小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

無名作家の一生 (小説)(1)

2020-07-16 04:46:18 | 小説
無名作家の一生

大学進学で、僕は、広島大学医学部を選んだ。
僕が、医学部に進学することを選んだのは、将来、医者になって、病める人々を救おう、などという、高邁な理由からでも、さらさらなかった。
高校時代、僕は、将来、自分が、何になりたいのか、どうしても、分からなかった。
それで、医学部に進学することにした。
医学部は、4年間ではなく、6年間である。
6年間のうちには、きっと、自分の、本当にやりたい事が、見つかるだろう、という、モラトリアムの心理からである。

さて、医学部に入った、最初の二年間は、教養課程で、教養課程では医学とは、関係のない、様々な、学問を学ぶことになった。
僕は、自分の天職という物を探していたので、教養課程では、そのヒントが、見つかりはしないかと、全ての、授業に出席して、真剣に勉強した。
しかし、それは、講義に出ても、なかなか見つけられず、また、見つけられそうにも感じられなかった。
それで、僕は、色々と、本を読むことにした。
小説とか、文学には、高校の時に読んで、面白くなくて、失望していたので、興味がなく、自分に、興味のある、哲学や、心理学、偉人の自伝、思想書、宗教書などを、読んでみた。
ある心理学の本を、読んでいた時のことである。
その中に、日本や世界の、偉人の、病跡学、という、項目の中で、日本の文豪である、谷崎潤一郎という、作家が、マゾヒストである、と、書かれている一文を見つけた。
僕は、それを、ウソではないかと、疑った。
高校の時、国語の勉強のために、僕は、かなり、文学書を読んだ。
しかし、それらは、全て、「人間は、いかに生きるべきか」という、真面目で、重いテーマの内容ばかりで、それらに、面白さは、感じられなかった。
ただ、国語の受験勉強の中で、谷崎潤一郎という小説家が、日本を代表する、文豪の一人で、耽美派という範疇の小説家であり、代表作は、「刺青」、「痴人の愛」、ということは、読みもしないが、知識として、覚えて、知っていた。
なので、僕は、ある日、その心理学書で、書かれている、谷崎潤一郎が、マゾヒストである、ということが、本当なのか、どうか、確かめるために、近くの書店に行ってみた。
新潮文庫の書棚の、谷崎潤一郎のプレートの所では、「刺青、秘密」、と、「痴人の愛」、の二つがあった。
「痴人の愛」は、一編の長編小説であり、「刺青、秘密」は、初期の頃に書いた、短編集だった。
文学書とは、つまらない物と思っていたので、長編小説は、読む気になれなかったので、短編集である、「刺青、秘密」を買った。
そして、読み出した。
読んでいるうちに、僕は、今まで、経験したことのない、驚き、と、興奮、と、歓喜を、感じた。
美しい文章、読者の官能を刺激せずにはいられない、美しい、マゾヒスティックなエロティシズムのストーリー。が、ページの中に、光り輝く真夏の太陽のように、あふれんばかりに、横溢していた。
僕は、貪るように、一気に、「刺青、秘密」を読んだ。
「刺青」、「少年」、「幇間」、が、特に、エロティックだったが、「刺青、秘密」に収められている、7編、の小説は、全てが、美しいエロティシズムの表現だった。
文学は、真面目な物、堅苦しい物、という、僕の先入観は、この一冊によって、粉々に砕け散った。
僕は、数日後、また、書店に行って、「痴人の愛」、を買った。
そして、読んだ。面白いので、一日で、一気に読めた。
これもまた、谷崎潤一郎という作家の、素晴らしく、美しい、マゾヒスティックな、女の美しさに、かしずく小説だった。
僕は、もっと、もっと、谷崎潤一郎の、小説を読みたくなった。
出来れば、その作品の全てを。
しかし。書店には、「刺青、秘密」、と、「痴人の愛」、の二冊しか、文庫本がなかった。
それで、僕は、書店で、谷崎潤一郎の文庫本で、手に入れられる物を、すべて注文した。市立図書館では、谷崎潤一郎全集は、あるかもしれないが、全集は、大体、本が分厚くて、文字が小さくて、読みにくいし、それに、二週間したら、返却しなくては、ならない。
僕は、本は、文庫本で、そして、自分の物として、いつまでも、死ぬまで、とっておきたかったので、書店に、注文して、谷崎潤一郎の本が、届くのを待つことにした。
待つことには、僕は、それほど、気にはならなかった。
それより、谷崎潤一郎という、小説家を知ったことによって、僕の文学に対する、見方が、180°変わってしまった。
文学には、こんな、自由奔放な、素晴らしい、作家、や、作品もあるのだ。
高校の時、国語の勉強のために、嫌々、読んだ文学書では、不運にも、それに、巡り合えなかった、だけなのだ、と。僕は、知った。
僕は、文学に対する認識を、あらためた。
僕は、谷崎潤一郎の他にも、面白い、作品や、作家は、あるだろう、と思った。
僕は、書店に行って、もっと、もっと、面白い作家は、いないか、探すことにした。
しかし、僕は、文学には、疎いので、作家や、その作品を、ほとんど知らない。
なので、いい作品、面白い作品に、出会うため、片っ端から、読んでみることにした。
三島由紀夫は、ノーベル賞候補に上がった、ことも、あるほどの、作家ということだったので、高校の時、国語の勉強のために、傑作と言われている、「金閣寺」という作品を読んでみていた。
しかし、面白くもなく、また、難解で、よくわからなかったので、三島由紀夫は、面白くない、作家だと思って、「金閣寺」の、つまらなさ、難解さ、から、拒絶反応が起こって、それ以外は、読まなかった。
しかし、新潮文庫の、三島由紀夫のプレートの所を、見ていると、「仮面の告白」という、小説が、目に止まった。
「仮面の告白」、というタイトルから、何となく、面白そうな気がした、からである。
長編小説だが、分厚くなく、むしろ、213ページと、薄い。
それで、最初の数ページを、パラパラッと、読んでみた。
すると、最初のページから、「あのこと」、つまり、セックスのことを、書いた文章に、出くわして、驚いた。
それで、もう一度、三島由紀夫、に挑戦しようと、「仮面の告白」を、買って、その日のうちから、読み始めた。
この作品は、「金閣寺」とは、違って、わかりやすかった。
ひとことで言って、三島由紀夫が、自分の性欲に焦点を当てて、書いた自伝的小説だった。
通常の男と違って、女に関心を持てない、ホモ・セクシャルであり、また、空想では、サディストであって、好きな男を、次々と殺す、夢想を楽しんでいた、ことなど、とんでもない事が、露骨に書かれていた。
谷崎潤一郎の作品と違って、陶酔するような、美しいエロティシズムは、感じなかったが、文学とは、かくも、自由奔放であり、思っていることは、何でも表現していい、素晴らしい、ものである、ということを知って、僕は、ますます、文学に関心を持つようになった。
川端康成の、「伊豆の踊子」には、素直に、感動した。
石川啄木の、短歌は、よくわからなかったが、たまたま、読んでみた小説、「二筋の血」は、啄木が、子供の頃に、一人の、女の子を好きになった体験を小説化した作品だが、それは、谷崎潤一郎の作品に、勝るとも劣らぬ、ほとの、美しく、可愛く、切なく、そして、可哀想な、無邪気な、子供の恋愛小説だった。

数日して、書店に注文しておいた、谷崎潤一郎の、文庫本が、10冊ほど、届いた。
すぐに読み始めたが、谷崎潤一郎の、作品は、どれも、マゾヒスティックな、エロティックな、小説で、ほとんど全ての作品で、心地よさを、味わえた。
しかし、僕は、谷崎潤一郎の、作品を読むのと、同時に、他にも、いい作家や、作品は、ないか、探し続けた。
僕の感性に合わない、つまらない作品で失望する小説も、多かったが、僕の感性に合う、面白い作品に出会えることも、あった。
こうして、僕は、どんどん、文学の世界の深みに、はまっていった。
文章の美しさ、文章の味、というものも、わかってきた。
芥川龍之介の文章など、実に美しい。
僕は、だんだん、自分でも小説を書きたいと思うようになっていった。
というか。正確にいうと。
谷崎潤一郎の、初期作品集である、「刺青、秘密」を、読み終えた時に、「これだ。これこそが、自分の心の内に、溢れんばかりにある、思いを、表現できるものは」、と、決定的に思ったのである。ただ、谷崎潤一郎の、作品が、あまりにも、美しく、偉大すぎたので、自分が、ああいう文章を、はたして書けるのか、どうか、ということには自信がなかったのである。
しかし、多くの、素晴らしい文学書を、読んでいくにつれ、自分でも、小説を書きたい、という欲求が、募っていって、もう、その欲求を、押さえることが、出来なくなってしまったのである。
僕の心の中には、表現したい、と思っている、思い、夢想が、無限ともいえるほど、あるのである。
それで、僕は、小説を書き出した。
最初に書いたのは、小学校6年の時のことである。
恥ずかしがり屋で、好きな女の子に、告白できないで、煩悶している、少年と、その少女のことを、ヒントに、恋愛小説に仕立てた。
お話しを書くのは、生まれて、初めてだったので、骨が折れ、とても疲れた。
しかし、多くの文学書を、丁寧に、よく読んでいたことが、文章を書くための、スキルアップにも、利していたのだろう。
それで、何とか、書き上げることが出来た。
書き上げた時の、喜びといったら、それは、言葉では、言い表せないほどのもので、あたかも真夏の太陽に向かって、自分が鳥になって、飛翔していくような、この世離れした、歓喜だった。
タイトルは、「忍とボッコ」とした。
男の名前が、「忍」で、女の子の、あだ名が、「ボッコ」、だったからである。
一作だか、小説を書き上げられると、自分にも、小説を書くことは、出来るんだ、という、自信がついた。
それで、僕は、小説を、どんどん、書いていった。
18歳で自殺した岡田有希子さんの、夭折の人生が、あまりにも美しく、その人生を、僕は、表現したいと思っていたので、彼女の人生を、フィクションも入れて、小説風に書いてみた。
タイトルは、「ある歌手の一生」とした。
次は、女子高に、来た、男子教師が、一人の、女子生徒に恋してしまう、という、架空の小説を書いた。
タイトルは、「高校教師」とした。
こうして、僕は、次々と、小説を書いていった。
ある時。
僕は、食堂の掲示板に、
「文芸部員募集。文集を作るので、作品を募集しています。文芸部員でなくても、構いません」
という、貼り紙を見つけた。
僕は、処女作、「忍とボッコ」を、書き上げた、はじめの頃は、書き上げた、ということだけに、純粋に、嬉しさを感じているだけだった。
しかし、何作も、小説を書いているうちに、だんだん、それを、自分で読むだけの自己満足ではなく、他の人にも、読んでもらいたいと、思うように、なった。
また、自分の書いた小説を、他人が読んだ時、どう感じられるのか、その感想と、そして、作品の文学的評価も知りたく、なっていった。
それは、創作する人間にとっては、至極当然の感情だろう。
ある日、僕は、勇気を出して、文系部の、部室に行った。
自分の書いた、いくつかの作品を持って。
トントン。
僕は、文芸部の、部室のドアをノックした。
「はい。どうぞ」
部屋の中から、大きな声が聞こえてきた。
ガチャリ。
「失礼します」
僕は、ドアノブを回して、戸を開けた。
部屋には、8人くらい、着ける、大きなテーブルがあって、一人の男子生徒が座って、本を開いていた。
壁際の書棚には、ズラリと、本が並んでいた。
「はじめまして。山野哲也といいます」
と、僕は、畏まって、お辞儀をした。
「はは。そんな、堅苦しい挨拶なんて、いらないよ。ここは、教授室じゃないんだから」
彼の気さくな、くだけた、態度に、僕は、精神的に、リラックス出来た。
「ともかく座りなよ」
彼に言われて、僕は、彼と向き合うように、テーブルについた。
「用は何?」
彼が聞いた。
「あ、あの。食堂の掲示板の、貼り紙を見て。小説をいくつか、書いたので、見ていただけないかと思って・・・」
僕は、少し緊張して、どもりどもり言った。
しかし、僕としては、自分の書いた小説を、人に読んでもらうのは、生まれて初めてのことなので、しかも、相手の生徒は、おそらく文芸部員で、文学に詳しいだろうから、気の小さい僕が緊張したのは、無理もないことだ。
僕は、あたかも、出版社に、小説を持ち込む、小説家をめざす、文学青年のような、気持ちだった。
「ほう。君。小説を書くの。すごいね。どれどれ。ぜひ、君の書いた小説を見せてくれない」
すごい、と言われて、僕は、照れくさく、恥ずかしくなった。
僕は、自分の書いた小説は、そんな大層なものではないと、思っていたから。
僕は、ワープロで、印刷した、小説の原稿を、カバンから、取り出して、おどおどと、彼に渡した。
「ほう。結構、書いているんだね」
そう言って、彼は、原稿を、受けとった。
「ちょっと、10分、くらい、待ってて。読むから」
そう言って、彼は、僕の書いた、小説を、読み始めた。
目の動きや、原稿を、めくるスピードが、かなり速い。
僕は、今、まさに、自分の書いた小説が、おそらくは、文学に詳しい人に、読まれている事実に恐縮していた。
顔は、無表情だが、心の中では、幼稚な小説だな、と、嘲笑っているのかも、しれない、という疑心まで起こってきて、顔が赤くなった。
大体、10分、くらいして、彼は、原稿の束を、テーブルの上に置いた。
「読んだよ。全部。なかなか面白いね。いかにも、君が書いた小説って、感じが伝わってくるね」
と、彼は、感想を言ってくれた。
僕は、なかなか面白いね、という言葉が、単純に、嬉しかった。
彼の、単刀直入な言い方から、彼が、心にも無い、お世辞を言う性格には、見えなかったので、僕は、彼の感想を素直に信じた。
「この作品の中で、一番、最初に書いたのは、忍とボッコ、でしょう?」
「うん」
「君。谷崎潤一郎が好きでしょう?」
「うん」
「君。小説を書き出したのは、比較的、最近でしょう」
「うん」
「いつから、小説を書き出したの?」
「大学に入ってから。だから、半年、前くらいから」
彼の、言っていることが、全て当たっているので、僕は、彼の炯眼さに驚いた。
「ところで君は、何学部なの?」
彼が聞いた。
「医学部です」
僕は答えた。
「何年生?」
「一年です」
「そうなの。僕は、文学部。石田誠。二年生。一応、文芸部の主将ということに、なっているけどね」
彼が、文学部だろうとは、一目、見た時から予想していた。
「どうして、一応、なんて、言い方をするんですか?」
彼が、単刀直入で、謙遜するような、性格には、見えなかったので、僕は、疑問に思って、聞いた。
「部員が少ないからさ。僕を入れて、部員は、三人しか、いないんだ。学校が、部員の数が、それだけでは、廃部にする、と言ってきたのを、僕が、必死に頼んで、何とか、学校に、残させてもらっているような状況だからさ」
なるほど、と、僕は思った。
「そうなんですか」
「他の二人の部員は、小説は、よく読んでいるんだけど、自分では、小説を書かなくてね。小説の、感想や、文学論みたいなものばかり、書いているんだ。まあ、それでも、書かないよりは、有難いけれどね。作品が集まらないと、文集を作れないから、君の小説は、文集に載させてもらうよ」
「有難うございます。でも、あの程度の、小説で、いいんでしょうか?」
「全然、構わないよ。君は、大学に入ってから、小説を書き始めた。と、言ったね。そういう人は、やむにやまれぬ思いから、小説を書き出した人が、多いから、本当に、表現したい物を持っている人である、場合が多いんだ。僕は、君の作品を読んで、君が、表現したい、情熱をもっていることを強く感じたよ。むしろ、中学生とか、あまりにも早い時期から、小説を書き出した人には、子供の頃から、小説を読むのが、好きで、趣味で読んでいて、自分も、真似して書いてみよう、という、軽い、遊びの感覚で、小説を書いている場合が、多くて、本当に、表現したい物は、実は、持っていない、という場合が、結構、多いんだ」
僕は、なるほど、そうかもしれないな、と思った。
「先輩も、当然、小説を書くんですよね?」
「うん。書いているよ」
「先輩は、いつから、小説を書き始めたんですか?」
「そうだね。高校生の時からだね。文学書を、読むのは、好きだったから、子供の頃から、よく、読んでいたけどね。高校から、自分でも、書こうと思い出して、書き始めたけれど、なかなか、満足のいくものが、書けなくてね。いくつか、作品は、書いたけれど。本当に、満足できる作品は、まだ、書けていないんだ」
彼の創作意欲は、趣味の、遊び感覚の、ものとは違う、本当の、表現欲求から、来ているのだと、僕は思った。
「先輩は、将来、小説家になろうと思っているんですか。文学部に入ったのも、そのためですか?」
僕は聞いた。
「まあ、そうだけどね。でも、なろうと思って、簡単に、なれるものじゃないからね。でも、自分が、本当に、満足のいく、小説は、書くことを、やめないで、努力して、続けていれば、きっと、いつか、満足のいく作品が書けると思っているんだ。今のところ、僕は、一生、小説を、書き続けようと思っているんだ」
「では、先輩の目から見て、僕は、小説家になれると思いますか?」
「書く、という行為を、すること自体が、もう、作家の資質があるということさ。あとは、その気持ちが、一生、続くか、どうか、だね」
そう言って彼は、紅茶を啜った。
「ところで、君は、文芸部に入ってくれるんだよね?」
先輩が聞いた。
「ええ。入ります」
僕は、躊躇なく答えた。
そのあと、先輩と、色々と、雑談した。
彼は、日本の文学は、あまり読まなくて、外国の文学ばかり、読んでいること、日本の作家では、安部公房や村上春樹が、好きなこと、大学受験では、慶応大学にも受かったけれど、親が国立である、広島大学に進学するよう強制したので、仕方なく、広島大学に入ったこと、などを、語った。
彼は、好きな作家として、外国文学の、ヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、フランツ・カフカ、その他、現代の、作家の名前を、いくつも、あげた。だが、僕には、そのどれも、聞いたことのない、名前ばかりだった。○○○○○○
彼は、高校時代も、文芸部で、高校時代に、出した、文集に、彼の、作品を載せたのが、あるので、それを、僕に、渡してくれた。
それと、部室の書棚にあった、安部公房の小説や、トーマス・マン、の、「魔の山」など、小説を、数冊、渡してくれて、よかったら、読むように、勧めてくれた。○○○○○○
僕は、それらを、受けとって、アパートに帰った。
文学を本気で、志している人と、会えて、また、自分の書いた小説も評価してもらえて、とても、嬉しかった。
彼の言うことは、全て、最もなことのように、思えた。
僕は、彼が、高校時代に出した、文集、の中の、彼の作品を、真っ先に読んでみた。
文章は、上手く、滑らかだが、何を言いたいのか、何となく、漠然と、わかる気もするが、やはり、よく、わからなかった。
ついでに、ヘルマン・ヘッセの、短い、短編小説を、読んでみたが、これも、何を言いたいのか、よくわからなかった。
なので、優れた文学とは、何を言いたいのか、よくわからない作品なのだという、変な理屈を持った。
外国文学は、とても、読む気がしなくなって、安部公房や、村上春樹を、読んでみたが、これも、何を言いたいのか、よくわからない。
しかし、文章は、上手い。
しかし、その程度で、僕には、外国文学は、わからない、とまでは、結論づけなかった。
いつか、わかる日が来るかもしれないと、積ん読、に、とどめることにした。
ちょうど、絵画でいうなら、ピカソの絵は、わけがわからないが、専門家の目から見ると、高尚な芸術であるらしいが、その逆に、一見して、わかってしまう、絵画は、大した価値が無い絵画、というような、理屈と同じだと、思った。
思った、というより、思うことにした、と言った方が正確である。
そもそも欧米人は、歴史的に見ても、物の考え方にしても、スケールが大きい。
それに比べ、日本は、小さな島国で、徳川時代は、260年間も、鎖国をしてきて、源氏物語や、清少納言のように、もののあわれ、や、感情の機微は、知っていても、日本の近代文学には、欧米のような、スケールの大きなものは、ない。
しかし、僕も、日本文学なら、わかる。
谷崎潤一郎だって、ノーベル文学賞候補にあがった、ことがあるほどだから、間違いなく、優れた文学であることには、違いない。
なので僕は、谷崎潤一郎の、作品を読みながら、また日本の面白い、小説を探して読みながら、同時に、自分の書きたい小説を、書いていった。

二ヶ月ほどして、文芸部の、文集が出来た。
僕の、作品二作と、石田君の、新しい作品、一作と、あと、文芸評論みたいな、作品が、数作、と、文学部四年生の学生の、卒業論文みたいなもの、が、載っていた。
僕は、五作品、石田君に、預けたのだが、残りの三作は、作品が、なかなか集まらなくて、文集を作れなくるのを、考慮して、次期、作る、文集に載せる、ための、ストックにしておく、と言った。
石田君の、小説は、文章は、上手いが、やはり、何を言いたいのかは、よくわからなかった。
自分の、小説が、活字になって、文集に載っても、僕には、それほど、嬉しくなかった。
文集は、所詮、文集で、発行部数も、たかが、200冊で、たかがしれているからだ。
そうこうしているうちに、僕は、教養課程の二年を終えた。

三年からは、基礎医学で、医学一色の勉強になった。
三年、四年、の、基礎医学は、人体の構造や、病気の原理を学ぶ、学問である。
三年では、組織学。解剖学第一。解剖学第二。生理学第一。生理学第二。生化学。
四年では、病理学第一。病理学第二。免疫学。腫瘍病理学。細菌学。薬理学。寄生虫学。衛生学。公衆衛生学。法医学。である。
そもそも、僕は、理数科系が得意といっても、数学や物理などの、ガチガチの論理的科目が、得意で、生物学は、好きではなかったので、基礎医学は、つまらなかった。
毎日、分厚い、医学書を読み、顕微鏡で、極めて薄く切り取られて、ピンク色に染色された、人体の組織を、スケッチする単調な毎日だった。
それでも、理屈がわかれば、面白かった。
僕は、基本的に、何事でも、勉強熱心である。
基礎医学の勉強は、ほとんど、遊びの、教養課程の勉強と違って、覚える量が多く、本格的だった。
なので、小説を書く、ゆとり、が無くなって、小説を、書く、時間は、取りにくくなった。
読書は、好きになっていて、小説を書く参考にもなると思っていたので、書く、より、読む、方に、うつっていった。
しかし、僕の心は、もう、小説を書くことにしか、人生の価値を見いだせず、いつも、小説の、ストーリーのヒントに、なるものは、ないかと、絶えず、それを探すように、なった。
そういう目で、世の中や、自分の身の回りを見るようになっていた。
そして、小説の、インスピレーションが、起こると、すぐに、それをメモした。
やがて、石田君の、卒業が近づいてきた。
石田君は、東京の、大手の、出版社に就職することに決まった。
就職活動では、そんなに、困らなかったという。
石田君は、文学新人賞に、作品を応募して、小説家になる、夢を持ち続けていた。
「小説、書くのをやめたらダメだぞ。オレも、一生、書き続けるからな」
と、石田君は、言った。
石田君は、僕に、どっちが、先に、小説家になれるか、競争しようと、笑って言った。
石田君は、僕の、文学での、良き友人であると、同時に、良きライバルでもあった。
冗談も、半分あるだろうが、本気も、間違いなく、あるだろう。
やがて、石田君は、卒業した。

僕は、四年の、基礎医学を終えて、五年の、臨床医学に進んだ。
臨床医学は、無味乾燥な、基礎医学と、違って、面白かった。
臨床医学とは、内科、外科、産婦人科、小児科、眼科、泌尿器科、他、つまり、全ての、医学の科目を、学ぶ学問である。
まず、教科書を選ぶ困難がなかった。
全ての科の勉強は、医師国家試験用の、教科書で勉強することが、出来たからだ。
医学生は、卒業する、約一ヶ月前に、医師国家試験を受ける。
医師国家試験は、大学の、臨床医学と、同じではあるが、大学の、アカデミズムに比べると、レベルは、少し下がり、国家試験用の、教科書は、分厚くなく、わかりやすく、使いやすかった、からである。
皆も、そうだが、臨床医学の授業は、国家試験用の、教科書で勉強していた。
そして、五年の二学期から、臨床実習が、始まった。
臨床実習とは、大学の付属病院で、実際に、患者を診る勉強である。
五人で、一組の班となって、全ての科を回っていくのである。
臨床実習の勉強は。教授回診の見学。手術の見学。大学病院の先生のレクチャー。入院患者や、課題を出されて、そのレポート書き。などである。
レポート書き、は、多少、面倒くさく、見学の方が、楽で、面白かった。
なにせ、生きて、病気と闘っている患者である。
それを、医学という、長い長い、時間の中から、数限りない、学者たちが、築き上げてきた、医学という学問が、何とか、必死で、治そうとしている、壮絶な戦いである。
しかし、臨床実習と、医師国家試験の準備の勉強で、忙しくなって、僕は、ひとまず、医師国家試験に受かるまでは、読書も、小説創作も、おあずけ、にして、勉強に、専念することにした。
それほど、臨床医学は、忙しく、また、やりがいも、あった。
そもそも、小説家になるには、若い時の、人生体験というものが、作家になってから、大きく、ものをいうのであり、若い時に、真剣に生きる、ということが、すなわち、小説を書く、訓練でも、あるのだ。
それで、僕は、臨床実習も、臨床医学の勉強も、国家試験の勉強も、精一杯、やった。
それで、僕は、無事、医学部を卒業し、医師国家試験にも、通った。
僕は、関西は、どうしても、気質が、肌に合わないので、研修は、関東でしたかった。
できれば、神奈川県か、東京都、の医学部で、研修したかった。
それで、前もって、入局願いの、手紙を、東京の、医学部に、たくさん、出していた。
関東や東京には、医学部が、たくさんある。
どうせ、ダメだろうと思っていたのだが、入局者の定員が足りない、ということで、東京大学医学部の、第一内科から、入局を、認める、手紙が、来た。
天下の、東京大学医学部、ということで、僕は、ちょっと、ビビったが、医師国家試験に通ってしまえば、研修医も法的には、立派に医者であり、医者になってしまえば、対等だろうと、僕は、思っていた。
僕は、卒業すると、すぐに東京都内に、アパートを借りて、引っ越した。
卒業してから、入局して研修が始まるまでには、一ヶ月ほど、期間がある。
ほとんどの、医学生は、海外旅行に行く。
もう、一切の受験勉強から、解放されて、僕は、小説を書き始めた。
五年、六年の、臨床医学になってからは、小説は、ほとんど、書いていなかったが、小説の、インスピレーションは、メモしていたので、あとは、それを書くだけだった、からだ。
五、六作品、僕は、一気に、小説を書き上げた。

やがて、一ヶ月して、東京大学医学部の第一内科に、入局する日が来た。
医学部に、近づくのにつれ、僕は、だんだん、足が、ガクガク震え出した。
僕も、国立の医学部を出たんだぞ、と、自分に言い聞かせ、無理して、自分に自信を持とうとしたが、相手は、天下の、東大医学生である。東大医学部である、東大理科三類の偏差値は、最低でも、駿台模擬試験で、偏差値80は、超してなければ、入れない。
東大理科三類は、日本で、一番、頭のいい人間の、上から、100人のみが、入れる、所なのである。
僕は、全身をガクガクさせ、滲み出る、冷や汗を、ぬぐいながら、第一内科の医局をノックした。
トントン。
「はい。どうぞ」
中から、声がした。
僕は、手をブルブル震わせながら、ドアノブを回した。
おそるおそる、医局の中を、覗くと、10人くらいの、カジュアルな、服を着た、僕と、同い年くらいの、男達が、タバコを吸いながら、喋っていた。
東大医学部、第一内科の、新入局者たちだろう。
僕は、もちろん、新調した、紺のスーツに、ワイシャツに、ネクタイの正装だった。
皆の目が、サッと、僕に集まった。
皆、スーツの正装で、来ているものだと、思っていたので、自分一人だけ、スーツの正装というのが、とても、ばつが悪かった。
「おめえ。誰だ?」
眼鏡をかけた、鋭い目つきをした、赤シャツを着た、男が聞いた。
「は、はい。今日から、第一内科に、入局することになりました、山野哲也と申します。よろしく、お願い致します」
僕は、コチコチに緊張して、深々と、頭を下げた。
「おい。外部からの、入局者が、いるなんて、聞いてるか?」
赤シャツを着た、男が、皆に向かって聞いた。
「さあ、知らねえな」
「そんなこと、聞いてないぜ」
と、皆は、口々に言った。
その中で、一人、青シャツを着た男が、口を開いた。
「オレ。知ってるぜ。なにか、今年は、入局者が、少ないから、特別に、他の大学から、研修医を、募集するかも、しれないって、中山信弥先生が、言ってたぜ」
中山信弥先生とは、東京大学医学部、第一内科の主任教授で、臨床医であると同時に、日本の再生医療の権威だった。
「ほう。そうか。するってえと、おめえが、外部からの研修医か。大学は、どこだ。京大か。慶応か?」
青シャツを着た男が聞いた。
「は、はい。広島大学医学部です」
僕は、小声で答えた。
「ぎゃーははは。広島大学だとよ」
皆が、腹を抱えて笑った。
「広島大学に医学部なんて、あったか?」
青シャツを着た男が、皆に聞いた。
「さあ。知らねえな」
「医学部といえば、東大か、京大か、慶応、以外は、クズだからな。知らねーな」
皆、本当に、知らないような、感じだった。
広島大学医学部にいた時、友達に、東大医学部は、プライドが高い連中ばかりだから、気をつけろ、と、言われていたが、まさか、ここまで、すさまじいとは、知らなかった。
しかし、駿台模試でも、広島大学医学部は、偏差値58の学力が、必要で、その学力があれば入れるが、東大理科三類は、偏差値80でも、合格の保証はない。
なにせ、日本で、トップの頭脳の人間、100人のみが、入れる大学なのだ。
「ところで、お前、国家試験では、何点とったんだ?」
黄色いシャツを着た男が聞いた。
医師国家試験は、60点合格の資格試験である。
僕の、国家試験の成績は、65点だった。
僕は、正直に、「65点です」、と、言おうかと、思ったが、「低すぎる」と、また、バカにされそうな気がしたので、
「な、75点です」
と、声を震わせて、ウソを答えた。
「ぎゃーはははは。75点だとよ」
東大生たちは、皆、腹を抱えて笑った。
「おい。お前、何点だった?」
赤シャツを着た男が、青シャツを着た男に聞いた。
「そんなこと、聞くまでもないだろう。100点に決まってんじゃねえか」
と、青シャツを着た男が、言った。
「そういう、お前は、何点だったんだ?」
青シャツを着た男が、赤シャツを着た男に、逆に、聞き返した。
「オレだって、もちろん、100点さ」
赤シャツを着た男は、ゆとりの口調で、言った。
「おーい。みんな、何点で、合格した?」
赤シャツを着た男が、皆に聞いた。
「オレも100点」
「オレも100点」
みんな、口々に、言った。
全員が、100点、での合格だった。
僕は、タジタジとした。
「おい。愚図野郎。医師国家試験なんて、あんな簡単な、試験はな。満点とって、当然の試験なんだよ」
そう、赤シャツを着た男が、言った。
「おい。こいつの、頭のレベルを、試してみようぜ」
青シャツを着た男が、言った。
「そうだな」
「賛成」
みな、賛同して、決まった。
「じゃあ。まず、暗算の能力だ。黒シャツ。お前が答えろ」
そう、赤シャツを着た男が、言った。
「オーケー。いつでも、いいぜ」
黒シャツを着た男が、余裕の笑顔で言った。
「では・・・・。7986+4838は?」
赤シャツを着た男が、言った。
(えーと。6に8を足すから14で、1足す8足す3だから・・・)
僕が、そう考えようとする、はるか前、黒シャツを着た男が、質問をした、直後に、黒シャツを着た男は、電光石火の如く、即座に、
「121824」
と、1秒もかからず言った。
僕は、10秒くらい遅れて、
「121824」
と、答えた。
「ぎゃーはははは。こんな暗算に、10秒も、かかりやんの」
「お前。低能といえか、知能に障害のある人か?」
東大生は、みな、腹を抱えて笑った。
「よーし。今度は、博学テストだ。お前が、どれたけ、知識があるか、テストしてやる。紫シャツ。お前が答えろ」
と、赤シャツを着た男が、言った。
「オーケー。いつでも、いいぜ」
紫シャツを着た男が、余裕の笑顔で言った。
「それじゃあ、ランダムに、いくぞ。では。ら行で・・・・」
と、言って、赤シャツを着た男が、電子辞書を取り出して、言った。
「ラーガ、とは何だ?」
赤シャツを着た男が、言った。
僕には、聞いたこともない名前だった。
なので、答えようがない。
「ラーガとは、・・・インド音楽の理論用語で,音楽構成上の主要な要素の一つ。ラーガは,音の動きによって人の心を彩るという言葉に由来する。その用語は8世紀頃現れるが,ラーガの概念はずっと以前からあったといえる」
紫シャツを着た男が、余裕の笑顔で言った。
僕は、急いで、スマートフォンを取り出して、「ラーガ」で、検索してみた。
その通りだった。
僕は吃驚した。
「じゃあ。次。今度は、は行で、・・・・ハボローネ、とは、何だ?」
赤シャツを着た男が、言った。
僕には、聞いたこともない名前だった。
なので、答えようがない。
「ハボローネとは、・・・アフリカ南部、ボツワナ共和国の首都。旧称ガベロネス(ガベローンズ)。同国南東部のリンポポ川上流にある。19世紀末にはトロクワ族の小村だったが、1966年の独立に伴って首都となり、急減に人口が増加。南アフリカ、ジンバブエと鉄道で結ばれ、交通・IT分野のインフラの整備が進んでいる」
紫シャツを着た男が、余裕の笑顔で言った。
僕は、急いで、スマートフォンを取り出して、「ハボローネ」で検索してみた。
その通りだった。
「おい。グズ野郎。わかったか。オレ達の頭の中には、ブリタニカ国際大百科事典、以上の知識が詰まってるんだ。オレ達はな、この世の中の、ありとあらゆる事を知っているんだ」
赤シャツを着た男が、自慢げに言った。
「おい。こんな白痴野郎が、国家試験で、本当に75点も、取れたのか、疑わしいぜ」
青シャツを着た男が、言った。
「そうだな。おい。お前。本当に、国家試験で、本当に75点、取ったのか?調べれば、すぐに、わかるんだぜ」
彼は、僕に、鋭い目を向けて聞いた。
僕は、全身が、ガクガク震えていた。
僕は、正直に答えた方が、身のためだと思った。
「ごめんなさい。75点というのは、ウソです。本当は、65点です」
と、僕は、言った。
「ぎゃーははは。そうだろうと思ったぜ。このウソつきの、イカサマ野郎」
そう、言って、赤シャツを着た男が、僕を、突き飛ばし、倒れた僕の顔を、皮靴で、グリグリと、踏みにじった。
他の、東大医学部生も、全員、寄ってきて、僕の顔をグリグリ、踏みにじり出した。
「おめえ、みたいな、低能人間が、身の程知らずにも、医者になろうとするから、日本の医療は、世界から低く見られるんだ。オレ達にとっちゃ、いい迷惑だぜ」
彼らは、ペッ、ペッと、僕に、唾を吐きかけながら、そんなことを言った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
僕は、泣きながら、謝った。
法的にも、道義的にも、謝る必要など、ないのに、謝らずには、いられなかった。
その時、ガチャリと、医局のドアが開いた。
五分刈りに頭を刈った、額の広い、キリッと、引き締まった顔つきの、年配の、白衣を着た、先生が、入ってきた。
東大医学部、第一内科の、中山信弥教授、だった。
みなは、蜘蛛の子を散らすように、サッと、席にもどった。
僕も、すぐに立ち上がった。
僕は、黙っていた。
「どうしたんだ。何かあったのか?」
中山信弥先生が先生が聞いた。
「いやー。別に、何もありませんよ」
東大生たちは、何食わぬ顔で言った。
中山信弥先生は、僕の肩に、ポンと手を置いた。
「紹介しよう。今年は、第一内科の入局者が、少ないので、入局者を募集して、外部の大学から、来てくれた、山野哲也先生だ。みな、よく面倒をみてやってくれ」
そう、中山信弥先生は、僕を紹介した。
「山野哲也です。よろしくお願い致します」
そう言って、僕は、深く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく」
「よろしく」
東大医学部生たちは、掌をかえしたように、恵比須のような、笑顔で、みな、明るい、挨拶を返した。
(こ、こいつら・・・)
さっきまで、さんざん、人を、コケにしていたのに。
僕は、東大生の、転身の早さに、ただただ、驚いていた。
「じゃあ。今日は、挨拶だけだ。これで、おわりだ。これから、飲みに行こう。オレが、おごってやる」
中山信弥先生が、言った。
「やったー」
「ラッキー」
東大生たちは、みな、ガッツポーズをして、喜んだ。
そして、ゾロゾロと、医局室を出ていった。
医局室は、僕だけになった。
「君は、どうする?」
中山信弥教授が聞いた。
「ぼ、僕は、いいです」
僕は、オドオドと、小さな声で、言った。
「そうか。無理には、誘わないよ。あいつら、ちょっと、プライドが、高くて、オレも、困っているんだ。わからないことがあったら、あいつらにでも、オレにでも、何でも聞いてくれ」
そう、中山信弥教授は、言って、医局室を出ていった。
(あれが、ちょっと、プライドが高い、という程度か)
と、僕は、言いたかったが、僕は、怒りと悲しみを、胸の内に、ぐっと、こらえた。
中山信弥教授の、態度も、何となく、冷たく感じられた。
僕は、憤りと、口惜しさ、で、泣き出したい気持ちを、心の中に、押さえこんで、東京大学医学部付属病院を出て家路についた。
こんな、口惜しい、思いをしたのは、生まれて初めてのことだった。
普通の人だったら、こんな時、酒を飲むのだろうが、僕は、酒が飲めなかった。
僕は、東大理科三類出のヤツラを、みんな、ぶん殴りたい気持ちで一杯だった。
だが、しかし、雲泥の、学力の差は、彼らの、言うように、僕の能力の低さに、問題があって、そして、彼らの、能力が、ズバ抜けて、高い、という、ことは、彼らの、言う通りなのだ。
彼らは、今頃、中山信弥教授と、レストランで、大いに、飲み、そして、食っているだろう。
僕には、中山信弥教授が、東大理科三類出のヤツラと、一緒に、僕を、笑い者にしている、様子が、浮かんできて、それは、いくら、振り払おうとしても、僕の頭から、消えることは無かった。
僕は、まさに、やりきれなさ、に、死にたいほどの、屈辱を感じていた。
アパートに着いた。
僕は、ベッドに、うつ伏せに、飛び乗った。
そして、心の中にある、口惜しさを、全て、吐き出すように、号泣した。
「うわーん。うわーん。うわーん。うわーん」
涙は、とめどなく、ナイアガラの滝のように、溢れ出て、枯渇する、ということがなかった。
体中の、水分が、全て、涙として、流れ出て、脱水状態になって、死にはしないかと、思った。
その時である。
ブー。ブー。
ポケットの中の、スマートフォンの着信音が鳴った。
発信者は、「石田」と、表示されていた。
石田君は、三年前に、卒業して、東京の、大手出版社に、勤めていた。
石田君が、大学を卒業してからも、僕は、しばしば、石田君と、メールや、電話の、遣り取りをしていた。
石田君の、アパートは、僕の、アパートに割と近かった。
「よう。元気か?」
石田君が聞いた。
「・・・・」
僕は、答えられなかった。
元気であるはずがないからである。
「今日から、東大医学部での、研修だろ。初日は、どうだった?」
石田君が聞いてきた。
僕は、答えられなかった。
しかし、石田君の、元気な声からは、石田君が、東京の、出版社で、バリバリ働いている、様子が、ありありと、想像された。
石田君は、外国の、難しい文学ばかり、読んでいて、また、石田君の、書く小説も、僕には、難解で、わからなかった。
その点、僕は、石田君を、文学における能力という点で、石田君を尊敬していた。
僕は、石田君に会ってみたいと思った。
「僕は、元気だよ。ところで、石田君。久しぶりに会わないかい?」
僕は言った。
「ああ。いいよ。いつ。どこで?」
石田君が聞いた。
「今すぐにでも、会いたいんだ。駄目かい?」
「いや。構わないよ。今日は、会社が休みなんだ」
「じゃあ。今から、君のアパートに、行ってもいいかい?」
「ああ。構わないよ」
「じゃあ、すぐ、行くよ」
そう、言って、僕は、スマートフォンを切った。
そして、ワイシャツを脱ぎ、カジュアルな普段着に着替えた。
そして、アパートを出た。
石田君は、世田谷区にあるアパートに住んでいて、電車で、30分で、行けた。
石田君と、メールの遣り取りは、たまに、していたが、石田君の、アパートに、行くのは、初めてだった。
最寄りの駅を、降りると、スマートフォンの、地図アプリを、頼りに、僕は、石田君の、アパートに、着いた。
トントン。
僕は、石田君の、部屋をノックした。
「はーい。ちょっと、待って」
部屋の中から、石田君の、声と、パタパタ走る、足音が、聞こえた。
ガチャリ。
戸が開いた。
「やあ。久しぶり」
石田君は、学生時代と、変わらぬ、笑顔で、僕に挨拶した。
石田君が、広島大学を、卒業してから、一度も会っていないので、三年ぶりの再会だった。
「やあ。久しぶり」
僕は、死にたいほどの、屈辱を胸の中に秘めていたので、とても、笑顔など、作れず、小声で、挨拶を返した。
石田君は、僕の、心の中の、憔悴を、見てとった、ように、僕は、感じた。
「ともかく、入りなよ」
石田君に、言われて、僕は、部屋に入った。
石田君の、部屋は、僕には、名前すら知らない、外国文学の本が、ぎっしり、並んでいた。
「石田君。小説は、書いている?」
僕は、聞いた。
「うん。書いているよ」
「会社の仕事は、忙しくないの?」
「はじめの頃は、忙しかったけれど、もう、慣れちゃったよ。社会で、働くようになって、感じさせられることが、たくさんあって、小説の創作意欲は、大学の時とは、比べものにならないほど、高まっているよ。会社が終わった後と、土日は、すべて、創作しているよ」
石田君は、元気溌剌な口調で言った。
「ところで、君は、小説、書いているかい?」
石田君が、聞き返した。
「うん。書いているよ。君の書く、小説と、比べると、幼稚な小説だけれどね」
僕は答えた。
石田君は、お世辞は、言わない性格なので、黙っていた。
石田君も、僕の、言う通りだと、思っているのだ。
「君の気質は、エンターテイメントの小説を書くのに、向いているだけさ」
石田君は、かろうじて、そう言って、僕をなぐさめてくれた。
「ところで、今日から、研修なんだろう。何か、あったのかい?」
石田君が聞いた。
僕は、黙っていた。
「東大医学部の医局の雰囲気は、どうだった?」
黙っている僕に、石田君は、さらに、聞いた。
今日の、悪夢のような、人間が耐えられる限界を、はるかに超えた、屈辱が、僕の脳裡に、一気によみがえった。
「うわーん。うわーん。うわーん」
僕は、畳に、突っ伏して、号泣した。
石田君は、黙っていた。
僕は、10分、ほど、泣き続けた。
10分もすると、ようやく、僕の涙も枯れ果てて、精神的にも、落ち着いてきた。
僕は、顔を上げた。
僕は、ようやく、今日の、出来事を語れる心境になった。
僕は、東大理科三類出の、研修医たちに、さんざん、バカにされたこと、口惜しいが、彼らの、頭脳は、事実、ブリタニカ国際百科事典を、はるかに越していること、彼らに、低能人間、呼ばわりされたこと、など、今日の、出来事の全てを語った。
「そうか。そんなことがあったのか」
石田君は、しばし、目をつぶって、黙って、腕組みして、黙然と、考え込んでいる様子だった。
しばしした後、石田君は、目を開いて、重たい口を開いた。
「山野君。気にする必要は、ないよ。東大理科三類のヤツラってのは、要するに、先天的に、記憶力と、計算力が、ズバ抜けて、優れている、だけに、過ぎないよ。彼らは、情報処理能力が、優れた、人間コンピューターに、過ぎないよ。そんなの、コンピューターで、代替が出来る。彼らに、創造力は、無いんだ。東大理科三類を出たヤツで、小説家になった人間なんて、いないだろう。人間の、頭の良さ、には、色々な、要素が、あるじゃないか。君は、小説を書けるんだから、創造力という能力では、東大理科三類のヤツラより、君の方が上さ。彼らは、秀才であっても、天才ではないんだ」
僕の感情は石田君のいったことに満幅の賛意を表した。
確かに、石田君の、言う通りなのかもしれない。
しかし、僕は、すぐに、一人の、例外を思いついた。
「でも。森鴎外は、東大医学部出で、しかも、優れた、小説家じゃないか?」
僕は言った。
「森鴎外か。・・・確かに、森鴎外は、優れた小説家だね。森鴎外の小説は、確かに、語彙も豊富だし、文章も上手い。しかし、あれは、秀才の小説さ。森鴎外の小説で、内容的に、海外でも認められている傑作の作品は、あるかい?」
石田君が、即座に、言った。
僕には、思いつかなかった。
「・・・思いつかないな」
僕は、言った。
「そうだろう。東大理科三類出のヤツラなんて、単なる、電子辞書に過ぎないんだよ。人間の、価値は、創造力の能力によって、新しい、価値の、産物を作っていく所にあるんだ。小説は、人間の、創造力によって、創り出された、この世に、二つとない、価値の産物なんだよ。君は、小説を書ける能力がある。だから、君は、東大理科三類出のヤツラより、優れているんだよ」
と、石田君は、言った。
僕は、何だか、自分に自信が出てきた。
「そうだね。彼らは、性能の良いコンピューターだけど、僕は、創造力のある、かけがえのない人間なんだね」
僕は、自分に言い聞かすように言った。
「ああ。そうさ。だから、君は、もっと、自分に自信をもつべきだ。東大理科三類出のヤツラを、心の中で、お前らは、単なるコンピューターだ、と、バカにしてやれ」
石田君は、自信に満ちた強気の口調で言った。
「ありがとう。石田君の、励ましの、おかげで、僕は、自分に、自信がもてたよ」
「そうか。それは、よかったな」
「ところで、研修は、東大医学部でなくても、他の大学でも、できるけれど、僕は、どうすればいいと、君は思う?」
「東大医学部で、研修した方が、いいと思うな。強く生きること、困難に挑戦すること、が、君を小説家として、大きくすると思うよ。そう、僕は、確信している」
石田君は、キッパリと、言い切った。
「わかったよ。僕は、創造力をもった人間として、性能の良いだけの、コンピューターと、戦うよ」
「おお。そうだ。その意気だ」
こうして僕は、東大医学部で、研修を受けることに決めた。
その後、僕と、石田君は、近くの焼肉屋に行った。
「山野君の、入局と、今後の活躍を祝って・・・カンパーイ」
と、僕と、石田君は、グラスを、カチンと、触れ合わせた。
石田君は、ビールだったが、僕は、酒が飲めないので、コーラで、乾杯した。
僕たちは、食べ放題の、焼肉を、腹一杯、食べた。

翌日、僕は、胸を張って、堂々と、東大医学部、第一内科の医局に、入った。
東大理科三類出のヤツラが、昨日と同じように、たむろしていた。
「おはようございます」
僕は、元気に、挨拶した。
東大理科三類出のヤツラは、僕を見ると、
「おおっ」
と、一斉に、驚きの声を上げた。
僕が、昨日一日で、やめて、もう来ないと、思っていたのだろう。
「信じられん」
「どういう精神構造なんだ?」
「豚は、バカだから、神経が鈍感なんじゃないか?」
彼らは、口々に、そんなことを、言い合った。
すぐに、眼鏡をかけた、白衣のドクターがやって来た。
医局長の、山田鬼蔵先生だった。
「おい。お前達。担当患者を、割り当てるから、病棟へ行け」
山田鬼蔵先生が、言った。
「はーい」
東大理科三類出の、研修医のヤツラは、みな、ゾロゾロと、医局室を出ていった。
研修医は、一つ年上の、指導医に、ついて、指導医のやることを、そのまま、真似るのである。研修は、徒弟的な面があって、大工の見習いと、似たような所がある。
特に、外科は、手術の技術の伝授なので、徒弟的な面が、強いが、内科でも、同じである。
東大理科三類出の、研修医が、みな、ゾロゾロと、医局室を出ていって、医局室は、僕一人になった。
僕も、最後に、彼らのあとについて、医局室を出ようとした。
その時。
「まて」
医局長の、山田鬼蔵先生が、僕を引き止めた。
「君は、昨日一日で、辞めた、と、昨日、研修医たちから、聞いたんだ。だから、君の、担当患者も、指導医も、決まっていない」
そう、医局長は、言った。
「では、僕は、何をすれば、いいんでしょうか?」
僕は、医局長に聞いた。
「えーと。そうだな・・・君の、担当患者と、指導医が、決まるまで、医局室の、掃除でもしていてくれ」
そう、言って、医局長は、僕に、モップを渡した。
僕は、ムカーと、天地が裂けるような、憤りを感じたが、昨日、石田君と、約束した、「つらくても我慢する」ということを、思い出して、モップを、受けとった。
そして、僕は、誰もいなくなった医局室を、モップで、磨き出した。
医局長といっても、やはり、東大理科三類出は、プライドの塊なんだな、と思いながら。
ぼくは、「ならぬ堪忍するが堪忍」と、自分に、言い聞かせて、一生懸命、医局を掃除した。
午前の診療が終わると、東大理科三類出の、研修医たちは、「あーあ。疲れたな」、と言って、昼休みに、もどってきた。
僕が、医局室を掃除していても、彼らの眼中に僕は、なかった。
まさに、傍若無人である。
「おい。豚野郎。お茶を配るくらいの、気は使え」
医局員の一人が言った。
僕は、ムカーと、頭にきたが、我慢して、皆に、冷たい、お茶を配った。
彼らは、お茶を飲むと、ゾロゾロと、職員食堂に行った。
そして、午後の研修が、終わると、「おい。今日も、飲みに行こうぜ」、と言って、医局室を出ていった。
僕は、彼らが、全員、帰ると、帰り支度をした。
その時。
医局長の、山田鬼蔵が、やって来た。
「山野君。今日は、すまなかったな。明日からは、研修に、参加してくれ」
僕の、憤りは、溶け、喜びに変わった。
「しかし、まだ、君の、受け持ち患者は、決まっていないんだ。すまないが、君の、担当患者を決めるのは、少し、待ってくれないか?」
医局長が言った。
「どのくらいの期間ですか?」
僕は、聞き返した。
「そうだな。二週間。二週間したら、きっと、君の、受け持ち患者を、決めるよ」
医局長が、言った。
「わかりました」
僕は、医局長の言うことを信じることにした。
そして、僕は、アパートに帰った。
その日は、よく眠れた。

翌日も、僕は、早起きして、一番で、東大医学部の、第一内科の医局に行った。
「おはようございます」
東大理科三類出の、研修医たちが、「ふあーあ」、と、欠伸をしながら、ゾロゾロと、やって来ると、僕は、元気に、挨拶した。
しばしして、医局長が、やって来た。
「おい。お前たち。注射の練習だ。はやく、病棟へ来い」
医局長は、あわただしい様子で、言った。
僕は、嬉しくなった。
研修医、がやることは、指導医の元で、患者の治療に、あたる、ことだけではない。
医学部を出たての、研修医は、注射も出来ない。
注射や、ナート(傷口の縫合)、気管挿管、マーゲン(経鼻胃管)、など、は、それなりに、技術が要るので、練習しなくては、出来るようには、ならない、のである。
「おい。山野。お前も来い」
医局長が言った。
僕は、嬉しくなった。
やはり、東大医学部だからといって、特別ではないんだ、と僕は思った。
研修医は、静脈注射は、もちろん、皮下注射も、出来ない。
注射の練習から、研修は、始まるのである。
もちろん、医学生の時にも、四年の時の、生理学の授業と、六年の時の、臨床実習の時に、ほんの2、3回、学生同士で、注射をしたことは、あった。
しかし、その程度では、とても、注射の技術をマスターすることなど、出来ない。
注射は、ルート確保という、点で、医者になろうとする者が、必ず、身につけなくてはならない、基本中の基本の、技術である。
僕は、医局長について、病棟に向かった。
東大理科三類出の研修医たちが、ズラリと並んでいた。
それと、なぜか、看護学生たちも、いた。
東大理科三類出の、研修医たちは、僕を見ると、ニヤリと、笑った。
何だか様子が変である。
「よし。じゃあ、注射の練習をするぞ」
医局長が言った。
すぐに、サッと、看護学生たちが、僕の腕をつかんだ。
「な、何をするんですか?」
僕は、あわてて、叫んだが、彼女らは、答えない。
彼女らは、僕のワイシャツを、無理矢理、脱がした。
そして、僕を、ベッドの上に、乗せると、ベッドの鉄柵に、僕の手首を、縛りつけた。
「な、何をするんですか?」
僕は、また、聞いた。
「だから、注射の練習だ」
医局長は、チラッと、看護学生たちの方を見た。
看護学生たちは、僕の口に、ガムテープを貼った。
僕は、声を出すことが、出来なくなった。
「では、注射の練習をする。採決する部位の、少し上を、ゴムで、緊縛して、皮下静脈に、針を入れるんだ。ある程度、しっかり、入れないと、ちゃんと血管に、入らないからな。堂々と、思い切りよくやれ」
医局長は、そう言った。
注射の練習とは、指導医が、入院患者に行って見せて、手本を見せて、研修医が、入院患者にする、ものだと思っていたので、まさか、僕が、その実験台にされるとは、想像もしていなかった。
東大理科三類出の、研修医たちは、荒々しく、僕の、上腕を緊縛すると、僕の、皮下静脈に、注射器の針を刺し始めた。
5、6人が一度に、寄ってたかって。
僕は、恐怖に、おののいて、「やめろー」と、叫ぼうとしたが、口に、ガムテープを貼られているため、声が出せなかった。
僕は、抵抗しようと、手足を、バタバタ激しく、揺すった。
すると。
「バカヤロー。患者が動いたんじゃ、注射が出来ねえだろ」
そう言って、医局長は、僕の顔を、力の限り、ぶん殴った。
僕は、抵抗することを、あきらめた。
東大理科三類出の、研修医たちは、僕の腕で、注射の練習を始めた。
彼らは、頭は、良いが、勉強ばかりして、生きてきたので、運動したことがない。
なので、運動神経は、ゼロで、手先の器用さも、全く無かった。
そのため、なかなか、注射の針が、血管に入らない。
僕は、あまりの痛さに、「ウガー。ウガー」、と、叫び続けたが、口に、ガムテープを貼られているため、声を出せなかった。
結局、東大理科三類出の、研修医たち、全員が、僕を実験台にして、注射の練習をしたが、誰も、満足に、注射針を血管に入れられなかった。
「しょうがないな。お前ら。よし。今度は、マーゲンの練習だ」
医局長が言った。
マーゲンとは、栄養を、経口摂取できない、患者に、鼻から管を入れて、胃に、栄養を流す、もので、これも、医師が身につけねばならない基本の技術である。
東大理科三類出の、研修医たちは、僕の鼻に、チューブを、入れる練習をし出した。
しかし、運動神経ゼロの、東大理科三類出の、研修医たちは、満足に、入れられない。
そもそも、キシロカインゼリーを、チューブに、着けておくべきなのに、それを忘れている。
鼻に、耐えられない、激痛が、走った。
僕は、あまりの痛さに、「ウガー。ウガー」、と、叫び続けたが、口に、ガムテープを貼られているため、声に出せなかった。
「バカヤロー。キシロカインゼリーが、ついてないじゃねえか。キシロカインゼリーを、つけて下さい、と何で言わねえんだ」
そう言って、医局長は、僕の顔をぶん殴った。
口に、ガムテープを貼られているため、声が出せないのに、なんで、僕が、殴られなくては、ならないんだ、と、僕は、東大医学部の、不条理さに、怒り狂っていた。
そもそも、叱られるべきは、キシロカインゼリーを、つけ忘れた、東大理科三類出の研修医たちで、あるべきはずであるのに。
結局、誰も、マーゲンを、入れられなかった。
「よし。今度は、尿道カテーテルの、練習だ」
と、医局長が言った。
僕の顔は、恐怖で、真っ青になった。
医局長は、看護学生に、サッと、目配せした。
看護学生たちは、僕の履いているズボンを、抜きとり、ブリーフも、抜きとった。
下半身、男の性器が、丸出しになった。
東大理科三類出の、研修医たちと、看護学生たちの、前で、下半身を露出して、男の性器を、丸出しに、されていることに、僕は、耐えられない、羞恥を感じた。
特に、看護学生たちの、好奇に満ち満ちた、視線が、耐えられなかった。
「研修医は、ダメだな。よし。看護学生。ひとつ、手本を見せてみろ」
医局長が言った。
看護学生の一人が、尿道カテーテルに、たっぷりと、キシロカインゼリーを、塗ると、僕の、陰茎を、しっかりと握り、亀頭の先端の穴に、尿道カテーテルを入れ出した。
僕は、恥ずかしさで、顔が、真っ赤になった。
いっそ、死んでしまいたいと思うほど。
なので、僕は、膝を閉じようとした。
すると。
「バカヤロー。尿道カテーテルを、入れる時は、股を大きく開かなきゃ、カテーテルを、入れにくいだろ」
と、医局長が、僕の顔を、思い切り、ぶん殴った。
僕は、仕方なく、股を開いた。
「前立腺を、通過させる時に、ちょっとした、コツがあるんだ。わかるか?」
医局長が、尿道カテーテルを、入れている、看護学生に聞いた。
「大丈夫です。わかっています」
看護学生は、目を輝かせて、欣喜雀躍とした口調で言った。
僕は、尿道カテーテルの先が、前立腺を通過して、膀胱の中に入った、のを感じた。
「わあ。入ったわ」
看護学生は、嬉しそうに言った。
そのあと、僕は、ガムテープを、はがされて、胃ファイバースコープを入れられたり、肛門から、大腸ファイバースコープを、入れられたりと、さんざん、研修医と、看護学生の、検査器具の扱い方の、練習台にさせられた。
5時を知らせる、チャイムが鳴った。
「よーし。今日の研修は、これまでだ」
医局長が、言った。
東大理科三類出の、研修医たちは、ゾロゾロと、医局にもどって行った。
「野郎の裸を見ても、面白くねえもんな」
と、言いながら。
あとには、看護学生たちが、のこされた。
看護学生たちは、目を見開いて、食い入るように、僕の、陰部を見ていた。
「ねえ。私たち。もうちょっと、男の人の体を、調べてみましょう」
看護学生の一人が言った。
「賛成」
「そうね。賛成」
こうして、看護学生、全員が残った。
看護学生たちは、尿道カテーテルを、引き抜いた。
そして、大腸ファイバースコープも、引き抜いた。
しかし、胃ファイバースコープは、そのまま、だった。
口に、胃ファイバースコープを入れられているので、僕は、喋ることが、出来なかった。
直腸診の練習をしましょう、と言って、看護学生たちは、指サックをはめて、僕の尻の穴に、指を入れてきた。
「前立腺マッサージって、こうやってやるのよ」
と、看護学生は、肛門に入れた、指を、動かし出した。
それは、気持ちが良かった。
僕の、死にたいほどの屈辱は消えて、いつしか、激しい、マゾヒズムの陶酔の感情が、起こっていた。
僕は、看護学生たちに、見られ、触られる、ことに、激しい被虐の官能を感じていた。
僕の、陰茎は、激しく怒張し、天狗の鼻のように、そそり立った。
「うわー。すごーい。男の人の勃起って、初めて見たわ」
小川彩佳に似た看護学生が言った。
「エッチな動画で、見たことは、あるけれど、実物を、こんなに間近で見るのは、初めてだわ」
背山真理子に似た看護学生が言った。
「どうして、こんな恥ずかしい姿を、見られて、興奮するのかしら?」
杉浦友紀に似た看護学生が言った。
「それは、山野哲也先生がマゾだからよ」
鈴木奈穂子に似た看護学生が言った。
「じゃあ、たっぷり、気持ちよくしてあげましょう」
生野陽子に似た看護学生が言った。
こうして、彼女らは、僕の、陰茎や、金玉や、尻の穴に、キシロカインゼリーを、塗りはじめた。
優しい手つきで。
それは、まるで、オイルマッサージのような感じだった。
そして、みんなで、寄ってたかって、怒張した、マラをしごき出した。
金玉を、揉んだり、尻の穴に、指を入れたり、しながら。
僕は、だんだん、興奮してきた。
(ああー。出るー)
僕は、心の中で、叫んだ。
しかし、胃ファイバースコープを、口の中に、突っ込まれているので、それは、ヴーヴー、という、唸り声にしか、ならなかった。
ピュッ。ピュッ。
溜まりに溜まっていた、精液が、勢いよく放出された。
それは、放物線を描いて、看護学生たちの、顔にかかった。
「うわー。すごーい。男の人の射精って、初めて見たわ」
看護学生の一人が言った。
こうして僕は、体中を、実習という名目で、隈なく、見られ、触られ、もてあそばれた。

その日。
僕は、よろめきながら、アパートに、帰った。
その晩は、東大理科三類出の、研修医どもに、された、へたくそな、無数の注射、や、マーゲンを、入れられた、気持ち悪さで、痛くて、なかなか、寝つけなかった。
しかし、看護学生に、弄ばれた、被虐の快感のために、それを思い出しているうちに、極度の、疲れも、加わって、眠りについた。

翌日も、僕は、東大医学部の、第一内科の医局に出勤した。
体中、痛かったが、石田君に、どんなに、つらいことがあっても、くじけない、と約束したことを、守り抜こうと、胸に抱きしめて、行った。
「おはようごさいます」
僕は、医局に、たむろしている、東大理科三類出の、研修医たちに、元気よく、挨拶した。
彼らは、僕を見ても、もう、黙ったまま、何も言わなかった。
僕が、どんなに、イビられても、根を上げない、根性を、もっていることを、彼らも、認め始めているようだった。
その日も、僕は、気管挿管や、気管支鏡を飲まされたり、骨髄穿刺されたり、尿道検査、されたり、と、豪気な男でも、泣き叫ぶほどの、検査の実験台にされた。
しかし、僕は、歯を食いしばって、耐えた。
東大理科三類出の、研修医たちは、運動神経ゼロで、手先も、不器用で、しかも検査や治療の手技を、覚えようという、意欲がまるで無かった。
確かに、治療、や、検査の手技は、看護婦の技術の方が上で、医者の役割は、正確な診断と、正確な、治療の指示である。
しかし、医師である以上、検査の手技も身につけていなくては、医師とは、いえない。
しかし彼らは、ひたすら、受け持ち患者の病気の、アメリカでの、最先端の英語の論文を読むだけだった。
彼らは、実際に、患者を診ようとせず、血算や生化、心電図、レントゲン、エコー、脳波、MRI、などを、見るだけだった。
彼らは、頭脳を使うことにだけに、価値があって、検査の手技の、練習は、頭を使わないので、看護婦が、やるものと、見なしているようだった。
しかし、僕は、つらい検査の実験台にされたことによって、つらい検査を受け続ける、患者の、つらさが、わかる研修医になっていた。
そもそも、東大医学部出の医者なんて、自分は、病気をしたこともなく、最先端の、アメリカの、英語の論文を読むだけで、患者の、病気の、つらさ、や、検査の、つらさ、など、まるで、わからない、頭でっかちの医者ばかりなのだ。
それに比べると、僕は、子供の頃から、喘息で、自律神経失調症で、アレルギーで、過敏性腸症候群で、病気の、苦しみを、知っていた。
医学部に進学しようと思ったのも、そのためだった。
その上、研修では、ありとあらゆる、つらい検査を、受けさせられて、検査の、つらさも、実感した。
東大医学部出の医者は、ほとんど全員が、患者を診ずに、病気だけを医学的に診る、人間不在の医者になるが、もしかすると、僕は、患者の苦しみを、わかる人間味のある、医者になれるかもしれないと思った。
僕は、病院の、つらい検査を、ほとんど全部、受けてしまった。
また、たとえば、骨髄穿刺を、受けたことによって、骨髄性白血病の、患者というものを、実感として、理解できるようにも、なった。
骨髄穿刺を受けている時には、医局長が、骨髄性白血病に、ついて、東大理科三類出の研修医に、説明するからだ。
何度も、説明を聞いているうちに、患者の側から、の視点で病気が、わかってきた。
「門前の小僧、習わぬ経を覚える」である。

そんなことで、入局して、待ちに待った、二週間が経った。
二週間したら、僕にも、担当患者を与えてくれる、と、医局長の山田鬼蔵先生が、約束してくれたからだ。
そのために、僕は、検査の練習の実験台にされるのも、耐えたのだ。
「医局長。二週間しました。約束です。僕にも、担当患者を、与えて下さい」
僕は、強気の口調で、医局長の山田鬼蔵先生に言った。
僕は、もう、東大医学部と、ケンカ腰だった。
「わかった。お前にも、患者を、受け持たせてやる。お前の、指導医はオレだ」
と、医局長の、山田鬼蔵が言った。
「よし。じゃあ、病棟へ行くぞ」
医局長が言った。
僕は、医局長と、一緒に、病棟に行った。
医局長は、患者の、カルテを取り出した。
「ほら。これが、お前の、受け持ちの、クランケのカルテだ。よく、読んでみろ」
そう言って、医局長は、僕に、カルテを渡した。
見ると、カルテの、すべてが、ドイツ語で書かれていて、しかも、文字が、ひどく崩れていた。

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無名作家の一生 (小説)(2)

2020-07-16 04:44:57 | 小説
母校の、広島大学では、教養課程の時に、医学部の学生は、ドイツ語は、必修だった。
なので、ドイツ語は、一生懸命、勉強した。
しかし、教養課程では、学ぶ科目が多く、ドイツ語は、文法を覚え、リーダーを一冊、読んで学んだ、だけだった。
しかも、その後、四年間は、完全な医学の勉強だけで、ドイツ語は、ほとんど、忘れている。
なので、とても、ドイツ語だけで、書かれたカルテなど、読めない。
しかも、字が、ひどく崩れている。
「よ、読めません」
僕が、困って、言うと、医局長は、
「バカヤロー。カルテが読めないんじゃ、研修できねえじゃねえか」
そう怒鳴って、医局長は、僕を、思い切り、ぶん殴った。
「東大医学部は、伝統的に、カルテは、全て、ドイツ語で、書く習慣なんだ。お前は、まず、ドイツ語を、マスターしろ。研修は、それからだ」
医局長に、言われて、僕は、医局にもどった。
医局室の中から、話し声が聞こえた。
東大理科三類出の、研修医たちの、会話だった。
僕は、医局の外から、耳をそばだてた。
中から、研修医たちの、会話が聞こえてきた。
「おい。何で、わざわざ、外部から、研修医を募集したか、その理由を知っているか?」
「知らねえな」
「教授の方針だよ。東大医学部は、頭は良いが、注射や、気管挿管などの、基本手技が、下手だという、噂が、ネットで、広まっているんだよ。オレ達、東大理科三類は、筆より重い物は、持ったことがないからな。患者を練習台にする、わけには、出来にくいだろ。増々、基本手技が、下手だという噂が広まってしまう。そこで、外部のヤツを、研修医という、名目で呼んで、そいつで、注射の練習をさせるというのが、目的なんだとよ」
「なるほど。そうだったのか。でも、注射の練習なんか、したくねえな。注射なんて、看護婦の仕事じゃねえか。オレ達の、やべきことは、頭を使った、病気の、診断と治療と、論文を読み、書く、という、知的なことだけじゃねえか」
「なるほど。アイツの役割は、基本手技の練習台か。じゃあ、なんで、アイツに、受け持ち患者を、もたせたんだ?」
「そりゃー。ちょっとは、患者をまかせて、研修医らしく扱ってやらないと、嫌になって、やめられたら困るからな」
「だけど、医局長が、わざと、カルテは、全部、ドイツ語で、しかも、わざと、字を崩して読みにくくしているから、アイツは、患者の診療なんて、できねーよ」
「なるほどな」
あっははは、と、哄笑が沸き起こった。
僕は、怒り心頭に発した。
バーン。
僕は、医局の戸を、思い切り、足で蹴って開けた。
東大理科三類出の、研修医たちの視線が、サッと、僕に集まった。
「話は聞いたぞ。そういうことだったのか」
僕は、鋭い眼光で、研修医たちを、にらみつけた。
一人の、研修医が、立ち上がった。
テレビ番組の、クイズ頭脳王、で、優勝したヤツだ。
「おお。そうよ。おめえなんざ、豚以下なんだよ」
そう、彼は、タバコを燻らせながら、言った。
僕の、怒りを抑える自制心が、ぶち切れた。
「この野郎ー」
ボクッ。
僕は、そいつを、思い切り、ぶん殴った。
そいつは、殴られて、吹っ飛んだ。
「おう。豚野郎の反抗だぞ。やっちまえ」
東大理科三類出の、研修医たちが、みな、立ち上がって、僕を、取り囲んだ。
キエー。アチャー。ウリャー。
僕は、襲いかかってくる、東大理科三類出の、研修医たちを、バッタ、バッタ、と、殴り倒していった。
僕は、空手を身につけていた。
東大理科三類に入るような、ヤツラは、小学校から、ずっと、塾に通っていて、家でも勉強だけの、人生であり、筆より重い物は、持ったことがない、連中なので、うらなりの、もやしの、ガリ勉ばかりで、腕力も、運動神経も、ゼロなので、僕は、全員を、ぶっ倒した。
彼らを、全員、ノックアウトするのに、1分も、かからなかった。
もう、東大医学部にいても、研修させて、もらえないことが、明白になった。
僕は、第一内科の、教授室に行って、辞表を出した。
こうして、僕は、東大医学部の研修医を辞めた。
僕は、晴れ晴れした気持ちで、アパートに、帰った。
翌日の新聞では、東京都知事の、舛添要一、の弁護士の答弁同様、「違法ではないが、一部、不適切な行為」と、三面記事に、載った。○○○○
当たり前である。
僕は、正当防衛である。
「全部、違法で、全部、不適切な行為」は、東大医学部の方である。

さて、東大医学部での研修を、辞めたのは、いいが、これから、どうしようかと、僕は悩んだ。
厚生省の方針では、来年から、二年の研修が、必須になるらしい。
二年の研修が、努力規定である、僕は、最後の年の、医学部卒業生である。
努力規定なのだから、別に、研修指定病院で、二年間、研修医をやる義務は、ない。
医学部を卒業し、そして医師国家試験合格を通ったら、どこの、病院でも、医院でも、医師の仕事をしても、法的には、問題ないのである。
しかし、実際の所は、研修は、努力規定といっても、医学生は、卒業すると、99%、もう、ほとんど、100%、といっても、いいくらい、どこかの医局に属して、研修指定病院で、二年間、研修するのである。
それは、医学生は、国家試験に通っても、注射や気管挿管などの、基本手技が、できないし、国家試験の、ペーパーテストの知識と、実際の医療では、全然、異なるし、臨床医としての、実力を身につける、には、研修医になるしか、ないのである。
特に、外科系の科目は、そうである。
国家試験の、ペーパーテストの知識が、いくら良くても、いきなり、脳手術や、心臓手術など、出来るはずがない。
それは、内科系の科目でも、同じなのである。
父親が、医者で、個人クリニックを開業していれば、父親に、手取り足取り、実際の、医療、医学を、教えてもらうことが出来る。
そして、医学部には、親が医者という生徒が多いのである。
彼らなら、医局に属さず、親父に、患者を診察するところを、見学して、手取り足取り、教えてもらう、ということが出来る。
しかし、実際の所は、医学生は、最先端の医療技術や知識を身につけたいので、MRIや、エコーなど、最先端の、医療器具がそろっていて、最先端の、治療をしている、大学付属病院や、研修指定病院で、研修するのである。
それに、全ての医者は、将来、論文を書いて、博士号を取りたいと、思っているので、これまた、99%、もう、ほとんど、100%、といっても、いいくらい、どこかの医局に属しているのである。
博士号の認定権は、教授にあり、教授が、医局員の書いた、論文を見て、博士号と、認めれば、その論文が、全く無意味な、価値のない、論文であっても、あるいは、他の医師が代筆して書いた論文であっても、教授が認めれば、博士号を貰えて、医学博士さま、と、なるのである。
これは、日本の医学界で、昔から続いている、習慣であって、それは、今でも、変わることなく、続いているのである。
そういう理由でも、医者は、みんな、どこかの大学医学部の医局に所属しているのである。
しかし。
僕の父親は、しがない会社勤めなので、一人では、実際の医療を身につけられない。
僕は、親父が医者の、医学生をうらやんだ。
僕には、最先端の、医療を身につけたい、という思いは、ないからだ。
一介の、町医者の、知識と技術があって、医療ができれば、それでいいのである。
僕は、小説家になるのが夢で、医者は、生活費のため、嫌々やるのであって、最低の、知識、技術さえ、身につければ、それでいいと、思っていたからだ。
それで、色々と、研修できる病院を探してみた。
しかし、東大医学部に、逆らってしまったことが、命取りだった。
日本の医学界は、教授を、頂点、殿様とする、封建制度であり、教授や、医局に、逆らうと、もう、医者として、アウトローとなり、さまよえる一匹狼の医者になってしまうのである。
なので、どこの、大学病院でも、研修指定病院でも、応募しても、採用してくれる所は、なかった。
それで、僕は、もう、研修医になることを、あきらめた。
幸い、パソコン、インターネットの、発達の、おかげて、医者と、病院の、仲介業者、というビジネスが、普及し始めていた。
インターネットが、ない時は、医者の、就職は、もっぱら、医局や、教授の意向で、決められ、どこの、大学医学部も、自分の、テリトリーを、広げるために、大学医学部の関連病院に、就職する、というか、させられる、のである。
医局や、教授の命令には、逆らえない。
教授の、うまみ、の一つは、研修医の人事権であり、二年、大学の医局で、研修した、後は、教授の意向によって、ド田舎の、大学医学部の、関連病院に、行くよう、命令されるのである。逆らうことは、出来ない。
医者の卵を、僻地の関連病院に、売り飛ばし、教授は、その謝礼として、何百万円かの、謝礼を受け取る。
噂によると、医者の来てのない、僻地の病院に、一人、研修医を、売り飛ばすと、400万、教授は、謝礼として、受けとる。
森鴎外も、文学者でもある、ということから、生意気だ、と、教授に、嫉妬され、小倉に左遷された。
北里柴三郎も、師の論文を、否定したため、東大から、追い出された。
北杜生も、慶応の精神科医局から、山梨の精神病院に売り飛ばされた。
それは、昔のことであるが、旧弊的な、医学界では、その、根強い、大学医学部の、封建制は、現在でも、続いているのである。
そういうわけで、僕は、インターネットの、医師斡旋業者に、登録した。
そして、健康診断や、病院当直などのアルバイトをして、食いつないだ。
ある時。
僕は、地元の、神奈川県の藤沢市で、医師募集を見つけた。
それは、精神病院だった。
130床で、ボロボロの、民間病院だった。
院長一人で、やっていたのだが、院長が、糖尿病になり、体力が無くなっなったので、一人では診療が困難になり、誰でもいいから、医者を募集する、ということだった。
できれば僕は、内科を、しっかり、身につけたかった。
その方が、あとあと、就職で、有利だからだ。
しかし、背に腹は変えられない。
それで、僕は、応募してみた。
院長は、岡山大学の医学部出で、僕と同じように、大学を卒業して、岡山大学医学部で、研修した後、地元の、神奈川に、戻ってきた、ということだった。
そのため、東大を頂点とする、関東の、大学医学部との、しがらみ、が、無かった。
僕は、採用された。
週四日、勤務という条件で。
小説を書く時間を、持ちたかったので、週三日は、自分の時間として、欲しかった、からだ。
精神科は、大学三年の、時に、一週間、民間病院で、見学したことがあり、また、六年の時の、二週間の、臨床実習でも、見た目にも、治療手技も、ほとんど、要さず、また、診断も、治療も、楽そうに、見えたからだ。
僕は、東京から、神奈川県の藤沢市のアパートに、引っ越した。
精神科は、統合失調症患者が、ほとんどで、治療と言えば、患者の話を聞き、あとは、精神科の、薬の知識がしっかりあれば、わりと簡単に出来た。
わりと、独学で、学ぶことが出来た。
病院には、医療機器といえば、レントゲンしかなく、入院患者で、起こる内科疾患といえば、向精神薬による副作用の、便秘と、高齢者の肺炎、と、風邪、くらいだった。
精神病院でも、300床を、越す、大きな病院だと、週一回、非常勤の内科医が、来て、内科疾患の患者を診てくれるのだが、ここは、規模が小さいので、非常勤の内科医は、いなかった。
なので、入院患者で、内科的疾患が発病した時には、紹介状を書いて、近くの、医院で、診てもらっていた。
また、いいことに、常勤医は、僕一人だけだったので、医局室を、一人で、使うことが、出来た。
勤め始めて、初めの頃は、精神科の薬の勉強をしていたが、慣れてくると、医局室で、小説を書くようになった。
一ヶ月くらいして、毎週、水曜日に、年配の、先生が来るようになった。

70歳と高齢だった。高橋圭介という名前だった。
彼は、前から、毎週、水曜日だけ、非常勤医、として、この病院に、来ていたとのことだった。
彼は、僕を見ると、
「やあ。山野哲也先生。はじめまして。私は高橋圭介といいます。よろしく。私は、この病院に、週一回、水曜日だけ、来ていたんだが、ちょっと、体調が、悪くなってね。休んでいたんだが、体調が良くなったのでね。また、週一回、水曜日だけ、来ることに、なったんだ。よろしく」
と、気さくに、挨拶した。
「はじめまして。山野哲也といいます。こちらこそ、よろしくお願い致します」
僕も、恭しく挨拶した。
「新しく、常勤で、若い医者が来た、ということは、院長から聞いていたよ」
と、彼は、言った。
「ところで・・・」
と彼は、前置きして、おもむろに、ポケットから、封筒を、取り出した。
「ちょっと、これを、見てくれないかね」
そう言って、彼は、僕に、封筒を渡した。
僕は、すぐに封筒を開けた。
封筒の中には、女性の写真と、略歴が書いてあった。
吉田美奈子という名前で、わりと綺麗な顔立ちだった。
「彼女は、帝都大学医学部の、女医で、僕と、ちょっと、所縁があってね。どうだい。君。彼女は、今、結婚相手を求めているんだ。見合いしてみないか?」
と、聞いてきた。
僕は、返答に困った。
「彼女は、帝都大学医学部の、二年の研修を終えて、今年で、三年目になるんだ。三年目だが、まだ、大学に残っていてね。彼女の父親は、千葉県の市川市で、昔から、内科医院を開業しているんだ。吉田内科医院というんだ。兄も医者なんだが、整形外科医でね。アメリカにいるんだ。医院を継ぐ意志は、ないらしく、このままだと、彼女が、医院を継ぐことに、なるようだが、結婚願望も強くてね。どうだい。遊びだと、思って、一度、会ってみないかい?」
と、高橋圭介先生は言った。
「・・・・」
僕は、返答に困った。
いきなり、そんなことを、言われても、答えようがない。
そもそも、僕の本命は、小説家になることであり、医者として、バリバリ働きたいという、気持ちは、全くない。
医者の仕事は、小説家になるまでの、生活費のためであり、そのためにも僕は、内科の実力を身につけたかった。
内科の実力は、大学附属病院で、二年間、みっちり、勉強すれば、大体、身につくものである。
そのあとは、十年一日の、同じことの、繰り返しである。
しかし、その二年の研修を、しなれけば、いつまで経っても、内科の実力は、身につかない、のである。
それは。ちょうど、車の運転技術の習得と、同じで、車の運転技術を習得するには、三ヶ月くらい、自動車教習所に、通って、車の運転技術を、訓練しなければ、乗れるようには、ならないのと、同じである。
だだっ広い、人のいない、グラウンドで、自由に、車を運転するのなら、三ヶ月も、訓練する必要はない。
一日で、ある程度は、運転できるようになる。
しかし、信号機や、車線変更や、右折、左折の方向指示器の出し方、などを、車がたくさん、走っている、日本のような狭い道で、交通規則に、従って、円滑に、運転できるようになるには、三ヶ月くらいの、自動車教習所での、訓練が、必要なのである。
医学も、それと、同じで、医学の習得は、そんなに難しいものではなく、二年間の研修を、みっちりやれば、内科の実力を、身につけることは、出来る。
しかし、その二年間の研修を、しなければ、いつまで経っても、内科は出来ない。
医者が、一人前になるには、六年間の医学部での、勉強と、二年間の研修の、合計8年間の、期間が必要なのである。
僕は、返答に困った。
「まあ。君も、急に言われて、とまどうのは、無理もないただろう。まあ、その気になったら、私に言ってくれ」
と、言って、高橋先生は、医局を出ていった。
彼は、僕と、彼女を、結びつける、恋の、キューピットの役割を、楽しんでいるような、感じに見えた。
僕は、彼女の顔写真を見た。
自分の顔写真を、誰とも、わからない男に、見られても、いい、ということから、彼女は、わりと、きれいな顔立ちだった。
自分に、自信がなければ、女は、人に、自分の、見合いのための、顔写真を、人に、渡して、まかせる、などという、ことは、しない。
僕は、その日から、悩むようになった。
彼女に、会ってみたいという気持ちと、会ってはならない、という気持ちの、二律背反の葛藤で。
会ってみたい、というのは、彼女は、二年の内科研修を、しているから、もう、一人前の内科医である。僕には、親はもちろん、親戚にも、医者が一人もいない。彼女と、会えば、彼女に、色々と、内科研修のことや、医学のことが、聞ける、だろう。
もしかしたら、帝都大学医学部と、関係を持って、帝都大学医学部で、内科が研修を出来るかもしれない。彼女が入局を、とりもってくれるかもしれない。
と僕は思った。
しかも、帝都大学医学部といえば、日本の私立医学部の中でも、一番、偏差値が低い。
東大医学部のように、劣等感を感じることもない。
しかも、彼女の父親は、個人クリニックの院長である。
医学を身につけるためには、どうしても、二年間の、研修が必要なのである。
僕には、医療、医学、関係の友達が一人もいない。
彼女と、親しくなれば、彼女を、コネにして、医学を学ぶ機会をもてる、かもしれない。
それが、彼女に、会ってみたいという気持ち、である。
しかし。
僕は、それと、正反対の、彼女と、会ってはならない、という、気持ちも、強く持っていた。
それは。僕は、彼女と結婚する気は、全くない。
僕は、平凡な、どこにでもいる、町医者や、病院勤務医、で、おわるつもりは、全くない。
僕の夢は、小説家になることである。
しかし、筆一本で生きるのは、修羅の道であり、医者の仕事は、食べていくための、生活費を得る手段に過ぎない。そのためには、二年間くらいの、研修が、咽喉から手が出るほど、欲しいのである。
医療、医学、を教えてくれる人が欲しいのである。
しかし、彼女は、そう思っていない。
彼女は、真剣に、結婚相手として、男の医者を求めているのである。
そういう、彼女の、純粋な気持につけこんで、彼女を、自分の目的のために、利用する、というのが、僕には、嫌だった。
僕は、誠実な人間であるつもりだ。
人をだましたり、人を利用したりするのが、僕は、大嫌いだ。
そもそも、僕は、哲学者カントの、
「人を自分の目的のためではなく、相手の目的となるよう行為せよ」
というのが、僕の信念だった。
なので、僕は、彼女に、会ってみたいという気持ちと、会ってはならない、という気持ちの、葛藤で悩むようになった。
毎週、水曜日になって、高橋先生が来るたびに、彼は、僕に、
「どうだね。会ってみる気になったかね?」
と、聞いてくる。
僕が、彼女と、見合いするのを、楽しみに、心待ちにしているようだった。
僕は、答えようがなかった。
それと、僕が、彼女と、一度、会ってみたい、見合いを、してみたい、という気持ちには、もう一つ、理由があった。
僕は、人付き合いが、苦手で、友達が、ほとんど、いない。
いつも、精神は、内面の想像の世界に、生きていて、友達と、会話をすることも、無いし、友達と、旅行に行ったり、議論したり、合コンしたり、と、誰もが、やっているような、人間との、付き合いがなかった。
親や、親戚の従兄妹とかも、付き合いを、避けてきた。
僕は、内向的な、性格であり、内向的な性格の人間は、人との、付き合いが、苦手で、人との、付き合いを、避ける傾向が強いのである。
しかし、そういう、通常の人間が、体験していることを、体験しないと、人間関係の、喜びも、苦しみも、その実感を、肌で感じる、ということが、出来ない。
菊池寛が、「小説家たらんとする青年に与う」で、言っているように、小説家を志す人間は、まず、自分が、自分の、実人生を、しっかり、生きることが、小説家になるには、大切なことなのだ。
生きた、人間との、触れ合いが、大切なのである。
たとえば、一人の女性を、熱烈に、真剣に愛したとしよう。
そして、不幸にも、その恋愛は、失敗に、終わったとしよう。
しかし、真剣に、人を愛し、そして、挫折した、という経験が、小説を書く上で、大いなる原動力となるのである。
もちろん、自分の、体験を、そのまま、正直に、書いても、優れた小説に、なるとは、言えない。
むしろ、自分の体験を、正直に書いても、面白い、人を感動させる、傑作とは、ならないことの方が多い。
川端康成の、「伊豆の踊子」などは、極めて、例外的である。
そこは、小説とは、基本的に、フィクション(作り話)であり、作者が、頭を酷使して、面白い、ストーリーを、考えて、創り出す、お話し、というのが、小説の、基本であるからである。
しかし、それには、まず小説家自身が、悩み、喜び、苦しみ、悲しんだ、という、人間との、生きた、触れ合いが、無くては、ならないのである。
そうではなく、自分が、しっかり、生きていないで、何の体験も無く、想像力のみに頼って、ストーリーを、捻り出しても、それは、ひなびた、生命の、躍動感の無い、いかにも、作り事のような、つまらない、子供向けの、漫画のような、ストーリーにしか、ならないのである。
たとえば、野球マンガを書こうと、思ったら、その漫画家は、何も、プロ野球選手になる、経験なとまで、持つ必要は、無いが、子供の時の、遊びの少年野球でも、いいし、あるいは、学生時代の野球部の部活でも、いいから、自分が、野球をやり、投げ、打ち、守り、走り、と、一生懸命、野球をした、体験が、無くては、描けない。
自分が、野球を体験した、経験が無いと、たとえば、ピッチャーを、描こうと思ったら、ピッチャーとは、何が、嬉しくて、何が、つらくて、マウンドの上では、どういう心理状態なのか、ということは、わからない。
だから、野球マンガを、描こうと思ったら、一度は、自分が、野球を体験したことが、なくては、描けないのである。
それは、漫画でも、小説でも、同じである。
小説を書こうと思ったら、まず、自分が、自分の、実人生を、しっかり生きて、一通り、人間が、体験することは、体験しておかなくては、小説は、書けない。のである。
これは、感性という点でも、言えることで。
自分が、ホモ・セクシャルでなれけば、ホモ・セクシャルの小説は、書けないし。
自分が、S(サド)やM(マゾ)、の、感性を持っていなければ、SM小説は、書けないのである。
そういった点でも、僕は、人付き合いを、避けて、一人で、生きてきて、実人生の、経験が、あまりにも、少なかった。
それで、空想力と、想像力だけに、頼って、今まで、小説を書いてきた。
大学一年生の、時から、小説を書き出して、はじめのうちは、空想力と、想像力に、頼って、小説を書くことが出来たが、もう、六年以上も、書いているうちに、だんだん、空想力や、想像力が、枯渇してきて、新しい小説が、書けなくなってきた、時でもあった。
なので、小説を書くためにも、彼女と、一度、会ってみたいと、思っていたのである。
毎週、水曜日に来る、非常勤の、高橋先生も、僕が、いつまでも何も、答えないので、だんだん、不機嫌な様子になってきた。
それで、ある時、僕は、ついに決断して、高橋先生に、彼女と、見合い、を、したいと、申し出た。
高橋先生は、喜んだ。
「じゃあ、私が、彼女に、その旨を伝えておくよ。いつ、どこで、会うかは、私が、彼女と話しておいて、決まったら、君に連絡するよ」
高橋先生は、そう言った。

翌日の木曜日。さっそく、高橋先生から、僕の、携帯電話に、電話が、かかってきた。
「やあ。山野先生。彼女に、話しましたよ。先生は、今週の、日曜日は、空いていますかね?」
「ええ。空いています」
「じゃあ、今週の日曜。12時。新橋の、××ホテルの、6階の、××レストランに、来てくれないかね?」
そう言って、高橋先生は、ホテルの住所と、電話番号を言った。
僕は、それを、メモした。
「ええ。わかりました。行きます」
僕は答えた。
「では、来てくれたまえ。私も、彼女と一緒に、行くから。楽しみにしているよ」
そう言って、高橋先生は、電話を切った。
楽しみにしている、などと、言われて、僕は、ちょっと、どころか、かなり困った。
高橋先生は、僕の、悩みなど、知る由もなく、僕の、心が、彼女に動き、見合いをする気になってみた、と、思っているのである。
高橋先生は、彼女と、一緒に来る、と、言ったが、彼女の方では、一体、誰と、来るのだろう?
彼女一人で、来るのだろうか、それとも、彼女の、母親が、ついてくるのだろうか?
僕は、見合いなどというものは、もちろんのこと、大学時代にも、皆がしている、合コンと、いうものも、一度もしたことがない。
僕は、現実の人間との、付き合いが、わずらわしかった、からである。
内気で、話題も無い。
人と喋るのが、苦手である。
なので、僕は、極力、人との、付き合いを、避けて生きてきた。
当日は、どんな服装で行ったら、いいのか。も、わからなかった。
僕は、いかなる、集団や団体に、属することも、嫌いなので、世間知が、まるで無かった。
そんなことで、見合いが、決まってからは、緊張しっぱなし、だった。

日曜日になった。
前日の、土曜日は、緊張で、ほとんど眠れなかった。
初めて、見合いで、会う女性なのだから、ネクタイをして、スーツ姿で、行くべきだと思ったが、僕は、堅苦しい格好が、嫌いで、特に、ネクタイの窮屈さが、嫌いだったので、普段着で、行った。
相手の女性も、どういう服装で、来るか、わからなかった、からでもある。
電車に乗って、僕は、新橋駅で降りて、××ホテルに、向かった。
僕は、ホテルに入った。
腕時計を見ると、12時、5分前だった。
ホテルの、ロビーには、高橋先生が、座っていた。
それと、見合いの相手である、初めて会う女性も、座っていた。
「やあ。山野先生」
僕と目が合うと、高橋先生は、立ち上がった。
彼女も、立ち上がった。
僕は、急いで、彼らの、座っている、ソファーの所に行った。
「どうも、遅れてしまって、すみません」
12時、5分前なので、遅れてはいないが、彼らの方が、先に来て、待たせてしまった、ことから、僕は、そう言って、頭を下げた。
「いや。私たちも、ちょうど、今、着いたところだよ」
高橋先生は、くつろいだ口調で、そう言った。
彼女は、礼儀正しく、お辞儀した。
「はじめまして。吉田美奈子と申します」
そう言って、彼女は、私に、礼儀正しく、ペコリと、頭を下げた。
「はじめまして。山野哲也と、いいます」
僕も、彼女に、礼儀正しく、ペコリと頭を下げた。
彼女の親は、来ていなく、彼女一人で来たようだった。
僕は、もちろん、親にも、見合いのことは、話していない。
そもそも、結婚しようという、気持ちが、全く無い、見合い、なのだから、当然である。
「では、6階に行こうか」
高橋先生が言った。
私たち三人は、エレベーターに乗って、6階に登り、イタリアンのレストランに入った。
「ご予約の、3名様ですね」
と、ボーイが言った。
私たち三人は、「リザーブド」と、書かれた、窓際のテーブルに着いた。
高橋先生が、仲人役をやって、二人での、見合いなのだなと、僕は、思った。
しかし。高橋先生は、
「さて。それじゃあ、邪魔者は、去るとするか。二人で、ゆっくりと話してくれ」
ははは、と、笑いながら、高橋先生は、立ち上がった。
そして、ボーイに、
「私は、ちょっと、用事が出来たんで、帰ります」
と告げて、レストランを出ていった。
これには、ちょっと、驚いた。
はたして、これは、誰の計画なのだろうかと、僕は、疑問に思った。
高橋先生の計画で、私と、彼女を、二人きりにしようと、考えたのだろうか、それとも、彼女が、「二人きりにさせて下さい」、と高橋先生に、頼んだのか、どちらかは、わからない。
しかし、高橋先生の提案であっても、彼女が、断らなかった、ということは、彼女も、それを、嫌ではない、ということなので、そこら辺を、あまり詮索する気は、起こらなかった。
「はじめまして。吉田美奈子と申します」
二人きりになって、彼女は、あらためて、礼儀正しく、挨拶した。
「こちらこそ、はじめまして。山野哲也と、いいます」
僕も、彼女に、礼儀正しく、ペコリと頭を下げた。
「私との、見合いを、承諾して下さって、有難うごさいます」
彼女は、礼儀正しく言った。
「いえ。僕の方こそ、あなたとの、見合いを、なかなか、決められなくて、申し訳ありませんでした」
僕は、謝った。
高橋先生は、彼女に対して、僕に関する情報は、知っている限り、告げているはずで、高橋先生が、最初に、僕に、彼女の、見合い写真を、渡して、見合いを、勧めたが、僕が、いつまでも、何も言わなかった、ことも、当然、高橋先生は、彼女に、告げて、彼女は、そのことを、知っているはずだ、と僕は、思った。
「いえ。山野さんこそ、色々と、事情が、おありになるでしょうから、迷うのは、当然です。山野さんが、謝ることは、ありませんわ」
と、彼女は言った。
高橋先生は、鈍感なのか、気づいていないのか、わからないが、彼女は、ちゃんと、気づいている。
男が、見合いを、簡単に、引き受けないのは。男だって、付き合っていて、熱い仲の、好きな彼女がいたり、見合いの相手の、顔立ちが、きれい、といっても、男のタイプではなかったり、とか、もっと、自由に独身生活を楽しみたく、結婚は、まだ考えていない、とか、などの、様々な事情があって、躊躇している場合だってあるのだ。
もっとも、それは、女にとっても、同様であるが。
「いえ。やはり、僕の方が悪いです。あなたの、見合い写真を見ておきながら、僕の顔写真は、あなたには、見せない、というのは、ずるいことです。僕は、そのことに、悩んでいました。ましてや、男女の関係では、男の方から、つきあい、や、プロポーズを、申し込むのが、礼儀であって、その反対の行為など、女性に対して失礼です。僕は、もっと早く、あなたとの、見合いを、決断するべきでした」
と、僕は言った。
「誠実で、優しい方なんですね」
彼女は、ニコッと、笑って言った。
「ところで、美奈子さん。まず、最初に、僕は、あなたとの、見合いを、決めた、理由を、あなたに、正直に述べて、まず最初に、謝らなければ、なりません。どうか、僕の失礼な、気持ちを聞いて下さい」
「はい。何でも、思っていることは、言って下さい。山野さんも気を使い過ぎないで下さい。そもそも、見合い、を、高橋先生に言って、見合い、を、もちかけたのは、私の方なんですから」
では、正直に言います、と、僕は、かしこまって、前置きしてから、話し出した。
「実は、僕は、大学一年の時から、小説を書いてきました」
「山野さんは、小説を書かれるんですか。すごいですね。でも、それが、何で、私との見合いを、承諾して下さったことと、か、謝罪をしなければ、ならないこと、とかと、どう関係があるんですか?」
彼女は、疑問に満ちた目で聞き返いた。
「僕は、できれば、将来は、小説家になりたいと思っているんです。ですが、小説家として、認められ、職業作家になるまでには、並大抵のことでは、なれません。それで、僕は、まず、医学を、ちゃんと身につけて、生活費は、医師の仕事で、得て、それで、コツコツと、小説を書いて、作家になりたいと思っているんです。しかし、僕には、家族に、医療関係の仕事をしている人がいません。しかし、実際の医療を、身につけるためには、大学医学部の、医局に所属し、医療を身につけた、ベテランの先生に、手取り足取り、教えてもらうしか、方法がありません。そこで、僕は、医療関係の知人、コネが、咽喉から手が出るほど、どうしても、欲しかったのです。美奈子さんは、大学医学部の、医局に属している、二年の研修も、終えている、一人前の医師です。そこで、何とか、医療関係の知人、コネを、持ちたい、という理由で、美奈子さんとの、見合いを、承諾したのです。本気で、結婚を、考えての、見合いでは、ないのです。ですから、見合い本来の、動機ではない、不純な、動機から、僕は、見合いを、承諾してしまったのです。ですから、そのことを、まず最初に、あなたに、告白して、あなたに、謝罪するのは、当然だと思います。ごめんなさい」
そう言って、僕は、深く頭を下げた。
「あっ。山野さん。頭を上げて下さい」
彼女が焦って言った。
しばしして、顔を上げると、彼女は、ニコッと笑って、僕を見ていた。
「そうだったのですか。私は、別に構いません。山野さんは、真面目すぎます。普通の人は、その程度の、ことは、内心で、思っていても、黙っていますよ」
彼女は言った。
「そうでしょうか?」
僕は、疑問に思いながら、彼女を見た。
彼女が、僕を、思いやってくれているのか、それとも、本当に世間の人間は、そうなのか、それは、わからないが、ともかく、他人と話すのは、自分を知る機会でもあった。
「わかりました。では、大学に頼んで、山野さんが、帝都大学医学部の医局に入れるように、教授に、頼んでみます。それと、医学、医療のことで、わからないことは、何でも、私に、聞いて下さい。私の知っている限りの、知識で、答えることが出来ることは、何でも、言います」
「本当ですか。有難うございます」
僕は、この上ないほど、嬉しかった。
歓喜が、胸の中から、湧き上がってきた。
それと同時に、僕は、気持ちが、リラックスしてきた。
話しにくいことを、話してしまい、彼女が、それを、怒るどころか、最高に親切な、対応をしてくれた彼女の寛容さが、無上に、嬉しかった。
彼女も、僕の、本心を知れて、リラックスしたようだった。
高橋先生は、僕に、彼女との見合い写真を渡した時点から、僕が、なかなか、見合いを、O.K.しないことなど、全ての事を話しているはずである。
人間は、理由がわからないと、とかく、悪い疑心暗鬼が、次々と起こってくるものである。
なぜ、僕が、彼女との見合いを、承諾しないのか、その理由を、彼女は、色々と、想像して、悩んでいたはずである。
それが、解けたので、彼女は、ほっとして、リラックス出来たのだろう。
それからは、色々と、くだけた話をした。
「山野さんは、恋人は、いますか?」
彼女が聞いた。
「いえ。いません」
僕が、答えると、彼女は、ニコッと、笑った。
なにはともあれ、僕に彼女がいないことに、彼女が喜ぶのは、彼女にとって、自然な感情であろう。
「大学の時、合コンとか、しませんでしたか?」
彼女が聞いた。
「いえ。しませんでした。僕は、内気で、話題がないですし。人との、付き合いは、疲れてしまいますので」
僕は、人付き合いは、苦手といったが、二人きりでなら、人と、話すのは、それほど、嫌ではないのである。何人もいる、集団の中で、話すのが、苦手なのである。
それは、集団の中だと、明るい、積極的な性格のヤツが、その場の話の、主導権を握ってしまい、内気で無口な僕は、何も話せなくなってしまうからだ。
だから、合コンには、参加できなかったのである。
しかし、二人きりなら、相手は、僕に話しかけるしかない。
だから、僕は、二人きりなら、女性とでも、話しても、疲れないのである。
「では、美奈子さんは、学生時代、合コンとか、したことは、ないんですか?」
僕も、彼女に聞き返した。
「2回ほど、あります。しかし、男の人って、結局は、アレが目的なんですね。2回とも、ホテルに行きませんかと、誘われました。それで、男の人に、失望してしまって、2回で、やめてしまいました」
「そうだったんですか」
「山野さんの趣味は、小説を書くことなんですよね」
「ええ」
「小説を書くこと以外で、何か、好きなことは、ありますか?」
彼女が聞いた。
「そうですね。高校の時は、色々と、スポーツも、やってみました。テニスとか、水泳とか、スキーとか」
「色々なことに、積極的に、取り組む性格なんですね」
「いえ。僕は、将来、何をしたいのか、わからなかったので、高校の時、色々なことを、やってみただけです。大学に入って、小説を書くようになってからは、スポーツは、ほとんど、やっていません」
「そうですか。山野さんは、自分の将来を、真剣に、考えて、悩まれて、生きてきたんですね、私なんて、親が医師でしたから、将来は、医師になることに、何の疑問も、もたずに、生きてきました。山野さんのように、深く考えて、生きてきた方を見ると、自分が幼稚なように、思われて、恥ずかしいです」
彼女に、誉められて、僕は、照れくさかった。
「ところで、美奈子さんの、趣味は何ですか?」
「趣味といえるほどの、ものは、ありません。海外旅行。映画。音楽鑑賞などです」
「海外旅行では、どこに、行きましたか?」
「ヨーロッパと、アメリカ、ロサンゼルスと、シンガポールと、カナダと、イタリアと、ギリシャと、インドと、イスタンブールに、行きました」
「すごく、たくさん、行っているんですね」
「山野さんは、海外に行ったことは、ありますか?」
「ありません」
「でも、海外旅行とか、映画や、音楽鑑賞などは、受け身なだけで、山野さんのように、積極的に、何事にも、興味を持って、身につけようと、努力する、ことでは、ありません」
ボーイが、料理を持ってきたので、僕と、彼女は、料理を食べた。
食べながらも、彼女とは、色々なことを話した。
「山野さん。今日、よかったら、東京ドームアトラクションに、行きませんか?」
料理を食べ終わると、彼女は、そんな提案をした。
「ええ。いいですよ」
僕は、抵抗なく答えた。

予想外のことであったが、彼女が、真面目で、おとなしく、また、彼女が、教授に話して、帝都大学医学部の医局に、入れるよう頼んでくれる、とまで、言ってくれたので、そのお礼の気持ちで、嬉しくて、彼女の提案は、断ることが、出来なかった。
それに、彼女は、騒々しくなく、おとなしい性格なので、付き合っても、疲れないように僕は、感じた。
僕は、彼女、というものを、もったことがないので、デートしたり、ドライブしたり、と、世間の、俗っぽい、享楽を楽しんでいる、男女を、うらやましく感じたことが、よくあった。
男一人では、遊園地にも、レジャープールにも、入れない。
もちろん、男が一人で、遊園地に入って、遊んでも、何ら、問題は無いが、その、わびしさ、を、想像してみたまえ。
自分は、小説家になるんだ、という高い志を持っているんだ、自分は、世間の俗っぽい人間とは、違うんだ、と、自分に言い聞かせてみても、やはり、手をつないで、無邪気に、笑い合っている男女を見ると、うらやましかった。
僕と彼女は、レストランを出た。
そして、中央線に乗って、水道橋駅で降りた。
そして、東京ドームアトラクションに入った。
それほど、混んではいなかった。
僕は、東京ドームアトラクション、および、その前身である、後楽園遊園地に入ったことは、なかった。
ほんの、小学生の頃、親と一緒に、一度、入ったきりで、それ以降は、一度も、入ったことが、なかった。
ずいぶん、様子が変わったな、と思った。
彼女は、入り口で、「大人二人、アトラクション乗り放題の、ワンデーパスポートを、お願いします」、と言って、チケットを買って、
「はい」
と、笑顔で、ワンデーパスポートを一枚、僕に、渡してくれた。
「ありがとう」
彼女の、好意を、野暮ったく、断るのは、無粋なので、僕は、素直に、お礼の言葉だけを言って、入場券を受けとった。
それに、大人一人の入場券は、たかが、3900円である。
「あれに、乗ってみませんか?」
そう言って、彼女は、スカイフラワーを指差した。
「ええ」
僕と彼女は、スカイフラワーに乗った。
地上60mからは、東京の、様子が、遠くまで、見渡せた。
なかなか、爽快な気分だった。
登山にせよ、東京スカイツリーにせよ、高い所からの、眺望は、爽快なものである。
「こ、怖いわ。山野さん」
彼女は、そう言って、個室の中で、僕に、寄り添うように、ピッタリと、くっついてきて、僕の手をギュッと握り締めた。
「どうしたんですか?」
僕は、疑問に思って、彼女に、聞いた。
「あ、あの。私。高所恐怖症なんです」
彼女は、そう言って、個室の中で、僕に、ピッタリと、体を、くっつけてきた。
怖いのなら、乗らなければ、いいのに、矛盾している、と僕は思った。
「でも、山野さんと、一緒に死ねるのなら、幸せです」
彼女は、そんなことを、言った。
次は、彼女の提案で、サンダードルフィンに乗った。
時速130km/hの、ジェット・コースターである。
これも、彼女は、
「こ、怖いわ」
と言って、僕に、抱きついてきた。
女に、抱きつかれたら、男は、女を、振り払うことは、出来ない。
握ってきた女の手を、しっかりと、握り返すしかない。
なので、僕は、彼女の手を、しっかり、握り返した。
次には、彼女の提案で、パラシュートゾーンにある、お化け屋敷に入った。
ここでも、彼女は、
「こ、怖いわ。山野さん」
と言って、何度も、僕に、抱きついてきた。
怖いなら、入らなければいいのに、矛盾している、と、思ったが、僕は黙っていた。
女には、怖いもの見たさの好奇心があるからだ。
ともかく、女に、抱きつかれたら、男は、女を、振り払うことは、出来ない。
握ってきた女の手を、しっかりと、握り返すしかない。
なので、僕は、彼女の手を、ガッシリと、握り返した。
そのあとは、ウォーターシンフォニーを見た。
水と音と光が織りなすページェントが、綺麗だった。
これは、心が和んだ。
時計を見ると、もう、夕方の7時だった。
「山野さん。今日は、楽しかったです。色々と有難うございました。教授には、私から、話して、山野さんが、医局に、入局して、研修できるように、必ずします」
彼女は、そう約束してくれた。
「有難うごさいます。僕も、楽しかったです」
と、僕は、答えた。
そう言って、僕は、彼女と、別れた。

その晩は、ぐっすり眠れた。
見合いの相手が、どういう人か、わからなくて、また、どういう、見合いになるか、わからず、会うまでは、非常に緊張していたが、相手の女性は、おとなしく、寛容であり、話していても、疲れなく、また、楽しくもあった。
彼女の、誠実な性格から、まず、帝都大学医学部の、第一内科の、教授に、頼んで、僕が、医局で、勉強できるよう、とりはからってくれる、だろう。
まだ、決まったわけではないが、彼女の、誠実な態度からして、そうなりそうな予感が、かなりして、僕は、嬉しかった。

月曜日になった。
僕は、いつものように、精神病院に、出勤した。
精神科も、もちろん、立派な、医学の一つの科目であるが、患者の話を聞くことと、向精神薬を覚えることだけで、暇なのは、いいけれど、内科の実力は、つかない。
内科疾患を、もった患者は、紹介状を書いて、近くの内科病院に行ってもらって、診てもらうだけだし、病院にある、医療機器といえば、レントゲンだけで、しかも、レントゲンを、ちゃんと、読影できるようになるには、やはり独学では無理で、やはり、研修を終えて、医学を、ちゃんと、身につけた、内科の先生に、教えてもらうしか、身につける方法が、ないのである。
そもそも、医学の基本は、何と言っても、内科である。
精神科を、やりたいと思って、最初から、精神科を選ぶ、医者も、いないわけではないが、精神科は、楽だから、という理由で、精神科を、選ぶ医者が、多いのである。
内科が、出来る医者は、独学で、ちょっと、勉強すれば、精神科も出来るようになる。
しかし、その逆は、言えないのである。
精神科医が、独学で、ちょっと、勉強したからといって、内科が出来るようには、なれないのである。
なので、精神科を、最初から、希望している医者でも、最初の一年は、内科を研修して、内科の基本的なことは、身につけてから、精神科医になる、という、医師が多いのである。
そもそも、医師免許を持っていれば、何科をやっても、いいのであり、転科ということも、出来る。
しかし、実際には、転科ということは、ほとんど行われていなく、たとえば、耳鼻科を選んだ医師は、一生、耳鼻科医をやるのである。
転科という点から、言うと。
外科や救急科を長年していた医師が、体力が、落ちて、仕方なく、精神科に転科する、ということは、結構、よくあることなのである。
しかし、その逆は、全く無い。
精神科をしていた医師が、内科医とか、産婦人科医とかに、転科する、ということは、皆無といっていいほど、無いのである。
精神科を長くやっているうちに、だんだん、医学生の時に、勉強して、頭で、理解して覚えた、医学知識も、忘れてくるので、内科医に、なろうと思ったら、また、まず、医学の教科書で、内科を勉強し直さなければ、ならない。
そして、さらに、ベテランの内科医の指導の元で、研修しなくては、ならないのである。
それは、実に、労力が要り、また二度手間でもある。
だから、いったん、精神科を選んでしまったら、一生、精神科しか、出来ないのである。
だから、医学部を卒業したら、一年くらい、みっちりと、内科を研修して、内科を身につけてしまうべきなのである。

その日の午後、さっそく、彼女から、携帯電話で、連絡が来た。
「もしもし。山野さん、ですか?」
「はい」
「私です。吉田美奈子です。昨日は、有難うございました。楽しかったです」
「いえ。僕の方こそ、有難うございました」
「今日、教授に頼んでみました。山野さんが、医局で、内科研修ができるように」
「そうですか。それは、有難うございます。それで、教授は、何と言いましたか?」
「快く、認めてくれました」
「そうですか。それは、有難い。助かります。美奈子さん。どうも、有難うございました」
「ところで。山野さん。今週の金曜日は、空いていますか?」
「ええ。空いています」
「では。今週の、金曜日、5時に、附属病院に来ていただけないでしょうか。どのような形で、研修を、するのか、山野さんの、希望を聞きたいと、言いましたので」
「わかりました。では、行きます。どうも、色々と、僕のために、骨を折ってくれて、有難うございました」
「いえ。そんなに、気になさらないで下さい」
そんな会話をして、携帯を切った。
僕は、嬉しくなった。
帝都大学医学部の、医局で、内科研修が出来るからだ。
僕は、金曜日が、待ち遠しくなった。

その週の、水曜日に、非常勤の、高橋先生が来た。
「どうだったかね。彼女との見合いは?」
高橋先生が、聞いた。
「ええ。色々と、話しました」
僕は、答えた。
「彼女は、誠実な子だからね。約束したことは、必ず、守るよ」
高橋先生が、言った。
高橋先生は、彼女と同じ医局の、歳の離れた、先輩医師という、立ち場、なので、彼女のことは、色々と知っているのだろう。
彼女が、日曜日、の、見合いのことを、高橋先生に、話したのか、話したとしたら、どこまで、具体的に、話したのかは、わからない。
しかし、「約束したことは、必ず、守るよ」、と言うからには、僕が、帝都大学医学部の、医局で、研修することは、告げているのだろう。

待ちに待った金曜日になった。
僕は、ネクタイを締め、スーツを着て、帝都大学医学部附属病院に行った。
白衣を着た、医師たちが、病院内を、行きかっていた。
アカデミズムの雰囲気が漂っていた。
医局室に、入る時は、さすがに緊張した。
トントン。
僕は、医局室をノックした。
しかし、返事が無い。
「誰か、いますか?」
僕は、大きな声で言った。
だが、返事は無い。
僕は、そっと、ドアノブを回して、少し、戸を開いた。
そして、医局室の中をそっと見た。
誰もいなかった。
「失礼します」
誰もいないが、僕は、そう言って、医局室に入り、端の方にある椅子に、背筋を伸ばして座った。
医局室の、隣りが、教授室で、医局室と、教授室は、中で、戸を隔てて、つながっている。
少しすると、賑やかな話し声と、ともに、医局室に、医師たちが、入って来た。
僕を見ると、彼らは、嬉しそうに、
「こんにちはー」
とか、
「はじめましてー」
とか、笑顔で言って、席に、着き出した。
僕も、彼らに、
「こんにちは。はじめまして」
と、言って、お辞儀して、挨拶した。
吉田美奈子さんも、入って来た。
「こんにちは。山野さん」
と、ニコッと、笑顔で。
「こんにちは」
と、僕も、挨拶した。
日曜日の、見合いの時の、スーツ姿と、違って、白衣姿の、彼女は、いかにも、大学附属病院で、日々、患者の診療に従事している、堂々たる女医に見えた。
実際、そうなのだが。
しばしして、年配の、大柄な、威風堂々とした、医師が入って来た。
第一内科の教授である。
僕は、ネットで、帝都大学医学部の、第一内科を検索して、調べておいたので、教授の顔は、知っていた。
僕は、直ぐに、立ち上がった。そして、
「はじめまして。山野哲也と申します」
と、深く頭を下げて、教授に、挨拶した。
「やあ。山野先生。あなたのことは、吉田先生から、聞きました」
と、教授は、言った。
大学附属病院では、教授も、ベテラン医も、卒業したての研修医も、お互い、相手を、「先生」と、呼びあう。
もちろん、卒後何年も経っている、ベテラン医の方が、先輩で、研修医は、まだ、実際の医療の、診断も、治療も出来ない、後輩であるが、「先生」以外の、呼び方が無いのである。
それに、卒業したての研修医は、全ての科を、細かいことまで、医師国家試験の勉強のために、全ての科の細かい知識を知っていて、知識だけは、ベテラン医より、あって、ベテラン医の、知らないことを、研修医が知っている、ということも、あるのである。
教授は、皆の方を見た。
「みんな。紹介しよう。今日から、第一内科に、籍を置くことになった、山野哲也先生だ」
と、僕を紹介した。
「山野哲也です。よろしくお願い致します」
と、僕は、あらためて、皆にお辞儀した。
皆も、立ち上がって、
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
と、礼儀正しく、挨拶した。
ざっと見て、医局員は、20人くらいいた。その内、半分くらいの、10人くらいが、女医だった。
しかし、医局に籍を置いていて、関連病院に、出向いている医師も、多くいて、医局員、全員の数は、かなりいるのである。
「はっはは。女性の先生方。山野先生は、吉田美奈子先生の、フィアンセ(婚約者)なんだ。だから、くどこうとしても、無駄だからね」
と、教授は、笑って言った。
僕は、吃驚した。
あわてて、「違います」、と、言おうかとも、思ったが、ムキになって、主張して、その場の雰囲気を、壊すのも、出来にくかったので、僕は、顔を真っ赤にして、黙っていた。
「じゃあ、これから、山野先生の、入局祝いに行こう」
そう教授が言った。
教授は、おおらかで、親切そうな人だった。
みなは、わーい、と、喜びながら、医局を出ていった。
僕は、美奈子先生に、近づいて、小さな声で、質問した。
「美奈子さん。どうして、僕が、あなたの、フィアンセ(婚約者)ということになっているんですか?」
僕は、美奈子さんに、聞いた。
「山野さん。ごめんなさい。私も、今、知って、びっくりしているんです。この前の日曜日に、私と、山野さんが、後楽園アトラクションズで、一緒にいるのを、病院で働いている誰かに、見られてしまったらしいんです。それで、医局員の誰かが、憶測で、間違ったふうに、言いふらしてしまったらしいんです。病院の中の、医師の噂は、すぐに、病院中に、広まってしまいますから。病院の全科の医師、看護婦、看護師、や、臨床検査技師、放射線技師、臨床心理士、事務員、など、全ての人に、私と山野先生とは、そういう仲では、決して、ないことを、一人一人、納得するまで、丁寧に説得します。そして、そんな、噂を広めた人は、見つけたら、山野さんに対する、名誉棄損として、民事訴訟を起こします」
と、彼女は言った。
「い、いえ。そこまでしなくても・・・」
と、僕は言った。
誤解は、解いて欲しいが、彼女が、病院中の、全ての人に、誤解を解いてまわる、姿を想像すると、彼女が、可哀想に思えてきて、それ以上、彼女に、言うことが出来なくなってしまった。
僕と、彼女を、含めた、第一内科の、医局員は、5台の車に、分乗して、料理店に行った。
とかく、医局では、何かの理由をつけて、宴会をしたがるものなのである。
そこは、和食の店だった。
僕は、宴会の類が苦手だった。
しかし、帝都大学医学部は、東大医学部の医局と違って、温かさがあった。
「では。山野哲也先生の入局を祝って・・・・カンパーイ」
と、教授が音頭をとって、乾杯した。
皆、酒が、入ると、陽気になって、めいめい、ガヤガヤと、お喋りが始まった。
店には、カラオケが、あって、みな、歌いたくて、歌いたくて、仕方がないといった、様子で、一人が、歌い終わると、皆がマイクを、奪うようにして、別の一人が、歌った。
「先生も、歌って下さい」
と、医局員に、言われて、僕は、マイクを手渡された。
歌わないと、盛り上がった、その場を、しらけさせそうなので、僕は、仕方なく、サザンオールスターズの、「いとしのエリー」、を、歌った。
「うまーい」
パチパチと、拍手が起こった。
「先生。歌、上手いんですね」
と、医局員たちは、お世辞か、本心かは、わからないが、やたら、誉めた。
宴会、というか、お喋り、は、長く続いた。
ようやく、宴会が、終わりになった時は、もう、外は、真っ暗だった。
終電も、ギリギリか、無いか、の時刻である。
酒を、飲んでない、数少ない人が、運転して、みなを、送った。
吉田美奈子先生と、僕は、途中まで、同じ方向なので、一緒の車に乗った。
「美奈子さん。教授に、頼んで、入局の便宜をはかってくれて、有難うございました」
とりあえず、僕は、お礼を言った。
「いえ。約束したことですから、当然です。それより、山野先生が私のフィアンセ(婚約者)などと、いう噂を広めた人は、必ず、見つけ出して、山野さんに対する、名誉棄損として、民事訴訟を起こしますので、安心して下さい」
「い、いえ。そんな、ことまで、しなくてもいいです」
僕は焦って言った。
そうこうしている内に、彼女のアパートに着いた。
「山野さん。おやすみなさい」
と、丁寧に、お辞儀して、彼女は、車から降りた。
「おやすみなさい」
と、僕も挨拶した。
そして、運転していた、医局員は、僕を、僕のアパートまで、送ってくれた。
「ありがとうございました」
と、お礼を言って、僕は車を降りた。

アパートに着くと、僕は、ベッドに、ゴロンと、身を投げ出した。
やっと、ほっと、リラックス出来た。
色々なことが、あり過ぎた。
人間には、そもそも、集団帰属本能があって、人と、宴会で、笑い合うことで、疲れが、とれるのであるが。
しかし、僕のような、内向的な人間は、そもそも、集団帰属本能が、無く、集団の中にいると、逆に、疲れるだけで、一人きりになった時に、やっと、ほっと出来るのである。

翌日の、土曜日は、寝て過ごした。
僕は、今、勤めている精神病院を続けながら、金曜日だけ、研修するより、いっそのこと、月曜日から、金曜日まで、全部、帝都大学医学部で、研修したいな、と思いだすようになった。
しかし、精神病院で働き出して、まだ、二ヶ月も、経っていない。
病院の医師の募集に、応募しておきながら、二ヶ月もしないで、辞める、と言い出すのも、出来にくかった。
義理と人情を計りにかけると義理が傾くこの世の世界である。
僕は、布団の中で、そんなことを考えていた。
トルルルルッ。
その時、携帯電話の着信音が鳴った。
美奈子さんからだった。
「先生。おはようございます」
彼女が言った。
彼女は、僕の低血圧症を、知っているのか、昼過ぎなのに、そう挨拶した。
もしかすると、ベテランの医者は、多くの患者を診ているから、僕の、痩せ体質から、僕が、低血圧ぎみであると、視診だけで、ある程度、推測できるのかもしれない。
「あっ。美奈子先生。おはようございます」
僕も挨拶した。
「先生。もし、よろしかったら、月曜日から、金曜日まで、帝都大学医学部で、研修しませんか?」
彼女が聞いてきた。
僕にとっては、嬉しい誘いだった。
「ええ。でも、今、勤めている病院は、まだ、二ヶ月も、していませんし・・・。自分から、応募しておいて、すぐに、辞めるわけにも、いきにくいので・・・」
しかし、僕にとっては、嬉しい誘いだった。
「そのことで、お電話、差し上げたんです。きっと、山野さんも、迷っているだろうと思って。私。山野さんと、見合いをした翌日から、帝都大学医学部の精神科の、先生で、山野先生の、勤めている病院に、就職してくれる先生が、いたら、教えて下さい、と、精神科の教授に、頼んでおいたんです。それで、ついさっき、精神科の教授から、私に、電話があって、山野先生の勤めている病院に、常勤医として、勤務しても、いい、と、言ってくれた、精神科の先生が、見つかった、とのことです。どうでしょうか?」
彼女は、そう言った。
「そうですか。それは、願ってもないことです。とても助かります。僕もそのことで、悩んでいたんです」
僕は、ほっと、助かった思いがした。
「では、来週の月曜から、帝都大学医学部の、第一内科で、研修なさって下さい。入れ替わるように、大学の、精神科の先生が、山野先生の勤めている病院に、就職しますので」
と、彼女は言った。
「どうも、色々と、気を使って下さって、本当に有難うございます」
と、言って、僕は、電話を切った。
僕は、彼女の手回しの早さにも感謝した。
科は、違っても、同じ大学内での、教授と、医師という、関係だからこそ、出来ることである。
医学生の時に、臨床の二年間で、教授の講義を聞き、教授に質問し、臨床実習を受け、中間試験、卒業試験と、直接、話をしたりしているから、気安く、教授にも、頼むことが出来るのである。
昼食の時には、まさに、学生食堂で、同じ釜の飯を食った仲である。
部外者では、こんなことは、出来ない。
特に、女子医学生は、お喋りが、好きなので、教授とも、友達感覚で、話すのである。
教授も、生徒の、クラブ活動の、顧問をしていることが、多い。
特に、女子医学生は、顔が広くて、色々と、コネがあるのである。
そういう点、医学部は、中学校や高校的な面があるのである。
ともかく、僕は、ほっとした。
彼女には、色々と、借り、が出来てしまったな、と、僕は思った。

月曜日になった。
僕は、勤めていた精神病院を辞めた。
帝都大学医学部から、すぐに、ベテランの精神科の医師が、常勤医で来てくれることを、院長に言ったら、院長は、僕が辞めることを、快諾してくれた。
僕は、電車で帝都大学医学部に向かった。
今日から、本格的な、研修医となると、思うと、身が引き締まる思いだった。
僕の指導医は、当然のことのように、吉田美奈子先生だった。
「よろしくお願い致します」
と、僕は、あらためて挨拶した。
美奈子先生は、
「わからないことは、何でも、私に聞いて下さい。ただ、すべてのことに、答えられるか、どうかは、わかりませんが」
と、言った。
だが、吉田先生は、何でも、知っていた。
そして、何でも、教えてくれた。
まず、静脈注射の仕方から、丁寧に教えてくれた。
静脈注射は、糖尿病や高血圧の患者や、太って、皮下静脈が見えない、患者は、針を、血管に入れにくいのだが、彼女は、血管を外す、ことが、まず、なかった。
注射は、もちろん、医師より、ナースの方が、上手い。
だが、彼女は、ナースよりも、注射が、上手かった。
血管に、針を入れる、微妙なコツを、彼女は、丁寧に、教えてくれた。
僕も、何事にも、熱心なので、一生懸命、練習した。
そもそも、注射が上手い医師は、真面目で、思い遣りのある、医師の証明でもある。
針が、なかなか、血管に入らず、何ヵ所も、ブスブス、刺されれば、患者だって、痛くて、つらい。
彼女は、注射をしっかり、出来るように、ナースの仕事である採血の仕事を、ナースに代わって、率先して、やって、練習したのだと言った。
なるほど、彼女が、注射が、上手いのも、無理はないな、と、僕は、思った。
彼女は、患者の一人一人に、ついて、カルテ記載の仕方、胸部、腹部レントゲンの読影、エコー、MRI画像の読影、血算、生化、心電図の読み方、脳波の読み方、など、全てのことを、丁寧に、教えてくれた。
そして、触診、聴診、打診、の仕方から、丁寧に、教えてくれた。
それに、彼女の、カルテの字が、きれいで、読みやすかったのも、非常に助かった。
医者のカルテ記載の字は、ほとんどの医者で、崩れていて、読みにくいのである。
特に、男の医者のカルテ記載の文字は、汚いのが多いのである。
しかし、女医のカルテ記載の文字は、きれいで、読みやすいのが、多いのである。
指導医が、親切な先生か、どうかは、研修医にとって、大きなことである。
指導医が、不親切だと、研修医は、自分で、本を買って、勉強しなければならない。
しかも、医学書は、バカ高い上、本の知識からでは、実際の、医療の、知識や技術は、身につきにくい。
その点、指導医が、親切だと、バカ高い、医学書を買う必要もなく、指導医の、一言で、パッと、わかってしまう、ことが、多いのである。
わかったり、出来るようになったりすると、嬉しいものである。

こうして、僕は、毎日、彼女の指導の元で、研修に励んだ。
毎日が、充実していて、日に日に、自分の、医学・医療の、知識・技術が、身についていった。
僕も、早く、一人前の医者になりたくて、一生懸命、研修に励んだ。
入院患者の、診療が、出来るようになると、外来患者の診察もするようになった。
自動車教習所の、教官と生徒、と同じで、はじめは、吉田美奈子先生が、診察するのを、横で見学していたが、だんだん、要領が、わかってきて、吉田先生に、ついてもらいながら、僕が、診察するようになった。
彼女は、問診のコツ、も丁寧に教えてくれた。
そのおかげで、だんだん、僕も、彼女に頼らず、一人で、外来患者を診察できるようになっていった。

そんな、ある日のことである。
石田君から、電話があった。
「やあ。久しぶり」
石田君は、元気のいい声で言った。
「やあ。久しぶり」
僕も、返事した。
「ところで、君は、今、どうしてる?」
石田君が聞いた。
「今、帝都大学医学部で、研修しているんだ」
僕は答えた。
「東大医学部での、研修は、どうなったの?」
石田君が聞いた。
「あそこは、あまりにも、エリート意識が強くてね。二週間で、辞めてしまったよ。それで、研修は、あきらめて、民間の、精神病院に就職したんだ。しかし、ある事情があって、運よく、帝都大学医学部で、研修することが、出来るようになったんだ」
僕は答えた。
「そうかい。それは、よかったね」
「うん。毎日が、充実しているよ」
と、僕は言った。
「ところで、君は、小説は、書いているかい?」
石田君が聞いた。
僕は、一言で、はっと、忘れていた、初心を、思い出した。
医学の研修が、充実していたので、小説は、書いていなかった。
しかし、僕の、初心は、小説家になることで、僕の書く、作品では、筆一本では、とても、生活していけないので、臨床医学を、一年か二年、みっちり、やって、医師として、一人前になって、それで、医師の仕事は、アルバイトでして、糊口を凌ぎ、創作に、専念するつもり、だった。
僕は、それを、すっかり、忘れていた。
「ところで、石田君は、小説を書いているかい?」
今度は、僕が、石田君に、聞き返した。
「うん。書いているよ。仕事にも、もう、慣れたし。仕事が終わったら、毎日、書いているし、土日は、ほとんど、創作だけの生活さ」
石田君が言った。
僕は、石田君の、創作にかける情熱に関心した。
彼は、本当に、書きたいモノをもっているから、書き続けられるのだ、と思った。
同時に、僕は、石田君に、嫉妬した。
僕も、石田君と、同じように、石田君に対しても、そして、自分自身に対しても、何が何でも、小説家になることを、誓った。
「ところで、僕が、書いて、投稿して、入選した小説が、今日、芥川賞候補に、なっている、という知らせが入ってね。驚いているんだ」○○○○○○
石田君は、言った。
「そうなの。それは、凄いじゃない」
僕は、石田君を祝福した。
が、内心では、激しく嫉妬していた。
石田君は、文学の、良き友達であると同時に、熾烈なライバルでも、あった。
僕には、石田君の書く小説の面白さ、が、わからなかった。
だが、僕は、わからないものは、否定しない主義である。
作家には、それぞれ、自分の抜けられない、気質がある。
推理小説を書くのが好きで、推理小説は、いくらでも、思いつけて、書けるが、恋愛小説は、全く興味が無い、作家など、いくらでもいる。

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無名作家の一生 (小説)(3)

2020-07-16 04:32:20 | 小説
作家は、それぞれ、自分の、好きな、ジャンルの小説しか、書けないのである。
無理に、自分の、好きでもない、ジャンルの小説を、書いても、書けないことは、ないかもしれないが、嫌々、書いても、情熱が入らないから、面白い、良い作品とはならない。
そういう点、僕は、純文学は、書けないが、エンターテインメントの小説なら、書ける自信はあった。
さしずめ、石田君が、「芥川賞」なら、僕は、「直木賞」を、目指す、というところか。
文学は、個性の世界だから、ある作品と、ある作品の、どっちが、相対的に、優れている、ということは、言えない。
スポーツで言えば、優れた野球選手と、優れたテニス選手と、どっちが、優れているか、などということは、比較できない。のと同じである。
創作とは、つまるところ、自己表現である。
ある作家志望者が、本物であるか、どうかは、その人が、小説を書き続けたい、という情熱を持っているか、どうかに、かかっているのだ。
それを、考えると、僕は、自分を恥じた。
医療を身につけるのは、生活の資のためであり、自分の本命は、小説の創作である、と思っていた、初心を、すっかり、忘れていた自分に、恥じた。
もし、天分の作家なら、たとえ、医療の研修が、面白くても、心の中では、絶えず、創作したい、という、欲求を持ち続けているはずだ。
そちらの方に、心が引き寄せられて行くはずだ。
石田君の、芥川賞候補、の知らせを聞いて、がぜん、僕に、創作欲求が、起こり出した。
「よし。小説を書こう」
僕は、初心を思い出して、あらためて、自分に誓った。
幸い、美奈子先生の丁寧な指導と、僕の熱心な、努力によって、もう、ほとんど、内科医として、やっていける、自信が、僕には、ついていた。
医学の、習得は、やり出したら、きりがない。
上限が無いのである。内科が出来たら、外科にも、興味が出てくるし、さらには、救急科にも、そして、産婦人科にも、皮膚科にも、小児科もに、耳鼻科にも、興味が起こってしまう。
他の人は、そうでは、ないのかもしれないが、少なくとも、僕は、そういう性格だった。
何事にも、はまってしまう、のである。
医学も、パチンコや、麻雀や、競馬などの、中毒性のある、蟻地獄と似ている面がある。
パチンコや、麻雀や、競馬などは、何の価値も無い、人生を無駄に過ごす、単なる、遊びであり、全く無意味なものであり、医学は、学問であり、確かに、価値のあるものでは、あるが、中毒という点では、同じである。
僕は、医学の魅力に、ズルズルと、引きずられないように、しようと、決意した。
僕は、美奈子先生に、申し出て、そろそろ、帝都大学医学部での、研修を、終わりにしようと思った。

翌日。
僕は、決死の覚悟をもって、帝都大学医学部に行った。
「おはよう。山野先生」
医局で、彼女が、ニコッと、笑って、挨拶した。
「おはようございます。美奈子先生」
僕は、礼儀正しく挨拶した。
「先生。今まで、手取り足取り、丁寧に、医学を教えてくれて有難うございました」
僕は、彼女に恭しく言った。
「どうしたんですか。山野先生。あらたまって」
彼女は、笑顔で聞き返した。
「はい。僕は、そろそろ、この大学医学部での、研修を終わりにしたい、と思っているんです」
「ええっ。それは、また、どうしてですか?」
彼女の、驚きは、予想通りだった。
彼女は、目をパチクリさせて、僕を見て聞いた。
「最初に、お見合いした時に、言いましたよね。僕は、できれば、将来は、小説家になりたいと思っているんです。ですが、小説家として、認められ、職業作家になるまでには、並大抵のことでは、なれません。それで、僕は、まず、医学を、ちゃんと身につけて、生活費は、医師の仕事で、得て、それで、コツコツと、小説を書いて、作家になりたいと思っているんです。それで、僕も、美奈子先生の指導の、おかげで、一応、内科を身につけることが出来ました。それが理由です。先生には、感謝しても、しきれない思いです」
彼女は、しばし黙っていたが、ニコッと、笑って、顔を上げた。
「ええ。わかりました」
と、彼女は、言った。
「すみません」
と、僕が言うと。彼女は、
「山野先生。一つ、お願いがあるんです。聞いていただけないかしら」
と、言って切り出した。
「はい。何でしょうか?」
「私。一度、結婚というものをしてみたいんです。結婚って、女の憧れなんです。お願いです。山野さん。私と、結婚をして、もらえないでしょうか?」
彼女は、訴えるように言った。
「で、でも・・・」
僕は、返答に窮した。
「形だけで、いいんです。一ヶ月、したら、離婚するということで構いません」
彼女の、押しは強かった。
「で、でも・・・」
僕は、また、返答に窮した。
「山野先生には、突飛なことだと思います。でも、女には、大きなことなんです。特に、女医は、結婚できませんから。一度、結婚した、という、事実があると、これからは、ずっと、わたし、バツイチなんです、と、人に自慢することが、出来ます。それは、すごく、大きいことなんです。これから、結婚できるかどうか、わからない、私にとって。お願いです。一ヶ月したら、離婚する、という条件で。その約束は、ちゃんと守ります。結婚式を、形だけ、挙げてもらえないでしょうか。真っ白な、ウェディング・ドレス。ウェディング・ブーケ。誓いの言葉。交換し合うエンゲージ・リング。二人で入れる、ウェディング・ケーキのケーキ・カット。ああ。何て、素晴らしいんでしょう。私。子供の頃。コバルト文庫の、ティーンズハートの、恋愛小説ばかり、読みふけっていて、きっと、その悪影響だと思うんですが。ともかく、私の、憧れの夢になってしまったんです。お願いです。ダメでしょうか。決して、無理強いは、しません。山野さんが、嫌なら、ハッキリ言って下さい。私の、ワガママなんですから・・・」
彼女に、そう言われると、僕は断れなかった。
「わかりました。僕でよければ・・・。美奈子先生には、たいへん、お世話になりましたし。・・・ただ、たいへん、失礼ですし、申し訳ないですが、一ヶ月で離婚する、という約束は、守って頂けるでしょうか?」
僕は、念を押すように聞いた。
「わー。嬉しい。それは絶対、命にかけて、守ります。有難うございます。山野さん」
と、彼女は、飛び上がって喜んだ。
僕も、男にとっても、結婚は、非常に大きな経験で、それを体験しておくのは、これからの、創作においても、有利になるだろうと、考えた。
「ところで、結婚式は、どこでするんですか?」
僕は聞いた。
「それは、もちろん、町の、小さな教会です。二人きりで。どうでしょうか。山野先生?」
「ええ。そうして、もらえると、僕も助かります」
もちろん、遊びの結婚なので、誰にも知られない結婚式の方が、僕には助かった。
結婚式は、一週間後の日曜日、と、決まった。
こうして、僕は、彼女と一緒に、市役所に行って、婚姻届け、を、出した。
どうせ、結婚式の真似事、ママゴトのような、遊び、だと、思って、僕は、軽い気持ちでいた

結婚式の日曜日になった。
僕は、彼女が、レンタル・ウェディング・ショップで、借りてきた、白いタキシードを着て、待っていた。
しはしして、彼女は、タクシーで、やって来た。
彼女は、プリンセスラインの、真っ白の、ウェディングドレスを着ていた。
肩紐の無い、ビスチェ型で、肩・胸・背が大胆に露出していた。
僕は、思わず、うっ、と息を呑んだ。
彼女は、元々、綺麗だが、セクシーな、プリンセスラインの、ウェディングドレス姿の彼女に、僕は、思わず、股間が熱くなった。
「さあ。山野さん。乗って」
彼女に、言われて、僕は、タクシーに乗り込んだ。
タクシーの運転手は、嬉しそうな顔である。
僕が、乗り込むと、運転手は、車を出した。
何だか、町の教会と、行く方向が違う、ことに、僕は、途中から気づき出した。
「あ、あの。美奈子先生。これは、町の教会とは、方向が違いますが、どこへ行くんですか?」
僕は聞いた。
「あ、あの。ちょっとした事情から、結婚式は、別の所で、挙げることになってしまいまして・・・。よろしいでしょうか?」
彼女は、訥々と話した。
僕は、よく、事情が、わからなかったが、まあ、どうせ、真似事の結婚式なのだから、と、あまり気にしなかった。
タクシーは、品川の、聖マリアンナ教会に入っていった。
僕は、びっくりした。
背広姿やスーツ姿の、帝都大学医学部の第一内科の医局員達、が、わらわらと、やって来た。
「美奈子。きれいだよ」
「美奈子先生。おめでとう」
医局員たちは、口々に、祝福の言葉を、述べた。
僕は、頭が混乱した。
背広を着た、第一内科の、教授の姿まであった。
僕は、何が何やら、訳が分からないまま、タクシーを降りて、彼女と、聖マリアンナ教会の、控え室に、入った。
「あ、あの。美奈子先生。これは、一体、どういうことでしょうか?」
僕は聞いた。
「あ、あの。今朝、タクシーに乗って、山野さんのアパートに向かっていた時に、私のスマートフォンに、ヤフーメールが、届いたんです。アドレスは、知らない人なんです。これを見て下さい」
そう言って、彼女は、スマートフォンを、僕に渡した。
僕は、すぐに、スマートフォンを受けとり、彼女に来た、ヤフーメールを見た。
それには、こう書いてあった。
「美奈子先生。ご結婚、おめでとうございます。つきましては、挙式は、聖マリアンナ教会で、行う、予約をとってあります。帝都大学医学、第一内科の、医局員達、教授、および、美奈子先生の、ご両親、親戚なども、出席します。なので、どうか、そこへ行って下さい」
僕は、びっくりした。
「あ、あの。山野先生。ごめんなさい。このメールを送ったのは、医局員の誰かだと思います。私と先生の、今日の、結婚の真似事のことを、知ってしまったんでしょう。それで、医局員みんなに、話してしまったのでしょう。一体、どういう理由で、こんなことをしたのかは、わかりません。おそらく、悪いイタズラ心から、だと思います。しかし、ともかく、私は、急いで、何人かの医局員に電話して聞いてみたんです。そしたら、みんな、それを知っていて、聖マリアンナ教会に向かっている、と言ったんです。私も、大袈裟なことになってしまって、困っているんです。山野さん。どうましょう?」
彼女が聞いた。
「・・・・」
僕は、答えられなかった。
これは、極めて悪質なイタズラだと、僕も思った。
(アクドい、悪戯をする人もいるものだな)
僕は、心の中で、呟いた。
しかし、もう、ここまで、来てしまっては、今さら、キャンセルするわけにも、いかない。
「もう、今さら、結婚式をとりやめるわけにも、いきません。教授も来ていますし。ここで、結婚式を挙げましょう」
と、僕は、言った。
「ごめんなさい。そして、有難うございます。こんな、悪質な、悪戯をして、山野さんに、迷惑をかけた、犯人は、必ず、見つけ出して、山野さんに謝らせます」
と、彼女は、言った。
ホールでは、重厚なオルガンの音が鳴っている。
「それでは、新郎新婦の入場です」
司会者の声が聞こえた。
僕は、彼女と、手をとりあって、ホールに入っていった。
パチパチパチと、拍手が鳴り響いた。
僕と、美奈子さんは、手をとりあって、会場に入っていった。
僕は、吃驚した。
白い髭を生やした、白髪の、ローマ法王のような、牧師が、厳かに、立っていた。
僕と、美奈子さんは、牧師の前で、立ち止まった。
オルガンの音が止まった。
結婚の誓いの宣言の始まりである。
僕と美奈子さんは、牧師の方を向いた。
牧師は、まず、美奈子さんの方を見た。
「吉田美奈子。汝、この男を夫とし、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
美奈子さんが、頬を赤くして言った。
次に、牧師は、僕の方へ視線を向けた。
「山野哲也。汝、この女を妻として娶り、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
僕は、嫌々、仕方なく言った。
ここまできて、今さら、ノーコメントと、言ったり、「誓いません」などと、言えるはずがない。
僕と彼女は、エンゲージリングを交換し合った。
「では。誓いのキスを・・・」
牧師が言った。
美奈子さんは、両手を、僕の背中に廻して、僕を抱きしめ、僕の唇に、自分の唇を重ねてきた。そして目を閉じた。
美奈子さんは、僕の唇の中に、舌を伸ばしてきた。
そして、僕の舌に、絡め合わせた。
美奈子さんは、貪るように、僕の唾液を吸った。
500ccくらい、吸ったのではなかろうか。
普通、誓いのキスは、唇を、そっと触れ合わせるだけの、ソフトタッチのキスで、時間も、せいぜい、5秒ていどなのに、僕は、彼女の、ディープキスに驚いた。
「わー」
「きゃー」
と、皆が叫んだ。
誓いのキスは、10分くらい、続いた。
そして、ようやく、誓いのキスが終わると、彼女は、顔を離した。
「ごめんなさい。山野さん。つい嬉しくて・・・」
と、彼女は小声で言った。
「では、これにて、新郎、山野哲也と、新婦、吉田美奈子、の結婚の式は終わりとします」
と、牧師が閉式の辞を述べた。
僕と、美奈子さんは、腕を組んで、白いバージンロードを、おもむろに、歩いて、出ていった。
僕と美奈子さんは、教会を出た。
前には、タクシーが停めてあった。
運転手は、タクシーのドアを開けた。
「あ、あの。山野さん。お乗りになって」
戸惑っている僕に、彼女は言った。
言われて、僕は、タクシーの後部座席に、乗り込んだ。
彼女も、僕の隣りに乗った。
タクシーは、動き出した。
これで、ようやく、アパートに帰れるんだな、と、思って、僕は、ほっとした。
「あ、あの。山野さん」
「はい。何でしょうか?」
「あ、あの。つい、さっき、教会に着いた時、私のスマートフォンに、ヤフーメールが、届いたんです。アドレスは、さっきの人と、同じです。これを見て下さい」
そう言って、彼女は、スマートフォンを、僕に渡した。
僕は、すぐに、スマートフォンを受けとり、ヤフーメールを見た。
それには、こう書いてあった。
「美奈子先生。ご結婚、おめでとうございます。とても素敵でした。つきましては、この後、高輪プリンスホテルに行って下さい。会場を予約してあります。披露宴です。皆も、挙式が終わった後は、高輪プリンスホテルに向かいます。キャンセルするとなると、かなりのキャンセル料が、とられてしまいます。皆も楽しみにしています。どうか、高輪プリンスホテルに行って下さい」
「あ、あの。先生。どうしましょう?」
彼女が困惑した顔で聞いた。
げげっ、と、僕は驚いた。
しかし、もう、ホテルの会場を借り切って、いるし、皆も、高輪プリンスホテルに向かっているのである。
今さら、とりやめるわけには、いかない。
「わ、わかりました。披露宴も、しましょう」
僕は、ため息をついて言った。
「有難うございます。先生には、たいへん、ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありません。私も、本意ではありませんが、こうなっては、もう、皆の用意してくれた、披露宴に出るしか道はないと思っていたんです」
と、彼女は、言った。
「でも、一体、大学病院の、誰が、こんなことを提案したのかしら?こんな悪質なイタズラをした人は、必ず、つきとめて、必ず、見つけ出し、山野さんに対する、名誉棄損として、民事訴訟します。一体、誰が・・・?。耳鼻科の、順子かしら。それとも、眼科の、久仁子かしら。ああ。でも、仲のいい友達を疑うのって、本当に、心が痛むわ」
と、彼女は、ため息をついて、独り言をいった。
こうして、僕と美奈子さんを、乗せたタクシーは、高輪プリンスホテルに着いた。
彼女は、裾がだだっ広くて、歩きにくそうな、純白の、プリンセスラインの、ウェディングドレスから、裾が、ちょうど、床に触れる程度の、Aラインの、純白のドレスに、着替えた。
しかし、ビスチェ型で、肩・胸・背は大胆に露出していた。
僕は、教会での、タキシードのままだった。
披露宴が始まった。
「では、新郎、新婦の、ご入場です。皆さま。拍手でお出迎え下さい」
司会者が言った。
僕と、美奈子さんは、手をとりあって、披露宴の会場に入った。
「わー」
「美奈子先生。ステキ」
会場にいる、人達が、拍手して、僕と彼女の、二人を出迎えた。
目の前には、大きな、バベルの塔のような、ゆうに2mを越しているほどの、ウェディング・ケーキがあった。
テーブルは、20席くらいあり、一つの、テーブルには、5~6人が座っていた。
「では。これより、新郎、山野哲也さんと、新婦、吉田美奈子さんの、披露宴を行います。では、まず、この結婚の仲人である、帝都大学医学部第一内科の、菊池泰弘教授に、祝いの言葉をお願いしたいと思います。菊池泰弘先生。よろしくお願い致します」
司会者は、そう言って、教授の方を見た。
教授は、嬉しそうな、えびす顔で立ち上がった。
僕は、びっくりした。
「な、何で、教授が、仲人なんですか?」
僕は、小さな声で、隣りの、美奈子さんに、聞いた。
「私にも、わかりません。今、知って、吃驚しています。一体、誰が、こんな提案をしたのかしら。教授も教授だわ。こんな役を、引き受けるなんて・・・」
と、美奈子さんは、言った。
僕と彼女の、驚きを余所に、教授は、コホンと、咳払いして、話し始めた。
「えー。この度は、我が、帝都大学医学部、第一内科の、吉田美奈子先生と、山野哲也先生が、結ばれることになり、たいへん、嬉しく思っています。吉田美奈子先生は、学生時代から、そして、卒業して、第一内科に入局してからも、医局員の中でも、一番、真面目で、明るく、私の、そして、帝都大学医学部の、誇りであります。山野哲也先生も、帝都大学医学部の第一内科に入局してからは、寝る間も惜しんで、一意専心、医学の研修に励んできました。医学にかける情熱は、吉田美奈子先生に、勝るとも劣りません。まさに、これ以上、相性の合う、男女は、この世に、いないと、私は、思っております。二人は、これからも、末永く、お互い、切磋琢磨して、いずれは、帝都大学医学部、第一内科を、引っ張っていって欲しいと、思っています。では。これを、もちまして、私の、祝辞の言葉と、させていただきます」
と、教授は、述べた。
パチパチパチ、と、会場に、拍手が起こった。
「それでは、新郎と新婦による、ウェディング・ケーキへの入刀をお願い致します」
司会者は、そう言って、僕たちに、ナイフを渡した。
僕と美奈子さんは、二人で、ナイフを持って、巨大な、ウェディング・ケーキに、ナイフを入れた。
パチパチパチ、と、会場に、盛大な、拍手が起こった。
「では。新婦の、吉田美奈子さんの、友人代表として、吉田美奈子さんの、お友達である、伊藤佳子さん。お祝いの言葉を、お願い致します」
司会者が言った。
言われて、第一内科の、一人の女医が立ち上がった。
「美奈子さん。山野哲也先生。ご結婚、おめでとうございます。思えば、長いようで、短い、六年間の大学生活でした。美奈子さんは、中間試験も期末試験も、難しい病理学の勉強も、何でも、丁寧に教えてくれました。私にとっては、難しい医学の、単位を取ることが出来たのも、そして、卒業できて、医師になれたのも、全て、美奈子さん。あなたのおかげです。美奈子さんには、一生、感謝しても、しきれません。もし、私と同期の生徒に、美奈子さんが、いなかったら、おそらく私は、難しい医学を理解できず、何年も留年して、結局、単位が取れなくて、大学を中退していただろうと、思っています。何の誇張も無く、美奈子さんは、私の命の恩人です。これからも、ご指導、ご鞭撻、よろしくお願い致します。それと。山野哲也先生。どうか、美奈子さんを、幸せにしてあげて下さい」
彼女は、涙をボロボロ流しながら言って、着席した。
「では。乾杯の音頭を、帝都大学医学部の、第一内科の、菊池泰弘教授にお願いしたいと思います」
司会者が言った。
教授が、立ち上がった。
ワイングラスを、持って。
「では、山野哲也先生と、美奈子さんの、末永い幸せを、祝って・・・カンパーイ」
そう言うや、会場にいる、皆は、手に持った、ワイングラスを、カチン、カチンと、触れ合わせた。
無数の、ワイングラスが、触れ合う、乾いた音が、会場に響いた。
「では。皆さま。教会での、結婚式から、何も食べずに、お腹が、減っていることと、思います。どうぞ、お食事を召し上がって下さい」
そう司会者が言った。
各テーブルに、豪華な、フランス料理のフルコースが、次々と、運ばれてきた。
「うわー。美味しそうー」
「お腹、ペコペコだよ」
「それでは、頂きます」
そう言って、賓客たちは、料理を食べ始めた。
美奈子さんは、司会者に、目配せされて、そっと、席を立ちあがった。
「あっ。美奈子さん。どこへ行くんですか?」
僕は、彼女に聞いた。
「あ。あの。お色直し、です」
彼女は、顔を赤らめて、恥ずかしそうに言った。
美奈子さんが、いなくなった、中座の時間に、大きなスクリーンに、映像が、映し出された。
美奈子さんの、生まれた時の写真、から、小学生の時の運動会、高校の時の入学式や、卒業式、医学部での、卒業式、などの、写真が、次々と、スクリーンに、映し出された。
皆は、食事をしながら、スクリーンを見て、
「へー。美奈子の子供の時の写真、はじめて見たよ」
とか、
「子供の時にも、今の、面影が感じられるな」
とか、
「海水浴に行った時の、ビキニ姿が無いのが、残念だな」
とか、様々なことを、語り合っていた。
10分ほどして、美奈子さんが、戻ってきた。
ピンク色の、ドレスを着て。
これも、ビスチェ型で、肩・胸・背は大胆に露出していた。
「きれいだよ。美奈子。優秀な女医とだけ、いつも見えていたけれど、やっぱり女なんだな」
男の同僚が言った。
「ステキだわ。美奈子さん」
女の同僚が言った。
色直しをして、ピンクのドレスを着た、彼女が、僕の隣りに座った。
やがて、皆、フルコースのフランス料理も、食べ終わった。
披露宴も、終わりに近づいた。
「では。美奈子さん。お父様と、お母様に、何か、お言葉を、お願い致します」
司会者が言った。
美奈子さんは、立ち上がった。
「お父さん。お母さん。今まで、私を育てて下さって、有難うございます。私は、子供の頃から、毎日、真剣に、患者の診療に取り組む、お父さんの姿を見て、自分も、医師になろうと思いました。今日、このような、嬉しい日を迎えることが出来て、何と言っていいのか、お礼の言葉が見つかりません。本当に、今まで、有難うございました」
と、美奈子さんは言って、深く頭を下げた。
彼女の、目には、涙が光っていた。
「ばか。美奈子。つまらんことを言うな。親が子供を育てるのは、当たり前のことだ」
彼女の父親が、即座に言った。
父親も、涙を流していた。
「では。これにて、新郎、山野哲也さんと、新婦、山野美奈子さんの、披露宴を、終わりと致します」
司会者が言った。
僕と、彼女は、式場の出口に並んで立った。
招待客が、一列に並んで、式場を出て行った。
「きれいだよ。美奈子。嬉しいよ。わしゃ」
彼女の、祖父母が、言った。
「山野さん。ふつつかな、娘じゃが、どうか、よろしゅう、お願いします」
と、禿げ頭の、彼女の父親が、僕に言った。
「美奈子。おめでとう」
「幸せになってね」
と、彼女の手を握って。
美奈子は、一人一人に、
「有難う」
と、握手した。
こうして、招待客の全員が、式場を出た。

やっと、披露宴が終わって、僕は、ほっとした。
不本意な、成り行き上ではあるが、披露宴なので、披露宴らしく、振舞うのは、仕方がないと、僕は、じっと、我慢していたが、内心では、困りはてていた、というか、ここまで悪質なイタズラをした、誰かに、いいかげん、頭にきていた。
「ごめんなさい。山野さん。さぞ、不快でしたでしょう。イタズラをした人は、私の、両親や、親戚にまで、告げていたんですね。私も、焦りました。しかし、こうなっては、もう、乗りかかった船で、仕方がない、と思い、披露宴は、披露宴らしく振舞おうと、思ったんです。こんな、イタズラをした人は、必ず、見つけ出し、民事訴訟で訴えます」
僕の心を推し量ってか、彼女は、そう言った。
「いえ。そこまで、しなくてもいいですが・・・。美奈子さんは、困らないのですか?だって、一ヶ月したら、離婚する、真似事の結婚式ですよ。離婚した後、皆との、関係が、気まずくなってしまうんじゃありませんか?」
僕は聞いた。
「私は、構いません。大丈夫です。山野さんは、男だから、わからないかもしれませんが。女って、結構、我慢強いんですよ。女は、月に一度の、つらい生理に、耐えて、生きていますから。それが、女の生きる宿命なんです。それに、出産の時にも、女は、苦しんで、子供を産まなくてはなりません。そのことも、いつも、女の、潜在意識に、根を張っているんです。ですから、一ヶ月後に、離婚しても、皆との、関係が、気まずくなることは、ありませんし、かりに、気まずくなっても、女は、我慢強いから、それくらいのことは、耐えられます。それに、山野先生は、私との結婚を望んでいませんが、私は、出来ることなら、山野先生と本当に結婚したいと、望んでいますので、真似事でも、こうして、山野先生と、結婚式を挙げることが、できたことは、私の、一生の、素晴らしい思い出となります。イタズラされたのは、私も、不快でしたが、今日は、本当に、楽しかったです。今日は、悪質な、イタズラをされた不快感と、でも、結果として、真似事でも、山野先生と結婚できた喜びと、そして、一体、誰が、こんな悪質な、イタズラをしたのかという、犯人の顔が、次から次へと、頭をよぎり続けた、猜疑心の、三つの思いが、頭の中でグルグルと、回り続けた、本当に、複雑な思いでした」
彼女は、言った。
「そうですか」
僕は、わかったような、わからないような、あやふやな返事をした。
「でも、山野先生にとっては、本当に、迷惑ですよね。どうして、こういうイタズラをしたら、山野先生が困る、ということを、慮ることが出来ないのかしら?一体、誰が、皆に、言いふらしたのかしら。順子かしら。久仁子かしら。それとも青木君かしら。青木君は、学生時代から、度の過ぎた、イタズラをしていましたから・・・。ああ。でも、人を疑うのって、本当に、心が痛みますわ」
そう彼女は、嘆息した。
その時、彼女のスマートフォンが、ピピピッと、鳴った。
彼女は、スマートフォンを取り出した。
「あっ。また、イタズラをした人のヤフーメールだわ」
彼女は、そう言って、メールを読んだ。
彼女は、黙って、一心にメールを読んでいた。
「ああ。そういう理由から、だったのね」
しばし、してから、彼女は、深く、ため息をついた。
「どうしたんですか。美奈子さん。今度は、どんな要求ですか?」
僕は聞いた。
彼女は、答えず、
「先生。見て下さい」
と言って、スマートフォンを、僕に渡した。
僕は、すぐに、スマートフォンを受けとり、彼女に来た、ヤフーメールを見た。
それには、こう書かれてあった。
「美奈子。ごめんなさい。あなたが、山野先生と、結婚の真似事をして、一ヶ月間だけ、夫婦になる、という噂を、聞いて知ったのは私です。それを、山野先生と、美奈子は、本当に結婚する、から、立派な、教会と、ホテルで、やって、皆で祝福してやろうと、第一内科の、医局員の数人に、メールを出したのは、私です。町の小さな教会で、二人だけで、結婚式を挙げる、のではなく、皆で、立派な所で、祝福してやろう、と、皆に、メールを送ったのは、私です。本当なら、ちゃんと、名乗り出て、言うべきですが、匿名のメールで、伝えることしか出来ない、私の憶病さを、許して下さい。私の本心を言います。私は、決して、ふざけ半分の、イタズラが動機で、こんなことをしたのでは、ありません。私は、美奈子が、山野先生と、本気で結婚したがっている、ことを、知っていました。私は、美奈子先生に幸せになって、欲しいので、もしかしたら、これが、きっかけで、山野先生の心が、美奈子に動いて、二人が本当に、結婚することに、なってくれは、しないかと、望みを託して、皆に、メールで、送ったのです。皆には、山野先生と、美奈子は、本当に結婚する、と、ウソを告げました。また、山野先生の心が、美奈子に動かなくて、一ヶ月で、別れることになっても、こうすれば、きっと、美奈子も、喜ぶと、思ったからです。美奈子。一ヶ月でも、結婚は結婚です。一ヶ月間の、結婚生活を楽しんで下さい。それと。山野先生。申し訳ありません。心より、お詫び致します。一ヶ月して、別れたら、皆に、二人の結婚の真似事を、知っていながら、あたかも、本当に、二人が、愛しあって、結婚を決めた、と、私が、ウソのメールを、皆に、送った、という、真実を全て、皆のメールに送ります。これも、匿名メールでします。ごめんなさい。離婚後、美奈子と山野先生が、医局で、気まずい仲に、ならないよう、悪いようには、しません。全て、匿名で行なう、憶病な私を許して下さい。美奈子さんの、了解もとらずに悪いことを、してしまいました。言い訳がましいですが、決して、悪意からではなく、美奈子が、幸せになって欲しいという、私の、心からの思いからしたことです」
僕は読み終えて、ため息をついた。
「そうだったのか。そういう理由からだったのか」
僕の、苛立ちは、なくなった。
「ところで。美奈子さん」
「はい。何でしょうか?」
「決めつけるべきでは、ないですけど。もしかして、ヤフーメールを、送ったのは、さっき、友人代表として、祝辞をのべた、伊藤佳子さん、では、ないでしょうか。彼女は、あなたを、すごく敬愛していますから」
「いえ。それは違うと思います。山野さんが、そう考えるのは、無理ないと思いますが。彼女は、そういうことをする性格ではありません。私は、彼女と、六年間、一緒に、大学生活をしてきたから、わかるんです。それに、もし、彼女が、ヤフーメールの、送り主であるのなら、ああいう祝辞は、述べないでしょう。だって、ああいう祝辞を、述べたら、ヤフーメールの、送り主ではないかと、疑われるのは、明らかですから」
「なるほど。確かに、そうですね。では、一体、誰が、送ったのでしょう?」
「それは、わかりません」
「ところで、山野先生。こうと、わかった以上、これから、一ヶ月は、皆の前で、新婚らしく、振舞いませんか。一ヶ月した後、離婚しても、ヤフーメールを送っている人が、本当の事を、皆に告げるのですから」
彼女は、そんな提案をした。
「そうですね。いきなり、昨日の、結婚は、ウソです、などと、皆に言ったら、皆、混乱して、不快になるでしょうし、医局が険悪な雰囲気になってしまうでしょうから。出来るだけ、穏便に、対処しましょう。」
「では。先生は、不本意でしょうが、一ヵ月間は、新婚らしく振舞って下さい。私も、そうします」
「ええ。わかりました」
こんな会話をして、僕と、彼女は、別れた。
僕が、気前よく、彼女の提案に同意したのは、もちろん、彼女の言うように、医局の雰囲気を険悪にしないためには、それが、一番いい、と思ったからだ。

翌日は、日曜日だった。
昨日の、緊張と、疲れから、僕は、一日中、寝て過ごした。

月曜日になった。
僕は、帝都大学医学部の第一内科に行った。
とても、緊張していた。
僕が、医局室に入ると、皆が、一斉に、僕を見た。
「あっ。山野先生。おはようございます」
皆は、嬉しそうに、挨拶した。
「おはようございます」
僕は、照れくさくて、小さな声で、挨拶を返した。
「先生。一昨日の、結婚式は、素晴らしかったですよ」
「先生。やっぱり結婚式は、町の小さな教会で、するよりも、盛大にやった方が、よかったでしょう?」
「ハネムーンは、どこへ行くんですか?」
「先生が、美奈子先生と、結婚を考えていたなんて、まったく気づきませんでした」
医局員たちは、それぞれに、勝手なことを言った。
僕は、何と言っていいか、わからず、返答に窮した。
その時。
ガチャリと、医局室の戸が開いた。
「みんな。おはよー」
美奈子さんが、元気な声で、入って来た。
「あっ。先生。おはようございます」
「おはよう。美奈子」
皆の関心が、彼女に、移ってくれて、僕は、助かった、思いだった。
「ところで、これからは、姓が、変わって、山野美奈子先生となるんですか。それとも、今まで通り、吉田美奈子先生なのですか?」
一人の医局員が聞いた。
「それは、もちろん、山野美奈子よ」
彼女は、嬉しそうに言った。
「じゃあ、これからは、山野先生は、山野哲也先生と、名前まで、入れて呼ばないとね」
と、医局員が言った。
第一内科の、医局の中で、「山野」の、姓は、僕一人だった。
なので、今までは、僕は、「山野先生」と、苗字だけで呼ばれていた。
でも、これからは、美奈子先生も、「山野」の姓になるので、「山野先生」と、苗字だけで呼ぶことが、出来なくなってしまう。
名前まで、入れられて、呼ばれるとなると、少し、照れくさいな、と僕は思った。
「美奈子先生と、名前で、呼んでもいいんじゃない?」
一人の女医が言った。
「そうね。その方が、呼びやすいかもね」
と、医局員が言った。
「美奈子」の、名前も、医局で、彼女一人だった。
「ところで、美奈子。ハネムーンは、どこへ行くの?」
一人の女医が聞いた。
「そうねえ・・・」
と、彼女は、上を向いて、少し考え込んだ。
その時、医局室の戸が、ガチャリと開いて、第一内科の教授が入って来た。
「おい。お前達。午前の診療は始まっているぞ。早く、外来や病棟へ行け」
と、教授は、急かすように言った。
「はーい」
皆は、ちょっと、残念そうな、口調で、答えた。
「美奈子。じゃあ、また、あとで、哲也先生と、結婚に至った経緯を色々と聞かせてね」
と言いながら。
「じゃあ、みんな。昼休みに、私と哲也さんの、結婚について、記者会見をするわ」
美奈子先生が嬉しそうに言った。
「うわー。ホント。楽しみだわ」
みなは、そう言って、嬉しそうな顔で立ち上がって、医局室を出て行った。
僕も、美奈子先生も、病棟に行った。
「あなた。予想以上の、反響ね。じゃあ、私、記者会見で、聞かれそうな、質問と、その答えを、今から、考えるわ。それを、スマートフォンで、送るから、あなたは、それを答えるだけでいいわ」
彼女は、そう言って、カンファレンス・ルームへ行った。
僕は、助かった思いがした。
所詮は、結婚の、真似事なので、僕には実感が無く、何を聞かれるかも、わからないし、また、聞かれた質問に対し、どう答えればいいのかも、わからない。
彼女は、頭が良いから、適切な、問答集を、つくってくれるだろうと、思った。
僕は、ナースセンターで、患者の病状に変化はないかを、聞いてから、病棟に行って、受け持ち患者を診察し、ナースに、指示を出した。
もう、僕は、ほとんど、一人で、内科患者は、診療できるようになっていた。
しかし、彼女に、「あなた」と呼ばれたのには、何だか、違和感を感じていた。
午前中の診療時間が、終わりに近づいてきた。
僕は、彼女の、結婚の問答集、を早く欲しくて、カンファレンス・ルームに行った。
「美奈子先生。問答集は、出来ましたか?」
僕は聞いた。
「ちょっと、待ってて。理絵がメールを送ってきて、理絵が、クラスを代表して、質問するから、と言って、質問集を、送って来たの。だから、その、答えを、考えているの」
そう言って、彼女は、スマートフォンを、カチャカチャ、操作していた。

昼休みになった。
僕と、彼女は、医局室にもどった。
ちょうど、記者会見のように、医局の机が、準備されていた。
「さあ。あなた。座りましょう」
彼女に、言われて、僕と、彼女は、記者会見のように、隣り合わせに、座って、皆と、向き合った。
皆は、もう、席に着いていた。
質問したくて、ウズウズしている、といった様子だった。
「では、これから、哲也先生と、美奈子先生の、結婚記者会見をします」
真ん前に座っている理絵が言った。
「みんなー。勝手に、質問すると、二人も答えにくいわ。ここは、私が、代表して、質問するわ。ねっ。いいでしょ?」
理絵は、後ろを、振り返って、医局員たちに聞いた。
「ああ。いいよ」
皆は、快く答えた。
理絵は、帝都大学医学部の、美奈子のクラスに、美奈子先生に次ぐ二番の成績で入学して、六年間、クラス委員長をしてきたのだった。クラスの、まとめ役だった。
美奈子先生の次に、頭も良かった。
「では、僭越ながら、皆を、代表して私が質問します」
理絵が言った。
その時、僕の、ポケットの中の、スマートフォンが、ピピピッっと、鳴った。
僕は、急いで、スマートフォンを、取り出した。
美奈子が、作ってくれた、結婚問答集だった。
ギリギリで、間に合って、僕は、ほっとした。
僕は、何も考えず、彼女の考えてくれた、答えを言えば、いいだけなのだから。
さっそく、理絵は、僕に質問してきた。
「山野先生。どうして、スマートフォンを、見ているんですか?」
僕は、美奈子先生が、書いた、その質問に対する答えを、見て、赤面した。
しかし、答えないわけには、いかないし、僕には、何と答えていいか、わからなかった。
なので、美奈子先生が書いた、答えを赤面しながら読んだ。
「それは、結婚式の時の、美奈子のウェディング・ドレス姿が、あまりにも美しいので、一刻たりとも、目が離せないからです」
うわー、すごーい、アツアツなのね、などと、皆が言った。
「ハネムーンは、どこへ行く予定ですか?」
理絵が聞いた。
僕は、また、美奈子先生が、書いた、その質問に対する答えを、赤面しながら、言った。
「すべて美奈子に任せてあります。美奈子が望むのなら、北極でも南極でも、アマゾンのジャングルへでも、構いません」
また。うわー、すごーい、アツアツなのね、などと、皆が言った。
「プロポーズの言葉は何ですか?」
理絵が聞いた。
僕は、また、美奈子先生が、書いた、その質問に対する答えを、赤面しながら、言った。
「美奈子さま。あなたは、僕の女神さまです。どうか、僕と結婚して下さい。ダメと、言われたら僕は、間違いなく、今すぐ、高層ビルから飛び降りて死にます」
また、うわー、すごーい、と、歓声が起こった。
「美奈子先生の、チャームポイントはどこですか?」
理絵が聞いた。
僕は、また、美奈子先生が、書いた、その質問に対する答えを、赤面しながら、言った。
「ふっくらした大きな胸です。太腿です。黒目がちな、つぶらな目です。お尻です。耳です。鼻です。可愛らしく、窪んだ、おヘソです。髪の毛です。首です。つまり、すべてが、好きです」
うわー、すごーい。山野先生って、見かけによらす、大胆で凄いことを言うのね、と、皆が言った。
「初夜は、どんな雰囲気でしたか?」
理絵が聞いた。
僕は、また、美奈子先生が、書いた、その質問に対する答えを、赤面しながら、言った。
「それはもう、夜が明けるまで、一時たりとも、休むことなく、激しく、燃えつづけました」
うわー、すごーい。山野先生って、見かけによらす、凄いことを言うのね、と、皆が言った。
「出産に関する計画があったら、教えて下さい」
理絵が聞いた。
僕は、また、美奈子先生が、書いた、その質問に対する答えを、赤面しながら、言った。
「一姫二太郎が、欲しいです。もしかすると、初夜に、新しい命が授かったかもしれません」
うわー、山野哲也って、凄いことを、平気で言うのね、と皆が言った。
それ以外にも、理絵の質問と、その答えは、赤面せずには、言えない答え、ばかりだった。
記者会見は、30分くらいで、あらゆることを、根掘り葉掘り、聞かれた。
「では、これで、哲也先生と、美奈子先生の、結婚記者会見を終了します」
真ん前に座っている理絵が言った。
パチパチパチと拍手が起こった。
「じゃあ、みんな。職員食堂に行きましょう。午後の診療に、遅れちゃうわ」
医局員の一人が言った。
「ああ。そうだね」
皆は、席を立ち上がって、職員食堂に向かった。
医局室には、僕と美奈子さんの二人になった。
「美奈子さん。これは、ちょっと、行き過ぎなのでは、ないでしょうか?」
僕は彼女に、聞いた。
「ごめんなさい。私も、今、考えると、熟慮が足りず、一部、不適切な所があったと、反省しています」
彼女は、そう言って、殊勝に、ペコリと頭を下げた。
(一部、不適切、なのではなく、全部、不適切だ)
と、僕は、言いたかったが、彼女に、殊勝に、謝られると、気の小さい僕は、強気に、本心を言うことは、出来なかった。

こうして僕は、あと一ヵ月間、彼女と離婚する日まで、帝都大学医学部の第一内科で、研修を続けることになった。
僕の計画では、内科が、しっかり出来れば、それで、アルバイトでの代診や、当直や、どこかの病院で、週一日の、非常勤医師として、やっていけるので、それでいい、と、思っていた。
医師の、アルバイトは、給料が、すごく、いいのである。
それで、アルバイトで、生活費を稼ぎながら、小説を書き、小説家を目指そうと、思った。
というか、小説を書きながら、医師のアルバイトで、生活費を稼いで、小説家を目指そうと、思った。
僕は、後、一ヶ月の、我慢だ、と、自分に言い聞かせながら、研修を、続けた。
医学という、学問は、無限の世界だが、町医者として、患者を、ちゃんと、診療できるようになるには、一年間、否、半年程度の、研修を、みっちり、やれば、出来るようになるのである。

彼女と、結婚して、二日くらいした日に、石田君から、電話が来た。
「やあ。久しぶり」
石田君は、元気のいい声で言った。
「やあ。久しぶり」
僕も、返事した。
石田君の声は、やけに嬉しそうだった。
「ところで、電話をかけてきた用は何?」
僕は聞いた。
「いや。どうでも、いいことなんだけれどね。この前の作品とは、別の作品を、集英社に投稿したら、すばる文学賞の、第一次選考に通ってね。それで、つい、嬉しくて、電話したんだ」
と、彼は言った。
「ええっ。ホント。それは、すごいじゃない。おめでとう」
「いや。まだ、第一次選考に、通った、というだけで、受賞したわけでも、ないんだけれど。つい、嬉しくてね」
「いやー。一次選考に、通った、というだけでも、すごいよ」
「山野君。ところで、君は、今、どうしてる?」
石田君が聞いた。
「今、まだ、帝都大学医学部で、毎日、研修をしているんだ。だけど、もう、医者として、一人でやっていける、自信も、ついたし、あと、一ヶ月で、辞めるつもりさ。そうしたら、創作一筋の生活に入るつもりさ」
僕は言った。
「そうかい。それは、よかったね。君も、早く、作家として、世に認められることを、僕も切に願っているよ」
そう言って、石田君は、電話を切った。
おめでとう、とは、社交辞令上、言ったものの、僕は、かなり、石田君に嫉妬していた。
芥川賞に、つづき、今度は、三島由紀夫賞か、と、僕は、石田君を嫉妬した。
着実に、作家としての道を歩んでいる、石田君を、僕は、嫉妬した。
石田君は、文学の、友人であると、同時に、ライバルでも、あった。
正直に言うと、僕は、石田君に対して、文学の、ライバルとして、敵意さえ持った。
もっと、本音を言うと。
(ちくしょう。石田のヤツめ。これみよがしに、自慢してきやがって。鼻持ちならんヤツだ)
と、僕は、石田を憎んだ。
しかし、石田君の、受賞や、第一次選考通過、の、知らせ、というか、事実は、僕の気持ちを、創作へ駆り立てた。
忘れていた、創作へのファイトが、再び、炎のように、僕の心の中で、メラメラと燃え盛ってきた。
僕も、早く、研修医を、辞めて、小説を書かねば、と、僕は、焦った。
(あと、一ヶ月の我慢だ)
と、僕は、自分に言い聞かせた。
僕の、石田に対する、嫉妬が、その日の内に、だんだん憎しみに変わっていった。
(無神経なヤツだ。これみよがしに、自慢してきやがって。鼻持ちならんヤツだ)
という思いが、激しくなっていった。
(あんなイヤミなヤツ、死ねばいいんだ。そうすれば、小説も書けなくなる)
と、僕は思った。
僕は、その夜、丑の刻を待った。
僕は、夕食の後、白装束に身をつつみ、顔も白粉で真っ白にした。
頭にはめる鉄輪と、蝋燭を三本用意した。
そして、藁人形を作って、それに、「石田」とマジックで書き、五寸釘と、金槌を用意した。
僕は、深夜1時に家を出た。
僕のアパートの近くには、神社があった。
僕は、車で、その神社に行った。
神社には御神木が、あった。
僕は、パトカーに、怪しまれないよう、スピードを落として行った。
丑の刻参りの、藁人形の、呪いは、不能犯であって、警察に逮捕されることはないが、職務質問で見つかると、注意され、その後、出来にくくなるからだ。
僕は、白装束に身をつつみ、顔も白粉で真っ白にした。
そして鉄輪を頭にはめると、三本の蝋燭を用意した。
僕は、御神木に、「石田」と書いた、藁人形を押し当てた。
そして、藁人形に五寸釘を垂直に当てて、
「死ねー。死ねー。石田のクソ野郎、死ねー。死ねば、小説も書けないし、小説家にもなれない」
と、憎しみを込めて、金槌で、五寸釘を、何回も、打ち込んだ。
カーン。カーン、という、呪いの音が、しんとした、森の中に響いた。

翌日。
僕が、不快な気分で、帝都大学医学部へ行くと。
美奈子先生が、僕を見つけると、血相を変えて、駆け足で、やって来た。
「山野さん。たいへん、申し訳ないのですが、父が、軽い、心筋梗塞で、倒れてしまいました。すぐ、救急車で市民病院に入院しました。医師の話によると、一週間くらいで、退院でき、仕事にも復帰できる、らしいんです。父が退院する、までの、一週間くらいだけ、うちのクリニックで、診療して、頂けないでしょうか。お礼は、はずみます」
と、彼女は、言った。
「そうですか。でも・・・。美奈子先生。あなたが、やっては、どうなんでしょうか?それが一番、いいと思うんですが・・・」
僕は聞いた。
「ええ。もちろん、それが一番、いいんですが・・・。私も、大学病院で、私の、受け持ちの患者の中で、重症患者が、何人もいます。いつ、病状が急変するか、わかりません。患者さん達は、私を頼ってくれているので、昼の診療は、もちろんのこと、ですが。患者さん達は、死ぬ時は、当直医ではなく、私に看取られて死にたい、とまで、言ってくれているんです。ですから、私は、夜も、患者さんの達の病状が悪化した時、急いで、大学病院に駆けつけられるように、大学の近くの、アパートに、引っ越したのです」
と、彼女は、力説した。
彼女の育った実家は、千葉県の市川市にある、彼女の、父親の、吉田内科医院に隣接している、彼女の家、である。
彼女は、そこから、近くの小学校、中学校、高校、大学へと、通った。
しかし、医学部を卒業して、研修医になってからは、彼女は、大学付属病院の近くにある、アパートに、引っ越したのである。
大学付属病院は、東京の都心にあり、彼女の実家の、吉田内科医院は、千葉県の市川市なので、実家から、通おうと思えば、通えないことはない。
しかし、実家から大学付属病院には、1時間30分、かかり、アパートから、大学付属病院までは10分で行ける、のである。
「そうですか」
僕は、腕組みして、考え込んだ。
僕は、彼女の頼みを、断ることが、出来なかった。
なにせ、彼女は、僕に、帝都大学医学部、第一内科への、入局の面倒を見てくれた上、手取り足取り、僕の指導医として、丁寧に、臨床医学を指導してくれて、僕を、一人前の、臨床医にしてくれたのである。
こんな、親切なことをしてくれる人は、彼女の他には、いないだろう。
「わかりました。では、僕は、どうすれば、いいのでしょうか?」
僕は、彼女に聞いた。
「本日の午前中は、休診と、クリニックの前に、貼り紙を、貼っておきました。でも、うちは、田舎な上、うちのクリニックの近くに、別の内科医院は無くて。うちの医院に通っている患者は、多くて、患者さん達が、困ってしまうと思うんです。できれば、今日の午後から、診療して頂けると、助かります」
と、彼女は言った。
「わかりました。では、今から、急いで、吉田内科医院に行きます。そして、お父さんの病状が回復するまで、一週間くらい、代診をします」
と、僕は、答えた。
「わー。助かります。有難うございます。哲也さん」
と、彼女は、言って、嬉しそうに、僕の両手を握った。
「それと、よろしかったら、医院の隣りの私の家に泊まって下さい。藤沢から、市川へ通うのは、たいへんでしょうから」
と、彼女は言った。
「わかりました」
と、僕は答えた。
僕は、急いで、総武線に乗って、市川市の、彼女の、父親の、吉田内科医院に行った。
そして、午後から、僕が、代診ということで、患者を診療した。
午前中、来れなかった患者も来て、その日の、午後は、100人くらい、患者を診察した。
翌日も、午前の診療は、9時から、始まるので、僕は、彼女の言う通り、彼女の実家に泊まることにした。
診療は、午後7時に終わった。
僕は白衣を脱いだ。
腹が減ってきて、
(さあて。夕食は何を食べようかな)
と、思っていた時である。
美奈子先生が、やって来た。
僕はおどろいた。
「山野先生。あの。先生が、一人で、何か困っていることが、ないか、ちょっと、心配になって。来てしまいました。突然、来て、ごめんなさい。夕食も、コンビニ弁当で、済ましてしまうんではないかと、思って・・・。冷凍食品では、体力がつかないと思って、すき焼き、の具材を買ってきました。今すぐ、料理します」
と、彼女は言った。
「あ、あの。美奈子先生。大学病院の、先生の、受け持ちの、患者さんは、大丈夫なんですか?」
僕は聞いた。
「ええ。今のところ、危篤になりそうな、患者さんは、いませんし。当直医を信頼することも、大切だと思ったので・・・」
「そうですか」
「では、腕によりをかけて、すき焼きを、作ります」
そう言って、彼女は、具材の入った、バッグを持って、台所に向かった。
すぐに、ぐつぐつ、具材が煮える音がし出した。
「哲也さん。すき焼き、が、出来ました。どうぞ、召し上がって下さい」
彼女の声が、聞こえてきた。
僕は、食卓に行った。
鍋の上に、すき焼き、が、グツグツ煮えていた。
僕も、腹が減っていたので、腹が、グーと鳴って、鍋を見ると、思わず、ゴクリと、生唾が出てきた。
「さあ。山野先生。お腹が減ったでしょう。すき焼き、を、一緒に食べましょう」
彼女は、僕を見ると、嬉しそうに、そう言った。
照れくさかったが、仕方なく、僕は、食卓についた。
「さあ。山野先生。すき焼き、を、うんと食べて、スタミナをつけて下さい」
そう言って、彼女は、すき焼き、の、具を、どんどん、鍋の中に入れていった。
照れくさかったが、僕は、料理が出来ない。
なので、食事は、いつも、コンビニ弁当だった。
「では。いただきます」
そう言って、僕は、すき焼き、を、食べ始めた。
久しぶりの、手料理は、冷凍食品を、レンジで温めただけの、コンビニ弁当より、確かに、美味かった。
彼女も、僕と向かい合わせに、座って、食べ始めた。
「さあ。お肉を、たくさん、召し上がって下さい」
彼女は、ほとんど、肉を食べず、シラタキや、ネギなど、野菜しか食べなかった。
なので、僕が、肉を、ほとんど一人で食べることになった。
「あなた。美味しいですか?」
と、彼女が聞いたので、僕は、仕方なく、
「ええ」
と、答えた。
「哲也さん。何だか、私たち、本当の夫婦みたいね」
と、言って、彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「あっと。一ヶ月間だけだけど、今は、本当に、籍を入れているんだから、本当の夫婦なのね」
と、言って、彼女は、また、クスッと、微笑んだ。
「美奈子先生。ごちそうさまでした。美味しかったです」
すき焼き、を、食べ終わると、僕は、立ち上がった。
僕は、その夜、彼女の、父親の部屋で寝た。
美奈子先生が、同じ家の中の彼女の部屋にいるので、僕は、緊張して、なかなか寝つけなかった。
夜中の11時を過ぎた頃だった。
僕が、寝室で、ベッドの上に仰向けに寝ていると、戸が、スーと開いた。
バスタオルを一枚だけ、巻いた、彼女が立っていた。
僕は、吃驚した。
彼女は、僕の前にやって来た。
そして、胸の所の、タオルの、結びを、ほどいた。
タオルが、パサリと床に落ちた。
彼女は、全裸だった。
「な、何をするんですか?」
僕は、声を震わせながら聞いた。
「あ、あの。山野さん。私、一度でいいから、初夜というものを体験してみたかったんです。ダメでしょうか?」
彼女が聞いた。
「い、いえ。あ、あの。その。ちょっと。そんな。無茶な。困ったなあ」
「私、みたいな、女じゃダメですよね。無理強いして、ごめんなさい」
そう言って、彼女は、深々と頭を下げた。
「い、いえ。あの。そういうことじゃないんです」
「では、いいんでしょうか?」
彼女が聞いた。
僕は、あまりにも、人間離れして、優しかったので、女に、恥をかかしたり、女の頼みを、キッパリと、断ることが出来なかった。
「い、いえ。つまりですね。あのですね。何というか・・・」
僕は、何と言って、いいか、わからず、返答に窮した。
「では、いいんですね。嬉しいわ」
僕が、へどもどして、キッパリと、拒否のコトバを口に出せないので、彼女は、僕の、布団の中に、入ってきた。
「嬉しいわ。山野さん。抱いて」
そう言って、彼女は、僕に抱きついてきた。
僕は、やむを得ず、彼女を抱いた。彼女は、
「ああ。夢、実現だわ」
とか、
「ああ。何てロマンチックなのかしら」
とか、
「今日は最高の日だわ」
とか、言いながら。
そんなことで、その夜は、更けていった。

翌日、彼女は、
「あなた。病院に、行ってくるわ」
と、言って、家を出て、帝都大学医学部付属病院に行った。
僕は、9時から、吉田内科医院の診療を始めた。
その日の午後の診療が終わって、ほっと一息ついている時、彼女の父親が、やって来た。
「やあ。山野君。代診を有難う。病院で検査した、結果、何も異常がない、ということで、退院になったよ。代診、ありがとう」
そう言って、彼女の父親は、僕に、かなりの多額の謝礼をくれた。

僕は、また、翌日から、帝都大学医学部付属病院に行くようになった。
僕は、また研修を熱心にやった。
町医者をやっていける程度の、医療技術や知識なら、一年くらいやれば、もう頭打ちになって、もう、それ以上は、何の進歩も、発見もない、同じ事の繰り返しの毎日になる。
つまり、つまらなくなる。
しかし、大学病院は違う。大学病院には、医療器材も、最先端の物ばかりだし、入院してくる患者も、10万人に1とかの、珍しい難病の患者ばかりである。
また、大学病院では、内科だけではなく、外科は、もちろんのこと、眼科、耳鼻科、泌尿器科、麻酔科、救急、など、つまり、医療の、あらゆる科が、そろっている。
僕は、第一内科は、それなりにマスターしたと思っていたので。美奈子先生に、頼んで、救急科を、やりたい旨を伝えた。
「あの。美奈子先生。救急科をやってみたいんですが」
僕は、彼女に言った。
「わかりました。救急科の教授に頼んで、山野先生が、救急科の研修を出来るように頼んでみます」
彼女は、快く、そう答えてくれた。
彼女は、救急科の教授に頼んでくれた。
そのおかげで、僕は、救急科の研修が出来るようになった。
やりだすと面白いのである。
なにせ、新しいことだからである。
それに、救急科が出来ると、アルバイトでも、救急科は、すごく割がよく高収入なのである。
救急科が出来ると、救急病院の当直のアルバイトも出来るようになる。
救急病院の当直のアルバイトも、ものすごく、高収入なのである。
なので身につけておくと、後々、有利なのである。
僕は、一ヶ月で、救急科を、身につけてやろうと思って、入院している、全ての患者を診て、夜、遅くまで、救急医療を勉強した。
もちろん、一ヶ月で、救急科を、完全に、マスターすることは、無理だが、熱心にやれば、かなりの知識や技術は、身につくのである。
医学は無限の世界であり、僕は、勉強好きなので、つい、あれも、やりたい、これも、やりたい、と、医学にハマってしまいそうな誘惑が起こった。
しかし、僕は、「僕の本命は、小説家だ」と、自分に言い聞かせて、面白いからといって、医学に、あまり、深くハマらないように、と、自分を自制した。

そして。ようやく、待ちに待った、一ヶ月が経った。
その日。
「美奈子先生。ちょっと、お話しがあるので、午後の診療が終わったら、医局に残って頂けないでしょうか?」
と、僕は言った。
「はい。わかりました」
と、元気よく言った。
午前の診療が終わり、午後の診察も終わった。
医局室は、僕と彼女だけの二人になった。
「山野先生。用は何でしょうか?」
彼女は、陽気な様子で聞いた。
まるで、明日が、約束した、離婚一ヶ月目の日であることなど、知らないような感じだった。
「あ、あの。美奈子さん。たいへん、申し上げにくいんですけど・・・」
「は、はい。なんでしょうか?」
「あ、あの。今日で、結婚して、籍を入れて、ちょうど、一ヶ月になります。たいへん、申し上げにくいんですけど、明日、市役所に、離婚届を出そうと思いますが、いいですね?」
言いにくいことを、僕は、キッパリ言った。
「ああ。そうでしたか。今日で、ちょうど、一ヶ月でしたか。忘れていました。夢のような楽しい日々を、有難うございました。わかりました。約束です。離婚届け、を市役所に提出して下さい。でも・・・はあ・・・山野さんがいなくなると、さびしくなってしまいますね」
と、言って、彼女は、ため息をついた。
「すみません。僕も楽しかったです。また。とても、勉強になりました。どうも、本当に、有難うございました」
「ところで、山野さん。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい。何でも」
「山野さんは、一日でも、早く、私と、離婚したがっているように、見受けられますが・・・その理由を、教えていただけないでしょうか?」
彼女が聞いてきた。
「はい。それは、あなたとお会いした時、はっきり、言った通りです。僕の本命は、小説を書きたい、できれば、小説家になりたい、ということです。そして、僕は、医局との、つながりも、なければ、医師の友人も、いません。ですから、医学の世界と、関わりを持った、あなたに、医療に関することを、お聞きしたかった。それが、理由です。医療に関することは、ちょっと、聞くだけでよかったんですが、成り行きで、随分、長く、深くなってしまいました。あなたには、本当に、感謝しています。今回、あなたと、生きた人間関係を、持てたことは、今後、小説を書く上でも、とても、役に立つと思っています。本当に、どうも、有難うございました」
と、僕は、言った。
美奈子は、しばし黙っていたが。
ハア、と、ため息をついた。
「そうですか。山野さんは、優しいから、婉曲な言い方をなされますが・・・本当の理由は・・・私みたいな、ブスで、医学しか、取り得のない女は、嫌だ、ということですよね。わかりました。でも。さびしいですわ。何だか、あまりにも悲しくて、涙が出てきたわ。ごめんなさい」
そう言って、彼女は、ハンカチを取り出して、眼頭の涙を拭いた。
「い、いえ。とんでもありません。決して、そんなことは、ありません。それは、とんでもない誤解です。あなたほど、美しい方が、何で、ブスなんですか?」
僕は、必死に訴えた。
「だって、離婚の日を、はっきり、覚えていて、それを、心待ちにして、約束の日が来たら、即、離婚したい、と言うのは、私のような、女は、身の毛がよだつほど、嫌いで、一刻も早く、別れたい、という、理由いがいに、何があるというのですか。普通の人だったら、約束の日から、一週間か、10日くらい後、に、別れるものですわ。何だか、利用されて、用が済んだら、捨てられる女の気持ち、というものが、よく、わかるような気がします」
そう言って、彼女は、ハンカチを取り出して、とめどなく、溢れ出る涙を、拭いた。
「女って、こういう、つらい、悲しい、経験をすると、それが、一生の、トラウマになってしまうんです。女って、そういう、やりきれない、つらい、悲しい、経験から、一生、男性拒絶症になってしまうんです。あっ。ごめんなさい。つい、愚痴を言ってしまって・・・」
そう言って、彼女は、ハンカチを取り出して、とめどなく、溢れ出る涙を、嗚咽しながら、拭いた。
僕は困った。
「美奈子さん。わ、わかりました。では、離婚の届け出は、もう少し、先に延ばします」
仕方なく、僕は、そう言った。
「本当ですか。嬉しいわ。女って、男の人に、そう言ってもらえる、ことが、何より、嬉しいんです」
「では、あと、何日後なら、よろしいでしょうか?」
「はあ。すぐに、離婚の、日にちの、取り決めですか。悲しいわ。やっぱり、私は、山野さんに、嫌われているんですね」
彼女は、憔悴した表情で言った。
あたかも、人生に、疲れ果てた人間のように。
「み、美奈子さん。わ、わかりました。では、届け出の日は、美奈子さんに、おまかせします」
「有難うございます。女って、男の人に、そう言って、いただけることが、最高に嬉しいんです」
「あ、あの。美奈子さん。たいへん、申し訳なく、言いにくいのですが、大体、大まかな、目安として、どのくらい、先でしょうか?」
「もう、一ヶ月、先、というのは、ダメでしょうか。山野さんに、ご迷惑が、かかるのであれば、もっと、短くても、一週間、でも、かまいません」
「わ、わかりました。一ヶ月、先で、かまいません」
「本当ですか。嬉しいわ。有難う。山野さん」
こうして、離婚の、日にちは、もう、1ヶ月、先に延ばされることになった。

僕は、伸びた、一ヶ月を、無駄にしないように、僕は、救急科の研修を、熱心にやった。
しかし、僕は、「僕の本命は、小説家だ」と、自分に言い聞かせて、面白いからといって、医学に、あまり、深くハマらないように、と、自分を自制した。

そうして、一ヶ月して、僕が、おそるおそる、彼女に、離婚の話を持ち出すと、彼女は、また、ため息をついて、同じようなことを言った。
僕は、仕方なく、もう一ヶ月、離婚を先延ばしすることにした。
それに、やり始めた救急科の実力も、日に日に身についてきて、救急科を、もう少し、本格的に身につけたいという、思いも僕にはあった。

こうして、僕は、ズルズルと、医学の面白さに、ハマっていった。
医学の面白さに、ハマると、創作したい、欲求は、薄れていってしまった。
これは、僕にだけ、当てはまる法則ではなく、人間の心理、一般に、当てはまる法則だと、思う。
スポーツとか、将棋や碁などでも、毎日、熱心にやって、日に日に、自分の技術が上手くなっていくと、その面白さに、ハマって、しまって、他の事は、考えられなくなってしまうものである。

そうして、僕は、ズルズルと、医学の面白さに、ハマっていってしまった。

そうして、ズルズルと、二年が過ぎてしまった。
ある日の様子である。
いつの間にか、僕は、吉田内科医院の院長となっていた。
僕は、彼女と、本当に結婚して、しまっていた。
彼女は、生後、三ヶ月になる、男の赤ん坊を、抱いて、幸せそうに、乳をやっている。
彼女が、初夜を求めてきた時、断らなかったのが、失敗だったのだ。
あの時、彼女は、妊娠したのである。
それから、彼女は、しばし、大学病院に近いアパートから、大学付属病院に来ていた。
しかし、しばしして、彼女は、体調が、悪くなったので、休みます、と言って、大学病院に来なくなったのである。
彼女は、アパートで、病気療養のため、休養するようになった。
医師の仕事は、激務なので、結構、体調を崩す人は、いるのである。
病気療養している、彼女に、離婚を要求するのは、可哀想な気がして、僕は、彼女との離婚は、彼女の体調が回復してから、言い出そうと、彼女に気を使ったのである。
病気で、落ちこんでいる人に、嫌なことを、要求すると、精神的に、落ちこんで、ますます、病気が悪化するからだ。
しかし、それが、まずかった。
彼女の病気は、悪化して、彼女は、近くの市民病院に入院するようになった。
入院するほどだから、かなりの病気だと思った。
何の病気かは、わからなかったが。
ある時、彼女から、「あなた。来て」、という電話があった。
僕は、もしかすると、彼女が危篤になったのでは、ないかと思って、急いで、市民病院に行った。
てっきり、内科病棟かと、思ったが、僕は、ナースに、産婦人科に案内された。
彼女は、ベッドの中で、生まれたての、男の、赤ん坊を抱いていた。
何でも、妊娠中毒症で、生命の危機のある難産だったらしい。
「あなた。見て。私と、あなたの子よ」
と、彼女は言った。
僕は、ガーンと、頭を金槌で打たれたような、ショックを受けた。
子は、男と女の、かすがい、である。
子供が、いないのなら、離婚は、難しくない。
しかし、子供が出来てしまった以上、離婚は難しい。
世間の人は、そう思わない人もいるが、僕は、そうではない。
子供が産まれてしまった以上、親が離婚したら、子供が、可哀想である。
それに、生まれた、赤ん坊は、紛れもなく、僕の子なのである。
僕は、ショックで、病院を出て、町を彷徨った。
気づくと、僕は、結局、とうとう、彼女のクリニックである、吉田内科医院に住み、クリニックの院長になっていた。
結局、僕は、彼女を孕ませ、彼女に子供を産ませてしまった責任から、彼女と本当に結婚することになってしまったのだ。
彼女も、大学病院の勤務を辞めて、育児に専念することになった。
育児が、一段落したら、吉田内科医院の仕事を一緒にやります、と、彼女は、言っている。
しかし、それも、本当かどうかは、わからない。
僕は、吉田内科医院の、毎日の、超多忙の、患者の診療に煩殺されて、毎日、疲れ果て、とても、小説を書く気力など、なくなっていた。

僕は、この頃、ヤフーメールを送って、美奈子さんと僕の結婚を、言いふらしたのは、実は、医局員の誰か、ではなく、もしかすると、美奈子さん自身なのかもとしれない、と疑うようになった。
しかし、僕が、彼女に、それを聞いても、
「なぜ、そんな荒唐無稽なことを考えるんですか?」
と即座に、眉を吊り上げ、鬼面のようになって、怒って言う。彼女は、
「私が、愛する、大切な、哲也さんに、そんなことを、言いふらして、哲也さんに迷惑をかけて、私に何の得にあるんですか?」
と彼女は、ヒステリックに怒鳴りつける。
そう怒鳴られると、気の小さい僕は、黙ってしまう。
しかし、まあ、それも、もう、どうでも、よくなってしまった。
僕は、いつか、石田君が言った、「死ぬまで、小説を書く、情熱をもっている人間だけが本当の作家だ」という言葉の真実さ、を実感している。
詩人の、ライナ・マアリ・リルケも、「もし、あなたが、書くことを、とめられたら、死ななくてはならないか、どうか、よく考えてごらんなさい」と言っている。
至言であり、石田の、言っていることと、意味は、同じである。
何と弁解しようが、僕は、小説を書かなくても、生きていけるのだ。
所詮は、僕には、死ぬ気で、小説を書こうという、情熱がなかったのだ。
小説を書くことが、僕の使命だ、と、僕は、思っていたが、それは、若者が、誰でも、一度くらいは、かかる、麻疹のようなものに、過ぎなかったのだ。
僕はこの間、ヴェルレーヌの伝記を読んでいると、あのデカダンの詩人が晩年に「平凡人としての平和な生活」を痛切に望んだという事実を知って、僕はかなり心を打たれた。
僕のように天分の薄いものは「平凡人としての平和な生活」が、格好の安住地だ。
流行作家! 新進作家! 僕は、そんな空虚の名称に憧れていたのが、この頃では、少し恥かしい。
昭和、平成の文壇で名作クラシックスとして残るものが、一体いくらあると思うのだ。
僕は、いつかアナトール・フランスの作品を読んでいると、こんなことを書いてあるのを見出した。
(太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいるミミズは、案外生き延びるかも知れない。そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻はミミズにわらわれるかも知れない)
なんという痛快な皮肉だろう。
天才の作品だっていつかは蚯蚓にわらわれるのだ。
ましてや石田なんかの作品は今十年もすれば、ミミズにだって笑われなくなるんだ。





平成28年8月5日(金)擱筆

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中古車物語 (小説)(上)

2020-07-16 03:27:50 | 小説
中古車物語

宮田誠一は、しがない小説家である.
彼は、医学部出で、以前は、内科医だった。
しかし、彼は、教授を殿様とする、日本の、封建的な、医療界に、嫌気がさして、医者をやめてしまったのである。
元々、彼は、医者になりたいと、熱烈に、思っていたわけではない。
彼は、子供の頃から、体か弱く、自分の体なのに、自分では、薬を手に入れられず、一生、医者に、ペコペコ頭を下げ続ける、屈辱が耐えきれなかったのである。
それで、自分が医者になってやろうと思ったのである。
そういう動機で、医学部に入ったので、将来に対しても、医者として、バリバリ働こう、という夢も思いもなかった。
医師なんて、誰がやったって同じだし、八百屋と、全く変わりない、十年一日の、同じ事の繰り返しじゃないか。
そんな仕事を一生の仕事にするのは、バカバカしい。
大学三年で、基礎医学が始まってから、彼は、そう思うようになっていった。
医学部三年のある時。
(小説家になろう)
そんな、インスピレーションが、突然、起こったのである。
その想念は、みるみるうちに、彼の心を、とらえてしまった。
その日の内に、もう彼は、医者ではなく、小説家として、生きて行こうと思うようになった。
その日から、彼は、小説を書き始めた。
しかし、せっかく、入った医学部でもあるので、医学部は、ちゃんと、卒業して、国家試験にも、通っておこうと、学問を疎かにしなかった。
そして、六年間の、医学部は、ちゃんと、勉強し、そして、卒業して、医師国家試験にも、通った。
それと同時に、彼は、文壇に、小説を発表するようになった。
しかし、作家として、生きていくのは、並大抵のことではなく、生活は、苦しかった。
俗に言われる、筆一本は修羅の道、であった。
なので、二年、研修した後、内科医として、数年、勤務した後は、健康診断などの、医師のアルバイトをしながら、小説を書き続けた。

平成27年も、師走になった。
平成27年は、四月の頃は、体調が良く、小説創作が、はかどった。
しかし、6月頃から、体調が、悪くなり、6月、7月、8月、9月、と、全く何も出来ない状態になった。頭が冴えず、書きたいことは、あっても、書く意欲が起こらないのである。
意欲が、起こらない状態で、無理に書いても、いい作品は、書けない。
というか、文章が、頭から出で来ないので、「あらすじ」、程度の、雑な文にしかならないのである。
そもそも、彼には、精神の波があって、意欲が出る時は、観念奔放で、次々と、アイデアが、湧き上がるのだが、意欲が出ない時は、何をしても、意欲は、出ない。
彼は、小説が、書けなくなると、うつ病になった。
うつ病になると、ますます、意欲が出なくなるから、それが、悪循環になった。
なので、平成27年の、夏は、暗い夏だった。
小説が、書けないのなら、生きていても仕方がない、とまで、彼は思っているので、死のうかとも、思った。
しかし、奇跡的に、10月から、体調が、よくなり出した。
それで、小説を書き出した。
いったん、書き出すと、一作品、書き上げても、次々に、書かずには、おれなくなった。
彼は、小説を書いている時だけが、生きている時だから、無理もない。
逆に、書いていない時は、生きていても、彼の精神は死んでいるのも、同様だった。
「書ける時に、書いておかなけば」
そういう、あせり、から、彼は書いた。
一分、一秒、が、惜しくなった。
それで、おかげて、10月から、5作品、書くことが出来た。
それと、健康、体調、管理のために、冬でも、彼は、週に、二回は、温水プールで、二時間、泳ぎ、週に、二回は、市の体育館の、トレーニング室で、筋トレ、や、トレッドミルで、ランニングした。
平成27年も、12月になり、大晦日になった。
一般の人なら、年末年始の週は、休養できる、ほっとする、週なのだろうが、彼にとっては、年末年始は、不便きわまりない週だった。
市の体育館も閉まってしまうし、図書館も、閉まってしまう。
体を鍛えていないと、覿面、体調が悪くなる。
物書きにとっては、年末年始など、関係ない。
気分が乗っていれば、年末年始、だの、お盆、だのは、関係ない。
ただ、がむしゃらに、書くだけである。
しかし、体育館や図書館などの公共施設が、使えなくなるので、仕方なく、年末年始の週は、書くのを中止した。
テレビを見ても、つまらない、番組ばかり、である。

年が明けて、平成28年になった。
年明けの、4日から、彼は、書きかけの、小説の続きを書き出した。
正月休みが明けて、ほっとしているのだから、世間の人間と、感覚が逆である。
しかし、彼は、あることが、気にかかっていた。
それは、彼の乗っている、車の車検が、平成28年の、2月11日で、切れることである。
こういう些事さえ、彼には、気分が乗って、小説が、書ける時には、うっとうしかった。
だいたい、車検は、10万円くらいだろう、と思っていた。
いつも、そうだったからだ。
しかし、去年は、ある時、バックした時に、電信柱に、車をぶつけてしまい、車の後ろが、少し凹んでしまった。その時から、電気系統が故障したのか、ドライブにギアチェンジすると、「D」の、ランプが点かなくなった。
しかし、運転には、問題ないので、そのまま、乗っていた。
彼の車は、旧型マーチだった。
彼は、面倒なことは、つい、後回しにしてしまう。
しかし、車を運転していて、ふと、今回の車検は、いくら、かかるのだろうか、と、試しに、日産のディーラー店に、入ってみた。
平成28年の、1月11日である。
乗っている車は、平成24年に、アパートの、近くの、日産のディーラー系の中古車店で、買った。
ディーラー系の中古車店は、自社工場を持っていて、アフターサービスが良かった。
彼は、車の車種とかは、全然、興味が無く、知らなかった。
その時には、すでに、新型マーチも、出ていたが、新型マーチは、車幅が、広くなってしまって、まるで、カボチャのようで、彼には、不恰好にしか、見えなかった。
よく、あんな、不恰好な車を買う気がするものだと、彼は世間の人間の感覚が、全く、わからなかった。
それに、車幅が広いと、車庫入れ、とか、駐車場に、車を駐車する時、両隣りの車に接触しないよう、気をつけないと、ならない。
駐車場では、どこでも、出来るだけ、小さなスペースで、出来るだけ、多くの、車を止められるようにしようとするから、駐車のスペースの幅が小さくなってしまう。
さらに、公道を走っていても、バイクは、車の横をスイスイ抜いていくし、自転車が走っていたら、追い越さねばならない。その時にも、車幅が狭い方が、接触しにくい、し、気も使わない。
一時停止で、路上駐車する時でも、車幅が、狭い方が、他車の迷惑にならない。
そういう、実用上の理由でも、彼は、車幅の狭い車にしたかったのである。
それで、日産の、ディーラー系の中古車店で、買う時には、あえて、新型マーチの中古車もあるのに、旧型マーチを、探してもらったのである。
それで、表示価格25万、走行距離、4万kmの旧型マーチが、あったので、即、それに決めた。保証は、一年つきで、車検は、2年だった。
諸経費は、10万円だった。ので、合計は、35万円だった。
安い方である。
しかし、買った、平成24年の夏に、エンジンのトラブルが起こってしまった。
さらには、電気系統のトラブルも起こった。
しかし、1年、保証の約束は、誠実に守ってくれて、修理してくれた。
車検は、2年だったので、平成26年の時に、車検を、受けたが、あらかじめ、かかる費用を見積もってもらったが、10万円だった。
10万なら、買い替える必要もないと思い、10万で、車検を通して、乗りつづけた。
しかし、今回の車検は、いくら、かかるだろうかと、彼は、急に気になり出したのである。
それで、急いで、修理をやってくれる、日産のディーラー店に、行ってみた。
平成28年の、1月11日である。
車検は、2月11日で、切れるから、あと、1ヶ月である。
「車検にかかる費用、見積もってもらえませんか?」
と彼は聞いた。
「はい。わかりました」
と、店の人が言った。
店では、新車を売っているが、店の裏に、修理場があって、修理工が、働いている。
彼は、自動車の、修理工を立派だと思っていた。
毎日、油にまみれ、汚れた服で働いて。
働く、とは、ああいうことを、言うものだ、と彼は思っていた。
一時間、くらいして、店の人が、やって来た。
それで、見積もりの明細を見せてくれた。
部品交換と、工賃が、バーと、並んでいて、合計で、18万円だった。
彼は、あせった。
彼は、車検にかかる費用が、10万、程度なら、買い替えることなく、乗り継ごうと思っていた。
彼は、車の事情については、素人だか、それでも。
しかし、18万ともなれば、もう少し、金を出せば、中古車が買える。
ボロボロになった、車を、18万も出して、乗り続けるよりは、あらたに中古車を買い替えようと、思った。
彼は、カーマニアでは、さらさらなく、車は、移動する手段という目的でしかなかった。
なので、彼は、軽自動車を、欲しがってもいた。
軽自動車は、660ccで、燃費が、普通自動車より、いい。
最近、ガソリン価格が、どんどん、下がってきて、1リットル、100円を切るほどにまでなったとはいえ、旧型マーチは、彼が、オイル交換などしないことも、あるだろうが、あきらかに燃費が悪く、レギュラー満タンにしても、300km、も走らないで、ガソリンスタンドに入らねばならなかった。
レギュラー満タンにする時、だいたい、30リットル、入れるので、1リットルで、10km、ということになる。
これは、明らかに燃費が悪い。
それに比べると、軽自動車は、最新の性能の良いのだと、1リットルで、35km、とか、テレビで宣伝している。最新の軽自動車でなくても、軽自動車の方が、燃費がいいのは、明らかである。彼は、以前、ネットで検索したら、軽自動車の燃費は、最新のでなくても、1リットルで、20kmとか、書かれてあるのを見ていた。
それで、軽自動車をうらやましく思っていた。
そこで、彼は、ボロボロになった、車を、車検のために、18万も出して、乗り続けるよりは、あらたに軽自動車、の中古車、を買い替えようと、思った。
ともかく、車検まで時間がない。
それで、彼は、急いで、平成24年に、旧型マーチを、買った、日産の、ディーラー系の中古車店に行った。
売った時の人は、居て、彼を覚えていた。
「車検が、あと、一ヶ月で、切れるので、日産に行って、車検にかかる費用を見積もってもらったら、18万円と言われました。買い替えたいと思います。中古車で、軽自動車で、良いの、ないですか?」
と、彼は聞いた。
「わかりました」
そう言って、店長は、ネットで検索してくれた。そして、
「店にも、軽自動車、置いてありますけれど、見てみますか?」
と、言ってくれた。
「はい。ぜひ、見たいです」
と、彼は言った。
軽自動車は、4台ほど、置いてあった。
それは。
ピノ(平成21年式。69.8万円)
デイズ(平成25年式。68.0万円)
オッティ(平成23年式。48.6万円)
モコ(平成21年式。64.8万円)
の、4台であった。
彼は、軽自動車でも、車幅が狭い、小さな車が、欲しかった。
ピノとオッティは、比較的、車幅が狭かった。
しかし、何か、しっくりしなかった。
車幅や、車体の大きさから見ると、軽自動車といっても、旧型マーチと、ほとんど、変わりない。
車は、一度、決めて買ったら、最低、4年は、使うことになる。だろう。
ディーラー系の中古車店の車は、値段は、高目だが、値段が高い、ということは、故障しにくい、ということでもある。
しかも、年式も、結構、新しい。
保証は、一年ついているが、一年以上、経ったら、もう保証なしである。
しかし、一年以上、経った後で、故障が、出てきても、修理の値段は、事故でも、起こさない限り、5万を超すことは、まずない。
中古車は、安いのだと、表示価格15万とかのもある。それに、諸費用10万を入れると、25万になる。修理したら、その箇所は、壊れず、そのうちに、別の部位が、故障してくることになる。それも、修理代に、5万を超すことは、まずない。
だから、いったん、中古車を買ったら、4年は、最低、買った車に乗ることになる。
だから、中古車、選びは、慎重にしなければ、と彼は思った。
それで、彼は、日産のディーラー系の中古車店を出た。
小田急線の左に沿って走る、国道467号線は、両側に、やたらと、中古車屋が多い。
中古車通り、と言われているくらいである。
ともかく、書きかけの小説を、早く、書き続けたい、ため、車選びに、時間をかけている暇は、なかった。
彼の気は焦った。
個人でやっている中古車店は、信用できない。
国道467号線を、少し北に行った所に、ガルバーが見えてきた。
ガルバーは、中古車買い取りの大手だが、中古車販売とも、看板に書いてあった。
それで、彼は、ガルバーに入った。
「いらっしゃいませ」
店員が出てきた。
「あのー。この車、売れないでしょうか?」
ガルバーは、買い取りも、やっているので、一応、今、彼の、乗っている、旧型マーチを査定してもらった。
旧型マーチは、外観は、傷があるが、まだまだ、実感として、走れるのである。
走行距離も、6万5千80kmと、少ない。
それに、買った、購入時から、二回、車検を通していて、車検では、大体、10万円くらいかかる、が、車検を通す時に、古くなった、部品は、交換している。
だから、実感として、まだ走れるような気がするのである。
それに、車体に、大きな傷はあるが、オーディオとか、バッテリーとか、あらゆる部品を、ばらして、その部品に、価値は無いのか、とも思った。
実際、車検の時は、こまごました、部品を交換するが、その部品は、必ずしも、新品ではなく、中古ということもあり、ともかく、規格にあったもの、を、修理の時、修理工場でも、探すから、車ごと、売れなくても、車をバラして、部品を、とっておく、ということは、しないのか、とも、思った。
実際、街を走っていても、旧型マーチは、まだ結構、見かける。
ああいう車が、車検を通す時に、部品交換が、必要になることも、あるだろう。
古い型の車の部品は、見つかりにくい。だから、部品にも、価値はあるんではないだろうかと、彼は、思っていた。
しかし、値段は、つかなかった。
中古車の価値は、性能とか、まだ走れる、とかいう点で決められるのではなく、車市場で人気のある車種、年式の新しさ、で決まる、ということは、彼も知っていた。
なので、廃車しかない、と、あきらめた。
「あの。中古車、探しているんですけど・・・」
彼は、中古車の購入に、気持ちを切り替えた。
「では、どうぞ。お入り下さい」
店員が言った。
言われて、彼は、店の中に入った。
ガルバーなら、日産のディーラー系の中古車店と違って、全ての、メーカーの中古車があるはずである。
「どういう、お車をお探しでしょうか?」
店員が聞いた。
「軽自動車を探しているんです。軽自動車の方が、燃費がいいですよね。僕は、軽自動車について、全く、知らないので。燃費が良いのが欲しいんです。どういうのが、いいでしょうか?あと、一ヶ月で、今、乗っている、マーチの、車検が切れますので」
と彼は、聞いた。
「ご予算的には、いくらくらいを考えておられるのでしょうか?」
店員が聞いた。
「そうですね。車体価格は、30万から、40万、くらいですね」
と彼は言った。
「わかりました。では、検索してみます」
そう言って、店員は、ネット検索し始めた。
しばしして。
「そうですね。ラバンで、40万円の車が、見つかりました。これは、どうでしょうか?」
そう言って、店員は、プリントした紙を、彼に渡した。
軽自動車だから、当然、排気量は、660ccである。
年式は、平成17年式。走行距離は、5万3千km。だった。
「ラバンとは、どういう車でしょうか?」
彼は、軽自動車に関する知識が、無いので、単純な質問をした。
「そうですね。大体、アルトと、構造は、同じですよ。アルト、を、女性向けに、デザインした、車で、女性に人気の車です。乗ってる人も女性が多いですね」
と、店員は、言った。
アルト、と言われても、彼は、アルトも、良く知らなかった。アルトの名前だけは、テレビのコマーシャルで、何回か、聞いたことがあるので、知っていたが。
「実際、見てみたいですね」
と、彼は言った。
車幅とか、全長とか、車高とか、車体の大きさ、とかは、写真だけでは、わからなかった。
「ちょっと、待っていて下さい」
と店員は言った。
店員は、店から見える、国道467号線に視線を向けた。
そして、しばし、待った。
店の、すぐ前には、信号機のある交差点があった。
国道467号線の、進行方向の信号機が赤になった。
たくさん、流れていた車が、赤信号で、止まった。
「あっ。お客さん。見て下さい。今、信号待ちで、停車している車の、三番目が、ラバンです」
そう言って、店員は、窓の外を、指さした。
彼は、言われて、その方を見た。
車体は、軽自動車にしては、まあ、普通な方だった。
日産のディーラー系中古車店で、見た、軽自動車より、は、明らかに、コンパクトに見えた。
車体の格好も悪くない。
(これなら、いいや)
と、彼は、一瞬で、思った。
「じゃあ、そのラバンにします」
と彼は言った。
「じゃあ、これに、署名して、サインして下さい」
店員は、そう言って、売買契約書を出した。
売買契約書といっても、車の写真に、彼の住所、年齢、性別、携帯番号、が、記載されてあって、諸経費の、大まかな内訳が、書いてある、簡単なものだった。
諸経費は、普通、10万円くらいなのに、なぜか、30万、と高かった。
「諸経費が高いですね。どうしてですか?」
彼は、疑問に思って聞いた。
「これは、特選車ですので。車検も2年ついてますし、半年のフルサポートが、ついていますので・・・。それに、我が社では、色々なサービスがついていますので・・・」
と店員は、言った。
諸経費が、30万と、高いのが、疑問だった。
しかし、彼は、車のことなど、はやく片づけて、小説を書きたいと、思っていたので、気が急いていた。
ディーラー系の中古車店とか、個人の中古車店なら、大体、諸経費は、10万円である。
しかし、ガルバーでは、そういう、やり方なのだろう、と、わからないままに、決めることにした。
車両本体価格40万で、諸経費30万円、なら、合計70万である。
そして、実際、合計、きっちり70万円だった。
個人とか、ディーラー系の中古車店なら、合計70万といえば、車両本体価格60万で、諸経費10万円である。
車両本体価格60万円、なら、しっかりした車だろう、と、彼は思った。
ただ、ガルバーは、他の中古車店とは、やり方が、違うのだろう、思った。
ともかく、信用することにした。
なんせ、ガルバーは、車買い取りの、大手なのだから。
しかし、彼は、印鑑は、持っていなかった。
「印鑑は、持ってきていません」
彼がそう言うと、
「では、母印でも構いません」
と、店員は言った。
彼は、名前の後ろに、二ヵ所、母印を押した。
「納車は、一月の下旬頃になると思います」
店員は、そう言って、いくつかの書類を彼に渡した。
「では、出来るだけ、早く、印鑑証明と住民票を持ってきて下さい」
店員が言った。
「では、明日、持ってきます」
と彼は言った。
もう、外は真っ暗だった。
彼は、書類を入れた、ガルバーの封筒を持って、アパートに帰った。
(はあ。やっと、これで、面倒な、車の買い替えが終わった)
と彼は、ほっとした。
そして、ニュースを見て寝た。

翌日になった。
手続きは、できるだけ早く、すませたいと思っていたので、彼は、午前中に、市役所に、住民票と、印鑑証明を、とりに行った。
そして、取った。
そして、銀行で、ガルバーの指定口座に、70万円、入金した。
そして、その領収書と、印鑑を持って、ガルバーに行った。
「こんにちはー」
と、彼は声を出して、店に入った。
店には、昨日の店員がいた。
「住民票、印鑑証明、それと、印鑑、それと、70万円、入金した、領収書を持ってきました」
そう言って、彼は、それらを差し出した。
「これは、これは。早く手続きして下さって、ありがとうごさいます」
と店員は、言った。
彼は、ガルバーを出た。
そして、図書館に行って、小説の続きを書き始めた。

一週間、経ち、二週間、経った。
しかし、ガルバーからは、何の連絡も来なかった。
二週間、して、ちょっと、納車の連絡が、遅いな、と彼は、疑問を持ち出した。
それで、ガルバーから、受けとった、書類の入った封筒を、見てみた。
普通、中古車の買い替え、なんて、簡単で、そんな、様々な、手続きなど、無いものである。
そして、あらためて読んでみた。
そして、驚いた。
封筒の中の書類は、5枚、あった。
それは。
売買契約書。
計算書。
使用済自動車の取引契約に関するご案内。
使用済自動車引取契約書。
ご契約に関する重要事項案内書。
の、5枚だった。
使用済自動車の取引契約に関するご案内、と、使用済自動車引取契約書、とは、要するに、あと、数日で車検切れとなる、今、乗っている、旧型マーチを、ガルバーで、廃車にする、という手続き、だった。
計算書とは、諸経費の内訳が、おおまかに書かれていた。
彼が、まず驚いたのは、A4サイズの、売買契約書である。
彼が、ガルバーの担当と、話した時は、売買契約書を担当の店員が、出して、二ヵ所に、
「はい。ここと、ここの二ヵ所に、サインして下さい。印鑑が無いなら、母印で結構です」
の一言だけ、だった。
売買契約書は、彼の、名前と、住所、生年月日が、書かれていて、車の写真が載っていて、単に、その車を、買う、という、契約だけだと思っていた。
売買契約書には、裏に何も書いてないと思っていた。
表だけだと思っていた。
しかし、裏面もあったのである。
購入する時、店員は、裏面もあるなどとは、一言も言わなかった。
実際、売買契約書の表面には、「裏面もあります」とか、「裏面もあわせて、内容を十分、お読みください」とかの、記載は、全く無い。
しかし、売買契約書をひっくり返してみると、「契約条項」、と書いてあって、第1条から、第22条まで、びっしりと、契約事項が、書かれてあった。
しかも、極めて、小さな字で、しかも、字の濃さが、極めて薄くて、極めて、読みにくい。
しかも、裏面には、赤字で、「表面もあわせて、内容を十分お読みください」、と書いてある。
これは、明らかに、おかしい。
売買契約書の表は、購入する車の、写真と、値段の簡単な、内訳が、書いてあるだけである。
こんな表面は、「内容を十分お読みください」などと、書かなくても、一目で、時間にすれば、2分もかからず、読めてしまう。
しかし、裏面の、「契約条項」、は、見落としてしまうかと思われるほどの、極めて小さな、字で、しかも、字の濃さが、極めて薄い。
読みにくいこと、限りない。
こんな、読みにくい、文章は、普通の人は、読みにくいから、読み始めたとしても、途中で、まず、投げたしてしまうだろう。
それで、彼は、急いで、コンビニに行って、コピー機で、売買契約書の裏面を、「文字の濃さ」、を、「自動」ではなく、「一番、濃い」、設定にして、コピーした。そうしたら、文字は、濃くなって、読みやすくなった。彼は、さらに、そのコピーを、「一番、濃い」、設定にして、コピーした。そうしたら、読める、普通の濃さの文字になった。
そうやって、二度、コピーしても、文字化けすることは、全くなかった。
さらに、文字も、極めて小さく、行間も、ほとんど無いくらい、で、読みにくいので、濃くコピーした、のを、A3サイズに、二倍に、拡大コピーした。
それで、やっと、読みやすい、文章に出来た。
彼は、急いで、それを持って、アパートに帰って、読んだ。
甲(彼)、と乙(ガルバー)の、契約内容が、びっしりと書かれてあった。
一言で、いって、「契約条項」の、内容は、全て、乙(ガルバー)に有利な内容だった。
まあ、契約とは、ほとんどが、そういうものだか。
そして、裏面には、しっかりと、「表面もあわせて、内容を十分お読みください」、と、赤字で書いてあった。
これは、明らかに、おかしい。
表面の、説明は、個条書きで、読む、というより、見れは、わかるだけである。
しかし、裏面の、「契約条項」、は、甲(彼)と、乙(ガルバー)の、さまざまな、事柄に関した約束で、その文章は、抽象的で、まるで、法律の条文のようであり、専門用語も、まじえていて、極めて理解しにくい、意味のわかりにくい、文章である。
実際、彼は、「契約条項」、を何度も、読んだが、理解できない,内容が、いくつもあった。
ここに、至って、彼は、ガルバーに不審を抱き出した。
本来なら、22項目もある、しかも、びっしりと書かれた、抽象的な、専門用語もまじえた、分かりにくい、裏面の、「契約条項」、の、方をこそ、しっかりと、読むよう、注意喚起すべきなのだから、表面に、赤字で、「裏面もあわせて、内容を十分お読みください」、と書くべきはずだ。しかし、ガルバーの売買契約書は、まるで、その逆である。しかも、店員は、裏面もあることを、知っているのに、そのことは、一言も言わなかったのである。
ここに、至って、彼は、ガルバーに不審を抱き出した。
さらに、「ご契約に関する重要事項案内書」も、読んでみた。
「重要」という言葉は、入っているが、何の説明も無く、サインや、印鑑を押すこともなかった。
なので、どうでもいいパンフレットのようなものだと、彼は思っていた。
8項目あったが、5番目に、キャンセルについて、という項目があった。
それによると、契約した、翌日までは、キャンセル出来るが、翌々日、以降になると、実費を支払うことで、キャンセル可能、と書いてあった。
これは、納得できる。
契約したら、自動車を整備したり、手続きを始めるから、途中で、キャンセルしたい、と思ったら、それらにかかる費用は、契約した人が払う、というのは、筋が通っている。
しかし、無償のキャンセルは、翌日まで、で、翌々日からは、車の整備や法的手続きのため、実費を支払わなければ、ならない、というのは、重要なことである。
こういう、重要なことを、パンフレットのように、添えて、何も言わず、渡す、というのは、不誠実である。
重要なことなのに、一言も説明しないのだから。
さらに。「ご契約に関する重要事項案内書」にも、裏面があった。
裏面には、「返品についてのご案内」と、書かれてあった。
それによると。
ガルバーで、車を買うと、納車した後でも、返品できる、サービスがある、というのだ。
その返品条件は、納車後、100日、以内。走行距離1万キロ以内、ということだった。
100日と言えば、3ヶ月と、10日で、100日で、1万キロ走れる人は、まず、いないだろう。
その他にも、合計9項目、返品の条件、が書いてあったが、要するに、ぶつけたりしていなく、購入時の、状態であれば、100日、以内なら、返品できる、というのだ。
これを読んだ時、もちろん、彼は、素晴らしいサービスがあるもんだ、とは、思わなかった。
そんな、バカな、という思いだった。
返品サービスといっても、購入時の全額が返品されるわけではない。
車両表示価格の、5%、支払う、義務がある、という条件だった。
諸経費も、返す、ということだった。
車を購入する総費用は、車体表示価格と、諸経費である。
ガルバーでは、(ガルバーに限らず)、中古車販売では、車の値段が安いように、見せかけるために、表示価格は、出来るだけ、低く、表示してある。
それで、諸経費が、大体、10万円、くらい、というのが、多い。
ガルバーの場合、特に、表示価格を低くしている。
彼の、契約したラバンは、車体表示価格40万円である。
そして、諸経費が、30万だった。
この諸経費が、高すぎる、と、彼は、最初、疑問に思った。
では、ガルバーの、返品サービスを利用すると、納車して、彼の車になって、自由に乗っても、100日以内なら、車体価格40万の5%だから、2万円、支払えば、68万円、返して貰える、ということになる。
素晴らしいサービスである。
しかし、これは、おかしい。
世の中に、うまい話など、あるはずが無い。
こんな、サービスをしたら、レンタカーや、カーリース業が、やっていけなくなる。
ガルバーで、中古車を買えば、2万円で、100日、車を借りられるのである。
そんな、バカな話は無い、と彼は、思った。
世の中に、うまい話など、あるはずが無い。
それで、彼は、ネットで、ガルバーの評判を、検索して、調べてみた。
すると、ガルバーは、「詐欺」とか、「悪質」とか、「ガルバーで、絶対、車を買っては、いけません」とか、無限とも、いえる、悪評が、出てきた。
ネットの情報は、いい加減なのも、あるが、こういう悪評は、実際に、購入して、体験した人が、書いているので、かなり、信頼できる面もある。
それで、彼は、急いで、ガルバーに行った。
店には、彼の担当者がいた。
「いらっしやいませ」
店員は、笑顔で、対応した。
彼は、店員と、向かい合わせに、テーブルに座った。
「整備も進んで、もうすぐ納車できますよ」
店員は、ニコニコ、笑って言った。
「いえ。今日は、そういう要件ではなくて、聞きたいことがあって、やって来ました」
と、彼は言った。
「何でしょうか?」
店員が聞いた。
「返品サービスのことです」
彼は言った。
「納車した後でも、100日、以内なら、返品できるんですか?」
彼は聞いた。
すると、途端に、営業マンの顔が曇った。
「返品サービスをする人は、ほとんど、いませんよ」
営業マンは、不愛想に言った。
「どうしてですか?」
彼は聞いた。
「返品サービスは、仕事で海外出張になったり、病気や怪我で、病院に入院することになったり、した人だけにしか認めていません。買ったけれど、やっぱり気が変わった、という理由での、返品は、受けつけていません」
と、営業マンは言った。
ここに至って、彼は、完全に、ガルバーに、だまされた、と確信した。
返品条件の、9項目には、そんなことは、書かれていない。
売買契約書の、裏面の、「契約条項」にも、そんなことは、書かれていない。
彼はアパートに帰った。
だまされた、と、彼は思った。
それで、その日は寝た。

翌日になった。
もっと、最初にガルバーの評判をネットで、検索しておけば良かった、と後悔した。
しかし、彼は、こうも、考えた。
ネットで、ガルバーの悪評は、多すぎる。
しかし、そういう人達は、ガルバーで、中古車を買って、後悔している人達だけだ。
ガルバーで、中古車を買って、問題がなかった人だって、いるはずだ。
しかし、問題がなかった人は、多くの場合、ネットに、書き込みなどしない、ものだ。
好事門を出でず、悪事千里を走る、である。
確かに、営業マンは、どんな分野でも、客との契約をとった、多さが、営業マンの能力、成績、と評価される。
だから、仕事熱心な営業マンは、丁寧な説明など、わざと、しないで、良いことばかり言って、契約を早くとろうとする。
そして、契約を多くとった社員が、優秀と会社で評価される。
それが、営業マンの仕事というものだ。
それに、ネットで、悪評が多いとはいえ、たかが、中古車販売、である。
金額も、70万、払っている。
そうそう、簡単には、故障など、しない、だろうとも、彼は考えた。
それに、ラバンに決めてから、彼は、街を運転する時、軽自動車に関心が出て、運転する時は、つい軽自動車を見るようになっていた。
ラバンは、軽自動車でも、いい車だと、彼は思っていた。
もう、乗りかかった船、というか車で、引き返すことが出来ないのだから、仕方がないとも思った。
それで、その日は寝た。
しかし、何か、しっくりしない、不快な気持があった。
一度、決めて買ったら、最低、4年は、使うことになる。
しかも、70万円も、払っているのである。
故障しても、修理代は、高くても、10万など、いかない。
10万かかる修理など、まずない。
故障した年式の古い中古車など、中古車買い取り店へ持って行っても、値段がつかないか、極めて、安い値段で、買い取られるのが、オチである。
だから、一度、買った中古車は、故障しても、修理して、乗り続けるしか、ないのである。
そして、修理すると、修理した個所は、大丈夫になるから、乗り続けられることになる。
そうして、また、何か月か、一年近く、乗っていると、別の部位が故障してくる。
そして、その時も、やはり、修理である。
だから、中古車を一度、買ったら、最低、4~5年は、乗り続けることになる。
だから、中古車、選びは、慎重にするべきなのだ。
不快な思いで、運転していると、精神的にも良くない。
事故も、起こりかねない、かもしれない。
そう考えると、やっぱり、彼は、契約した中古車のことが気になりだした。
それで、ガルバーの、お客様相談センターに電話した。
彼は、まず、一般論を聞いてみようと思ったので、発信者番号非通知でかけた。
すると、女の対応者が出た。
「はい。ガルバーです」
「ガルバーの返品サービスについて、聞きたいのですが?」
彼は言った。
「はい。どんなことでしょうか?」
「ガルバーで、車を買うと、納車後でも、返品サービスは、ありますね?」
「ええ」
「その返品の条件とは、納車後、100日以内で、走行距離が1万キロ以内で、返品条件は、9項目ありますが、それを満たしていれば、返品できる、と、書いてありますが、本当ですか?」
「はい。本当です」
担当は、書面通りのことを答えた。
「私は、今、ガルバーで、中古車を買う契約を、すでにしました。もうすぐ納車です。しかし、気が変わって、返品したいと、思うようになったんです。しかし、そのことを、店の人に、言ったら、ダメだと、言われたんです。店員は、こう言ったんです。『返品サービスは、仕事で海外出張になったり、病気や怪我で、病院に入院することになったり、と、よほどの事情のある人だけにしか認めていません。買ったけれど、やっぱり気が変わった、という理由での、返品は、受けつけていません』と。しかし、こんなことは、9項目ある、返品サービスの条件に書いてありませんが、おかしいんじゃないですか?」
「お客様のお名前と電話番号を教えて頂けませんか?それと、お客様が、買った、ガルバーの店を教えて頂けませんか?」
「はい。私の名前は、宮田誠一です。電話番号は、090-1234-5678です。中古車を買ったガルバーの店は、××です」
「わかりました。店長に連絡して、事情を聞いてみます。連絡が取れ次第、折り返し、連絡致します」
そう言って、ガルバーの本部の対応者は、電話を切った。
彼は、ネットで、中古車を買った、ガルバーの店を検索してみた。
彼は、店長には、あったことがなかった。
店舗のホームページも、あった。
担当の顔写真も、店長の顔写真も載っていて、月並みな、宣伝が書いてあった。
営業マンは、若く、笑顔だが、店長は、ちょっと、こわそうな顔つきだった。
しばしして、携帯が、トルルルルッとなった。
急いで、彼は、携帯に出た。
「宮田誠一さまで、いらっしゃいますか?」
「はい。そうです。先ほど、返品サービスのことで、お聞きしました」
「店は、今日は休みだそうです。店長の携帯に電話したところ、返品サービスの件については、明日、店長が説明する、とのことです。それでよろしいでしょうか?」
「はい」
「午後2時で、よろしいでしょうか?」
「はい」
彼は、ついでに、一言、加えた。
「あなた。ネットでのガルバーの評判、調べたこと、ありますか?」
「いえ。ありません」
「あなた。自分の会社の、評判も、調べようともしなんですか?「ガルバー」、「評判」、で検索してご覧なさい。悪評がバーと出てきますよ」
そう言って、彼は、電話を切った。
明日、店長は、どう出るか。
そのことを思いながら、彼は、その晩、寝た。

翌日になった。
その日、ちょうど、納車の日だった。
つまり、店に車が届いて、その日から、契約したラバンが、彼の所有物になる日だった。
午後1時30分に、彼はアパートを出た。
ガルバーは、近く、5分で着いた。
車検切れ間近の彼の、旧型マーチを、ガルバーの店に入れようとすると、店長が出てきた。
ひきつった笑顔だった。
「やあ。宮田さんですね。私は、店長の、××です」
と、彼は、言った。
店に入るや、直ぐに、彼は、店長と、テーブルに、向かい合わせに、座った。
若い、営業マンは、いなかった。
「話は、本部から聞きました。解約したいということですね」
「はい。そうです」
「それは、どういう理由で、でしょうか?」
「あなた。ネットで、ガルバーの評判を、検索したこと、ありますか?」
「え、ええ。まあ」
「ネットで悪評が多過ぎます。それで、ガルバーが信用できなくなってしまったんです」
「そうですか」
「渡された、返品についてのご案内、によると、納車後、100日以内で、走行距離が1万キロ以内であれば、返品できる、と、渡されたパンフレットには、書いてあります。返品条件が、九つ、ありますが、要するに、買った時の状態であれば、返品できる、となっています。全額、返金ではなく、車両本体価格の5%、つまり、私の場合は、車両本体価格は、40万円ですから、2万、支払えば、返品できる、ということになります。しかし、ここの店営業の人は、『返品サービスは、仕事で海外出張になったり、病気や怪我で、病院に入院することになったり、した人だけにしか認めていません。買ったけれど、やっぱり気が変わった、という理由での、返品は、受けつけていません』、と、言いました。9つの、返品条件には、そんな事は、どこにも書いてありません。それで、本部、つまり、ガルバーの、お客様相談センターに、聞いてみたところ、そんな条件があるとは、言いませんでした。つまり、渡された書類に書いてあることと、営業マンの言うことと、ガルバーの本部が、言うことが、全く、食い違っているじゃ、ありませんか。それで、信用できなくなったんです」
店員は、黙って聞いていた。
彼は、A4サイズの、売買契約書を取り出して、テーブルに置いた。
そして、売買契約書の裏面を見せた。
そして、裏面の、「契約条項」を、濃くコピーした、A4サイズのコピー紙と、さらに、A4サイズを、2倍に拡大した、A3サイズの、コピー紙を、置いた。
彼は、店で渡された、「契約条項」と、それを、濃くコピーした、同じ、A4サイズの、コピー紙を並べた。
ガルバーで、渡された、「契約条項」は、極めて、小さな字で、しかも、極めて、薄い。
「これは、コンビニのコピー機で、濃度を、自動、ではなく、手動で、一番濃い、設定にして、コピーしたものです。原本と、コピーした物と、どっちが、読みやすいと思いますか?」
彼は聞いた。
「それは、コピーした方ですね」
と、店長は、ひきつった笑い顔で言った。
「そうですよ。私が言うと、私の主観になってしまいます。しかし、これを、第三者、100人に、見せて、どっちの方が、読みやすいか、と、聞いたら、間違いなく、100人中、100人、が、コピーした方が、読みやすいと、言うと思いますよ。そうは思いませんか?」
「そうですね」
と、店長は、ひきつった笑い顔で言った。
「この、契約条項は、ガルバーの会社の方針で、全国450店舗で、こうやっているのでしょう。このコピーのように、読みやすく出来るのに、ガルバーでは、わざと、文字を薄くして、読みにくくしているとしか、思えません。そして、A4サイズの大きさに、22条もの、文章が、びっしり書かれています。その内容は、甲(彼)と、乙(ガルバー)の、さまざまな、事柄に関した約束で、その文章は、抽象的で、まるで、法律の条文のようであり、専門用語も、まじえていて、極めて理解しにくい、意味のわかりにくい、文章です。そして、ともかく文章が多い。A4サイズの大きさでは、字が小さくて、行間も、ほとんど、ありません。これでは、読みにくいので、僕は、A4を、2倍のA3に拡大コピーしました」
そう言って、彼は、A3サイズの「契約条項」を差し出した。
「これなら、読みやすいですよね。読めますよね」
「え、ええ」
「僕は、この、契約条項、を、何度も、繰り返し、読みました。内容は、甲(彼)と、乙(ガルバー)の、さまざまな、事柄に関した約束です。そして、契約の内容は、全て、乙(ガルバー)、に、有利な条件になっています。しかも、文章は、抽象的で、専門用語も、使っていて、意味が、極めて、わかりにくいです。僕は、何度も、読みましたが、いまだに、意味がわからない、ところが、いくつもあります。しかも、同じようなことが、二度も書かれていたりされています。これも、おかしい。丁寧に読んでも、理解できにくいです」
店長は、黙って聞いていた。
「これは、僕の推測ですが、ガルバーは、わざと、字を薄くして、読みにくい契約条項にしているのでは、ないでしょうか。そして、同じような、内容の文章を、二回も繰り返して、書いている。これは、わざと、字数を増やして、わざと、A4の用紙に、びっしり、書くことで、字を、わざと、小さくして、読みにくくしているのではないでしょうか。多くの人は、原本だけ読むだけでしょう。手間をかけて、コピーして、読みやすく、することなど、しないでしょう。きわめて薄い字でも、コピー機で、手動で、濃い設定にして、コピーすれば、濃い、普通の濃さの字に出来る、ということを、知らない人もいるでしょう。これでは、22条の、契約条項、のうち、第3条、あたりで、読みにくい、と、投げ出してしまって、読まない人の方が、圧倒的に多いと思います」
と、彼は、強い口調で言った。
そして、彼は、契約条項の原本をひっくり返した。
契約条項の裏が、表面で、売買契約書、と書いてある。
そこには、車の写真と、車の年式、走行距離などの、車のことと、諸経費の内訳や、サービスなどが、簡潔に個条書きで、書かれていた。
彼は、売買契約書、を指差した。
「この表面の、売買契約書、と書かれた、表面には、どこにも、裏面もあります、とか、裏面も、よく読んで下さい、とかの注意書きが、一言も書かれていません。裏面もあって、裏面には、重要な、契約条項、が、びっしり、書かれているのですから、裏面も、よく読んで下さい、と、書く方が、常識的では、ないでしょうか?しかも、担当者は、購入時に、裏面もあります、とか、裏面も、読んでおいて下さい、とも、一言もいいませんでしたよ。ただ単に、表面の、二ヵ所に、『サインして下さい、印鑑がなければ、母印で結構です』、の一言しか、言いませんでしたよ。営業マンは、当然、裏面があって、重要な、契約条項が、びっしり、書かれていることは、知っています。なら、裏面も、ありますから、よく読んでおいて下さい、と口頭で、一言、いっても、いいじゃないですか。というより、言うべきなんじゃないですか。あるいは、紙をひっくり返して見せるだけでも、いいじゃないですか。裏面の、契約条項の、第22条では、クーリングオフできない、という極めて重要なことも、書いてあります。それで、『サインして下さい』のたった一言ですよ。僕は、売買契約書には、裏面があるとは、全く思っていませんでした。多くの人も、表面だけで、裏面は無い、と、思ってしまう人や、裏面に気づかない人は多いと思いますよ。しかも、裏面の、契約条項は、すべて、ガルバーに有利なことです。これは、都合の悪いことは、説明しないで、騙して、契約を急がせている、詐欺的なやり方と、言っても、何ら、言い過ぎてはないと、思います。このことに関して、どう思いますか?」
と、彼は、強い口調で言った。
店長は、答えられず、ひきつった顔で、ニヤニヤしている。
彼は、続けて言った。
「しかも、裏面の、契約条項の上には、赤字で、囲って、表面もあわせて、内容を十分お読みください、と書いてあります」
そう言って、彼は、表面を裏返して、裏面にして、その部分を指差した。
「これは、ヘタな漫才より、おかしい。表面の、売買契約書は、車の写真と、購入者の氏名、住所、そして、走行距離などの、車のおおまかな説明と、そして、売買に関することが、個条書きの、短い文で、書いてあります。こんなのは、読む必要も無く、一目、見れば、一分以内で確認できます。内容を十分、読むべきなのは、裏面の、契約条項です。内容も重要なことが、書かれていて、しかも、甲(買い手)、乙(ガルバー)、が、どうこう、という契約内容が、22条も、びっしりと、紙面、いっぱいに書かれてあります。しかも、文章は、六法全書の文章のように、抽象的で、わかりにくい。僕は、これを、濃くコピーして、それを2倍に拡大して、そして、何度も、読みました。しかし、何度、読んでも、内容が、わからない個所が、いくつもあります。これは、常識的に考えても、全く、おかしい。普通なら、表面に、裏面もあわせて、内容を十分お読みください、と書くのが、普通の感覚ではないでしょうか。この売買契約書、自体が、おかしい。そして、契約の仕方もおかしい。これは、私の主観ですから、私が、おかしい、と思っているだけです。では、客観的に見て、おかしいか、まとも、か、警察署に行って、警察官に聞いて、警察官の判断を求めてみましょうか?」
と、彼は、一気に捲し立てた。
店長は、グウの根も出なかった。
「わかりました。では、納車後、返品サービスを行わせて、いただきます。それで、よろしいでしょうか?」
「ええ。そう、お願いします」
店長は、納車の合意書の用紙をテーブルの上に、差し出した。
彼は、それに、サインして、印を押した。
これで、70万のラバンは、彼の物になった。
「では、一応、ラバンが、届いていますので。ご覧になりますか?」
「ええ」
彼は店長と、ともに、立ち上がった。
そして、店を出た。
店の前には、グレーの、写真通りの、ラバンが、置いてあった。
店長は、ドアを開けて、車の内部を見せた。
フットブレーキまで、きれいに拭いて、ピカピカだった。
しかし、そのことは、ネットに書いてあって、知っていたので、驚かなかった。
ボンネットも、開けた。
きれいに、拭かれていて、しかも、見た目でも、エンジンだの、バッテリーだの、見える部品は、新しそうに見えた。
彼は、一瞬、このまま、買ってしまいたい、欲求が、起こった。
しかし、彼は、その気持ちを自制した。
そして、再び、店に入った。
店長も、それを、察してか、また、販売を促すような、態度になった。
そして説明しだした。
「保証期間は、半年です。フルサポートですので、六ヶ月までに、故障が起こったら、上限、20万円までは、無料で、修理いたします」
と、店長は、言った。
彼は、また、驚いた。
フルサポート、というのなら、上限など無いものだと思っていた。
「上限20万、という制約があるのですか?」
「ええ」
「それも、購入する時、聞きませんでした。し、書類のどこにも、書いてないじゃないですか」
「でも、エンジンの故障とか、高い修理でも、20万を越す修理というのは、まず、ありませんので・・・」
これで、彼のガルバーに対する、信頼は、完全に無くなった。
ディーラー系の中古車店で、保証といったら、普通、上限などなく、買い手の責任でなく、車が故障したのなら、修理費は、無制限である。
ともかく、ガルバーは、都合の悪いことは、説明しないで、契約が、成立した後、買い手が、質問すると、情報を小出しにしてくる。
「では、納車後、返品サービスをお願いします」
と、彼は言った。
「わかりました」
店長は、解約合意書をテーブルの上に置いた。
彼は、それに署名し、印鑑を押した。
「では、車両本体価格40万円の5%の手数料、2万円を引いた、68万円を、今週中に、振り込みさせていただきます」
と、店長が言った。
彼は、解約合意書を含めた、書類を、まとめて、袋に入れて、店を出た。
ガルバーは、中古車買い取り店として、始まって、今は、全国、450店舗もある。
テレビでCMもしている。
そして、買い取りだけでなく、中古車販売もするようになった。
しかし、大手だから、といって、信用できない、ということは、以前、協力出版という形で小説集を、出版した、文芸社の、悪質さ、から、知っていた。
大手新聞のほとんどに、デカデカと、広告を載せているから、信用できるように思いやすい。
しかし、莫大な、広告料を新聞社に払ってくれる、ありがたい広告主には、新聞は、その広告主の、悪口など、書かないものなのだ。
というか、書けないものだ。
つまり、新聞も、インチキである。
ガルバーの場合、コンビニや、マクドナルドなと、と同じ、フランチャイズ形式の会社であり、全国に450店舗あるが、本部(フランチャイザー)は、何も知らなく、全国の店舗では、大都市に近い所では、直営店と、地方では、ガルバーの、名前を借りた、加盟店(フランチャイジー)がある。
しかし、本部では、何も知らなく、加盟店が(直営店もだが)、勝手なことをしている、のである。
そして、売買の、売り上げの成績がいい所を本部は、喜んでいる。
しかし、本部は、個々の店舗の実態は知らない。
なので、販売方法が、おかしいと思ったら、本部に連絡すれば、本部は、客の苦情から、個々の店舗の事情を知る。
そして、本部は、その店舗に注意する。
本部からの、注意を、個々の店舗は、おそれているので、本部に、連絡すれば、まず、問題は、解決する、という、のが、実態なのだ。
要は、直営店であろうが、加盟店(フランチャイジー)であろうが、店長の性格が誠実であるか、どうか、にかかっているのだ。
彼は、「はあ。疲れた」と、呟いて、アパートに帰った。
そして寝た。
翌日になった。
二月に入って、車検切れ、まで、あと、10日となった。
また、ゼロから、中古車を探さなくてはならない。
面倒くさいな、と、彼は思った。
しかし、仕方がない。
しかし、ラバンを見たことで、彼は、ラバンを気に入ってしまった。
ラバンは、スズキ自動車なので、スズキのディーラー系の中古車店を彼は、ネットで、探した。
わりと、近くに、スズキの、ディーラー系の中古車店があった。
それで、行こうと出かけた。
しかし、国道467号線は、中古車通り、と、言われるくらい、道路の左右に、無数の中古車店があった。
中古車は、よく探せば、安くて、長持ちのする、いい車を見つけられることが出来る。
しかし、彼は、小説を書く毎日だったので、時間が惜しく、車探しに、時間をかけたくなかった。
国道467号線は、いくつもの、中古車屋が、たくさんすぎるほど、並んでいた。
なので、必然、運転しながら、左右の、中古車店を見ながら、走行した。
左右を、見ながら、走行するので、前を、見たら、赤信号で、前の車が止まっていた。
彼は、「あっ」と、言って、思わず、急ブレーキをかけた。
その日は、雨で、路面が濡れていた。
その上、彼の、車検切れまで、あと、10日の、日産マーチは、タイヤが、すり減って、ブレーキをかけても、スリップした。
あわや、というところで、彼の車は、前の車のギリギリ手前で、止まってくれた。
ほっと、安心した。
もう少しで、前の車に、ぶつかる、ところだった。
それで、彼は、その後は、注意しながら、走行した。
実は、彼は、以前から、小さくて、明らかに、軽自動車と思える、車が置いてある、ある個人の中古車店を、うらやましそうに、見て知っていた。
表示価格19万とある。
しかし、個人経営の中古車屋は、信用できない、と思いこんでいたので、個人経営の中古車屋で、買う気は、毛頭なかった。
とりあえず、気に入った、スズキのラバンが欲しいので、スズキのディーラーを探して、買うしかない、と思っていた。
ディーラー系の中古車店は、アフターサービスがいいからである。
そのぶん、値段が、高目だが、表示価格10万とかの、激安車は、諸経費が10万円、くらい、かかって、合計20万円くらいになり、1年、以内に、色々と、故障個所が出てきて、結局は、修理に次ぐ、修理となってまう。
なので、多少、高目でも、信頼できる、ディーラー系の中古車店の中古車を買った方が、いいと信じ込んでいた。
表示価格19万の軽自動車が、置いてある、中古車店は、売り場面積も小さく、店も小さい上、古く、汚く、とても信頼できそうもない、と思っていた。
しかし、彼は、買う気はないが、一応、聞くだけ、聞いてみようと思った。
なので、彼は、その中古車販売店に、入った。
表示価格19万の軽自動車を、見てみると、それは、驚いたことに、年式の古い、ラバンだった。
普通、中古車店に、車を入れると、お客さん、が来たことを知って、店の方から、人が出てくる、ものだが、誰も出てこない。
人が、いないのか、と思って、戸を開いた。
「こんにちはー」
と言って。
店の中も、汚く、車を修理する場のように、タイヤや、自動車の部品が、散らかっていた。
しかし、店の中には、小さなデスクがあり、不愛想な親爺が一人、座っていた。
「こんにちはー」
と、彼は、再度、挨拶した。
「はい」
親爺は、不愛想に、一言、返事した。
親爺は、彼を、訝しそうに、眺めた。
その店は、中古車の販売と、一緒に、買い取りもやっていた。
それは、店の看板に、「自動車、買い取り。販売」と、あったからだ。
彼は、他店で、査定0円、と評価された、車検切れ直前の、マーチを、売れるかどうか、試しに聞いてみた。
外観は、傷があるが、まだまだ、実感として、走れるのである。
走行距離も、6万5千080kmと、少ない。
それに、買った、購入時から、二回、車検を通していて、車検では、大体、10万円くらいかかる、が、車検を通す時に、古くなった、部品は、交換している。
だから、実感として、まだ走れるような気がするのである。
それに、車体に、大きな傷はあるが、オーディオとか、バッテリーとか、あらゆる部品を、ばらして、その部品に、価値は無いのか、とも思った。
実際、車検の時は、こまごました、部品を交換するが、その部品は、必ずしも、新品ではなく、中古ということもあり、ともかく、規格にあったもの、を、修理の時、修理工でも、探すから、車ごと、売れなくても、車をバラして、部品を、とっておく、ということは、しないのか、とも、思った。
実際、街を走っていても、旧型マーチは、まだ結構、見かける。
ああいう車は、車検を通す時に、部品交換が、必要になることも、あるだろう。
古い型の車の部品は、見つかりにくい、から、部品にも、価値はあるんではないだろうかと、彼は、思っていた。
それで、彼は、店の親爺に、
「あのマーチ、売りたいんですけど・・・」
と、聞いてみた。だが、
「ああ。うちは旧型マーチは、買わないよ」
の一言で、かたずけられてしまった。
しかし、それは、なかば、予想していたことであった。
以前、車買い取り店で、旧型マーチを、売ろうとしたら、即、断られてしまった、経験があるからだ。
彼は、車や、中古車業界、の事情には、全く、知識が無い。
少し、調べたところ、ただ、走れるから、という理由では、中古車買い取り店では、買わない。市場で、人気のある車、要するに、市場で売れている車、ということが、車の価値を決めている、ということなのだ。
彼の感覚からすると、新型マーチは、車幅が広くなってしまって、どう見ても、不恰好になってしまった、としか、見えなかった。
よく、あんな、不恰好な車に乗る気になるな、と新型マーチを買う人の気持ちが、彼には、全く、分からなかった。
新型マーチも、出で、かなりになるので、新型マーチの、中古車も、あって、そこそこの値段で売られているのだが、彼は、新型マーチの、あの外見の格好悪さ、から、あえて、旧型マーチを買ったのである。
なぜ、日産自動車は、バランスのとれた旧型マーチを、太らせて、不恰好に、モデルチェンジしてしまったのか、が、どう考えても、わからなかった。
ともかく、店の親爺に、買い取れない、と、言われ、中古車買い取り屋で、以前、査定してもらっても、値段がつかず、0円、だったので、もう、廃車とするしか、他に方法は、ない。
彼にしても、もともと、そう言われることは、覚悟してた。
試しに、聞いてみただけである。
彼は、気持ちを切り替えて、店頭に、置いてある、表示価格19万円の、ラバンについて、一応、聞いてみた。
「あの、店頭に置いてある、表示価格19万円の、ラバンについて、教えて下さい」
と彼は、聞いた。
「あれは、平成14年式。走行距離は、6万8千km。車検は2年つき」
と、親爺は言った。
「諸経費は、いくら、かかるんですか?」
彼は聞いた。
「諸経費は、10万円だよ」
と言って、親爺は、明細をコピーして、渡してくれた。
その内訳には、こう書かれてあった。
車両本体価格・・190000円
消費税・・15200円
登録料・・32400円
持ち込み料・・0円
車庫証明・・0円
行政書士料・・3780円
ナンバー代・・4140円
自動車税・・0円
自動車重量税・・8800円
自賠責保険・・27240円
リサイクル料金・・8980円
支払い総額・・290540円
「アフターサービスの保証は、つかないんですか?」
と、彼は聞いた。親爺は、すぐに、
「アフターサービスの保証はないよ。でも、最近の車は、しっかり出来ているから、まず、故障しないよ」
と言った。
彼は、アフターサービスの保証が、つかないことが、気にかかった。
しかし、中古車の保証は、半年か、長くても、一年くらいである。
保障をつければ、安心して乗れるが、考えてみれば、彼は、年間の走行距離が、5千km、と少ない。
保証を、つけると、聞くと、安心できるような、感覚になるが、半年の、保証期間に、故障が、起こらなければ、保証を、つけても、意味がない。
保証期間の半年を、過ぎてしまえば、中古車販売店は、あとは、もう天下御免で、ある。
半年の、保障期間を過ぎて、故障が、起こったら、後は、自腹で修理しなくてはならない。その場合は、半年の保証付き、で買っても、保証なし、で買っても、同じなのだ。
そして、彼は、年間の走行距離が、5千km、と少ない。
半年で、故障が、出でくる可能性は、少ない。
ならば、保証は、つけても、つけなくても、同じようなもの、とも言える。
むしろ、かえって、保障期間が、たった半年では、半年程度は、ギリギリ、もつような、適当な中古の、部品で、済ましている、ということだって、考えられる。
半年の、保証付き、というと、感覚的に、安心、という感覚になるが、よく考えてみれば、何とか、半年は、故障しない、安い部品で、出来ている、とも、考えられる。
しかし、車検2年つき、は、魅力だった。
親爺の、木訥な言い方、は、何か、誠実そうに見えた。
何より、押し売りしようと、しない、し、契約を、急かそうともしない点が信用できそうに見えた。
それで彼は、思わず、
「あなたは、何だか、誠実そうな感じがします」
と、言った。
その言葉に嬉しくなったのだろう。
親爺は、話し出した。
「私はね、ずっと。車の営業畑で、やってきたんだ。営業になると、どうしても、売り上げが、営業の人間の成績になってしまうんだ。だから、営業では、急かしたり、悪い点は言わないで、良いこと、ばかり言って、早く契約を、とりたがる傾向になってしまうんだ。しかし、そうすると、後で、お客さんと、トラブルに、なることも起こることも、あるからね。私は、良い点も、悪い点も、事実を述べる方針にしているんだ」
と、親爺は言った。
「そうですか。わかりました。では、ちょっと、考えてみます」
と、彼は言った。
「そう。じゃあ、買う気になったら、住民票と、印鑑証明を持ってきて下さい」
親爺が言った。
彼は、店を出た。

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中古車物語 (小説)(下)

2020-07-16 03:26:04 | 小説
翌日になった。
彼は、昨日の、表示価格19万のラバンの置いてある、中古車店に、行ってみた。
買ってみようかという気持ちが少し、起こっていた。
「こんにちはー」
そう言って、彼は、店の戸を、ガラリと開けた。
昨日の、親爺は、いなかった。
代わりに、机に、きれいな女性が座っていた。
「いらっしゃいませー」
女は、満面の笑顔で、挨拶した。
「お車を、お探しでしょうか?」
女が聞いた。
「あの。昨日、来たんです。表に出ている、表示価格19万の、ラバンを買おうか、どうしようかと、迷っていて・・・。もう少し、話を聞きたいと思って・・・。昨日の、おやじさんは、いないんですか?あなたは、店員さんですか?」
彼は聞いた。
「あっ。そうでしたか。父は、今日、腰痛で、整形外科の治療の日でいません」
と、女が言った。
「では、あなたは、昨日の、おやじさんの、娘さんなんですね?」
彼が聞いた。
「え、ええ。そうです」
女が答えた。
「お父さんは、腰痛なんですか?」
彼が聞いた。
「え、ええ。父は、気丈夫なので、弱音は、決して、口にしない性格なんです。でも、父も歳ですし、坐骨神経痛で椎間板ヘルニアの手術も、したんです。幸い、坐骨神経痛の痛みは、無くなりましたが、今度は腰痛が出てきて、整形外科に通院しているんです」
と、女が言った。
「そうだったんですか。それは、大変ですね」
と、彼は、慰めた。
「あ、あの。お客様」
彼女は、おそるおそるの口調で口を開いた。
「はい。何でしょうか?」
「差し出がましいことを言って、恐縮ですが・・・。お車。どうか、買っていただけないでしょうか。お願いです」
そう言って、彼女は、深く頭を下げた。
なぜ、彼女が、そう懇願するのか、彼には、分からなかった。
「そうですね・・・。僕も、迷っているんです。ディーラー系の中古車店で、買えば、多少、高くても、一年間の、保証のアフターサービスがつきますが・・・。ここは、保証がつかないですから・・・」
と、彼は言った。
「あ、あの。お客様」
「はい。何ですか?」
「あ、あの・・・。一年間の・・・アフターサービスは・・・つけさせて頂きます」
彼女は、そうは言ったものの、なにか自信なさそうで、彼女の顔は、不安そうだった。
本当に、一年間の、アフターサービスが、つくのか、彼も不安になった。
しかし、彼女も、誠実そうで、ウソをつく人間には見えなかった。
なので、彼は決断した。
「そうですか。では、決めました。買います」
彼は、彼女を信じて、そう言った。
「ありがとうございます」
彼女は、嬉しそうな顔で、ペコリと頭を下げた。
彼女は、彼に名刺を渡した。
「松本中古車店。松本美奈子」、と書いてあり、固定電話と、携帯電話の、電話番号が、書かれてあった。
「では、住民票と、印鑑証明を持ってきます。それと、これから、すぐに指定口座に29万円、振り込みます」
そう言って、彼は、店を出た。
そして、彼は、そのまま、銀行に行って、店の指定口座に、29万円、振り込んだ。
そして、市役所に行って、住民票と、印鑑証明をとって、店に行った。
「住民票と、印鑑証明をもってきました。それと、29万円も、振り込みました」
そう言って、彼は、住民票と、印鑑証明と、29万円の、振り込み領収書を渡した。
「ありがとうございます。では、さっそく、手続きさせていただきます」
彼女は、嬉しそうに言った。
マーチの車検切れまで、あと、10日である。
大丈夫かな、間に合うかな、と、彼は心配になった。
しかし、もう決めてしまったのだから、仕方がない。
彼は、気持ちを切り替えて、中断していた、小説創作に取り組んだ。

一週間後、店から、彼の携帯に電話がかかってきた。
「お客様。お車の整備と、手続きが、完了して、車が届きました」
彼女の声だった。
「わかりました。では、すぐに、とりに行きます」
車検切れ前に、納車できて、彼はほっとした。
彼は、急いで、店に行った。
ラバンには、軽自動車の、黄色のナンバープレートがつけられてあった。
女が笑顔で店から出てきた。
「いやー。車検切れまで、あと、三日ですので、間に合うか心配だったんですよ。早く手続きしてくれて、どうもありがとうございます」
「いえ」
と、彼女は、照れくさそうな顔をした。
「では、このマーチは、廃車にして下さい」
「はい。わかりました」
「これが、車検証と、自賠責保険です」
と、彼女は言って、車検証と、自賠責保険を彼に渡した。
「色々と、ありがとうございました」
そう言って、彼は、ラバンに乗り込んだ。
彼は、エンジンを駆け、ギアをD(ドライブ)に入れた。
そして、左のウィンカーを点滅させた。
彼女は、急いで、店の前の、歩道に出た。
そして、右を見て、右からの、車が無いことを確かめると、「どうぞ」、と手で合図した。
彼は、店から出て、左折して、大通りの国道467号線に出た。
「お気をつけて」
彼女は、嬉しそうに言って、いつまでも、深く頭を下げていた。
彼は、軽自動車を買うのは、初めてだった。
しかし、彼は、ずっと、以前に、レンタカーで、軽自動車を借りて、運転したことがあったので、軽自動車も、1200ccの自動車と、たいして変わりない、ことは、知っていた。
もちろん、やはり、軽自動車になると、エンジンの排気量が、660ccになるから、加速は、少し遅めになる。
しかし、軽自動車は、小回りが効くので、ハンドル操作が楽になった。
彼は、車の運転は、せっかちな所があり、旧型マーチでは、どうしても、スピードを出してしまいやすかった。
しかし、軽自動車は、あまり、スピードが出ないので、安全運転のためにも、良かった。
車幅も、狭いので、車庫入れ、や、駐車も、隣りの車に、気を使わないで、出来るようになった。
そもそも、彼は、自動車は、買い物や、市の体育館など、ほとんど市内での、日用の雑用でしか、乗らない。高速道路を走ることも、ほとんどない。
年間の、走行距離は、5千km、くらいしかなかった。
なので、彼は、あらゆる点で、軽自動車にして良かった、と、感じた。
そんなことで、快適な毎日が過ぎて行った。
しかしである。
中古車を購入して、三週間した、ある日のことである。
彼は、週に、二回は、二時間くらい、市の体育館のトレーニング・ルームで、筋トレや、ランニングをしていたのだが、その日、二時間のトレーニングが、終わって、アパートに帰ろうと車に乗ったら、エンジンは、かかるが、ギアが入らなくなってしまった、のである。
彼は、焦った。
何回か、入れようとしてみたが、どうしても、ギアが入らない。
仕方がないので、彼は、あきらめて、JAFに電話した。
「もしもし。神奈川JAFですか?」
「はい。そうです。どうなされました?」
「ギアが入らないんです」
「そうですか。今、どちらに、いらっしゃいますか?」
「××体育館の駐車場です」
「お車は、何ですか?それと、車のナンバーは?」
「車は青いラバンです。車のナンバーは、湘南あ、の、1234です」
「わかりました。すぐに、行きます」
中古車店の親爺は、誠実な人だが、営業畑で整備には、詳しくないのだから、仕方ないな、と彼は思った。
20分くらいして、JAFの、車が来た。
JAFの人は、車の、メンテナンスの知識がある。
「ちょっと、拝見させて下さい」
そう言って、JAFの人は、ラバンに乗って、エンジンを駆け、ギアを、色々と、調べた。
そして、車から、出た。
「そうですね。応急処置として、一応、今は、ギアが入れられるようにしました。しかし、このまま、乗り続けることは、出来ません。これは、ミッション全部、交換しか、ないですね」
そう、JAFの人は言った。
「ミッション交換だと、いくらくらい、かかりますか?」
「そうですね。ミッション、交換となると、かなりの額、かかりますね」
「どのくらい、かかりますか?」
「まあ。一概には、言えませんが、結構かかりますね」
JAFの人は、発言することによって生じる説明責任を避けるためか、大まかな金額も、具体的には、言わなかった。
「そうですか。わかりました。どうもありがとうございました」
彼は、ラバンに乗って、アパートに向かった。
JAFの車も、途中で、故障が、起こらないように、彼のアパートまで、ついて来てくれた。
無事に、アパートに、辿り着いた。
「ありがとうごさいました」
「いえ。お気をつけて下さい。出来るだけ早く修理した方がいいですよ」
そう言って、JAFの人は、去って行った。
翌日になった。
彼は、中古車店に、車で行こうと、思ったが、ギアを入れようとしてみたら、入らなかった。
これはもう、ミッション交換しか、方法が無いのだろうと、彼は、素人ながら思った。
それで、彼は、自転車で、中古車店に、行った。
「こんにちはー」
店に着くと、彼は、店の戸を開けた。
「あっ。宮田さん。いらっしゃいませー。ラバンの調子は、どうですか?」
彼女は、嬉しそうな顔つきで聞いた。
どうですか、と、質問の形で聞いたが、彼女は、ラバンの調子は、良いと思っているのだろう。
それを思うと、そして、彼女の笑顔を見ていると、宮田は、言いづらい気持ちになった。
彼女が、困る顔を彼は、見たくなかったからである。
しかし、やはり、言わないでいるわけには、いかない。
彼は、ちょっと、ためらったが、口を開いた。
「実は。ちょっと、あまり、言いたくないことなんですが、言います。昨日、ミッションが故障してしまったんです。それで、JAFの人に、来てもらったんです。そしたら、ミッションを交換しなければ、ならない、と言ったんです。昨日は、JAFの人の、応急手当で、戻って来れましたが、今日も、ギアが入らないんです。ミッション交換は、いくらくらいするのかと、ネットで検索してみましたが、かなりの値段です。言いにくいんですが、一年の、アフターサービスつき、ということで、買ったので、修理していただけないでしょうか?」
と、彼は、聞いた。
すると、彼女の顔が、一気に、青ざめた。
「そうでしたか。まことに申し訳ありません。何と、謝ったら、いいか・・・。申し訳ありませんでした」
彼女は、ペコペコと何度も、頭を下げた。
「いえ。そんなに、謝る必要はありませんよ。これは、事務的なことですから。買って、まだ、三週間ですから、アフターサービスを、していただければ、私としては、何も言う気は、ありません」
と、彼は、言った。
「わかりました。では。アフターサービスについて、ちょっと、おりいった、お話を、したいので、家に上がっていただけないでしょうか?」
と、彼女は、言った。
彼は、首を傾げた。
アフターサービスは、単に、事務的なことなのに、なんで、おりいった話をしたり、家に入らなくてはならないのだろうか、と彼は疑問に思った。
しかし、ともかく、彼女の言うことを、聞いて、彼は、店に、つながっている、家に入った。
通された部屋は、六畳の畳の部屋だった。
「ちょっと、お待ち下さい」
そう言って、彼女は、奥に行った。
彼は、立ったまま、彼女を待った。
すぐに、彼女は、お茶を持ってきた。
「どうぞ、お座り下さい」
彼女に言われて、彼は、畳の上に、座った。
「粗茶ですが、よろしかったら、どうぞ、お飲み下さい」
そう言って、彼女は、お茶の入った湯呑みを差し出した。
彼は、湯呑みを、受けとって、ズズズーと飲んだ。
「この度は、まことに申し訳ありませんでした」
彼女は、そう言って、両手をついて、土下座のように、頭を、畳に擦りつけるように、して、謝った。
「いえ。そんなに、謝る必要は、ありませんよ。中古車ですから、故障することは、結構、あることです。これは、単なる事務的な質問です。私は、アフターサービスについて、聞きたいだけです」
と、彼は淡々と言った。
「アフターサービスに、ついて、ですね。は、はい。わかりました」
単なる事務的なことなのに、彼女は、深刻な顔つきだった。

彼には、どういうことなのか、さっぱり、わからなかった。
彼女は、ついと、立ち上がった。
そして、彼女は、いきなり、着ていた、ブラウスを脱ぎ、そして、スカートも、脱いだ。
彼は、びっくりした。
驚きのあまり、声が出なかった。
彼女は、ブラジャーと、パンティーだけになった。
そして、腰を降ろして、畳の上に、仰向けに寝た。
「あ、あの。お客様。アフターサービスについて、ですが。たいへん、申し訳ないのですが、お金が無いのです。許して下さい。ですから、私を、なんなりと、お客様が、満足いくまで、何でも、好きになさって下さい。これが、私の、アフターサービスです」
彼女は、目をつぶって、そう言った。
彼女の体は、プルプル震えていた。
彼は、途方に暮れて、しばし、目の前で、ブラジャーと、パンティーだけで、脚をピッチリ閉じて、体を震わせている、彼女を、首を傾げて見ていた。
「あ、あの。お客様。こんな、アフターサービスでは、駄目でしょうか?」
彼女は、声を震わせながら、聞いた。
「美奈子さん。そういうことでは、ないのです。ともかく、起きて、服を着て下さい」
そう言って、彼は、彼女を起こした。
「さあ。ともかく、服を着て下さい」
彼は、催促するように言った。
だが、そう彼が、言っても、彼女は、ためらっている。
なので、彼は、彼女を起こし、彼女に、スカートを履かせ、ブラウスも着せた。
彼女は、それには、抵抗しようと、しなかった。
彼女が、服を着ているので、彼は、ほっと、一安心した。
「あなたは、真面目そうな人間に見えます。何か、事情がありそうですね。よろしかったら、話してもらえませんか?」
彼が聞いた。
情にほだされたのか、彼女は、話し出した。
「あ、あの。実は。父には、ガンがあるのです。半年前に、頭痛と、吐き気、を訴えるようになったのです。父は、医者には、かかりたくない、と言ったのですが、私が、強引に、近くの市立病院に連れて行きました。病院では、脳のMRIを、撮ってくれました。その結果。お医者さまの、話では、脳幹という、極めて手術しにくい所にあるガンなのだそうです。私は多くの、脳外科医の先生に、手術を頼みました。しかし、成功する確率は、極めて低く、成功率は、良くて10%らしいんです。むしろ、手術をすれば、死ぬ確率の方が、圧倒的に高い、と言うのです。それで、どの先生も、手術を引き受けてくれません。私は、全国の病院を探し回りました。そうしたら、かろうじて、福島孝徳先生という、自称、天才脳外科医の先生が、引き受けてくださいました。しかし、福島孝徳先生は、ブラックジャックのように、手術料として、一億円、払って欲しい、と言ったのです。私の母は、私が、幼い頃、死んで、父は、男手一つで、私を育てて、くれたんです。私にとっては、かけがえのない父です。ですから、何としても、一億円、貯めたいんです」
彼女は、切々と語った。
「なるほど。そうだったんですか。そんな事情があったんですか」
彼は、納得した。
「それで、お父さんは、今、どうしているんですか?」
彼は聞いた。
「父は、脳幹部海綿状血管腫、というガン、だそうで、一週間前から、呼吸が困難になり、手足も、思うように動かなくなってきたので、一週間前から、福島孝記念病院に、緊急入院したんです」
「そうだったんですか」
彼は、しばし、腕組みして、考え込んだ。
そして、決断した。
「美奈子さん。一億円など、このような、規模の小さい、中古車店では、貯めるのに、十年以上、かかってしまいます。その間に、お父さんは、死んでしまうかも、しれない。それに、あなたの、健気な心は、立派ですが、そんなことをしていることを、お父さんが知ったら、悲しみますよ」
と、彼は言った。
「でも、他に、方法が無いんです」
と、彼女は、目に涙を浮かべながら言った。
彼は、しばし、腕組みしながら考えて込んだが、よし、と、決断した。
「美奈子さん。僕は、一介の小説家です。収入も、微々たるものです。しかし、僕は、5年前まで、医者をやっていました。内科医でした。しかし、僕は、凝り性な性格で、卒後の、二年間の、研修の時には、脳外科の手術も、手伝ったことがあります。医師免許を持っていれば、法的には、経験が無くても、何科をやっても、どんな医療行為をやっても、いいのです。僕が、今から、必死で、脳外科の医局に入って、脳手術の技術を身につけます。そして、どんな腕のいい脳外科医でも、手術をためらって、やらない、というのなら、僕が執刀します。それでも、いいですか?」
と、彼は聞いた。
「本当ですか。そんなことを、して下さるのなら、感謝しきれません」
と、彼女は、言った。
「しかし、腕のいい、ベテランの脳外科医でも、成功率は、10%以下、というのなら、脳外科の素人の僕では、成功率は、もっと低くなり、1%以下になってしまうかも、しれません。それでも、いいですか?」
彼は聞いた。
「先生に、お任せします。先生が手術して下さるのなら、手術が、失敗しても、感謝こそすれ、恨んだり、不服を言ったりは、決してしません」
彼女は、強い口調で言った。
その時、美奈子の携帯電話がピピピッとなった。
「はい。松本美奈子です」
「もしもし。松本美奈子さんですか。こちらは、福島孝徳記念病院です。たった今、お父さんの容態が急変しました。MRIをとったところ、脳幹に出来ている海綿状血管腫が、出血を起こして、突然、脳浮腫を起こしました。今、ステロイドと、グリセロールという薬で、処置していますが、脳圧が、下がりません。危篤状態です。どうしても、やらなければならない重要な用事が、ないのなら、いや、あっても、ぜひとも、病院に来て下さい」
「わかりました。すぐ行きます」
そう言って、美奈子は、携帯を切った。
「宮田さん。父が危篤なので、今から、福島孝徳記念病院に行きます」
「僕も行きます。いいでしょうか?」
「助かります。お願いします」
そう言って、美奈子は、日産キューブに乗った。
宮田も、助手席に乗った。
美奈子は、急いで、キューブのエンジンを駆けた。
そして、国道に出た。
焦っているため、つい、スピードが、速くなってしまう。
しかし、運の悪いことに、ちょうど、渋滞の時間だった。
これでは、彼女は、もしかすると、親の死に目に会えないかもしれない。
「美奈子さん」
「はい。何でしょうか?」
「次の信号を右に曲がって下さい。僕のアパートがあります」
「どうして、宮田さんの、アパートに行くのですか?」
「この渋滞では、いつ、病院につくか、わかりません。僕は、オートバイが好きで、ホンダのCB750を持っています。ナナハンなら、車より、加速がいいですし、オートバイなら車の脇をすり抜けて行けます」
「そうだったんですか。では、お願いします」
こうして、次の信号で、美奈子は、右折した。
彼のアパートは、右折して、直ぐにあった。
「あれが、僕のアパートです」
と、宮田が指差した。
美奈子は、アパートの前で、車を止めた。
駐車場には、大きな、ホンダCB750が置いてあった。
彼は、車を出た。
そして、フルフェイスのヘルメットを被った。
そして、オートバイに跨った。
「さあ。美奈子さん。ヘルメットを被って下さい」
そう言って、彼は、彼女に、フルフェイスのヘルメットを渡した。
彼女は、フルフェイスのヘルメットを被った。
「さあ。後ろに乗って下さい」
宮田が言った。
言われて、彼女は、宮田の後ろに乗った。
「しっかり、つかまっていて下さい。飛ばしますから」
「ええ」
彼女は、宮田の後ろに、跨り、体を彼にピッタリくっつけ、両手を、前に回して、両手をギュッと、握り締めた。
「僕は、病院までの、道は、わかりません。ですから、右折とか、左折とか、美奈子さんが、カーナビになって、僕に、教えて下さい」
「はい」
と、美奈子は、答えた。
宮田は、スターターを始動させた。
バルルルルッと、750ccのエンジンが、重厚な、唸り声を上げた。
「では、行きます」
そう言って、彼のオートバイは、走り出した。
国道467号線は、渋滞だったが、彼は、歩道と車の間の路肩を、スイスイ抜いていった。
オートバイは、こういう時、有利だった。
渋滞が、抜けると、彼は、思いっきり、スロットルを全開にした。
美奈子は、彼に、言われたように、交差点や、信号機のある交差点に、近づくと、「次は右」、とか、「次は左」、とか、彼に言った。
黄色信号から、赤信号に変わりかけ、の時には、止まらなかった。
止まっているひまは、無かった。
ようやく、福島孝徳記念病院に着いた。
彼は、オートバイを止めた。
二人は、急いで、病院に入った。
受け付けは、美奈子の、顔パスで、通った。
「松本美奈子さん。早く行ってあげて下さい。お父さんが重態です」
と、受け付けの事務員が言った。
病室には、「面会謝絶」と書かれた札が、かかっていた。
「松本美奈子さん。ずいぶん早かったですね。待っていました。すぐに、お父さんに会って下さい」
看護師が、待っていて、言った。
「はい」
宮田も、病室に入ろうとした。
「あなたは、誰ですか?」
看護師が聞いた。
「彼女と、親しい者です」
と、宮田は言った。
「お願いです。彼も、父との面会を許可して下さい。彼も、お医者さんなんです」
と、美奈子が、言った。
「そうですか。わかりまた」
と、看護師は言った。

病室では、白衣を着た、三人の医師が、患者を取り囲んでいた。
患者は、気管切開して、酸素ボンベのチューブで酸素を送っている状態だった。
「美奈子さん。言いにくいですが、お父さんの容態は、悪いです。脳圧は、少し、下がりました。しかし、今度、出血したら、命が無いかもしれません」
と、医師の一人が言った。
「おとうさん」
と、美奈子は、泣きながら、父親に飛びついた。
「あなたは誰ですか?」
と、別の医師が宮田に聞いた。
「私の友人です。お医者さんです」
と、美奈子が答えた。
「どうして手術しないのですか。ここは、福島孝徳先生の病院でしょう?」
宮田が聞いた。
「この患者は、脳幹の、ど真ん中に出来た、巨大海綿状血管腫です。福島先生でも、この患者は、手術したら、失敗する可能性90%だから、しない方針にしているのです。今、福島先生は、アメリカのデューク大学に居ます」
と、医師は言った。
「これが、MRI画像です」
と言って、脳のMRI画像を、見せた。
脳幹の、ど真ん中に、直径5cmほどの、大きな腫瘍があった。
「福島孝徳先生だって、神様じゃないんだ。You-Tubeとか、テレビでは、成功例だけを、華々しく放送しているけれど、失敗した例だって、かなりあるんです」
と、別の医師が言った。
「そんなことは、大方、予想していましたよ。しかし、90%、不可能、というのなら、10%、は、成功する確率があるって、ことじゃないですか。何で、あなた方は手術しないんですか?」
彼は、医師たちに、向かって、訴えた。
「我々の技術は、残念ながら、福島先生より、はるかに劣ります。我々が、手術したら、まず脳幹を傷つけてしまいます。そうしたら今より、もっと、症状が、悪化して、様々な麻痺が出るか、あるいは、下手をすれば、死にます。そんなことは、患者にとって、可哀想じゃないですか。しかし、手術しないで、懸命に、ターミナルケアに徹すれば、あと、一ヶ月は、生きられるでしょう。ならば、その方を選ぶのが、患者のためなのは、当然じゃないですか?」
と、一人の医師が言った。
「そうですか。では。あなた方に聞きたい。もし、あなた方が、この患者の立ち場だったとしたら、どうしますか。たった一ヶ月間、こんな何も出来ない状態で、生き延びて、そして、むざむざ、死んでいく方を選ぶのですか。その方が、嬉しいんですか。手術すれば、成功する可能性が、ゼロではないというのに」
そう言っても、どの医師も、黙っていた。
彼は、さらに続けて言った。
「あなた方は、さかんに患者のため、と言っているが・・・。本当の理由は・・・。自分の、脳外科医としての、経歴に、失敗して、患者を死なせた、手術症例を、一症例でも、増やしたくない、というのが、本音なんじゃないですか?」
うぐっ、と、医師たちは、黙ってしまった。
その時、彼に、とんでもない、考えが、起こった。
彼は、それを、堂々と言った。
「では、僕が手術します。それなら、いいですか?」
途端に、医師たちが、一斉に、目を大きく見開いて彼を見た。
医師たちは、途端に態度を変えた。
「あなたは、医者というが、脳外科も出来るのですか?」
「脳外科の経験は、何年ですか?」
「脳腫瘍の摘出手術は、何症例したことがありますか?」
次々と質問が飛んできた。
「僕は、五年前まで、内科医でした。脳外科の手術は、研修医の時に、三回だけ、ベテランの執刀医の横で、手伝いをしただけです」
「バカげたことだ。そんなのは、キチガイ沙汰だ。そんな程度の経験では、やる前から、完全に、失敗するとわかりきった手術じゃないか」
医師が、怒鳴りつけた。
「そうでしょうね。脳外科の素人の僕が手術したら、まず、間違いなく、失敗するでしょう。成功する確率なんて、1%、以下でしょう。福島先生が、やっても、成功する確率は、10%だ。ド素人の僕がやれば、成功する確率は、もっと低くなり、1%以下でしょう。しかし、1%以下でも、可能性が0でないのなら、僕は挑戦する。僕は、何事でも、今まで、そういう信念で生きてきました」
その時である。
美奈子の父親が、近くにいた、美奈子のスカートを、引っ張った。
美奈子は、振り返って、ベッドに寝ている父親を見た。
美奈子の父親が、苦しそうな表情で、さかんに口をパクパク、動かしていた。
呼吸が出来ず、気管切開していて、気管切開した、咽喉から、酸素を送っている状態だった。
「お父さん。何か言いたいの?」
美奈子が、五十音図の、ひらがなの文字盤を、父親の前に立てた。
「父は、四肢不全麻痺で、言葉も出ませんが、かろうじて、右手だけは、動かせるので、五十音図の、ひらがなの文字盤で、意志を伝えているのです」
と、美奈子が宮田に説明した。
患者は、手を震わせながら、ゆっくりと、右手を持ち上げた。
そして、五十音図の、ひらがなの文字盤を、ゆっくりと、指を震わせながら、一文字、一文字、指さし出した。
ちょうど、ワープロのように、ある文字を指差すと、次は、別の文字を指差していった。
それが、つながって短い文章になった。
美奈子は、患者が、指差した、文字を、確認するように、大きな声で言った。

「み」「や」「た」「せ」「ん」「せ」「い」「し」「ゅ」「じ」「ゅ」「つ」「し」「て」「く」「だ」「さ」「い」
美奈子は、そう言うと、振り返って、宮田や、医師たちを見た。
「先生。お願いです。手術して下さい。父は、手術を望んでいます」
美奈子は、三人の、脳外科医たちに、訴えた。
「し、しかし・・・みすみす失敗して、患者を死なせる手術というは・・・」
医師たちは、ためらっていた。
すると、また、患者は、美奈子のスカートを、引っ張った。
「お父さん。何か言いたいの?」
美奈子が、また、五十音図の、ひらがなの文字盤を、父親の前に立てた。
患者は、また、ゆっくりと、右手を持ち上げた。
そして、また、五十音図の、ひらがなの文字盤を、ゆっくりと、指を震わせながら、一文字、一文字、指さし出した。
美奈子は、また、同じように、患者が、指差した、文字を、確認するように、大きな声で言った。
「ど」「う」「せ」「し」「ぬ」「の」「な」「ら」「や」「さ」「し」「い」「み」「や」「た」「せ」「ん」「せ」「い」「に」「し」「ゅ」「じ」「ゅ」「つ」「し」「て」「ほ」「し」「い」
そう、大きな声で美奈子は、言った。
美奈子は、振り返った。
「患者は、脳外科の素人の僕の手術を、望んでいます。その意思表示が確認されました。私が、執刀しても、いいですね?」
彼は、三人の、脳外科医に聞いた。
「わかりました。患者の希望です。先生が手術して下さい」
医師の一人が言った。
すぐに、患者は、二人の看護婦によって、手術室に送られた。
彼は、手術室に向かった。
「僕は、脳外科の素人です。どうか、先生たちも、協力して下さい」
そう、彼は、三人の脳外科医に訴えた。
了解したのか、三人の医師たちは、手術室について行った。
青い手術服に着替え、手を消毒した。
頭は、紙のキャップで、覆い、そしてマスクをした。
そして、看護婦に手術用の手袋をはめてもらった。
人間の皮膚は、目に見えない、無数の好気性の在住菌が付着しているので、その侵入を出来る限り、防ぐためである。
三人の脳外科のドクターも、手術服に着替えていた。
「では、脳幹部海綿状血管腫の摘出手術を行います」
そう宮田は、言った。
「バカげたことだ」
「わざわざ、患者を殺す手術だ」
「医師といっても、脳外科の素人が、こともあろうに、脳幹の巨大腫瘍の摘出手術をするなんて・・・」
医師たちが、ボソッと、そう呟いた。
彼は、福島孝徳先生の手術方法は、福島孝徳先生の、You-Tubeや、ホームページ、書籍などを、ほとんど、読んでいたので、知識としては、頭では、知っていた。
彼は、顕微鏡を見ながら、耳の後ろに、福島式鍵穴手術の、小さな穴を開けた。
そして、硬膜を切開した。
脳の内部が見えてきた。
(少しでも、神経や血管を傷つけたら、患者は死ぬぞ)
彼は、そう自分に言い聞かせた。
彼は、バイポーラ―を使って、脳幹に迫って行った。
何か、神経のようなものが見えてきた。
脳12神経の一つであることには、間違いはない。
(これは、一体、何神経だろう?)
医者とはいえ、脳外科の素人の彼には、さっぱり、わからなかった。
「先生。これは、何の神経ですか?」
彼は、モニター画像を見ている、脳外科医たちに、聞いた。
だが、教えてくれなかった。
その神経の上にも、また、別の神経が出てきた。
(あっ。さっきのは、副神経で、これは、迷走神経だ)
この時、信じられないことが、起こった。
大学三年の時の、解剖学実習の脳の解剖の時の光景が、彼の脳裡に、ありありと明瞭に、思い出されてきたのである。そして、分厚い解剖学の教科書の、脳の1ページ1ページも、すべて明瞭に。
(これが橋で、ここが、中脳水道だ)
解剖学実習の時は、解剖学の単位を取るために、しっかり勉強して、脳の構造や、神経、血管を、必死で覚えた。
しかし、人間の記憶力というものは、使わないでいると、大まかなことは、覚えていても、細かいことは、忘れていくものである。
しかし、その時の、光景が、なぜか、明瞭に蘇ってきたのである。
これは、彼にとって、非常に、不思議なことだった。
さらに、バイポーラ―で、脳の中を、進めて行くと、茶色く変色した、汚い塊が、出てきた。
「これだ。これが、腫瘍だ」
彼は、大声で言った。
「そうですよね。先生」
彼は、モニター画像を見ていた、三人の、脳外科医に聞いた。
「ああ。そうだね」
医師たちが言った。
彼は、You-Tubeで、見た、福島孝徳先生の、やり方、のように、巨大腫瘍を、少しずつ、慎重に、切っては、とっていった。
彼は、一年に、数回は、ビーフステーキを食べることがあったが、肉でない、脂身は、きれいに、ナイフで、切り取っていた。
その脂身の、剥し方は、ほとんど、数ミクロンという単位で、ほとんど神業だった。
しかしである。
腫瘍の一部が、脳の太い血管に、べったりと、癒着していた。
(これは、剥して大丈夫だろうか、出血しないだろうか)
彼は、迷った。
手術を開始して、かなりの時間が経っていた。
彼の額は、汗でダラダラだった。
看護婦が、彼の額の汗を拭いてくれた。
「先生たち。教えて下さい。これは、剥さない方がいいのですか?」
彼は大声で聞いた。
「その判断は、我々にも出来ない」
一人の脳外科医が言った。
(困ったな)
彼は、立ち往生してしまった。
彼は、剥すべきか、剥さないべきか、考え込んでしまった。
その時である。
(剥しなさい)
そういう声が、どこから、ともなく、聞こえてきた。
彼は、三人の、脳外科医を見た。
「今、先生方のうち、誰か、剥しなさい、と、言いましたか?」
彼は、モニター画像を見ている三人の脳外科医に聞いた。
「いや。そんなこと、誰も言っていないよ」
と、医師たちは、言った。
(剥しなさい。大丈夫です)
再び、声が聞こえてきた。
幻聴だろうか、と、彼は思った。
(剥しなさい。大丈夫です)
幻聴は、何度も聞こえて、止まらない。
これは、神の声だろうか、などと、彼は、疑ったが、彼は、いかなる宗教も信じていない無神論者だった。
なので、こんなのは、神の声なんかでは、なく、神経が疲れたための、錯覚だろうと思った。
(剥しなさい。大丈夫です)
しかし幻聴は、何度も聞こえて、止まらない。
ちょうど、統合失調患者が幻聴には、打ち勝てない、で行動してしまうように、彼の手は、その幻聴に負けて、剥しにかかっていた。
すると、血管に、べったりと、こびりついていた、腫瘍が、スーと、剥がれていった。
彼の手は、彼の意志とは関係なく、勝手に動いている、といった感じだった。
彼は、まるで、奇跡を見ている思いだった。
彼は、ほっとしたが、まだまだ、腫瘍は、残っている。
彼は、また、慎重に、腫瘍を、小さく、切っては、とっていった。
些細な、一本の神経、一本の血管でも、傷つけることは、出来ない。
それは、死に直結する。
脳は、外側の大脳皮質は、代償機能があるので、一部、傷ついても、左脳の傷なら、右脳が、代償し、リハビリによって訓練すると、かなり、傷ついた直後の麻痺や、体の機能障害は、回復する、ことがある。
しかし、脳幹は、脳の、ど真ん中にあり、その外側の、大脳皮質と、神経で、連絡をとっていて、さらに、脳12神経が、入り込んでいて、呼吸など、生命維持の、ほとんどの、中枢が集まっている部位なのである。
脳幹は、下方へは、太い脊髄神経へと、そのまま、移行する。
そして、脳幹の機能不全が、脳死、であり、もはや、死んだ状態となる。
彼が、さらに、慎重に腫瘍をとっていった時である。
信じられないことが起こり出した。
ある腫瘍の塊を、そっと、引っ張った時である。
すーっと、腫瘍の大きな塊が、きれいに、剥がれていったのである。
それは、まるで、幼稚園の時やった、いも掘りで、さつまいも、の見えている、小さな頭の部分を、軽く引っ張ったら、さつまいも全部が、するっと、とれたのと同じような感覚だった。
「おおっ」
手術野の、モニター画像を見ていた、三人のドクターは、思わず、感嘆の声を出した。
しかも、幸い、どこの血管も傷つけてないらしく、出血は、全く起こらなかった。
彼は、バイポーラ―で、とれた腫瘍の奥を探ってみた。
もう、腫瘍は、無かった。
彼は、もう、クタクタに疲れていた。
「腫瘍は、とれました。あとの処置は、お願いします」
そう言って、彼は、椅子から立ち上がった。
「わかりました。後の処置は、やります」
モニター画像を見ていた、脳外科の医師たちが、彼に代わって、手術椅子に座った。
あとは、硬膜の処置と、手術の初めに、くり抜いた、小さな、頭蓋骨を、元通りに、はめて、縫合するだけである。
彼は、手術室から出た。
「先生。どうでしたか。父は。手術は?」
美奈子が、駆け寄ってきて聞いた。
「腫瘍はとれました。出血もありませんでした。しかし、結果は、どうなるか、僕には、わかりません」
「ありがとうございます。先生」
そう言って、美奈子は、彼の手を握って、ドドドドーと涙を流した。
「待って下さい。成功したか、どうかは、まだ、わかりませんので」
彼は、手術の結果が、まだ、わからないので、美奈子の先走りの、感謝を制した。
もう、夜の12時を過ぎて、午前2時になっていた。
7時間の手術だった。
その時、手術室に点灯していた、「手術中」の赤ランプが、消えた。
看護師、二人によって、患者が、点滴されたまま、ストレッチャーに乗せられて、出てきた。
「お父さん」
そう言って、美奈子は、父親に駆け寄った。
しかし、全身麻酔をしているので、意識はない。
患者は、元通り、個室のベッドに、点滴と、気管切開の管をつけた、状態で、戻された。
「先生。どうですか。患者は?」
宮田が三人の脳外科医に聞いた。
「対光反射、その他の、生命反射は、あります。しかし、成功したかどうか、麻痺や、機能不全が回復するかどうかは、麻酔が切れてからでないと、何とも、言えません」
脳外科医が言った。
「では、僕は、家に帰ります。美奈子さんは、このまま病院に残りますか。どうしますか?」
宮田が聞いた。
「先生。オートバイで、ですか?」
「ええ」
「精神的にも肉体的にも、疲れ切った状態で、大きなオートバイを運転するのは、危険です。タクシーを呼びます」
そう言って、美奈子は、スマートフォンで、タクシーを呼んだ。
すぐに、タクシーが来た。
「では、僕は、家に帰ります。美奈子さんは、どうますか?」
彼が聞いた。
「一人で乗っても、二人で乗っても、タクシーの料金は、同じです。私としては、もう少し、父に着いていたいのですが。麻酔が切れて、結果を待つだけなら、病院に居ても仕方ありません。私も、眠いので、一緒に乗せて下さい」
そう言って、美奈子もタクシーに乗り込んだ。
タクシーは、夜中の高速を飛ばした。

数日後。
美奈子は、病院に言った。
彼も、オートバイをとりに、病院に行った。
手術の経過は順調だった。
MRI画像でも、きれいに、腫瘍が無くなっていた。
脳幹を圧迫していた、巨大腫瘍がとれたので、脳幹の呼吸などの生命中枢が、回復して、自発呼吸が出来るようになり、咽喉に開けられていた気管切開は、閉じられていた。
手足も動かせるようになっていた。
「先生。手術は、奇跡的な成功です。しかし、脳外科医でない、元内科医の医師に、手術をさせた、ということが、マスコミに知られたら、病院の責任問題になります。病院の評判にも影響が出てしまいます。ここは、どうか、我々が手術した、ということに、していただけないでしょうか?」
そう、脳外科医たちは、彼に頼んだ。
「ええ。構いません。手術が成功したのは、僕の実力なんかではなく、単なる、まぐれ、ですから」
こうして、福島孝徳記念病院、および、そこの脳外科医たちは、マスコミの注目の的になった。
美奈子の父親は、リハビリの後、退院した。
「四肢不全麻痺、の、寝たきり、気管切開からの、通常の生活への、奇跡的生還」
と、マスコミは、大々的に報道した。
脳外科医たちは、得意げに、手術のことを語った。
しかし、新聞記者が、美奈子に、「お父さんが、奇跡的な生還をした、今の心境を語ってくれませんか」、と質問した時、美奈子は、つい、「手術したのは、実は、宮田先生という、無名の、元内科医の先生です」、と、口を滑らしてしまった。
それが、また、マスコミで、大々的に、スクープとして、報道された。
しかし、教授を殿様とした、ピラミッド型の、旧弊的な、日本の医学界は、
「たまたまの、まぐれだ」
と、全く相手にしなかった。
しかし、実力主義のアメリカでは、違った。
「奇跡の手をもつ男」
と、宮田誠一の名が、アメリカの、ニューヨーク・タイムズに、報道された。
アメリカの、デューク大学、ハーバード大学、そして、フランスの、マルセイユ大学、ドイツのフランクフルト大学、スウェーデンのカロリンスカ大学、などから、「ぜひ、我が大学の脳外科の、主任教授になって下さい」、という手紙が、宮田誠一の元に殺到した。
しかし、宮田は、「小説創作が忙しい。あの手術は、まぐれだった」、という理由で、全部、断った。
マスコミに、「先生の信念は、何ですか?」、と聞かれたので、彼は、
「1に努力。2に努力。3も努力。土曜、日曜、祭日は、いっさい、休まない。冬休み、夏休み、春休み、は、いっさい、とらない。一週間で、8日、働く」、と、答えた。
幸い、小説創作は、はかどった。
ラバンも、修理工場で、安く修理して、もらったら、ミッションの修理も、3万円で、すんだ。
軽自動車は、速度が出ないので、それが、かえって、良かった。
今までの、1200ccの、旧型マーチでは、スピードが出るし、加速もいいので、つい、黄信号でも、止まらなかいことが多かったが、軽自動車は、慣れてしまうと、時速40km/hで、走るのが、普通、という感覚になるので、信号を、ちゃんと、守るようになった。




平成28年2月22日(月)擱筆

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沖縄バスガイド物語 (小説)(1)

2020-07-16 02:53:05 | 小説
沖縄バスガイド物語

大東徹は小説家を目指す医者である。
彼は、大学は、地元の横浜市立大学医学部に、入りたかったのだが、残念ながら落ちて、第二志望で合格できた奈良県の公立医学部に入った。大学に入る前に、徹は、過敏性腸症候群という、つらい腸の病気が発症していた。元々、喘息で心身ともに過敏で、虚弱体質の徹には、この病気の発症は、必然に近かったものだろう。そのため、余所の土地での狭い寒いアパートで、病気をかかえての大学生活は、大変だった。夏休みや、冬休み、など実家の鎌倉の家にもどると、ほっとして、腸の具合も良くなった。徹にとって、この鎌倉の家は、気分が休まる唯一の場所だった。ここの家は徹が中学一年の時に出来た。それまでは埼玉県の公団住宅に住んでいた。徹は鎌倉が好きだった。中学、高校は、東京の私立J学園の寮で過ごした。中学生の夏休みには、自転車で、由比ガ浜へ出て、海沿いの市営プールや、由比ガ浜の海水浴場で、よく泳いだ。由比ガ浜へは自転車で30分で行けた。徹は大学を卒業すると、すぐに関東にUターンした。そして千葉の国立病院で二年間、研修した。その後、鎌倉の隣の、藤沢市に、ちょうどいい病院の求人があったので、藤沢市に引っ越した。徹は湘南が好きなのである。実家の鎌倉の家にも、車で20分で行ける。極めて便利だと徹は喜んだ。しかし、病院の勤務医の仕事は嫌いで、あまり身が入らなかった。それで、そこの病院も二年でやめてしまった。徹は、真面目で、何かをやり出すと、とことん頑張る性格なのだが、大学時代に、小説を書く喜びを知って、小説を書き出して、大学を卒業する時には、もう小説家になることしか考えていなかった。ただ、プロ作家として、筆一本で食べていく自信はなかったので、アルバイト医として生活費を稼ぎ、余暇に、小説創作に取り組んだ。

医者のアルバイトは、健康診断や、病院当直、常勤医が休みの時の代診医などである。今は、インターネットで、そういう医者のアルバイトを紹介する斡旋業者がたくさんある。医者のアルバイトは、時給も日給もいい。なので、週に二回も働けば、食べていけるのである。そうやって、徹は、週二回、働いて、他の日は、机に向かって小説を書いた。徹としては、そんな生活に満足していた。アパートの一人暮らしも、気楽だった。鎌倉の実家は、疲れた時の体の休息によかった。徹は、そんな生活に満足していた。しかし、父親は、息子が、常勤医にならないことが気に食わなかった。

そんなある日のことだった。
机に向かって小説を書いていると、母親から電話がかかってきた。
「沖縄に引っ越すことになった」
母親が唐突に言ってきた。徹は別に驚かなかった。どうせ決めたのは、父親である。父親は家庭の絶対支配者で、今までも、何でも自己中心に勝手なことをやってきたからである。徹が大学生の時、母親と二人で5~6回、沖縄に旅行に行っている。沖縄は、別に父親でなくても、日本人なら、みな好きな所である。気候は亜熱帯で、一年を通して温かく、本土のように冬という季節がなく、夏も、湿度の高い、蒸し暑い本土の夏と違って、カラッとしている。ちょうどハワイに似ている。日本の中で住むのには一番、快適な所である。海は透き通ったエメラルドグリーンである。難点といえば、台風が発生しやすいというところか。さらに、父親は、自分の父親が太平洋戦争で沖縄で軍人として玉砕していることを誇っていた。沖縄平和記念公園の、「平和の礎」にも、徹の祖父の名前は刻まれている。そういうわけで父親は異常に沖縄を好いていた。母親の言うところによると、父親は、一人で沖縄に行って、マンション購入の仮契約をし、鎌倉の家を売ることを不動産に頼んでいたらしい。つまり、母親にも、息子にも知らせず、秘密のうちに、計画を進め、鎌倉の家に、買い手が出来た時に、沖縄のマンションの購入も、正式に契約したらしい。息子も社会人になって独立したし、老後は、快適な沖縄で夫婦で暮らそうということだろう。しかし、まがりなりにも家を売って、引っ越す、というは、小さなことではない。普通の家庭だったら、家族には、あらかじめ、その計画を話すというのが、常識ある大人の行動である。父親は、母親や息子に、前もって知らせたら、反対されるかもしれないことを恐れて、秘密裏のうちに、行動し、話がまとまって、後戻りできない時点になって、母親と息子に、話そうと計画していたのである。そして、その通りになったのである。しかし、そういう、やり方は、常識的な大人の行動とは言い難い。父親は、そういう非常識な、自己中心的な性格なのである。父親は、息子が医学部を卒業するまで、学費と生活費の仕送りをした。しかし息子は、長年の父親の横暴に、耐えに耐えてきたので、大学を卒業して、研修病院に就職し、親から金銭的に自立するようになると、今までの恨みを、晴らすように、一気に父親の愚劣さを批判し出した。それが気に食わなかったことも、父親が、沖縄に引っ越そうと思った理由の一つである。
父親は、医学部を卒業した息子が、どこかの病院の常勤医となって、月曜日から金曜日まで働き、勤続年数とともにベテラン医となり、社会的地位も収入も高くなり、結婚して子供を生み、ローンで立派な家を建てる、ということを期待していた。それが父親が、息子に期待していた生き方だった。常勤医となって一つの病院に勤務し、社会的地位のしっかりした医者になることが一人前の人間となることで、アルバイト医、では、情けないと息子を叱った。

しかし息子は、過敏性腸症候群という辛い病気に悩まされていた。その病気のために息子は大学を一年間、休学した。それほど、この病気は辛い病気なのである。医者の仕事は、結構、心身ともにストレスがかかる。健康な医者なら、常勤医で働きながら、余暇に小説を書く、という両立も出来るだろう。実際、そうしている人もいる。しかし、彼には両立は出来なかった。

両立が出来ないとなると、医者を選ぶか、小説創作を選ぶかのどちらかとなる。彼は、ためらいなく小説を書くことの方を選んだ。彼は医者の仕事は、生活費のためと割り切って、アルバイト医となった。アルバイト医となると、ぐっと精神的に楽になり、また小説を書く時間も、ぐっと増え、思うさま小説を書くことが出来るようになった。給料は、常勤医の時よりぐっと減ったが、そんなことは彼にとって、どうでもいいことだった。息子としては、そんな生活に満足していたのだが、父親は、それが不満だった。ちゃんと常勤医として働くことが、立派で一人前であることで、アルバイト医では情けない、と愚痴を言い続けた。医学部6年間は、学費と生活費を出してやったのに、そういう風に、自分の思い通りにならないことが癪で、家を売り飛ばして、沖縄に引っ越すのは、息子に対する嫌がらせもあった。独り身の息子にとって実家は便利な所だった。病気になっても休むことが出来るし、厖大な医学書を置いておくことも出来た。厖大な量の医学書を置いておけることが、息子にとっては有難かったのである。彼は本を捨てることが出来ない性格であるし、医者の免許を持っていれば、何科をやってもいいのであるから、アルバイト医となった息子にとっては、厖大な医学書は、大切な物だった。アルバイト医の彼にとっては、独学で他の科を勉強すれば、多少は、他の科にも対応できるから、アルバイトの幅も増える。息子のアパートは、文学書でいっぱいで、置く所がなかった。両親が沖縄に引っ越すことになったので、息子はやむなく車で実家に行って、医学書を選別し、どうしても最低限、必要なものを選んで、残りの医学書は捨てた。医学書を捨てることは、彼には泣く思いだった。だから、父親の意地悪は見事、成功したのである。
父親は、もの凄く業が深い人間なので、嫌っている人間には、悪魔のような意地悪を平気でするのである。父親は、一つの病院に就職せず、自分を罵ってくる息子を嫌っているので、息子に、土地と家を相続させたくないのである。
引越しの表向きの理由は、歳をとって、庭の手入れが、しにくくなった、ことと、寒い冬が体にこたえるから、健康のため、と言っているが、本音は、もっと、どろどろとした憎しみと業の深さなのである。
確かに父親は、息子と同じように、喘息があり、寒い冬が苦手ではあるが、日本橋の同愛記念病院の、あるアレルギー専門医をかかりつけの名医として、長年、慕って、通院してきているのである。沖縄に行ってしまっては、信頼する名医にも、かかれなくなってしまう。それに、いくら本土の冬が寒いとはいえ、湘南地方、鎌倉は、日本の中でも、冬でも過ごしやすい土地である。さらには、息子という、恐ろしいほど優秀な医者が身近にいるではないか。これほど頼もしい存在はない。健康で、困った時には、優秀な医者である、息子が、適切なアドバイスが出来るではないか。沖縄に行ってしまっては、それらの事が全部、なくなってしまう。

母親は、といえば。母親は沖縄に、特に行きたいとは思っていない。母親は健康で、本土の冬でも別に問題なく過ごせる。母親は、人間関係で、何事にも積極的で、本土で付き合いのある交友関係が多い。なので、沖縄に引っ越すのは、むしろ反対であった。母親は、父親とは正反対の性格で、外向的で、誰とでも、すぐ友達になれる。日曜日には、かかさず教会に行き、教会関係や、ボランティアや、海外医療協力隊JOCSの活動にも、熱心である。しかし女なのに、我が強く、堂々と自己主張する。こう言うといい性格のように聞こえかねないが、母親は息子に対しては、勝手なことを言うのである。なので、息子は母親も非常に嫌っているのである。母親は父親と結婚してからは、専業主婦で、一度も働いたことがない。全て父親の収入のおかげで生活してきた。父親は内弁慶で、家庭の独裁者なので、母親は、父親の言う事には、逆らえないのである。父親と意見が食い違って、口論になると、父親は、「誰が食わせてやっているのだ」と、怒鳴りつける。こう言われると母親は逆らえない。なので、沖縄に引っ越すことも、不本意ながら従うしかないのである。父親の暴君ぶりといったら、それは、凄まじいもので、家庭内では完全な独裁者である。なので、息子は、電話でも父親とは話さない。息子は父親に、母親を通して、用件を伝えるのである。まるで天皇のようである。あるいは三角貿易と言うべきか。オウム真理教の事件が起こった時、父親の独裁ぶりが麻原に似ているので、息子は、それ以来、父親を、「尊氏」と呼んでいる。母親は、いってみれば外報部長である。息子は、あくまで、外報部長である母親を通してしか、尊氏と話しをしないのである。

そんなわけで、息子は、父親も母親も嫌っていたので、二人が沖縄に行くのは、別に何とも思わなかった。ただ医学書を捨てなくてはならないことが、辛かった。それと、独り身で、胃腸と喘息の病気を持っているので、病気になった時、休養する場所がなくなってしまうことが、非常に残念だった。

父親は、ある一流企業で、課長代理→課長→部長代理→部長、と、問題なく昇進し、部長で定年退職した。鎌倉に家を建てたのは、父親の、母と姉の住んでいる家が、鎌倉だからである。鎌倉の家は、父親の母の家から歩いて二分と目と鼻の先である。要するに、老いた母親のために、父親は鎌倉の土地を選んだのである。父親の父親は、太平洋戦争で軍人として死んだ。沖縄戦で玉砕したのである。なので、その名前は、沖縄の平和記念公園の平和の礎に、刻まれている。家が出来て、引っ越したのは、徹が中学一年の時だった。それまでは埼玉県の公団住宅に住んでいた。父親の母は、体は丈夫だが、父親の姉は、ビッコだった。子供の頃、小児麻痺に罹り、それ以来、ずっと足をひきずって歩いてきた。だが伯母は、子供の頃から、琴を習い、琴の先生だった。祖母の家に行くと、いつも琴の音が聞こえてくる。祖母の家に入ると、お弟子さんが、2、3人いて、伯母に琴を習っていた。伯母は、ビッコであるために、結婚することが出来なかった。父の兄は、喘息がひどかった。喘息のため、日常生活や社会生活が人並みに送れず、小さな工場で働いていた。父親が、自分の母親の家の近くに家を建てたいと思ったのは、母親と、病弱な二人の兄姉を心配してである。父親は、健康かといえば、そうではなく、やはり喘息で、だが、兄のように、ひどくはなく、日常生活や社会生活に支障をきたすことはなかった。その息子の徹も喘息である。つまり、父親の家系が喘息なのである。伯父は、鎌倉に家が出来て、引っ越す前に喘息重積発作で死んでしまい、伯母も、家を建てた四年後、つまり徹が高校一年の時に、交通事故で車にはねられて死んでしまった。あとには祖母が残された。祖母は長生きした。そして徹が大学四年生の時に、85歳て死んだ。もう祖母の家には誰もいなくなった。なので、父親は祖母の家を売り払った。

徹はアルバイト医になって、小説を書きながら生活していたが、最初の一年くらいはよかったが、だんだん過敏性腸症候群が悪くなってきて、うつ病になってきた。うつ病になると、全く小説が書けなくなる。さらに、悪いことに、厚生省の方針として、精神科は、精神保健指定医でないと、常勤でも、非常勤でも、働きにくい情勢になってきた。精神科医の求人でも、「精神保健指定医に限る」という条件が目立つようになってきた。徹は将来について不安を感じ出した。これでは精神科のアルバイトも出来なくなる。うつ病のため、時間があっても、小説が書けない。

それで彼は、医者の斡旋業者に頼んで、神奈川県のはずれにある、ある精神病院に就職することにした。理由は、精神保健指定医の国家資格を取るためである。
指定医の国家資格を取るためには、8症例のレポートを書くことと、精神病院に五年、常勤医として勤務している、ということが条件なのである。彼の場合、研修病院で二年、常勤医として働き、民間病院でも、二年、常勤医として働いているので、合計、四年、精神病院で勤務した経歴がある。だから、あと一年、常勤医として勤務すれば、指定医の資格取得のための、勤務歴の条件が満たされる。あとは、8症例のレポートを厚生省に提出して、審査され、通れば、指定医となれるのである。常勤医になるのは、不本意だったが、彼は、どうせ、いつかは指定医の資格は取ろうと思っていた。のである。だが、常勤といっても、自由な時間が欲しかったので週4日の勤務で働く契約をした。週4日で、朝9時から夕方5時まで働くと、一日、8時間労働になる。週に8×4=32時間なら、常勤医と見なされるのである。指定医の資格を取る、キャリアの条件は、あと一年だし、8症例のレポートは、二年から三年やれば、取れるものである。人生は、まだまだ長い。医者はサラリーマンのように定年が無いから、やろうと思えば、80歳になっても、やれる。なので、指定医の資格を取るまで、二年から三年は、我慢しようと思った。どのみち、いつかは指定医の資格を取る予定であったのである。なので、そういう条件で、彼は、県のはずれにある精神病院に就職した。給料は、少なめだったが、指定医を取るという条件で我慢した。

そこは、350床なので、まあまあの中堅病院である。始めのうちから、彼は、はりきって頑張った。各病棟の患者、全ての名前と、病名と、出してる薬をノートして覚えた。隔離患者や拘束患者は、毎日、診察してカルテに病状を記載しなければならないので、彼は全ての病棟の、隔離、拘束患者の記載をした。院長は、やる気のある医者が来た、と思ったらしく、嬉しそうだった。だが医局には馴染めなかった。ここは院長が慈愛会医科大学出身で、4~5人の常勤医も、慈愛会医科大学出ばかりの医者である。皆、慈愛医大の精神科に籍を置いている。要するに、慈愛医大の関連病院である。話の話題といったら、慈愛医大の精神科の教授や人事の動向の話ばかりである。あとはソープランドの話ばかりである。彼はいかにも、余所者という感じだった。ただ、一人の綺麗な女医は、一人ぼっちの彼を可哀相に思ってか、親切に声をかけてくれた。だが、日を経るごとにだんだん様子がおかしいことに、彼は気づき出した。彼にも、80人ほど、担当患者が任された。それは、彼が来るまで、院長が担当していた患者で、彼が来てからは、院長と彼とで一緒に診察するようになった。

指定医の国家資格を取るためには、厚生省が決めた、三日間の講習に出席しなればならない。三日で5万の講習料がかかる。彼が、講習を受けることを院長に言うと、院長は途端に苦い顔になるのである。
「指定医とりたいのー?」
と他人事のように、素っ気なく言う。それに、彼には、新しい入院患者を担当させてくれない。指定医のためのレポートは、入院から退院まで、診察していることが基本なのである。必ずしも、入院から退院まで、でなくてもいいのだが、入院か、退院のどちらかは入っていなければならないのである。彼は、院長に、新しく入ってくる入院患者を担当させて欲しい、と訴えた。だが院長は、あやふやな、答弁でちゃんと答えない。彼はだんだん院長の人格を疑うようになっていった。
ある時、彼は、ある病棟の婦長に、わざと、ふざけた事を言った。そしたら婦長は、目を丸くして、
「どうして、そんなウソを言うのー?」
と言った。そして、
「もう、だまされませんよ。私達みんな、院長にだまされて、入ってきたんだから」
と言った。ここで、初めて、彼は、院長の人格がおかしいことを気づかされた。しかし、どうして指定医の資格を取らせてくれないかの理由は、まだわからなかった。レポートは、自分が、担当して、診察、治療した患者であることが条件なのである。そして、そのレポートには、院長のサインがなくては、ならないのである。逆に言うなら、他の医者が担当した患者で、自分は治療に全くかかわってなくても、そして、他の医者が代筆したレポートでも、院長のサインがあれば、大丈夫なのである。それは、厚生省だって、調べようがないのである。カルテを見れば、誰が担当したかは、わかる。しかし、わざわざ、そんなことをする時間は厚生省にはない。だからレポートが、書けるかどうかは、病院の絶対権力者である院長の胸先三寸なのである。
ある日、院長の悪質性を決定づけることが起きた。
それは、ある医局会議の時である。
話題が、ある常勤医M氏のレポートのことなった。M医師は、
「8症例のうち7症例は集まったけれど小児のいいレポートがなくてね。なのでS先生が担当した患者でS先生が書いてくれたレポートを院長にサインしてもらった」
と、笑いながら言った。M先生としては、他の医師たちに軽い気持ちで言ったのだろう。皆は、ははは、と笑った。彼は、怒り心頭に達した。彼は院長をジロリとにらみつけた。彼が、いつも、レポートのことについて陳情しに院長室に行くと、
「レポートは、自分がちゃんと担当したものでなくてはならない。君の受けもっている患者は僕との共同診療だから・・・」
とか、
「レポートは厳格なもので、ちゃんと自分が担当した患者のレポートでないと、指定医を申請する医者にも、サインする僕にも、大きな責任というものが、かかっているんだ」
とか、偉そうなことを言っていた。
それが、この、とんでもない、完全な代筆のレポートを、院長が平気でサインしていたのである。彼は、怒り心頭に達して院長をジロリとにらみつけた。
院長は、あわてて、彼の刺すような憎しみの視線から目をそらして、と誤魔化し笑いをした。彼は、こいつは、とんでもないイカサマ野郎だと思った。しかし、どうして彼にだけは、指定医を取らせたくないのかは、医療界に詳しくない彼には、分らなかった。彼が思いつく範囲では、その理由は、指定医の資格を取って、すぐ辞められることを、おそれているからだろう、というのが、一番であるが。それ以外にも、学閥による感情的な差別もあるだろうとは、思っていた。彼は、本を買い、ネットで調べ、また、大学時代の友人の医者や、就職の仲介をした、医者の斡旋業者などに、聞いてみた。それによると、指定医の資格を取って、すぐに辞められることを、おそれているから、というのも、理由の一つだが、病院に常勤医が多くいると、法的に病院の施設基準が上がり、病院の評価が高くなるから、とか、病院は町から、かなり離れた山の中で、求人を募集しても、なかなか応募する人がいないから、とか、常勤医は慈愛医大から、研修が終わった後の二年間だけの派遣で来る医師が多く、常勤医の確保に困っているから、とかが理由だった。安い給料での飼い殺し、とまで言われた。
もう、それからは、彼は真面目に働くのがバカバカしくなって、サボタージュに徹した。それまで、やっいてた、全病棟の、隔離患者、拘束患者の記載もやめた。病棟を回っての診察もやめた。朝、来てから、仕事が終わる5時まで、医局で一人、本を読むか、ノートに書いた小説をワープロに変換したりしていた。その頃は、彼は、小説は、ワープロでは書けず、ノートに書いて、それをワープロに変換していた。ドアも手で開けず、足で蹴っとばすことにした。元々、常勤医たちは、慈愛会医大に籍を置く、慈愛医大出の医者ばかりで、仲間内の話ばかりなので、彼は、彼らとは、それまでも全く口を聞いていない。話すことと、いったら、朝の、「おはようございます」と帰る時の、「お先に失礼します」の挨拶だけである。彼らも、彼は眼中に無く、彼が何をしていても、知ったこっちゃない。なのであるから、別に何も問題は起こらない。時々、レントゲンを撮る患者が出て、
「お手すきの先生がいらっしゃいましたら、レントゲン室に来てください」
と院内放送が流れていた。レントゲンの撮影は、法的に医師でなくてはならないからである。それまで彼は、その放送が流れると、急いで駆けつけていた。そして、レントゲンのスイッチを押していた。しかし、それもシカトすることに決めた。そうしたって、やめさせられる心配はないのである。彼は、常勤医がいると、病院の評価が上がる、という施設基準のためだけに、安給料で、飼い殺しにするため雇われている身分なのだから。そうしたら、今度は、院内放送をする病院の事務員までが、露骨に、
「大東先生。レントゲン室までお出で下さい」
と名指しで放送するようになった。人をバカにするのもほどがある。

それまでも、彼は院長の人格や病院の経営方針に問題があると、感じていた。精神病院では、看護婦を増やすことによって、施設基準を上げることにより、診療報酬を上げるというのが、ほとんどの精神病院の方針なのに、この病院では、人件費を切りつめたくて、看護婦はあまり採用せず、給料の安い、外国人労働者をヘルパーとして雇っていた。そのため、痴呆症の老人の病状が良くなると、困るとまで言っていた。痴呆の度合いは、長谷川式簡易スケールという、簡単な質問で、おおまかに分るのである。なぜ、病状が良くなると困るか、というと、痴呆の度合いが悪いと、拘束されていても、患者は文句を言わないが、病気が改善してくると、意識がしっかりしてきて、拘束をはずしてください、と泣いて訴えるようになるのである。しかし、拘束ははずせない。それは、拘束をはずして自由に歩かせると、転倒する恐れがあり、転倒すると、頭を打ったり、大腿骨の頚部を骨折する危険が出てくるからである。だから拘束するのである。普通、精神科において拘束するケースというのは、自殺や他人への暴力行為を起こす可能性のある患者にするものなのだが、この病院では、院長の、経費や人件費を少なくしたいという方針のため、看護婦が少なく人手が足りず、そのために、転倒予防のために拘束する患者が多いのである。法律の条文の解釈は、抽象的であり、拘束する目的が、怪我の予防なのであるから、違法とは言えないのである。しかし、可哀相なのは、意識が、かなり、しっかりしているのに、一日中、ベッドに縛られている老人患者である。そういう、おかしな事は、いくらでもある。しかし彼は、指定医の資格を取ることが目的であって、病院の経営方針にまで、口を出す気はなかった。しかし、指定医の資格が取れないとあれば、これは、別問題であり、まさに怒り心頭に発する、である。
彼は、これから、どうするかで迷った。週4日勤務であるから、病院に行かなくてはならない。しかし、病院の、医局の中では、慈愛医大のドクター達のお喋りがうるさくて、とても小説など書けるものではない。時間を無駄にしないよう、本を読もうと思っても、やはりドクター達の会話がうるさく、雰囲気としても、本は読めない。しかも、お喋りの話題といったら、川崎のソープランドのだれそれちゃん、が、どうのこうの、の話ばかりである。精神的レベルが低い。聞いてて吐き気がする。週4日間、病院でボケーとしている毎日。残りの三日は、机に向かって小説を書こうとしてみたが、気分が悪く、体調も悪くなり、はかどらない。だんだん、精神がまいってきて、うつ病になってきた。そうすると、ますます小説は、書けなくなる。不眠症になり、過敏性腸症候群も悪化して、腸の動きが悪くなり、食べられなくなった。それでも病院には行かなくてはならない。
そんな毎日の中で、ある日、彼は沖縄のことが頭に浮かんできた。

家を売り飛ばして、沖縄に行ってしまった父親と母親ではあるが。
人間の心理の法則であるが、人は二人の人間を同時に嫌うことは出来ないのである。
ある嫌いなAさんがいたとする。そこに、もっと嫌いなBさんが現れて、頭の中が、Bさんに対する嫌悪でいっぱいになると、Aさんに対する憎しみは、減っていくのである。この心理をテーマにした小説が、室生犀星の「兄妹」である。
彼は沖縄の両親に電話してみた。出たのは父親だった。それまでは、息子は父親を特に嫌っていて、電話で話すのも、母親とだけだった。だが、父親と話すことにも、ためらいを感じなかった。院長という、もっと嫌いな人間がいるからである。息子は、父親に、ある精神病院に常勤医として勤務していること、院長が指定医の資格を取らてくれないこと、それで悩んでいること、心身ともに参って悩んでいること、などを全部、話した。父親は息子が電話してきたことに喜んだ。そして、常勤医として勤務していることも。そして、悩んでいるなら、一度、沖縄に来てはどうか、と勧めた。息子も沖縄へ行こうと思った。

沖縄に行くのは、初めてである。それで、どうせ沖縄に行くのなら、一回の旅行で、沖縄のことを全部、とまではいかなくても、出来るだけ知っておこうと彼は思った。小説家は、何でも知っていた方がいいのである。彼は内向的な人間で、内向的な人間というのは、自分の興味のあることには深く関心を持つが、興味のないことには、関心を持てない性格なのである。しかし、彼は、大学時代に、小説家になろうと思い決めてからは、どんな事でも、全てのことに関心を持とうと、思うようになったのである。まず、図書館に行って、沖縄に関する旅行ガイドや、本を探した。しかし、手ごろなのがない。それで、書店に行って、那覇市の地図と、旅行ガイドを数冊、買った。親の住んでいるマンションは、首里城に近い。彼は、那覇市の国際通りや、親の家の周辺の道路、首里城や、北部、南部、などの観光施設などを、覚えた。自分の住んでいる街より、知らない土地の方が、新鮮なので、その土地の、文化、産業、歴史、などには、自分の住んでいる街より興味が出るのである。彼は数日、沖縄のことを調べて過ごした。

   ☆   ☆   ☆

沖縄に行く日が来た。
だが彼はさほど、嬉しくはなかった。小説創作も、はかどらず、指定医の資格も取れないので、将来の見通しが暗かったからである。しかし、仕事のことは、ひとまず忘れることにした。羽田空港へ行くのは久しぶりである。病院に就職する前のバイト医をしていた時、仕事で四国と、北海道に二度行っただけである。彼は、旅行がそれほど好きではなかった。嫌いではないが。外向的人間にとっては、世界に対する関心は、実際に、自分が世界の国々に行って、その土地を見るという行動の形をとるが、内向的人間にとっては、世界に対する関心は、本を読むことになるのである。なので彼はまだ、一度も海外に行ったことがない。
羽田空港に着いたら、沖縄行きの便は、一時間半、あとだった。彼はジャンボジェット機が轟音を立てて離陸するのを見るのが好きだった。ので、それを見ていた。つい、空港の中のレストランを見ていると、どの店も美味そうで、食べたくなるのだが、彼は、腹を空かせておいて、沖縄のソーキ蕎麦を食べようと思ったので、羽田空港では何も食べなかった。いよいよ、フライトの時間がやってきた。飛行機に乗るのは久しぶりである。彼は、飛行機の操縦を一度、してみたかったので、スチュワーデスに、
「あの。飛行機。操縦させてくれませんか?」
と頼んでみたが、
「駄目です」
と無碍に断られてしまった。それで仕方なく、席に着いた。幸い、彼は窓際だった。飛行機は、空港の中を回って、やがて滑走路についた。だんだん加速していく。飛行機の加速と同時に彼の興奮も加速していく。主翼がバサバサ揺れる。ついに、フッと振動がなくなり、飛行機が上に傾き、離陸した。気持ちがいい。彼はこの離陸の瞬間が好きだった。他の乗客は、無事に離陸してほっとするのだろうが、彼は逆だった。
「あーあ。無事に離陸しちゃったよ」
と残念に思うのだった。刺激のない毎日を過ごしている彼は、刺激に餓えていた。それで、飛行中に事故が起こってくれることを心待ちにしているのである。あるいは、この飛行機がハイジャックされないかと期待していた。ハイジャックされたら、彼は、隙をうかがって、ハイジャック犯達に、身近にあるものを盾にして、突っ込んでいくつもりだった。彼は命知らずでもある。これは英雄気取りではない。彼にはハイジャックに関して持論があった。そもそも、ハイジャック犯なんていうのは、思想犯である。凶悪犯ではない。犯罪を成功させるには、自分は死ぬ気、人は平気で殺す気、の覚悟がしっかりなければならない。彼はハイジャック犯に平気で人を殺せる覚悟があるとは思っていない。宮本武蔵の言うように、敵だって怖がっているのである。はたして、一瞬の隙を狙って、タックルしてくる乗客を、正確に打ち抜く、瞬間的な正確な判断力があるか、の勝負である。威嚇は簡単である。しかし、人を殺す、というのは、自分も殺人犯になるということである。だから、彼らだって、容易には客を殺せない。心理的な駆け引きである。ハイジャックを確実に成功させるには、まず乗客の一人に、拳銃なりナイフなりで、軽傷をおわせるか、ビンタするなり、殴るなりして、自分は死ぬ気、人は平気で殺す気、の覚悟があることを見せつけておく必要がある。つまり、ハイジャック犯は、紳士的である可能性があるのである。それと乗客も腰抜けである。拳銃で威嚇された途端、男なら金玉、女なら卵巣が、縮み上がってしまうからよくないのである。見た目には、わざとキャーとか悲鳴を上げて脅えていることを演じてもいいが、そうすればハイジャック犯も、気を緩めるからであるが、心の中では戦闘態勢の準備を開始すべきなのである。彼が金玉、縮み上がらないのは、彼が空手という武術を身につけているからではない。空手の技なんて、双方とも狂気の精神状態の時には、何の役にも立たない。そうではない。本当の武術家とは、戦いになった時の判断力が正確に出来る人間のことをいうのである。つまり頭脳的な戦術家である。敵の覚悟の度合い、心理状態、および、自分の敏捷性、腕力、などを冷静に判断して、戦いの時に、もっとも最良な手段を選択できる能力のある人間が武術家なのである。空手の技を訓練するのは、そういう精神の訓練の現われ、に過ぎないのである。つまり、一般に認識されているのとは、逆なのである。空手の技を身につけてから、それから、どう戦うかを考えるのではなく、まず、あらゆる戦いにおいて、戦い方を考えてしまい、その思いが空手なり、他の武術なりを、形として訓練する、というのが本当の武術家なのである。だから本当の武術家は、猪突猛進的な無謀なことはしない。
しかし、飛行機は無事、離陸してしまった。ハイジャック犯も現れる様子もない。それで仕方なく彼は、窓から外を見た。斜めから東京湾と、東京の街がミニチュアのように小さく見える。飛行機が上昇していくのにつれて、建物や車などが、だんだん小さくなっていく。やがて、成層圏を越すと、雲の上に出る。雲の絨毯が、一面に敷かれているように見える。主翼が時々、バサバサ揺れる。彼は、外の冷たい空気に当たりたくて、「未来少年コナン」のように、主翼に、しっかり、つかまりながら、主翼の先の方に行ってみたくて仕方がなくなった。それで、手を上げて、スチュワーデスを呼んだ。
「はい。何でございましょうか?」
スチュワーデスが小走りにやってきて、笑顔で聞いてくる。
「あの。外に出たいんで、窓を開けて貰えませんか?」
彼がそう言うと、明るかったスチュワーデスの顔が途端に渋くなった。
「駄目です」
そう、一言いって、スチュワーデスは去っていった。国内線のスチュワーデスは、ケチなのである。これが、国際線のスチュワーデスなら、
「オオ。ジャパニーズ。サムライ。ハラキリ。カミカゼ。カッイイネ。オーケー」
と言って許可してくれるのだが。それで、残念ながら、彼は、雲の絨毯を見て我慢することにした。沖縄への、フライトは、2時間40分なので、やがて飛行機は高度を下げていく。雲の間から、島が見え出した。
「ああ。やっと沖縄本島に来たな」
という実感が沸いてくる。
飛行機はさらに地上に近づいて、着陸態勢に入る。彼の隣に座っていた、ばあさんは、
「どうか無事に着陸して下さいますように。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
と数珠を出して、ジャラジャラと揉んで一心に祈っていた。他の客も、無事に着陸して欲しそうな顔をしている。しかし、彼だけは違った。彼は、出来たら車輪が出ずに、胴体着陸してくれることを、切に願った。胴体着陸というものを体験してみたかったのである。しかし、残念なことに、無事に那覇空港に着陸してしまった。
「ああ。快適な空の旅でした。阿弥陀様。有難うございます」
などと、彼の隣のばあさんは、ペコペコ頭を下げ、阿弥陀仏に感謝していた。しかし、彼にとっては、スリルも何もない、つまらない空の旅なので、全然、面白くなかった。那覇空港に着くと、もう沖縄への旅は、済んでしまったような気がした。それで、もう帰ろうかとも、思ったが、わざわざ沖縄に来たのだから、親のマンションに行こうと思い直した。
沖縄は暖かい。こりゃー住むのにはいいわな、と彼は思った。沖縄のことは、あらかじめ、調べておいたので、大体わかっている。あとは、実物を見て確認するだけである。彼は、親に携帯で電話した。
「今、那覇空港に着いた。これから、行く」
とだけ言った。彼は、親に出迎えなどされたくなかったからである。そんな仰々しいことは、ウザッたい。親は何につけ恩着せがましいのである。

彼は、那覇空港から出ている、モノレール(ユイレール)に乗った。高い位置から、沖縄の町がよく見える。このまま、終着駅である、首里駅、に親の住んでいるマンションがあるのだが、彼は途中の国際通りに、さしかかった、県庁前駅で降りた。一応、国際通りを見ておこうと思ったのである。何のことはない。土産物売り店ばかりである。歩いているうちに腹が減ってきたので、彼は何か食べようと思った。だが何だか様子がおかしい。どの飲食店にも、「ヤマトンチュと米軍はお断り」と書いてある。周りの人々も、何だか彼を胡散臭そうに見る。それで彼はきまりが悪くなって、あわてて、身近にある飲食店に入った。「チャンプルー」という名前の飯屋だった。
「めんそーれ」
と店の親父が元気良く、挨拶した。
「こんにちは」
と彼も、挨拶した。店には、左に、ひめゆりの塔の写真、と右に東条英機の写真が飾ってあった。ひめゆりの塔の写真を飾るのは、分るが、なぜ東条英機の写真を飾るのかは、彼は分らなかった。ともかく、彼はテーブルの一つについた。
「あんた。ヤマトンチュだろ」
店の親父がギロリと彼をにらんで言った。
「え、ええ。でも、どうして分るんですか?」
「ヤマトンチュは顔つきと仕草で、すぐわかるんけに。それに、あんた、ひめゆりの塔の写真と、東条英機の写真を見ても、何とも反応しなかったじゃろが。ウチナンチュなら、ひめゆりの塔の写真を見れば、すぐに涙ぐみ、東条英機の写真を見ると、憎しみの目でにらみつけるからね・・・」
そう言って親父は、無愛想に、メニューをドサッとテーブルの上に放り投げた。彼はそっと、メニューを開いた。メニューには、色々とあった。「ソーキ蕎麦・500円」と書いてあった。彼は、豚の角煮の入った、沖縄のソーキ蕎麦を食べてみたいと思っていたので、
「あ、あの。ソーキ蕎麦、下さい」
と言った。すると親父は拒否するように厳しい顔で手を振った。親父はメニューをめくって見せた。すると、メニューの後ろの方に、「ヤマトンチュ用蕎麦・2000円」と書いてあった。それ以外にも、見殺しラーメン、とか、火炎放射器焼き焼き肉とか、ぶっそうな名前のメニューが書いてある。
「さあ。どれにするあるね」
と親父は強行に迫った。彼は、恐れを感じて、
「あ、あの。ヤマトンチュ用蕎麦を下さい」
と小声で言った。親父は、無愛想に、厨房に戻っていった。しかし、蕎麦一杯が、2000円とは、ちょっと高すぎる。彼は、店の異様な雰囲気に恐れを感じ出した。店には、ニ、三人、客がいたが、余所者を見るように胡散臭そうに彼をジロジロ見つめている。やがて、店の親父が、料理を持ってきた。親父は、無愛想に、ドンと丼をテーブルの上に置いた。わりと大きい。麺もたくさん入ってるし、豚の角煮も、入っている。彼は、なるほど、と思った。ヤマトンチュには、本場の、沖縄そばを、食べさせてやろうという親父の親切な思いなのだろう、と彼は嬉しくなった。なら、2000円という高い値段も納得がいく。彼は、割り箸をパキンと割って、麺をつまんで口に入れた。その時である。彼の隣に座っていた、貧相な男が、こそっと彼に耳打ちした。
「あんた。気いつけんさい。ヤマトンチュ用蕎麦には、青酸カリが入っていることがあるけん」
彼は、真っ青になって、ブバッと蕎麦を吐き出した。彼は、店の親父に2000円払って、急いで店を出た。沖縄人(ウチナンチュ)の本土人(ヤマトンチュ)に対する、憎しみは、相当なものなのだなと、彼は思い知らされた。

彼は、再び、国際通りに出た。すると、ボロボロの蓑をまとった女が道端に座っていた。
「ははあ。乞食だな。沖縄は暖かいから、乞食が住むにはもってこいだな」
と彼は思った。すると、学校帰りの子供達が、乞食女の前を通りかかった。
「やーい。ヤマトンチュ女」
と言って子供たちは、寄ってたかって、女に石を投げ出した。彼は急いで女の所に駆けつけた。
「やめんか」
彼は子供たちに向かって怒鳴った。その声の大きさに、子供たちは驚いて、蜘蛛の子を散らすように、逃げていった。
「一体、どうしたんですか?」
彼は屈みこんで乞食女に聞いた。すると女は、わっと泣き出した。驚いたことにボロ布の下はピンクのビキニだった。女は涙ぐみながら話し出した。
「私、一年前に本土から、格安パック旅行で、沖縄に来たんです。それでホテルに泊まって、さっそく、その日に海を見に行ったんです。エメラルドグリーンの海を見に。あまりにも美しいので私は時間が経つのも忘れて海を眺めていたんです。しかし、夕方、ホテルにもどってきたら、荷物も財布も全部なくなっていたんです。私は驚きました。すぐにホテルの人に言いましたが、ホテルの人は相手にしてくれません。私は、ビキニのまま、警察に行きました。でも、そこでも相手にしてくれません。ウチナンチュ(沖縄人)の人達は、ヤマトンチュ(本土人)を憎んでいて、ヤマトンチュの観光客だとわかると、身ぐるみ剥いでしまうんです。それほど沖縄人の本土人に対する恨みは激しいんです。沖縄には産業がありません。沖縄への格安パック旅行というのは、実は、ヤマトンチュをおびき寄せて、キャッシュカードから、何から何まで、身ぐるみ剥いでしまう、沖縄県の組織的な犯罪なんです。沖縄県警も、それを黙認しています。沖縄県警に訴えても、県知事に訴えても相手にしてくれません。私は、身ぐるみ剥がされて、帰りの旅費もないので、乞食になるしかなくなってしまったんです。そういう人はたくさんいます」
そう言って女は、わっと泣き出した。
「そうだったんですか。沖縄への格安パック旅行が、やけに安いと思ったら、そういう仕組みだったんですか」
彼はそう呟いた。そして、財布から、五万円だした。
「さあ。これで東京への航空券は、買えるでしょう。これをあげますから、飛行機で本土に帰りなさい」
そう言って彼は、五万円、女に握らせた。彼女はわっと泣き出した。
「あ、有難うございます。ご恩は一生、忘れません。これで本土に帰れます」
と泣きながらペコペコ頭を下げた。
「あなたも格安旅行で来たのですか?」
女が聞いた。
「いえ。違います。親に会いに来たんです」
彼は首を振って答えた。
「お父さんとお母さんが、沖縄に住んでいるのですか?」
女が聞いた。
「ええ」
彼は答えた。
「ご両親は、よく沖縄に住めますわね。あなたはウチナンチュですか?」
「いえ。違います。ヤマトンチュです」
「何か、沖縄とつながりがありますか?」
女は首を傾げて聞いた。
「そうですね。祖父が沖縄戦で、終戦直前に沖縄で玉砕しています」
彼は答えた。
「それだわ。あなたは、きっと、おじいさんが沖縄戦で玉砕したから、大目に見られているのよ。平和の礎に、名前が書いてある人の子孫は、沖縄を守ったということで、ヤマトンチュでも、大目にみてくれているんです」
女は、そう説明した。
「本当に有難うございます。これで、やっと本土に帰れます」
そう言いながら、女は何度もペコペコ頭を下げた。

これによって、彼はあらためて、ウチナンチュ(沖縄人)のヤマトンチュ(本土人)に対する憎しみの激しさを知ったのである。
その時、ちょうど、米軍のヘリコプターが、ババババッと、大きな爆音をたてながら、地上、近くに降りてきた。国際通りにいたウチナンチュ達は、一斉に、ヘリコプターに向かって、
「米軍は、沖縄から出ていけー」
と拳を振り上げて叫んだ。すると、米軍のヘリコプターに乗っていたアメリカ人は、ズガガガガーと、機銃掃射をしてきた。国際通りに出ていた人達は、あわてて店の中に隠れた。
大東徹も女を連れて、公設市場の中に隠れた。
ヘリコプターは、市役所の前の広場に着陸した。中から、おもむろに、レイバンのサングラスをした、マドロスパイプを燻らせている、長身の男が、出てきた。男は拡声器を口に当てて言った。
「オキナワノ、ミナサン。ムダナテイコウハ、ヤメテ、ブキヲステテ、テヲアゲテ、ゼンイン、デテキナサイ。ソウシナイト、ゼンイン、ゲリラトミナシ、シャサツシマス」
そう言って、四人のアメリカ人が、国際通りにやってきた。ガムをクチャクチャ噛みながら。国際通りは、水を打ったようにシーンと静まりかえっている。四人のアメリカ人は、ガムをクチャクチャ噛みながら、我が物顔にノッシ、ノッシとのし歩いた。その時、ある、土産物店から、石が四人に向かって投げられた。
コーン・コロコロ。
と石は、転がって四人の米兵の前で止まった。四人の米兵は、ピタリと足を止めた。マドロスパイプを咥えていた、隊長らしき男が、火炎放射器を持った白人に、顎をしゃくって合図した。合図された米兵は、その店の戸を開けると、火炎放射器をブオオオオーと店の中に放射した。
「うぎゃー」
店の主人と思われる老人が、火達磨になって、転がるように店から出てきた。
「た、助けてくれー」
老人は、救いの手を求めるように、米兵たちに向かって、手を差し出した。しかし、米兵は、クチャクチャ、ガムを噛みながら、容赦なく目の前の、老人に、さらに、火炎放射器をブババババーと浴びせかけた。
「うぎゃー」
始めは、のたうちまわっていた老人は、だんだん動かなくなっていった。それでも、米兵は火炎放射器を拭きかけ続けた。ついに、老人は全く動かなくなった。それはもう、人間の原型をとどめていなかった。そこにあるのは黒焦げの死体だった。
「サア、コレデ、オドシデナイコトガ、ワカッタデショウ。サア、ミンナ、ブキヲステテ、テヲアゲテ、デテキナサイ」
レイバンのサングラスをかけた、マドロスパイプを咥えた、米兵が拡声器を使って言った。
公設市場に身を潜めていた彼は、スックと立ち上がって、歩き出した。
「お、おい。ヤマトンチュ。何をする気だ」
公設市場の親爺が、焦って彼の腕を掴んで引き止めようとした。だが彼は、親爺の腕を振り払った。
「おい。親爺。ちょっとこれを借りるぜ」
そう言って彼は、大きな鉄の鍋を手にした。
「な、何をする気だ?ヤマトンチュ」
親爺が聞いた。
「俺は俺の意志でやりたいようにする」
そう言って、彼は店を出て、国際通りに、一人、立ちはだかった。米兵達は、すぐに彼に視線を向けた。
「ヤットヒトリ、デデキマシタネ。サア、テヲアゲナサイ」
米兵は拳銃を彼に向けて忠告した。だが彼は手を上げようとしない。
「サア。ハヤク、テヲアゲナサイ。サモナイト、ブキヲモッテイルト、ナミシマスヨ」
そう言って、米兵の一人がバキューン、バキューンと空に向かって拳銃で威嚇射撃した。
「やめなよ。弱い者いじめは」
彼はそう言って、ツカツカと米兵達の方に歩み寄って行った。
「ワレワレノシジニ、シタガワナイノデスネ」
そう言うや、米兵は、彼の方に向かって、バキューン、バキューンと射撃してきた。始めは威嚇射撃だったが、だんだん米兵達は、本気で彼を狙って撃ってきた。彼は、鉄の鍋を顔の前に構えて盾にして、腰を低くして、左右にジグザグに、米兵達に向かって、突進していった。バキューン、バキューンと撃ってくる拳銃の弾が、カキーン、カキーンと鍋に弾き返された。
彼は、拳銃で撃ってくる米兵にタックルした。
「オー、マイ、ゴッド」
米兵は、彼の強烈なタックルを受けて倒れた。
「キエー」
彼は、米兵の首にビシッと手刀をぶち込んだ。そして米兵が持っていた拳銃を奪い取り、米兵の右手を背中に捻り上げて、米兵の背中に回って、米兵を盾にした。そして、拳銃を米兵の頭に突きつけた。
「さあ。貴様ら、全員、武器をこっちに寄こせ。さもないと、こいつの命がないぞ」
そう言って、彼は、拳銃の銃口をグリグリと米兵の頭に押しつけた。
「オー。マイ。ゴッド。ブキヲステテクダサイ」
米兵は、オロオロした様子で、仲間の三人の米兵達に、ペコペコ頭を下げて哀願した。
「シ、シカタアリマセーン」
三人の米兵達は、口惜しそうに、火炎放射器、機関銃、拳銃、などを、彼の方に放って寄こした。
「ほら。親爺。これを隠しとけ」
そう言って、彼は、拳銃や機関銃を、近くのスーベニールショップに放り込んだ。店の中では、サササッと音がした。店の中にいたウチナンチュの親爺が受け取ったのだろう。
これで武器はなくなった。
彼は、盾にしてた米兵の腕を思い切り、後ろに捻り上げ、グリッと関節を捻った。
「ウギャー」
米兵が悲鳴を上げた。肘の靭帯が切れたのだろう。
彼はスックと立ち上がった。三人の米兵は、ササッと彼を取り囲んだ。
「ユー。クレイジーネ。ニチベイアンポデス。ダレガニホンヲ、マモッテヤッテイルトオモッテイルノデスカ。ユルシマセーン」
そう言って、三人の米兵は身構えた。
「コノオトコハ、モト、WBAヘビー級ボクシングノ、チャンピオンデス」
そう言ってマドロスパイプを咥えたレイバンのサングラスをかけた男が、右隣の黒人の米兵を指差した。その黒人の男は、クラウチングスタイルで、拳を顔の前で構えた。
「コノオトコハ、モト、AWAノ、プロレスリングノ、チャンピオンデース」
そう言ってマドロスパイプを咥えたレイバンのサングラスをかけた男は、左隣の白人の男を指差した。指差された白人の巨漢男は、大きく手を広げて身構えた。
「ソシテ、ワタシハ、モト、プロフットポールノ、クォーターバックデス」
マドロスパイプを咥えた男は、自分を指差して言った。
「You go to hell ネ」
そう言って、三人は、ジリジリと彼に詰め寄ってきた。三人の米兵は、同時に、わっと彼に襲いかかった。
元ヘビー級ボクサーの黒人は左のジャブを繰り出してきた。彼はそれをウィービングで、サッと避けると、キエーという、鋭い気合と共に、横蹴りを黒人の腹に蹴りいれた。
「ウガー」
黒人は、もんどりうって地に伏した。黒人は倒れたまま、白目を開けて全身をピクピク痙攣させている。それを見て、残りの二人はゴクリと唾を呑み込んだ。
次に、元プロレスラーの巨漢男とマドロスパイプの男が、ジリジリと間合いを詰めて、わっと襲い掛かってきた。
「キエー」
彼は裂帛の気合と共に、元プロレスラーの男の金的を蹴り上げた。
「ウギャー」
元プロレスラーの男は、天地の裂けるような悲鳴を上げて、倒れ伏した。
元フットボーラーの顔が青ざめた。彼は慎重にジリジリと彼に詰め寄って行き、わっと彼にタックルしようとした。
「チェストー」
彼は、それをスッと避けると、裂帛の気合と共に、彼の人中に正拳突きを叩き込んだ。タックルしようとして、掴みかかろうとしたのが、カウンターになって、威力倍増し、一撃で男は地に倒れた。
「ガ、ガッデーム。サノバビッチ」
マドロスパイプの男は、鼻血を出しながらフラフラと立ち上がると、倒れている二人の男を助け起こした。腕をへし折られた米兵と、彼に一撃で倒された三人の米兵は、ヨロヨロとふらつきながら、ヘリコプターの方に戻ろうと踵を返した。
「ユー。リトル、ストロングネ。バット、オボエテイナサイ。アイ、シャル、リターン」
とレイバンのサングラスをかけた男は、振り向いて、負け惜しみの、捨てセリフを言った。四人は、ヨロヨロと覚束ない足どりで、ヘリコプターに乗り込んだ。バババババッとヘリコプターが始動し、宙に舞い上がった。ヘリコプターは向きを変え、ズガガガガーと彼を狙って、機銃掃射してきた。
「おい。親爺。機関銃を寄こせ」
彼は、機関銃を放り込んだ店の親爺に言った。
「へ、へい」
親爺は、恐る恐る機関銃を彼に渡した。彼は機関銃を受け取ると、ヘリコプター目掛けて、ズガガガガーと撃ち込んだ。それがヘリコプターのガソリンタンクに命中し、ヘリコプターは、ボワッと炎上した。
「ガッデーム。サノバビッチ」
ヘリコプターに乗っていた米兵の口惜しそうな声が聞こえてきた。
炎上したヘリコプターは、フラフラと飛行し、ついに、地上に墜落し、ボワンと炎上した。
その時、国際通りの両側の店に、隠れていた人々が、
「うわー。やったあー。ざまあみろ」
という歓喜の雄叫びを上げて出て来た。彼らは、しばし、快感の余韻に浸っていたが、それが鎮まると、ようやく、もとの落ち着きを取り戻し始めた。
彼らは、みな、はっと気づいたかのように彼の方に振り向いた。みな、彼に向かって恭しく頭を下げた。その中で、一人、仙人のような白髪の老人が、つかつかと彼の方に歩み寄ってきた。
「わしは、この島の長老の金城知念尚敬というもんじゃ。今年で120歳になる。あんた。すまんかったの。余所者あつかいして、意地悪してしもうて」
老人は深々と頭を下げた。
「いえ。いいんです。人間として当然のことをしたまでです」
彼は、何も無かったかのように平然と答えた。
「ヤマトンチュにも、わしら、のために身を挺して戦ってくれる者もおるもんじゃな。どうも、わしらは、ヤマトンチュに対して、偏見を持っておったようじゃ。すまん」
そう言って老人は、飯屋「チャンプルー」の親爺をジロリと見た。
「おい。ぬしゃー。まだ、料理に、ヤマトンチュ用とウチナンチュ用と区別ば、つけとるんか?」
「へ、へい」
親爺は、決まり悪そうに言った。
「もう、やめんか。ヤマトンチュいじめは。何度も言うたじゃろうが」
「へ、へい」
親爺は決まり悪そうに返事した。
「これでもう、安心して、何でも食べんしゃい。沖縄の料理は、うまいけに」
そう言って長老は深々と頭を下げた。
「そうして頂けると助かります。それと、出来れば・・・」
そう言って彼は言葉を濁して、ビキニの女を見た。ビキニの女性は、彼の方に駆け寄ってきて、彼の腕をヒシッと掴んだ。
長老は、ビキニの女を見た。
「ああ。あんさんには、本当にすまんことをした。許してくれろ。もう、ヤマトンチュの観光客の身ぐるみ剥ぐようなことは、させんけに。わしが、県知事に、よう言うとくわ」
そう言って、老人は、彼女に頭を下げた。
「あ、有難うございます」
彼女は老人に頭をさげた。そして、潤んだ瞳で大東を見た。
「あ、有難うございます。あなたは、私の命の恩人です。ご恩は一生、忘れません。あ、あの。どうかお名前を教えて下さい」
女は恭しく彼に言った。
「いえ。名乗るほどの者ではありません」
彼は毅然として答えた。
「で、でも。それでは私の気持ちが、おさまりません」
女は強い語調で言った。彼女は、彼が名前を言うまで納得しないだろう、と彼は思った。
「そうですか。私は、大東徹という者です」
「そ、そうですか。あ、あの。よろしかったら、携帯電話を貸して貰えないでしょうか」
彼女は、身ぐるみ剥がされて、何一つ持っていない。何か、重要な連絡があるのだろうと彼は思って、彼は、彼女に携帯電話を貸した。すると、彼女は、携帯をひったくるようにして、彼に背を向けた。彼女は、何やらカチャカチャと携帯を操作している様子である。
「な、何をしてるんですか?」
彼は、彼女が何をしているのか、知ろうと、彼女の前に回り込もうとしたが、彼女はササッと彼に背を向けた。さらに、彼が回り込もうとすると、彼女は、またササッと位置を変えて彼に背を向けた。彼は諦めた。
しばし、彼女は、携帯をカチャカチャと操作してから、やっと彼に振り向いて、彼に携帯電話を渡した。
「一体、何をしたんですか?」
彼は彼女に聞いたが、彼女は、モジモジして黙っている。仕方なく、彼は、携帯を調べた。すると、電話帳に、新たに「秋本京子」と登録されていた。携帯番号と、メールアドレス、住所、が書き込まれていた。さらに、送信BOXを開けてみると、「秋本京子」へのメールが送られていた。そのメールには、こう書かれていた。
「秋本京子様。東京でまた、ぜひお会いしたいです。よろしくお願い致します。大東徹」
彼は、あっけにとられて、彼女の顔を見た。
「あ、あの。私。東京に帰ったら、すぐに携帯に何かメールが来ていないか調べます。友達はきっと、私の失踪を心配して、メールしてくれてると思いますから」
「まいったなあ」
彼は、困惑した顔つきで、彼女を見た。
「どんな人が私のことを心配してくれてるかしら。楽しみだわ」
彼女は独り言のようにいった。
「あんさん。あんさん」
国際通りの衣料品店の婆さんが出て来た。
「今まで、すまんかったの。本土に帰るなら、これを着ていきんしゃい」
そう言って、婆さんは、沖縄の紅型衣装を彼女に手渡した。
「まあ。有難うございます」
婆さんは、女が被っていたボロ布をとって、紅型染めウミナイビを、彼女に着せた。紅型衣装を着た彼女は、見違えるように綺麗に見えた。
「よう。似合うとる。あんたにぴったしじゃ」
婆さんは、しげしげと、女を見つめた。婆さんは続けて言った。
「これは、琉球国の王妃が着ていた、紅型染めウミナイビじゃけん。売らないで、店に飾っておいた物じゃけん」
彼女は、目を丸くした。
「ええっ。そうなんですか。そんな貴重な物いただくわけにはいきません」
彼女は、あわてて紅型衣装を脱ごうとした。婆さんは、あわてて、それを制した。
「ええんじゃ。あんたには、さんざん意地悪してしもうたでの。わしの気持ちじゃ。せめてもの、わびとして、受け取ってくんしゃれ」
婆さんは申し訳なさそうに言った。
「あ、有難うございます」
彼女も恭しく、お辞儀した。
婆さんは、彼女の右の耳に、デイゴの花を差した。沖縄の県花は、デイゴなのである。デイゴの花を右に差すのは、未婚の女で、既婚の女は左に差すのである。
「よう似合うとる」
婆さんは、彼女を見て嬉しそうに言った。
彼女は、隣にいた彼にそっと寄り添って、彼の腕をヒシッと掴んだ。
「よう似合うとる」
婆さんは、またニコニコして嬉しそうに言った。
「あ、あの。お婆さん。何が似合っているんですか?」
彼女は、嬉しそうな顔で、婆さんに聞いた。
「勇気のある逞しい男と美しい女子が、二人並んでいるところがじゃ」
婆さんは、嬉しそうに答えた。
「ですって。大東さん」
と言って彼女は、彼を嬉しそうに見た。
彼はやれやれという顔をした。彼はポケットから、携帯を取り出して、沖縄発羽田行きのフライトを確認した。羽田行きの便は、次のが最終便だった。
「秋本京子さん。羽田行きの便、次のが最終便ですよ。急がないと」
彼は那覇空港の方を指差して彼女に促した。
「そうですか。大東さん。色々、お世話になりました。有難うございました」
そう言って彼女は、やっと彼から手を離して、ペコリとお辞儀した。
彼は手を上げて国際通りを走っているタクシーを止めた。沖縄県には電車というものがないので、移動の手段は、車しかないのである。なので、タクシーが多く、その料金は本土のタクシーより安い。
彼はタクシーの後部座席を開けた。彼女は後部座席に乗った。
「ちょっと待ちんしゃい」
その時、婆さんが、慌てて止めた。婆さんは、急いで店の中に入った。
そして、すぐに大きな袋を持って出て来た。
「ほれ。紅芋の、ちんすこう、じゃけん。ぎょうさん持って行きんしゃい」
そう言って、婆さんは、彼女に、紅芋のちんすこうがいっぱい詰まった袋を渡した。
ちんすこう、とは、沖縄のクッキーのようなものであるが、これが美味いのである。それは、もっともで、ちんすこう、は、琉球国の王族の、お菓子として、作られたものなのである。
「有難うございます。お婆さん」
そう言って彼女は、ちんすこう、の入った袋を胸に抱きかかえた。そして、彼に振り返った。
「大東さん。さんざん、お世話になりました。また、東京でお会い出来る日を楽しみにしています。では、さようなら」
そう言い残して、タクシーは、那覇空港めざして走り出した。彼女は、名残惜しそうに、後ろを振り返って、いつまでも彼に手を振った。
だんだん、タクシーが遠ざかっていって、とうとう見えなくなった。

   ☆   ☆   ☆

彼は踵を返して、モノレール(ユイレール)に乗った。モノレールは、国際通りの真上を通って、やがて首里城の方へ向かった。すぐに、モノレールは、終点の、首里駅についた。その後も、モノレールは、つなげるようで、工事中だった。彼は、アパートで那覇市の地図を買って、親の家の周辺は覚えていたので、親のマンションはすぐにわかった。茶色の10階建てのマンションである。その向こうには首里城が見えた。親の部屋は、8階である。彼はチャイムを押して、部屋に入った。

父親と母親が出迎えた。部屋は思っていた以上に豪華だった。10畳の和室に、寝室、ダイニング、バス、トイレ、キッチン、の他に、一人誰かが住めるほど大きい部屋があった。二人で住むのには、あまりに広すぎる。

ちょうど、一つの客室が、机と本棚と、ベッドと押入れ、があって、一人、誰かが暮らすことが出来る。つまり息子の部屋用なのである。父親は、老後は、沖縄に住んで、息子にも、沖縄に住んで、親の面倒を見て貰いたいと思っているのである。これが父親のしたたかな計算だった。確かに、息子は、冷え性で、過敏性腸症候群で、喘息で、本土の冬は厳しい。出来ることなら、一年中、温かい沖縄は、住むのに魅力的な土地だった。アレルギー体質なので、沖縄なら花粉症に悩まされることもない。しかし、沖縄では仕事がない。病院の勤務は、まっぴらである。大きな書店もないし、図書館も、いいのがない。何事にも不便である。だから、彼は沖縄に移り住む気は全くなかった。
父親は、沖縄へ来ても、相変わらず、一日中、ごろ寝で、テレビを観ている生活だった。
彼は、翌日から、せっかく沖縄に来たのだから、観光バスで、名所を見ることにした。

   ☆   ☆   ☆

翌日になった。彼は朝早く起きて、家を出た。そして、ユイレールに乗って、県庁前駅で降りた。彼は、今日は、北部へ行こうと思った。
北部コースは、琉球村→万座毛→ちゅら海水族館→OKINAWAフルーツらんど、である。
バスセンターには、早く着いてしまった。彼は用心深い、というか、神経質なので、時間には早く行くのである。バスセンターのベンチに座って待っていると、一人のもの凄い綺麗なバスガイドがやって来た。
「あ、あの。座ってもよろしいでしょうか?」
バスガイドが聞いた。
「え、ええ」
彼は焦って答えた。バスガイドは彼の隣に座った。
「あ、あの。大東さん。昨日は、有難うございました。スッキリしました」
バスガイドは頬を赤らめて言った。
「えっ。何のことですか?」
彼は彼女の言うことの意味が分からなくて聞き返した。
「あの。昨日、米兵達をやっつけてくださったことです」
彼女は言った。
「ああ。あれですか。僕は人間として当然のことをしたまでです。そんなに気を使わないで下さい」
彼は、あっさりと言った。
「いえ。そんなこと、ありません。本当に昨日は、胸のわだかまりがとれて、すごく嬉しかったんです」
彼女はニコッと笑って言った。
『ははあ。彼女はきっと、米軍基地に反対している人なんだろう』
と彼は思った。というより、沖縄県民で米軍基地に賛成している人は、まずいないだろう。
「そうですよね。米軍は厚かましいですですよね」
彼も相槌を打った。彼女は、しんみりと身の上を語り出した。
「私が、高校生の時、親友の宮城順子さんが、帰宅途中に米兵達に犯されて殺されました。私は泣いて悲しみました。しかし、米軍は、日米地位協定を盾にとって、公務中であるといって、身柄を沖縄県警に引き渡しません。米軍の中では、裁判が行われましたが無罪放免です。私の悲しみは憎しみに変わりました。米軍は日米地位協定を盾にとって、やりたい放題です。私は、この矛盾を政府に訴えました。しかし政府は何もしてくれません。私は、米軍の横暴に立ち上がろうと決心しました。それで、反米軍基地の会、というグループを作りました。私がリーダーになりました。米軍の横暴に対するビラ配り、抗議運動、署名活動、などをしました。すると、米兵達は、私達に、嫌がらせをするようになりました。家の前にジープでやって来て、アメリカのハードロックをボリュームを目一杯あげて鳴らしてみたり、自転車通学しているところを、トラックがもの凄いスピードで幅寄せしてきたり、してきました。私達は何回も転ばされました。私達は、さらに抗議活動をするようになりました。すると、ある日、反米軍基地の会、の会員である石嶺有紀さんが行方不明になりました。私は、米軍との関係ではないかと思い、警察にそのことを知らせましたが、米軍は、知らないと言うだけでした。かけがいのない友達がどうなっているのかを思うと夜も眠れない日々を私は送っています」
彼女は、そう語って、ハアと溜め息をついた。
「そうだったんですか。その行方不明の友達は、まず米軍と関係があるんだと僕も思います」
彼は相槌をおもむろに打った。
「あっ。ごめんなさい。つい、愚痴を言ってしまって。今日は、どちらへ観光に行かれるのですか?」
バスガイドが聞いた。
「そうですね。ちゅら海水族館がある北部へ行こうと思っています」
彼は答えた。
「そうですか。それは嬉しいですわ。今日、私は北部の案内をする日なんです。暗い話をしてしまって、すみませんでした。今日は、うんと沖縄のきれいな海をお楽しみ下さい。今日のお客さんは、大阪の老人会の人達と大東さんだけです」

彼女と話している間に、観光バスは、すでに来ていて、バスのドアは開いていた。
彼はバスガイドと一緒に、バスに乗り込んだ。バスには、すでに大阪の老人会の観光客が乗っていた。
ちょうどバスの発車時間になった。
バルルルルッとバスのエンジンがかかり、バスは、ゆっくりと、バスセンターから、動き出した。バスは、北部へ向かう、国道58号線を走っていった。
「みなさん。お早うございます」
バスガイドが元気良く挨拶した。
「お早うございます」
客達も元気良く挨拶した。
「本日は、琉球沖縄観光バス、北部コース、をご利用して下さいまして有難うございます。心よりお礼、申し上げます。本日は、どうぞ、ごゆっくり、沖縄の美しい海と名所をお楽しみ下さい。今日、参ります場所は、琉球村→万座毛→ちゅら海水族館→OKINAWAフルーツらんど、です。所要時間は約600分で、バスセンターに着くのは、夕方の6時頃になります。運転手は、赤嶺太郎で、案内は、私、知念多香子がさせて頂きます」
バスガイドが、月並みな挨拶をした。
知念多香子という名前なのか。と彼はあらためて彼女を見た。あらためて見るバスガイドは、この上なく美しかった。バスガイドの制服がピッタリと体にフィットしていて、極めてセクシーに見えた。しかし、彼女は芯が強い。綺麗な、美しい顔立ちの裏に、米軍という巨大な悪と戦う強い心を秘めているのである。
バスは那覇市内を出て、浦添市に入った。左手に、沖縄の美しいエメラルドグリーンの海が見えてきた。本土の濁った海と違って、その海は実に美しかった。
「うわー。綺麗な海だ」
客達は、身を乗り出して、沖縄の海を驚きの眼差しで見て、歓声を上げた。
バスガイドは、嬉しそうな顔になった。
浦添市を出ると、バスは宜野湾市に入った。
右手に、物々しい囲いが見えてきた。高い鉄柵のフェンスの向こうには、広々とした芝生の中に、ポツン、ポツンと洋風の家が建っている。米軍施設である。やがて、その中に滑走路が見えてきた。
「右手に見えますのが、普天間飛行場です」
バスガイドは、悲しそうな口調で言った。
その時、米軍の戦闘機の編隊が、ゴオオオオッという爆音をたてて、普天間飛行場に向かって、地上すれすれに飛行していった。高速の飛行によるドップラー効果のため、その爆音は凄まじかった。ちょうど、近くの小学校で、休み時間で校庭で、キャッ、キャッと楽しく遊んでいた生徒達は、急に顔が恐怖にひきつり出した。
「うわーん。怖いよう。怖いよう」
そう叫びながら、子供達は、泣きながら、校庭を逃げ惑った。
「さあ。みんな。遊びは中止よ。早く校舎に入って」
教師達が、校庭に出てきて、泣き惑う子供達をヒシッと抱きしめて校舎に連れ込んだ。校庭はシーンと静まりかえった。バリバリバリという爆音とともに、戦闘機の編隊は去っていった。
「今のように、米軍の戦闘機の訓練のため、住民達は騒音に悩まされています。そして、沖縄の住民は、いつも、戦闘機が民家の上に落ちてきはしないか、という恐怖感に脅えています」
バスガイドは、ハアと溜め息をついて言った。
「ガイドさん。そう、落ち込まんでくんさい。わしら、本土人も、米軍の横暴には怒っているけんに」
乗客の一人が言った。
すると、それに呼応するように、乗客達は、
「おう。そうだ。そうだ。米軍は酷いよな」
と皆が、言い出した。
「あ、有難うございます。本土の方々にそう言って頂けると、励まされます」
そう言ってバスガイドは、涙を拭った。
「では、気を取り直して、歌でも歌いましょう。どなたか歌いたい方は、いらっしゃいますか?」
バスガイドが笑顔で聞いた。だが誰も挙手しようとしない。本土人は、恥ずかしがり屋なのである。そこへいくと沖縄人は気さくだった。
「ええがな。ええがな。それよりも、あんたはんの歌が聞きたいわ」
乗客の一人が言った。
「そうですか。では、お言葉に甘えて歌わせて頂きます」
そう言ってバスガイドは、マイクをしっかり握りしめた。そして歌い出した。
「サー君は野中のデイゴの花か サーユイユイ♪
くれて帰ればヤレホニ引きとめる 又ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ サー♪
嬉しはずかし浮名をたてて サーユイユイ ♪
主は白百合ヤレホニままならぬ 又ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ♪
サー沖縄よいとこ一度はおいで サーユイユイ♪
緑の島よ 又ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ♪
サー米軍。出て行け。ちゅら海守れ。サーユイユイ♪
出て行け。平和の島、沖縄から サーユイユイ♪」
バスガイドは、熱唱した。それは、沖縄独特の、ゆったりとした、しかし哀調のある、非常に澄んだ歌声だった。
客達は、我を忘れて、その歌に聞きほれていたが、バスガイドが歌い終わると、一斉に、パチパチと拍手した。
「いやー。いい歌やなー。綺麗な歌声やなー」
乗客の一人が言った。

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沖縄バスガイド物語 (小説)(2)

2020-07-16 02:51:37 | 小説
「それにしても、あんさん。歌も上手いが、綺麗やなー。歌手になれるで」
別の客が言った。
「あ、有難うございます」
バスガイドは、ニコッと笑ってペコリとお辞儀した。
「あっ。あれは何なんだ?」
乗客の一人が身を乗り出して、指差して言った。彼も、客が指差した右手の方を見た。米軍基地の金網の前に、ズラーと、人の背丈ほどのベニヤ板が並んでいた。一体、あれは何なんだろうと、大東も疑問に思った。
「ガイドさん。あれは、一体、何なんですか?」
乗客の一人が聞いた。
「はい。右手に見えますのは、抗議人間看板でございます。こちらからは見えませんが、あの看板の裏側には、座り込みして、抗議している人間の絵が描かれています。私たち、沖縄県民は、よく座り込みのデモをしますが、いつも抗議しているのだということを示すために、抗議している沖縄県民の絵を描いて、立てたのです」
バスガイドは言った。
「へー。なるほど。案山子みたいだな。誰が、そんなことを始めたんですか?」
乗客の一人が聞いた。
「はい。それは私達です。私が、高校生の時、私の親友が、帰宅途中に米兵達に陵辱されて殺されました。しかし、米軍は、日米地位協定を盾にとって、公務中であるといって、身柄を沖縄県警に引き渡しません。米軍の中では、裁判が行われましたが無罪放免です。私の悲しみは憎しみに変わりました。米軍は日米地位協定を盾にとり、やりたい放題です。私は、この矛盾を政府に訴えました。しかし政府は何もしてくれません。私は、米軍の横暴に立ち上がろうと決心しました。それで、反米軍基地の会、というグループを作りました。そして私がリーダーになりました。米軍の横暴に対するビラ配り、抗議運動、署名活動、などをしました。すると、米兵達は、私達に、嫌がらせをするようになりました。家の前にジープでやって来て、アメリカのハードロックをボリュームを目一杯あげて鳴らしてみたり、自転車通学しているところを、トラックがもの凄いスピードで幅寄せしてきたり、してきました。私達は何回も転ばされました。私達は、さらに抗議活動をするようになりました。あの抗議人間看板も、抗議活動の一つとして作りました」
バスガイドは言った。
「へー。あんさん。綺麗なわりには勇気があるんやな」
乗客の一人が言った。
よく見ると、抗議人間看板には、どれも無数の小さな穴が開いていた。
「看板に小さな穴が開いているけれど、あれは何なんですか?」
乗客の一人が聞いた。
「はい。あれは米兵達が、ライフルで撃って出来た穴です。米兵達は、抗議人間看板を、見つけると、いい射撃訓練の的が出来た、と言って、面白がって撃つようになってしまったんです」
バスガイドは溜め息まじりに言った。
「そりゃー、ひどい。米軍はひどい事しやがるな」
乗客の一人が言った。
「そうだ。そうだ。それは、ひどい」
と皆も口々に言った。
「有難うございます。本土の方々にそう言って頂けると、私達も、どんな辛く苦しくても戦おうという勇気が出ます」
そう言ってバスガイドはペコリと頭を下げた。

   ☆   ☆   ☆

そうこうしている内にバスは、琉球村に着いた。
琉球村は、沖縄文化の体験テーマパークで、古い民家や屋敷で集落を復元したもので、その中では、三線体験、本格琉装体験、紅型体験、などを有料で、やっていた。
「皆様。お疲れさまでした。琉球村に到着いたしました。40分と、短いですが、どうぞ、古きよき沖縄の生活を体験してみて下さい」
バスガイドが言った。
皆がバスから降りた。大東も降りた。
「あんたはん。あんたはん」
降りた乗客の一人がバスガイドに声をかけた。
「はい。何でしょうか?」
バスガイドが聞き返した。
「すまんが、あんたはんも、来てくれまへんか」
乗客が言った。
「えっ。どうしてですか?」
バスガイドは、首を傾げて聞き返した。
「本格琉装体験っていうの、あるやろ。あんたはんに、琉球の紅型衣装を着て欲しいんや。そして、それをぜひ、写真に撮りたいんや」
乗客は言った。
「そうや。そうや。ぜひ、頼んまさ」
乗客達は口々に言った。
「わ、わかりました」
バスガイドは、少し照れくさそうに、頬を赤らめて答えた。そしてバスから降りた。
乗客達とバスガイドは、琉球村に入った。
本格琉装体験の場所は、琉球村の入り口のすぐ近くにあった。
「さあ。琉球の紅型衣装を着てくんなはれ」
乗客の一人が言った。
「は、はい」
バスガイドは、そう言うと、着付けする部屋に入った。
しばし、ゴソゴソと音がしていたが、10分くらいして、バスガイドが出て来た。
彼女は、鮮やかな紅型衣裳を着て出て来た。それは、琉球王朝時代に高貴な人達しか身につけられない本格的な紅型衣裳だった。
「おおっ」
皆が一斉に歓喜の声をあげた。
「綺麗やなー。まるで竜宮城の乙姫みたいや」
皆は、我を忘れて、美しい琉球衣装のバスガイドを見入った。
バスガイドも、少し誇らしげな様子だった。
カシャ。カシャ。
皆は、デジカメや携帯のカメラで、琉球衣装姿のバスガイドを撮影した。
バスガイドの顔は、ほんのり紅潮していた。
「ビキニ姿も綺麗やろなー」
禿頭の老人が唐突に言った。バスガイドは真っ赤になった。
「しかし、ここにビキニなんぞ、あるわけもないしな。残念やな」
乗客の一人が言った。
「いや。あるで」
禿頭の老人が、さりげなくカバンからビキニを取り出した。
それは、ハイビスカスの模様が描かれた鮮やかなビキニだった。
バスガイドは、ギョッとして目を丸くした。
「なんで、ビキニなんか持っとるんや?」
乗客の一人が聞いた。
「いやな。国際通りを見物していたら、鮮やかな色のビキニが目にとまっての。つい、理由もなく買ってしもうたんじゃ」
禿頭の老人が言った。
「あんさんが着たら、きっと似合うやろな。しかし、ビキニを着てくれ、とまでは頼めんしな。さびしいが、しゃあないわ」
禿頭の老人がさびしそうに言った。
「そうや。そこまで頼むのは、あつかましいわ」
乗客の一人がたしなめた。
「そうやな。そんな、あつかましいこと頼んだらた、あかんな。バチが当たるけん」
禿頭の老人は、そう言って、さびしそうにビキニをカバンの中に入れようとした。
「しかし残念やな」
乗客の一人がボソッと言った。
その場の雰囲気が急に、さびしくなった。
「わ、わかりました。我が琉球沖縄バスでは、お客様に対するサービスをモットーにしています。き、着ます」
バスガイドはあわてて言った。
「おおっ。そうか。着てくんしゃるか。すまんのう」
そう言って、禿頭の老人は、仕舞いかけたビキニを嬉しそうな顔で、バスガイドに渡した。
バスガイドは、ビキニを受け取ると、あわてて、着付けする部屋に入った。
しはし、ゴソゴソ音がしていたが、バスガイドが出て来た。ハイビスカスの模様の入ったセクシーなビキニを着ていた。
「おおっ」
皆は、皆は目を丸くして、ビキニ姿のバスガイドを見入った。
引き締まったウェスト。ボリュームのある胸と腰。それに続く、しなやかな太腿。それは、まさにグラビアアイドルそのものだった。
「き、綺麗やー」
乗客達は、食い入るようにビキニ姿のバスガイドを見入った。
カシャ。カシャ。
乗客達は、一斉に、デジカメで、ビキニ姿のバスガイドを撮影し出した。
バスガイドは、恥ずかしそうに、モジモジと手のやり場に困惑した。
「ガイドさん。すまんが両手を頭の後ろに回して、髪を掻き揚げるポーズをとってくれんかね」
禿頭の老人が言った。
言われて、バスガイドは、そっと、両手を頭の後ろに回して、髪を掻き揚げるポーズをとった。
ビキニの輪郭があらわになった。
カシャ。カシャ。カシャ。
乗客達は、バスガイドの間近に迫って、貪るように、デジカメのシャッターを切った。
「ああっ。あんまり、そんなに近くでは・・・」
バスガイドは、もどかしそうに腰を引いた。
だが乗客達は、デジカメでバスガイドの胸や腰や、太腿などを間近でカシャ、カシャと撮影し続けた。
老人の一人が、いきなり彼女の太腿に抱きついた。
「ああっ。柔らかい女子の温もりや」
「ああっ。な、何をなさるんですか?」
「バスガイドさん。わしは、肺ガンを宣告されてての。あと半年の命なんじゃ。この世の思い出に、少し触らせてくれんかの」
老人はさびしそうな口調でポツリと呟いた。
「わしも肝ガンであと半年の命なんじゃ」
別の老人が言った。
「わしも、前立腺ガンが全身に転移して、医者にも見離されておるんじゃ。可哀相な老人と憐れんでくんされ」
そう言って皆が彼女に抱きつきだした。老人達は、思うさまバスガイドの尻を撫でたり、胸を触ったりした。
「ああっ。そ、そんなことは・・・」
バスガイドは身を引こうとしたが、老人達は、思うさまバスガイドの体を触りまくった。
「ああ。柔らかい、温かい女子の肌じゃ。これで、わしはもう何も思い残すことなく死ねるわ」
一人の老人が言った。
「わしもじゃ」
「わしもじゃ」
老人達は口々に言った。
「あ、あの。もう、そろそろ出発の時間です」
バスガイドは、顔を真っ赤にして言った。
「おお。そうか。すまん。すまん」
そう言って乗客達は、バスガイドから離れた。
バスガイドは、急いで、着付けする部屋に入った。
しばし、ゴソゴソと着替えの音がしていたが、すぐに元の制服姿のバスガイドが出て来た。
一難去って、やっとほっとしたような表情だった。
「さあ。バスにもどりましょう」
バスガイドが言った。
言われて皆はバスにもどった。
結局、琉球村では、バスガイドの写真撮影だけで終わった。

皆かバスに乗った。
バスのエンジンが、ブルルルルッとかかり、バスが動き出した。
皆は、嬉しそうに、デジカメや携帯のカメラで撮ったバスガイドの写真を、心ゆくまで眺めているといった様子である。
次の目的地は、万座毛である。
「バスガイドさん」
禿頭の客がバスガイドに話しかけた。
「はい。何でしょうか?」
バスガイドが聞き返した。
「あの。ビキニ。返して貰えんでしょうか?あれ、わしの物やで」
禿頭の老人が言った。
「あ、ああ。あのビキニですね。す、すみません。あれは、着替え所に忘れてきてしまいまして・・・」
バスガイドは焦って言った。
「何でウソ言いますねん。あんたはんのポケットが膨らんでいて、ビキニの一部が、ポケットから、はみ出して見えてますよってに」
禿頭の老人が言った。
「あ、ああ。そうでした。間違えました。すみません」
そう言って、バスガイドは、恐る恐る、震える手でポケットからビキニを取り出すと、禿頭の老人に渡した。禿頭の老人は、ビキニを受け取ると、ビキニに鼻先をつけてクンクンと鼻をヒクつかせた。そして、
「ああ。いい匂いや」
と酩酊した口調で言った。
「わしにも嗅がせてくれ」
「わしにも」
乗客達は、皆、禿頭の老人に言った。
「わかった。わかった。じゃあ、皆に順番に回していくけん」
禿頭の老人は皆に言った。バスガイドの顔が青ざめた。その時。
「あっ。み、皆さん。左の海をよく見て下さい。今、クジラがジャンプするのが見えました」
バスガイドは焦って右手で左側の海を指差した。
どれどれ、と皆は、左手の海を見た。
「見えませんがな。バスガイドさん」
乗客が言った。
「沖の方です。クジラは慶良間諸島周辺で見られますが、本土から見られることは、めったにありません。非常に貴重な体験です。皆さんは幸運です。しっかりと沖の方を眺め続けて下さい。そのうち、必ず、また姿を見せます」
バスガイドはあわててまくしたてた。
乗客達は、目を凝らして沖の方を眺め続けたが、クジラはなかなか姿を見せなかった。
そうこうしている内に、バスは、次の目的地である万座毛に着いた。
「みなさん。万座毛に着きました。万座毛は、高さ30mの切り立った珊瑚礁の断崖です。これは、琉球王朝の尚敬王が、万人を座らせるにことが出来る、と言ったことから、その名前がつきました。美しい東シナ海をどうぞ、ごゆるりとご覧下さい」
バスガイドがそう説明した。
乗客達は、ゾロゾロと降りていった。
「結局、クジラは見えんかったの」
乗客達は残念そうに言った。
禿頭の老人が降りようとすると、バスガイドは、
「あ、あの・・・」
と言って、老人を呼び止めた。
皆が降りてしまった後、バスガイドは、老人に、耳打ちした。
「あ、あのビキニ、売って頂けないでしょうか。私、気に入ってしまったので」
と小さな声で耳打ちした。
「そうですか。わしも気に入ってしまったのですが・・・。まあ、仕方ありまへんな。お金はいりまへんわ」
そう言って禿頭の老人は、バスガイドにビキニを渡した。
「あ、有難うございます」
バスガイドはビキニを受け取ると、ほっと一安心したように胸を撫で下ろした。
禿頭の老人が降りた後、バスの最後部に乗っていた大東も降りた。
「知念多香子さん。すみません。本土の人間はスケベばかりで。私は本土人として、非常に恥ずかしいです。本土人として、心よりお詫び致します」
そう言って彼は、恭しくバスガイドに頭を下げた。
「い、いえ。いいんです。気にしてません。本土人でも、大東さんのように、礼儀正しい方もいらっしゃいますから」
バスガイドは、溜め息をついて、そう答えた。

万座毛は、高さ30mの切り立った珊瑚礁の断崖だった。あそこから落ちたら確実に死ぬだろうな、と彼は感じて、身震いした。しかし、広大なエメラルドグリーンの東シナ海の眺めは絶景だった。

ただ海を見るだけなので、ここは10分くらいで、皆、引き返してきた。
次の目的地は、美ら海水族館だった。

乗客達は、やや疲れてきたと見え、黙って左手に見える海をボンヤリと眺めていた。
那覇市の国際通りの賑わいと対象に、もうここまで遠く来ると、所々にポツン・ポツンとリゾートホテルが、建っているだけで、右手は、山や雑木林で、他には何もない、うらさびしい光景だった。
「バスガイドはん。何か歌ってくれんかの?」
乗客の一人が言った。
「はい。わかりました。どんな歌がいいでしょうか?」
バスガイドは聞き返した。
「そうやな。沖縄出身の歌手の歌がいいな」
乗客の一人が言った。
「そうや。そうや」
皆は口々に言った。
「わかりました。誰の歌がいいでしょうか?」
バスガイドは聞き返した。
「上原多香子の歌がいいがな」
「いや。安室奈美恵を頼んます」
「いや。絶対、夏川里美や」
「ついでに南沙織も」
乗客達は、口々に自分の好きな沖縄出身の歌手の名前をあげた。
バスの中は、まるで小学校の修学旅行の生徒のような感じだった。
「わ、わかりました」
バスガイドは、リクエストされた、上原多香子、安室奈美恵、夏川里美、南沙織の歌を休む暇なく、歌い続けた。
そうこうしている内に、バスは、ちゅら海水族館に着いた。
バスガイドは歌うのをやめた。
「はい。皆さん。ちゅら海水族館に着きました。休憩時間は、一時間です。どうぞ、ごゆっくり、楽しんできて下さい」
バスガイドが言った。
「いやー。あんさん。歌、うまいなー」
「あんさんなら、歌手になれるで」
乗客達は、口々に勝手なことを言って、降りていった。
バスの最後部に乗っていた大東も最後に降りた。
「知念多香子さん。すみません。本土の人間は我が儘ばかり言って。私は本土人として、非常に恥ずかしいです。本土人として、心よりお詫び致します」
そう言って彼は、本土人を代表して頭を下げ謝罪した。
「い、いえ。いいんです。気にしてません。私、歌、歌うの好きですから」
バスガイドは、息を切らしながら答えた。

美ら海水族館は、沖縄本島北西部の本部半島備瀬崎近くにある国営沖縄記念公園の中にある、4階建ての延床面積 19,199m²の巨大水族館である。東シナ海の海が、すぐその先にあり、西には、間近に伊江島が見えた。館内には、「珊瑚の海」「熱帯魚の海」「黒潮の海」「サメ博士の部屋」などがあり、それが、水族館を見る順路だった。「珊瑚の海」では、約70種の造礁サンゴが飼育されており、珊瑚の近くで生息している生物達が、太陽光が刺し込む大きな水槽の中で揺らめいていた。「熱帯魚の海」では、約200種の鮮やかな色の熱帯魚が、太陽光が刺し込む水槽の中で、ゆったりと泳ぎ回っていた。「黒潮の海」では、ジンベエザメや、マンタ(イトマキエイ科の軟骨魚)、マグロ、カツオなどの黒潮を棲家とする魚が、泳ぎ回っていた。「サメ博士の部屋」では、人食い鮫であるオオメジロザメが泳いでいる水槽があり、その他に、サメに関する様々な展示物が羅列されていた。彼は、海は好きだったが、カラフルな色の熱帯魚を見ても、それほど美しいとは思わなかった。だが彼は何事にも興味を持っているので、一通り、丹念に見た。
約一時間かけて、水族館を大急ぎで一通り見て回ると、彼は急いでバスにもどった。他の客達は、皆すでにバスにもどっていた。彼が乗ると、バスのドアが閉まり、ブルルルルッとエンジンが始動して、バスは動き出した。

次の目的地は、最後の、OKINAWAフルーツらんど、である。

「バスガイドさん。また歌って下さらんか」
乗客達が言った。
「は、はい。わかりました」
バスガイドは、そう言って、また沖縄出身の歌手の歌を熱唱し始めた。
どうやら、乗客達は、沖縄の自然や文化より、バスガイドの方に関心があるらしい。
こういう下品なことばかり要求するから、ヤマトンチュ(本土人)はウチナンチュ(沖縄人)に嫌われるんだな、と彼は、残念に思った。
バスは本部半島の中の道を突っ切って走った。
ちゅら海水族館からOKINAWAフルーツらんど、までは10kmも無く、すぐに着いた。

OKINAWAフルーツらんど、は、亜熱帯の果樹が生い茂り、木や芝には、珍しい鳥が、木にとまっていたり、芝に、はべっていたりして、いかにも南国という感じだった。それは、旧約聖書のアダムとイブの住んでいた楽園を連想させた。しかし、やはり、作られた人工楽園という感も否めなかった。ここの滞在時間は、20分だった。他の客達は、フルーツらんどのカフェで、一服したり、フルーツを食べたりした。彼は、早足で、園内を一通り見て回った。ちょうど時間ギリギリで彼はバスにもどった。あとは、高速道路の沖縄自動車道を那覇市まで、一気に走ってもどるだけである。
「皆さん。お疲れさまでした」
戻ってくる乗客達にバスガイドは、丁寧に笑顔で、お辞儀した。乗客達は、次々にバスに乗り込んでいった。
バスが動き出すと、乗客達は、また、バスガイドに歌をリクエストした。
「バスガイドさん。はいさいヨイサー、を歌ってくれんかね」
乗客の一人がリクエストした。
「はい。わかりました」
バスガイドは、はいさいヨイサーを踊りも入れて歌った。
少し、嬉しそうだった。
パチパチと拍手が起こった。
「じゃあ、ついでに、変なおじさん、も歌ってくれんかね」
「踊りも入れて」
別の乗客がリクエストした。
「は、はい。わかりました」
バスガイドは、リクエストされた、変なおじさん、を歌わされた。
そうこうしている内に、バスは、高速道路の沖縄自動車道に入った。
乗客達は、疲れからグーグーいびきをかきながら居眠りした。
バスは一気に那覇市のバスセンターまで、もどった。
「みなさん。お疲れさまでした。もうすぐバスセンターです」
バスガイドが、言うと、みな、目を覚ました。
「本日は、琉球沖縄バス、北部コースをご利用いただきまして、まことに有難うございました。いかがでしたでしょうか」
バスガイドが丁寧にお辞儀して聞いた。
「ああ。凄く楽しかったで」
「あんさんのこと、忘れんで」
乗客達は、口々に勝手なことを言った。
「有難うございました」
バスガイドは丁寧にお辞儀した。
ようやく、バスは、バスセンターに止まった。乗客達は次々と降りていった。
バスの最後部に乗っていた大東も降りた。
「知念多香子さん。すみません。本土の人間は礼儀知らずばかりで。私は本土人として、非常に恥ずかしいです。本土人として、心よりお詫び致します」
そう言って彼は、恭しくバスガイドに頭を下げた。
「い、いえ。いいんです。気にしてません。本土人でも、大東さんのように、礼儀正しい方もいらっしゃいますから」
バスガイドは、溜め息をついて、そう答えた。

   ☆   ☆   ☆

その時、バスガイドのポケットの中で携帯の着信音がピピッと鳴った。
「あっ。すみません」
そう言って、バスガイドは、ポケットから、携帯電話を取り出して、携帯を耳に当てた。
「もしもし・・・」
しばし、ガイドは相手と話していたが、
「はい。わかりました」
と言って携帯を切った。
「どうしたんですか?」
「あの。米軍から、反米軍基地の会の代表である私と話し合いがしたいので、明日、来て貰えないかという米軍からの連絡です」
彼は瞬時に、米軍の策謀の匂いを感じとった。
「それで、行くと言ったんですか?」
「ええ」
「あなたは、1995年の、米兵の少女強姦事件を忘れたのですか?」
「もちろん、知っています。でも、ああいう事件は、極めて、例外的にまれに起こってしまった哀しい事件です。そういう例外的な事件をもって、米軍のすべてを悪だと決めつけてしまうのは、いけないことだと思います」
彼女は自信を持って言った。
「そうですか。では、私も同行しても、いいでしょうか?」
彼はおもむろに聞いた。
「ええ。大東さんのような方が一緒にいて下さると心強いです。でも、大東さんを基地の中に入れてくれるでしょうか?」
「では、聞いてみてはどうでしょうか。私も、今日から反米軍基地の会に入ります」
「有難うございます。では、聞いてみます」
そう言って彼女は、携帯をピピピッと操作して耳に当てた。
「もしもし。反基地の会の代表の知念多香子です。明日の話し合いに、もう一人、会員の方を同行させて、貰ってもよろしいでしょうか?」
しばしの間の時間が経過した。
「はい。それはどうも、有難うございます」
「どうだったんですか?」
「はい。構わない、ということです」
「そうですか。では、明日、私も同行します」
「有難うございます。大東さんのような方が、いてくださると心強いです。でも貴重なお時間を割いてしまって申し訳ありません」
「いえ。気にしないで下さい。それより明日は何時に、来てくれと米軍は言ってきましたか?」
「正午です」
「どこの米軍基地ですか?」
「キャンプ・シュワブです」
「そうですか。では、明日の午前10時にここで合いませんか。私が車で来ます。それでよろしいでしょうか?」
「ええ」
そういうことで、その日は、彼と彼女は別れた。万一の用心のために、お互いの携帯電話の番号とメールアドレスを教えあった。
彼は、ユイレールに乗って、親のマンションに帰った。
その日の夕食はゴーヤ・チャンプルーだった。彼は、ゴーヤ・チャンプルーが嫌いだった。苦いからである。

   ☆   ☆   ☆

翌日になった。
彼はレンタカーを借りて、午前10時にバスセンターに行った。彼女はすでに来ていた。
「やあ。知念多香子さん。おはようございます」
「おはようございます。大東さん」
彼は助手席のロックを解いた。彼女が助手席に乗り込むと、彼はさっそく、エンジンを駆けて、車を出した。
「有難うございます。大東さんのような方が、いてくださると心強いです。でも貴重なお時間を、私のために割かせてしまって申し訳ないです」
彼女はペコリと頭を下げた。
「いえ。気にしないで下さい」
彼は、手を振った。
キャンプ・シュワブは、昨日、行った北部の方にあり、宜野座村と名護市にまたがっている総合演習基地である。昨日、通った、高速道路の沖縄自動車道を一気に走るだけである。距離にして、約50kmである。普天間飛行場の左を通り、嘉手納基地の左を通り、スイスイと彼は高速道を飛ばした。助手席にはバスガイドがいる。彼は、憧れのバスガイドとドライブしているようで爽快な気分になった。
「いやー。嬉しいなー。憧れの知念多香子さんと、ドライブしているようで」
彼は、ことさら自分の思いを述べた。
「私も嬉しいです」
彼女も頬を赤くして答えた。そうこうしているうちに、車はすぐにキャンプ・シュワブに着いた。営門の両側には、米兵が物々しく立っていた。微動だにしない。しかしその目つきは鋭かった。彼は、レンタカーを近くの駐車場に止めた。二人は、車から降りて、営門に向かった。
彼は米兵の一人に話しかけた。
「ハウドユドウ。米軍から昨日、知念さんと、話し合いがしたい、と連絡があって、やって来ました。私は付き添いの大東という者です」
という意味のことを彼は英語で米兵の一人に話しかけた。
米兵は、携帯電話を取り出すと、何やら英語で話した。話し終えると、米兵は、
「ウェイタ、モーメント」
と言った。
しばしすると、一台の米軍の車がやって来た。営門の前で止まると、一人の米兵が降りてやって来た。
「ヤア、ヨク、オイデクダサイマシタ。ドウゾ、オハイリクダサイ」
その米兵は日本語が達者だった。
言われて、二人は営門を通った。
「サア、ドウゾ、ノッテクダサイ」
そう言って、米兵は、車の後部座席のドアを開けた。
「乗りましょう」
彼がバスガイドに言った。
「ええ」
バスガイドが答えた。
二人は、米軍の車の後部座席に乗った。
米兵は、運転席に乗ると、エンジンを駆けた。
車は米軍基地の広い敷地内を走り出した。広大な芝生の中を幅広い道路が縦横に走り、信号機や、バス停まである。標識は、全て英語で書かれていて、公園では、米兵達が野球をしていた。そこは、もう日本ではなく、完全なアメリカの町だった。芝生の中にポツリ、ポツリと、テラスホウスや、ゴージャスな建物が並んでいる。米兵達の住まいだろう。
やがて、車は、大きな建物の前で止まった。
「サア。ツキマシタ。オリテクダサイ」
運転していた米兵に言われて、彼と彼女は車から降りた。
「ココガ、シレイホンブ、デス」
米兵が建物を指差して言った。
二人は、米兵のあとについて、建物の中に入って行った。
「サア、ココデス」
そう言って、米兵は、扉を開けた。
大きな部屋の中には、大きな机とソファーがあり、星条旗が厳かに立てられていた。壁には、沖縄返還前の高等弁務官の写真が厳かに飾られていた。
「サア、オスワリクダサイ」
米兵に言われて、大東と彼女は、ソファーに座った。
米兵は、紅茶を二人の前の大理石のテーブルに置いた。
「ソレデハ、シバラクオマチクダサイ。沖縄米軍基地司令官ノ、マクドナルド大佐ガオミエニナリマス」
と言って米兵は部屋を出て行った。
しばしして、戸が開き、正装の軍人が部屋に入ってきた。
「ハジメマシテ。ワタシガ、沖縄米軍基地司令官ノ、マクドナルド、トイウモノデス」
そう言って、軍人は、手を差し出した。
彼女と大東も、ソファーから立ち上がった。
「はじめまして。反基地の会代表の、知念多香子と申します」
と彼女は言って、彼と握手した。
「はじめまして。私は、反基地の会のメンバーの大東徹という者です」
そう言って、大東も、彼と握手した。
司令官は、机をはさんで、向かい合わせにソファーに座った。
「サア。ドウゾ、オスワリクダサイ」
司令官は言った。
大東と彼女はソファーに座った。
「ワガ、ベイグンハ、ソウオン、ホカ、サマザマナコトデ、オキナワケンミンノミナサンニ、ゴメイワクヲオカケシテ、タイヘン、モウシワケナクオモッテイマス」
そう言って大佐は深々と頭を下げた。
司令官は続けて言った。
「ワガ、米軍トシテモ、ゴ迷惑ヲオカケシテイル、沖縄県民ニタイスル、配慮ノ、教育ハ、徹底シテヤッテオリマス。シカシ、ザンネンナコトニ、イチブノ、米兵ガ、オキナワケンミン、二、イヤガラセヲシテイルヨウデス。ソノヨウナモノタチガ、ワカリマシタラ、軍法会議ニカケテ、キビシクショブンスルツモリデス」
そう言って大佐は深々と頭を下げた。
「キョウ、オヨビシマシタノハ、行方不明ニナッテイル、アナタガタノ仲間ノ、石嶺有紀サン、ガ、ミツカッタカラデス。ソノ報告ニ、オヨビシマシタ」
「えっ。石嶺有紀さんが見つかったんですか?」
彼女は、目を丸くして身を乗り出した。
「エエ」
「彼女は、今、どこにいるんですか?」
「ココノ、基地ノ中ニイマス」
「一体、どういうことなんですか?」
彼女は、せっつくように聞いた。
「彼女ハ、独身ノ、米兵ヲ、好キニナッテシマッテ、イッショニ暮ラシテイタノデス」
「では、なぜ、彼女は連絡をよこさなかったでしょうか?」
「彼女ハ、米兵ト、結婚シタイトマデ、思ッテイマス。シカシ、彼女ノ、両親ハ、ベイグンヲ嫌ッテイテ、トテモ、結婚ナド認メテクレナイカラ、報告デキナカッタ、トイッテイマス」
「本当ですか。ちょっと信じられません」
知念多香子が言った。
「デハ、彼女ニアッテ、タシカメマスカ?」
「ええ。ぜひお願いします」
「デハ、コチラヘ、イラシテクダサイ」
そう言って司令官はソファーから立ち上がった。大東と彼女も立ち上がった。
司令官は大東と彼女を、部屋の隅に連れて行った。
部屋の隅の壁には、プッシュボタンがあった。司令官はプッシュボタンをピッ、ピッ、ピッと押した。すると、部屋の隅にある扉が開いた。扉の中は、地下へ降りる階段になっていた。
「サア。イキマショウ」
司令官が言った。
彼と彼女は、司令官と共に、その階段を降りていった。階段の下には、また扉があった。
「ココデス。オハイリクダサイ」
そう言って、司令官は扉を開けた。
中は大きな劇場のようになっていて、野戦服を着た海兵隊員たちが、大勢、椅子に座っていた。
海兵隊たちは、サッと彼女と大東の方に視線を投げた。
まず彼女が入り、次いで大東が入った。その時だった。
「あっ」
大東は、思わず声を出した。彼が入るやいなや、いきなりドアの後ろに隠れていた、米兵二人がサッと飛び出して、彼の腕を捩じ上げ、手首に手錠をかけてしまったのである。
一瞬のことだった。
「な、何をするんだ」
彼は、咄嗟に叫んだが、手錠をかけられているうえ、二人の米兵にガッシリ取り押さえられてしまっているので、どうすることも出来ない。
「あっ。大東さん」
先に入った彼女が、振り向いて言った。
その時。ドアの後ろに隠れていた、もう一人の米兵が、飛び出して、サッと彼女の両腕を背中に捩じ上げ、手錠をかけた。
米兵は、彼女の頭にピストルの銃口を突きつけた。
「何をするんですか。これは、一体、どういうことですか」
大東は、司令官に怒鳴りつけるように聞いた。
「コノ地下室デハ、手錠ヲスルノガ、規則ナノデス」
司令官は笑って言った。
だまされた、と大東は瞬時に思った。しかし、手錠をかけられているうえ、彼女を人質にとられているため、どうすることも出来ない。
「くそっ」
大東は舌打ちした。
司令官は、大東の口にガムテープを貼った。そして、手錠をもう一つ、取り出して、片手に手錠をし、もう一方を鉄の柱につなぎ止めた。

海兵隊達は酒を飲んだり、タバコを吸ったりしながら、談笑していた。
「石嶺有紀さんは、どこにいるんですか?」
彼女は、手錠をされて、銃口を突きつけられつつも、ひるむことなく、司令官に聞いた。
「アソコデス」
司令官は、冷ややかに笑って、前方のカーテンを指した。一人の米兵がサッとカーテンを開いた。
「ああっ」
大東は、思わず声を洩らした。彼女も。
そこには、全裸の女が爪先立ちで、吊るされていた。
「あっ。石嶺有紀さん」
知念多香子は、体を揺すって、叫んだ。
「あっ。知念多香子さん」
全裸で吊るされている石嶺有紀も、瞬時に呼応した。
「一体、どういうことなのですか?」
知念多香子は、裸で吊るされている石嶺有紀、と司令官に聞いた。
司令官はニヤニヤ笑って答えない。
石嶺有紀は、わっと泣き叫びながら、語り出した。
「知念さん。三ヶ月前に、私の家にいきなり米兵達が、やって来て、私を縛って、車でここに連れてこられたんです。私は米兵達に、さんざん弄ばれました。そして、身も心もボロボロになって虚ろになってからは、拷問の毎日です。米軍は日本人を人間とは思っていません。虫ケラと思っているのです。基地開放のフェスティバルの日には、さかんに、日本人に、トモダチ、トモダチなどと言って笑顔を振りまいていますが、あれは、米軍の表の顔です。知念さん。あなたもだまされて、連れてこられてしまったのですね」
そう言って彼女はわっと、泣き出した。
「あ、あなた達は・・・それでも人間ですか」
彼女は憤怒の目で、司令官をにらみつけた。
「アハハハハ。日米安保ノ、邪魔ヲスル、ジャップハ、コウナルノデス」
司令官は笑って言った。
「サア。ハジメナサイ」
司令官は、そう言って椅子に座った。
一人の米兵が、鞭を持って、彼女の背後に立った。米兵は、ガムをクチャクチャ噛みながら、鞭を振り上げると、吊るされている女の尻めがけて、鞭を振り下ろした。
ビシーン。
鞭は、激しい炸裂音を立てて吊るされている女の白い尻に当たった。
「ああー」
女は激しい悲鳴を上げた。尻がピクピク震えている。鞭打たれた所は、赤く痛々しい鞭の跡がついた。
「アッハハハ」
米兵達は、ウイスキーを飲みながら、ショーを観賞するように笑った。
「モットヤリナサイ」
司令官が命じた。
鞭を持っている米兵は、さらにもう一発、鞭で女の尻を叩いた。
ビシーン。
鞭は、また激しい炸裂音を立てて吊るされている女の白い尻に当たった。
「ああー」
女は、また激しい悲鳴を上げた。
「や、やめて下さい。こんなこと」
知念多香子が、強い口調で、司令官に訴えた。
「ヤメテホシイデスカ」
司令官は、ニヤニヤ笑いながら言った。
「当然です」
知念多香子は、毅然とした口調で言った。
「ダッタラ、アナタガ、彼女ノ、身代リニナリマスカ。ソウシタラ、彼女ノ鞭ウチハ、ヤメテアゲマス」
司令官は、淫靡な目で彼女を見て、ニヤニヤ笑って言った。
「わ、わかりました。み、身代わりになります」
知念多香子は、毅然とした口調で言った。
しかし、その声は震えていた。
「デハ、マズ、服ヲゼンブ脱イデクダサイ」
司令官が言った。
「その前に、石嶺有紀さんの吊りを、降ろして下さい」
知念多香子は、毅然とした口調で言った。
「オーケー」
司令官は、そう言うや、彼女の後ろで、鞭を持っている米兵に視線を向けた。
「サア。彼女ヲ、オロシテヤリナサイ」
言われて米兵は、台の上に乗って、手錠のかかった石嶺有紀を吊りから降ろした。米兵は、クチャクチャ、ガムを噛みながら、彼女の頭にピストルの銃口を当てた。司令官は、知念多香子に目を向けた。
「サア、オロシマシタヨ。ハヤク、ストリップショー、ヲ、ハジメナサイ」
そう言って、司令官は、知念多香子を、ステージの上にあがらせた。米兵達は淫靡な視線を彼女に向けた。
だが彼女は、困惑した表情で竦んでしまっている。無理もない。花も恥らう乙女が、どうして、憎んであまりある米兵達の前で、裸になることが出来よう。その、もどかしげな態度は、米兵達の欲情を余計、刺激した。米兵達は、ピュー、ピュー、口笛を鳴らしながら、彼女が脱ぐのを催促した。
「サア、ハヤク、脱ギナサイ」
司令官は、ハサミを取り出すと、石嶺有紀の髪を挟んだ。
そうして、ジョキンと一部を切った。美しい黒髪がバサリと床に落ちた。
「ああっ」
知念多香子は、目を見張った。
「サア、脱ガナイト、モット切リマスヨ」
そう言って、司令官は、また、ハサミで石嶺有紀の髪を挟んだ。
「知念さん。私のことは構わないで。私はもう、死ぬ覚悟です」
石嶺有紀は知念多香子に訴えた。そして、司令官に目を向けた。
「マクドナルドさん。お願いです。私はどんな責めも受けます。だから、知念多香子さんは許してあげて下さい」
石嶺有紀は、司令官に背後から胸を揉まれながら、疲れきった虚ろな目を司令官に向けて哀願した。
「ダメデス。日米安保ノ、ジャマヲスル、ジャップハ、ユルシマセーン」
司令官は、ウイスキーを飲みながら言った。
「わ、わかりました。その代わり石嶺有紀さんを虐めないで下さい」
知念多香子は、そう言うと、手を震わせながら、ブラウスのホックをはずし始めた。
「オオー」
米兵達は、ピー、ピーと歓喜の口笛を鳴らして囃したてた。
彼女は、ブラウスを脱ぎ、震える手で、スカートも脱いだ。
米兵達は淫靡な目を彼女に向けている。
とうとう彼女はブラジャーとパンティーだけになった。
彼女のふくよかな胸に米兵達は、ゴクリと唾を呑んだ。
彼女は、もうこれ以上は耐えられないといった様子で手で体を覆った。
「サア。ソレモ脱ギナサイ」
司令官が命じた。
だが知念多香子は、もう耐えられない、といった様子で、立ち竦んでしまった。
「フフフ。ソレモ脱ギナサイ」
司令官は、ふてぶてしく命じた。だが、彼女は、下着だけの体を手で覆い、クナクナと座り込んでしまった。
「も、もう許して下さい」
彼女は、涙ながらに訴えた。
「フフフ。ソウデスカ。ワカリマシタ。ナラ、下着ハ、イイデショウ」
「あ、有難うございます」
彼女は信じられないという目で司令官を見た。
「フフフ。マア、イズレ、アナタハ、自分カラ、下着ヲ、脱ギタイトイウデショウ」
司令官はふてぶてしく言った。
そして、米兵達に、目配せした。
四人の米兵が、ニヤリと笑って、バッグを持って、ステージに上がって、蹲っている彼女をグイと掴んで立たせた。そして、舞台の後ろの壁に、彼女を大の字に押し付けた。
「な、何をするんですか?」
彼女は不安げな口調で聞いた。だが、米兵達は答えない。米兵達は、バッグから鉄のプレートの付いている鉄製の枷を取り出した。そして大の字に伸ばされた彼女の手首と足首に、その枷を取り付けた。そして、そのプレートに開いてある四ヶ所の穴にネジを指し込み、ドライバーで、プレートを壁に固定した。

これで、彼女は、下着姿のまま、壁に大の字に固定されてしまった。もう彼女は、動くことが出来ない。
「い、一体、こんなことをして、何をしようとするのですか?」
彼女は恐怖に脅えた口調で聞いた。だが米兵は黙っている。米兵達は、バッグから風船をたくさん取り出した。そして、息を吹き込んで風船を、どんどん膨らませていった。一つ一つの風船は、拳くらいの大きさで、あまり大きくは膨らませない。そういう小さい風船を無数に作った。それが終わると米兵達は、ニヤリと笑って、両面粘着テープで、風船を彼女の手首から肩まで、隙間なく貼りつけていった。風船は、彼女の腕の上側と下側に貼りつけていった。
「な、何をするのです?」
彼女が脅えた表情で聞いた。だが米兵は答えない。黙々と風船を彼女の腕に貼りつづけるだけである。両腕の上下に、小さい風船がいっぱい貼りつけられた。
米兵達は、今度は、彼女の脇腹から、足首まで、彼女の体の外側に黙々と、小さな風船を取りつけていった。そして、今度は、彼女の足の内側に、足首から、太腿の付け根まで、小さい風船をつけていった。次に、米兵は彼女の髪の毛に風船をくっつけた。彼女の顔の両側にも二つの風船がとりつけられた。彼女の体の輪郭の外側は、小さな無数の風船で一杯になった。それは、まるで、看板を縁取ったネオンサインの様だった。
「こ、こんな事をして、一体、何をしようというのです?」
彼女は、不安げな口調で聞いた。だが、四人の米兵達は、ステージから降りて席にもどってしまった。
「フフフ。何ヲ、スルト思イマスカ?」
司令官が、ふてぶてしい口調で彼女に聞いた。
「わ、わかりません」
彼女は、困惑した表情で答えた。
「スリリングナ、楽シイ、遊ビデス。ワレワレ、米軍ハ、キチノ騒音デ、沖縄ノミナサンニ、ゴ迷惑ヲ、ヲカケシテイマスカラ、ソノオワビデス」
司令官は、したたかな口調で言った。
そう言うや、司令官は、米兵達の方を振り向いて、
「サア。ハジメナサイ」
と言った。
米兵達は、椅子から立ち上がって、後ろの壁の前に移動して、ズラリと一列に並んだ。
「サア。ハジメナサイ。スコープ、ヲ、ツケナイデ、撃テルモノハ、イチカイキュウ、アガリマス」
司令官が言った。
一人の米兵が、ライフルにスコープをつけて、銃口を彼女に向けて構えた。
彼女は、やっと、風船をとりつけられた意味を解した。
「や、やめてー。そ、そんな恐ろしいこと」
彼女は、張り裂けんばかりに大声で叫んだ。
体がワナワナ小刻みに震えている。
「フフ。体ヲ動カスト、弾ガアタリマスヨ」
司令官は、ふてぶてしい口調で言った。
米兵は、ライフルに顔をくっつけて、スコープを覗きながら、ゆっくりと引き金を引いた。
ズキューン。
ライフルの弾の発射の音と、同時に、パーンと彼女の手首の所の風船が割れた。
「ああー」
彼女は、驚天動地の悲鳴を上げた。
「オー。ベリー。ナイス」
米兵達は、ピューピュー、口笛を吹いた。
「next」
司令官が言った。
二番目の米兵が、ライフルを構えた。スコープつきである。
米兵は、ライフルに顔をくっつけて、スコープを覗きながら、ゆっくりと引き金を引いた。
ズキューン。
パーン。
彼女の脇腹にとりつけられた風船が割れた。
「ひいー」
彼女は、顔を引き攣らせて叫んだ。
「オー。ベリー。ナイス」
米兵達は、ピューピュー、口笛を吹いた。
そうやって、米兵達は、次々に彼女の体にとりつけられた風船を割っていった。
なかには、風船を外す者もいて、
「オー。ミステイク」
と口惜しそうに言った。彼女は、
「ひいー」
と、ひときわ戦慄の叫びを上げた。
弾が外れることもあるということが、彼女の恐怖心を、実感として、ことさら煽ったのだろう。しかし、もしかすると、それは、彼女を怖がらせようという意図で、米兵が、わざと外したのかもしれない。しかし、彼女には、その真偽を知る由もない。
だが、概ね風船を外す者はいなかった。
彼女の体に取り付けられた風船は、どんどん割れていった。
あとは、彼女の髪の毛に取り付けられた、顔の両側の風船である。
「や、やめてー。お願い」
彼女は、彼女は恐怖に顔を引き攣らせて叫んだ。
だが、米兵は、ガムをクチャクチャ噛みながらライフルにスコープをつけて、銃口を彼女に向けて構えた。
そして、引き金を引いた。
ズキューン。
彼女の頭の右側につけられていた風船が、パーンと割れた。
「ひいー」
彼女は、ガクガク全身を震わせた。
「お願い。もうやめてー」
彼女は泣きじゃくりながら叫んだ。
「サア、アトヒトツデス」
司令官が言った。
次の米兵が、ライフルにスコープをつけて、銃口を彼女に向けて構えた。
彼女は、恐怖に目をつぶった。
米兵はライフルの引き金を引いた。
ズキューン。
彼女の頭の左側につけられていた風船が、パーンと割れた。
「ひいー」
彼女は、ひときわ高い叫び声を上げた。
「ウチソコナッタモノモイルガ、マア、オオムネ、ヨロシイ」
司令官は、米兵達の射撃の能力に満足しているような口調で言った。
彼女は、恐怖心で疲れ果てた、という様子で、ガックリ項垂れていた。
「go」
司令官が米兵に目配せした。
四人の米兵達が、ステージに昇って、彼女の方へ歩み寄った。
やっと、これで、恐怖の射撃が終わったのだと彼女は思ったのだろう。彼女は、疲れ果てている表情のうちにも、ほっと溜め息をついた。
だが様子が変である。米兵達は、また、風船を膨らませて、彼女の体に、両面テープで、風船を、くっつけ出した。
彼女は恐怖に顔を引き攣らせた。
「や、やめてー」
彼女は悲痛な叫び声を上げた。
だが米兵達は、聞く耳を持たない。あたかも飾りつけを楽しむように、ガムをクチャクチャ噛みながら、風船を彼女の体につけていった。また、彼女の体には、風船がたくさん取り付けられた。
米兵達は、仕事を終えると、皆の方にもどって行った。
司令官はニヤリと笑った。
「サア、今度ハ、ミナ、イッセイニ撃チナサイ」
言われて米兵達は、皆、一列になって、ライフルを構えた。
「や、やめてー」
彼女は、恐怖に顔を引き攣らせて言った。
だが司令官は、パイプを燻らせながら、眺めている。
「ready・・・」
司令官が言った。
米兵達は、ライフルの引き金に指をかけた。
「go」
ズガガガガー。バキューン。バキューン。
一斉に、ライフルが撃ち放たれた。
彼女の体の風船は、一瞬にして、全て割れた。
「ひいー」
彼女は、激しい叫び声を上げた。
今度は、外れた弾はなかった。
「very good」
司令官が、満足げな表情で言った。
司令官は、また米兵に目配せした。
「サア、三度目デス」
司令官が言った。
四人の米兵達が、彼女の方へ歩み寄った。そして、また風船を膨らませ出した。
「も、もう。やめて下さい」
彼女は、泣きじゃくりながら叫んだ。
「デハ、シタギヲ、ヌギマスカ。ソレナラバ、ヤメマス」
司令官は、ふてぶてしい口調で彼女に聞いた。
「ぬ、脱ぎます」
彼女は、泣きながら言った。
司令官は、フフフと笑った。
「彼女ヲ、壁カラ、オロシテヤリナサイ」
司令官は、風船を膨らませていた米兵達に言った。
「OK」
米兵達は、楽しそうに、彼女を壁に固定している手錠と足錠をはずした。
彼女は、手錠と足錠を外されると、ガックリと床に倒れ伏した。
もう精神的に疲労困憊しきっているといった様子である。
「everybody sit down」
司令官が皆に言った。
米兵達は、元のように椅子に座った。
「フフフ。彼女ノ、ストリップヲ、ビデオニ、撮ッテオキナサイ」
司令官が命じた。
米兵の一人がニヤリと笑って、ビデオカメラを彼女に向けて、スイッチを入れた。
皆、好奇心満々、といった目つきである。
「サア、下着ヲ、脱ギナサイ」
司令官が彼女に命じた。
命じられて、彼女は力なく起き上がった。
彼女は、恐る恐る、両手を背中に回して、ブラジャーのホックを外し、ブラジャーを外した。
ふくよかな乳房が顕になった。
彼女はブラジャーを外すと、急いで乳房を覆った。
「オオー」
米兵達は、ピューピュー口笛を鳴らした。
「サア、パンティーモ、脱ギナサイ」
司令官が命じた。
彼女は、立ち上がり、中腰になるとパンティーを抜き取った。そして、また急いで床に座り込んだ。
彼女は、胸と秘部を手でギュッと覆った。
「オオー。very sexy」
米兵達は、ピューピュー口笛を鳴らした。
司令官は、近くにいた米兵に目配せした。
米兵は、ニヤリと笑って、洗面器を持って彼女の所に行った。
洗面器には、ぬるま湯が満たされており、ハサミ、剃刀、石鹸、タオル、などが入っていた。
米兵は、ニヤリと笑って、彼女の前にそれを置いた。
彼女は、それを見て、
「ああー」
と、声を上げた。
「フフフ。サア、アソコノ毛ヲ、剃リナサイ」
司令官が彼女に命じた。
だが、彼女は、ワナワナ体を震わせて、ためらっている。
「サア。ハヤク、ソリナサイ。サモナイト、soldier タチニ、ソラセマスヨ。ドッチニシマスカ」
司令官が彼女に判断を迫った。
「わ、わかりました。そ、剃ります」
彼女は、声を震わせて言った。
彼女は、洗面器をとると、クルリと米兵達に背中を向けた。
それは当然であろう。アソコの毛を剃るには、脚を大きく開かなくてはならない。アソコが丸見えになってしまう。どうしてそんな姿を米兵達に晒せよう。
彼女が後ろを向いたことに対しては、司令官は何も言わなかった。
彼女は毛を剃るために、ハサミをとって、大きく脚を開いた。
「ああー」
彼女は、羞恥の声を上げた。
花恥らう乙女が、後ろ向きとはいえ、丸裸で、脚を大きく開いているのである。
どうして、そんな屈辱に耐えられよう。
彼女は、ワナワナと毛を剃っていった。
剃り終わると、彼女は、急いでピタッと足を閉じた。
「サア、前ヲ向キナサイ」
司令官が命じた。
だが彼女は、両手で胸を覆ってワナワナ震えている。
「前ヲ向キナサイ」
司令官が、また命じた。
だが彼女は竦んでしまっている。
「ソウデスカ。ナラ、ウシロ向キノママデ、イイデショウ」
司令官が、以外にも彼女に情けをかけた。
彼女は、ほっとしたように、溜め息をついた。だが、それも一瞬だった。
「デハ、ヨツンバイニナリナサイ」
司令官が命じた。
彼女の体がビクッと震えた。
そんな格好になったら、尻もアソコも丸見えになってしまう。
彼女は恐怖に竦んだ。
「ゆ、許して下さい。そんなことだけは」
彼女は、声を震わせて言った。
司令官がニヤリと笑って、米兵の一人に目配せした。
米兵はニヤリと笑って、スコープつきのライフルに顔をくっつけた。
ズキューン。
パーンと、洗面器が弾け飛んだ。
「ああー」
彼女は体をガクガク震わせた。
「サア、イウコトヲ聞カナイト、マタ、撃チマスヨ」
司令官が言った。
恐怖感が恥を上回ったのだろう。彼女は、司令官に言われたように、両手を前について四つん這いになった。
フフフ、と司令官が笑った。
「サア、顔ヲ、床ニツケナサイ」
司令官が、命じた。
彼女は、体をプルプル震わせて、顔を床につけた。
彼女の大きな尻がモッコリと高く上がった。
「ahahahaha」
米兵達は、腹をかかえて笑った。
「サア、モット足ヲ開キナサイ」
彼女は、プルプル体を震わせながら、膝を開いていった。
尻の割れ目がパックリ開き、尻の穴も、アソコも、米兵達に、丸見えになった。
「ahahahaha」
米兵達は笑った。
「フフフ。尻ノ穴ガ、丸見エデスヨ」
彼女の羞恥心を煽るように、司令官がことさら言った。
「ああー」
彼女は、屈辱の極みから、激しく叫んだ。
尻がプルプル震えている。
「フフフ。イマノ気持チハ、ドウデスカ」
司令官が笑いながら聞いた。
「く、口惜しい。恥ずかしい。も、もう、いっそ死にたい」
彼女は、尻をプルプル震わせながら言った。
「フフフ。ジャップハ、恥ヲ、ナニヨリオソレマス」
司令官は米兵達に向かって説明した。
「フフフ。コレデスンダト思ッタラ、オオマチガイデス」
司令官はふてぶてしい口調で彼女に言った。
「イスヲ、ステージ、ニノセテ、彼女ヲ、トリマクヨウニ並ベナサイ」
司令官は米兵達に言った。
米兵達は、立ち上がって、司令官に言われたように、椅子をステージの上にあげ、彼女を取り巻くように椅子を並べた。
「椅子ニ、座リナサイ」
司令官が言った。
米兵達は椅子に座った。彼女は、米兵達に取り囲まれて、胸と秘部を手で覆ってオドオドしている。
米兵達は、膝組みして、丸裸で胸と秘部を手で覆ってオドオドしている彼女をニヤニヤ笑って眺めている。
「アナタハ、マダ、米軍基地、反対運動ヲシマスカ?」
司令官が聞いた。
彼女は、眉を寄せて黙っている。
「サア、コタエナサイ」
司令官は、厳しい口調で彼女に詰め寄った。
「・・・」
だが彼女は、唇を噛みしめて黙っている。
「ソウデスカ。デハ、シカタアリマセン」
司令官は、そう言って、石嶺有紀を、つかんでいる米兵に目配せした。
米兵は、ニヤリと笑って、石嶺有紀の髪の一部をハサミで挟んだ。
「ああっ」
知念多香子は、思わず、驚嘆の声を上げた。
「いいの。知念さん。私はどうなっても」
石嶺有紀は涙ながらに訴えた。
知念多香子は、唇を噛みしめた。
司令官は、ニヤリと笑って、石嶺有紀を、つかんでいる米兵に目配せした。
米兵はニヤニヤ笑いながら、ジョキンと石嶺有紀の髪を切った。
「ああっ」
知念多香子は声を出した。
「わ、かかりました」
知念多香子は、ガックリと首を落として言った。
「ナニヲ、ワカッタノデスカ?具体的ニイッテクダサイ」
司令官は、ニヤニヤ笑いながら聞いた。
「も、もう基地反対運動はやめます」
彼女は涙ながらに言った。
「フフフ。ワカレバイイノデス」
司令官は不敵な口調で言った。
「アナタハ、日米安保ノ、妨害ヲシテキタノデス。罰ヲウケナサイ」
司令官は不敵な口調で言った。
彼女は、石嶺有紀をチラッと見た。
米兵は、ニヤニヤ笑いながら彼女の髪をハサミで挟んでいる。
石嶺有紀を人質にとられている以上、知念多香子は米軍に従うしかなかった。
「サア、犬ノヨウニ、ヨツンバイニナッテ、コッチニキナサイ」
司令官が言った。
知念多香子は、ワナワナ体を震わせながら、四つん這いになって、這って司令官の前に行った。
「フフフ。靴ヲ舐メナサイ」
そう言って司令官は、膝組みして、右の皮靴を彼女の鼻先に突き出した。
「サア。靴ヲキレイニシナサイ」
司令官は、ニヤついた口調で言った。
彼女は、切れ長の美しい瞳から涙を流しながら、司令官の靴を一心に舌で舐めた。
これ以上の屈辱があるであろうか。沖縄の自然、平和を愛し、敢然と、米軍基地に反対していた勇気ある女性が、今や、丸裸の四つん這いになって、尻の穴まで晒し、米兵の靴を舌で舐めているのである。
「サア。全員ノ靴ヲ、舐メナサイ」
彼女は、四つん這いのまま、米兵、全員の靴を舐めてまわった。
彼女は、全員の靴を舐めると、グッタリと、倒れ伏してしまった。
「フフフ。コレデオワッタト、思ッタラ、ビッグミステイク、デス」
そう言って、司令官は、米兵に目配せした。
米兵はニヤリと笑った。米兵は、部屋を出ると、ガラガラと、ステージに大きな金網の檻を運んできた。

   ☆   ☆   ☆

「サア。ハイリナサイ」
司令官が彼女に命じた。
そう言われても、彼女は、疲れきって、床にグッタリうつ伏せになっている。
司令官は米兵に目配せした。
米兵は、彼女を立たせ、檻の扉を開けて、彼女を檻の中に入れた。そして、扉を閉めて鍵をかけた。彼女は、疲れ果てて、檻の中で、うつ伏せになり、微動だにしない。この場合、彼女にとっては、檻の中に閉じ込められた方が、米兵に弄ばれる心配がないだけ、マシだったのだろう。そんな気持ちからだろう。彼女は、グッタリと檻の中で、うつ伏せになった。
そんな彼女を見て、司令官は、ニヤリと笑った。
「フフフ。アレヲ、モッテキナサイ」
司令官が、米兵に命じた。
米兵は、ニヤリと笑って、部屋を出ると、何やらベールで覆われた物を持ってきた。
四角い形をしている。それが二つある。
「サア。ヨクミナサイ」
司令官は、彼女に言った。
彼女は、虚ろな瞳を檻の前に置かれた、二つの物に向けた。
米兵が、一つの方のベールをサッと、取り去った。
「ああー」
彼女は悲鳴を上げた。
なんとベールの中には、小さなアクリルケースがあり、ハブが、薄気味悪く、うねうねと、とぐろを巻いていた。体長は2mくらいある。彼女は、顔をそらすようにしながらも、薄気味悪いハブを見た。
米兵は、ニヤリと笑い、隣にある、もう一つのベールもサッと取った。そっちの方も、アクリルケースで、中にはマングースがいた。ハブは沖縄に生息する、攻撃性の強い毒ヘビである。
滝沢馬琴の「椿説弓張月」にも、「マムシの殊に大きなるものをハブと唱ふ」とある。
マングースは、ジャコウネコ科のイタチに似た動物で、肉食であり、動きが敏捷で、毒ヘビであるハブをも恐れず、一瞬で攻撃して捕食してしまう。マングースは、元々、インドやスリランカに生息していたのだが、沖縄のハブ退治のために、1910年に、沖縄に移入されたのである。実際、かわいい顔をしているのに、マングースはハブを捕らえてしまうのである。以前は、マングースとハブとの戦いを、沖縄の観光として、本土人に見せていたのだか、最近は、残酷だから、という理由で、あまり行われなくなった。
司令官は、ニヤリと笑って、米兵に合図した。
米兵も、ニヤリと笑った。米兵は、ハブの入ったアクリルケースを、彼女の入っている檻の扉の所に持っていった。そして、檻の扉を開けると、ハブの入ったアクリルケースの蓋を開けて、ハブを、檻の中に放り込んだ。ハブは、ドサッと、檻の中に入れられた。そして米兵は、檻の扉を閉めた。
「ひいー。きゃー」
彼女は天を裂くような悲鳴を上げた。彼女は、檻の隅に身をピッタリつけた。美しい白い裸身がブルブル震えている。米兵達は、
「ahahahaha」
と笑った。しかし、彼女にしてみれば、これは発狂しかねないほどのことだった。無理もない。ハブに襲いかかられて、噛まれたら彼女は死んでしまうのである。
「や、やめてー。お願い。助けてー」
彼女は、金網に体を押しつけて叫んだ。
司令官は、葉巻をふかしながら、見世物でも見るように、余裕の表情で、檻の中の彼女を眺めている。
「ダメデス。アナタハ、檻カラ出ルコトハ出来マセン」
司令官は意地悪く言った。
「た、助けてー」
彼女は、狂ったように叫んだ。
ハブは、時々、鎌首をもたげて、赤い舌をチョロチョロと気味悪く出している。ハブは興味本位からか、ウネウネと少しずつ、彼女に近づいてきた。
そして、とうとう彼女の足の所に這ってやって来た。ハブが頭を彼女の足の上に乗せた。
「ひいー」
彼女は、驚天動地の叫び声を上げた。
ハブは女の肌の温もりを心地いいと感じたのか、彼女の足に巻きつきながら、シューシューと赤い舌を出しながら、女の体によじ登りだした。
「ひいー」
「きゃー」
「助けてー」
彼女は声を限りに叫んだ。しかし、振り払うことは出来ない。ハブは、人間が振り払おうとすると噛みついてくるからである。
彼女は、ハブに噛みつかれないように、銅像になったかのように、体を動かさずに、じっとしている。しかし顔だけは悲痛に歪んでいる。
このままいけば、彼女は、ギリシャ神話のラオコーンの像のようになってしまいかねない。
「マ、マングース、を入れてー」
彼女は叫んだ。檻から出られない以上、マングースにハブを仕留めて、もらうより、他に方法がない。
「フフフ。イレテアゲテモ、イイデスガ、ソノ前ニ、質問ガアリマス」
と言って、司令官は言葉を止めた。
「な、何ですか?質問って」
彼女は、せっつくように司令官に聞いた。
「アナタハ、沖縄ノ、米軍基地ニツイテ、ドウ思ッテイマスカ?」
司令官は余裕の口調で彼女に聞いた。
「わ、私が間違っていました。日米安保条約は日米間で、しっかりと決められた条約です。アメリカ様は、日本を守って下さっておられます。感情的に、アメリカ様の基地の反対運動をしていた私の考えが、100%、完全に間違っていました。これからは、どうぞ、ご自由に、訓練なさって下さい。で、ですから、早く、マングースを入れて下さい」
彼女は大きな声で、早口で喋った。
「フフフ。ワカレバ、イイノデス」
司令官は余裕の口調で彼女に言った。
「デハ、アナタノ考エヲ、証拠トシテ、録音シテオキマス。モウ一度、イッテクダサイ」
そう言って司令官は、ポケットから、紙切れを取り出して、彼女に見せた。
その紙切れには、こう書かれてあった。
「私は、反米軍基地の会の代表の知念多香子です。私は、今日、キャンプ・シュワブの海兵隊の訓練を見学させていただきました。アメリカの海兵隊は、日本の自衛隊と違い、米国法で認められた正式の軍隊です。その訓練の様子は世界各地で起こっているテロとの戦いにそなえ、過酷で真剣そのものです。感情的に、基地反対活動をするのは、間違いだと気づきました。私は今後、いっさい、基地反対の活動はいたしません。基地反対活動をしている皆さんも、どうか目を覚まして下さい」
司令官は、その紙切れを彼女に見せながら、彼女の口元にテープレコーダーを近づけた。
「サア。イッテクダサイ」
司令官はテープレコーダーのスイッチに手をかけた。
彼女は、一瞬、躊躇したが、ハブが、またズルリと彼女の体を這い登った。ハブは彼女の右の太腿に巻きついて、鎌首をもたげて、シューシューと赤い舌を出している。
「ひいー。い、言います。言います」
司令官はニヤリと笑い、カチリとテープレコーダーのスイッチを入れた。
彼女は、紙切れに書いてある文章を、早口で読んだ。
「私は、反米軍基地の会の代表の知念多香子です。私は、今日、キャンプ・シュワブの海兵隊の訓練を見学させていただきました。アメリカの海兵隊は、日本の自衛隊と違い、米国法で認められた正式の軍隊です。その訓練の様子は世界各地で起こっているテロとの戦いにそなえ、過酷で真剣そのものです。感情的に、基地反対活動をするのは、間違いだと気づきました。私は今後、いっさい、基地反対の活動はいたしません。基地反対活動をしている皆さんも、どうか目を覚まして下さい」
その口調は真剣そのものだった。
司令官はテープレコーダーのスイッチを切った。
ハブがまた、ズルリと彼女の体を這い登った。
「ひいー。は、早く、マングースを入れて下さい」
彼女は、激しく訴えた。
「フフフ。ワカリマシタ。イッタコトハ、チャント、守ッテクダサイヨ」
そう言って司令官は、米兵に目配せした。
米兵は、ニヤリと笑い、マングースの入ったアクリルケースを持って、檻の扉を開けた。
そして、アクリルケースの蓋を開けて、マングースを檻の中に入れた。そして、すぐに檻の扉を閉めた。
檻の中にマングースが入ると、ハブはサッと鎌首をマングースの方に向けた。ハブはスルスルと彼女の体から降りて、マングースに対して身構えた。
マングースとハブは、しばし、にらみ合っていたが、マングースがサッと目にも止まらぬ速さで、ハブに襲いかかった。一瞬で、マングースはハブの頭に噛みついた。だが、一噛みでは、ハブの息の根は止められなかった。
彼女は、檻の隅の金網に体をピタリとくっつけて、
「きゃー」
「ひー」
と叫びながら、体を震わせて見ていた。
マングースは、サッとハブから離れ、また慎重にハブの様子をうかがった。隙を狙って、マングースは、もう一度、電光石火の速さで、ハブの頭に噛みついた。それを、三回、四回、と繰り返した。噛みつかれても、ハブの生命力は強靭だったが、だんだん動きが鈍くなり、ついに息絶えて動かなくなった。マングースの勝利である。
檻の中では、頭を食いちぎられて動かなくなったハブの死体が気味悪く、横たわっている。死んでも大きな毒蛇の死体は気味が悪い。マングースは、食い千切ったハブの頭をムシャムシャ食べている。
「フフフ。約束ハ、守ッテクダサイヨ。守ラナイト、アナタノ家ニ、毎晩、ハブ、ガ、出ルカモシレマセンヨ」
司令官が、余裕の口調で言った。
彼女は、全身の力が抜けたように、ズルズルと、へたり込んだ。
「わーん。わーん。わーん。わーん」
彼女は、突っ伏して、泣き出した。
無理もない。
彼女の胸中は、拷問に屈してしまった自責の念で、いっぱいだったのだろう。
彼女にとって米軍基地反対活動は、彼女の命がけの使命だった。
それを、ハブ怖さに、米軍に屈服してしまったのである。
命がけで使命を守ろうとする勇敢な人間は、拷問に屈してしまうと虚無状態になってしまう。
その後、手のひらを返して、また、活動を始めることは、物理的に出来ないことはないが、誇り高い勇敢な人間にとっては、拷問に屈してしまった後ろめたさから、出来ないのである。
その心理を見透かしているかのように、司令官はニヤリと笑った。
「サア。彼女ヲ、檻カラ出シテアゲナサイ」
司令官は米兵に命じた。
二人の米兵がニヤリと笑って、檻の扉を開けた。そして檻の中に入った。
米兵は、丸裸で泣いている彼女の前に、立った。
「プリーズ。スタンドアップ。ミス、チネンタカコ」
米兵は笑いながら、礼儀正しい口調で言った。
しかし彼女は答えず、黙っている。答える気力もないのだろう。
二人の米兵は、両手を広げて、眉を寄せて、困ったというジェスチャアをした。
「take it easy」
そう言って、米兵は彼女の両手と両足を持って、彼女を檻から外へ運び出した。
そして檻の前の床に彼女を降ろした。
米兵は、彼女の着物を持ってきて、彼女に渡した。彼女は、涙を拭って、パンティーを履き、ブラジャーを着けた。そして、スカートを履き、ブラウスを着た。彼女は憔悴した表情で黙っている。
司令官は石嶺有紀を取り押さえていた、米兵に目配せした。
石嶺有紀を取り押さえていた、米兵が彼女を知念多香子の所に連れて行った。
「サア。二人ヲ、家マデ、送ッテヤリナサイ」
司令官が言った。
「yes sir」
米兵は答えた。
司令官は、彼女達が今日のことは、口外しないとタカをくくっているのだろう。実際、彼女が警察に行って、今日の事を訴えたところで証拠がない。荒唐無稽な彼女の作り話と警察に思われてしまうのがオチだろう。
「今日ハ、ゴクロウサマデシタ。気ヲツケテ、オカエリクダサイ」
司令官は、礼儀正しい口調で二人に行った。
「サア。彼女タチヲ、家ニ送ッテアゲナサイ」
司令官は、兵士にそう命じた。
二人の米兵が、彼女達を連れて部屋を出ようとした。
「待って下さい」
知念多香子がピタリと足を止めた。
「ナンデスカ」
司令官が聞き返した。
「大東さんは返して下さらないのですか?」
知念多香子が聞いた。
「フフフ。安心シテ、クダサイ。彼モ、チャントアトデ、返シマスカラ」
司令官は含み笑いして言った。
アトデ、という言葉から、彼女は直ぐに直観したのだろう。司令官を睨みつけた。
「わかったわ。大東さんも、檻に入れてハブを入れて、恐がらせて、基地反対運動をやめるよう誓わせるのね」
彼女は強い語調で言った。
「オー。ソンナコトハ、アリマセン。楽シイゲームヲ、サセテアゲルダケデス」
司令官は笑いながら言った。
「何が楽しいゲームですか。あれは、ゲームなんかじゃありません。拷問です」
彼女は憎しみの目で司令官に訴えた。
「フフフ。ハヤク、連レテイキナサイ」
司令官は彼女の訴えを無視して、米兵に命じた。米兵達は、彼女達の腕をガッシリと掴むと、彼女達を部屋から連れ出した。

   ☆   ☆   ☆

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沖縄バスガイド物語 (小説)(3)

2020-07-16 02:47:58 | 小説
あとには、口にガムテープを貼られ、手錠をかけられた大東が残された。
司令官は、顎でしゃくって米兵に命じた。米兵は、大東をつなぎとめていた柱から手錠を外した。そして司令官の方へ彼を連れて行った。大東は逆らおうとはしなかった。
大東は司令官の前に立たされた。
「フフフ。バカナ、ジャップメ」
そう言って司令官はビシッ、ビシッと大東をビンタした。
「フフフ。今度ハ、オマエノバンダ」
そう言って司令官は大東の口からガムテープを剥がした。
司令官は大東の肩を突いて、彼を檻の方へ連れて行った。大東は逆らおうとしなかった。
檻の前に着いた時だった。
「ギャアー」
司令官は悲鳴を上げた。
大東が手錠をされたまま、後ろ手で、素早く司令官のズボンのチャックを降ろし、手を入れて、金玉をつかんだのである。
「help」
司令官は叫んだ。
「ふふふ。やめて欲しかったら、手錠を外しな」
大東は、不敵な口調で司令官に言って、つかんだ金玉をまた力の限りグリッとひねった。
「ギャアー」
司令官はまた悲鳴を上げた。
「ワ、ワカリマシタ。ハズシマス」
そう言って司令官は、ワナワナと震える手で大東の手錠を外した。
彼はサッと司令官の後ろに回り込むと、司令官の両手を背中に捻り上げて、手錠をかけてしまった。そして、ピストルを抜きとって司令官の背中に銃口を押しつけた。
「全員にホールドアップするよう命令しろ。さもないと、お前を打つぞ」
大東は、銃口を司令官の後頭部にグリグリ押しつけて言った。
「ウ、撃タナイデクダサイ」
司令官は弱々しく訴えた。
「everyone hold up」
司令官が、海兵隊達に言った。
海兵隊達は、全員ホールドアップした。
「よし。それじゃあ、両手を頭の上に乗せろ」
大東は英語で、海兵隊達に命じた。海兵隊達は、両手を頭の上に乗せた。
「よし。じゃあ、次は一人ずつ、左手だけで、ライフルやマシンガンを拾って頭の上にあげろ。まずはお前からだ」
そう言って、大東は左側の一番前にいた海兵隊員に命令した。
「おかしなマネをしてみろ。こいつの命がないぞ」
そう言って、大東は、銃口を司令官の後頭部にグリグリ押しつけた。
左側の一番前にいた海兵隊は、大東の言った通りライフルを左手で拾って頭の上にあげた。
「よし。それを、こっちへ投げてよこせ。投げたら直ぐに左手を頭の上に乗せろ」
大東は英語で、そう命じた。米兵は、ライフルを大東の方へ放り投げた。そして左手を頭の上に乗せた。
そうやって、一人一人、次々と、大東は、海兵隊に、ライフルやマシンガンを自分の方に投げさせた。もう、彼らに武器はなかった。
大東はマシンガンの一つを拾った。
「よし。全員、来ている服を脱いで素っ裸になれ」
という意味のことを大東は英語で言った。
司令官を人質にとられている以上、仕方がない。海兵隊達は、服を脱いで全員、素っ裸になった。
「よし。全員、両手を頭の上に乗せろ」
大東は素っ裸の海兵隊達に命じた。海兵隊達は、全員、両手を頭の上に乗せた。
「おい。貴様。服を全部、集めてこっちへ持ってこい」
大東は、近くにいた海兵隊の一人に命じた。命じられた海兵隊員は、服を拾い集めて、大東の所へ持ってきた。
「よし。貴様も元の所にもどって、両手を頭の上に乗せろ」
大東が命じた。海兵隊員は、元の所にもどって、両手を頭の上に乗せた。
「貴様はこの中に入っていろ」
大東は後ろ手に手錠をかけられた司令官を檻の中に、突き飛ばして入れた。そして、檻の扉を閉めた。
「オオー。ハブ、ハ、入レナイデクダサイ」
司令官は、ペコペコ頭を下げて大東に哀願した。
「ふふふ。安心しろ。ハブは、入れないでやる」
大東は余裕の口調で言った。
「アリガトウゴザイマス」
司令官は、ペコペコ頭を下げた。
大東は、集められた米兵全員の服の中から手錠を取り出した。そして、それを素っ裸の海兵隊達に、放り投げた。
「二人ずつ向き合え」
大東は素っ裸の海兵隊達に命じた。海兵隊達は、命令されたように、二人ずつ向き合った。
「一人のヤツが、右手を頭の上に乗せたまま、左手で手錠を拾い、相手の右手に手錠をかけろ」
大東は英語で、そう命じた。海兵隊達は、命令されたように、右手を頭の上に乗せたまま、左手で手錠を拾い、相手の右手に手錠をかけた。
「よし。今度は、手錠をかけたヤツが右手を頭の上に乗せ、左手を相手に差し出せ」
大東が命じた。
手錠をかけた海兵隊達は右手を頭の上に乗せ、左手を相手に差し出した。
「よし。手錠をかけられたヤツは、相手の左手に手錠をかけろ」
大東が命じた。
手錠をかけられてる海兵隊員達は、相手の左手に手錠をかけた。
海兵隊達は、素っ裸で、二人ずつ手錠でつながれた。
一体、何をする気なのだろうと、海兵隊員達は困惑した表情である。
「では、お強い海兵隊さん達に日頃の訓練の成果を見せてもらいましょうか」
大東は余裕の表情でニヤリと笑った。
「手錠でつながれた相手と真剣勝負だ。どっちか片方がノックアウトされるまで戦いな。負けたヤツは、檻の中でハブと戦ってもらうぜ。ただし、マングースは、入れないからな」
大東は、大声で言った。
「オー。ノー」
米兵達は、困惑して叫んだ。
「さあ。始めろ」
大東は、ズガガガガーとマシンガンで威嚇射撃した。
海兵隊たちは、仕方なく相手と向き合った。そして、戦い始めた。負けた方は、ハブの入った檻の中に入れられる、という恐怖から、海兵隊達は狂ったように戦いだした。ルールも何もない。壮絶なバトルが繰りひろげられた。
海兵隊たちは、力一杯、相手の顔を殴ったり、関節を捻ったり、噛みついたりと、真剣そのものだった。
「ギャー」
「ウガー」
兵士達は叫び声を上げながら戦い続けた。
チェーンで手と手をつながれているため、戦いをやめることは出来ない。プロレスのチェーン・デスマッチである。
20分もすると、もうお互い、ヨロヨロだった。兵士達は、顔は血だらけで、ボコボコだった。もう戦う気力もなくなったように、バタバタと倒れていった。
かろうじて勝った方も、顔は血だらけ、でヘトヘトに疲れはてていた。
「よし。勝った方のヤツは、倒れている兵士と重なってディープキスして労わってやれ」
大東が命じた。
かろうじて勝った方の兵士は、
「オー。ノー」
と叫びながらも、ヨロヨロと倒れている兵士の上に裸同士で重なってディープキスした。
「よし。今度はフェラチオだ。しっかり、しゃぶってやれ」
大東が命じた。
「オー。ノー」
と叫びながらも、勝った海兵隊は、負けた海兵隊のマラをしゃぶり始めた。
アメリカ人は、ホモが多い。というより、ほとんがホモである。だんだん彼らは、ハアハアと興奮していった。
彼らは、ほとんどが精神変調をきたし始めていた。
「ふふふ。これが、本当のホモダチ作戦よ」
大東は余裕の口調で笑った。
「もう、こいつらは、使い物にならんな」
大東は吐き捨てるように言った。
「ふふふ。これは貴様らの悪事の絶対的な証拠になるぜ」
そう言って彼は知念多香子を弄んだのを撮ったビデオカメラを拾った。
「さあ。貴様は、オレと来い」
そう言って大東は、檻を開けて、手錠をされた司令官を連れ出した。
大東は、拳銃とマシンガンとビデオカメラを持って、司令官を連れて、地下室を出た。
司令室にもどった大東は、後ろ手に手錠をかけられた司令官をデスクの椅子に座らせた。
「貴様はヘリコプターの操縦が出来るだろうな?」
大東が聞いた。
「イ、イエス」
司令官は、ワナワナ震えながら答えた。
「よし。ヘリコプターを、この司令官室の前まで、運んでくるよう命令しろ」
大東は、拳銃を司令官に突きつけて言った。
沖縄最高司令官は、マイクで、そのように命令した。
やがて、ゴーという音がして、バリバリバリとヘリコプターが着陸するのが、窓から見えた。
「沖縄の全ての米軍基地に、こう言え。これから特別事態を想定した訓練を行う、と」
司令官はマイクで声を震わせて言った。
「イエッサー」
「イエッサー」
と各司令部から返事が来た。
「ふふふ。では、次は、沖縄の全ての基地の司令部に、全ての爆撃機を出動するよう連絡しろ」
彼は拳銃を沖縄最高司令官の頭に突きつけて言った。
「ナ、ナゼ、ソンナ事ヲスルノデスカ?」
司令官が、聞き返した。
「いいから、言う通りにすれば、いいんだ」
彼は拳銃を沖縄最高司令官の頭に突きつけて言った。
司令官はマイクで、そのように言った。
大東は、防毒マスクを司令官に着けさせ、自分も防毒マスクを着けた。
「よし。ヘリコプターに乗り込むぞ。おかしなマネをしたらマシンガンで殺すからな。オレは、命が惜しくないから、始末が悪いぞ」
「ワ、ワカリマシタ。撃タナイデクダサイ」
彼は、司令室の窓を開け、後ろ手に手錠をされた司令官を外に出した、そして、続いて彼も司令室を出た。幸い、人目はなかった。
大東は司令官と共にヘリコプターに乗り込んだ。
彼はコクピットに司令官を座らせて、手錠を外した。
「さあ。操縦して離陸させろ」
司令官は、ヘリコプターを操縦した。
バリバリバリと、大きな音をたててヘリコプターは空中に浮上した。
回りを見ると、さっきの司令官の命令によって、爆撃機が空中で待機している。
「もっと高度をあげろ」
彼はピストルを司令官に突きつけて言った。
ヘリコプターは高度を上げていった。
キャンプ・シュワブの基地の上は爆撃機でいっぱいである。沖縄の他の基地でも、同じ状況だろう。
大東は、不敵に笑った。
「では、こう言え。これから、合図するから、合図と同時に沖縄の米軍基地の全ての司令塔、滑走路、戦闘機めがけて爆弾を落とせ、と」
「オー。ソンナコト、命令シテモ、キクハズハアリマセン」
「いいから、言う通りに指令を出すんだ」
彼はピストルを司令官のこめかみに突きつけて言った。
司令官は、声を震わせて、マイクで指令した。
「Why?」
「Why?」
「Why?」
Whyの返事が次々ともどってきた。
当然といえば当然である。
大東は、ふふふ、と不敵に笑った。
「ふふふ。では、こう言え。テロが一気に襲ってきた事態を想定しての訓練だと。爆弾は、今日の訓練のために、全て中身を抜いてある。爆弾の中身は空っぽだから、安全だと」
彼はピストルを司令官のこめかみにグリグリと突きつけて言った。
司令官は、声を震わせて、大東の言ったことをマイクで指令した。
「OK」
「イエッサー」
という返事が返ってきた。
大東は指令マイクを口に当てた。
「ready・・・」
数秒の間をおいて、
「start」
彼は流暢な発音で言った。
ドッカーン。
ドッカーン。
ドッガーン。
爆弾が一気に、基地の司令塔や滑走路や戦闘機に炸裂した。
基地はメチャクチャである。
「オー。マイ、ゴッド」
「マッド」
「Are youクレイジー?」
非難や疑問の返事がどっとやってきた。
大東はマイクを切った。
司令官は震える手で操縦した。
空から見ると、キャンプ・シュワブも、キャンプ・ハンセンも、北部訓練場も嘉手納弾薬庫も、普天間飛行場も、もうもうと火の手があがっている。
「ガハハハハ」
と大東は豪快に笑った。
「オー。マイ、ゴッド」
司令官はパニック状態である。
「ふふふ。バカなヤツめ。お前が知念多香子さんや、基地反対運動の人達に、あんなことをするから、こうなるんだ」
「オー。アレハ、私ノ意志デハアリマセン」
「では、誰の意志だ?」
「コ、国防長官ノ、イシデス」
「ふふふ。まあ、せいぜい醜い罪のなすり合いをしな」
大東は不敵な口調で言った。
飛行機が普天間飛行場の上に来た時、司令官は、いきなりヘリコプターのドアを開けようとした。パラシュートで基地内に降りようというのだろう。
「おっと」
大東は司令官を捕まえた。
「ふふふ。基地内に逃げ込んで、日米地位協定で、逃げるつもりだろうが、そうはいかないぜ。ちゃんと運転しろ」
言われて、司令官は、コクピットにもどり、ヘリコプターを操縦した。
ヘリコプターが、沖縄県警本部の上に来た。
「よし。ここに着陸しろ」
大東に言われて、司令官はヘリコプターの高度を下げていった。
ババババッと大きな爆音がして、ヘリコプターは沖縄県警の前に着陸した。
大東は、ヘリコプターのドアを開けて、司令官を連れて沖縄県警本部に入った。
知念多香子がいた。今日の米軍のことを訴えに来たのだろう。
「あっ。大東さん。無事だったんですね。ハブの檻に入れられませんでしたか?」
彼女は、心配そうに彼に聞いた。
「いえ。大丈夫です」
「そうですか。それは、よかったですね」
彼女は、ほっと胸を撫で下ろした。
「知念さん。今日の米軍のことを訴えに来たのですね」
「ええ。でも、警察は信じてくれません。証拠もありませんし。そんな荒唐無稽なこと、ウソだと言って・・・」
「安心して下さい。ちゃんと証拠を持ってきました」
大東はビデオカメラをとり出した。
「あの。今、テレビで緊急ニュースで、沖縄の全米軍基地が爆破されて、原因はまだ分らない、とのことですが、一体、何があったんですか?」
彼女が聞いた。
「それは、これから説明します」
彼は、警察署長に今日、あった事を、全て話した。
「これが、その証拠のビデオです。これに、知念さんが嬲られている映像が写っています。こいつが、米兵達を楽しませるために、撮ったのです」
そう言って大東は、ビデオカメラを警察署長に渡した。警察署長は、ビデオを早回しで見た。
そこには、知念多香子がされた風船威嚇射撃や、ハブの檻、などの映像が写っていた。
それを見て、警察署長もようやく納得したようだった。
「オー。アレハ国防長官ノ命令デス。私ノ命令、デハアリマセン」
司令官はワナワナ震えながら言った。
「早く指令本部室の地下室へ向かった方がいいですよ。海兵隊員達が、瀕死の状態で倒れてますから。早く病院で手当てしないと、死んでしまいますよ。地下室の開け方は、こいつが知っています。檻には、知念さんの指紋も出てきますから、それも確実な証拠になります」
大東は言った。
「わかりました」
警察署長は、電話をかけた。何かたどたどしい英語で喋った。
「米軍の警察も、日米合同捜査に同意しました。すぐに、キャンプ・シュワブに向かいます。あなた達も参考人として、同行して頂けないでしょうか?」
「ええ」
彼と彼女は、二つ返事で答えた。
米軍にとっても、どうして基地が爆破されたのかは、わからない。事実を知っている沖縄県警の協力を受け入れるというのは、当然だろう。
大東と彼女と、司令官を乗せた、パトカーが4台、警察本部を出で、キャンプ・シュワブに直行した。
4台のパトカーは、沖縄高速道をフルスピードで走った。
パトカーはキャンプ・シュワブの営門を通った。すぐに司令官室に着いた。司令室の前にはMPが何人もいた。
MPと共に、大東と知念多香子と警察官は、司令室に入った。
司令官が壁のプッシュボタンの暗証番号を押すと、地下室のドアが開いた。
MPと警察は、急いで地下室に降りた。
地下室には、素っ裸で、血だらけの海兵隊達が、二人ずつ手錠でつながれて、倒れていた。彼らは虫の息だった。すぐに、海兵隊達は、基地内の病院へ運ばれた。檻からは知念多香子の指紋も検出された。これで米軍の犯罪は決定的になった。
すぐに、NHKはじめ、全てのテレビ局、新聞社がやって来た。
大東は事実を淡々と述べた。
一通り捜査が終わると、大東と彼女は、パトカーで、警察本部に送り届けられた。
大東はユイレールで、親のマンションにもどった。
テレビでは、緊急ニュースとして、米軍の基地破壊のニュースが報じられていた。
だが、大東は、いい加減、さすがに疲れていたので、パジャマに着替えて寝た。

   ☆   ☆   ☆

翌日の新聞の一面は、全新聞社ともに、当然、沖縄の米軍基地の破壊と米軍の犯罪に関するものだった。テレビのニュースも、一日中、在沖米軍基地と米軍の犯罪に関するニュースだった。それは日本だけでなく、アメリカはもちろん、世界各国のニュース、新聞がアメリカ軍の組織的犯罪を報じた。
決定的な物的証拠があるため、日米地位協定もクソもない。検察は、米軍の悪質な組織的犯罪として、米軍を起訴した。海兵隊員たちも、見て楽しんでいたのだから、当然、犯罪者である。
日本人の反米感情が爆発した。
一方、大東の行為は米軍基地から逃れるための正当防衛として検察は起訴しなかった。
臨時国会が開かれた。総理大臣、外務大臣は、激しくアメリカに抗議した。アメリカ大統領は、とりあえず日本に謝罪し、事実関係を徹底的に調査すると報告した。
大東は、メディアにしゃしゃり出るのが嫌いだったので、マスコミのインタビューは、全て拒否した。



平成24年5月6日(日)擱筆

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