢竟、乳房の手隠しに、使われた。
これは、二人にとっても、屈辱的だった。
毛を剃られた恥部を、片手で、しっかり隠したかったが、そこは一応、小さな布切れ、で、隠されているため、女が隠さねばならない、残りの、胸を隠すことに使わなければ、ならない。しかし、ほんの少しでも、動けば、見えてしまうような、恥部の覆い、は、極めて屈辱的だった。観客と同様、京子と順子も、極めて、もどかしかった。
「色っぽいべな」
「ほんに、色っぽいべな」
「わしゃー。興奮して、ちんぽさ、おっ立ってきたべな」
観客たちは、口々に、そんなことを言った。
・・・・・・・・・
しばし、した後、なまはげ、は、京子と順子の、胸を覆っている左手の手首を、グイと掴んで、縄で縛り、グイと、手首を上へ上げ、右手の縄に縛りつけた。
・・・・・・・・・・・
これで二人は、両手首を縛られて、吊るされた格好になった。
手で覆い隠していた、豊満な乳房が、露わになった。
しかし、隠そうが、隠すまいが、大した違いはない。
むしろ、全裸の恥ずかしい姿を晒しているのに、それでもなお、むなしく、隠そうとする、みじめな徒労を、客たちに、見られることから、逃れられて、多少、ほっとした気持ちもあった。
「おおぎな、おっぱい、だべな」
「揉んでみとうなるべな」
客達が口々に言った。
・・・・・
しかし、二人が、ほっとしたのも束の間だった。
「ああー」
二人は悲鳴をあげた。
なまはげ、が、背後から、手を前に回して、二人の、豊満な乳房の上に、ピタリと手を乗せたからである。
物言わぬ手は、豊満な乳房の上を、怪しい動物のように這い出した。
「ああー」
京子と順子の、二人は、苦しげな表情で、喘ぎ声を出した。
しかし、両手を縛られて、吊られているので、どうしようもない。
羞恥責めが、今度は、拘束責め、に変わったのである。
触手は、入念に、二人の豊満な乳房の上を這い回った。そして、時々、乳房の丘の真ん中にある、乳首に触れた。手は、乳首をコリコリとつまんだ。だんだん乳首が尖り出した。
「ああー」
二人は、やりきれなさに、喘ぎ声を出した。顔は、苦悩に歪んだ。
しはし、乳房の上を這い回った触手は、一旦、乳房から離れた。
二人は、ほっと安堵した。
しかし、それも束の間だった。
触手が、二人の、無防備な、ガラ空きの、腋下の窪みに、ピタリと触れたからである。
物言わぬ、怪しい触手は、爪を立てて、腋下の窪みから、脇腹へと、スーと這い出した。
脳天を突き上げるような、激しい、刺激と、恐怖感が、電撃のように、二人の全身を駆け廻った。
「ああー」
二人は、どうしようもない、遣り切れない刺激に、叫んだ。
二人は、手をギュッと固く握りしめ、何とか、手を、降ろそうと、力んでみたが、手首の縄の縛めは、その抵抗を意地悪く、阻止した。二人を天井の梁から吊っている縄は、あたかも、意志を持って、二人が抵抗する度に、それを引きとどめるように引っ張って、二人を、虐めているかのようにも見えた。
「や、やめてー」
二人は、叫んだ。全身を小刻みにプルプル震わせながら。
触手は、時々、二人の体から、スッと離れた。それは、二人の哀願に対する、情け、からなのか、どうかは、二人には知る由もない。
しかし、ともかく、触手が離れると、二人は、ほっと、溜め息をついた。
しかし、しばしすると、また、不気味な触手が、やってくる。
「ああー」
二人は、その度に叫んだ。
そして、二人の体の上を、這うと、また、スッと、離れていった。
これは、二人にとって、荒々しく、触られるより、ずっと、辛かった。
いつ、触手が、やってくるか、わからない精神的な恐怖感は、触手に弄ばれ続けてられいる時の、肉体的な辛さに、勝るとも劣らなかった。からである。
・・・・・・・
なまはげ、は、二人を背後から、ガッシリと抱きしめた。丸出しの、大きな尻に、太い硬い男のモノの先が触れた。ハアハア、と背後の、なまはげ、の息が荒い。なまはげ、も、興奮し出したのだ。
なまはげ、は、背後から、手を廻して、京子と順子の、豊満な乳房の上に、ピタリと手を乗せた。そして、ゆっくりと揉み出した。時々、乳首を、そっと、摘まんだ。
「ああー」
京子と順子は、喘ぎ声を上げた。
二人の乳首は、だんだん、尖り出した。
乳首の根元を糸で括れば、糸を、引っ張っても、はずれないかと思うほど、それほど二人の乳首は、勃起していた。
なまはげ、は、片手で、乳房を、揉みながら、もう一方の手を、ゆっくり下に降ろしていった。
そして、その手は、恥部の前に垂れている、赤い布切れ、の中に入って行った。
「ああっ。嫌っ」
二人は、思わず、叫んだ。
二人は、咄嗟に、ピッチリと、脚を閉じた。
しかし、その時は、もう遅く、かえって、女の急所にあてがわれた、意地悪な手を、ピッチリと、脚で、挟みこむ形になってしまった。
・・・・・・・・
二人は、丸裸で、手首を縛られて、天井の梁に吊るされて、かろうじて恥部の前に、小さな赤い布切れ、が、垂れている、という、みじめ極まりない姿である。
そして、その赤い布切れの中で、なまはげ、の手が、モゾモゾと、怪しく動いているのである。
「ああー。いやー」
京子と順子の二人は、ハアハアと喘ぎながら言った。
「おおっ。色っぽいだべな」
「おら。ちんちんさ、おっ立ってきたべな」
「おらもだがな」
客達は、口々に、そんなことを言って、ハアハアと息を荒くしながら、ズボンの上から、勃起したマラを扱き出した。
次に、ステージの上の、なまはげ、は、ドッカと、二人の後ろに、座り込むと、京子と順子の、両方の足首をつかんで、サッと足を開かせて、その隙に、二人の尻の割れ目に、ピタッと中指をあてがった。
「ああー」
普段、触られていない、敏感な、尻の割れ目を触れられて、二人は、驚天動地の叫び声を上げた。
二人は、反射的に、尻の割れ目を、キュッと閉じた。
しかし、それが、逆に、尻の割れ目に、あてがわれた、なまはげ、の中指を、両方の尻の肉で、強く挟みこむ形になってしまった。
なまはげ、は、ゆっくりと、前の赤い布切れの中の手を、動かし出した。
「ああー」
なまはげ、の、前の手の、中指は、まず、女の穴の中に入っているのだろう。
だんだん、クチャクチャと音がし出した。
無理もない。陰核。尻の割れ目、膣、と、女の三つの性感帯を、同時に責められているのである。
「ああー。い、いっちゃうー」
二人の全身はブルブル震え出した。
・・・・・・・・・・
その時である。
「待って下さい。ストップ」
と、司会者が、ステージ上で、女を弄んでいる、二人の、なまはげ、に言った。
ステージの上の、京子と順子を責めている二人の、なまはげ、は、司会者に、制止されて、手の動きを止めた。
「この、秋田なまはげSMショー、は、お客さま参加型のショーです。お客さま方も、興奮が高まってきています」
そう言うや、司会者は、ステージ上の、なまはげ、に、目配せした。
京子と順子を責めていた、二人の、なまはげ、は、両手を、股間から抜いた。
なまはげ、の、手の中指は女の愛液で、ヌルヌルに濡れていた。

ステージの上の、京子と順子は、ずっと、立ったまま、なまはげ、に、弄ばれ続けた、疲れのため、ぐったりと、項垂れた。
・・・・・・・・・
ガラガラと、キャスターのついた、二つの、大きな、テーブルが、ステージに運びこまれた。
ステージ上の、なまはげ、は、京子と順子を吊っている、縄を、天井の梁から、はずした。
だが京子と順子の、手首は、縛られたままである。
なまはげ、は、京子と順子を、それぞれ、運びこまれたテーブルの上に無造作に乗せた。
二人は、あたかも、俎上に乗せられて、料理される、魚のようだった。
「な、何をするの?」
京子と順子の二人は、何をされるか、わからない不安から、聞いた。
しかし、問いかけられても、なまはげ、は、黙っている。
なまはげ、は、テーブルの上で、二人の女を、仰向けにした。
京子と順子の二人は、さんざん、弄ばれ続けた疲労から、抵抗する気力も失せていた、といった様子だった。
なまはげ、は、二人の、両手首と両足首、を縄で縛って、テーブルの四隅の脚にカッチリと結びつけた。
二人は、テーブルの上で、大の字にされた。脚が、あられもなく、大きく開かれた。

腰に巻かれた糸に取り付けられた、小さな赤い布切れ、は、かろうじて、女の恥部を覆い隠していた。しかし、その赤い布切れ、は、反転させれば、容易に、女の恥部の全容が露わになってしまう。
それでも、覆いは、覆いであり、二人は、それが、あることに羞恥を感じつつも感謝した。
しかし、極めて、みじめな気持ちだった。
豊満な乳房は、仰向けに寝ることによって、重力から解放されて、平べったくなった。
美しい、艶のある、黒髪は、テーブルの上に、無造作に、広がった。
・・・・・・・・・
「では、皆様。ステージの上に、お上がり下さい」
司会者の男が言った。
なまはげの面をつけた客達が、ゾロゾロと、ステージの上に、上がって来た。
「では。皆様。思う存分、好きなように、お楽しみ下さい」
司会者の音が言った。
客達は、二組に分かれて、一手は、京子を取り巻き、もう一方は、順子を取り巻いた。
その時。
「ちょっと、お待ち下さい」
司会者がとどめた。
「なんだべさ?」
観客たちは、何事かと、首を傾げている。
「二人、同時に、料理する、というのでは、集中しにくいでしょう。女の料理は、一人ずつの方がよろしいかと思います。いかがでしょうか?」
司会者が聞いた。
「おう。確かにそうだべな」
客が、みな言った。
「では、二人の内、どちらを先にするか、決めて下さい」
司会者が言った。
客達は、京子と順子を覗き込むようにして見比べた。
「こっちの子の方が、めんこいべな」
客たちは、京子を見て、そう言った。
「そうじゃな」
「おう。そうじゃ。そうじゃ」
異論を唱える客はいなかった。
「では、この子の方から、まず先に料理して下さい」
司会者が言った。
こうして、京子を載せたテーブルだけが、ステージの中央に残されて、順子を載せたテーブルは、ひっこめられた。
・・・・・・・・・・
多くの、なまはげ、の面が、京子に、向けられた。
丸裸を大の字の形、にテーブルの上に、乗せられて、大の字に、テーブルに縛りつれられて、多くの、なまはげ、の視線に晒されて、京子は、死にたいほどの羞恥の極致だった。
「めんこい子じゃ」
「ほんに、めんこいのう」
客達は、口々に、むざんな姿の、生贄の美女に、そんな言葉をかけた。
客達は、しばし、スラリとした、美しい女の肉体を、隈なく、眺めまわした。
実際、京子の肉体は美しかった。
スラリと伸びたしなやかな脚。細い華奢なつくりの腕と肩。細くくびれたウェスト。それとは対照的に太腿から尻には余剰と思われるほどたっぷりついている弾力のある柔らかい下半身の肉。それらが全体として美しい女の肉体の稜線を形づくっていた。
「見ているだけじゃのうて、触ってみるべ」
客の一人が、そう言い出した。
「おう。わしも、ちんちんさ、おっ立ってしまって、我慢できんげな」
「わしもじゃ」
客達は、口々に、そんなことを言い合った。
「お譲さん。あんたの名前は、何というのがの?」
一人の客が聞いた。
だが京子は、恥ずかしくて答えられない。
黙っていると、京子の、無防備な、脇腹に、スーと爪が触れた。
「ああー」
京子は、体を、のけ反らせて、叫んだ。
「さ、佐々木京子です」
京子は、あわてて答えた。
いきなり、触られて、京子は、自分が、今、客達の言うことに抵抗することなど出来ない身分であることを、改めて実感させられた。
「佐々木京子さんか。いい名じゃのう」
客の一人が言った。
「それじゃあ、すまんが。楽しませて、もらうけん」
そう言って、ステージ上の客達は、四方から京子を取り囲んだ。
多くの手が、一斉に、京子の体に触れてきた。
腕。太腿。乳房。首筋。脇腹。
「ああー」
京子は、思わず、大きな声を張り上げた。
京子は、咄嗟に、手と足を、縮めようとした。
しかし、手首、足首の、縛めの縄が、ピンと張って、意地悪く、それを阻止した。
客達は、思うさま、京子の体を、触りまくった。
「ふふふ。おなごの柔肌は、最高の感触じゃ」
客の一人が、そんなことを言った。
客達は、京子の柔肌の感触を、思う存分、楽しむように、揉んだり、撫でたりした。
「や、やめてー」
京子は、全身をプルプル震わせて、叫んだが、客達の手は離れなかった。
客達の、弄び、は、だんだんエスカレートしていった。
乳首を摘まんだり、首筋、脇の下、脇腹、足の裏、などの、敏感な所を遠慮なく、触るようになった。
「ああー」
京子は、拳をギュッと固く握りしめ、体を激しく、右へ左へと、くねらせながら、叫んだ。
乳首を、摘まれて、京子の乳首は、だんだん、尖り出してきた。
体を執拗に、弄ばれている内に、京子の心理が、だんだん、変わっていった。
どうせ、逃げられないのなら、いっそ、開き直って、この快感を味わってやろう、という被虐的な思いが、起こり出したのである。
「この赤い布切れ、の中を見てみたいの」
「そうじゃ。ぜひ見たいわ」
客達が、そんなことを言った。
「お譲さん。この布切れを、とってもいいかの?」
客の一人が言った。
「い、いいわ。とって」
京子は、あられもなく、答えた。
その言葉は、やむを得ず、というより、積極的な要望の観があった。
「それでは、お言葉にあまえるべ」
そう言って客の一人が、鋏で、腰の糸を、プツンと切った。
そして、糸につけられた、赤い布切れ、を、抜きとった。
もう、京子は、完全に、一糸まとわぬ丸裸となった。
「おおー」
客達が、一斉に、どよめいた。
「割れ目が、くっきり見えるわ」
「若い、綺麗な、おなごの、ここを、こんな目の前で、見るのは、初めてじゃ」
「わしもじゃ」
「いきていてよかったべな」
客達は、口々に、そんな感慨の言葉を、あつく述べた。
恥毛は、さっき、剃られて、女の恥部は、丸見えである。
一糸まとわぬ全裸を、縛られて、大の字にされて、女にとって、最も恥ずかしい所に、多くの、男の視線が、集まっているかと思うと、京子に、ムラムラと激しい、被虐の興奮が起こってきた。
「見て。もっと見て。私の全てを見て」
京子は、とうとう、あられもない、ふしだらな告白をした。
「ふふ。言われずとも、見ておるよ」
「穴があくほどにな」
「実際、穴が開いとるべな」
しかし、見えるのは、もっこり盛り上がった女の丘と、その下の、閉じ合わさった割れ目である。
「お譲さん。ここを、触ってもいいべがな?」
客の一人が聞いた。
「い、いいわ。どうとでも、好きなようにして。私を、うんと、弄んで」
京子は、叫ぶように言った。
「それでは、好きなようにさせて、もらうべな」
客の一人が、そう言って、京子の、恥部に手を当てた。
「わしは、ここを触らせてもらうべ」
別の客が、京子の尻の割れ目に、手を入れて、中指を尻の穴に、ピタリと当てた。
「ああー」
女の股間の、敏感な所、二ヵ所を触られて、京子は、激しい、喘ぎ声を上げた。
恥部に手を当てている客は、女の割れ目の中の、女の穴に中指を、入れていった。
「ああー」
京子は、苦しげな表情で、喘いだ。
女の穴に、指を入れている客は、ゆっくりと、指を尻の割れ目にそって動かし出した。
「ああー」
京子は、激しい喘ぎ声を上げた。
「わしらも触るべ」
そう言って、他の客達も、京子の、乳房を揉んだり、乳首を摘まんだり、首筋や、脇の下、脇腹、足の裏、など、体の、あらゆる、部分を撫でたり、揉んだり、くすぐったりした。
「ああー」
京子は、ひときわ、大きな喘ぎ声を出した。
京子の股間が、クチャクチャ音を立て出した。
京子の股間の割れ目からは、白濁した液体が、ドロドロ出始めた。
京子の、女の穴に、指を入れている客は、指の動きを、どんどん、速めていった。
「ああー。いくー」
京子は、一際、大きな声を出すと、全身をガクガク震わせ出した。
震え、は、どんどん激しくなっていき、震えが絶頂に達すると、京子は、もう一度、
「ああー。いくー」
と、一際、大きな声を出した。
激しく震えていた体は、力が抜けたように、ぐったりとなった。
「ふふふ。ついに、気をやったべな」
「休ませてやるべ」
客達は、みな、京子の体から手を離した。
一人が、濡れタオルで、白濁液で、べっとり、濡れている京子のアソコを、丁寧に拭いた。
客の一人が、京子の股間の上に、赤い布切れを、置こうとした。
「あっ。いいの」
京子は、咄嗟に、それを止めた。
「どうしてじゃな?」
客たちは、首を傾げて聞いた。
「私の裸を、みんなに見られたいの」
京子は、あけすけもなく言った。
客達は、顔を見合わせて、ふふふ、と笑った。
・・・・・・・・
「ふふふ。では、お譲さんの体を、隈なく、見させてもらうべ」
客の一人が言った。
この場合、京子と観客とは、どっちが上の立場だろうか。
京子は、丸裸で、大の字に、大きく手足を開かされて、手首足首を縛られて、テーブルの上に、あられもない姿を、無防備に晒している。観客は、それを見ている。
明らかに、観客たちの方が、上の立場のはずである。
しかし、京子のプロポーションは、素晴らしく美しい。豊満な胸と、大きなヒップ。括れたウェスト。スラリとした下肢。京子も、自分のプロポーションには、自信を持っていた。それは京子にとって誇りであった。
京子は、夏は、いつも、豊島園や、大磯ロングビーチに、必ず行った。
それは、もちろん、自慢の肉体を、多くの男達に見せつけるためである。京子が通ると、男達は、おおっ、と言って、振り向いて見ない者は、一人もいないほどであった。その自慢の美しい肉体を、今、多くの客達に、見せつけているのである。拘束されている、とはいえ、その拘束は、いつか、解かれるだろうし。今、京子は、裸にされて、弄ばれている、というより、自分の自慢の美しい肉体を、多くの男達に見せつける、という立場でもあり、京子は、その快感に浸っていた。
京子の目は、うっとりと閉じ、さあ、私の美しい姿態を、隈なく見て、とばかり、大の字になっていた。もはや、縛めの縄は、あって、無きに等しかった。
・・・・・・・・・・
「京子。お前が、こんな、みだらな女だとは、知らなかったぜ」
京子の、心地よい心の均衡が一瞬にして破られた。
聞き覚えのある声に京子は、パッと目を見開いた。そして、声のした方を向いた。
「誰?」
「俺だよ」
京子に声をかけた二人の男が、なまはげ、の面をとった。
なんと、二人は、京子と同僚の、哲也と信一だった。
「ああー」
京子の顔が真っ青になった。
京子は、哲也と信一の実家が秋田であることは、知っていた。正月に実家に帰るだろう、とは思っていた。が、しかし、まさか、こんな所を見られるとは予想もしていなかった。
「見ないで」
京子は、張り裂けんばかりの、声で叫んだ。
無理もない。こともあろうに、いつも、颯爽としたスーツ姿しか、見せていない、同僚の男二人に、丸裸で、大の字に、テーブルの上に縛りつけられた、体を晒しているのである。

しかも、皆の前で脱ぎ、吊るされ、毛を剃られ、なまはげ、に、弄ばれ、テーブルの上に大の字にさせられて、縛られて、気をやり、しかも、もっと見て、などと、マゾの喜びの発言まで、してしまった一部始終を、見られてしまったのである。それを思うと、京子は、ただでさえ、錯乱状態なったが、ともかく、さしあたって今、京子にとっては、哲也と信二の、二人の視線が、死ぬほど、耐えられないものだった。
・・・・・・・
哲也は、入社して、一ヶ月ほどした頃に、京子に、「京子さん。愛しています。僕とつきあって下さい」と、告白したのだが、京子は、「ごめんなさい。私には、つきあっている彼氏がいるんです」と言って、あっさりと断った。しかし、ある時、京子が廊下で、順子に、「哲也さんに、つきあいを求められたけど、断っちゃった。彼氏がいると言って。あの人、性格は暗いし、顔も悪いし、勘違いもいいとこね」と、言っている所を聞かれてしまったのである。順子も、「そうね。あはは」と笑った。その時、京子が、小さな足音に気づいて、後ろを振り向くと、哲也の無言の暗い姿があった。京子は、気まずくなって、足早に、その場を駆け去った。それ以来、京子は哲也と、全く口を聞いていない。
・・・・・・・・・
「見ないで。お願い」
京子は、いっそ、消えてなくなりたいと思った。
京子は、体を捩って、二人の視線から避けようとした。しかし、縛めの縄は、意地悪く、京子の抵抗を阻止した。
「ふふふ。京子。そんなに見られたくないか?」
哲也が言った。
「お願い。見ないで」
京子は、必死に哀願した。
「じゃあ、見えないようにしてやるよ」
そう言って、哲也は、ハンカチを三枚、出すと、京子の、胸と秘部の上に置いた。
「おい。京子。恥ずかしい所を隠してやったんだ。何か言うことは、ないのか?」
「か、感謝します」
たとえ裸、同然であっても、恥部をもろに見られる羞恥よりは、マシだった。
しかし、それは、自分の服ではなく、他人の意志一つで、簡単に取られてしまう、辱めの覆いだった。
「この方が、かえって色っぽいだべな」
「おら。ちんちんさ。おっ立って破裂しそうだがな」
客たちは口々に、そんなことを言い合った。
「あ、あの。て、哲也さん」
京子は、恥ずかしい姿で、小声で言った。
「なんだ?」
「これは、一体、どういうことなんですか?」
京子が聞いた。
「それは、こっちが聞きたいぜ。ネットに、秋田なまはげSMショーハウス、が出来ました。生贄は絶世の美女です、と書かれてあったから、来てみたんだ。まさか、ショーのスターが、お前だとは、思ってもいなかったぜ。秋田は、僻地だから、会社にも、バレない、だろうと思って、趣味と小遣い稼ぎのために、出たんだろうが、まあ、こういう幸運な偶然の出会いも、あるものなんだな」
哲也は、しみじみとした口調で言った。
「ち、違うんです。私たちは、だまされたんです。秋田なまはげ旅館に泊まりに、来ただけだったんですけど、無理やり、ここに連れて来られてしまったんです」
京子は、必死に訴えた。
「ウソをつけ。オレ達に、見られてしまったから、そんな、ウソ言ってるんだろう」
哲也は、厳しい口調で言った。
しばしの時間が経った。
「じゃあ、京子。オレも、そろそろ、我慢できなくなってきたから、楽しませてもらう、とするぜ」
そう言って、哲也は、信一に目配せした。
信一は、ニヤリと笑った。
信一は、京子の恥部と乳房を覆っているハンカチ、をとって、京子の乳房を揉んだり、乳首をコリコリと、摘んだり、し出した。
「ああっ。やめてー」
始めは、嫌がっていた京子も、だんだん、ハアハアと、喘ぎ声を出すようになった。
哲也は、京子の、女の割れ目に、右の中指を入れた。
そして、もう一方の左手を、京子の、尻の割れ目に入れた。キュッと反射的に、京子の、尻が閉じ合わさって、哲也の指を挟みこむ形になった。
哲也は、京子の、尻の割れ目をなぞりながら、京子の、女の穴、に入れた手の動きを、だんだん、速めていった。
信一は、京子の、乳首を摘まんで、コリコリさせている。
だんだん、京子の、乳首が尖りだした。
京子のアソコから、クチャクチャと音がし出した。
「おい。京子。もう、無駄な頑張りは、やめて、マゾになりきってしまえよ」
そう言って、哲也は、指の動きを、より速めていった。
京子のアソコから、ドクドクと、粘っこい、白濁液が、出始めた。
「ああー。お願い」
ついに、京子は、哲也の軍門に下った。
「何をして欲しいか、もっと、ちゃんと正確に言いな」
哲也は、強気の口調で京子に言った。
「ああー。哲也さん。お願い。もっと、激しくやって、私をいかせて」
「ふふ。ついに言ったな」
哲也は、勝ち誇ったように言った。
「よし。いかせてやるよ」
そう言って、哲也は、律動を速めていった。
「ああー。いくー」
京子は、そう大声で、叫んだ。
京子の女の穴から、激しく、噴水のように、大量の潮が吹き出した。
京子は、全身をガクガク震わせて、体を激しく反らした。
そして京子は、ぐったりとなった。
・・・・・・・・
客達は、呆然と見ていたが、しばらくすると、また、京子の体を、弄び始めた。哲也は、
「女なんて、一度、体の隅々まで見てしまうと、もう魅力なんて、感じなくなるんだな」
とボソッ呟いた。
・・・・・
京子は、プレイが終わると、車で、順子と、秋田なまはげ旅館に返された。
京子に、旅館の親爺に、これは、一体、どういうことなのかと、問いただす気持ちはなかった。
それほど京子と順子は、クタクタに疲れ果てていた。
・・・・・・・
年末年始の休暇が終わった。
新年の出社日、京子は、着物姿で、出社した。
哲也と目が合った。哲也の目は、もう京子に対して、何の感情も、持っていないように見えた。
京子は、おずおずと哲也の傍に行った。
「あ、あの。哲也さん。二月の節分の日に、また、秋田なまはげSMショーがあって・・・。皆さまが私に、また、出で欲しいと要望するもので・・・。私、出ます。これ、そのチケットです。よろしかったら、来て下さい」
京子は、顔を赤らめて、哲也に、チケットを渡すと、恥ずかしそうに、自分の席に戻った。




平成26年11月19日(水)擱筆

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マネーの虎 (小説)

2020-07-09 12:50:25 | 小説
マネーの虎

ある時の、「マネーの虎」である。

番組に出た社長たちは、今回は、堀之内九一郎、貞廣一鑑、加藤和也、高橋がなり、南原竜樹、の5人だった。

一人の女が入ってきて、社長たちと、向かい合った。

吉田栄作「いくらを希望しますか?」

女「はい。一千万円を、希望します」

吉田栄作「そのお金の使い道は?」

女「NYスタイルのハウスウェアショップを開きたいと思っています」

女「実は、私は、1991から1999までの8年間、NYの金融業界で、ファイナンシャル・プランナーをしていました。その時、日本に無い分野があることに気がついたんです。それは、Bed&Bath&Beyond。といって、Beyondは、周辺の、という意味です」

高橋がなり「具体的には、どんな事なんですか?」

女「バスローブ。バスマット。ピロケース。などで。特に私は、タオル地を用いたリネン用品を売るハウスウェアショップを開店したいと思っています」

堀之内九一郎「あなたがやるようなものは、今の日本には無いのですか?」

女「確かに、海外のラルフローレンなどは、あります。しかし現状では、ニーズに合ったものはないというのが、現状です。特に私は、20代から30代の、丸の内近辺の、エグゼリーナと呼ばれるOLを対象にしたいと思っています。かつて、芦屋ジェンヌ。シロガネーゼ。セレブ。などが、流行の牽引になったように、エグゼリーナの間で広まれば、それが、主婦たちにも、飛び火して、広まってくれるのではないか、と思っています」

南原竜樹「ブランドは、決まっているんですか?」

女「ありません。日本のオリジナルでやります。ですから、プライベートブランドということになります」

堀之内九一郎「日本人は海外のブランド嗜好だから、買うのであって。はたして、売れるんでしょうかね?」

女「アメリカやフランスのタオルは、日本の気候に合わないんです。日本は、湿度が高いですし、乾きにくいですから」

高橋がなり「僕、一度、ゴルフショップ、やったことがあるんですよ。それは、かなり、いい所で、やって。でも、オリジナルでやってしまって、売れなくて。あの時、仕入れていれば、それなりに売れていたんではないか、と、今だに後悔しているんです。石川さんは、オリジナルでやる、難しさは、知っていますか?」

女「私は、四国のタオル・メーカーを見学したりして、生地。特性などを、勉強したつもりです」

南原竜樹「日本で作るとコストが高いですよね?」

女「日本のタオル・メーカーは、世界一の品質といっても過言ではないんです。去年、四国タオル工業組合が、バスカテゴリーで、NYテキスタイル賞をとりました。これは、グッドデザイン賞にも匹敵するものなんです」

貞廣一鑑「石川さん。あなたは、サファディーは、どう思いますか?」

女「サファデーは、英国のブランドで、ロマンチックで色が豊富です。しかし、NYは世界の中心で、皆、意識していると思うんです」

加藤和也「かなり、ハイソな人を対象にしているようですね」

南原竜樹「でも、それは、趣味の物ですよね。それに、高級パジャマとか、エステティックサロンとか、そういう方向に、女性が、お金を使う傾向は、間違いなく、右肩上がりになっていますよね」

南原竜樹「商品の大体の単価、を教えて下さい」

女「バスタオル一枚、2500円です」

南原竜樹「高いですね」

女「そんなに高くはないと思います。品質から言うと。ブランド物の高級タオルでは、一枚、6000円のもあります」

堀之内九一郎「サンプルとか、ないんですか?」

女「これは、まだ試作段階なんですけど・・・」

(と言って女、は、上着を脱いで、持参した、自作の、バスローブを着た。それは、バスローブに、大きなバスタオルのフードのついた物だった)

女「これは、バスローブに、バスタオルくらいの大きさのフードをつけてみたものです。こうすると、体を拭くという作業と、髪を乾かす作業が、一つで済みます。また、女の人は、濡れた髪のままで、ベッドに横になると、ベッドが濡れるのが嫌だという人が多くて、回りの女性たちに大変、好評でした」

高橋がなり「仕入れ原価は、いくらですか?」

女「2500円です。それを8000円で売りますから、30%です。」

南原竜樹「ちょっと、質問があります。あなたは、今、何をしているのですか?」
女「はい。今、この事業の準備をしています」

南原竜樹「では、ファイナンシャル・プランナーの時の、年収はいくらでしたか?」
女「はい。7万ドルです」

南原竜樹「NYで、一千万円ほどの年収があったんですね。素晴らしいですね。ちなみな、石川さんは、新聞は、何を読んでいますか?」

女「はい。日本経済新聞です」

南原竜樹「あなたは、非常に優れています。今まで出てきた志願者の中で、一番、能力があり、優秀だと思います。私は、高く評価します」

高橋がなり「アイテム一覧は、ありますか?」

(女は、店の売り上げの計画書を皆に渡した。社長たちは、みな、すぐに、それを見た)

堀之内九一郎「これを見ると、大変な利益の出る会社ですね。4期で、五億八千万円?。経常利益、三億?。これは、たいへん御無礼ですが、完全な絵空事だと思います。まあ、この計画の二割もいけば、いいところだと私は、思っています」

南原竜樹「会社を株式で、公開することは、考えていますか?」

女「はい」

堀之内九一郎「サラ金で、借りても、儲かるじゃないですか」

南原竜樹「それも、眼中に入れていると・・・」

女「はい」

南原竜樹「こういう計数計画がしっかり、出来ている。というのは、素晴らしいですね。ですから、これは完璧だと私は思います」

堀之内九一郎「ちょっと待って下さい。タオルを売って、こんなに、儲かるなら、私は、自分でやる」

南原竜樹「でも。彼女は、それで、儲かる仕組みを考えているのですから・・・」

堀之内九一郎「私は、今までに、250人くらい、創業させたことがあるんですよ。その中で、一番、失敗するタイプなんですよね。頭がいい。理屈が上手い。過去に給料が良かった。いい会社に勤めていた。計算が上手い。海外経験が長い。すべて、失敗する、要素なんですよ」

南原竜樹「それは、堀之内社長と、反対の人だから、じゃないですか?」

高橋がなり「石川さん。部下、持ったこと、ありますか?」

女「はい。ファイナンシャル・プランナーの時には、アシスタントはいました」

高橋がなり「たとえば、5人の部下、を持って、その成績の責任を、自分が取るような経験はありますか?」

女「そういうのは、ないです」

高橋がなり「この人が、部下のデキの悪い社員を教育できるか。といったら、自分が出来た、という場合、余計、難しい場合があるんですよ。あなたは、何事においても、全部、いい方ばかり、見ているんですよ。それを、雰囲気で感じるんですよ。この人、失敗するなって」

女「でも、数値の達成の方は、体張ってでも達成したいと思っています」

南原竜樹「高橋さん。論破されていますよ」

高橋がなり「いや、私。ぜんぜん論破されていないですよ。この人に何、言っても無駄だと思っているだけですよ」

貞廣一鑑「絶対、という言葉を使ったら、いけない、と云われていますが。僕、使いますよ。絶対、無理です。たとえば、一千万円、借りて事業が失敗したら、どうしますか・・・。死ねます?」

女「(小さな声で)は、はい」

貞廣一鑑「実は、私の伯父が、300万の借金で自殺したんですよ。ホントに机上の空論ですよ。商売なんて、1ポイント失敗したら、アウトですから」

南原竜樹「いや。彼女の悧巧さは、我々が思っている以上に、悧巧だと私は思っています」

堀之内九一郎「南原社長。彼女は、確かに悧巧だけれど。経営者としての悧巧さ、は無いですね」

高橋がなり「僕も、彼女は、マニュアルで覚えることは、上手いけど、未知の世界での能力は、どうかと思いますね」

堀之内九一郎「優秀なコンピューター、という感じがしますね」

高橋がなり「人をだまして、儲けたいという顔もしていない、ですし・・・」

女「確かに、頭でっかちで、現場を知らない、というのは、私の欠点だと思います。ですから、失敗するタイプにならないように、自分を変えていきたい、と思っています」

南原竜樹「こうやって、テレビに出たのは、テレビで宣伝して、番組を、うまく使おうと考えたからですか?」

女「(泣きだす)いえ。そんな気は全然、ありません。私。タオル・メーカーとか、金融機関で動くことを、考えていたほどですから・・・。本当はテレビには、出たくなかったんです」

高橋がなり「南原さん。資本を出して。って、ことは、要するに採用する、ということじゃないですか。じゃあ、南原さんが出資して、彼女にやらせてみたら、どうですか?」

南原竜樹「ええ。それは、本気で考えていますよ。事業に失敗した時、我が社に就職する気はないのか、と。優秀な人材は高い、お金を払って採用する。というのは、当たり前ですから。その採用のコストだと考えれば、十分、価値があると思っています」

高橋がなり「石川さん。もし、会社つくって、倒産させたとしたら。どうしますか。南原さんの会社の、ある部門で働いてくれって、言われたら、働きますか。それとも、あなたは、自分が経営者になることにこだわりますか?どっちですか」

女「(しばし迷ってから)就職することは、考えていません。もちろん、失敗しないように、努力しますが、仮に、失敗したとしても、私は、事業を、あきらめません。大袈裟な言い方かもしれませんが、私は、自分の人生の情熱を事業というものに、注ぎたいと思っています」

南原竜樹「でも、その答えも、素晴らしい。あなたは、私の力を借りなくても、乗り越えられる能力があると思います」

吉田栄作「では。社長たちの合計額が、あなたの希望金額に達しなかったので、今回は、ノーマネーでフィニッシュ・・・」

と言おうとした時。である。

高橋がなり、が、
「吉田さん。ちょっと待って下さい」
と言った。
「どうしたんですか?」
吉田栄作が聞き返した。
「ちょっと、考えが、変わりました。私が全額、出します」
と、高橋がなり、が言った。
皆は、目を白黒させて、高橋がなり、を、見た。
「高橋社長。一体、どうした気の変わりよう、なのですか?」
堀之内九一郎が聞いた。
もちろん、否定派の、貞廣一鑑、加藤和也、そして、唯一の肯定派の、南原竜樹も、驚きの目で、高橋がなり、を見た。
「こんな事業、絶対、失敗しますよ。それは、あなただって、認めていたではないですか?」
堀之内九一郎が、唾を飛ばしながら、勢い込んで言った。
女も、高橋がなり、の気の変わりように、目を白黒させて、動揺している。
「まあ。いいじゃないですか。ともかく、ちょっと、ある思う所があって。僕が、一千万円、全額、出します」
と、高橋がなり、が、皆をなだめるように言った。
司会の吉田栄作も、驚いて、しばし、戸惑った。
しかし、ともかく、契約が成立したので、司会の吉田栄作は、気を取り直して、
「では、あなたの、希望金額が達しましたので、契約成立です」
と言った。
女は、訳が分からない、といった顔つきで、ともかく、立ち上がって、高橋がなり、の前に行った。
「石川さん。頑張って下さい。どうか、事業を成功させて下さい」
と、高橋がなり、は、笑顔で、一千万円の札束を、女に手渡した。
女は、ともかく、
「あ、ありがとうございます。事業は、必ず、成功させます」
と、言って、一千万円の札束を、受け取って、高橋がなり、と、硬い握手をした。
皆は、高橋がなり、の気の変わりように、訳が分からないので、拍手は起こらなかった。
しかし、ともかく、女は、NYスタイルのハウスウェアショップの開店資金、一千万円を手にしたのである。
こうして、番組は終わった。
社長たちは、ゾロゾロと、帰っていった。

楽屋で、女は、高橋がなり、に、再度、礼を言った。
「高橋さん。ありがとうございます。でも、どうして、急に、出資してくれる気になったんですか?」
女が聞いた。
「まあ、いいじゃないですか。理由なんて。それより、石川さん。自信のほどは、どうですか?」
高橋がなり、が聞いた。
「もちろん。絶対の自信があります。必ず、成功させます」
女は、自信に満ちた口調で言った。
「そうですか。僕は、あなたの、その自信を買ったんです。では、出資した、一千万円は、返してくれるんですか?」
高橋がなり、が聞いた。
「ええ。もちろん、事業が軌道に乗ったら、売り上げの中から、貸していただいた、一千万円は、利息をつけて、お返しします」
と、女は、自信に満ちた口調で言った。
「いえ。利息は、要りません。その代り、貸した、一千万円は、返して頂きたい。では。一応、念のために、契約書にサインして頂けないでしょうか?」
そう言って、高橋がなり、は、紙を出した。
女は、自信満々だったので、
「わかりました」
と言って、紙切れに、
「私。石川かおり、は、高橋がなり様に一千万円、お借りいたしました。事業が、軌道に乗ったら、全額、お返しします」
と書いて、母印を押した。
「ありがとうございます。私も、あなたの事業を応援します」
高橋がなり、は、嬉しそうに女に言った。
そして、二人は、別れた。

女は、さっそく、翌日から、NYスタイルのハウスウェアショップの開店の準備にかかった。
銀座の一等地にある、ビルの一室を、不動産屋に頼んで、獲得した。
内装をNYスタイルにした。
試作段階だった、フードつきのバスローブも完成させた。
ネットでも、広告を出した。四国のタオル・メーカーに、頼んで、オリジナルの、フードつきのバスローブを大量に作ってもらった。
準備は、万端に整った。

そして、彼女は、店をオープンした。
自己資金と、高橋がなり、から貸してもらった、一千万円の資金を、すへて、店の費用に使ったので、もう、あともどりは、出来ない。
しかし、彼女は、絶対の自信があった。
彼女の計画では、一日、200人は、来店する予定だった。
そして、一日の売り上げは、300万円くらいに、なるはずだった。
確かに、オープンした日には、客の入りは良かった。
「いらっしゃいませー」
女は、愛想よく挨拶した。
客は、予想した通り、金持ちそうな女が多かった。
しかし、客は、店の中を、珍しそうに見るだけで、結局、何も買わずに出ていった。
(これは、新しい店が出来たから、興味本位で、銀座に来たついでに見ているだけだわ)
女は、それを知った。
女は、自分の作った、フードつきのバスローブは、一度、着てみれば、絶対、気に入って、買ってくれるという、絶対の自信があった。
それで、もっと、積極的に、商品をアピールするようにした。
客が来ると、「いらっしゃいませー」と、挨拶すると、同時に、すぐに、商品の説明をした。
女は、フードつきのバスローブを、自ら着て、
「こうやって、風呂から出た後に、着て、髪をふくと、ベッドに横になっても、ベッドが、濡れることは、ありません」
「ちょっと、値段は高いかもしれませんが、これは、吸湿性が良く、とても、快適です」
等々。
そして、客にも、頼んで着てもらった。
「どうですか?」
女が聞くと、客は、
「これって、ブランドは、どこですか?サファデー?それとも、ラルフローレン?」
と、聞き返してきた。
女は、返答に窮したが、自信を持って、
「ブランドはありません。でも、とても、着心地はいいです」
と、懸命に説得した。
しかし、客は、不機嫌な顔をして、
「ブランド物じゃないんじゃね」
とか、
「実用的には、いいかもしれないけれど、こんな、大きなフード、がついていたら、格好が悪いわ。彼氏も見ているし」
とか、
「無料で試して着てみるなら、いいけれど、8000円も出してまで、買う気にはならないわ」
とか、みな、否定的な返事ばかりで、買う客はいなかった。
女は、あせった。
(こんなはずでは、なかったはずなのに。なぜ売れないのかしら)
宣伝が足りないからだわ。
そう思って、女は、多くの、女性週刊誌に、大金を払って、広告を載せてもらった。
しかし、客はやって来ない。
やって来ても、買わない。
女は、あせった。
二ヶ月過ぎ、三ヶ月過ぎても、全く、売れなかった。
かろうじて、中学、高校の同級生や、親戚に知らせたら、友達や、親族のよしみで、買ってくれたが、一般の客は買ってくれなかった。
女は、あせった。
そして、ふと、あることを、思い出した。
それは、ファイナンシャル・プランナー時に、アシスタントの、筒井順子が、女が、作った、フードつきのバスローブを、「グッド・アイデア」と、満面の笑顔で、誉めてくれたことである。
その誉め言葉が嬉しくて、女は、NYスタイルのハウスウェアショップを日本で開店させようと、決断したのである。
それで、女は、アメリカの、筒井順子に電話してみた。
電話をすると、すぐに、元アシスタントだった、筒井順子が電話に出た。
「順子。あなた、私のフードつきのバスローブ、とっても良いって言ってくれたわよね」
「ええ」
「でも、売れないの。どうしてかしら?」
「石川さん。正直に言うわ。私。本心では、あれ。ダサいと思っていたの。でも、それを、言うと、あなたが傷つくから、本心は言えなくって。良いって言ったの」
「ええっ。そうなの?」
「ええ。まさか、本当に、あれで事業をするなんて、思ってもいなかったの。ごめんなさい」
そう言って、筒井順子が電話を切った。
女の頭は、真っ白になった。
アシスタントの褒め言葉は、本当だと、女は信じていたからである。
女は、がっくり、と、肩を落とした。
その時、女に、また、ふと一人の人物が頭に浮かんだ。
「マネーの虎」の番組の時、彼女を徹底的に、コケにした、堀之内九一郎、貞廣一鑑、加藤和也、高橋がなり、に対し、一人だけ、自分を認めてくれた、南原竜樹の存在である。
女は、藁にもすがる思いで、南原竜樹の意見を聞いてみようと、電話してみた。
そうしたら、南原竜樹は、こう言った。
「石川さん。僕は、あなたのNYでの、経歴を聞いて、あなたを敬愛するようになってしまったのです。僕には、あなたのような、素晴らしい経歴がないものですから。それで、皆が、あまりにも、あなたを、ひどく言うものだから、つい、せめて、僕一人くらい、あなたを、認めてあげたいと思ってしまったんです。本心を言うと、事業は、僕も成功するとは思っていませんでした」
女は、頭をハンマーで殴られたような気になった。
ここに至って、女は、やっと、自分の事業が失敗だったことに気がついた。
なんせ、三ヶ月、必死に、売り込みしても、買ってくれる客は一人もいなかったからである。
堀之内九一郎、や、貞廣一鑑の、「絵空事」だの「机上の空論」だのの言葉が、ただでさえ、焦っている彼女の頭をよぎっていった。
ついに、彼女は、店を閉じる決断をした。

彼女は、店を閉じた。
売れないことは、もう、確実なのだ。
ならば、銀座の一等地のビルなどという、目玉が飛び出るほどの、テナント料は、即刻、中止した方がいい。
しかも、資金を全て、使ってしまった上、多くの、女性週刊誌に、大金を払って、広告を載せてしまったのである。
彼女には、一文無しになり、銀行に、必死で、お願いして融資してもらった、多くの女性週刊誌への広告料の、債務だけが残った。

しかし、彼女に一つの疑問が残った。
なぜ、「マネーの虎」の、番組中では、否定的だった、高橋がなり、が、最後に、突然、態度を変え、出資したのか、ということである。
これは、どう考えても、わからなかった。

都内のマンションに住んでいた彼女は、埼玉県の、家賃3万円の、安アパートに引っ越した。
彼女は、高橋がなり、に、おびえていた。
大見栄をきって、自信満々なことを言ってしまったからだ。
そして、それが失敗してしまったからだ。
失意で無為の日が続いた。
彼女の、毎日の、食事は、コンビニで、値段の割に、カロリーのあるものになっていた。
一日の食費は、500円、以内に抑えた。
彼女は、高橋がなり、に、おそれると、同時に、彼に会ってみたいという気持ちも、起こってきた。
理由は、全くわからないが、高橋がなり、は、彼女に、一千万円、投資してくれたのである。
しかも、笑顔で、「頑張って下さい」と言って、握手まで、してくれたのである。

無為の日を続けていても仕方がない。
彼女は、勇気を出して、高橋がなり、に、電話してみた。
トルルルルッ。
「はい。高橋がなり、です」
高橋がなり、が電話に出た。
「あ、あの。い、石川です。マネーの虎で、NYスタイルのハウスウェアショップの開店資金、一千万円を、出資していただいた・・・」
女は、高橋がなり、が、どう出るか、わからず、おそるおそる聞いた。
「やあ。石川さんですか。久しぶりですね。店は繁盛していますか?」
高橋がなり、が聞いた。
「あ、あの。誠に申し訳なく、言いにくいのですが、事業は、失敗してしまいました」
彼女は、勇気を出して言った。
「ええ。それは、知っています。この前、銀座に行った時、あなたの店が閉店して、テナント募集、の広告が貼ってありましたから」
高橋がなり、の、口調は、落ち着いていた。
そのことに、彼女は、ちょっと安心した。
「今、何をしているんですか?」
高橋がなり、が聞いた。
「埼玉県の、安アパートに引っ越して、これから、どうしようかと、迷っています」
女が言った。
「そうですか。もし、よろしかったら、一度、お会いしませんか?」
高橋がなり、が、聞いた。
「は、はい」
「明日で、よろしいですか?」
「は、はい」
女は、これから、どうしようかと、毎日、悩んでいる日々なので、都合などなかった。
ともかく、早く会いたかった。
「では場所は、私の会社の事務所で構いませんか?」
「は、はい。では、明日、お伺い致します」
そう言って、彼女は電話を切った。

翌日になった。
彼女は、久しぶりに、スーツを着た。
そして、JR高崎線に乗って、東京へ出た。
そして、高橋がなり、の会社である、ソフト・オン・デマンドに行った。
ソフト・オン・デマンドは、東京都中野区本町に、あった。

女は、「社長と今日、お会いすることになっています」と言った。
それで、通された。
社員たちが、忙しく、立ち働いている。
女は、社長室に通された。
「やあ。石川さん。久しぶり」
高橋がなり、は、女を見ると、笑顔で挨拶した。
「も、申し訳ありません。高橋さま。期待を裏切ってしまって」
女は、土下座して、頭を深く下げて謝った。
「いえ。いいんです。事業は、カケですから」
がなり、の口調は、冷静だった。
高橋がなり、も、二回ほど、事業に失敗しているので、こういう場合も自分が、経験しているので、冷静なのだろう。
「実は、僕は、あなたの事業は、必ず失敗すると、確信していたんです」
と、高橋がなり、が言った。
「で、では。どうして、出資して下さったんですか?」
女は、びっくりして、聞き返した。
「まあ。いいじゃないですか。それより、貸したお金は、返して頂けるんでしょうか?」
高橋がなり、が、聞いた。
「申し訳ありません。私は、今、銀行の、取り立てに追われていて、逃げているような状況なのです。とてもじゃないですが、今、お支払いすることは、出来ません」
女は、冷や汗を流しながら言った。
「しかし、お金を返す約束は、したじゃないですか?」
高橋がなり、の口調が、少し、ビジネスライクに、冷たくなった。
「も、申し訳ありません。そう言われましても・・・」
女は、それ以上、何も言えなかった。
「じゃあ、ある、お金を稼ぐ方法が、あります。それは、あなたにしか、出来ません。どうですか。やりますか。もし、やる、というのなら、貸した、一千万円は、チャラにしてあげます。さらに、もしかすると、あなたも、かなりの収入を得られるかもしれません。僕は、それを、あなたに、ぜひ、お願いしたいんです」
高橋がなり、が、突然、そんなことを言い出した。
「一体、何なんでしょうか。その、私にしか出来ない、お金を稼ぐ方法というのは?」
女は、がなりの考えていることが、さっぱり、わからなかった。
「あなたは、僕のしているアダルトビデオ会社を、どう思いますか?」
高橋がなり、が、聞いた。
「それは、もちろん、アダルトビデオ会社も、立派な、事業だと、思います。詳しくは知りませんが、アダルトビデオ業界も、競争が激しくて、たいへんだ、ということは、聞いています」
女が答えた。
「そうなんですよ。我が社、ソフト・オン・デマンドも、今一つ、ヒット作が出なくて、経営が苦しい状態なんです」
高橋がなり、が、言った。
「そうなんですか」
「それで。単刀直入に言いますが。私の、お願いとは、あなたに、AV女優を演じてもらいたい、ということなんですよ。一作品で、構いません。どうですか。やって頂けるのなら、一千万円は、チャラにしてあげます。あなたのギャラも、はずみますよ」
と、高橋がなり、は、言った。
女は、さすがに顔を真っ赤にした。
「で、ても。私。女優なんて、したこと、一度もありませんし。それに、私。そんなに、綺麗でも、ないし・・・」
女は、突然の、がなり、の申し出に、動揺した。
もちろん、いきなり、そんなことを、言われれば、女なら、誰だって動揺する。
「ははは。AV女優なんて、みんな、たいして演技など、上手くありませんよ。それと、あなたは、謙遜しているけれど、とても、綺麗ですよ。それと、セリフも、覚える必要もありません。あなたが思っていることを、そのまま、言ったり、やったり、してくれれば、それで、いいのです。下手に、お芝居するより、地、でやった方が、素人っぽかったり、リアル感が出で、いい、ヒット作が出来ることも、多いのです。そこは、私は、この仕事のプロですから、そこらへんの事情は、よく知っています」
と、高橋がなり、は、余裕の口調で言った。
しばし、女は、ためらっていた。
人前で、裸になったことなど、一度も無く、そんなことは、とても恥ずかしくて、出来にくく、しかも、いきなり、そんなことを、言われて、女は、激しく、動揺し、困惑していた。
しかし、たった一作だけで、借りた、一千万円を、チャラにしてもらえるのなら、こんな簡単で、いい話はない。
しばし、迷ったあげく、女は、
「わかりました。やります」
と、顔を赤くして、答えた。
それしか、一千万円を返済する方法が無かった。からだ。
しかし、自分のような、素人で、しかも、顔も、普通ていどの女なのに、その一作が、ヒットするとは、とても思えなかった。
「ありがとうごさいます。では、早速、始めましょう。このビルの地下で、撮影します」
高橋がなり、は、そう言って、立ち上がった。
女も立ち上がった。
高橋がなり、のあとについて、女は、地下室に降りていった。

地下室は、電気が点いてなく、真っ暗だった。
高橋がなり、が、部屋の明かりのスイッチを、押すと、パッと、一気に、部屋は明るくなった。
「ああっ」
女は、思わず、悲鳴をあげた。
なぜなら、部屋には、椅子が、横一列に並んでおり、それに、堀之内九一郎、貞廣一鑑、加藤和也、が、座っていたからである。
「やあ。石川さん。久しぶり」
と、堀之内九一郎が、ニヒルな、そして、意地悪な顔つきで、挨拶した。
女は、戸惑った。
一体、どういうことなのか、さっぱり、わからなかったからである。
地下室には、カメラを持ったカメラマンもいて、撮影の用意は、整っている様子だった。
「高橋さん。これは、一体、どういうことなんですか?」
女が聞いた。
「ふふふ。私が電話したんですよ。あなたが、主役のAV作品を、作るから、出演しませんかって。皆、二つ返事で、出演を引き受けてくれたんです」
と、高橋がなり、が、説明した。
「ひどいわ。高橋さん。ただでさえ、みじめなのに、こんな、落ちぶれた女を、見せ物にしようなんて」
女は、高橋がなり、の袖を引っ張って言った。
「石川さん。あなたは、全然、わかっていませんね。単なる、ありきたりの、AV作品を、作っても、売れません。あなたが、マネーの虎、に出演した時から、もうすでに、ストーリーは、始まっているんです。この作品は、作り物ではなく、実話だからこそ、売れる、と私は確信したんです。もちろん、マネーの虎、の、映像も、作品の一部として使います」
と、高橋がなり、が言った。
「で、でも。あんまりですわ」
女は、今にも泣き出しそうだった。
「石川さん。僕は、ソフト・オン・デマンドで、成功するまで、会社を二つ、潰してしまいました。しかし、それが、いい勉強になったのです。人間は、一度、徹底的に、落ち切った方が、その後、強くなれるんです」
そう、高橋がなり、が説諭した。
「もう、作品のタイトルも、決まっているんです。「美人女社長。借金まみれ。地獄落ち」というタイトルです」
と、高橋がなり、が言った。
「ひ、ひどいわ」
女は、今にも泣き出しそうだった。
「さあ。石川さん。着ている物を、全部、脱いで下さい」
と、高橋がなり、が言った。
女は、佇立したまま、石膏のように、体か、ガチガチに固まってしまった。
無理もない。
かつて、「マネーの虎」で、自分の事業計画を、ボロボロに、言われた、社長たちが、目の前にいるのである。
しかし、彼女は、番組に出た時には、どんなに、貶されても、絶対、事業を成功させる自信をもっていた。
なにせ、念には念を入れて、徹底的に、調べ上げたからである。
それを、ボロボロに否定した、社長たちを、事業を成功させて、見返してやる、という気持ちが、負けず嫌いの彼女には、強くあったのである。
しかし、結果は、社長たちの言った通りの、大失敗におわったのである。
顔を合わせることさえ、恥ずかしいのに、社長たちの前で、裸になることなど、屈辱の極致だった。
そんな感情が、彼女の、頭を、グルグル駆け巡って、彼女は、立ち往生してしまったのである。
現に、今、脱がないまでも、社長たちに、見られていることに、死にたいほどの、屈辱と、みじめさ、を、彼女は、感じていた。
「さあ。石川さん。着ている物を、全部、脱いで下さい」
迷って、佇立している女に、高橋がなり、が、声をかけた。
しかし、彼女は、どうしても、服をぬぐことは出来なかった。
「石川さん。やっぱり、やりたくない、というのなら、それでもいいですよ。その代り、一千万円は、必ず、払って下さいよ」
高橋がなり、が言った。
彼女は、はっと、目を覚まされた思いがした。
社長たちの前で、裸になるのは、死にたいほど恥ずかしいが、一千万円を、返すには、それしか、方法が無いのだ。
「わ、わかりました」
そう言って、彼女は、灰色の、上下そろいの、スーツを脱ぎ出した。
ジャケットを脱ぎ、そして、スカートも、脱いだ。
そして、ブラウスも脱いだ。
彼女は、ブラジャーと、パンティーだけ、という格好になった。
しかし、それ以上は、どうしても、脱ぐことが出来なかった。
「ほー。石川さん。番組に出ていた時より、かなり、スレンダーになりましたね」
堀之内九一郎が、嫌味っぽい口調で言った。
それは、そうである。
店を閉めてから、彼女の食費は、一日、500円、以下におさえてきたのだから。
いやらしい目で、見られている、という実感が、瞬時に、刺すように彼女を襲い、彼女の顔は、羞恥心で、真っ赤になった。
彼女は、少しでも、体を隠そうと、胸と股間の辺りに、手を当てた。
一千万円を、返すためには、身につけている、ブラジャーと、パンティーも、脱がなくては、ならないとは、わかっているのだが、どうしても、それが出来なかった。
そもそも、社長たちは、大学も出ていない、成り上がり者ばかりだが、自分は、アメリカの大学を優秀な成績で出て、アメリカで、ファイナンシャル・プランナーとして、7万ドルの年収があった、エリートだというプライドが、彼女の心には、番組に出た時から、根強くあった。
自分ほど、頭が良く、能力のある人間はいない、と彼女は、自信をもっていた。
それなら、会社の一社員として、給料をもらっているより、自分が、事業者となって、もっと、自分の能力をフルに発揮して、大きな仕事をしたいと思うようになったのである。
そのプライドを、彼女は今でも、もっているのである。
佇立したままの彼女を見かねて、
「仕方がないですね。それじゃあ・・・」
と、高橋がなり、が言って、胸ポケットから、携帯電話を取り出した。
「もしもし。AV男優を、二人ほど、地下室に来させて」
と、高橋がなり、が言った。
すぐに、二人の、AV男優が、地下室にやって来た。
いかにも、スケベそうな顔つきである。
「彼女は、恥ずかしくて、どうしても、脱げないんだ。仕方がないから、お前達が、脱がせてやれ」
高橋がなり、が、そう、二人のAV男優に言った。
「へへへ。わかりました」
二人のAV男優は、舌舐めずりしながら、女に近づいて、獣のように、サッと、彼女に襲いかかった。
一人が、彼女の背後から、羽交い絞めにした。
そして、もう一人が、彼女の前に立って、女の、ブラジャーのフロント・ホックを外した。
ブラジャーに覆われていた、大きな乳房が弾け出た。
「や、やめてー」
彼女は、悲鳴をあげた。
しかし、前の男は、聞く耳など、持とうとする様子など、全く無く、女の、パンティーの、ゴム縁を、つかむと、サッと、パンティーを引き下げてしまった。
そして、パンティーを足から抜きとった。
これで、女は、一糸まとわぬ、丸裸にされてしまった。
二人のAV男優は、彼女の手首を、重ねて、縛ると、その縄尻を、天上の梁にひっかけた。
そして、その縄尻を、グイグイ引っ張っていった。
それにつれて、どんどん、女の手首は、頭の上に引っ張られていき、女は、梁から、吊るされる格好になった。
女の、全裸姿が丸見えとなった。
「ああー」
女は、激しい羞恥で、叫び声を上げた。
無理もない。
テレビでは、社長たちに、どんなに、コケにされても、事業を成功させる自信を持っていて、その自信の発言を貫き通したのに、その事業が、物の見事に失敗した上、に、その社長たちの前で、丸裸を晒しているのである。
女にとっては、いっそ、死んでしまいたいほどの、屈辱だった。
「どうですか。石川さん。今の気持ちは?」
高橋がなり、が聞いた。
「みじめです。恥ずかしいです。いっそ、死んでしまいたいほど」
女は、嗚咽しながら、言った。
「社長。これから、どうしますか?」
AV男優が聞いた。
「それじゃあ。まず、鞭打ってやれ。手加減は、いらないぞ。思い切りやれ」
高橋がなり、が言った。
「わかりました」
AV男優は、ニヤリと、笑って、彼女の、後ろに立ち、ムチを構えた。
そして、思い切り、ムチを振り下ろした。
ビシーン。
ムチが女の、ムッチリした、豊満な尻に命中した。
「ああー」
女は、苦しげな顔で、悲鳴をあげた。
全身が、プルプル震えている。
「もっと、続けろ」
高橋がなり、が冷たい口調で言った。
AV男優は、ニヤリと、笑って、女の、尻や、背中、太腿、などを、力の限り、続けざまに鞭打った。
ビシーン。
ビシーン。
ビシーン。
大きな炸裂音が、地下室に鳴り響いた。
「ああー。ひいー。痛いー」
女は、髪を振り乱し、泣きながら、叫び続けた。
体を激しく、くねらせながら。
女は、さかんに、モジモジと、足を交互に、踏んだ。
それは、耐えられない苦痛を受けている人が、無意識のうちに、とってしまう、やりきれなさ、から何とか逃げようとする、苦し紛れの、無意味な、動作だった。
その動作の激しさ、からして、女の、受けている苦痛の程度が、察された。
「よし。ちょっと、鞭打ちを、やめろ」
高橋がなり、が言った。
言われて、AV男優は、鞭打ちを止めた。
「石川さん。どうですか。今の気持ちは?」
高橋がなり、が聞いた。
「も、もう、許して下さい」
女は、美しい黒目がちの瞳から、涙をポロポロ流しながら言った。
もう、女には、元、ファイナンシャル・プランナー、のエリート社員のプライドなど、無かった。
ただただ、この、地獄の、鞭打ちの、苦痛から、解放されたい、という思いだけが、女の心を占めていた。
「よし。じゃあ。彼女も、立ちっぱなしで、疲れただろうから、縄を緩めてやれ」
そう、高橋がなり、が言った。
AV男優は、女を吊るしている、縄尻を緩めた。
ピンと張って、女を吊るしていた、縄が、緩んでいった。
それにともなって、女は、力尽きたように、クナクナと、地下室の床に座り込んだ。
座った位置で、女の、手首が、頭の上に残されている程度で、AV男優は、縄を固定した。
女は、シクシク泣きながら、横座りしている。
高橋がなり、は、女の手首の縛めを解いた。
女は自由になったが、もう抵抗しようとする気力は無かった。
「石川さん。あなたは、もう、全てのプライドを捨て切れたでしょう?」
高橋がなり、が聞いた。
「はい」
女は、シクシク泣きながら、言った。
「人間、落ちきる所まで、落ちきった方が、成長するんです。僕も、会社を二つ、潰したことが、たいへん貴重な経験となり、今の事業で成功したんです。堀之内九一郎さんも、30回も、事業に失敗して、ホームレスにまで、なったために、その経験のおかげで、今の事業で成功しているんです」
と、高橋がなり、が言った。
「はい」
と、女は素直に返事した。
「あなたは、もう、人間ではなく、メス犬になりなさい」
そう言って、高橋がなり、は、彼女の首に、犬の首輪を、つけた。
首輪には、ロープが、ついていた。
彼女は、精神も肉体も、力尽きていて、逃げようとも、抵抗しようとも、しなかった。
「さあ。あなたは、メス犬です。四つん這いになって、この部屋の中を、壁に沿って、這いなさい」
と、高橋がなり、が、言って、首輪についている、ロープをグイと、引っ張った。
女は、シクシク泣きながら、四つん這いになって、犬のように、地下室の中を、壁に沿って、のそり、のそり、と、這って歩き出した。
高橋がなり、は、ニヒルな笑いを、浮かべながら、丸裸で這って歩いている女の首輪についている、ロープを握りながら、女と共に、歩いた。
それは、まさしく、犬の散歩のように見えた。
しかし、それは、あまりにも、美しすぎた。
ムッチリ閉じ合わさった大きな尻は、歩くにつれ、左右に揺れた。
豊満な二つの、乳房は、熟れた果実のように、仲良く、並んで、実った果実の重さによって、下垂したまま、歩くにつれて、小さく揺れた。
美しい、長い黒髪は、自然に垂れて、髪の先は床に触れた。
地下室の、角に来た時。
「さあ。犬は、自分の、なわばり、の印をつけるために、散歩の時には、オシッコをします。あなたも、犬のように、片足を上げて、オシッコをしなさい」
そう、高橋がなり、が、命じた。
「は、はい」
女は、高橋に命じられたように、犬のように、四つん這いのまま、片足を上げた。
それは、この上ない、みじめな、姿だった。
しばしして。
シャー、と、女の陰部から、小水が、勢いよく放出された。
それは、まさに、犬の放尿の姿であった。
小水を、全部、出し切ると、女は、上げていた片足をもどして、四つん這いになり、また、高橋がなり、に、ロープをとられたまま、四つん這いで、壁に沿って、歩き出した。
地下室を一周すると、そこには、何かの物が入った、小皿が置いてあった。
「ふふふ。石川さん。これは、ドッグフードです。さあ、食べなさい」
高橋がなり、が、言った。
「は、はい」
女は、四つん這いのまま、シクシクと、泣きながら、皿に顔を入れて、ドッグフードの塊を、一粒づつ咥えて、食べた。
「石川さん。どうですか。今の気持ちは?」
高橋がなり、が、聞いた。
「み、みじめです。いっそ、死んでしまいたいほど」
女は、シクシク泣きながら、言った。
「では、社員たちのうちで、彼女に何か、したい人はいますか?」
高橋がなり、が聞いた。
「では、私が・・・」
そう言って、堀之内九一郎が、椅子から立ち上がって、ツカツカと女の前に来た。
「石川さん。やっぱり、私の言った通り、あなたの事業計画は、絵空事だったでしょう」
堀之内九一郎が、言った。
「はい。そうでした」
女は、素直に返事した。
「あなたは、せっかく、我々のような、事業の経験がある人間が、経験から、親身になって、アドバイスしたのに、あなたは、それに、全く聞く耳をもとうとしなかった。あなたは、性格が傲慢なのです。それが、事業が失敗した、原因の一つです。あなたが、聞く耳をもっていれば、こんなことには、ならなかったのですよ」
毎回、金は出さないが、やたら説教して、偉がってばかりいる、堀之内九一郎が、言った。
「はい。おっしゃる通りです」
女には、もう、プライドも、羞恥心も無くなっていた。
「では、私のアドバイスを聞かなかった罰として、私のマラをなめなさい」
そう言って、堀之内九一郎は、ズボンを降ろし、パンツも脱いだ。
そして、露出した、マラを、女の顔に突き出した。
「さあ。しゃぶりなさい」
言われて、女は、堀之内九一郎のマラを口に含んだ。
女は、もう、自暴自棄になっていて、激しい自己嫌悪から、一心に、堀之内九一郎のマラを、貪るように、しゃぶった。
だんだん、堀之内九一郎のマラが、怒張しだし、クチャクチャと音をたて始めた。
堀之内九一郎は、うっ、と、顔を歪め、
「ああー。出るー」
と叫んだ。
堀之内九一郎のマラの先から、精液が、ドクドクと放出された。
女は、それを、咽喉をゴクゴク鳴らしながら、全部、飲み込んだ。
「はあ。気持ちが良かった」
堀之内九一郎は、満足げに言った。
堀之内九一郎は、学歴も無く、30回も事業を起こして失敗し、ホームレスになったほどなので、彼女のような、インテリの、エリートには、激しい劣等感を持っているのである。

「貞廣さんは、彼女に何かしますか?」
高橋がなり、が聞いた。
貞廣一鑑は、手を振った。
「いえ。僕は、いいです。彼女も、本心から、自分の、非を認めていますから」
そう、貞廣一鑑は、言った。
「では、加藤和也さんは、彼女に何かしますか?」
高橋がなり、が聞いた。
「オレ。もう、イイっすよ。そんなに、発言していないし・・・オレ、そろそろ帰ります」
美空ひばりの息子で、ひばりプロダクションの社長の、加藤和也は、そう言って、椅子から、立ち上がろうとした。
「いや。加藤さん。あなたも、否定派だったじゃないですか。あの番組の時、否定した社長が、そろっている、ということが、大切なんですよ」
と、言って、高橋がなり、が、とどめた。
加藤和也は、
「そうですか」
と言って、椅子に腰を降ろした。

高橋がなり、は、自分の、腕時計を見た。
時計の針は、夜の9時を指していた。
地下室には、大きな、檻があった。
「彼女を檻に入れろ」
高橋がなり、が言った。
「はい。社長」
AV男優は、彼女の腕をつかんで、立ち上がらせた。
「さあ。歩け」
二人のAV男優は、彼女の、二の腕を、つかんで、檻の方へ、彼女を連れて行った。
「な、何をするのですか?」
女は、不安から聞いた。
「しれたことよ。お前を、檻の中に、入れて、飼うんだ」
AV男優が言った。
女は、真っ青になった。
「嫌―。やめてー。そんなことー」
女は、叫んだが、両側から、力のある男に、腕を、つかまれているので、抵抗することが出来なかった。
一人の男が、檻を開けると、もう一人の男が、ドンと女の背中を押して、女を檻の中に入れた。
「出して。お願い。ここから、出して」
女は、鉄柵を揺すって、訴えた。
しかし、二人のAV男優は、ニヤニヤ笑っているだけである。
「高橋さん。いつ、出してくれるんですか?」
女は、高橋がなり、に、視線を向けて、聞いた。
「ふふふ。さあ。それは、わかりません。まあ、あなたのアダルトビデオによって、一千万円の儲けが出るまでですね」
高橋がなり、は、薄ら笑いを浮かべて言った。
女は、いつ、この檻から、出してもらえるのか、わからない恐怖におののいた。
もしかすると、永久に、この檻の中に、入れられたままになるのではないか、という不安が、激しく、女を襲った。
「出して。お願い。ここから、出して」
女は、鉄柵を激しく、揺すって、訴えた。
「石川さん。あなたは、事業に失敗したら、死ねますか、と、私が、聞いたのに対して、あなたは、はい、と答えたじゃないですか。あれは、ウソだったんですか?」
と、貞廣一鑑が言った。
女は、答えられず、うわーん、うわーん、と泣き出した。
その時。
ガチャリと、地下室の戸が開いた。
「やあ」
と言って、豚骨ラーメン会社の、川原ひろし、が入ってきた。
「やあ。川原さん」
と、高橋がなり、が、挨拶した。
川原は、豚骨ラーメン、なんでんかんでん、の社長である。
しかし、南原竜樹は、彼を、ラーメン屋、と呼んで、バカにしていた。
南原は、川原を、事業者、社長とは、見なしていなかった、のである。
川原は、出前用の倹飩箱を持っていた。
川原は、檻の前に来ると、倹飩箱を開けた。
その中には、豚骨ラーメン、が、入っていた。
それは、温かそうな湯気を出していた。
「さあ。腹が減ったでしょう。うまい豚骨ラーメンですよ。食べなさい」
そう言って、川原やすし、は、豚骨ラーメン、を、檻の中に入れた。
女は、どういう意図なのか、わからなくて、高橋がなり、を見た。
もしかすると、豚骨ラーメン、の中に、青酸カリが入っているのではないか、という猜疑心まで、起こっていたのである。
「ははは。石川さん。毒など、入っていませんよ。あなたは、我が社の、大切な、AV女優なのですから。さあ。食べなさい」
と、高橋がなり、が、女の心配を先回りして、安心させるよう、言った。
女は、高橋がなり、の言葉を信じた。
すると、途端に、腹が減ってきて、女は、貪るように、豚骨ラーメン、を、食べ出した。
無理もない。
女は、ハウスウェアショップを閉じてから、毎日、食事代は、500円以下で、生活してきたのである。
裸で、檻の中、という状況ではあったが、豚骨ラーメン、は、この上なく、うまかった。
「石川さん。僕は、あなたが、出演した時には、出席しませんでしたが、テレビで観ていましたよ。あなたの事業は、絶対、失敗すると、確信していましたよ。南原竜樹は、いつも、私を、ラーメン屋、と呼んで、バカにしていましたが、あの男の予想は、見事に外れましたね。私は、それが、痛快でならないのです。敵の敵は、味方ですから、高橋さんに、来ないか、と、呼ばれた時、二つ返事で、行く、と言ったのです」
と、川原やすし、は、言った。
「さあ。皆さん。もう、今日は、遅いですから、お帰り下さい」
高橋がなり、が言った。
「彼女は、これから、どうするのですか?」
川原やすし、が、聞いた。
「さあ。まだ。決まっていません。ともかく、しばらくは、檻の中で、過ごすことになるでしょうね。一千万円、我が社が儲かるまで・・・」
と、高橋がなり、が言った。
「それでは、帰るとするか」
と、堀之内九一郎が言って、立ち上がった。
貞廣一鑑、加藤和也、そして、高橋がなり、も、立ち上がって、地下室を出ていった。
撮影していたカメラマンも、地下室を出ていった。

一人になると、今度は、耐えられない、孤独と、寂寞感が、襲ってきて、彼女は、わーん、と、号泣した。

かなりの時間が経過した、ように女には感じられた。
女は、激しい不安に駆られた。
せめて時計があけば、今、いつで、何時が、わかって、少しは安心できるが、ガランとした地下室には、何も無く、その空虚さが、女を、余計、不安にさせた。
明日は、一体、どんな責めをされるのかと、思うと、女は、耐えきれなくなって、泣いた。
一体、いつまで、この地下室に、入れられ続けられるのだろう。
せめて、それを、言ってくれれば、かえって、安心できるのだが、何をされるか、わからない、というのは、気の小さい、人間の不安を余計、あおって、不安をかきたててしまう。
未知の不安というものは、人間に、最悪な妄想をかきたててしまう。
女は、チラッと壁を見た。
すると。壁にある三つの点が、人間の目と口に見えてきて、それが、やがて、人間の顔に、そして、さらに、悪魔の顔に見えてきて、女は、怖くなって、壁を見ることも出来なくなってしまった。
女の脳裡に、ニューヨークで、ファイナンシャル・プランナーとして、バリバリ働いていた、充実した日々が思い出されてきた。
アシスタントに命令し、テキパキ仕事をこなしていた、自分が思い出された。
そして、日本で、NYスタイルの、ハウスウェアショップを展開して、バリバリ稼ぐ、女社長を、想像の内に、夢見ていた、幸福だった頃の自分も、思い出されてきた。
それが、現実には、事業に完全に失敗し、丸裸で、檻の中に入れられている自分を思うと、女は、天国から地獄へ落ちてしまった、その落差に、泣いた。

かなりの時間が経過した。
その時である。

ギイー、っと、静かに、地下室の戸が開いた。
南原竜樹が、立っていた。
女は、びっくりした。
丸裸を見られる恥ずかしさ、より、南原が、はたして、他の社長と同じように、高橋がなり、に頼まれて来たのか、それとも、そうではないのか、ということが、今の、彼女の最大の、関心事だった。
南原竜樹は、檻の前にやって来た。
「南原さん。どうして、ここに来たんですか?」
女は、南原竜樹に聞いた。
南原竜樹は、話し出した。
「石川さん。あなたが、銀座に、ハウスウェアショップを出したことは、当然、知っていました。その後の動向も。しかし、店は、儲からず、閉店してしまいましたよね。僕は、高橋がなり、が、突然、気が変わりして、あなたに、投資する、と言った、理由が、番組の時には、どうしても、わからなかったんです。僕は、その理由を考え続けました。しかし、どうしても、その理由が、わからなかったんです。しかし、堀之内九一郎、や、川原ひろし、が、さっき、私に、電話してきたんです。南原さん。あなたの判断は、見事に、間違いましたね。と、言ってきたんです。思わせ振りに、得意そうに。それで、もしかすると、こういうことになっているのでは、ないのか、と、思ったんです。案の定でしたね。僕は、忍んで来たので、高橋がなり、や、他の社長たちに、見つかると、やっかいです。さあ。逃げましょう」
と、南原竜樹は言った。
「ああ。南原さん。あなたは、私の救い主です。私の命の恩人です。何と、お礼を言ったらいいのか、わかりません。一体、いつまで、ここに、閉じ込められるのか、わかりません。もしかすると、死ぬまで、閉じ込められるのかもしれないと思うと、こわくて、こわくて。さらには、アダルトビデオを撮った後に殺されてしまうのではないかとも思えてきて。発狂する寸前でした」
女は、号泣しながら、言った。
「では、すぐに、逃げましょう。今、夜中の3時です。ここの会社には、今、誰もいません」
と、南原竜樹は言った。
「でも、檻には鍵がかかっています」
女が言った。
「社長の机の引き出し、の中に、キーホルダーがあって、いくつもの、鍵が、まとまって、いるのを、見つけました。まず、この中に、この檻の鍵も、あるはずです」
そう言って、南原竜樹は、鍵が、5つほど、ついている、キーホルダーを出した。
「この檻の鍵は、たぶん、これでしょう」
南原竜樹は、そう言って、鍵穴に、小さめの鍵を差し込んだ。
そして、鍵を回した。
ガチャリ。
鍵が開いた。
南原竜樹は、檻の戸を開けた。
「ああ。南原さん。あなたは、命の恩人です」
女は、檻の中から、出てくるなり、号泣して言った。
「・・・話は、あとにして、ともかく、はやく逃げましょう。この会社の外に、僕の車がとめてあります」
南原竜樹が言った。
「はい」
女は、素直に返事した。
地下室の隅には、女の着ていた、下着や、スーツが、散らかっていた。
女は、パンティーを履き、ブラジャーを、つけた。
そして、灰色の、スーツの上下を着た。
「さあ。ここを出ましょう」
「はい」
二人は、地下室を出た。
そして、ソフト・オン・デマンドの事務所も出た。
外には、南原竜樹の、BMWが置いてあった。
南原は、助手席を開け、彼女を乗せ、自分は、運転席についた。
南原は、エンジンを駆けた。
車は、勢いよく、走り出した。

時刻は、夜中の3時で、外は、真っ暗である。
24時間、営業の、コンビニや、ファミリーレストランだけが、その中で、ひっそりと、明かりを灯していた。
南原は、すぐに首都高速の入り口に入り、首都高速を、飛ばした。
車好きだけあって、南原の運転は、女に、格好良く、見えた。
しかも、自分を救出してくれたのである。
女には、南原竜樹が、とても、格好のいい、頼もしい、男に見えた。
女は、助手席で、うっとりしていた。
「石川さん。とりあえず、僕のマンションへ、行く、ということで、よろしいでしょうか?」
南原竜樹が聞いた。
「はい」
女は、うっとりした、表情で言った。
「あ、あの。南原さん」
「はい。何ですか?」
「あ、あの。肩に、頭を乗せても、よろしいでしょうか?」
女が聞いた。
「どうぞ」
南原竜樹が答えた。
女は、運転している南原の、肩に、頭を乗せた。
女は、何だか、南原と、ドライブしているような、ロマンチックな気分になった。
(ああ。南原さん)
と、女は、心の中で、呟いた。
やがて、車は、首都高速の出口から出た。
そして、六本木の高層マンションの、地下パーキング場に入った。
南原は、駐車場に車をとめた。
「さあ。石川さん。着きました。ここが私の住んでいるマンションです」
そう言って、南原は、サイドブレーキを引き、ドアロックを解除した。
南原と、女は、車を降りた。
そして、二人は、マンションのエレベーターに乗った。
南原の部屋は、15階だった。
「さあ。どうぞ。お入りください」
南原が言った。
「はい」
女は、南原の部屋に入った。
部屋は、3LDKのデラックスな部屋だった。
リビング・ルームには、テーブルを挟んで、ソファーが向かい合うように、配置されていた。
「さあ。石川さん。座って下さい」
南原に言われて、女は、ソファーに座った。
南原は、女と、向き合うように、向かいのソファーに座った。
「たいへんでしたね」
南原竜樹が、女を見て言った。
女は、わっ、と泣き出した。
「南原さん。ありがとうございました。南原さんのおかげで、私は、救われました。南原さんは、私の命の恩人です」
と、女は、嗚咽しながら言った。
「いえ。堀之内九一郎と、川原ひろし、が、わざわざ、自慢げな電話をしてきたからですよ。あの電話の、おかげて、僕は、やっと、気づいたんです」
と、南原は謙遜した。
「監禁中は、寒かったでしょう。さあ、これを飲んで下さい」
そう言って、南原は、テーブルの上に置いてあった、ワインをグラスに注いで、女にグラスを渡した。
「ありがとうございます」
女は、礼を言って、ワインをゴクゴク呑んだ。
「ああ。美味しい」
女の顔に生気がもどった。
「地下室では、つらい目にあわされたでしょう。風呂に湯が満たしてあります。どうぞ風呂に入って、疲れをとって下さい」
と、南原竜樹が言った。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、お風呂に入らせて頂きます」
と、女は、言った。
女は、風呂に入った。
温かい湯船に浸かっていると、肉体と精神の、疲れが、一気に、癒されていくような思いになった。
女は、しばし、湯に浸かった後、風呂から出た。
風呂から、あがると、脱衣場には、自分の作った、フードつきのバスローブが置いてあった。
「どうか、これを着て下さい」
と書かれた、小さいメモが置いてあった。
女は、それに従って、自分の、制作した、フードつきのバスローブを着て、リビング・ルームにもどってきた。
「ははは。石川さん。風呂あがりに、また、スーツを着るというのは、不自然ですし、くつろげないでしょう。僕は、あなたの、フードつきのバスローブは、以前に、二着ほど、注文して、買わせてもらいました。男が風呂あがりに着ても、なかなか、着心地がいいですよ」
と、南原は、言った。
女は、顔を赤らめて、南原と、向かいのソファーに座った。
「南原さん。本当に、色々と、ありがとうございました。何とお礼をいっていいのか、わからないほどです」
女は、言った。
「いえ。私の方こそ、あなたに謝らなくてはなりません。私が、番組で、あなたを、認めたのは、他の社長たちが、あまりにも、あなたのことを、酷く言うものだから、彼らに対して、反抗したくなって、あなたを、全面的に認める発言をしたのです。金は出さずに、好き勝手な、説教をしている、彼らを、私は、最初から嫌っていました。もちろん、あなたの、細部にまで、しっかりと計画を練る、優秀な頭脳と、誠実さ、と、やり抜こうとする決断力の強さにも、感激しました。そのため、本心では、事業は、失敗するとは思っていましたが、つい、そのことは、言わずに、あなたを、全面的に、賛辞してしまったのです。ですから、こうなったことには、私にも責任があります」
と、南原竜樹は言った。
「ところで。石川さん。これから、どうしますか?」
南原竜樹が聞いた。
「・・・そうですね。やはり、高橋がなり、さんには、一千万円、の負債が、私には、あります。それは、返さなくてはなりません。高橋さんが、私をどうするつもりだったのか、その本心は、わかりません。檻に入れられた時には、このまま、一生、檻に入れられ続けられるのだろうか、とか、最後には、用無しになったら、殺されるのか、とまで、思ってしまいました。しかし、冷静に考えてみれば、高橋がなり、さんも、アダルトビデオ会社の社長で、そんなことを、するはずは、ありません。私の妄想です。私を、本気で、こわがらせるために、私を檻の中に入れたのだと思います。ましてや、高橋がなり、さんは、社長さんの中でも、優しい性格だと思います。私の、AV作品が、ヒットするとは、私には、思えませんが、ともかく、高橋さんとの約束は、守って、AV作品は、完成するまで、続けようと思っています。これからは、南原さん、が、私のことを、知っていてくれますから、また檻に入れられることになっても、安心です」
と、女は、言った。
「石川さん。あなたは、とても、誠実な人ですね。そういう、あなたの誠実さにも、私は、感激したんです」
と、南原竜樹が言った。
「石川さん。もし、あなたが、よろしければ、私の会社、オートトレーディング・ルフト・ジヤパン、に就職してみませんか。私は、あなたのような、優秀な人材は、ぜひ、欲しい。給料も、はずみますよ」
と、南原竜樹が言った。
「わかりました。高橋さんの、私のAV作品が、完成したら、ぜひ、就職させて下さい。やはり、私には、事業者の能力は無いのかもしれません」
と、女は、言った。
「あなたは、本当に誠実な人だ。私は、番組で、あなたの、プレゼンテーションを聞いているうちに、あなたを、素晴らしく、魅力のある、女の人、と、思ってしまっていたのです」
と、南原竜樹が言った。
「私も、南原さんが、好きです。愛しています」
女は、堂々と、告白した。
二人は、お互いに、相手の目を直視した。
二人の心はもうすでに、一体になっていた。
「石川さん」
「南原さん」
二人は、同時にソファーから立ち上がった。
そして、ガッシリと抱きしめあった。
二人は、お互いの目を見つめ合った。
二人は顔を近づけた。
二人の唇が触れ合った。
南原は、貪るように、女の唾液を吸った。
女も、貪るように、南原の唾液を吸った。
二人は、貪るように、相手の唾液を吸い合った。
「石川さん。寝室に行きましょう」
南原が言った。
「ええ」
女が答えた。
二人は、ベッドルームに、向かって、歩き出した。
男女の愛の営みをするために。
寝室に入ろうとした時だった。
「あっ」
女は、寝室の敷居に、足を引っかけて、前のめりに、倒れた。
「大丈夫ですか。石川さん?」
南原が、急いで女に近づいて聞いた。
「え、ええ」
そう女は、答えたが、右足の足首をおさえている。
南原は、女の足首の辺りを、そっと、押してみたり、伸ばしたり、曲げたりして、具合を確かめた。
「痛いっ」
南原が、女の足首を曲げた時、女は、思わず、声を出し、眉をしかめた。
「骨折は、していませんが、どうやら、足首を、捻挫してしまった、みたいですね」
南原が、言った。
「冷却スプレーと、湿布がありますから、持ってきます」
そう言って、南原は、冷却スプレーと、湿布を持ってきた。
そして、女の右の、足首に、冷却スプレーを、噴きつけた。

その時である。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
「ちょっと、待っていて下さい。今時分、一体、誰でしょう?」
南原は、そう言って、玄関に行って、戸を開けた。
そこには、高橋がなり、が、立っていた。
「あっ。高橋さん。どうして、あなたが、ここにいるんですか?」
南原竜樹が聞いた。
「ははは。南原竜樹さん。実は、あなたが、ここに、来ることは、予想していました。地下室には、隠しカメラを設置しておいたので、あなたが、彼女を救出する場面は、録画させてもらいました。堀之内九一郎と、川原ひろし、の電話で、頭のいい、あなたなら、気づくだろうと、思っていました。あなたが、ソフト・オン・デマンドに来て、そして、彼女を救い出して、ここに連れてくること、は、私は、予測してました。だから、この部屋には、いくつも、あらかじめ、隠しカメラを設置しておいたんです。あなたと、彼女の会話は、全て録画させて、もらいました。彼女は、役者の経験などありませんから、台本で、セリフを覚えさせて、演じさせることは、出来ないだろうと、私は、思っていました。だから、地のままの、彼女の行動を、撮るのが、一番、いいと、思っていたんです。予想通り、いい、撮影が出来ました。本当は、あなたと、彼女のベッドシーンも、撮るつもり、だったんですが、彼女が、捻挫してしまったので、出来なくなって、しまったので、ここで、撮影を中止することに、変更したんです」
そう、高橋がなり、が、言った。
「そうだったんですか。私は、見事に、あなたの計画に、はまってしまいましたね。まあ、ともかく、部屋に入って下さい」
南原に言われて、高橋がなり、は、部屋に入ってきた。
高橋がなり、は、捻挫して、座っている、女を見た。
「ははは。石川さん。南原竜樹さんとの、会話。よく出来ていましたよ。あれを、あなたに、台本で、セリフを覚えさせて、演じさせても、リアル感など、出やしません。下手な三文芝居になるだけです。あなたは、私の予想通り、誠実な人だ。もう、撮影すべきシーンは、ほとんど、撮れていますから、もう、ほとんど、完成です。ただ、南原さんとの、ベッドシーンが撮れなかったことは、残念ですが」
と、高橋がなり、が言った。
「高橋がなり、さん。撮影を放棄して、地下室から、逃げてしまって、申し訳ありません。でも私、本当に、こわかったんです。いつまで、監禁されるのか、と不安になってしまって・・・」
と、女が、言った。
「ははは。石川さん。いいんです。ラストは、あなたが、南原竜樹さんに、助けられる、というのが、私が、構想していた、ストーリーですから。もちろん、私は、あなたが、本当に、怖がるよう、わざと、冷酷な態度を、演じてはいましたけれど」
そう、高橋がなり、は、言った。

女の足首の捻挫は、軽いもので、翌日、整形外科に行って、電子針治療をしたら、すぐに治った。

高橋がなり、は、女に、「作品を完成させるためは、もう少し、撮影しなくては、ならない、シーンが、ありますが、足首の捻挫が、治ってからでいいですよ」と、言ったが、女は、真面目なので、「いえ。大丈夫です」と言った。
こうして、残りのシーンを撮影して、編集して、二週間で、AVビデオ、「女社長。借金まみれ。色地獄落ち」は、完成した。

高橋がなり、の、予測は、当たった。
「マネーの虎」で、女は、すでに、世間に、知られている上に、ノンフィクションの実話、ということで、ソフト・オン・デマンドのAVビデオ、「美人女社長。借金まみれ。色地獄落ち」は、大ヒットした。
もちろん、最初のシーンは、女の出演した、「マネーの虎」である。
今一つ、ヒット作が出なくて、困っていた、ソフト・オン・デマンドは、これによって、大儲けした。
女の、高橋がなり、への、一千万円、の借金は、約束通り、チャラになった。
女は、南原竜樹の、会社、オートトレーディング・ルフト・ジヤパン、に就職した。
だが、世間の、エグゼリーナ達が、興味本位から、ぜひ、女の製作した、フードつきのバスローブを欲しい、という注文が、殺到した。
銀座に出した、店は閉じてしまったが、女は、フードつきのバスローブを、発送して、かなりの利益を得た。
そして、半年後、女は、南原竜樹と、結婚した。
女は、南原と、幸せに暮らしている。
めでたし。めでたし。



平成27年12月10日(木)擱筆

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王女と道化師 (小説)

2020-07-09 12:39:18 | 小説
王女と道化師

それはヨーロッパの中心に位置する王国である。人々が羨ましがるほど立派な宮殿の中で王様の一人娘のアンは美しい大きな王女の椅子に腰掛けてあくびをかみ殺していた。
「何か面白いことはないかしら」
アンは一日中そんなことを考えていた。すると戸が開いて一人の少年が入ってきた。少年は孤児で、掃除夫として宮殿に住まわせてもらっていた。餓えと寒さで、宮殿の前で倒れている所を衛兵に見つけられた。王様に報告すると、掃除夫兼道化師として宮殿に住まわせることとなったのである。少年は、ぼろをまとっていたが、美しい金髪とやさしい瞳をもっていた。少年は、毎日決まった時刻に宮殿の各部屋を掃除に来るのだった。少年は黙って入って来ては、床や椅子を磨いては帰っていくのだった。アンは少年が力なく働くのをちょっと意地悪ないたずらっぽい気持ちで見るのだった。そして部屋がアンと少年だけとなった時、アンは王女の椅子に腰掛けて少年を呼び寄せるのだった。
「ニールス。こっちへおいで」
そういってアンは少年を呼び寄せた。
「私の靴をお磨き」
アンにそう言われると少年は伏せ目がちにオドオドとアンの足元にひざまずいて靴を磨いた。弱々しく脅えながら、手を震わせて一心に磨いていた。それをみているとアンの心に意地悪な気持ちが起こるのであった。アンは少年をつきとばした。
「ふふふ。何をそんなにおびえてるの」
少年は黙ってうずくまった。
「ゴメンなさい」
アンは少年を見るとますます笑った。
「つまらないわ。お前は将来、私の道化師となるのよ。私を退屈させたらひどい目にあわすわよ」
アンは意地悪な目を少年に向けた。少年はオドオドしている。
「連続バク転10回しなさい」
「で、出来ません」
「じゃあ、何か手品をしなさい」
「で、出来ません」
「じゃあ、一体、何が出来るの?」
「な、何も出来ません」
「しょうのない道化師ね」
「ゴメンなさい」
「つまらないわ。何かおもしろい話をしなさい」
アンは少年の鼻をつまんで言った。少年は、おどおどと話し出した。
「むかし、むかし、ある森に白いキツネがいました」
「うんうん。それで・・・」
アンは身を乗り出して聞き耳を立てた。
「そのキツネは、顔が真っ白でした」
「うんうん。それで・・・」
アンは話の続きを求めた。
「そのキツネは、腹も真っ白でした」
「うんうん。それで・・・」
アンは好奇心いっぱいの顔つきだった。
「そして、そのキツネは尾も白いのでした」
「うんうん。それで・・・」
アンは話の続きをワクワクした表情で求めた。
「で、ですから、おもしろい話です」
少年はオドオドと答えた。
アンの顔が怒りに変わった。
「あんた。私をバカにしてるの」
アンは少年の頬をピシャンと叩いた。
「一分以内に、面白い話を考えなさい。出来なかったら、ひどい目に合わすわよ」
そう言って、アンは一分はかる砂時計をさかさまに立てた。
容器の上の部分の砂は、細いくびれを通って、どんどん容器の下に落ちていく。少年は焦った。
「し、します。します」
そういった時、丁度、砂が落ちきった。
「ぎりぎりセーフにしてあげるわ。さあ、面白い話をしなさい」
アンが言った。少年はオドオドと話し出した。
「昔々、ある国のお城に、わがままなお姫様と、やさしい道化師がいました」
「うんうん」
「王家の一族は、国民に重い税金をかけて、自分達は、豪勢な広い宮殿に住み、国民は貧乏に苦しんでいました」
「うん。うん。それで・・・」
「国民は、怒って革命を起こしました。王と王后は隣国に逃げのびましたが、一人娘のお姫様は捕らえられてしまいました」
「うんうん。それで・・・」
「国民は、お姫様をギロチンにかけろ、と主張しましたが、やさしい道化師が、革命軍に命乞いをしたので、お姫様は助かりました。めでたし。めでたし」
少年はおそるおそるアンを見上げた。
「見え透いたイヤミね。しょうちしないわよ」
「ご、ごめんなさい。で、でも、お姫様は助かったのですよ。よかったじゃないですか」
「何が、わがままなお姫様と、やさしい道化師よ。私はね、王権神授説によって、神から選ばれた人間なのよ。イヤミを言った罰として、お前をギロチンにかけてやるわ」
そう言って、アンは呼び鈴を鳴らした。すぐに侍従が来た。
「はい。なんでございましょうか。王女様?」
侍従は直立したまま、恭しく聞いた。
「ギロチンを持ってきなさい」
「はい」
侍従は、キリッと返事すると、すぐに部屋を出て行った。しばしして、二人の侍従がギロチンを押してやって来た。アンはニヤッと笑った。
「もういいわ。返って」
「はい」
アンに言われて、二人の侍従は、深々と頭を下げ、去っていった。部屋には、アンと少年だけである。黒金の重そうな不気味な刃がギロチンの上で縄で固定されている。その縄が解き放たれると、その重みによって、刃は一気に加速して落下し、首枷に固定された、罪人の首をスパッと切断する。処刑される人間にとっては、一瞬で死ねる安楽な処刑法と、物理的には言える。しかし、首枷に首を固定されるまでの恐怖感。重い刃が解き放たれて、自分の首めがけて落下していく、空恐ろしい恐怖。そして、刃がスパッと首を切り落とし、切断され、血を大量に流した首が、前方に転げ落ちていく光景。その光景をありありと、処刑される罪人の意識に写し出すという点では、これほど身の毛もよだつ恐怖を罪人にかきたてる残酷な処刑法はない。ほとんどの人は、誰しもギロチンを見ただけで震え上がるだろう。アンは意地悪な目を少年に向けた。
「さあ。ニールス。首枷の上に首を乗せなさい」
アンが命じた。
「王女様。ど、どうか、それだけはお許し下さい」
少年は、王女の前に土下座して、ペコペコ額を床に擦りつけて哀願した。
「ダメよ。いくら謝ったって。さあ、早く乗せなさい」
アンは急かすように言った。だが少年は蹲ってしまって、ペコペコ頭を下げるだけで動こうとしない。
「さあ。早くお乗り。どうしても乗らないのなら、侍従を呼んで、無理矢理、乗せるわよ」
そう言ってアンは、呼び鈴を手にとった。
「わ、わかりました。の、乗ります」
侍従達に無理矢理、捕まえられて、手足を押さえられて、断頭台にのせられるのを見られる醜態を少年は恐れた。いずれにしても、断頭台には乗らなくてはならないのだ。少年は、気力なく、ブルブル震えながら断頭台に近づいて、腹這いになり、開いている首枷の下半分に首を乗せた。アンは、王女の椅子からサッと降りて、楽しそうに首枷の上半分を降ろし、首枷をくっつけて、カチリと鍵をかけて、首枷を固定した。
「ああっ」
少年は、思わず、声を出した。恐怖から、首を動かそうとしたが、鍵のかかった首枷からは、もはや逃れることは出来なかった。
ギロチンの上の桟には、滑車が取りつけられていた。刃に取り付けられている太い縄が、その滑車を通って、断頭台に取り付けられてある取っ手に、しっかりと結び付けられている。縄が取っ手に、結びつけられているため、刃は落ちないのである。取っ手に結びつけられている縄がはずされると刃は瞬時に落ちてしまう。アンは、取っ手に結び付けられた縄をはずした。
「さあ。これを持ちなさい。放すと刃が落ちちゃうわよ」
そう言って、アンは、少年の右手に縄を握らせた。
「ああー」
少年は思わず叫んだ。鋼の刃のかなりの重さのかかった縄を、少年は力の限りギュッと握りしめた。それは少年にとって命綱だった。手を放したら重い刃が落ちて、少年の首は、切断されてしまう。そんなこと、おかまいない、といった様子でアンは、ふふふ、と笑った。アンは、化粧用の等身大の姿見の鏡を持ってきて、少年の前に立てた。
「さあ。前を見なさい」
アンが言った。少年はおそるおそる顔を上げて前を見た。
目の前には、首枷をされて、ギロチンの命綱を必死で握りしめている自分の姿が鏡に写っていた。少年は、恐怖で真っ青になって、
「ああー」
と叫んだ。何とアンの残酷なことか。少年に、恐ろしい自分の姿を見せつけて、少年の恐怖感をことさら煽ろうという魂胆である。鋼の刃の縄は間違いなく、滑車を通して少年の手に握られている。縄を握っている手の高さが微かに動くと、刃もそれにともなって、微かに動いた。それは少年に、死の恐怖を、恐ろしい実感として知らしめた。
アンは、ふふふ、と笑って、フカフカの安楽椅子に座った。そして、面白い見世物を見るように楽しそうに、少年を見た。
「アン王女さま。こ、こんなことだけは許して下さい」
少年は真っ青になって訴えた。
「こんなこと、とはなによ。お前が面白い話を思いつけないから、私が面白い遊びを考えてあげたんじゃないの。スリルがあって楽しいでしょ」
「ぼ、僕は面白くないです。死ぬほどこわいです」
「お前は私を楽しますのが仕事なんだから、いいじゃない。嬉しがりなさい」
「誰がこんなことされて嬉しがりますか。い、いつまで、こんなこと続けるつもりですか?」
「さあね。私の気のむくまでよ。それまで我慢しなさい」
何を訴えても聞き入れてもらえないとさとった少年は、アンに訴えるのをあきらめた。少年は恐怖に慄いて、必死で縄を握りしめた。もし縄を放してしまったら、少年の命はないのである。
「ふふふ」
アンは、フカフカの王女の椅子にゆったりと座って、フルーツジュースを手にとって飲みながら、ゆとりの表情で、楽しそうに、地獄の恐怖に慄いている少年を楽しそうに眺めた。しばしの時間が経った。だんだん手が疲れてきて、少年は、ハアハアと息を荒くするようになった。額は汗でびっしょりである。
「王女さま。も、もう限界です。許して下さい」
少年は涙に潤んだ瞳をアンに向けて訴えた。だがアンは、フカフカの王女の椅子にゆったりと座って、フルーツジュースを飲みながら、ゆとりの表情で、楽しそうに、地獄の恐怖に慄いている少年を楽しそうに眺めている。
「わかったわ」
そう言って、アンは、フルーツジュースをサイドテーブルに置き、ソファーから降りて、少年の方にやって来た。
「か、感謝します」
少年は、泣き濡れた目をアンに向けて、弱々しげな顔つきで、ペコペコ頭を下げた。少年は、てっきり断頭台から降ろしてもらえるものだと思って、涙のうちに感謝を込めてアンを見つめた。だがアンは黙って少年を、見つめた。
「ふふふ」
とアンは笑った。その笑い方には、何か底意地の悪いものがあるように見えた。
アンは、必死で命綱を握りしめている少年の脇腹をコチョコチョとくすぐりだした。
「ああー。王女さま。何をするんですか」
少年は真っ青になって叫んだ。命綱を握っている左腕は、ただでさえ力の限界で、珠の汗にまみれて、プルプル震えていた。その脇腹をくすぐろうというのである。少年は、アンの残酷さに芯から戦慄した。
「や、やめて下さい。王女さま」
少年は、はり叫ぶような悲鳴を上げた。だが、アンはやめない。少年が苦しめば、苦しむほど、アンは、嬉しがっているように見えた。アンは、少年の首筋をくすぐったり、耳を引っ張ったり、鼻をつまんだり、と散々、動けない少年の顔を散々悪戯した。
「ああー」
少年は、アンに弄ばれて、苦しそうに眉を寄せて叫んだ。だが、アンは楽しそうに笑っている。アンは、ふふふ、と笑った。アンは、ティッシュペーパーを一枚、取り出すと、先を丸めて、紙縒りをつくった。そして少年の鼻の穴に紙縒りを入れた。紙縒りに刺激されて鼻がムズムズし出した。
「ああー。やめて下さい。王女さま」
これほど辛い責めはなかった。ただでさえ、重い命綱を握りつづける少年の力は限界に達している。そんな少年をさらに、苦しめようというのだ。アンは、執拗に少年の鼻を紙縒りで刺激しつづけた。少年は、鼻腔を刺激されるもどかしさに、ついに、
「はっくしょん」
と、大きなくしゃみをした。少年の鼻からは鼻水が垂れた。アンは、ふふふ、と笑い、少年の鼻をティシュペーパーで、挟んだ。
「さあ、チーンしなさい」
言われるまま少年は、勢いよくチーンした。
「王女に鼻をかませるなんて、ずいぶん無礼な道化師ね」
「アン王女さま。もう許して下さい。くしゃみする時に、命綱を放してしまいそうになってしまいました。もう限界です」
少年は、泣きながら目の前のアンに訴えた。
「しょうがないわね。じゃあ、情けをかけてあげるわ」
そう言うと、アンは、立ち上がって、少年の顔の前から、命綱を握っている少年の右側に位置を変えて座った。アンは、ブルブル震わせている少年から、命綱を両手でつかんだ。
「さあ。もう疲れたでしょ。私が綱を持ってあげるから、手から縄を放しなさい」
そう言ってアンは、ギロチンの命綱を両手でしっかりと持った。縄の引っ張る力がなくなって、少年は、生き返ったように、ほっとした。
「ありがとうございます。アン王女さま。感謝します」
そう言って少年は、縄を放した。少年は、長い時間、縄を握らせていた疲れから開放されて、グッタリと右腕を床に落とした。少年は、慈悲をかけてくれたアンに感謝の目を向けた。だが、何だか様子が変である。アンは少年を、意地悪な目つきで見て、ふふふ、と笑った。少年はおびえながらアンを見た。アンは、いきなりパッと持っていた命綱を放した。ギロチンの刃がサーと落ちてきた。
「ああー」
少年は真っ青になって悲鳴を上げた。あわや、少年の首が、という時に、アンは、ギュッと縄をつかんだ。ギロチンの刃は、少年の首のすぐ上で、止められた。アンは、ふふふ、と笑っている。アンは、またゆっくりと命綱を引っ張って、黒金の刃を上に引き上げた。少年は目の前の鏡で、恐ろしそうに刃とアンを見た。刃が上に上がるとアンは、また、パッと持っていた命綱を放した。ギロチンの刃がまた、サーと落ちてきた。
「ああー」
少年は真っ青になって悲鳴を上げた。アンは、また少年の首の上のギリギリの所で、命綱をギュッとつかんだ。ギロチンの刃は、少年の首のすぐ上で、ギリギリに止められた。アンは、ふふふ、と笑い、また命綱を引っ張って、黒金の刃を上に引き上げ出した。
「お、王女さま。やめて下さい。こんな恐ろしいこと」
少年は、縄を持っているアンに訴えた。
「こんなこと、とはなによ。お前の手が疲れて、可哀相だと思ったから、私が持ってあげてやっているのよ。感謝しなさい」
「で、でも、こんな恐ろしい事をするなんて思ってもいなかったんです」
「スリルがあって、面白いじゃない」
「僕は死ぬほど怖いです」
「じゃあ、縄はお前が持つ?」
少年は迷った。アンが縄を持ったら、アンは、また腋をくすぐったり、鼻に紙縒りをいれたりするだろう。それも耐え切れない。少年は決められずに、弱々しい顔でアンを見つめていた。
「さあ。どっちにするのよ?くすぐったりしないわよ。その代わり、明日の朝まで、ずっと持ち続けているのよ」
アンが、イライラして聞いた。
「ゆ、許して下さい。王女さま」
少年は弱々しい顔で、ペコペコと頭を下げてアンに哀願した。
「しょうがないわね。じゃあ、特別に情けをかけてやるわ。その代わり、お前は私の奴隷になって、私のいう事は何でも聞くのよ」
「は、はい。何でも聞きます。アン王女さま」
少年は目から涙をポロポロ流しながらペコペコと頭を下げた。
アンは、やれやれ、といった顔つきで、命綱をギロチンの桟に取り付けてある取っ手に、グルグルと巻きつけて、しっかりと固定した。
「か、感謝します。王女さま」
少年は目から涙をポロポロ流しながらペコペコと頭を下げた。
「さあ。足をお舐め」
アンは、ふふふ、と笑いながら、少年の顔の前に素足を差し出した。
「はい。アン王女さま」
少年はむしゃぶるように、アンの足指を犬のようにペロペロ舐めた。少年には、もう恥も外聞もなかった。アンのご機嫌をとることが、殺されないことなのだから無理もない。
「首枷をはずして欲しい?」
アンが聞いた。
「はい。お願いします。王女さま」
少年は、目に涙を浮かべながらペコペコ頭を下げて哀願した。無理もない。ギロチンの命綱は固定されてるとはいえ、絶対、落ちてこないという保障はない。縄が千切れるということだって、あり得なくはない。こんな首枷をされたままでいては、神経が参ってしまう。もう、ただでさえ少年の神経は参っていた。
「しょうがないわね。じゃあ、特別に情けをかけてやるわ」
アンは、そう言って首枷を固定している鍵を外した。そして、ソファーにゆったりと座った。少年は、首枷の上半分をそっと持ち上げて、首枷から頭を引き抜いた。これでやっと、完全に安全な身になった。少年はハアと大きなため息をついた。だが、ほっとしたのも束の間。少年は急いで、アンの元に行くと、四つん這いになった。
「アン王女さま。お慈悲を感謝いたします」
少年はそう言って、アンの足指を犬のように一心にペロペロ舐めた。
「ふふ。犬みたい」
アンは、一心に自分の足指を舐めている少年を見て笑った。
「お前も、疲れてお腹が減っているでしょ。美味しい物をあげるわ」
そう言ってアンは、皿に、パンを千切って乗せた。
「ちょっと後ろを向いてなさい」
「はい」
少年は言われるまま後ろを向いた。
「絶対、振り向いちゃダメよ」
「はい」
少年の背後で服の擦れる音がした。次に、シャーという水が物に当たる音がした。そしてまた、服の擦れる音がした。
「さあ。いいわよ。前を向きなさい」
アンに言われて少年は、振り返った。少年の前には、床に皿が置いてあり、それには千切られたパンの断片が5~6個、乗っていた。しかし、そのパンは濡れていて、皿も水で一杯に満たされていた。その水は少し、黄色く、湯気が立っていた。それがアンの小水であることは、明らかだった。
「さあ。犬のように四つん這いになって、それを食べなさい。私の特製の味付けのご馳走よ」
少年は、四つん這いになって、犬のように舌だけで、濡れたビスケットを食べ出した。
「どう。味は?」
アンが聞いた。
「お、美味しいです」
そう少年は答えたものの、それは、少し、しょっぱかった。しかし、殺されなくてすんだことを思うと、本当に美味しく感じられた。少年は濡れたパンを一心に食べた。
「皿にある液体も全部、飲むのよ」
アンが命令した。少年は、パンを全部、食べると、舌でペロペロと皿の液体をチューチュー啜って飲んだ。そしてペロペロと皿を舐めた。
「どうだった。味は?」
アンが聞いた。
「お、美味しかったです」
少年は、頬を赤くして答えた。
「そう。それはよかったわ。それなら、これからは、お前の食事は全部、私の特製の味付けにしてやるわ」
アンは言った。
「あーあ。疲れちゃった。でも楽しかったわ」
そう言って、アンはベッドにゴロンと横になった。

   ☆   ☆   ☆

その日から、アンは、毎日、少年を、色々な拷問にかけるようになった。鉄の処女。引き伸ばし。逆さ吊り。水責め。虫責め。ファラリスの雄牛。など。少年をありとあらゆる拷問にかけた。少年は精神も肉体もボロボロに参ってしまった。

   ☆   ☆   ☆

そんなある日のこと。
アンは少年を呼び寄せて腕をもませていた。
「鼻が痒いわ。かいて」
少年は震える手でアンの鼻をかいた。
「ふふふ。何をそんなにおびえているの」
「ゴメンなさい。ゴメンなさい」
「お前はゴメンなさいしか言えないの。だめね。罰として私の椅子におなり」
「はい」
少年は王女の前で四つん這いになった。アンはその背中に腰掛けた。
「ふふふ。らくちん。らくちん」
アンは腰をゆすった。少年は黙ったまま首をうなだれていた。アンは悪戯っぽく笑って言った。
「つまらないわ。何か面白い遊びはない」
少年は黙っている。力なく頭を項垂れていた。
「ねえ。何かお言いってば」
少年は黙っていた。少年が黙っているので、アンはイライラして立ち上がり、少年を蹴った。少年はしばらくじっとうずくまっていた。が、しばしののち顔を上げた。少年の顔にアンは今まで一度もみたことのない謎の微笑があった。少年は立ち上がってアンに近づいた。そしてアンに囁くように言った。
「アン王女様。とっても面白い遊びがあるんですよ」
「何よ。それ。教えてよ」
アンは好奇心でワクワクしたした顔で聞いた。
「ふふふ」
少年は思わせ振りな顔でアンを見つめて笑った。少年がアンに対して笑ったのはこれがはじめてだった。
「はやくおいいってば」
アンの心は急いた。少年はしばし無言で微笑んでいたが、何度かアンが急いて求めたので、おちついた口調で言った。
「面白いことはまず間違いないんです。でもこんなことしたら僕はきっと死刑にされるだろうな」
少年はアンから目をそらし、半ば独り言のように言った。
「死刑になんかさせないわ。本当に面白い遊びなら何でもいいわ」
アンはすぐに言った。少年は、また微笑んだ。
「でも王女様が許してくれても他の人は許してくれないだろうな」
少年はアンから目をそらし、半ば独り言のように言った。
「パパだって平気よ。パパは私の言うことなら何だって聞くんだから。だからはやくお言い。さもないと死刑にするわよ」
少年はまた笑った。少年の瞳の奥には安心感があった。
「誰にもいわないでくれますか?」
少年はアンに尋ねた。
「いわないわよ。だからはやくその面白い遊びをお教え」
アンの心は急いた。
「じゃ、ちょっと待ってて下さい。遊びに使う道具を持ってきますから」
と言って少年はアンの部屋をうれしそうな顔つきで出て行った。
『道具ってどんな道具なのかしら』
 一人になったアンは好奇心でそわそわしながら少年がもどってくるのを待った。数分もかからず少年は戻ってきた。少年は右手に何か持っているらしく、それをアンに気づかれないよう右手を背中に回したまま、左手でドアを開け、アンの部屋に入り、左手でドアノブをロックした。カチッというロックの音が静まり返ったアンの部屋に響いた。
「どうしてロックするの」
アンは少し不安を感じつつ、両手を後ろにして部屋に入って立っている少年に聞いた。アンが不安を感じたのは、少年には部屋に鍵をかける権限がなく、今はじめて、なんのためらいもなく、ロックした越権行為と、もう一つはことさらにアンに見えないようにして少年が背後に持っている何物かに対してだった。
「それは面白い遊びに邪魔が入らないようにするためですよ」
少年は余裕の含み笑いをしながら両手を後ろにまわしたまま、アンの前に立った。
「な、何を後ろに持っているの?」
アンの声は少し震えていた。
「何だと思います」
少年は余裕たっぷりといった感じで逆にアンに聞き返した。
「わ、わからないわ。早くお見せ」
アンの気は急いた。
「これだよ」
少年は無造作に背中に隠していたものをパッとアンの前に投げ出した。それを見た瞬間、アンは戦慄して、
「あっ」
と叫んだ。アンの目の前に投げ出されたもの、それは幾本もの荒縄のだった。アンは自分の心の中に、ほの暗い恐怖感が足早に高まってくるのを感じた。
「そ、それをどうするっていうの」
アンは声を震わせて少年に聞いた。
「どうすると思います?」
少年は泰然とした口調で聞き返した。
「わ、わからないわ」
アンは、不安を打ち消すように言った。
「こうするんですよ」
と言うや否や、少年は縄の1本を手にとって、素早くアンの背後に回り、アンの両腕を力強くとって背中にねじ上げた。
「な、何をするの?」
アンは声を震わせていった。
「楽しい遊びだよ」
少年は含み笑いをしながら言って、背中に捩じ上げたアンの両手首を縄で縛り上げた。そしてその余った縄の部分で一気にアンのふっくらした胸の上下を二巻き三巻き、厳重に縛り上げた。アンのまだ完熟していない小ぶりな乳房は、その上下を荒縄でくくられて、その輪郭をくっきりとあらわにした。
「こ、これの何が楽しい遊びなの。こ、こわいわ。縄を解いて」
アンは全身を小刻みに震わせながら、震えた声で言った。だが少年はアンの訴えに少しも頓着する気配もみせず含み笑いしながら強気な口調でアンに、
「さあ。その床に座るんだ」
と命令した。だがアンは少年のいつもと違う強気な態度に恐れを感じて両脚をピッタリと閉じてイヤイヤと頭を強く振った。
「さあ。座って。聞き分けのないことを言っちゃだめだよ。マリーアントワネットも往生際はよかったんだよ。王女は往生際をよくしなくっちゃ」
少年がそう言ってもアンは全身を小刻みに震わせながら、膝をピッタリ閉めていつまでたってもガンとして座ろうとはしない。
「さあ。座るんだ」
とうとう少年は業を煮やして、アンの後ろ手に縛られているアンの両手首と肩を掴んで強引にアンを床に座らせた。床は一面美しい色模様のあるペルシャ絨毯が部屋の隅々まで敷き詰められている。座らせられたアンは、これから何をされるのかという恐怖のため、美しい切れ長の瞳を閉じて、両腿をピッタリ閉じて全身を小刻みに震わせている。アンは縄を解こうと腕をゆすってみた。だがその頑丈な縛めは、か弱い少女の膂力に余った。アンは無駄な抵抗を諦めた。アンは少年から顔をそらすように顔を横に向けた。部屋に差し込む西日がアンの頬をほてらせた。そして、その頬のほてり、が、そして手首と胸の縛めが、そして自分が惨めな格好にされているという自意識が、アンに生まれてはじめて羞恥というものを、そしてその羞恥がもたらす妖しい快感をアンにもたらし始めていた。アンは瞑目したまま自分の惨めな姿を想像した。するとその想像の行為は瞬時にアンに妖しい甘美な快感をもたらした。と同時にアンはもう一つの当然の事に気がついた。それは瞑目していても、はっきりアンの脳裏に、まず間違いない正確さをもって映し出された。その事とは言うまでもなく、勝ち誇った笑みを浮かべ、ブザマなアンを見下している少年の目だった。その目の存在はアンに起こっている妖しい快感の奔馬に拍車をかけた。何度もアンは自分の惨めな姿を、瞑目したまま想像した。すると、その都度、それはアンに妖しい甘美な快感をもたらした。アンは自分に酔った。そして思った。できることならば時間が止まって、いつまでもこうしていたいと・・・。
ここにいたってはじめてアンは少年の言った「面白い遊び」の意味を理解し始めた。いつしかアンのバルトリン氏腺は乳白色の粘稠な液体を分泌し始めていた。ポンとアンの肩に手の触れる感触が伝わったため、アンの意識は甘美な想像のナルシズムの世界から現実に引き戻された。アンは咄嗟に手のかかった方に顔を向け、ゆっくり目を開いた。そこには少年が、アンの心を見透かすかのような慧眼な目つきで、満面に笑みをたたえて、じっとアンを見ていた。
「御気分はどうです。アン王女様」
少年は皮肉っぽく敬語を使って聞いた。強烈な羞恥心がアンを襲った。アンは再び固く目を閉じて激しくイヤイヤと首を振った。羞恥心。それは今までおそらくずっとアンの惨めな格好を観ていたであろう少年の存在に気づいたことによってもたらされた。だがそれ以上にアンの羞恥心に火をつけたのは、アンの心まで見透かしたような少年の慧眼な目つきと笑みだった。アンは再び目を閉じた。アンはもうこれで少年の言った「遊び」は終わりだろうと思った。その時。
「あっ」
アンはとつぜん片方の足首を掴まれた感触によって目を開いた。少年が立膝で座って片手でアンの足首を掴んで笑みを浮かべている。そしてもう一方の手には長い荒縄が握られている。アンは再びほの暗い恐怖感が足早に攻め上ってくるのを感じた。
「そ、それをどうするっていうの?」
アンは声を震わせて聞いた。だが少年はアンの質問に少しも頓着する気配も見せず、いきなり今まで閉じられていたアンの膝を無造作に大きく開き、アンに胡座をかかせた。そして交差されたアンの両足首を縄でギュッと縛り上げた。
「な、何をするの?まだ何かするの?」
アンは再び全身を小刻みに震わせながら声を震わせて言った。だが少年はアンの問いかけに少しも頓着せず、足首を縛った余りの縄尻をアンの首の後ろに回し、そしてアンの顔が足首に近づくほど縄をひいて、その縄を足首の縄に結びつけた。いわゆる胡座縛りである。アンは、
「ああー」
と叫び声を出した。背中の窮屈さもあったが、それ以上に、これほど惨めな格好はなかった。アンはもうこれで何をすることも出来なくなったのである。
「御気分はどうです。アン王女様?」
少年はいたずらっぽく聞いた。
「こ、怖いわ。縄を解いて。お願い」
アンは身を震わせて言った。腕だけの縛めだけならば、まだそこには情緒的な美があった。いやむしろ自然体以上の美があったかもしれない。だが、胡座縛りはぶざま以外の何物でもなかった。花恥らう乙女が大きく脚を開き、胡座を組み、傴僂のように背を丸めているのである。だがぶざまさ以上にアンの心にあったものは恐怖感であった。もうこうなってはアンは何も出来ない。少年が首を絞めようがナイフで心臓を刺そうが、アンは何も抵抗できないのである。アンの生殺与奪の権は今や完全に少年の胸先三寸にある。ましてやその少年はアンがいつも気まぐれで奴隷のように扱い、いじめてきた少年である。アンは生まれてはじめて死の恐怖を感じた。
「お願い。縄を解いて。お願い」
アンは今にも涙が出るかと思うほどの弱々しい口調で哀切的な瞳を少年に向け、声を震わせて言った。洞察力に富んだ少年にとって今のアンの心境を見抜くことなど何でもないことだった。少年はやさしい笑顔で、アンの鼻の頭を人差し指でチョコンと触って、
「大丈夫だよ。殺したりなんかしないよ」
と言った。そしてアンの背後に素早く回るや両手でそっとアンの両乳房を触った。
「あっ。な、何をするの?」
アンが聞くや少年は含み笑いし、
「楽しいことさ。すぐに気持ちよくなるよ」
と言った。少年はアンの服の上からアンの胸をゆっくりと、優しく揉み始めた。わざとアンをじらすように、くすぐるように、満遍なく。窓の外には宮殿の中庭に設けられた大きな人造の池の中央で、汲み上げられた水が止むことなく噴水器によって八方に、さまざまな角度で水の飛沫を元の池へ放ち続けている。沈みかかった夕日の光線はその水滴の一滴一滴に反射して美しく光り輝いている。そして池の中の幾羽もの少しも食に困らぬ水鳥達は噴水によって起こる小さな波に優雅に身をまかせ、時折身繕いをしたり、頭を水に突っ込んだりしている。少年がアンの胸を揉み始めてからかなりの時間がたっていた。それは物理的には短い時間であったが、アンにとっては精神的には非常に長い時間のように感じられた。時折少年がアンの乳房をつまんだ。アンは反射的に、
「ああー」
と苦しげな声をもらした。いつしかアンの心にはさっきまであった恐怖感はなくなっていた。それと入れ替わるように、少年の巧みな胸の愛撫が、そして手足の自由を奪われている拘束感が、いつしかアンに少年のこの不埒な行為に身を任せたいという、陶酔の感情をもたらしていた。アンのバルトリン氏腺は、再び乳白色の粘稠な液体を分泌し始めた。乳首はerectioを起こしている。アンは自分がとても素直になっていくのを感じた。
「どう?気持ちいい?」
少年はアンの耳元に口を近づけて聞いた。アンは耳たぶまで真っ赤にして首を振った。
「歳のわりには大きい胸だね。栄養がいいもんね。バストはいくつ?」
「し、知らないわ」
少年の意地悪な質問にまたもアンは首を振った。
「気持ちいいの?どうなの?」
少年は再び聞いた。だがアンは答えられない。黙って俯いたままである。何を聞いてもなにも答えないアンにいささか少年はしびれをきらせ、
「気持ちいいのかどうなのか言ってくれなくっちゃわかんないよ。答えて」
と、ちょっと強気の口調で言った。だがアンは黙ったまま答えない。
「そっ。答えられないってことはまだあんまり気持ちがよくないんだね。じゃ、もっと気持ちのいいことをしてあげるよ」
と少年は言って、右手を胸から離してアンのスカートの中に入れた。少年の手がアンの右の太腿に触れた。その瞬間、アンは咄嗟に、
「あっ」
と声を出し体を硬直させた。
「な、何をするの?」
アンは声を震わせて言った。少年は含み笑いをして、
「だからもっと気持ちのいいことさ」
と言ってゆっくりとじらすように、太腿の上の手をアンの脚の付け根の方へ這わせていった。
「や、やめて」
アンは硬直した体を震わせて、震える声で言った。だが少年はアンの必死の哀願など少しも聞くそぶりも見せない。ついに少年の手はその目的地であるアンのパンティーに触れた。アンは反射的に
「ああー」
と苦しげな声を洩らした。アンは、はじめて少年の方に顔を向け、今にも泣きそうな目で少年を見て、
「やめて。おねがい」
と言った。だが少年は笑窪がくっきり浮き出るほど、やさしい笑顔をアンに返しただけで、アンの必死の哀願など聞く耳を持たなかった。
とうとう少年はアンのパンティーの上に手をのせた。その瞬間アンは反射的に、
「ああー」
と苦しげな声を洩らした。
「おねがい。ニールス。お願いだからやめて」
アンはもう一度、少年に哀願した。だが少年はアンの哀願を無視し、ゆっくりとパンティーの上からアンの女の子の部分をやさしく揉みはじめた。左手はあいかわらず胸の愛撫を続けている。アンは首をのけぞらして、
「ああー」
と苦しげな声を洩らした。アンの体は硬直したまま小刻みに震えている。
「王女様。体の力を抜かなくっちゃだめですよ」
と少年はアンにやさしく言った。アンは自分の哀願は絶対受け入れられないと覚った。少年はアンの女の部分をやさしく揉み続けている。そして時折パンティーの上からrima pudendiをなぞってみたり、外側の花弁をつまんでみたりした。自分の哀願が受け入れられないと覚ったアンは一切を観念した。もう少年に身をまかすより他はないのだと覚った。すると徐々に体の力も抜けはじめた。
「女の子はね、ここを揉まれると、とっても気持ちがよくなるんだよ」
少年はアンの耳元に口を近づけてやさしい口調で言った。アンは耳たぶまで朱に染めて少年から顔をそむけた。どのくらいの時間がたったろう。それはアンにとっては物理的には短い時間であったが精神的には非常に長く感じられた時間であった。徐々にアンは少年の行為から、やめてほしいけれど、でも、もっとやってほしいという逆説的な興奮を感じ始めていた。アンの呼吸と心拍数は徐々に高まっていった。アンはついに耐えられず、
「ああー」
と叫び声をあげた。それは今までの辛いだけのとは違う、辛さを逃れたいという一方、もっと辛さを受けたい、という逆説的な情動から出たうめき声だった。少年の愛撫の技巧は実に巧みだった。アンの心の動きを観察しながら、じわじわと責め、そしてアンが求めたがっているのを察知するや否や、その手を休めた。いつしかアンのバルトリン氏腺からは乳白色の粘稠な液がとめどなく、溢れ出していた。Bulbus vestibuli も、女の子の一番敏感な真珠も強度のerectio を起こしていた。粘稠な液体はパンティーから沁み出して、それが少年の指にくっついた。少年はいったんスカートの中から手を戻して粘稠な液体がべったりついた手をアンの目の前の鼻先のところへもっていった。そうして、
「ほら。みてごらん。べちゃべちゃだよ。女の子はね、気持ちがよくなるとこの白っぽいネバネバした液体がたくさん出て来るんだよ。王女様だって強がり言ってても所詮、女の子なんだね」
とやさしく言った。
「い、嫌っ」
アンは羞恥心から顔を真っ赤にし、耳たぶまで朱に染めて、咄嗟に目を閉じて顔をそむけた。少年は立ち上がってティッシュペーパーをもってきて、再びアンの背後に座り、少年の手についた液体をぬぐった。そしてまた左手をアンの左の胸にあて、右手をアンのスカートの中へ入れ、再びアンの愛撫をはじめた。こんどは少年はアンのパンティーの中へ手を入れ、アンの女の子の部分を直接さわった。その瞬間アンはビクっと一瞬全身を硬直させた。少年は左手でやさしくアンの胸を揉みながら、右手で直接、じかにアンの女の子の部分を愛撫した。こんどは内側の花弁をつまんでみたりvestibulum vaginaeを念入りにさわった。アンの女の子の部分は粘稠な液体でべチョベチョである。少年はアンのhymenをさわったり、ostium urethrae externumをさわって、そのつどアンに
「これがhymenだよ」
とか、
「これがおしっこの出る穴だよ」
とアンの耳元に口を近づけて説明し、アンの羞恥心を刺激した。アンはそのつど耳たぶまで朱に染めて、少年から顔をそむけた。少年はついにアンの女の子の一番敏感な真珠をつまんだ。それは強いerectioを起こしていた。少年がそれにさわった瞬間アンは大きく
「ああー」
と苦しげな声を出した。少年はアンの耳元に口を近づけて、
「ふふふ。大きく尖ってるよ。これは女の子の一番敏感なところだよ。女の子は気持ちがよくなると、これが大きく尖ってくるんだよ。王女様だって言って強がっていてもしょせん女の子だね」
と、コトバでアンの羞恥心を刺激した。アンは顔を真っ赤にして少年から顔をそむけた。少年はアンの真珠の愛撫をはじめた。Corpusをやさしくしごいてみたり、皮をむいてcrusをむき出しにして、撫でたり、優しくしごいたりした。アンの呼吸はだんだん荒くなっていった。アンはとうとう耐えきれず、
「ああー」
と苦しげな声を出した。
「ふふふ。気持ちいいでしょ」
そう少年が言葉でアンの羞恥心をいじめるたびにアンは顔面を紅潮させた。だんだんアンの興奮は最初のオルガズムをむかえ始めていた。アンのmusculi perineiとmusculi vaginaeは律動的収縮を起こし始め、ロルドーシスも現れ始めた。少年の愛撫は実に巧みで意地悪だった。動けないアンをもてあそぶようにじわじわと責め、アンにオルガズムが起こりそうになるとすぐにその手を休めた。アンにとってそれは非常に苦しいことだった。三回目のロルドーシスが起こりそうになった時、それを察知した少年が、その手を休めようとした時、アンはとうとう耐えきれず少年の軍門に下った。アンは少年に哀切的な目を向け、
「おねがい。とちゅうでやめないで」
と言った。少年はやさしい笑顔でアンをみつめてからアンから手を離して立ち上がり窓の方へ向かった。
「どこへいくの?」
とアンが聞いたので、少年は、
「カーテンを閉めにさ。もう暗くなってきたからね。それと部屋の電気をつけにね」
と答えた。少年は窓に手をかけて外の景色を見た。夕日はその半分近くを水平線の下へ隠していた。美しい夕焼け空には一番星が見えている。その空を雁の群がV字型の編隊をつくってねぐらに飛んでいっている。少年は部屋のカーテンを閉めてから、部屋のドアの方へ行き、電気のスイッチを入れた。部屋の中央の大きなシャンゼリアがパッと点灯し、部屋は昼間のごとく明るくなった。そして少年は再びアンの前に座って、アンの顔をみた。アンは少年に哀切的な目を向けた。アンの羞恥心はもう尽きていた。そこにはただ願望、非常に強い、願望、だけがあった。だがそれを口にすることはできなかった。洞察力に長けた少年に今のアンの心境を見抜くことなど何でもないことだった。少年は哀れな顔をしているアンの鼻の頭を人差し指でチョコンと触って、
 「さあ。じゃ。続けようか」
と笑顔で言った。そしてまたアンの背後に回って左手を胸におき、右手をパンティーの中へ入れ、女の子の部分を愛撫し始めた。まず真珠を満遍なく、やさしくしごいたり、その皮をむいてcrusをむき出しにして、優しくしごいた。その間、胸の愛撫も続けていたことは言うまでもない。アンの真珠はすぐに再びerectioを起こした。バルトリン氏腺からの分泌液もあとをたたない。少年はアンの女の子の部分を満遍なく愛撫した。真珠がerectioを起こすや次は内側の花弁をつまみながら、中指をvestibulum vaginaeにのせ、真珠の付け根からcommissura labiorum posteriorまで満遍なく往復させ、その途中にあるostium urethraeやhymenは特に念入りにやさしく揉んだ。その次はcomissura labiorum posteriorを越えてanus近くまでperineal rapheをなぞってみたり、アンのまだはえそろわないpubesを撫でたり、ちょっぴりひっぱってみたりした。そしてそれが終わるとパンティーから手を出し、mons pubisを揉んでみたり、パンティーの上から女の子の部分全体を優しく揉んだ。さらに次はovariumのあたりのお腹を揉んでみたり、指ておしてovariumを刺激してみたり、アンのかわいいお臍をくすぐってみたりした。そんなことをじっくりとアンをじらすように何回も繰り返すうちに、アンの呼吸は再びだんだん荒くなっていった。とうとうアンは、
「ああー」
と苦しげな声を洩らした。アンのmusculi perineiとmusculi vaginaeは再び律動的収縮を起こしはじめた。それに気づくや少年は愛撫の手を休めた。そんなことが何回か続いた。四回目の律動的収縮が起こり始めたとき、少年が手を休めようとしたので、アンはとうとう耐えきれず、少年の方に顔を向け、
「おねがい。とちゅうでやめないで」
と、叫ぶように言った。少年はアンを陥落させたよろこびから、笑窪がくっきり浮き出るほどの笑顔でアンをみて、アンの鼻の頭をチョコンとさわって、
「いかせてあげてもいいけど・・・」
と言って少年は少し間をおいて、愛撫の手を休めると、思わせぶりな口調で、
「条件があるんだ」
と言った。
「な、何?条件って?」
アンは、羞恥心から少し顔を赤らめて小声で聞き返した。少年は余裕のある口調で、
「僕の言うことをきいてくれたらさ」
と言った。
「何?あなたの言うことって?」
アンは聞き返した。少年はアンの一番敏感な真珠をさわった。アンは反射的に、
「あっ」
と言って体を硬直させた。
「き、聞くわ。何でも。だからもうこれ以上いじめないで」
とアンは哀願的な口調で言った。アンにとってこんな状態を続けられることはどうしようもないほどつらいことだった。少年は右手をアンのスカートから出して、手についている分泌液をティッシュでふいた。そして左手で後ろからアンを抱いて、右手でアンの髪を優しく撫でながら、子供にものを教えるような口調で言った。
「王女様。この国の人達はとっても苦しい生活をしているんですよ。重い税金をかけられているため、みんなぼろをまとっているんです。食べ物も生きているのがやっと、というくらいしか買うことができないんです。それに貧民街では上、下水道もなく、伝染病で死ぬ人も後を絶たないんです。僕も貧民街で育ちました。僕のお母さんは、過労と、伝染病のため、僕が7才の時死んでしまったんです。それで行くあてのない僕は、掃除夫としてお城で住むようになったんです。王女様。そういう人達ってかわいそうだと思いませんか?」
少年はアンに聞いた。アンはしばらく考えた後、
「うん」
と言って小さくうなづいた。いうまでもなく、本心からそうだと思って首肯したのではない。世間知らずのアンに、この国の下層の人々の生活など知るよしもなく、また関心もなかった。ただ少年が賛同を求める形で聞いてきたので、わからないけど首肯したのである。
「君のお父様は君のいうことなら何でも聞いてくれるんでしょ?」
少年はアンに聞いた。アンはまた、
「ウン」
と言って小さく肯いた。少年はここぞとばかり真顔になって真剣な口調で言った。
「だったら君からお父様に頼んで、この国の貧しい人たちを救ってくれない。税金ももっと軽くして、貧民街の人たちも救ってくれるよう、頼んでくれない。僕のお願いっていうのはそれなんだ」
少年は言いたいことをいいきってしまった安堵感を感じた。そしてアンの返事を待った。アンはしばらくの間、少年の難解な要求に当惑した。だがアンは何と言っていいかわからない。少年はアンの髪を撫でながらアンの返事をまっている。それでアンは仕方なく、
「わ、わからないわ。私にはわからないわ」
と首を振って言った。少年はアンのこの返事を予想していたかのごとく、おちつきはらって髪を撫でていた手を再びアンのスカートに入れ、敏感な真珠をやさしくしごき始めた。そして再びまえと同じような手順でアンのじらし責めをはじめた。再びアンの呼吸は早くなっていった。そしてふたたび律動的収縮が起こりそうになったので少年は手を休めようとした。とうとうアンは耐えきれず、喘ぎながら、
「わ、わかったわ。パパに言うわ。だからお願いだから途中でやめないで」
と言った。
「本当?」
少年は愛撫を続けながら聞いた。
「本当よ。本当に言うわ。だから・・・おねがい・・・」
アンは苦しみから逃れたい一心で少年の頼みを受け入れた。少年はやっと肩の荷が降りたうれしさから、優しい口調で、
「じゃ、もう意地悪はしないよ。気持ちよくしてあげるよ」
と言ってアンの愛撫の手を早めた。アンの呼吸は一層早くなった。バルトリン氏腺からの分泌はあとをたたない。アンのbulbus vestibuliも、一番敏感な真珠も強度のerectioを起こしている。そしてmusculi perineiが律動的収縮を起こしはじめたのを知るや少年は、アンの強度のエレクチオを起こしている一番敏感な真珠をしごき始めた。今度は途中で手を休めるということはしなかった。かわりに逆に一層激しくしごきつづけた。律動的収縮は指数関数的に高まっていった。呼吸もそれにともなって荒くなっていった。
「ああー」
ついにアンは部屋の隅々にまでひびくほどの声をあげ、アンはオルガズムをむかえた。今までじらされていた分も加わって、その苦しみからの開放は天にも上るほどの快感をアンにもたらした。少年はアンのスカートから手を出してティッシュで分泌液を拭いた。アンのmusculi perineiとmusculi vaginaeはオルガズム後もしばし律動的収縮を続けた後、それは徐々に消失し、数分後、ついにその運動は消失した。アンはぐったりうなだれていた。アンの心はまだ快感の余韻の中にあった。しばらくたった後、少年はアンの両肩を掴んで嬉しそうな口調でアンに、
「どう。気持ちよかった?」
と聞いた。そのためアンの心は現実に引き戻された。アンはさっきのオルガズムの時の自分のあられもない声と姿を思い出し、アンの顔は一瞬真っ赤になった。アンには少年の質問に答えることなど出来なかった。しばしの後、アンの顔の赤みがひいた。アンは少年に、
「おねがい。縄を解いて」
と言った。少年は思い出したように
「ゴメンね。苦しかったでしょ。すぐ解くよ」
と言ってアンの縛めを解きはじめた。まず首にかかっている縄を解き、アンを傴僂のような格好から開放させた。アンの首の後ろには縄の跡がクッキリとついていた。ついで少年はアンの胡座縛りにされていた足首の縄も解いた。ここにも縄の跡がクッキリとついている。アンは極度の拘束状態から開放されてほっとした様子だった。あとは後ろ手の手首の縛めと胸の上下の縛めだけだった。少年がアンの後ろ手の縛めを解こうとして、その手が触れた時、アンは咄嗟に
「まって」
と言って、少年を制止した。
「どうして?」
と少年が聞くと、アンはうつむいたまま、顔を紅くして小声で、
「もう少しこのままでいたいの」
と消え入るほど小さな声で言った。
(アンはもう少しの間、快感の余韻を味わいたいのだ)
と少年はすぐに理解した。
アンの後ろ手と胸の上下の小さな縛めがアンに今まで一度も感じたことのない、妖しい快感、手の自由を奪われているという拘束感。それがアンに妖しい被虐の快感をもたらしていた。アンは自分の心がとても素直になっていくのを感じた。慧眼な少年にはアンのそんな心の動きを見抜くことなど何でもないことだった。少年は後ろから左手でアンを抱いて、右手でアンの髪の毛を優しく撫でながら、
「ごめんね。つらい思いをさせちゃって」
と言った。アンはすぐに、
「私の方こそごめんなさい。今まであなたを奴隷みたいに扱ったりして」
「ううん。いいさ。それが僕の役割だもん」
少年は極めておちついた口調で言った。アンは咄嗟に目頭が熱くなる思いがした。今まで奴隷のように扱ってきた少年が、何のためらいもなく、それを許すどころか、受け入れていることが、今日はじめて逆の立場になったアンにしみじみと感じられたからだ。アンの目尻に真珠のような涙がキラリと光った。同時にアンの鼻から鼻水がちょっぴり頭を出した。それを見た少年はティッシュを二枚重ね、アンの目尻を拭いて、
「王女様は泣かないんだよ」
と言った。そしてティッシュで鼻をかるくつまんで、
「はい。チーして」
と言った。アンは少年の言うままチーして少年に鼻をかんでもらった。少年はアンの鼻をきれいに拭いた。そして今までとはうって変わって真顔になって真剣な口調で、
「さっきのお願いだけど、本当にお父様に言ってくれる?」
と聞いた。アンも真面目な顔つきで、
「ウン。パパに言ってみるわ。でも・・・聞いてくれるかどうか」
「いいよ。言ってくれるだけで・・・。王様は一人娘の君を目の中に入れても痛くないほどかわいがっているんだ。もしかしたら聞いてくれるかもしれないよ」
少年は一縷ののぞみに命をかけるほどの気持ちで言った。そして再びアンを後ろから抱いて、髪を優しく撫でた。アンはうっとりした顔つきで少年に身をまかせている。アンは思った。出来ることならいつまでもこのままの状態でいたいと・・・。
しばしの時間が経った。
「もう、そろそろ縄を解いてもいいでしょ」
と少年はアンに聞いた。
「ウン」
アンは小さく首肯した。少年はアンの後ろ手の縄を解いて、胸の上下の縄も解いた。これでアンの拘束はすべて解かれた。少年は後ろからアンの両手をとって、
「ごめんね。つらい思いをさせちゃって。手痛くない?」
と聞いた。
「ううん。それほど」
とアンは答えたが、アンの両手首には縄の跡がくっきりと見えた。アンは拘束が解かれた後も、うっとりした顔つきで少年に身をまかせている。少年はアンを後ろから抱いて右手で髪を優しく撫でた。
「ねえ。ニールス」
アンは言った。
「なに?」
と少年は聞き返した。アンは耳たぶまで真っ赤にしてモジモジして、なかなか言い出せない。少年は痺れを切らして、慇懃に、
「なんですか。王女様」
と聞いた。
「お願いがあるの」
アンは消え入るくらいの小さな声で言った。
「なんですか?女王様」
少年は再び慇懃な口調で聞いた。アンは顔を真っ赤にして、しばらくの間もじもじしていたが、ついに覚悟をきめ、少し声を震わせて、
「また私を縛って。そして、やさしくいじめて」
と言った。少年は満面に笑みを浮かべ、優しい口調で、
「いいですよ。王女様」
と言った。
「でもあんまりいじめないでね」
とアンが言ったので少年はすぐに、
「うん」
と言った。




平成23年10月25日(火)擱筆

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父となりて (小説)

2020-07-09 12:32:59 | 小説
父となりて

ある町である。純はいつもコンビニ弁当だった。純は父親との二人暮らしで、母親がいないからである。母親は純が幼い時、死んでしまったからである。そのため、純の食事は、ずっと、コンビニ弁当だった。「あーあ。さびしいな。お母さんが欲しいな。それと、かわいい妹も」純はいつも、そんな事を呟いていた。「コンビニ弁当はもう厭きちゃった」と純が言っても、父親は、「贅沢を言うな。世の中にはもっと辛い人もいるんだぞ」と説教した。確かに尤もなことではあるが、純の父親は、スボラで、まかりまちがっても、料理の作り方を努力して身につけようとするような男ではなかった。当然、掃除もしないから、家の中は汚い。
純の父親は、ある病院に勤める医者である。が、彼は医者という仕事が嫌いで、SM作家になりたくて、SM小説を書いていた。変な話だが、世の中にはそういう変人もいるものである。純の父親はいい歳なのに、いまだに内気で、人付き合いが苦手で、そういう点でも、一人でコツコツ出来る作家に憧れていた。なぜSM小説かというと、当然、先天的に性倒錯者だったからである。だが彼の書く官能小説は、どぎつさはなく、プロ作家になるには厳しかった。プロになるにはもっと自分を殺して読者におもねらねばならないが、父親はそれが嫌だったのである。それでホームページをつくって、書いてはアップしていた。父親の性癖は父子二人暮らしでは、隠そうにも隠せない。そもそも、押入れには大量のSM写真集があり、隠そうにも隠せない。それが純に見つかってしまった。父親は別に世の父親と違って、自分の性癖を知られても何とも思っていなかった。ホームページにアップした小説を純が読むと、どうだ、と感想を聞いた。純は、まあまあだね、と率直に感想を言った。幸い、純には内向的な性格までは遺伝せず、純は父親のように人見知りはしなかった。父親は純に小説家になってほしいと思っていた。自分はプロ作家にはなれなかった、という夢を息子にたくそうという魂胆である。ともかく多量に書いて世の中にその作品と名前を残すほどになってほしい、と思っていたのである。純はそんな父親が別に嫌いではなかった。普通、親の価値観を子供に押しつけた場合、子供は反発するという話が多いのだが、純はそうではなかった。父親は押しつけまではしなかったし、人生の最終選択は純に任せていたし、また純は親父の深い思考力に誤りを感じられなかった。

そんなある日、純の家の隣に、一人の女性と、女の子が越してきた。それが親子であることは、顔が似ていることから、容易に推測された。その女性の美しいことといったら、楊貴妃やクレオパトラ以上だった。

その週の日曜、隣に越してきた女性が挨拶回りにやってきた。ピンポーンとチャイムが鳴った。こういう時、出るのは純の方だった。
「はじめまして。隣に越してきました田中静子と申します。よろしくお願い致します」
「山本純です。こちらこそ、よろしく」
「あの。お父様は」
聞かれて、純は、おーい、おやじー、と大きな声で二階に叫んだ。だが返事がない。純は急いで階段を登った。
そしてすぐに降りてきた。
「父は今、外出しているそうです」
「そうですか。ではまた、お伺いさせていただきます」
「いえ。また来ていただいていても、多分、いない確率の方が大きいと思いますので、気を使わないで下さい。わざわざ来て下さった事を伝えておきます」
「お忙しいのですね」
「いやあ。いい歳して人見知りが強くって、御迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、勘弁してやって下さい」
その時、父親があわてて二階から降りてきた。
スーツを着てネクタイを締めて。
「あ、これは、これは、失礼しました。山本真と申します。よろしくお願い致します」
と言って頭を下げた。
夫人はニコッと笑って、「ほんのつまらない物ですが」と言って鳩サブレーを差し出した。
「これはこれは、どうも有難うございます」
と真はお礼を言って鳩サブレーを受けとった。

夫人が去ると、「バカ。変なこと言うなよ」と言って父親は純の頭をコツンと叩いた。
「すごい、きれいな人だな」
「そうだな」
「淑やかそうな人だな。親父の好みだろう」
「ま、まあな」
父親は顔を赤くした。
純か紅茶を淹れて、二人は、さっそく、もらった鳩サブレーを二人で食卓で食べた。


翌日の月曜。
ガヤガヤ生徒が話している教室に担任の先生が来た。見知らぬ女生徒を連れている。
「転校生が来たので紹介する」
そう言って女生徒を見て壇上に上がるよう目で合図した。女生徒は壇上にあがった。
「田中久美です。よろしくお願い致します」
そう言って女生徒は深く頭を下げた。
「あそこが空いているから、あそに座りたまえ」
そう言って教師は奥の方の席を指差した。教室の席は窓側が男子の席で、廊下側が女子の席になっていた。ちょうどそこは純の隣の席だった。少女は、
「はい」
と言ってその席についた。純と目が合うと少女はニコッと微笑した。
一時間目は数学だった。
数学教師が黒板に白墨で問題を書いた。そして生徒を見回した。
「誰かこの問題の解ける者はいないか」
教師に言われても生徒は黙っている。
「仕方がない。純。お前、解答を書け」
言われて純は教壇に上がり、チョークを走らせた。回答が黒板に書かれた。純は席に戻った。
「そうだ。正解だ」
そう言って教師は純が書いた解答で説明した。
二時間目は理科だった。

キーン・コーン・カーン・コーン
午前の授業が終わるチャイムが鳴った。教師が去ると生徒達は、やっと自由になったようにガヤガヤお喋りしだした。
転校してきた少女が純の方に顔を向けた。
「純君ですね。となりに越してきた田中久美です。よろしく」
そう言って少女はニコッと笑った。
「よろしく。昨日は父が失礼してすみませんでした」
「いえ。純君のお父さんてお医者さんなんですね。すごいですね」
「全然すごくなんかないですよ。ヤブもヤブ。あんな医者にかかった患者は、とてもかわいそうですね」
少女はまたニコッと笑った。
「君のお父さんは?」
純が聞いた。
「父はいません」
「あっ。これは失礼」
「いえ。私が小さい頃、飛行機事故で死んだんです」
「それじゃあ、僕と同じだ。僕の母親も飛行機事故で死んだんです」
純は好奇心に満ちた目になった。
「もしかして、それは平成×年の墜落事故ですか?」
「ええ」
「じゃあ、君のお父さんと僕の母親は同じ日に死んだことになりますね」
「そうですね」
久美は言ってニコッと笑った。
その時、一人の生徒が純の所にやってきた。
「おい。純。さっきの問題、わからないんだ。教えてくれ」
言われて純は、その生徒に問題を説明した。生徒は、うんうん、と聞いていたが、なるほど、わかった、さすが秀才、と言った。そしてチラと横の久美を見た。そして純に言った。
「おい。もう彼女か」
「ちがうよ」
生徒は首を傾げた。
「まあ、よくわかんないけど、秀才はうらやましいな」
そう言って生徒は久美を見た。
「こいつはクラス一の秀才なんだ。わからない事があったら、何でも聞きな」
そう言って生徒は自分の席に戻っていった。
今日の給食はカレーライスだった。
食事がおわると純は久美に声をかけた。
「久美ちゃん。ちょっと外に出ない」
「はい」
二人は校庭に出てベンチに座った。しばし校庭で二人が話していると上級生が四人やってきた。彼らは札つきのワルだった。
「おい。純。どきな」
「なんで」
「いいから、どけよ」
純は無視した。
「おい。純。お前、生意気なんだよ」
「ああ。生でいきてるよ」
「野郎にゃ用はねえんだよ」
「なんだ。ナンパか。それとも婦女暴行か」
「てめえ。命が惜しくねえのか」
「それはこっちのセリフよ」
純はボキボキと指の関節を鳴らした。
久美がギュッと純の手を掴んだ。
「やめて。純君」
だが純は無視して立ち上がった。
「あっち行ってな」
言われて久美は走って、近くの桜の木の裏に身を隠した。
そして木の裏から、そっと顔を出して見た。
「やっちまえ」
四人は純を取り囲んで、じりじりと詰め寄ってきた。一人が飛びかかった。
「キエー」
純はジャンプした。ブルース・リャン顔負けの飛び後ろ回し蹴りが炸裂して、相手は一撃で倒れた。純はすぐに後ろを振り返って、後ろの一人を連続回し蹴りで倒し、残りの二人も横蹴りで倒した。倒れた四人は、頭を振って起き上がると、
「おぼえてろ」
と捨てセリフを言って逃げ去っていった。それは、ちょうど「帰ってきたドラゴン」のオープニングのブルース・リャンの格闘シーンに似ていた。
「純君ステキ。純君って強いのね」
久美が純に駆け寄ってきて、純の腕をヒシッと掴んだ。
「はは。別に。そんなに強くはないよ。牛や熊には勝てないから」
そう言って純は照れ笑いした。

その時、午後の始業ベルが鳴った。
「久美ちゃん。教室にもどろう」
「はい」
二人は教室にもどった。三時間目は英語で四時間目は理科だった。

その日の帰り道。
純は久美と話しながら一緒に帰った。公園にさしかかった所で、四人の生徒が一人の女性を取り囲んでいるのが見えた。何やら生徒達は女性に文句を言っているようである。
「あっ。お母さんだ」
久美が言った。四人は今日の昼休み、純と久美にからんだ不良である。
「久美ちゃん。どっかに隠れて」
「はい」
純に言われて久美は物陰に身を潜めた。四人は女性を押して、近くの廃屋に女性を連れ込んだ。純は彼らに気づかれないよう、そっと廃屋の外から中を覗き込んだ。心配になった久美も純の所に来た。廃屋の中で四人は女性を取り囲んだ。
「おう。おばさん。このオトシマエどうつけてくれるんた」
一人がドスのきいた口調で言った。
「わ、悪い事を注意してはいけないんですか」
女性はワナワナ震えながら言った。
「おう。大いにいけねえな。相手を見て注意しな」
別の一人が言った。
「ともかくオトシマエはつけてもらうぜ」
そう言って一人が折り畳みナイフをポケットから取り出した。
「な、何をするんですか」
女性は立ち竦んでワナワナ声を震わせて言った。
「まず手始めに服を脱ぎな。嫌なら、こいつで引き裂くまでよ」
そう言って一人がナイフを女性に向けた。
「わ、わかりました」
観念したのだろう。女性はワナワナとブラウスのボタンに手をかけて脱いでいった。豊満な胸を包んで二つの大きな膨らみをなしているブラジャーが顕わになった。四人はゴクリと唾を呑み込んで目を皿のようにして眺めている。
「ほれ。次はスカートだ」
言われて静子はスカートのチャックをはずし、スカートを降ろした。ムッチリした腰部を覆うピッチリしたパンティーが顕わになった。
「お願い。もうこれ以上は許して」
静子は、もうそれ以上は出来ないといった風にブラジャーとパンティーだけのムッチリした体を手で覆った。
「ダメだ。全部脱ぐんた」
その時、純が飛び出した。
「おい。お前らどうしたんた」
純が声をかけると四人は、ハッと振り向いた。
「また、てめえか」
「あっ。純さん」
下着姿の静子は勇敢な少年が純であることに気がつくと咄嗟に声をかけた。
「何だ。知り合いか」
「そんなことはどうでもいいだろ。それより、どうしたかって聞いているんだよ」
純はドスの効いた声で言った。
「おれ達がスーパーで万引きしようとしてたらな、このおばはんが、やめなさいっ、て注意してきやがったんだよ」
「ほー。そりゃーおめえ達の方が悪いな。むしろ、その人はお前達が万引きで捕まるのを心配してくれたんじゃねえのか。そんな親切な人に婦女暴行か」
純は腕組みして余裕の口調で言った。
「うるせー。俺たちに理屈は通じねえぜ」
「おう。純。てめえにゃ、いいかげんムカついてんだよ。エエカッコばかりしやがって」
「やっちまえ」
一人がポケットからナイフを取り出して、残りの二人は廃屋にあった角材を拾って、ジリジリと純に詰め寄った。
「やれやれ。こりないやつらだ」
純は口笛を吹いて腕組みをした。
「やっちまえ」
一人が掛け声をかけて、わっと純に飛びかかった。一人が角材を振り下ろした。
「キエー」
純は足刀で角材に蹴り出した。ポキリと角材か折れた。ナイフを持った二人がジリジリと詰め寄った。二人は顔を見合わせて、それっ、と純に飛びかかった。その瞬間。
「チエー」
目にも止まらぬ電光石火の連続蹴りで、二人はあっという間もなく倒された。もう一人、角材を持ったヤツは、タジタジとして震えていた。純は相手に向かって走り出した。
「チェストー」
純はジャンプした。飛び足刀蹴りがきまって、相手は倒れた。倒された四人はしばしの脳震盪から目覚めると、頭を振ってヨロヨロと立ち上がった。
「ちくしょう。覚えてろ」
四人は立ち上がると大急ぎで小屋から逃げ出した。
静子は急いでスカートを履き、ブラウスを着た。静子は急いで純に駆け寄った。
「純君。ありがとうございました。助かりました。何とお礼を言っていいことか思いつかないほどです」
「いやあ。別にたいした事じゃないですよ」
純は照れて頭を掻いた。見ていた久美が、お母さーん、と言って飛び出してきた。
「まあ。久美ちゃん。どうしてここがわかったの」
「純君と一緒に帰る途中だったの。そしたらお母さんが四人にからまれているのが見えたの」
「そうだったの」
「あのね。純君は強いんだよ。転校した日も、私、あの四人にからまれたんだけど、純君が助けてくれたの」
「まあ。そうなの」
そう言って静子は純に振り返った。
「純君。よろしかったら家に寄っていただけないでしょうか。腕によりをかけて食事をつくりますので、どうか食べていって下さい」
「ええ。じゃあ、おじゃまします」
三人は廃屋から出て、静子の家に向かった。

三人は静子の家についた。
「純君。ありがとうございました。助かりました。何とお礼を言っていいことか思いつかないほどです」
「いやあ。別にたいした事じゃないですよ」
純は照れて頭を掻いた。
「何かお礼をさせて下さい」
「いいですよ。そんな」
「でも、私の気持ちがすまないんです」
「じゃあ、僕はいいですけど、父親が静子さんに一目見た時から惚れてしまって、手がつけられないんです。何とかしてやってもらえないでしょうか」
「ま、まあ」
静子夫人は真っ赤になった。
「あ、あの。どんな事をすればいいんでしょうか」
「親父は静子さんのビキニ姿の写真が欲しい、欲しい、と子供のようにダダをこねて仕方がないんです。何とかしてやってもらえないでしょうか」
「わかりました」
静子夫人は赤面しつつも、パソコンにフラッシュメモリを取り付けて操作して、フラッシュメモリを外して、それを純に渡した。
「あ、あの。以前、海水浴に行った時、撮った写真がありますので、こんなものでよければ」
そう言ってフラッシュメモリを純に渡した。そして、静子はその画像をパソコンで純に見せた。
「うわー。すごいセクシーだ」
そこにはビキニ姿の静子の様々なセクシーなポーズの画像があった。
「ふふ。お母さんは、海の女王コンテストで優勝しちゃったのよ」
久美は自慢げに言った。
「へー。すごいですね」
「い、いえ。友達と海水浴に行ったら、たまたまコンテストをやっていて、友達に、出ろ出ろ、としきりに言われて、出たら選ばれてしまったんです。そして写真家の人に写真を撮らせて下さい、と言われて・・・」
「親父、喜びますよ。どうもありがとうございます」
純はフラッシュメモリを貰って静子の家を出た。


その日の夕食の時。
純は静子から貰ったフラッシュメモリを父親の前に出した。
「なんだ。それは」
「静子さんのビキニ姿の写真」
「な、何で、そんな物を持ってるんだ」
「くれませんかって言ったら、くれたんだ」
「ば、ばか。何て事するんだ」
父親は顔を赤くして言った。
「なぜ、そんな事、言ったんだ」
「親父、欲しがってただろ」
「ばか。そんな恥さらしな事。我が家の恥だ。オレが明日、返しがてら謝ってくるから、よこせ」
そう言って父親はフラッシュメモリをひったくるように取った。

その夜、父親の寝室から、「ああ。静子さん。好きだ。好きだ」という声とオナニーのマラを扱くクチャクチャいう音のため、純はなかなか寝つけなかった。

翌日の朝。
ジリジリジリ。
目覚まし時計の大きな音で父と純は起きた。
二人はすぐにランニングウェアに着替えた。
「さあ。行くぞ。純」
二人はランニングシューズを履いて、早朝の街中を走った。
これは父親が決めた日課だった。
「頭がどんなに良くても知識がどんなにあっても、それだけではダメだ。何事をするにも、健康な体とタフな体力があってこそ出来る。それには子供のうちから体を鍛えておかなくてはダメだ」
というのが、父親の口癖で信念だった。

ランニングがおわって、デニーズに入ると父親はモーニングセットを注文した。父親は純に純の将来について何度も細々と注意した。純はおやじを嫌っていなかったので、黙って聞いていた。内容は大体、同じだった。
どんな事を父親が言っていたかを少し書いてみよう。

「お前は三島由紀夫以上の作家になるんだ」
「・・・・」
「お前は勉強が出来るからいいが、あまり無理しすぎるな。何も東大医学部でなくてもいい。お前なら国立の医学部なら十分、入れるからな。無理して頑張って勉強がストレスになってはよくない。一番大切なのは丈夫な体だ。無理して万一、過敏性腸症候群になったら大変だ。お前はハンサムだし性格が明るいから、女の友達には不自由しないだろう。しかし、決して女を愛そうと思ったりするな。現実の本気の恋愛ほど無意味なものは無い。この世で価値あるのはあくまで芸術だけだ」
「その点は大丈夫。俺もおやじと同じようにニヒリストだからね」
「それと思想的な本はあまり読まなくてもいい。小説をつくる上で大切な事は、くだらない事でも世の中の事は何でも知っているという事だ。ファミコンだの流行りの漫画だのも一応やったり読んでおけ。思想書を読むより花や木の名前を覚えろ。花や木にも理論があるんだ。お前ほど頭がよければ小説のストーリーは十分つくれる」
純は父親のおかしな説教を黙って聞いていた。
「お前は数学が出来るが、面白いからといって、あまり数学にのめり込むな。数学の知識は小説には全く役にたたないからな。そんな時間は社会科系の勉強にまわせ。物理も化学もそうだ。しかし生物学はしっかり勉強しろ。生物学は小説を書く上で少しは役立つし、何より医学部に入ってから大切だからな。日本史、世界史、政治、経済、地理、全部、大切だ。それと古文、漢文も満点でなくてはだめだ。特に古文は小説をつくる上で大切だ。できたら全てを読みつくす位のつもりでやれ。解らない事は全てオレが教えてやる」
「・・・・」
「学歴は小説と関係ないが、世間の人間は小説を読む時、作者のプロフィールを知りたがるものだ。国立を出ていれば、頭のいい人間と思われる。そうすると小説も、文学的に価値のあるものと思われるから読まれる可能性が強くなって有利だ。しかし、あまり家に閉じこもりきりで、勉強だけというのもよくない。友達を適度につくり、おおいに遊び、ケンカもしろ。子供の頃、色々な事を体験しておくと大人になって小説を書く上で確実に役に立つからな」
「・・・・」
「たまに小説を書きたくなったら、気を入れて書いてみろ。10枚くらいの短編がいい。10枚できちっとまとめてみろ。しかし、書く事が面白くなっても、勉強をおろそかにしてはならない。まあ、お前ならその心配もないと思うが。中学一年では、後世に残るほどの小説など書けっこない。中学、高校時代は、ともかく知識のストックの時代だ。若い時に勉強せず、小説を書く事にふけって、芥川賞をとる若者もいる。しかし、そういのはほとんど一作作家だ。時代の先端を先鋭な感性で描いているから、時代が変われば見向きもされなくなる。大切な事は死ぬまで書きつづけ、文学全集を出し、百科事典にお前の名前がのる、という事だからな。ともかく量をたくさん書くことだ。いったん、作家として認められれば、つまらない作品でも作家研究ということで、全集の中に保存されるんだ」
「・・・・」
「医学部に入ったら、もうちょっと気合を入れて50枚くらいの小説も書いてみろ。中学、高校で十分、知識のストックをつくっておけば、大学生になれば読むに耐える小説は書けるだろう。その時、お前は中学、高校でしっかり勉強しておいた事の有利さに気づくだろう。医学の勉強や知識は小説を書くのに全く役には立たない。それは極めて残念なことだ。しかも医者という肩書きは、作家になる上で非常に有利だし、医師免許を持っていれば、食うには困らないからな。まあ、作家になるための試練としてガマンすることだ。お前は根性があるから、どんな試練にも耐えられるだろう。解らない事や、どの医学書がいいか、合理的な勉強法は何か、全てオレが教えてやる」
「・・・・」
「何事にも興味を持つことだ。海外旅行も、好きな所へ行け。金は出す。オレは海外に行ったことが一度も無い。オレが学生の時は、世界中を旅行したと自慢してたヤツもいた。しかし、あいつらは自分が楽しむために、旅行するのであって、自分の思い出だけでおわってしまう。そんな旅行は無意味だ。教科書や写真で、読んだり見たりするのでは、強い実感にはならない。実物を見ることで世界を実感できる。つまらない事でも貪欲によく見ることだ。ともかく体験が大切だ。今は小説にならないと思うような事でも将来、小説に出来る材料に変わることは、いくらでもあるからな」
「・・・・」
「友達をつくることは大切だが、好きな女の子とは、決して親しくなるな。現実の女というものがわかってしまうと、幻滅して小説のモデルとならなくなる危険がある。小説家になるには、あくまで研究者のように、さめた観照者の立場で人間を観察することだ。現実の世の中には、あまり手を触れてはいけない。しかし、TPOによっては少し、触れた方がいい場合もある。お前は頭がいいから、そこらへんの判断はしっかり出来るだろう」
「・・・・」
「もし、何かお前が非常に興味をもってとりつかれた事柄があったら、それを徹底的につきつめて、その事に関しては辞書になるくらいになれ。小説家として大切な事は、世の中の事を広く知っている事も大切だが、一つの精通した分野がある方がもっと有利というのもまた事実なんだ」
「・・・・」
純の父親はだいたい、いつもそんな事を純に言い聞かせていた。
純はおやじを嫌っていなかったので、親父のこんな説教を黙って聞いていた。

モーニングセットを食べおわると二人はデニースを出て家にもどった。
服を着替え制服を着て純は家を出た。
「おい。純。今日もしっかり勉強するんだぞ」
と言って父親も純と一緒に家を出た。
あー、医者はウザってーな、この世に医者ほどウザってー仕事が他にあるだろうか、と小言を言いながら。
隣の久美の家の前を通って少し行くと、すぐに背後から、
「純君―」
という元気のいい声が聞こえた。
純が振り向くと、セーラー服姿の久美が手を振りながら笑顔で走ってきた。
純に追いつくと久美は、
「純君。一緒に行かない」
と聞いた。
「うん。行こう」
純は淡白に答えた。二人は話しながら学校に向かった。
学校に近づくにつれ生徒が増えてきた。
「よー。よー。イチャイチャくっつきやがって。もうAはやったのか」
背後から例の四人が囃し立てた。
「純君」
久美はひしっと純の腕にしがみついた。
「いや。Aだけじゃねーだろ。もうBもCいってるだろ」
一人が言うと、四人は腹を抱えて笑った。
「うるせーな。耳障りだぜ。一人にすると、お前らみたいなダニが襲いかかるだろ。うせろ」
純は振り向きもせず、うるさい蠅を追い払うように怒鳴った。
近くにいた数人の女生徒がクスクス笑った。
四人は茹で蛸のように額に青筋を立てた。
「ダニだと。純。てめえ。覚えてろよ」
四人は捨てセリフを吐いて、逃げさるように二人を追い抜いて駆け出した。

ジリジリジリ。
一時間目の始業のベルがなった。ガラリと戸が開いた。一時間目は国語だった。
「起立」
「礼」
「着席」
国語教師は教壇に立つと、おもむろに教室の生徒達を一瞥した。
「よし。今日は作文にしよう。題は、『父について』だ。何を書いてもいい。思う事を素直に書いてみろ」
原稿用紙が配られ、生徒達はカリカリと書きはじめた。
30分くらいで皆、書きおえて教室は静かになった。
教師はおもむろに教室の生徒達を見回した。
純と目がバチンと合った。
「よし。純。読んでみろ」
指名されて純は立ち上がって読み始めた。
「父について。僕の父はすごく劣等感が強い性格です。まあ、よく言えば負けん気が強いともいえるかもしれません。父は空手が出来て、硬派のように装っていますが、本当はすごく気が弱く、大人のクセに、まだ甘えが抜けきれていないのです。その証拠に父は、趣味で小説を書いていますが、小説の中で、甘えられる女性ばかり書いて、小説の中で自分の書いた女性に甘えているのです。父は少しでも自分が傷つくことを怖れて、生きた現実の女性と付き合う事が出来ないのです。大人になるには、そのハードルを越さなければならないのですが、父はそのハードルを越せない、というか、越したくないのです。つまりパンドラの箱を開けたくないのです。まあ空想的理想主義者といえるかもしれません。しかし物事には程度というものがあって、父は病的な空想的理想主義者なのです。そんな父の理想に合うような女性など、この世にいるはずがありません。しかし自分に誠実であり、世間の多くの大人のように、僕や人を欺こうとはしません。スレッカラされてもいません。良くも悪くも子供なのです。そういう点は評価しています。点数をつけるとすれば60点でギリギリ合格としています。父は自分の叶わなかった夢として僕を小説家にしようとしていますが、かわいそうな父のために僕は挑戦しようと思っています。さてはて、どうなることやら」
教師をはじめ生徒達は、この変な作文を聞いてポカンとしていたが、しばしして教師は、
「ははは。なかなか純は父親思いなんだな」
と笑って言った。

午後は音楽の授業だった。
当然のことながら、音楽は美人の女教師だった。彼女はさっそうとピアノについた。ふと顔を上げて、その中に見知らぬ転校生の久美を見つけると彼女はじっと久美を見つめた。
「あら。あなた。どこかで見たことがあるわ。えーと、どこだったかしら」
美人音楽教師は小首を傾げた。
久美は照れくさそうにしている。
「そうだわ。思い出したわ。去年、小学生ピアノコンクールで優勝した子ね。そうでしょ」
「は、はい」
久美は照れくさそうに小声で答えた。
「名前は」
「田中久美です」
教師は微笑した。
「じゃあ、今日は久美ちゃんに何か演奏してもらいましょうか」
「はい」
久美はピアノの前に座った。鍵盤の上に手を乗せたが何を演奏していいのか、迷っているといった顔つきだった。
「何を演奏してもいいわよ」
教師は躊躇している久美を気遣って言った。久美は純をチラッと一瞥してから、ピアノを演奏しだした。曲はアルビノーニのアダージオ。実に寂しく哀調的である。あたかも十字架を背負ったキリストがゴルゴタの丘に向かう光景を彷彿させる暗く重厚なメロディーが教室に重く垂れ籠めた。
パチパチパチパチ。
生徒達が拍手すると久美は照れくさそうにお辞儀して、そそくさと自分の椅子に戻った。
あとは美人音楽教師の演奏するピアノに合わせて生徒達は唱和した。

その放課後。
音楽部の女子生徒達がやってきた。
「田中さん。ぜひ音楽部に入って」
久美は照れくさそうに微笑みながら、純の方をチラッと見た。
「純君は何部?」
「僕は空手部だよ」
「じゃあ、私も・・・」
「久美ちゃんには無理だよ。音楽部に入りなよ」
純は否定して、促すような仕草で手を振った。
「わかったわ。私、音楽部に入る」
「ヤッター。じゃあ、さっそく部室に来て」
音楽部の女生徒達は小躍りして喜んだ。
手を曳かれるようにして久美は音楽部の部室に行った。

久美の姿が見えなくなると、純も教室を出た。
グラウンドでは野球部の生徒達が意気のいい掛け声を出して練習していた。
校庭の隅にあるバラックが空手部の部室だった。
純は一年だが空手部主将だった。戸を開けると部員のラオがいた。
「押忍」
拳を握りしめラオは挨拶した。
「押忍」
純も同様に軽く頭を下げた。
純は空手着に着替えた。
「よーし。ラオ。じゃあ、練習を始めるぞ」
「はい」
純はラオの前で構えた。
「蹴る。蹴るんだ」
重い厳かな口調で純は言った。言われてラオは勢いよくシュパッと横蹴りを放ってピタリと宙で止めた。ラオは得意げな顔つきである。だが純は黙って得意げな顔のラオに近づいた。
「何だ。それは。蹴る真似か。大切な事はここを使うことなのだ」
そう言って純は自分の頭を指差した。誉められると思っていたラオは厳しく叱られて、真剣な顔つきになって構えた。
シュパッ。
ラオの足刀が空を切った。純は黙って再び、おもむろにラオに近づいた。無言のうちにも、また小莫迦にされそうな気配を感じてラオはしり込みした。
「頭を使え、と言ったはずだぞ。カーとなれとは言っていない。ちゃんと狙って蹴ろ」
二度も厳しく叱られてラオは真剣な顔つきになった。
シュパッ。シュパッ。
ラオは横蹴りをつづけて蹴り出した。今度の蹴りは無駄な力みの無い軽やかな蹴りだった。今度は純はにこやかに笑って近づいた。
「よーし。ラオ。それでいい。どうだった」
純は嬉しそうな顔で誉めた。
「えっとー」
ラオは今の感触が、どうだったか言葉で説明しようと眉を寄せた。すると途端に純はラオの頭をペシッと叩いた。
「考えるな。感じるんだ。言わば指で月を指差すようなものなのだ」
そう言って純は人差し指で虚空を指差した。
ラオは純の指先を凝視した。
すると純は、また小莫迦にしたようにペシッとラオの頭を叩いた。そして説教した。
「指にこだわっていては、その先にある美しい物を見ることは出来ない」
純は力説した。
「じゃあ、今日の練習はこれでおわりだ」
ラオは礼儀正しく深々と頭を下げた。するとまたまたラオは純にペシッと頭を叩かれた。
「相手から目をそらすな。たとえ挨拶をする時でもだ」
ラオは言われたように上目がちに純を見ながら軽く頭を下げた。
これで部活の練習はおわりだった。何が何だかわけがわからないといった顔つきのラオを残して純は部室を去って行った。練習時間は五分もない。ひどく一方的で生意気で短時間の指導である。勿論、純は、自分なりの深遠な武道哲学に基づいて指導しているのだが、相手にわかるように教えようという配慮がないとしか言いようがない。
部員は他に、エスクリマというフィリピン武術を身につけているダニー・イノサントという生徒と、バスケットボール部と兼部しているカリーム・アブドゥル・ジャバールという、ものすごい長身の生徒がいた。
数日前にアメリカンスクールの空手部と初めて対抗試合をした。アメリカンスクールの空手部の主将はチャック・ノリスというものすごい強豪だった。純は苦戦の末、最終的には倒したのだが、敵の胸毛をむしる、というとんでもないルール違反をしたため、審判に厳しく注意され、反則負けとなってしまったのである。純は戦いとなると性格が豹変してしまって、野獣のような奇声を発し勝つためには手段を選ばなくなってしまうという致命的な性格的欠点があるのである。

バラックを出た純はあとは部室で一人、父親に言われた日本史の年代丸暗記のつづきをはじめた。純は父親に、子供の時に覚えた事は一生、忘れないから、大変でも、日本史、世界史は、教科書を全部、丸暗記しろ、と言われていたのである。純は、父親に言われたからではなく、自分の判断で、父親の言った事が正しいと思ったので、一心に勉強しているのである。

その日も純は久美の家に寄った。
久美が弾いている美しいピアノの旋律が聞こえてきた。
ピンポーン。
チャイムを押すと、静子が出てきた。
「あっ。純君。いらっしゃい。どうぞ、お上がりになって」
静子は純を見るとニコッと笑って挨拶した。
「お邪魔します」
純は一礼して靴を脱いで家に上がった。
「静子さん。写真、ありがとうございました。親父、すごく喜んでました」
「そ、そうですか。それは、よかったですね」
静子は顔を赤らめて小声で言った。
「あっ。純君」
ピアノを弾いていた久美は純を見つけると、鍵盤を走らせていた手を止めた。
「純君。久美ちゃん。おやつにしましょう」
静子に言われて二人はテーブルについて、静子の手作りのクッキーを食べた。
「久美ちゃん。ピアノひいてよ」
食べおわると純が言った。
「何がいい」
「美女と野獣」
「わかったわ」
久美はピアノについて、鍵盤に手を載せて、繊細な指を鍵盤の上で軽やかに走らせた。
美女と野獣の、少し哀調のある情感的なメロディーが、部屋の中に流れた。
その後、少し雑談してから純は、静子の家を出た。

その日の夕方。
トントンと戸が叩かれる音がした。純が戸を開けると静子が立っていた。大きな盆を持っていた。
「こんばんは。純さん」
「こんばんは。静子さん」
「あ、あの。今日の夕御飯はビーフシチューにしたんですけど、たくさん作りすぎてしまって。よろしかったら召し上がって下さらないでしょうか」
「うわー。ありがとうございます。静子さんの手作りのビーフシチューなんて夢のようです。もうカップラーメンが五日もつづいていましたから、いいかげん、ウンザリしてたんです」
純は飛び上がって喜んだ。静子は照れくさそうにニコッと微笑んだ。
純は食卓に盆を持っていくとハフハフ言いながら父親と食べた。
美味い、美味い、と言いながら。
「おい。純。お礼にこれを渡せ」
そう言って父親は純に一万円冊を渡した。
食べおわって、食器を丁寧に洗って、静子の家に食器を返しにいった。
「すごく、おいしかったでした。ありがとうございました」
そう言って純はペコリと頭を下げて、食器を返した。
「あの。これ」
と言って純は父親から渡された一万円札を静子に渡した。
「こ、こんなに頂けません」
静子は驚いて手を振った。
「でも、親父が渡すように言ったんです。あいつは、こうと決めた事は絶対、ゆずりませんから」
「そうですか。有難うございます」
静子はペコリと頭を下げ申し訳なさそうに札を受けとった。
「あ、あの。純さん」
「はい」
「喜んでいただけると、私もとても嬉しいです。同じ物をつくるなら、二人分より、四人分の方が作りがいがあります。よろしかったら、これからも、作らせていただいて、よろしいでしょうか」
「大歓迎です」
こうして、純の家の夕御飯は時々、静子の作る料理にかわった。


父親が早く帰った時は、父子は、静子の家に行って静子と久美と四人で食べるようにもなった。
その光景はこんな具合である。
父子と母娘が向き合って食卓についている。
真の前が静子で、純の前が久美である。
「でもお医者様って大変なお仕事なんですね」
「いえ」
「当直とかもあるんですか」
「ええ」
「当直の翌日は休めるんでしょうか」
「いえ。翌日も勤務です」
「それは大変ですね」
「いえ。人の命を与っている仕事ですから、当たり前の事です」
と医師の当直に、いつもさんざんグチを言っている父親は、謹厳に答えた。
「大学の医療界って、どういう所なんですか。私、そういう事、全然しらないんです。テレビの白い巨頭のような事は本当にあるんですか」
「そうですね。確かに日本の医学界の制度は遅れていて、教授をトップとした封建社会という面があります。二年目からは教授の命令で僻地に行くことになります」
「真さんも、どこか僻地に行かれたんですか」
「ええ。私は小笠原諸島に二年、行きました」
「小笠原諸島ですか。それは、さぞ不便だったでしょう」
「いえ。医師不足で困っている僻地の人々に尽くす事は医師として当然の事です」
と僻地に行く事が死ぬほど嫌で、そのため医局に入らなかった真は堂々と謹厳に答えた。
「本当にご立派な志のお方ですわ」
と静子は目を潤ませて感動したように真を仰ぎ見た。
とまあ、だいたいそんな会話だった。


その週の日曜日。
突然、久美が純の家に駆け込んできた。
「じゅ、純君。助けて」
久美は泣き出しそうな顔だった。
「どうしたの。久美ちゃん」
「こんなメールが来たの」
そう言って久美は携帯を純に渡した。それにはこう書かれてあった。
「お前の母親が万引きしたんだ。警察には言わないでやるから、今すぐキャッシュカードかクレジットカードを持って、一人で三丁目のコンビニに来い」
メールには静子が丸裸で胸と秘部を手で覆っている写真が添付されていた。
「純君。お願い。助けて」
「よし。久美ちゃん。行こう」
純と久美は急いで三丁目のコンビニに向かった。
コンビニに着いた。
「久美ちゃん。一人で入って。僕もすくに行くから」
「はい」
久美は恐る恐るコンビニに入った。コンビニに客はいなかった。
久美を見つけると店長はニヤリと笑った。店長は街でも評判の悪い男だった。以前、詐欺で捕まったこともある。
「お、お母さんは」
「よく来たな。キャッシュカードは持ってきたか」
「はい」
「よし。じゃあ、会わせてやる」
そう言って店長は久美を店の奥の倉庫に連れて行った。二人が見えなくなると純はマスクをして、野球帽をかぶり、すぐに店に入った。

純は店長に気づかれないよう久美が入っていった倉庫の戸の隙間から中を覗いた。
そこには一糸纏わぬ裸の静子が後ろ手に縛られていた。そしてその縄尻は柱に縛りつけられていた。その回りを例の四人がニヤニヤ笑いながら、取り巻いていた。
「お母さん」
「久美ちゃん」
母娘は目が合うと咄嗟に呼び合った。
「ど、どうしてこんな、酷いことをするんですか」
久美は震えながら聞いた。
「メールに書いたろ。お前の母親がチョコレートを万引きしたんだ」
「ち、違います」
静子は冤罪を訴えた。
「ほー。どう違う」
静子は唇を噛んで恨めしそうに四人を見た。何か言いたそうだが言えないといった様子だった。四人はニヤニヤ笑っている。
「わ、わかったわ。あなた達が、お母さんの手提げに、そっとチョコレートを入れたんでしょ」
「おい。久美。何の証拠があって、俺達にそんな、とんでもない、いいがかりをつけるんだ」
その時、おもむろに純が入ってきた。
「あっ。純。また、てめえか」
「ほー。聞かせてもらったぜ。その人が万引きしたのか。証拠はあるのか」
「ああ。あるぜ。ちゃんと目撃者もいるし、何より物的証拠もある」
店長は居丈高に言った。
「どんな証拠だ」
「この四人が、この女が万引きする所をちゃんと見てて、知らせてくれたんだ。それで手提げを開けてみたらチョコレートが出てきたんだ。これほど確実な証拠はないだろ」
「防犯カメラは」
「防犯カメラはスイッチを入れるのを忘れていたそうだ」
四人の一人が言った。
「ほー。そうか。それは確かに確実な証拠だな。なら、なぜ警察に連絡しないんだ」
「それは警察沙汰にしては可哀相だと思ったから情けをかけてやったんだ。なんせ、四人の友達の母親だからな」
店長は居丈高に言った。
「ほー。思いやりがあるんだな。それにしちゃ、裸にして縛って写真を撮るってのは、どうしてだ」
純はジロリと四人をにらんだ。
「もしかすると久美ちゃんの言うように、そいつらの一人が彼女に気づかれないよう彼女の手提げに入れたのかもしれないぜ」
「おい。純。言いがかりもいいかげんにしろ」
四人の一人が言った。
「まだ本当に万引きしたかどうか、わからないぜ。万引きしたんなら、警察で調べれば、確実にその人の指紋が出てくるだろう。しかし指紋が出てこなく、逆にそいつらの誰かの指紋が出てきたら、そいつらが彼女を罠にはめたって事も完全に証明されるぜ」
四人は、うぐっと口をつぐんだ。
黙っていた静子は堰を切ったようにわっと泣き出して叫んだ。
「そ、そうなんです。警察に連絡して下さい、って何度も頼んだんです。でも聞いてくれなかったんです」
「てめえら。罠にはめたな」
そう言って純はポケットから携帯を取り出して警察に電話した。
「もしもし、万引き疑いの事件です。ここは三丁目のコンビニです」
「ちくしょう。ズラカレ」
と言って四人は店を飛び出した。
四人がいなくなると店長は急いで静子の縄を解いた。
自由になった静子は、恥ずかしさから、急いで床に散らかっているパンティーを履き、ブラジャー着け、スカートを履いてブラウスを着た。
警察はすぐにやって来た。
「万引きですね。万引き犯はどこですか」
警官が聞いた。
「な、何でもありません。誰かの悪戯でしょう」
店長は苦しげな顔つきで手を振った。
こうなっては立件は難しい。
「そうですか」
警官はさも残念といった顔つきでパトカーに戻って行った。
純は店長をにらみつけた。
「このチンカス野郎」
パトカーが去ると純は店長を思いきりぶん殴った。
店長は殴られて吹っ飛んだ。
純は静子と久美を見た。
「行こう。久美ちゃん。静子さん」
店長が頭を振ってフラフラと起き上がると純は、店長をにらみつけ、握りしめた拳を突き出した。
「二度と手を出すな。このハンチク野郎」
「は、はい」
店長は慄いた顔つきでヘコヘコ頭を下げた。
純と久美と静子は店を出た。

ちょうど空車のタクシーが向かってきたので純は手を上げた。
三人はタクシーに乗り込んで、静子の家にもどった。

家につくと静子は低頭平身して純に頭を下げた。
「純君。ありがとうございました。助かりました。何とお礼を言っていいことか思いつかないほどです」
「いやあ。別にたいした事じゃないですよ」
純は照れて頭を掻いた。
「何かお礼をさせて下さい」
「いいですよ。そんな」
「でも、私の気持ちがすまないんです」
「じゃあ、僕はいいですけど、父親が静子さんに一目見た時から惚れてしまって、手がつけられないんです。何とかしてやってもらえないでしょうか」
「はい。何でもします」
「親父。静子さんのパンティーとブラジャーが欲しい、欲しいと言ってきかないんです。よろしかったら、もらえないでしょうか」
静子は真っ赤になった。
「は、はい。わかりました」
静子は箪笥を開けてパンティーとブラジャーを持ってきた。
「あ、あの。こんな物でよろしければ」
と言って静子夫人は顔を真っ赤にして、箪笥から持ってきた下着を差し出した。
「ありがとうございます」
純は礼を言って、それを受けとった。
あ、あの、と純は、口を開いたが躊躇して言いためらった。
「はい。なんでしょうか」
静子は即座に聞いた。
「あのー。申し訳ありませんが、出来たら、今、静子さんが履いている下着の方が、親父、喜ぶと思うんです」
「はい。わかりました」
そう言って静子は、その場でスカートの中に手を入れてパンティーを降ろして足から抜きとり、ブラウスのボタンを外して、ブラジャーを取り外した。
そしてパンティーとブラジャーを純に差し出した。
「ありがとうございます。親父、飛び上がって喜びますよ」
そう言って純は静子の下着を受けとった。

その日の夕食の時。
純は父親に下着を差し出した。
「なんだ。それは」
「静子さんのパンティーとブラジャーさ」
「な、何で、そんな物を持ってるんだ」
父親は目を丸くして言った。
「パンティーとブラジャーくれませんかって言ったら、くれたんだ」
「ば、ばか。なぜ、そんな事したんだ」
「親父、欲しがってただろ」
「ばか。また、そんな恥さらしな事したのか。我が家の恥だ。オレが明日、返しがてら謝ってくるから、よこせ」
そう言って父親はパンティーとブラジャーを、あわてて奪い取った。

その夜は父親の寝室から、「ああ。静子さん。好きだ。好きだ」という声とオナニーのマラを扱くクチャクチャする音がうるさくて、純はなかなか寝つけなかった。

翌日の放課後。
純は静子の家のチャイムを鳴らした。
「いらっしやい。純君。どうぞお上がりになって」
だが純は手を振った。
「下着ありがとうございました。おやじ、すごく喜んでました。そのお礼を言いに来ただけです」
途端に静子は赤面した。
「い、いえ。どういたしまして」
静子は赤面して言った。
純は深々と一礼して踵を返した。

数日後の学校の放課後。いつものように純は久美と一緒に帰り、純は静子の家に寄った。
「ただいま。お母さん」
「おかえりなさい」
「お邪魔します」
「いらっしゃい。純君」
「純君。久美ちゃん。ちょうどチーズケーキが焼けたところなの。おやつにしましょう」
「はい」
久美と純はテーブルについた。
静子は、ニコッと笑って、作っておいたチーズケーキを出した。
「お味は、いかがですか」
「すごく美味しいです」
純は笑顔で答えた。
静子もテーブルについた。
「純君のお父さんと私のお母さんが結婚してくれたら、いいのにね。そしたら、私、純君の妹になれるのにね」
久美が言うと静子はニコッと笑った。
「おやじ。いい歳して、照れ屋だからね。静子さんを好きなのに言えないんだよ」
「どうして?」
「あいつは自分からは大切な事は何も言えないんだよ。そのくせ、人一倍、静子さんに憧れてて。毎晩、静子さんのパンティーに鼻を当てながら、『ああっ。静子さん。好きです』って言いながらオナニーしてるんだ」
「どうして言わないの」
「あいつは臆病者で自分が可愛すぎるんだよ。まだ自己愛から抜けきれてなくて、自分の心が少しでも傷つくのが怖いんだよ」
純はつづけて言った。
「あいつの方から、結婚して下さい、って、言えないんだよ。女性に好きです、って、言わせる事が、残酷だって事がわからないんだよ」
久美は微笑んで黙って聞いていた。
「結婚したら静子さんに自分のパンツを洗わせることになるだろ。それが恥ずかしいんだよ。あいつは、病的なフェミニストだからね。自分のパンツを静子さん程の美人に洗わせる事が出来ないんだよ。鼾を聞かれることも怖がってるんだ」
純はつづけて言った。
「家を掃除させる事も悪いと思ってるんだよ」
「すごくデリケートな方なのね」
「まあ、よく言えば、そうかな」
「それと、おやじにはSM趣味があるからね。静子さんを縛りたいとも思っているんだ。結婚したら、性生活でそういう事もガマンできないだろうからね。そんな事して、変態だと思われる事にも、親父には耐えられないんだ」
黙って聞いていた静子の頬がほんのり紅潮した。
純はつづけて言った。
「それにあいつはロリコンもあるからね。結婚したら君に悪戯するかもしれないよ。しかしあいつは自制心が強いからね。君に苦悩するのが嫌なんだ」
「そうは思えないわ」
久美は訝しがるように眉を寄せて言った。
「人は見かけによらないよ。おやじは女には年齢に関係なく狼のように飢えてるんだよ」
純は一息入れるように、ズズーと紅茶をすすった。
そして話しつづけた。
「それと、もう一つ別の理由があるんだ。おやじは、自分はやさしい母親の愛を受けなかったから小説が書けるんだ。やさしい親の愛を受けたやつには小説は書けない。お前もやさしい母親がいないから小説家になれる可能性がある。ハングリーなやつでないと小説は書けない、って言ってるんだ。まあ確かにそれは当たってる面があると思う」
「それで純君は小説家になりたいの?」
久美が聞いた。
「まあ、そうも考えたりするね。どんな職業も十年一日の同じことの繰り返しだからね。その点、小説家は新しい物を創造する仕事だからね。しかし筆一本で生きていく自信もないからね。おやじの言うように、まず医学部にいって、医師免許をとろうと思っているんだ。僕もおやじと同じように世の中にしゃしゃり出て世の中を変えたいとも思わないし、学者なんてのもまっぴらだしね」
そんな二人の会話を静子は黙って聞いていた。

その後も父子は隣の静子の家に呼ばれて夕食を共にしたが、父親は謹厳な態度を崩そうとしない。どんなに静子が明るく振舞っても。これほど依怙地な性格もめずらしい。肝心な所から情報は洩れているというのに。だが純は無考えに喋っているのではないのである。何とか親父の内気な性格を治してやろうという動機から喋っているのであって、純はとても父親思いの孝行息子なのである。


それから数日後。
純と父親は、久々に静子の家に招かれて夕食を共にした。
「あ、あの」
「はい。何でしょうか」
「私、いびき、なんて何ともないです」
「は?」
父親は何の事だかわけが解らないといったような顔つきになった。
だが静子は一心に話し続けた。
「山本様。差し出がましい事を言うようで申し訳ありませんか、やさしい親の愛を受けた人にも小説は書けると思います」
「は?」
父親は、また小首を傾げた。
「私、山本さんになら鞭打たれても、縛られても何をされても何ともありません」
静子は泣き出した。
「あ、あの。私、マゾなんです。真さんのような優しい人に虐められたいんです」
「な、何のことでしょうか」
父親はこの突拍子もない発言に、たじろいで身を引いた。
「真さん。私でよろしければ結婚していただけないでしょうか」
静子は、とうとう衝撃的な告白の言葉を言った。
その告白は青天の霹靂のように父親の胸に突き刺さった。
父親はショックを受けて真っ青になって箸を落とした。
だが静子は訴えるようにつづけて言った。
「私、真さんをはじめて見た時から、真さんと再婚できたら、どんなに素晴らしいかしら、と思っていたんです」
父親は咄嗟に横に座っている純を見た。純はニコリと笑った。父親は、意を解して真顔になった。そして前にいる静子を見た。
「あ、ありがとうございます。失礼致しました」
父親は謹厳な口調で言った。
しばし父親は眉間に皺を寄せて黙って考え込んだ。
しばしの時間が経った。
食卓はしんと静まり返った。
ようやく父親は重い口を開いた。
「あの。静子さん」
「はい」
静子は即座に答えた。
「今のあなた様の発言は無かったことにしていただけないでしょうか」
「は、はい」
静子は穏やかに答えた。
「ありがとうございます」
父親は落ち着いた口調で言った。
父親は前にいる美しい女性の潤んだ瞳を初めて真顔で直視した。
そしてあらたまった口調で慎ましく言った。
「静子さん。ご迷惑をかけるかもしれませんか、私のようなつまらない男でよろしければ結婚していただけないでしょうか」
「はい。よろこんで」
静子は即座に答えた。
静子の目には涙が光っていた。
「やったな。おやじ」
純は親父の背中をドンと叩いた。
「やったー。これからは純君が私のお兄さんになるのね」
久美は前にいる純を見てニコッと笑った。



平成21年6月23日(火)擱筆

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精神科医物語 (小説)

2020-07-09 12:27:09 | 小説
精神科医物語

 丈太郎は精神科医である。医師国家試験に通った後、ある国立病院で二年研修した。彼が大学の医局に入らなかったのは、いろいろ理由がある。彼は学問好きではあったが、ひとコトで言ってしまえば、彼は文学、芸術に価値を感じていて、学問には、はるかに低い価値しか感じられなかったためである。

 ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたため、宗教裁判にかけられ、地動説を否定することをせまられた。ガリレオはやむなく、「それでも地球は動く」と小声で言って、表面上は地動説を否定した。ガリレオと同時期にジョルダーノ・ブルーノという哲学者がいた。彼は天文学者でもあった。彼もガリレオと同じく地動説を主張した。そのためガリレオと同じく宗教裁判にかけられた。だが、ブルーノは地動説を最後まで否定しなかった。そのためブルーノは火あぶりにされた。どんなに時の権力者が力づくで、ある科学の説を否定しても、科学の真理そのものが変わることはない。時がたち、社会体制が変われば、いずれ科学の真理は認められる時が来るのである。だからガリレオは地動説を表面上、否定できたのである。しかしブルーノにとって地動説は彼の思想であった。科学は万人のものであるが、思想は、かけがえのない個人のものである。思想を否定する事は自分を否定する事になる。そのため、ブルーノは、火あぶりにされる、とわかっていても自分の思想を捨てる事は出来なかったのである。
また、アインシュタインの相対性理論にしても、アインシュタインがいなくても、彼の死後、50年以内に、誰か、別の科学者が相対性理論を発見できた事は間違いない、という事はもう物理学者の間では常識である。
科学でも医学でも、新しい法則や病気を発見すると、それらには第一発見者の名前がつけられる。ビルロート、ブラウン=セカール、バセドウ、ハーバーボッシュ。
しかし、それらは、第一発見者が見つけなくても、時間の問題で、いずれは別の科学者によって発見されるものである。そうなると科学者というものは代替がきくものなのである。一生かけて、何かの素晴らしい発見をして医学書の中に自分の名前を一文字入れる事だけに自分の生涯をかけるなど、丈太郎には、極めて虚しく思われて仕方がなかった。それに比べると、思想や芸術というものは、どんなに稚拙なものであっても、自分以外の人間では、つくり出せない代替のきかない、まさに自分のかけがえのない生きた証なのだ。

 こう書くと芸術にだけ価値があって、科学者を卑しめているようにとらえられかねない。しかし、もちろん、そんな単純な見方は間違いである。真の科学者は、研究する事が面白くて面白くてしかたがない人達である。名誉などは二の次に過ぎない。そもそも時代とともに生活が豊かに、便利になっていくのは、科学者のおかげ以外の何物でもない。そもそも芸術家は人間の生活に必要な物資など何一つ生産しない。農業従事者は世の中にかかせない職業だが、芸術家などいなくても世の中は何も困りはしない。芸術家は、先生、などと呼ばれているが、この明白な事実をいつも肝に銘じておかなくてはならない。だからといって、やたら卑下する必要もない。芸術家はその作品によって、世人を楽しませたり、勇気を与えたりする。要は各人が自分の職業に励んでいるから世の中は成り立っているという事である。

 大学の医局に入る人間は、好むと好まざるとにかかわらず、医学で身を立て、名をなしたいと思っている人間が行くところである。大学の医局とは、教授を頂点とする封建社会である。医学の知識や技術を教えてやるから奴隷になれ、である。もちろん給料など出ない。あと、何年もかけて博士号とやらである。博士号というのは、武道の世界で言うなら、段位のようなものであり、ハクのような面もあり、じっさい実力がある証明書であることもあるが、そうでないこともある。少なくとも臨床の能力とは、あまり関係がない。文学、芸術方面に価値をおいていて、医学に価値を感じられない彼のような人間には、そういうものを汲々と求める必要がなかったのは、当然である。加えて、教授に気に入られなかった人間はヘンピなイナカの病院へ売りとばされ、教授は紹介料として、その病院から謝礼をうけとり、ふところに入れる。文学、芸術に命をかけている彼にとっては、芸術の世界でなら、そういう奴隷的苦難、修業、しがらみ、をもよろこんで忍従するが、関心のない、学問世界に涙を流して奴隷化し、医学の実力とやらを身につける気はさらさらなかった。ただ医学は、経験を有した上級医のコトバによって伝承されていくものであり、技術や理解を向上させるには、上級医や仲間との、コトバによる伝授がどうしても必要なのである。実際、大学の臨床実習では上級医のひとコトは、宝石ほどの価値があった。ひとコトひとコトによって目からウロコがおち、己のゴカイや無知に気づかされ、又、理解が向上するよろこびを、丈太郎は臨床実習で、ひしひしと感じた。医学の修得には独学は困難なのである。不可能とはいえないが、上司や仲間とのコトバによる教授がないと100倍くらいの遠まわり、をすることになる。100読は1聞にしかず、である。
だから医学を身につけたい人間は奴隷制であっても医局に入るのである。しかし、医学に、そもそも価値観を感じていない彼にとっては、奴隷化して実力をつけるよりも、100倍遠まわりをしても、文芸を創作する自由な時間をもつことの方が大切だった。医学に興味をもっていない、などといっても、6年、医学をつめこまされ、国家試験まで通る理解力をもっている人間である。いやがうえでも医学に興味をもてるのは教育の当然の結果である。彼は音楽理論はチンプンカンプンでも、医学はチンプンカンプンではなく、医学書なら読みこなすことが出来るのである。それでともかく、彼は国家試験に通ると、ある国立病院に入って、研修した。国立病院は大学病院とくらべると全然教育体制などなく、実力はつきにくいが、逆にいうなら、大学病院のように実力を身につけなくても、しかられることもない。ので文学創作の時間を持ちたい彼には向いていた。しかし、彼は一分たりとも文学創作に打ち込みたかった。彼には、発作のように、書きたい衝動が起こると、所と場所をわきまえず、筆を走らすのだった。今かける、今しか書けない、と感じた時は、キンム時間であっても、医局の自分の机か、図書室で、3時間も4時間も一人、筆を走らせるのだった。そのため彼は、小説を書いていて病棟に行かないこともあって、医学修得に、やる気がないと、思われたのか、最低の二年の初期研修は、おえたが、レジデントにはなれず、ものの見事にリストラされた。しかし彼は小説を書いていてリストラされたことは、むしろ誇り、とさえ感じていた。文学創作のためなら命をもおしくない、との信念の証明であった。ただ困ったことはリストラされたため、生活の資を失ったことである。彼はリストラを宣告された時、筆で食べていけるか、さすがにあせって今まで書いてきた小説のうち、完成した自信作を、ある出版社に送った。しかし出版社の返事は、自費出版なら可、だが、企画ではダメというものだった。そのため彼は自費出版の費用をためるため、不本意な医学医療で働くことによって生活の資と出版費をためようと、ある小規模病院に再就職した。今は医者の斡旋業者がたくさんいて、これがまた、儲かるのである。丈太郎も、ある斡旋業者に頼んで再就職したのである。130床の精神病院である。CTもなければエコーもない。あるのはレントゲンくらい。医学に価値をおいているほとんどの人なら最新機器もない、最新情報も入らない、このような病院にはきたがらない。しかし彼にとっては医学はどうでもいいことだったので、最新機器、CTスキャンも、エコーも無い、ことは別に何とも思わなかった。むしろ最新機器があれば、最新機器にたよって、それなしには、診断できない医師になりうる可能性もある。教育は不便なるがよし、ではないが、CTを使わなくても症状から診断できる医者の方が能力が上であることはいうまでもない。そういう心理も彼にはあった。おそらく自分のような変わった人間でなくては、このような条件のわるい病院に来てくれる医師はいないのではなかろうか。そのためか、金銭的な待遇は、わりとよかった。入って間もない頃、彼ははやく病院になれようと、入院患者の名前と病気と、その薬を憶えようと夜おそくまで勉強していた。
その日は水曜だった。
夜になると夜勤のドクターが来る。どういう、つてで、この病院を知ったのか、人とあまり話をしない彼にはわからない。だが当直医というのは、たいていどっかの大学病院に勤める医局員で、研修医かそれよりもうちょっと経験年数が上か、それは知らない。が、ともかく大学の知識、技術を学んでいるという身分であり、給料は信じられないほど低く、無給というところさえある。大学病院にいて出世をのぞむ人間にとっては給料がでるようになるには何年もかかる。そこで生活の資は、アルバイトで捻出するというのが医道人の経済である。しかし出世だの技術、知識の修得だの、などにはクソクラエと眼中にない人間は民間の病院に常勤医として就職すればいい。給料だけはしっかりでる。自費出版の金もためられる。今まで彼は、教育熱心でない、国立病院で月曜から金曜まで、勤め、というか、研修し、週一回県のはずれの当直病院で当直のバイトをしていた。何と月曜から金曜、の労働の給料と、週一回、つまり月4回の当直病院のアルバイトの給料は同額なのである。何とバイトの方が割がいいことか。そんなわけで彼は、常勤医になったので、立ち場が逆転してしまった。常勤医になると、さすがに責任感というものもでてくる。
ある夜、彼が夜おそくまで医局で勉強していると当直医が来た。ふつう常勤医は5時で帰り、当直医は6時くらいに来て、顔をあわせることがあまりない。別に気まずい理由というのもないのだが、当直医も自由にくつろぎたい、という気持ちを尊重して、そんな習慣が何となくあるのである。ある日きたのは、名前は苗字だけ、だったから、バイト医なんて、みんな男の研修医だと思っていたのだが、女の人がきた。あとできいたのだが、この病院の当直にくる大学の医局もわりときまっていて、三つか四つある。その中の一つはレベルの高い公立大学だった。実をいうと彼は、地元のこの大学に入りたくて受験したのだが見事に落ち、やむなく、もう一つうけた関西の公立大学に入った。それで彼は関西で医学を学び、大学生活を送った。関西に行ったことのない彼には関西はカルチャーショックだった。第一に女子学生達が駅で関西弁でまくしたてているのにおどろいた。日本では地方では方言がのこっていることは知っていたがテレビによって標準語は普及しているはずだし、関西にいる人間は標準語で話をしているものだと思っていた。まるで異国へきたようなカンジ。しかし第二志望で入っても母校は母校。母校に対する誇りと思いはもっている。それでも関東へ卒業と同時にUターンしたのは、やっぱ関東がこいしくて、関西にはなじめきれへんかったのである。やはり関東の人間が関東をこいしがる気持ちは強く、居残る者も半分くらいはいるが、半分近くはUターンし、卒業と同時に関東のどこかの大学の医局に入るのである。丈太郎もそれと同じだった。ただ彼は大学というヒエラルヒーのある権威の象徴に入らず、研修指定の国立病院に入ったのである。彼が入れなかった地元の公立大学というのは、東大、医科歯科ほどべラボーに偏差値が高くはないが、やはりレベルはやや高く、それもあってか病院も付属の図書館も、きれいで、エレガントで、加えて、学生はみな知的そうで上品である。かえりみてみるに彼の母校の学生はやや下品で頭のわるい人儀礼智忠信孝悌にかけるところの者もいた。それで彼は、この大学出身者にコンプレックスを持っているのである。
ある夜のことである。彼が一人で医局で勉強していると女の当直医が入ってきた。彼は内心びっくりした。彼女は、
「はやく来すぎてしまってすみません。お仕事中のところをおじゃましてしまって」
と言った。いとやんごとなき、めでたき人である。これは、あやまるに価しないことである。むしろ丈太郎が謝るべきなのである。当直医がおそく来すぎることは、あやまってもおかしくはないが、早く来てわるいはずはない。ひきつぎも口頭でできる。丈太郎が勉強している、ところで、テレビをみるわけにもいかず、最も彼女が何をしたがっているのかは、わからないが、たいていは当直病院に来た人は、まずテレビのスイッチを入れる。一度、部屋に入った以上、部屋を出ていくわけにもいかず、彼女はソファーに座ってテーブルに置いてある雑誌を読むともなくパラパラみていた。彼の方が本当は悪いのである。当直医は病院にとって大切な存在なのだから気をきかせて、出会わないよう早めに去るべきなのである。彼女はジーパンをはいていたが、座った姿が少し男っぽくみえる。彼は医局に属せず、独学で医学を100倍の遠まわりして学んだ。わからないことがまだ山ほどある。一方、彼女は大学の医局で、もち前の頭のよさ、のみこみのよさ、に加えて縦と横の豊富なつながりから、どんな事態にも的確な指示をだせる実力ある医者だろう。それなのにさらに大学の医局にのこって医学を深めているのである。彼は彼女のうしろに、みえざる大学の権威をみた。大学の権威の後ろ盾がなく、学会にも入らぬ彼にとって大学の権威の象徴である彼女は内心、タジタジであった。しかし、それとは別にもう一つ想像力過多の彼を悩ましているものがあった。それは彼女のジーパンの下にはかれている肉づきのいい太ももにフィットしているパンティーがどんなのか、ということだった。彼女もセクシーな水着をきて海に行くんだろうか、とか、彼女にはかれて、洗濯され、ほされているパンティーが頭に浮かんできたりする。そんなことばかりに興味が行くから丈太郎の医学の実力はなかなか身につかないのである。彼女が来たからあわてて帰るというのも間がわるく、少ししてから、
「では、よろしくおねがいします」
と言って、あたかも彼女に関心がないような態度で部屋を出て行った。彼女は、
「おつかれさまでした」
とつつましく、挨拶した。
翌日、丈太郎が病院に行くと、つつましい彼女が、寝たベットが気にかかってしかたがなかった。彼は、田山花袋ほど、むさぼりかぐようなことは絶対しなかったが、彼女の香を含んだフトンを前に一人悩み、あんな知的できれいな人が週一回、当直にきてくれると思うとうれしい思いになるのだった。
ここの病院は130床くらいの病院なので、常勤の医者は彼がくる前は院長だけだった。あとは夜勤の当直医と、土日の日当直のバイト医で、やりくりしていた。院長は高齢で、体力的衰えから、一人での診療は少しきつくなっていた。以前、それを補佐するように院長と同じ大学の女医が常勤で勤めていたのである。病院の求人というのは、在籍医局との、しがらみがあるため少し、ややこしい。ほとんど100%大学病院の医局と民間病院の院長に何らかのつながり、があって、たとえば院長が、その医局出身というのであれば、最高のつながり、であるが別の大学の医局に友人がいる、というのでもいい。ともかくコネクションが必要なのである。それで、民間病院の院長が人手がほしいと思ったら、大学の医局にたのむのである。すると最終的には、人事権をもっている教授が、「○○君、ちょっとあそこの病院へ行ってくれないか」というのである。大学の医局もヒエラルヒーある一般の会社と同じようなもんで上司の命令にはさからえない。医者不足で困っている病院としては、医者を派遣してくれる大学教授は、涙、涙、でうれしい、ので教授に紹介料としていくばくかの謝礼をわたす。この額はかなりのものである。しかし、これは派遣される医師にとっては人身売買である。「二年、行ってきてくれないか」と言って、行って二年我慢しても、戻ってこれるか、どうかは、教授の胸三寸である。この病院の院長は関西の大学出身で、近くに、つて、のある大学の医局がない。近くにも大学病院は、あるが、近いからといって、あまり話しをしていない、ご近所さんに、きやすく、ものは頼みにくい。それより遠くても、気軽に頼めて、いざ、という時に頼りになるのは何といっても出身母校である。母校は他人ではなく、もはや身内、我が家みたいなものである。いざ困ったことになって泣きつけるところは母校である。それで院長が出身医局に頼んで、女医が来てくれたというところである。この女医を彼は知らない。だが、この女医は半年くらい前から休んでしまっている。それで人手がなくなってしまって、また院長一人になってしまったので、丈太郎がそのあとがま、として来たということになる。エコーもなければCTもない。やる気をもたねば、どんどん最新知識からはなれてしまう。このような病院にきてくれる人はめったにいないだろう。そもそも彼はババッちいニオイのするオンボロ病院が嫌いではないのだから変わっている。院長室は、別にあり、広い医局室を一人で使える。静かにものを書くにはすごくよい環境である。彼も、かえりみてみるに、はたして常勤で、この病院にきてくれる医者は自分以外にみつかるだろうか、と思ったが、たぶん医学的向上、出世を考えている医者のほとんどは、よほど変わり者でなければ、来ないんじゃないかと思われた。そのためか、待遇がよく、医者をひきつけておこうという意識が感じられる。冷蔵庫には、いつもかかさずジュースをきらさないで入れといてくれるし、クーラーはきいてるし、クッキーはおいてあるし。さらには、何と休職中の女医さんの持ち物が入ったダンボールが医局の部屋の隅に置いてあるのである。その中に何と、パンティーが入ってる。しかもTバックのかなりセクシーなのである。つい彼はそれが気になってしまう。彼女は常勤医だったのだから当直もあり、かえ、の下着をもってくることは、おかしくない。しかし休職中に病院に置いたままにしてある、ということはどういうことか。何となく、医師を病院につなげておくための意図的なものなのでは、という妄想が起こってくる。じっさい、それは彼を病院につなげておくために非常に有効に働いていた。
彼は、いけないと思いつつも、ついフラフラとダンボールの方へ行き、彼女のセクシーなパンティーを前に想像の翼をめぐらし、心地よい快感に心を乗せるのだった。医局には彼しかいないものだから、つい箱の中のパンティーが気になってしかたがない。患者の診療中の時まで、その雑念が入ってくる。診療がおわると彼は耐えきれず、急いで医局室にもどり、パンティーを前に、酩酊にふけるのだった。
ある日、彼がパンティーの前に座して夢うつつな気分でいると、ガチャリと戸が開いて、女の人が入ってきた。彼は、あせってパンティーをかくそうとポケットにつっこもうとした。
「あなた、いったい何をしているの。それ私の下着よ」
と言う。丈太郎は心臓が止まるかと思うほどあせった。おこっているがストレートヘアーのかぐや姫のような、うるわしい、いとやんごとないお方である。
「い、いえ。あ、あの・・・」
彼が困っているところを彼女はつづけざまに言った。
「人がいない時に人の下着をあさるなんて、あなたそれでも医者なの」
彼は答えられない。ぬすみを現行犯でみつかった犯罪者で弁明の余地がない。
「あ、あの岡田玲子先生ですか」
彼がおそるおそる聞くと、
「そうよ。ちょっと体調をくずして休んでいたけど、また来月から勤めることになったの。で、病院に電話したら常勤医が一人きたというから、どんな人かと思って、久しぶりに来てみたら、人の下着を無断であさる人だったなんて・・・」
と言って彼女はおこっている。
「ご、ごめんなさい。ゆるしてください」
と丈太郎はひれふしてあやまった。彼女は、しばし丈太郎を細目で見ていたが、黙って去って行った。
水曜日がきた。水曜日になると彼はうれしくなるのだった。というのは水曜日に、当直に、あのお方が来てくれるからだった。前日、新しいクッキーのつめあわせがさし入れされていた。前のクッキーのつめあわせは、ほとんど彼が食ってなくなってしまった。からだ。彼は土日の日当直に、来る当直医にクッキーを食われてしまうことが何となく腹だたしかった。こうなったら当直者用のクッキーと常勤医用のクッキーをわけておくべきだと思った。彼はセサミストリートのクッキーモンスターではなかったが、精神科の仕事は精神的なストレスがかかるので、ついつかれるとクッキーに走ってしまうのだった。これは性格が未成熟なためにおこる神経性過食症というものなのかもしれない。水曜日には、あの方がこられて、医局のベットにおやすみになってくださると思うと彼はうれしいのだった。土日は男の当直医で、部屋をどっちゃらけにして帰るのだが、女の方はつつましく、何もなかったかのようにモクレンのような残り香をのこし医局をさられるのだった。あのお方が横たえられたフトンの、のこり香をつい彼は、ねて、あの方が寝たフトンにねて、あの方と一時的にでも一体化できるような夢心地になってうれしいのだった。彼は二ヶ月でたべられるところのクッキーのひと缶を一週間でカラにしてしまっていた。そこで新しいクッキーがさしいれされた。翌日、クッキーのカンをあけると、一枚だけへっていた。あの方がお召し上がりになられたのだ。ああ、何とつつましいことか。クッキーはたくさんあるから、10枚でも20枚でも食べていいのに、一枚だけお召し上がりになられるなんて。そのお心に彼は大和なでしこのつつましさに心うたれるのであった。彼は腹は減ってなかったが、クッキーを食べようと思った。クッキーには5種類あった。白系、黒系(コーヒー系 )に、クリームつき、のやら、チョコつきのやらだった。あのお方が召されたのは白系の、中心部にチョコレートがのっているものだった。選び方にもつつましい品行方正なお人柄がにじみでている。彼もそれと同じ種類のクッキーを一枚とってたべた。何か、あのお方と一体化できたような、うれしさがおこるのだった。

が、幸福というものは、おうおうにして、長続きするものではない。人生には必ず別れがくる。しかも予告無しに。
ある木曜日の朝、丈太郎は、上気した気分で病院に行った。
彼は、朝一番に、当直日誌を見るのだった。その日は大凶だった。当直日誌には、こう書かれてあった。
「昨夜は、特に何もありませんでした。医局の人事で、当直は昨日までとなりました。長い間、お世話になりました」
丈太郎は号泣した。何度も読み返した。もう彼女は、この病院に当直に来ないのだ。それは、最愛の恋人を失った男が感じる悲しみの百倍の悲しみだった。数日、虚無の日々がつづいた。しかし、丈太郎は、子供の頃から苦難の人生を送ってきて、逆境には強かった。彼は悲哀を忘れようと本腰を入れて、精神保健指定医の勉強を始めた。精神保健指定医というのは国によって認定された精神科医の資格である。これは精神科を選んだ医師は必ず取らなくてはならない資格である。医学の世界では、各科ごとに、色々な専門医の資格がある。内科ならば、内科専門医というように。眼科ならば眼科専門医というように。しかしこれらは、学会がつくった資格であって、国が認めた国家資格ではない。しかし、たいていの専門医の資格は、それぞれの学会が、かなり厳しいテストをつくっていて、やはり、それなりの経験と実力がなければ、取れるものではない。そのため、専門医の資格を持っている医者はそれなりの実力があると見てさしつかえない。
しかし精神科の専門医はちょっと他科と違うのである。精神科の専門医は、精神保健指定医といって、国が決める国家資格なのである。これは、当然といえば当然である。精神科医は、あばれる患者や、自殺の可能性のある患者を個室に隔離したり、拘束したりしなくてはならない。治療の必要があれば、入院をいやがる患者を入院させたり、退院を求めても許可しない権限があるのである。つまり、患者の人権を制限する権限を持っているのである。他人の人権を制限できるのは、警察官と精神科医くらいである。このような、たいへんな権限を持つ資格なので、それは学会のレベルではなく、国が決める国家資格なのである。年に二度、夏と冬に行われる。これはペーパーテストではなく、8症例の患者のレポートを厚生省に提出して、合否が決められるのである。このレポートは、いわゆる医学の研究目的のためのレポートとは違い、精神保健福祉法を理解しているかどうかの、レポートで、医学のレポートというより、法律の条文を重視したレポートである。この審査はけっこう厳しく、落ちる人も多い。しかし精神科を選んだ以上、この審査には、どうしても通らなくてはならないのである。精神科医のほとんどは精神保健指定医の資格を持っている。もちろん、精神保健指定医の資格を持っていない精神科医もいる。しかし、精神保健指定医の資格を持っていない精神科医は、精神科において、人間以下と言われるほど、みじめな立場なのである。精神科医である以上、精神保健指定医の資格は持っていて当然の資格なのである。
なので、丈太郎も指定医の資格を取ろうと、精神保健福祉法の勉強に取り組んだ。

元のように単調な状態にもどった。医局と病棟は離れていて何か用があると、ナースコールがして、病棟に行くのである。ここの病院は、どう見ても赤字経営である事は間違いなかった。そもそも民間の精神病院は赤字経営の所の方が多いのである。そのため、病院は何とか収益を上げようと色々な手を打つ。ボロ病院のわりには、結構、高齢の患者が外来で来るのである。それは、病気の治療というより、孤独な老人が話し相手を求めて来るのである。院長は、そこらへんの、あしらいが上手く、患者を、よもやま話で、病院にひきつけておくのが上手いのである。
受け付けの事務の女性もピンクの事務服である。色っぽい。丈太郎は、初めて彼女らを見た時、思わず、うっ、と声を洩らしてしまった。しかし、患者を集めるには、彼女らの、色っぽい服は、たいして効果は無いだろう。しかし、彼を病院につなぎとめておくには、確実に効果があった。しかし、丈太郎はウブで純粋で、奥手で、スレッカラされていないので、女と話をすることが出来ないのである。
ある日の昼休み、事務の女性が、いつものようにクッキーの缶を持って医局にやってきた。
彼女は、クッキーの缶を冷蔵庫の上に置いた。
「先生。来週から、体調をくずして休職していた岡田玲子先生が復職することになりました。よろしくお願い致します」
そう言って彼女は去って行った。
丈太郎はドキンとした。当直の女医の事ばかり懸想していたので、彼女の事は忘れていたのである。丈太郎はあせった。彼女には弱みがある。彼女のパンティーを手にしている所をもろに見られてしまっているのである。これから、ここで彼女と二人きりで、過ごさなければならないのである。彼女は何と言うだろう。丈太郎は意味もなくグルグル医局の中を歩き回った。

その週末の休日、丈太郎は何と言って弁解しようかと、頭を絞った。そして、ある苦しい、一つのいいのがれを思いついた。

月曜になった。病院についた彼は緊張して、医局のドアを開けた。いつものように、日曜の当直医が、部屋をどっちゃらけにして帰っていったので、彼は丁寧に部屋をかたづけた。病棟に行って、一回りした。ナース詰め所で、隔離患者の患者の状態をカルテに記載し、定時処方の薬の処方箋を書いた。そしてまた、医局にもどってきた。
昼近くになった。ガチャリとドアが開いた。岡田玲子先生である。彼女はチラリと丈太郎を見た。丈太郎はこちこちに緊張して直立して深々と頭を下げて挨拶した。
「岡田玲子先生。はじめまして。山本丈太郎と申します。これから、よろしくお願い致します」
彼女は、黙ったまま、ロッカーから白衣を出して着て、デスクについた。彼と向かい合わせである。彼女の胸には精神保健指定医の金バッジが燦然と輝いている。指定医なのだ。
彼女が黙っているので、彼は小さな声で言った。
「あ、あの。よろしく」
「よろしく。変態さん」
彼は真っ青になった。彼女は上を向いて独り言のように呟いた。
「あーあ。ついてないなあ。これから変態と二人きりなんて。恐くてしょうがないわ」
彼は、急いで彼女の発言を打ち消すように力を込めて言った。
「ち、違います。僕は変態なんかではありません」
「なんで。だって女の下着をあさって、履くじゃない」
「ち、ちがいます」
「どう違うの」
彼はゴクリと唾を飲んだ。そして、昨日、考え抜いた事を堂々とした口調で言った。
「か、患者の半分は女です。ぼ、僕は女の患者の心理を理解するためには、男の視点からではなく、女の視点から理解しなくては本当に女の心を理解する事ができない、と思ったからなんです。あくまで人間の心理の理解の一環だったんです」
「へー。学術熱心なのね。そんな高邁な理由だとは知らなかったわ」
丈太郎はほっとした。
「それなら私もあなたの研究に協力してあげるわ」
彼女はコンパクトを取り出すと、彼など見ずに、ルージュの口紅をつけた。
「あなたに女の心理というものを教えてあげるわ」
「わ、わかってくれたんですね。ありがとう」
彼は最大の難関を無事に通過できた事に感激して随喜の涙を流した。
その時、ナースコールがした。
「あなた、行ってきなさい。私、ちょっと疲れてるから休むわ」
そう言って玲子はベッドに横になった。
「はい」
彼は、元気に返事して病棟へ向かった。
そんな風にして二人の病院勤めが、はじまった。

ある日の昼食後、丈太郎は彼女にお茶を入れて出した。お茶を入れる事は、彼の役目だった。その他、全て、雑用は彼の仕事になった。精神科では、指定医の権限は絶大なのである。丈太郎も何としても、指定医になろうと思っていた。指定医を取るためのレポートには、指定医のサインが必要なのである。院長も指定医だが高齢で腎臓が悪く休みの日が多い。どんなに立派なレポートを書いても、指定医のサインがなければ、厚生省に提出することは出来ない。そのため、丈太郎は指定医になるためには玲子にゴマをするしかないのだ。
玲子は、彼の出したお茶を飲みながら、目の前のヤカンをじっと見ていた。
「ねえ、このヤカンかわいいと思わない」
「えっ。このヤカンが、ですか」
丈太郎はどうしても、わからなかった。ただのヤカンである。かわいさなんて、あるのだろうか。
「わ、わかりません。ぬいぐるみとかペットとかなら、わかりますが。ヤカンに、可愛さなんてあるんですか」
「もちろんよ」
「どこがかわいいんですか」
「全体の感じがよ」
彼は首をかしげた。
「あなた、女の心が全然わかってないわね。女は世の中の全てのものを、可愛いか、可愛くないか、という視点でみているものなのよ」
「はー。そうですか」
丈太郎は、なるほど、そんなもんかと思った。
「僕なんか、全然かわいくないですよね」
丈太郎は憐れみを求めるような弱気な口調でボソッと言った。
「そんなことないわ。あんた、けっこう、可愛いわよ」
「心にも無い、お世辞は言ってくれなくてもいいです」
丈太郎は決然とした口調で言った。
「お世辞じゃないわよ」
「どうしてですか。僕は今まで、ずっと、顔をけなされてきました。鏡を見ても、自分でも不細工だなーと思っています。これはもう、客観的に証明された事実なんです」
玲子はやれやれといった顔をしている。
「あなた、全然、女の心が解ってないわね。あなたは男の視点で女の心を考えているわ」
「どうしてです」
丈太郎は食い下がった。
「女は美の主体よ。特に私のような美しい女はね。自分が美を持っているんだから、女は外見の美しい物をムキになって求める気持ちはあまりおこらないの。女にとっては外見の美というものが、可愛さの判断基準じゃないの。その人の性格とか、ちょっとした仕草の中に可愛さを見出した時に、可愛いって思うものなのよ」
「なあるほど」
丈太郎は感心した。また、女が顔より性格に価値を置くのなら、自分もひょっとすると女と関わりを持てるかもしれない、と一縷の望みが起こって、嬉しくなった。

ある日の昼食後。その日は、デザートに苺のショートケーキがついていた。玲子は、それをムシャムシャ食べた。その姿は、ちょうど減量中の力石徹が白木邸で一個のリンゴをむしゃぶりつく姿に似ていた。食べた後、玲子は腹をポンと叩いて言った。
「あーあ。ケーキ食べちゃった」
「おいしくなかったんですか」
「違うわよ」
「じゃあ、なんで後悔じみたことを言うんです」
「あなた、わからない」
「え、ええ」
「本当にわからないの」
「え、ええ。どうしてですか」
玲子のケーキ皿が飛んできた。
「このバカ。トウヘンボク。太りたくないからに決まっているでしょ」
「じゃ、食べなきゃいいじゃないですか」
玲子のフォークが飛んできた。
「あなた、何て無神経な人なの。女はね、人一倍、食いしん坊なのよ。特に甘いものには目がないのよ。食べたい。けど太りたくない。女はいつも、この悩みに苦しみ、もがいているのよ。女はいつもプロボクサーなみの減量地獄と戦って生きているのよ。あなた、そんな事も知らなかったの」
玲子はつづけて言った。
「あなた。それでも精神科医。今まで神経性食思不振症の患者に何て言ってきたの」
「は、はあ。あんまり気にしないようにと・・・」
玲子のナイフが飛んできた。
「このバカ。ウスラトンカチ。それが精神科医のするアドバイス」
玲子は立ち上がって、鬼面人を驚かす形相で丈太郎の前に仁王立ちした。
「今の発言は許せないわ。あなたは、食べる事に対する女の涙ぐましい、けな気な気持ちを踏みにじったのよ。さあ、立ちなさい」
「立ってどうするのですか」
「つべこべ言わず立つのよ」
丈太郎は恐る恐る立ち上がった。玲子は乗馬ムチを握りしめている。
「さあ。手を壁につけて尻を突き出しなさい」
丈太郎は言われるまま、恐る恐る玲子に言われたように壁に手をつけて尻を突き出した。
「さあ。歯を食いしばりなさい」
丈太郎は歯を食いしばった。玲子はムチを振り上げて構えている。
「これは私、個人の怒りじゃないわ。日本の全女性の怒りの代弁よ」
玲子はムチを振り下ろした。
ビシー。
ビシー。
ビシー。
「ああー。痛―い。ゆ、許して下さい。玲子様」
丈太郎は泣き叫んだ。が、玲子は鞭打ちを止めない。百発くらい叩いた。
「ふー。つかれちゃった。でも、まだ、物足りないわ」
玲子は拷問用の算盤板の上に丈太郎を座らせた。そして20キロの御影石を二枚、膝の上に載せた。
「ああー」
向こう脛が算盤板の突端にゴリッと食いいった。
「い、痛―い」
玲子は、丈太郎の苦しみなど、どこ吹く風と石の上に、
「よっこらしょ」
と腰掛けた。
「ぎゃー」
丈太郎のけたたましい悲鳴が部屋に鳴り響いた。が、玲子は薄ら笑いで、尻をゆすった。
「ふふ。痛いでしょ。でもこれは愛の仕置きなのよ。あなたのような鈍感男は、こうして痛い思いをしない限り自覚できないわ。これからはどんどんスパルタ教育でいくからね」
玲子は笑いながら尻をゆすった。
「れ、玲子様。ゆ、許して下さい」
丈太郎は涙を流しながら訴えた。が、玲子は聞く耳を持たない。
「どう。痛いでしょ」
「は、はい。死にたいほど」
「オーバーね。女の生理の時の痛さは、こんなものの比じゃないわよ。この痛みの百倍の痛みなのよ。女の生理の辛さがわかった」
「は、はい。とくと」
玲子は余裕綽々でおもむろにタバコを一服して、吸いかけの火のついたタバコを悲鳴を上げている丈太郎の口の中に放り込んだ。
「ぎゃー」
丈太郎の悲鳴が上がる。もはや脚の感覚も頭の意識も麻痺して、丈太郎は死人のように、グッタリ項垂れた。玲子は、「あーあ」と大あくびをして、遊び疲れた子供のように立ち上がって席に戻った。丈太郎はノックアウトされたボクサーのようにグッタリと床に倒れ伏した。

ある日の事。
昼食後、丈太郎はレポートを書こうと思って、書棚から、精神保健福祉法の分厚い本を持ってきて、読み出した。
「あなた。何をしてるの」
「はい。レポートを書くため精神保健福祉法の勉強をするんです」
すると玲子が物差しでピシャンと丈太郎の手を叩いた。
「な、何をするんです」
「だめよ。そんな真面目に勉強なんかしちゃ」
この言葉の意味はどうしてもわからなかった。丈太郎は怒鳴るような大きな声で聞いた。
「ど、どうしてです」
「あなた、女の心理が知りたいんでしょ」
「・・・え、ええ」
「だったら、そんな真面目に勉強なんかしちゃだめよ」
「ど、どうしてです」
丈太郎はわけがわからず、また大きな声で聞いた。
「あなた、通るレポートを書きたいんでしょ」
「え、ええ。そうです。だから勉強するんです」
「だったら、そんな真面目に勉強なんかしちゃだめよ」
「ど、どうしてです。あなたの言ってる事は目茶苦茶な事のように思えます。あなただって、しっかりしたレポートを書いたから指定医の審査に通ったんでしょう」
「そうよ」
玲子はあっさり言った。
「じゃあ、なんで勉強しちゃいけないんですか」
丈太郎は大声で言った。
「あなた、指定医の審査に通りたいんでしょ」
「ええ。そうです。だから勉強するんです」
「だったら、そんな真面目に勉強なんかしちゃだめよ」
「なぜです。わけがわかりません。その理由をちゃんと説明してください」
丈太郎は強気の口調で言った。が、玲子は、やれやれ、といった顔をしている。
「カンが鈍るからよ」
「えっ」
丈太郎は耳に手を当てた。
「女はね、世の中の全ての事をカンでこなしているのよ。真面目に勉強なんかしちゃカンが鈍っちゃうわ」
「うぐっ」
丈太郎は反論できなかった。玲子はちゃんとレポートを書いて指定医の審査に通っているのである。確かに大学時代も女はやたらカンがよかった。真面目に勉強しなくてもカンがいいのか、丈太郎が一生懸命、勉強しても、なかなか通らない難しい試験も女は一回で通る事がよくあったのである。丈太郎はさびしそうな表情で玲子に言われた通り本を閉じた。もう大好きな勉強も出来なくなるのかと思うと丈太郎は泣きだしたくなる思いだった。
丈太郎はしかたなく本を書棚にもどし、かわりに机の上の新聞を手にした。
「××内閣。支持率90パーセントか。しかし靖国神社強行参拝なんかしたら、中国の反感を買うぞ」
彼はボソッと呟いた。
すると彼女は新聞を取り上げた。そして代わりに女性週刊誌をポンと投げ与えた。
「な、なにをするんですか」
「女は新聞なんか読まないものなのよ。女は政治や経済なんて全く関心を持っていないのよ」
「女はあくまで、女性週刊誌しか、読まないの」
「あなた、芸能人の○○と××は、離婚するかどうか、わかる」
「だ、誰ですか。その○○と××という人は」
「あなた、○○と××も知らないの。そんなの女にとって常識よ」
「じゃあ、△△が、所属事務所をやめて、独立したがってるって事は」
「し、知りません」
「あなた、何にも知らないのね。女は芸能人の動向やスキャンダルを血眼になって気にしているものなのよ。一週間後に、質問を出すからね。ちゃんと答えられるように勉強しておきなさい」

その翌日。玲子は朝から機嫌が悪かった。
「あー。むかつく。むかつく」
「何がむかつくんですか」
丈太郎はおそるおそる聞いた。
「生理よ。女は生理が近づくと、むかついてくるものなのよ。知ってる」
「し、知ってますよ。それくらい。月経前緊張ですよね。学生時代、産婦人科学で習いましたから」
「それは頭だけの知識よ。実際の辛さは、どんなものだか経験しなければ、わからないわ」
「ど、どんな痛さなんですか」
「それはもう想像を絶する痛みよ。生き地獄と言ってもいいくらいなものよ。女は顔では笑っているけど、心の中ではこの生き地獄に黙って耐えているのよ。あなたも生理前の苦しみをあじわってみる」
「い、いえ。いいです」
丈太郎は断わった。どうせ玲子のこと。何かひどい事をするに決まっている。
「あっ。痛い」
玲子は腹を押さえて椅子から落ちて、断末魔の人間のように、海老のように縮こまりながら、震える手を虚空に差し延べている。
「あなた、なにボケッとしているのよ。人が生き地獄に苦しんでいるというのに」
「救急車呼びましょうか」
「ばか。あなたは医者でしょ」
「ど、どうすればいいのですか」
「ベッドに運んで」
丈太郎は玲子をベッドに運んだ。
「なに、ボケッとしているのよ。助けようって気持ちはないの。女はデリカシーの無い男が大嫌いなのよ」
「鎮痛薬だしましょうか」
「そんなのとっくに飲んでるわ」
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「物まねをしなさい。女は、お笑い、が好きなのよ」
丈太郎は顎を突き出してアントニオ猪木の物まねをした。すぐに玲子のスリッパが飛んできた。
「面白くないわ。よけい生理痛がひどくなったわ」
「ど、どうすればいいのですか」
「ストリップショーしなさい。それなら、きっと痛みも少しは軽減すると思うわ」
「そ、そんな事だけは許して下さい。は、恥ずかしいです」
彼がモジモジしていると、玲子は、つづけて言った。
「あなた男でしょ。私なんか、医局旅行の時、教授をはじめスケベな医局員みんなが、脱げ、脱げ、と言うもんだから、男達の目を楽しませるために、やむなく皆の前で、裸になったのよ。スケベな男の視線に耐えながら。女はつつましいから男に何か要求されると嫌とは言えないものなのよ」
丈太郎は、その光景を想像して、思わず下腹部があつくなった。
が、丈太郎は、本当かな、と眉間に皺を寄せた。
「なによ。その目は。女は疑い深い男が嫌いなのよ。女は正直者なのよ」
「ほれ。お盆」
そう言って玲子は盆をとって、丈太郎の方へ転がした。
玲子の命令に逆らっては指定医のレポートにサインしてもらえない。これも、指定医をとるための煉獄なのだ、と思って、丈太郎は服を脱ぎだした。ワイシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、Tシャツも脱いだ。丈太郎はパンツ一枚になった。丈太郎がモジモジしていると玲子は、
「はやく、それも脱ぎなさい」
と促した。丈太郎は、急いでパンツを脱いで、そこを盆で隠した。丈太郎は丸裸になって盆で、そこを隠しているという、みじめ極まりない格好である。玲子はみじめな丈太郎の姿を見てクスクス笑った。
「ボサッと立っているだけじゃ面白くないわ。歌でも歌いなさい」
玲子に言われて、丈太郎は浜崎あゆみの「SEASONS」を熱唱した。
「ほら。もっと腰をくねらせなさい」
玲子に言われて、丈太郎は腰をくねらせて歌った。
玲子はクスクス笑っている。
「じゃあ、今度は床に寝て、喘ぎなさい」
言われて丈太郎は床に寝て、盆でそこを隠しながら、胸を揉んで喘ぎ声を出した。丈太郎は何だか自分が本当に女になったような気がしてきた。
玲子はクスクス笑いながら、
「うまいじゃない。生理痛が、少しは軽減されたわ。もういいわ。服を着なさい。そこまでやった努力に免じて指定医のレポートには、サインしてあげるわ」
「本当ですね。本当にレポートにサインしてくれますね」
丈太郎は泣きながら訴えた。
「ええ。ちゃんと、レポートも指導してあげるし、サインもしてあげるわ。女は約束した事は、ちゃんと守るのよ」
丈太郎は後ろを向いてコソコソとパンツを履き、服を着た。
その時、病棟からのナースコールが来たので、丈太郎は、急いで医局を出て、病棟へ向かった。

その日、勤務がおわった後、丈太郎と玲子は横浜のロイヤルホテルへ行った。製薬会社の主催する新薬の説明会のためである。薬は、その値段を国が決めていて、それを公定薬価という。薬の値段は全国一律なのである。しかし、薬の値段から、製薬会社が薬をつくる費用を引いた金額、つまり製薬会社の利益はかなり、あるのである。そのため、製薬会社は病院に安い値段で販売契約をとろうとやっきになる。できるだけ安い値段で売っても、その値段から薬をつくる純費用を引いた金額、つまり製薬会社の利益は、十分出るため、製薬会社は何としても病院と契約をとりたがる。そして病院は安い値段で製薬会社から薬を仕入れる。そして、患者には公定薬価で処方するから、その金額の差が病院の利益となる。それが、薬価差益である。
そのため、製薬会社のMR(製薬会社のセールスマンみたいなもの)は、足しげく病院にくる。そして自社の薬の宣伝を腰を低くして、医者にするのである。ホテルで薬の説明会などもしょっちゅうするのである。外国から呼んだ高名な医者の講演をしたり、スライドを使って、自社の薬が、他社の薬より優れている客観的な統計を示したりする。その後は会食会があって、ホテルのゴージャスな料理が食べ放題なのである。
彼はどこの大学の医局にも、学会にも入っていないため、この講演会は、とても勉強になるので、よく出ていた。
勉強嫌いな玲子が、めずらしく、今日はこの会に出る、と言ったので、丈太郎と一緒に横浜に行ったのである。もちろん丈太郎は勉強のためだったが、食い意地のはった玲子は、説明会の後の料理のためである事は間違いない。
説明会は8時からなので、二時間待たねばならなかった。
玲子は高島屋へ入っていった。
丈太郎は、こういう高級店に入った事が無いので、タジタジとして玲子のあとについて行った。シャネルだの、エルメスだの、ルイ・ヴィトンだの、丈太郎には、さっぱり分からない。やたら高級そうである。
「あなた。シャネルとエルメスの違いがわかる」
「い、いえ。全然わかりません」
玲子は、やれやれ、といった顔つきである。
「あなた。女では、そんな事、常識よ」
丈太郎が黙っていると玲子はつづけて言った。
「あなた。女はブランドにこだわるのよ。ブランドものを買う時こそ、女の微妙なデリケートな心理が、最高超に達するのよ。あなたにブランドものを買う時の女のデリケートな心理を教えてあげるわ」
そう言って、玲子はルイ・ヴィトンと書かれた店に入って行った。玲子はさかんに店の中を回って、商品を物色している。丈太郎もあとをついて回った。
運動靴が、テーブルの上に厳かに置かれている。
値札を見て丈太郎はびっくりした。我が目を疑った。8万と書いてある。
「な、なんだ。こ、この値段は。どう見ても単なる運動靴が8万円。こんなの靴屋で三千円で買えるぞ」
さらに行くとゴムサンダルがあった。
丈太郎は値札を見て仰天した。5万と書いてある。
「な、なんだ。こ、これは。たんなるゴムサンダルじゃないか。これが5万円だと。こんなのはスーパーでは千円で買えるぞ」
玲子は、そして小さな赤いバッグの前で立ち止まった。値札に8万と書いてある。どう見ても五千円で買える代物である。
同じバッグで色の違う、二つをさかんに玲子は見比べている。
「レッドとフューチャーピンクと、どっちがいいかしら。迷うわー。ねえ、あんた、どっちがいいと思う」
「れ、玲子先生になら、どちらでもお似合いだと思います」
玲子は、10分近く迷っていたが、
「よし。決めた」
と言って、レッドの方を手にした。そして、それを丈太郎に渡した。
「さあ。レジに行って買ってらっしゃい」
丈太郎は、レジに行って財布から8万だして、バッグを受け取った。
そして、すぐに玲子の元に戻ってきた。
玲子はサッとそれを丈太郎から奪いとった。
「どう。ブランドものを買うデリケートな心理がわかったでしょう」
そう言って玲子は、クルリと踵を返して店を出た。丈太郎は一抹の不安を感じ出して、後ろから小声で玲子に声をかけた。
「あ、あの。お金・・・」
玲子はピタリと足を止めて、クルリと振り返ってキッと丈太郎をにらみつけた。
「あなた。女に支払わせようというの」
そう言って玲子はスタスタ歩いていった。
丈太郎は見栄も外聞もなく、子供のように泣き出したくなった。
玲子は、今度はランジェリーショップの前で立ち止まった。
「さあ。ブラジャーを買ってきなさい」
「な、なんでそんな事をしなくてはならないんですか」
「あなた、女の心理を理解したいんでしょ。下着を選ぶ時こそ、女の奥の深い微妙な心理が理解できるのよ」
「で、でも・・・」
「でも、も、へちまもないわ。ブラは試着して買うものなのよ。ちゃんと店員にサイズを測ってもらって買いなさい。パンティーも買うのよ」
丈太郎は真っ赤になって、ランジェリーショップに入った。ブラジャーの前で、モジモジしていると、女の店員がやってきた。ニコニコ笑いながら、
「彼女へのプレゼントですか。サイズはいくつですか」
「い、いえ。あ、あの。そ、その。サ、サイズをは、測って下さい」
途端に店員の顔が引きつった。
店員はメジャーを取り出すと、手を震わせながら丈太郎の脇を通してサイズを測った。
「あ、あの。お客様。トップが88で、アンダーが87ですので、サイズはAAAです。あ、あの、パッドをご使用になりますか」
丈太郎は真っ赤になって肯いた。
店員は、だんだん面白くなってきたらしく、ホクホクして丈太郎を試着ボックスに連れて行った。
上半身裸になった丈太郎に店員は、ストラップを手に通し肩にかけ、ベルトを後ろに回して、ホックをはめ、カップにパッドを入れて、アジャスターを調節した。
「お似合いですわよ」
と言って店員はクスクス笑った。
丈太郎は、
「か、買います」
と言って、急いでブラジャーを外してもらった。丈太郎は急いで服を着て試着室を出た。そして、そろいのパンティーも一枚、とって、レジで金を払い、急いで店を出た。
「どう。下着を買う女の微妙な心理がわかったでしょ」
丈太郎は真っ赤になって、急いで下着をカバンに入れた。
時計を見ると7時50分だった。
二人はデパートをでて、ロイヤルホテルに向かった。
ちょうど、薬の説明会が始まったところだった。
丈太郎は、目を輝かせて一心に講演を聞いたが、玲子は、ちょうど小学生が嫌いな授業を嫌々聞いているような様子だった。
講演は一時間でおわった。
その後の会食での玲子の食べっぷりは、凄まじいものだった。
そして、食べたあと、
「あーあ。食べちゃった」
と、後悔じみた口調で言った。
二人は、帰途に着いた。帰りの電車は、仕事帰りのサラリーマンでいっぱいだった。
やっと駅について、吐き出されるように降りた。
「あしたは、ちゃんと今日買った下着を履いてくるか、持ってくるのよ」
「は、はい」
そう言って、二人はわかれた。

翌日、丈太郎は玲子に言われたように、買った下着を持って出かけた。
その日、玲子は昼食を食べずに、蒟蒻ゼリーを一つだけ食べた。
丈太郎が食べるのを、羨ましそうに眺めながら、
「あーあ。お腹へっちゃったなー」
と呟いた。丈太郎が、
「どうして食べないのですか」
と聞くと、玲子は、
「女は少し食べ過ぎた日の翌日は蒟蒻だけで我慢するものなのよ」
と言った。
食事がおわって二時間くらいすると玲子の腹がグーと鳴った。玲子は空腹の不機嫌のためか、玲子は丈太郎を顎でしゃくって呼び寄せた。
「さあ、椅子になりなさい」
「な、なぜです」
「女はしとやかなのよ。男に命令されると、イヤとはいえないものなのよ」
丈太郎は、しぶしぶ玲子の前で四つん這いになった。玲子は、
「どっこいしょ」
と言って、丈太郎の背中に腰掛けた。
その時、焼き芋屋のマイクが聞こえた。
「やーきいもー。いーしやーきいもー。おいしい、おいしい、おいもだよ」
玲子は彼の尻をピシャリと叩いた。
「あ、焼きイモ屋だ。買ってきなさい」
「女は焼きイモが大好物なのよ」
丈太郎は、急いで、焼き芋を買ってきた。
「ほれ。また椅子になりなさい」
言われて丈太郎は再び、彼女の前で四つん這いになった。
玲子は、丈太郎の背中にドッカと尻を乗せて、焼きイモをホクホクいわせながら食べた。
「あー。食った。食った。ゲップ」
「ぶっ」
「あーあ。おならしちゃった」
「そ、それがしとやかな態度なのですか」
丈太郎は背中の上の玲子に問い糾すように言った。
「わかってないわね。女は一人でいる時には、かなりくだけるものなのよ」
そう言って玲子は丈太郎の背中から降りて椅子に胡坐をかいて座った。
「あなたは女を理想化し過ぎて見ているわ。女の心理が根本的に理解できていないわ」
「さあ。昨日、買ったセクシーなパンティーとブラを身につけて、鏡の前で悶えなさい」
「な、なぜ、そんな事をしなくてはならないんですか」
「わかってないわね。女はあなたが思っている以上に淫乱になりたくなくなる時があるのよ。特に下着を買った時にはね。鏡の前で自分の下着姿を見てナルシズムに浸って、激しく悶えるものなのよ」
丈太郎はコソコソと服を脱ぎ、パンティーとブラジャーを履いて鏡の前に立った。
「さあ、激しく悶えなさい」
そう言われても丈太郎は顔を真っ赤にしてモジモジしている。
「だめよ。そんな、突っ立っているだけじゃ。そっと胸とパンティーに手を当てて、ゆっくり揉むのよ」
丈太郎は、言われたように胸とパンティーに手を当てて、ゆっくり揉みだした。
「そう。だんだん感じてきたでしょ。もっと口を半開きにして、切ない声で喘ぐのよ」
「ああっ」
丈太郎はだんだん興奮してきた。
「そう。いいわよ。そのまま、もどかしそうにブラジャーとパンティーを脱いでいくのよ」
丈太郎の頭はもう混乱していた。本当に自分が女になっていくような気がしてきた。
「さあ、ブラジャーをとって、胸を揉むのよ」
丈太郎はブラジャーとパンティーを脱いで、片手で恥部を隠し、片手で、ゆっくり胸を揉みだした。
「ああっ。いいっ」
「さあ。私を男だと思いなさい。女はいつもは貞淑だけど、いったん、性欲が燃え出すと、徹底的に男に征服されたいと思うのよ。その極地は死よ。女はみな、性欲においては多かれ少なかれマゾヒストなのよ」
「は、はい」
「さあ、床に寝なさい」
玲子は丸裸で床に寝た丈太郎の顔をヒールでグイと踏みつけた。丈太郎の顔が歪んだ。
「ああっ。いいっ」
「ふふっ」
「ああっ。玲子様。好きです」
「ふふ。とうとう本心を吐いたわね」
「本当は女の心理の研究なんかじゃないでしょ。あなたは変態なマゾ男なだけでしょ」
「は、はい。そうです」
「こうやって女にいじめられる事がうれしいんでしょ」
「は、はい。そうです」
「いいわ。たっぷりいじめてあげるわ」
「さあ。犬のように四つん這いになりなさい」
言われて丈太郎は四つん這いになった。
「さあ。舌を出してヒールを丁寧に舐めなさい」
「はい」
丈太郎は四つん這いで、犬のようにペロペロと玲子のヒールを舐めた。
「ふふ」
玲子はヒールでグイと丈太郎の顔を踏みつけ、体重をかけてグリグリと揺さぶった。
「ああっ。幸せです。玲子様」
玲子は足をどけた。丈太郎は思わず彼女の太腿にしがみついた。
「ああっ。玲子様。好きです」
「ふふ」
彼女は白衣を脱いだ。白衣の下はTバックのパンティーとブラジャーだけだった。玲子はその姿のまま、ベッドにうつ伏せになった。
「さあ。奴隷君。体に触れさせてあげるわ。全身をマッサージしなさい」
「はい」
丈太郎は一心にマッサージした。
「玲子様。足を舐めていいですか」
「ふふ。いいわよ。しっかり丁寧に舐めるのよ」
「はい」
「ああっ。幸せです。玲子様」
この日から丈太郎は彼女の奴隷になって、彼女に身も心もつくすようになった。玲子も丈太郎を奴隷として好いている。二人はソフトなSとMの関係を持ったまま、それなりに楽しくこの精神病院で働いている。

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医者の心 (小説)

2020-07-09 10:43:51 | 小説
医者の心

 ある冬の日のことだった。その患者にはニ、三回問診をしたことがあり、というより私は病棟の患者は全員、ノートに気をつけるべきチェックはしており、話してない患者というのはいなかった。あるNs(その患者の担当なのだろう)が、その患者がころんで、額をぶつけて、腫れているので、湿布顔にすると目にしみませんか…と聞くのでみにいった。患者が危篤状態になると記録室に一番近い部屋に移されるのだが、その患者は七八才の老人で数日前から、一番近い部屋にうつっていた。私はその患者が一週間前から右歩行失調で、右片マヒぎみだった、ことを知らなかった。精神科の医者も診断という点では内科医であり、いつもは幻聴と体調をきいてるが、内科の勉強は、いわば釣り糸をたれて、魚がかかるのを待っている釣り人なのだが、湿布がうんぬん、どころではない。数日前から右片マヒぎみで、車椅子…と聞かされた。ベッドの上で手をふるわせて、口をアワアワふるわせている。数日前から尿失禁もあるという。脳梗塞が疑われるので、数日前にCTをとったが患者が動いてしまうため、いいCTがとれなかった。担当のNsは、この患者の名前は××で、会話はどの程度…などと説明しだした。こっちが患者のことを全く知らないと思ってる。私は内心、言った。
「バカヤロー湿布うんぬんの問題じゃねえよ」
そのNsはこぎれいなウサギのような顔で、少々うぬぼれが強く、アクドイ性格ではないが、軟膏処置したり、入浴などを介護して患者の笑顔をみて、自分が処置してあげると患者はよろこぶんだ、という程度の認識しかなく、医者も男であり、老人になど興味はもっておらず、自分に気があるんじゃ…との程度でしか私をみていなかった。自分が患者から離れたら、私も患者から離れるだろうと思っていたのであろう。ちがう。この機会こそが、待っていたものなのである。魚がひっかかったのである。私の中で医者の思考が動きだした。いわずもがな、今の病態の診断である。
 医者の頭脳が動きだした。その思考をコトバにしてみるとこんな具合である。
 右片マヒ。右片マヒ…。
 心室性期外収縮の不整脈もある。
 ということは、左の脳の血管のどこかがつまったんだ。どこだろう。内頚動脈の方か。それとも椎骨動脈の方か。解剖学で学んだ脳血管の走行が頭の中にイメージされる。内頚動脈か、椎骨動脈のどっちだ。他の所見は? ペンライトをとりに、記録室にもどった。他の所見から、つまった血管の部位がわかるのである。ペンライトで対光反射を調べる。対光反射はちゃんとあり、左右差はない。(医者は上の医者のすることをみて学んでいく。ある時、意識消失になった患者の対光反射を必死でみていた、ある夜の結核病棟のオーベンの姿がうかんできた)嚥下困難があって、歩行失調になった時から流動食にしているとのこと。嚥下困難があるってことは椎骨動脈の方がつまったってことか。片マヒと嚥下困難ならワーレンベルグ症候群。いや、もっと柔軟に考えろ。単純に考えるな。患者は入れ歯の老人だ。それにもうひとつ、精神科の患者で、口アワアワで、手がふるえてるとなれば悪性症候群も考えなくてはならない。悪性症候群なら、熱は? 額をさわってみるが熱はない。検温でも熱の記載はない。筋拘縮は? 悪性症候群なら、腕をのばしてみれば、リードパイプ現象、コグホィール現象がみられるはずだ。やってみると、ややその感じがする。しかし老人の加歳による筋拘縮も考えなくてはならない。
 ともかく脳梗塞なら腱反射が亢進するはずだ。記録室にハンマーをとりにいき、腱反射を調べる。たたいてみるが、あまりはっきりしない。発症が突発的なので、どうしても脳血栓か脳塞栓という先入観で、どこの血管がつまったのか、ということに全関心が集まってしまう。だが悪性症候郡もきりすててはならない。口と手は震えている。錐体外路症状だ。脳のどの血管がつまったかは、他にもっと顔や体のマヒや、痛覚を調べればわかる。いったいどこの血管が…。と考えているところへオーベンのDrが来てくれた。(超ベテランで雲上人なのだが、患者の悩みの対応のしかたにあたたかみがあって、又、なるほど、こういう時は、こういう説明をすればいいのか、と学んでいたのだが)…が看護人達ときた。先生が足の裏を鍵でさわっているので、私は、
「これ、バビンスキー反射の検査っていうんです」
といったらDrは、
「ちがうよ。くすぐってるんだよ」
と言った。Drは救急医療センターに電話をかけ、
「あー。××病院の××だけどね。数日前から片マヒぎみになって、脳梗塞の疑いが強いんだが、CTもとったんだけど、こっちのCTはうつりがちょっと悪い上に、患者がうごいちゃってね。どうかそちらさんできれいなCTをとって、かたがた治療もおねがいできないかと思ってね」
救急医療センターのDrと顔みしりらしく、対等に話してる。さっそく救急車がよばれた。
「先生行ってくれる」
というので、私はこんな勉強の機会はめったにないから二つ返事で答えた。先生は紹介状を書く。私も患者のカルテは全員よく読んでいたので、紹介状くらい書こうと思えば書けた。が、私は何につけ、のろいので、また紹介状は緊張してきれいに書こうとするので、きれいな紹介状ができて「できた」とよろこんだ時には患者はすでに死んでいた…なんてほど、のろくはないが、また脳梗塞といっても一刻をあらそうほどでもない患者だったので、のろくさ紹介状かいてるうちに救急隊員帰ってしまった…というほどでもないだろうが、先生が紹介状かいて、
「封筒ない。封筒」
ときくので、せめて封筒に、
「××県救急医療センター××先生御侍史」
と書いて、カルテと今年の二月にとったCTと三年前にとったCTとを脇にかかえて、担当のNsといざ出陣。あまりひどいいやみは言われなかったのでよかった。Nsはちょっと私と二人になることにためらいを感じているのは確かだった。二人になって、親しく話すのをキッカケに自分に親交を求めてきたらイヤだなと思っていたのだろう。私は心の中で、まわりの人間、そして自分自身に対してどなった。
「バカヤロー。人の命を何だと思ってやがるんだ」
ストレチャーに患者をうつし玄関へ運ぶ。医者であるという自覚がおこる。私の靴音がカッカッカッと床にひびく。私は胸をはって威風堂々と歩いた。救急隊員におれいをいって、患者をのせ、二人チョコンととなりあわせに座った。けたたましいサイレンの音とともに救急車が出発する。まわりの車はサーとよけ、停止する。私はNsに、
「カルテを」
といってカルテと、前とったCTをみた。むこうのDrに申しおくるには患者の病状が正しく把握できていなければならない。私は、完全どころかぜんぜん十分に患者の病状を把握できていなかった。Nsは医者が何を考えているのか、わかっていないのだろう。答えておこう。今の段階の私では、頭の中に患者の脳のウイリス動脈輪がイメージされ、いったい、脳動脈のどこがつまったのか、に今の自分の関心のすべてがそれにひっぱられてしまうのである。正しい診断、正しい病態把握、が、関心のすべてなのである。もっとも私はどうも性格的に神経質なので、つい診断の方に関心が向かってしまうのだが、医師として大切なのは、今なすべき適切な処置なのであって、診断などはあとからでもいいのである。以下自問自答。看護記録はきれいな字でしっかり書いてある。前のDrの字はみみずののたくり字で読めない。尿失禁は今回がはじめてか。前にはなかったのか。歩行失調も同様。もしあるとすればTIA(一過性脳虚血発作、脳梗塞の一歩手前)いったいこの患者はどういう病態なのだ。布団をめくって手をさわってみるとさっきまでのふるえ、はとまっている。口のふるえも同様。生化学検査でBUN(尿素窒素)がちょっと高い。腎機能は大丈夫か。心室性期外収縮は前からあったが、その原因は? 薬の副作用か。加齢のためか。あるいはさほど害のないものか。今回の片マヒの原因となってはいないか? 心筋梗塞の既往は? ギモンが次々と頭の中でおこってくる。もっともベテランの医者からみれば今の私の思考などこっけいなものにすぎない。ベテラン医はカルテをサッと一瞥し、患者をちょっとみただけで、患者の病態把握ができる。CTで脳室の拡大がみられる。失禁、歩行失調、痴呆に脳室の拡大の所見ときたら、正常圧水頭症、も教科書的に考えてしまう。
 救急病院につく。
 だいたい医者というからには患者の病態把握が完全にできていなくてはならないのである。何をきかれても答えられなくてはならないのである。護送中は、カルテを読んでいて、ひたすら病態把握の努力におわった。救急病院は、私が今行っている病院とは違って、きれいで立派な病院で、精神科とはぜんぜん様子が違う。ここでこそ、まさにこの病院でこそ、日々、生きるか死ぬかの戦いがおこなわれているのである。が、救急病院のNsの対応はおちついている。気が動顛しているのはこっちである。Nsにも畏敬の念がおこり、腰の低い言い方になる。紹介状をNsにわたす。てきぱきとバイタルチェックや点滴がおこなわれはじめる。こちらのNsは私のような要領の悪い新前医者は何もわかっていない、と思ってるから彼女が救急病院のNsの質問に答えた。彼女は、この患者の介護度は、入浴は自分で可、食事はかゆで、トイレも自分で可、意志疎通は、名前や簡単な受け答え程度は可、といった。患者の日常生活をみて知っている点ではNsの方が上である。カルテには幸い、私の問診もかいてあった。生年月日は正しく答えられ、幻聴の有無の問いには、ない、と答え、他患やNsとの交流もないが、名前をよばれると「はい」と答える、など少しだが書いてあった。
「合併症はありますか?」
ときかれたので、
「心室性期外収縮があります」
と答えた。
「心室性期外収縮はいつからですか?」
ときくので、あわててカルテの前をめくると、カルテはニ年前までであり、約一年前に検査してわかっているので、そのとおり、
「一年前、検査した時点で心室性期外収縮がわかっていますが、いつからおこったかは、もっと古いカルテをみないとわかりません」
とやや申し訳なく正直に答えた。ひかえ室でまっていてください、といわれたので、Nsと二人でひかえ室に行った。余人は知らず、私は医師として患者の病態把握が不十分なのに、もつべき責任がもてていないことに申し訳なく、又、私は救急科のDrを神様のように思っているので、カルテをひたすら読み直し、過去に数回とったCTをすかしてみて、何とか、より患者に対する認識を上げねば、と思っていた。Drに何かを聞かれたら、私は正確に答えられなくてはならない義務がある。その上、私の個人的な感じ方として、救急科や外科のDrを神様のように思っている。自分じゃ脳手術はできないのだから、おねがい申し上げるしかない。尿失禁は以前にないか。看護キロクをよみ直す。そんなことを私が考えているとは余も知らずNsは、となりにチョコンと座っていたものの、親しく話しかけられたらイヤだな、と思ってる様子だった。私のカルテあらい直しのせわしい行為も、興味ないのにムリしてるんじゃとか、私が何を知りたがってるかわかってなかっただろう。私がCTをみているとNsが、
「何か分りますか?」
と聞いた。私はNsの気持ちを察していたから、ずっとNsに話しかけなかった。が、患者の病態で医学的カンテンから、聞きたいことはあった。が、ゴカイされるとイヤなので、何もきかなかった。が、彼女が聞いたので、CT上の異常所見を説明した。
「この患者は××の治療をうけていて、ここのところに××の治療をうけた跡があります。ちょっと黒っぽくみえるところがそうです」
と言った。いったら、私の説明欲とでも言おうか、人に説明して、認識させたい、という欲求が、私には、誰かれおこるので、その感情は私の口をかってに動かしだした。こっちも相手がどの程度まで知っているのかわからないので、
「この黒いのが脳室といって、脳脊髄液が入っているんです」
と説明した。また、彼女が話すきっかけをつくってくれたので、以前、患者が尿失禁したことはないか、片マヒぎみになったことはないか聞いた。尿失禁はトイレまでまにあわずに、もらすことはあるが、失禁はないとのこと。歩行失調は今回がはじめてとのこと。Nsはどう思っているかは知らんが、医者は、探偵、なのである。一度話し出すと堰を切ったように私の説明欲が無口きわまりない私をおしゃべりにした。なぜなら私の説明欲は人に認識させたい、という気持ち以上に、自分自身に対する説明なのである。大学の臨床実習の時でも、教科書を読んでも、なかなかオボエづらく、人から生の声で聞いたことの方がずっと理解や記憶によく、さらに、自分が人に言ったことというのが、一番よく記憶、理解にいい。もちろん中途半端な理解でしゃべるのだから、間違いのあることを言ってしまう。しかし、言った後で、はたして自分の言ったことは正しかったのだろうか、とギモンがおこる。自分の言ったことの中にある、誤りを知らぬうちにさがしだす。知らなかった、という気づき、は一瞬ののちに、知りたい、という欲求をうみだす。そしてまた、知らなかったんだ、という気づきも理解にほかならず、理解の向上、あいまいさ、からの脱却がおこる。また、ふと、自分がなにげなく言ったコトバから、問題意識がおこってくるのである。CTを前に私は、
「ころんで頭をぶつけると、硬膜下血腫がおこり、血のかたまりがCTで半月状にみえるんですよ」
と言った。この時、思いつきで言った硬膜下血腫が逆に私をガッチリつかまえてしまった。私は自分の考え方に大きな誤算があるのではないかということに気がついた。脳梗塞をおこしたから片マヒになって転んだのだ、と私は思っていた。患者が脳梗塞をおこしておかしくない年齢だからそう考えて疑っていなかった。しかしもしかすると原因と結果が逆なのかもしれない。頭をぶつけたために脳出血を起こしたのかもしれない。
硬膜下血腫、硬膜下血腫…。
医者の心が動きだした。
「歩行がふらつくようになったのはいつからですか」
「一週間前からです」
「その頃、患者はころんで頭をぶつけたということはありませんか?」
「その時は私は夜勤だったのでわかりません」
「以前にころんで、タンコブできて今日みたいに湿布したことはありませんか?」
「おぼえてません」
私の心で医者の診断のための情報聴取の目がうごきだした。だが彼女は、ことの重大さ、を理解していない。私は心の中で言った。
(会話を楽しんでいるんじゃないんだ。診断のための情報収集なんだ。もっと真剣に思い出そうとしてみてくれ。人の命がかかっているんだ)
「以前にも歩行が困難になったことはありますか?(TIAとのカンベツ)」
「いえ。ありません。今回がはじめててです」
(よーし。いい子だ。今回が初発だな)
「以前に尿失禁したことは?」
(カルテ過去二年分に尿失禁と歩行マヒの記載はない)
「トイレにまにあわずもらしてしまうことはありましたが、しびんで自分で排尿できてて、失禁することはありませんでした」
(となると今回の尿失禁は、片マヒ出現時とも一致しているし、脳の器質性障害のものだな)
私は彼女に硬膜下血腫の説明をした。
「硬膜下血腫というのは老人がころんだり、頭をぶつけたりした時、まず考えなくてはならないものなんです。硬膜下血腫というのは…脳の架橋静脈というのがやぶれておこるんですが、強い力でなくても、頭の緊張がゆるんでいる時に頭をぶつけるとおこるんです。CTをとると三日月状に血腫がはっきりとわかるんですが…」
その時、救急科のDrがCTをとりおえて、もってきた。
Drは言った。
「慢性硬膜下血腫です」
言ってCTをみせてくれた。左にはっきりとイソorロー・デンシティーの三日月状の血腫がみえる。血腫のため脳が右に偏位し、血腫のある方の左の脳室はおしつぶされ、大脳縦隔も右におしやられている。教科書通りの典型的なCT写真である。
(慢性ってことは、もっと以前に頭をうったことがあるのかな。いや、慢性硬膜下血腫は頭をぶっつけなくてもおこることもある。精神科だから他患にぶたれたことがあるのかもしれない。いや、ぶたれて硬膜下血腫ということは…。ボクサーじゃあるまいし。いや、バタード・チャイルド・シンドロームでは母親になぐられても架橋静脈がきれて、硬膜下血腫になるじゃないか。いや、子供と老人の血管は別だ)さまざまな思考が頭をかけめぐった。
「めい子さんか、おい子さんかに連絡できますか?」
Drがきいた。
「はい。できます。××にいます。電話番号はここです」
Nsは言って、カルテのめい子、おい子の電話番号をしめした。約一週間の入院で血腫除去手術をすることになった。これは非常に頻度の高い、かつ典型的な症例である。血腫をとれば、片マヒや尿失禁はかなりなおるだろう。百パーセントまでもとにもどるかどうかははわからない。無事、役目がおわりかえることになった。ちなみに医療に関係のないことでは、彼女は、
「ここの土地の人ですか?」
ときいたので、
「いいえ」
とだけ答えた。救急隊員におれいをいって、病院におくってもらった。もちろん患者はいないからサイレンはならしていない。役目がおわってほっとする。心疾患があって、高齢で頭部打撲の処置は片マヒのための結果のものだと思っていたので、硬膜下血腫は頭に入れていなかった。心疾患があったから、脳血栓か脳塞栓だとばかり思っていた。あまりにも典型的な写真だったので、救急車の中で、とりたてのCTをみていると、後部座席の救急隊員が、
「こういう写真あんまりみたことがないんですよ。何かわかりますか」
と聞いてきたので、CTの血腫を示して、
「左側に、はっきりした血腫がありますよね。これが脳を右におしつけているんですよ。だから血腫をとるんですよ。非常にわかりやすい、単純な理屈ですよ」
と説明し、CTで血腫の圧迫によって、左の脳室がおしつぶされ、脳全体が右におしやられていることを、大脳縦隔の右への偏位によって説明した。理解することができたと思う。が、彼ら三人は自分達の話に入って行った。彼らの会話は面白い。というより人間の会話はおもしろい。会話は、目的地のない旅行とでもいおうか、かつぎ手の足のきまぐれで、さまよう御輿とでもいおうか、よくあんな次から次へとおもしろいことを笑わずにいえるもんだと思う。話題が運転免許のことにきた。
「筆記試験では、毎回、一番やさしい問題をだしますから、おちついて解いてくだい…っていうんだよなー」
私が免許うけた時は、そのコトバはきかなかった。そんな明白なウソを信じる人は、まずいない。だがユーモアが緊張した受験生をおちつける効果はある。私なら笑ってしまうだろう。ほとんどの人は笑わずにギャグマンガを読む。笑いながらギャグマンガを読んでる人をみかけたことはあまりない。
救急車の中で、行きと同じように、となりあわせにNsとチョコンと座っていたが、私はいろいろCT所見や医学的なことを説明したい欲求にかられたが、何か誤解されるとイヤだったので何も言わなかった。
病院に救急車がついて、
「ありがとうございました」
と救急隊員に言って、病棟へもどる。オーベンに救急病院で撮ったCTをわたす。CTをシャーカステンにかけ、蛍光灯のスイッチをいれる。
「イソ・デンシティーですね」
と聞くと、オーベンは考えて、
「んー。イソ・デンシティーときいたけど、ロー・デンシティーじゃないの」
という。いわれてみると確かに、脳皮質に比べロー・デンシティーのようにみえてきた。ロー・デンシティーということは、ある程度時間がたった血腫ということだ。血腫は発症後、イソ→ロー、デンシティーになっていく。行ったNsは別のNsに、
「救急病院のNsにいじめられなかった」
と聞かれて、
「ううん。別に。いじめられなかったよ」
と言った。事実いじめられてはいない。いじめ、というといったいどんないじめ、があるのだろう。やはり患者の病状把握が正確かどうかの質問だろう。しかし、合併症とか、発症のいきさつ、とか、その他、患者に関して知っておくべき情報である。責任感からきくのであって、それは、いじめとはいわない。勤務時間のおわりのチャイムが鳴った。図書室にのこって、硬膜下血腫および患者の病態を深く知りたい欲求が非常に強くおこった。だがそれ以上に、ある強い欲求が起こった。それは今回のことを記憶が新しいうちに小説にしておきたい、という欲求である。で、その晩から書きだして、翌日は休みだったので、一日中かいて、今は三日目。で、とりあえず、何とか、書きたかったことが書けてうれしい。が、あながち勉強しなかったとはいえない。行動が認識の最良の手段である、というのがカント哲学だが、私にとって書くことは行動の一つである。

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