コンビニ人間・古倉恵子
山野哲也は、精神科医である。
大学を卒業して、ずっと、精神科医として、働いてきた。
しかし、彼は、精神科医という仕事に、やりがい、を感じては、いなかった。
医者など、誰がやっても、同じだし、かけがえのない仕事ではない。
慣れてしまえば、八百屋と同じである。
医者の中でも、研究者は、かけがえのない仕事で、やりがいを、感じている人も、いるだろう。
しかし、臨床医は、慣れ、で、あり、誰がやっても、同じなのである。
確かに、脳外科医の福島孝徳先生のように、日本の医学界から、アメリカに飛び出して、患者に侵襲の少ない、独自の手術法を考案し、そして独自の、器具を考案し、物凄い数の、脳手術をして、腕を磨き、脳幹に出来た、巨大腫瘍を取る、という技術を身につけて、福島孝徳先生、以外の脳外科医では、手術できない、困難な、患者の手術、を成功させた、という医師も、いないわけではない。福島孝徳先生は、ずば抜けた、才能と努力の人であり、他の医師では、救えない患者を、福島孝徳先生は、救っているのであり、そこまでいくと、やりがい、も、出るだろう。
福島孝徳先生は、かけがえのない医師なのである。
しかし、福島孝徳先生のような、臨床医は、極めて例外的であり、100人に1人、いるか、いないか、なのである。
他の医者は、大同小異であり、相対的に、少し、他の医者より、優れた医者もいるが、基本的には、医者は、誰がやっても同じ、仕事なのである。
彼の母校の、口腔外科の教授も、
「臨床医になるのは、医学者の恥」
とか、
「医者は知的職業じゃない」
とか、
「医者は、高校卒の知識があれば、慣れで、出来る」
とか、言っていたが、彼も、全く心の中で、同じ事を考えていた。
そもそも、そんなことは、彼は、直観力で、医学部に入る前から、わかっていた。
彼は、もっと、自分だけにしか、出来ない、かけがえのない、創造的なことをしたかったのである。
なのに、医学部に入ったのは、彼は、自分が、何をするために、生きているのか、わからなかったからである。
それで、医学部に入ってから、医学部は、6年間もあるし、医学部に、いる間に、自分が本当に、したいことが、見つかるんじゃないか、と思ったのである。
それに、希望をかけた。
そして、医学部3年の時に、それに、気がついた。
それは、「小説を書く」ということだった。
ある時、いきなり、「小説家になろう」という、突拍子もない、インスピレーションが、起こったのである。
それ以来、彼は、小説を、書き続けてきた。
しかし、彼は、自分の、天分の才能が、職業作家として、筆一本で、生きていける、とは、全く、思っていなかった。
しかし、自分には、表現したいものがある。という確信は、もっていた。
「人は、一生、自分の才能、以上の作品も、才能、以下の作品も書けない」
という、格言があるが、それは、彼も感じていた。
しかし、ともかく、彼は、自分の、表現したいものを、精一杯、書いていった。
彼は、聖書の中の、タラントの喩え、が、好きだった。
タラントとは、(=タレント。先天的能力)という意味である。
新約聖書によると。
神は、人間に、(どういう気まぐれでか)、ある人には、10タラント与え、ある人には、5タラント与え、ある人には、3タラント与えた。
人間が、死ぬ時、神は、10タラント与えられて、その10タラントを、使い切った人間を祝福した。
5タラント与えられて、その5タラントを使い切った人間も祝福した。
3タラント与えられて、その3タラントを使い切った人間も祝福した。
しかし、10タラント与えられても、その10タラントを、使わず、怠けていた人間は、祝福せずに、怒った。
つまり、先天的能力の差に関わらず、努力して生きた人間は、神は、すべて祝福する、というのである。
しかし、先天的能力の差に関わらず、努力せず、怠けて人生を過ごした人間に対しては、神は、怒るのである。
彼は自分が与えられたタラントは、どのくらいかは、わからないが、彼も、人間の価値とは、自分に与えられた能力を、どれほど、努力して、使い切ったか、であると思っていた。
なので、文壇で、認められたい、とか、文学賞を獲りたい、と、いう気持ちも、なかった。
たとえ、世に認められなくても、無名のまま、死んでも、それで、一向に構わなかった。
ただ、彼の、生きがいは、「小説を書く」、ことだけだったので、小説が書けなくなると、もう、生ける屍、に等しかった。
普通の人なら、健康だから、いつでも、書ける。
しかし彼は、過敏性腸症候群で、毎日が、便秘と、不眠の戦いだった。
普通の人なら、小説を書く、才能があって、10年も、小説を書いていれば、それなりに、何らかの、文学賞を獲って、多少は、文壇に認められる、ものだが、彼は、病気のため、書きたい作品が頭にあっても、気力が出ずに、思うように書けなかった。
しかし、彼は、病気と闘うことにも、生きる意味を感じていた。
努力しなければ、何も出来ないが、努力すれば、何かが出来るのである。
なので、彼は、週に、2回は、温水プールで、1回に、3時間、泳ぎ、週に、2回は、市民体育館のトレーニング・ルームで、二時間、筋トレをしていた。
それが、彼の健康を維持するのに、一番、良かったからである。
食べることは出来ても、食べると便秘になって、苦しむため、彼は、食べたくても、小食に努めた。
努力することに、人間の価値があると、そういう信念を、彼は、持っていた。
人間は、努力すれば、大抵の事は、出来るようになるものである。
スポーツとか、学問とか、芸術とか、どんな事でも、日本一とか、世界一、とか、では、先天的な、才能、も、関係してくるから、人間は、努力すれば、何でも出来るわけではない。
しかし、一心に努力すれば、超一流ではなくても、何事でも、それなりに、出来るようになるものである。
「人間は、努力すれば、大抵の事は出来るようになる。もし、努力しても達成できないのであれば、それは、本当の努力ではない」
とは、一本足打法の、ホームラン王、の王貞治の言葉であるが、彼も、そのことは、その通りだと、思っていた。
彼は、自分に、努力という、厳しい、試練を課した。そして、それと同時に、他人に対しても、そういう、目で、見ていた。
彼は、フリーターだの、ニートだのを、軽蔑していた。
世の人間は、政治が悪い、だの、IT社会となったから、たの、現代の病だのと、もっともらしいことを、言うが、彼は、そう思っていなかった。
フリーターは、仕事が終われば、遊んでいるから、いつまでも、フリーターなのだ。と、彼は思っていた。
実際、彼は、研修医の時、激しい、幻聴と妄想に苦しめられながらも、宅建の勉強をして、宅建の国家試験に通った患者の主治医になったことも、あった、ので、その思いは、なおさら、であった。
彼は、自炊を全くしなかった。
というか、何も、自分では、料理を作れなかった。
彼は、自分の興味のあることには、とことん、打ち込むが、興味のないことには、極めて、ズボラだった。
なので、彼の食事は、外食か、コンビニ弁当、であった。
彼は、食事は、いつも、近くの、コンビニ(セブンイレブン湘南台店)で、コンビニ弁当を買っていた。
彼の、アパートにも、電子レンジは、あったが、彼は、コンビニ弁当を、電子レンジで、温めるのも、面倒くさかった。
セブンイレブン湘南台店には、いつも、同じ女の店員がいた。
彼が、この町に引っ越してきたのは、千葉の国立下総療養所で、二年間の研修を終え、地元の、民間病院に就職するために、引っ越してきた、10年前である。
それ以来、彼は、精神病院の仕事と、小説創作に、寸暇を惜しんで、生きてきた。
しかるに、彼女は、10年間、ずっと、コンビニ店員をしている。
彼が、引っ越してきた時から、彼女は、コンビニ店員だったので、いつから、始めたのかは、わからない。
しかし、いつから、始めたのにせよ、10年間も、コンビニ店員を、やっている彼女は、彼には、憐れ、を、通り越して、みじめ、に見えた。
「よっぽど、やる気がない人間だな」
と、彼は、彼女を軽蔑した。
今年(平成28年)、モハメド・アリが死んだ。
モハメド・アリ、は、努力と不屈の精神をもった偉大な男だった。
その、モハメド・アリも、
「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状維持に甘んじるための言い訳にすぎない」
と、言っている。さらに、
「不可能なんて、あり得ない」
とまで、モハメド・アリは、言っている。が、それは、ちょっと、言い過ぎだ。
人間は、どんなに、努力しても、空中4回転は、出来ない。
体操選手でも、伸身の、空中2回転が、限度だろう。
そもそも、「不可能」とは、「人間が出来ないこと」であるのであるからして、不可能は、どんなに、努力しても、出来るようにならない。
人間は、どんなに努力しても、鳥のように、空を飛ぶことは出来ない。
つまり、モハメド・アリの言う、「不可能」とは、「非常に困難なこと」という、意味である。
ともかく、彼は、彼女を見ると、
「よっぽど、やる気がない人間だな」
「彼女は、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者だ」
と、思っていた。
ある日のこと、彼は、医学の文献を、コピーするために、コンビニに行った。
「いらっしゃいませー」
彼女が、マニュアル通りに、挨拶した。
彼は、コンビニにある、コピー機で、医学の文献を、コピーした。
そして、原本と、コピーを持って、コンビニを出てアパートにもどった。
原本と、コピーとを、確認していると、原本(これもA4のコピーなのだが)と、コピーの一番下に、医学の文献とは、関係のない、コピーが、一枚、混ざっていた。
原本を、コピー機の上に、乗せた時、一枚、前の客が、忘れたもので、彼は、その取り忘れた、コピーを一緒に、持ってきて、しまったのだろう。
なにやら、詩のような、文章である。
それには、こう書かれてあった。
文章の最初に、「コンビニ人間」と、書かれてある。
詩のタイトルなのだろう、と、彼は思った。
それには、こう書かれてあった。
36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
オープン当初からセブンイレブン湘南台店で働き続け、
変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。
日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、
清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、
毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、
私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
ある日、いつも、コンビニ弁当を買っていく、客に、
そんなコンビニ的生き方は
「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが・・・・。
と、そこまで、書かれてあった。
「ははあ。これは、あの女店員が、書いた、自嘲的な詩だろう」
と、彼は思った。
なぜなら、彼女は、コンビニの制服のプレートに、「古倉」と書いてあったから、彼女の、苗字だけは、知っていた。
それに、あそこは、セブンイレブン湘南台店であり、彼女は、年齢は、知らないが、見た目から、まず30代に、間違いないと思っていたからだ。
彼は、以前に、ある不機嫌な時、おでん、を注文したことがあった。
ちょうど、その時、彼は、ある不機嫌なことで、イラついていた。
おでんの鍋の中では、大根、ゆで卵、白滝、こんにゃく、がんもどき、さつま揚げ、焼きちくわ、ちくわぶ、ロールキャベツ、牛すじ、ごぼう巻、昆布巻、はんぺん、が、グツグツ煮えていた。
彼は、ゆで卵、と、がんもどき、と、さつま揚げ、と、焼きちくわ、と、白滝、を、注文した。
だが、彼女は、白滝、の代わりに、こんにゃく、を入れた。
「ちょっと、あんた。僕は、白滝、を注文したんだよ。こんにゃく、と、間違えてるよ」
と、ツッケンドンに、注意した。
彼女は、
「申し訳ありませんでした」
と、ペコペコ謝って、こんにゃく、を、とり、代わりに、白滝、を入れた。
彼は、フリーターの、コンビニ店員の、こういう、卑屈な態度も嫌いだった。
それで、つい、
「あんたねー。あんたには、覇気というものが、ないんだよ。だから、いつまで経っても、コンビニ店員なんだよ。やる気のないヤツは、いつまでも、フリーターから、抜け出せないんだよ」
と、説教じみた愚痴を言ったことがあった。
彼女は、
「申し訳ありませんでした」
と、また、ペコペコ頭を下げて、謝った。
こういう個人的な、価値観の、注意は、本来、客といえども、する権利はないし、また、店員である、彼女も、謝るスジアイは、無いのだが、彼女は、白滝、と、こんにゃく、を間違えて入れた、負い目があるので、ついでの説教にも、謝ったのだ。
日本のコンビニ店員は、みな、そんなものである。
(そもそも、日本人は、卑屈すぎる。やたらと謝る。その卑屈さが、やる気の無さ、とも通じているんだ)
と、彼は、思っていた。
それ以前にも、彼は、コンビニで、何か買う時、彼女が、毎回、
「ただいま、おでん全品70円均一セール中です。いかがでしょうか?」
と、マニュアル通りのことを、言うので、彼は、いい加減、腹が立って、
「うっせーんだよ。お前は、マニュアルに書いてあることしか、言えないのかよ。食いたい時にゃ、言われずとも、買うよ」
と、愚痴を言ったこともあった。
あいつ、大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目なのか。
と、彼は、あきれた。
また、バカにされたのなら、「なにくそ」と、一念発起、奮起して、必死に勉強して、宅建とか、税理士とか、公認会計士とか、中小企業診断士などの、国家資格を取るなり、して、バカにした、相手を、見返してやろう、と、いう覇気もなく、こんな自嘲的な詩を、書くような、彼女の、根性にも、彼は、あきれた。
とことん、やる気のないヤツだな、と思った。
しかし、ともかく、これは、まず、彼女が、置き忘れた物だろうから、彼女に渡そうと、彼は、急いで、コンビニに行った。
「いらっしゃいませー」
彼女は、マニュアル通りの、挨拶した。
彼は、彼女に、
「これ。あなたが、書いたのじゃありませんか。コピー機の上に、置いてありましたよ」
と言って、彼女に、コピーを見せた。
「あっ。そうです。それ私のです。どうも有難うございました」
と、彼女は、言って、それを、受けとった。
彼は、10年前に、ここに引っ越してきて、その時から、彼女は、あのコンビニで働いていたが、いつから、彼女が、働き出したのかは、わからなかった。
しかし、まさか、大学在籍中から、あのコンビニで働き出して、現在まで、18年間も、コンビニで、アルバイトしていたことには、あきれた。
(よっぽど、やる気のないヤツだな)
と、彼は、あきれた。
彼は、こういう、やる気のないヤツを見ていると、腹が立ってくるのである。
それで。
「あんたねー。バカにされても、口惜しくないの?バカにされたら、一念発起して、何かに、打ち込むなりしなよ。こんな、自嘲的な、バカげた詩なんて書いていないで。たとえば。小説でも、書いてみなよ。まあ、あんたみたいな、覇気のない人じゃ、芥川賞とかは、絶対、無理だろうけれど。今じゃ、ネットで、自由に小説を発表できるじゃない。僕なんか、才能がないから、文学賞なんか、獲れないとわかっているけど、それでも、一生懸命、小説を書いて、ホームページで発表しているよ」
と、つい、余計な口出しをしてしまった。彼女は、
「は、はい。すみません」
と、卑屈に言った。
こういう個人的な、価値観の、注意は、本来、客である彼には、する権利はないし、彼女も、謝るスジアイは、ないのだが、彼が、彼女の置き忘れた、コピーを、届けてやった、お礼、の気持ちからだろう。彼女は、ついでに、謝った。
「あんたねー。ちょっと、卑屈すぎるよ。少しは、・・・そんな、個人的なことまで、言われるスジアイは、ありません、くらい、の、こと、堂々と、言い返しなさいよ。あんたは、覇気がなさすぎるよ」
と、彼は、彼女の態度に、苛立って、そう言った。
すると、彼女は、また、
「は、はい」
と、へどもど、と謝った。
(全く、仕方がないヤツだな)
と、思いながら、彼は、アパートに帰った。
平成28年になった。
去年は、9月の、安保法案の強行採決くらいしか、大きな出来事がなかったが、今年は、やたらと、色々な、事件、出来事、があった。
3月31日。2014年3月から行方不明になっていた埼玉県朝霞市の15歳の少女が、東京都中野区で保護された。埼玉県警察は、未成年者誘拐の疑いで23歳男(寺内樺風)の逮捕状を取り指名手配。翌28日、静岡県内でこの男の身柄を確保し、31日に逮捕した。
4月16日。熊本県にてM7.3の地震が発生。
4月20日。三菱自動車工業は、自社の軽自動車を対象とした燃費試験でデータを不正操作していたことが発覚。
4月29日。野球賭博問題で元プロ野球選手、数名が逮捕される。
5月27日。バラク・オバマアメリカ合衆国大統領が現職のアメリカ大統領として初めて、1945年に米軍によって世界初の原子爆弾による核攻撃を受けた広島市を訪問。広島平和記念公園で献花を行う。
6月3日。モハメド・アリが死去した。
6月15日。東京都の舛添要一知事は、政治資金の私的流用疑惑などを理由にこの日行われた東京都議会の本会議に先立って辞表を議長に提出。その後、都議会において舛添知事の同月21日付での辞任が全会一致で承認された。
6月19日。選挙権年齢を18歳以上とする公職選挙法がこの日施行。
6月15日。イチロー選手が日米通算の4257安打でピートローズ氏の大リーグ記録を超えた。
6月23日。イギリスが、国民投票で、EU離脱。
7月13日。天皇陛下が生前退位の意向を示されていることが報道される。
○
世間では、8月5日から始まる、リオデジャネイロオリンピックの話題でもちきりだった。
しかし、彼にとっては、世間の出来事は、他人事だった。
彼にとっては、今年、どのくらい、小説が、書けるか、が、彼の関心事の全てだった。
寒い一月から、三月までは、割と、調子よく、小説が書けた。
しかし、内容的には、自分でも、それほど、自信作といえるような作品では、なかった。
彼は、喘息にせよ、過敏性腸症候群にせよ、副交感神経が、優位になると、体調が悪くなる。
寒い冬の方が、交感神経が優位になるので、彼は、季節としては、夏が好きだが、体調という点では、冬の方が、良かった。
しかし、四月になって、だんだん、昼間は、温かくなりだしたが、夜は寒いままで、気温の日内変動の差が大きくなった。そうなると、自律神経が、ついていけず、体調が悪くなり出した。
体調が、悪くなると、小説も、書けなくなった。
頭が冴えないのだ。
読書しようと思っても、本も読めない。
それで、仕方なく、何とか、頭が冴えるように、市営の温水プール、へ、行ったり、市営の、トレーニング・ルームで、筋トレをした。
それでも、自律神経の失調は治らなかった。
つらい時は、何も出来なくて、死にたいほどの気分になるが、耐えることも、必要だと、彼は、自分に言い聞かせた。
いつか、きっと、体調が良くなってくれる時も、あるだろう、と、無理にでも、思い込もうとした。
4月、5月、6月、と、何も出来なかった。
しかし、7月になると、猛暑になり、昼も夜も、暑くなったが、気温の日内変動がなくなって、体調が良くなり出した。
彼は、また、小説を書き出した。
彼は、テレビを、ほとんど観ない。
テレビなんて、受け身の行為で、テレビばかっり、見ていると、バカになると、彼は思っている。
バラエティー番組なんて、バカバカしくて、つまらないし、テレビドラマも、まだるっこしい。
しかし、ニュースだけは、見ていた。
彼は、内向的な性格だが、内向的といっても、世事のことには、興味があり、ニュースだけは、見ていた。
それと、彼は、ニュースで、女子アナを見るのが、好きだった。
四月から、NHKの、ニュースウォッチ9、の、女子アナは、井上あさひ、さんから、鈴木奈穂子さんに代わった。
報道ステーションの、小川彩佳アナも、古館伊知郎が、やめてから、なぜか、明るくなった。
古館伊知郎が、司会者をやっていた時の、小川彩佳アナは、堅苦しかった。
7月19日(火)のことである。
ニュースで、今年の、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。
そして、受賞者の記者会見が、行われた。
世間では、今年は、誰が、芥川賞や、直木賞の受賞者になるのかに、非常に強い関心を持っている。
世間の人間は、常に、新しいもの、最新の情報、に、興味をもっているからだ。
しかし、彼は違う。
彼は、楽しむために、小説は読まない。
彼が、小説を読むのは、その小説から、何か、自分が書くための、小説のネタが、思いつくのではないか、と思っているからである。なので、そういう視点で、本を選んで読んでいる。
なので、彼は、それほどの読書家ではない。
昔は、小説を多く読むことが、小説を書く、ネタにも、なると思っていた時もあり、そのため、かなりの本を彼は、読んできた。
しかし、小説を長い期間、書いているうちに、小説を読んでも、たいして、自分が小説を書くための、参考にはならない、ということが、わかってきた。
さらに、彼は、読書は、気をつけないと、想像力、も、創造力、も、つぶす、ことをも知っていた。
彼は、最近、野球小説を書きたいと思っている。
当然、(小説ではないが)、野球マンガの代表作である、「巨人の星」、は、読んでいる。
しかし、「巨人の星」、を、読んでしまった後では、野球小説を書きたいと思っても、どうしても、「巨人の星」、を意識してしまって、それに、引っ張られてしまうのである。
つまり、真似、二番煎じ、盗作、である。
しかし、「巨人の星」を、読まないで、自分の頭で、野球小説のストーリーを、考えて、書いてみれば、何らかの、オリジナルな野球小説、が、書けるのである。
そういう、創作の、精神衛生に、彼は、気をつけて、本を選んで、読んでいた。
小説とは、他人の、(想像力、創造力)の産物だから、小説は、気をつけて、読まないと、他人の、想像力、の発見だけに、終わってしまって、自分の、想像力を、つぶしてしまいかねない。
なので、彼は、読書は、フィクションである小説より、世の中の事実を知る、読書の方に、変わっていった。
もっとも、フィクションである小説でも、凄い作品を読むと、その、想像力、というか、発想力、の凄さに、驚くことがあり、よし、自分も、発想力を、根本から変えてみよう、という、ファイトが、起こることも、あるので、小説を、全く、読まなくなったわけではない。
しかし、自分が小説を書くためには、自分が、実生活で、何を体験したか、ということが、大きい。
もちろん、自分が、体験したことが、そのまま、小説には、なりはしない。
しかし、印象に残ることを、体験すると、それが、小さなヒントになり、それから、フィクションの、お話しを、作れることが、多いのだ。
それと、自分の体験ではなく、何か、作品を書こうと思ったら、調べなければならない。
今は、インターネットがあるから、何でも、気軽に調べられる。
それで、彼は、小説を読むより、調べることの方が、多くなった。
7月19日(火)の、ニュースで、今年の、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。
芥川賞の受賞者の記者会見がテレビの画面に写った。
今年の、芥川賞の受賞者は、女の人で、古倉恵子という名前で、受賞した作品は、「コンビニ人間」という、タイトルだった。
その女性の、顔が映し出された時、彼は、天地がひっくり返るかと、思うほど、びっくりした。
あやうく、ショック死するところだった。
なぜなら、受賞者の女性は、彼が、いつも、行っているコンビニの、あの、覇気のない、古倉、だったからだ。
彼は、目を疑って、よく見たが、間違いない。
顔も、声も、体格も、仕草も、態度も、完全に一致している。
しかも、古倉、という名前も、一致しているし、コンビニで働いている、と、自分の口から、言ったので、もう、これは、疑う余地がない。
彼女は、
「コンビニで働いています。これからも、コンビニで働きたいと思っています、が、店長と相談したいと思います」
と、飄々とした口調で言った。
彼は、急いで、ネットで、「コンビニ人間」で、検索してみた。
すると、色々な、感想が出てきた。
だが、どれも、「素晴らしい」と、絶賛する感想だった。
その一部。
古倉恵子さんは大学時代からコンビニでアルバイトを始めて、未だに週2~3日で働いています。
そして、芥川賞を受賞したあとも可能ならばコンビニでのアルバイトを続けたいとの姿勢を見せています。
芥川賞を受賞する前でもすでに小説家として成功しているので、収入に困って働いているとかそういうのではないはず。
だとしたら小説のネタ探しの意味で、人間観察目的にコンビニバイトをしているんじゃないか?と思いきや、
なんでも古倉恵子さんにとってコンビニでのアルバイトはすでに生活の一部となっており、コンビニで真剣に働くことに生き甲斐を感じるんだそうです。
コンビニ人間は、コンビニで働き続け、周囲の人たちからは正常ではないという見方をされながらも生きる36歳で未婚の女性の主人公・古倉恵子の姿を描いた作品です。
世間の常識から外れてしまう行動をとってしまう主人公の古倉恵子は、コンビニ店員というマニュアルが用意された仕事につくことによって、自分が生きる居場所を見つけます。
社会では、しっかりとした職について働いていなければ世間から認められません。
そんな世の中で、”コンビニで働く”という選択をとった主人公の古倉恵子は、その生き方に満足していました。
類型化された生き方を選択させられる世の中の成り立ちや、正常ではないものと社会とのすれ違い、その考えなどについて改めて考えさせられます。
現代社会に生きる人々の距離、人と人との干渉と不干渉との間ともいえる絶妙な感覚で主人公たちの行動が描かれています。
主人公だけが社会的な印象操作とは全く関係のないまっすぐな目で世界を見ており、独自の視点で世界を見ています。
これが人間の本質なのかな。と、感じる部分も多々ありました。
そして、選考者の二人が、「まさに芥川賞に値する傑作」と、絶賛していた。
彼は、今度は、「古倉恵子」で、検索してみた。
すると、「古倉恵子」のWikipedia、が、出てきた。
Wikipedia、には、彼女のプロフィールが出てきた。
それには、こんなことが、書かれていた。
古倉恵子(ふるくら けいこ、1979年8月14日―)は、日本の小説家、エッセイスト。
千葉県印西市出身。二松學舍大学附属柏高等学校、玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業。
文学賞
2003年、『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀賞受賞。
2009年、『ギンイロノウタ』で第22回三島由紀夫賞候補。
2009年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。
2010年、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補。
2012年、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補。
2013年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。
2014年、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞。
2016年、『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。
代表作
『ギンイロノウタ』(2008年)
『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)
『コンビニ人間』(2016年)
主な受賞歴
群像新人文学賞優秀賞(2003年)
野間文芸新人賞(2009年)
三島由紀夫賞(2013年)
芥川龍之介賞(2016年)
と、書かれている。
彼は、天地がひっくり返るかと、思うほど、びっくりした。
彼女は、単なる、やる気のない、フリーターだとばかり、思っていたが、蒼蒼たる、輝かしい執筆歴、受賞歴、をもった小説家だったのだ。
人は見かけによらない、とは、まさに、このことだ。
彼も、小説を、苦心して書いているが、彼には、いかなる文学賞なども、絶対、とれない自信というか、確信がある。
それでも、書いているのは、彼にとっては、小説を書くことだけが、生きていること、だから、である。
彼は、文学賞など、別に、欲しいと思わない。
もちろん、獲れるものなら、獲りたいとも思うが、彼は、長く小説を書いてきて、自分の文学的才能というものを、知っているつもり、である。
「作家は一生、同一レベルの作品しか書けない」
この格言は、彼にとって、救いでもあり、あきらめ、でもあった。
しかし、彼は、それで満足している。
彼の書く小説は、恋愛もの、エロチックなもの、ユーモラスなもの、であり、文学的価値は、たいして無いが、読んで、「面白い」と言ってくれる、人も、多いのだ。
スポーツの、水泳で、たとえれば、彼は、オリンピックで、通用するほどの、実力は無いが、基本の技術は、身につけていて、上級者であり、泳いでいれば、楽しいし、つまり、要するに、小説は、アマチュアの、趣味で、書いているのである。
そのことに、彼は、十分、満足している。
彼の書いてきた作品のうち、数作を、これなら、ある程度、売れそうだから、単行本で、商業出版しても、いいよ、と、言ってくれる、出版社があれば、もう、それで、御の字、なのである。
しかし、レベルは、高くなくても、また、世間で認められる作家にならなくても、そんなことは、彼には、どうでもいいことであった。
小説を書くことが、彼の生きがい、の全て、なのである。
だから、彼は、頭が冴えなくなったり、小説のネタが、思いつかなくなって、小説が書けなくなることの方が、文学賞を獲れないことより、はるかに、苦痛なのである。
もちろん、彼も、レベルの高い文学賞を、獲って、職業作家として、筆一本で、膨大な、量の本を出版している、作家を、うらやましいとは思う。
し、また、尊敬する。
彼は、まず、彼らプロ作家にまでは、どんなに、頑張っても、量においても、質においても、なれないだろうとは、思っているが、彼は、最初から、あきらめてはいない。
彼らを、思うと、彼も、頑張って、彼らに、負けないくらいに、頑張ろう、という、ファイトが起こるのである。
ただ、量が多ければ、いいというわけでもなく、仕事として、連載で、仕方なく書いている、面白くない、小説まで、評価しているわけではない。
そもそも、小説なんて、芸術であり、個性の世界であり、どの作品が、どの作品より、価値が、上とか下とか、絶対的に、いうことは、出来ない。
たとえ、レベルは高くなくても、また、アマチュアであっても、彼の書く小説は、彼にしか、書けない小説なのだ。
彼の小説創作観は、そんなものである。
ただ、彼は、芥川賞を獲るほどの、作家を、神様のように、尊敬していた。
もちろん嫉妬もしていたが。
それは、彼が、小説を書くことにのみ、価値を感じているのだから、当然のことである。
野球が、好きで得意な少年が、一流のプロ野球選手を、神様のように、尊敬するのと同じ理屈である。
文学的に価値のある作品を、書けるようになるには、努力だけでは、出来ない。
天性の才能というものが必要である。
しかし、天性の才能が、あれば、小説は、簡単に書けるか、といえば、書けない。
それは、彼自身が、昔から、小説を書いてきて、痛感していることである。
小説を書くには、小説や本をよく読み、世間の動向をよく観察し、絶えず、小説の題材を、日常生活の中で、根気よく、探しつづける情熱を持ち続け、インスピレーションが、降臨してくるのを、我慢強く待ちつづけ、インスピレーションが、起こったら、ストーリーの構想を、練り、必要な情報を取材し、最も適切な言葉を選び、美しい、滑らかな、文章を組み立て、呻吟して、ストーリーを、考え、そして、書いた後も、推敲し、最後の一行まで、言葉にしても、文章にしても、ストーリーにしても、一点の矛盾もない、作品に、仕上げなくてはならない。
それには、大変な根気と、情熱の持続と、頭の酷使が必要なのである。
そして、そういう、厳しい、難しい、小説という物を、作り上げようと、決断したのは、その人の、意志であり、努力なのである。
なので、彼は、芥川賞を獲るほどの、作家を、神様のように、尊敬していた。
しかも、彼女は、2003年に、『授乳』という作品で、群像新人文学賞優秀賞を受賞している。
なので、彼女は、10年、以上、小説を書き続けてきたのだ。
さらに、最初に書いて、投稿した小説が、いきなり、文学賞を受賞する、などという、ことは、まず、ない。
なので、彼女は、それより、もっと、ずっと以前から、小説を書いているはずだ。
そして、2003年に、文学賞を獲ってからも、その後も、小説を書き続け、
2009年に、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞を受賞し、
2010年に、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補となり、
2012年に、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補となり、
2013年に、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞を受賞し、
2014年に、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞を受賞し、2016年に、『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞したのだ。
さらに、文学賞候補や、文学賞受賞とならなかった、小説も、間違いなく、たくさん、書いているだろう。
彼女は、小説創作一筋に、努力に努力を重ねて、生きてきた、もの凄い人間なのだ。
彼の、彼女に対する態度は、180°変わってしまった。
彼は、今まで、彼女を、やる気も、覇気もない、フリーターだと思って、見下して、さんざん、イヤミを言ってきたのだ。
「あんたねー。あんたには、覇気というものが、ないんだよ。だから、いつまで経っても、コンビニ店員なんだよ。やる気のないヤツは、いつまでも、フリーターから、抜け出せないだよ」
とか、
「あんたねー。バカにされても、口惜しくないの?バカにされたら、一念発起して、何かに、打ち込むなりしなよ。こんな、自嘲的な、バカげた詩なんて書いていないで。たとえば。小説でも、書いてみなよ。まあ、あんたみたいな、覇気のない人じゃ、芥川賞とかは、絶対、無理だろうけれど。今じゃ、ネットで、自由に小説を発表できるじゃないの。僕なんか、才能がないから、文学賞なんか、獲れないとわかっているけど、それでも、一生懸命、小説を書いて、ネットで発表しているよ」
とか、
「あんたねー。ちょっと、卑屈すぎるよ。少しは、・・・そんな、個人的なことまで、言われるスジアイは、ありません、くらい、の、こと、堂々と、言い返しなさいよ。あんたは、覇気がなさすぎるよ」
とか、さんざん、バカにしてきたのだ。
彼は、「うぎゃー」、と、叫び、恥ずかしさに、床の上をゴロゴロと、転げまわった。
まさに、釈迦に説法である。
彼も、2003年、以前、から、小説を書き続けてきた。
しかし、彼の小説創作歴は、3回だけ、小さな文学賞に、投稿して、一次予選も、通らなかったのと、2001年に、「女生徒、カチカチ山と十六の短編」という、単行本を自費出版しただけであった。
彼にとっては、群像新人文学賞、だの、野間文芸新人賞、たの、三島由紀夫賞、だの、芥川賞、たのは、はるか、雲の上の、上の、一生、努力しても、到達できない、別次元のことだった。
以前、コピーにあった、詩みたいな彼女の文章の最後の、
「ある日、いつも、コンビニ弁当を買っていく、客に、
そんなコンビニ的生き方は
「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが・・・・。」
とは、間違いなく、彼のことだろう。
「もう、彼女に会わす顔がない。彼女は、芥川賞を獲っても、コンビニで、働きたい、と言っていた。ならば、もう、あのコンビニには、絶対、行くまい」
と、思い決めた。
しかし彼は、自炊が出来ない。
なので、食事は、コンビニ弁当を買う、しかないのである。
彼も、食事は、自炊が全く出来なくて、コンビニ弁当に、頼り切っているので、そして、コンビニがなくなると、生きて行けなくなるので、彼も、「コンビニ的人間」と、いえるかもしれない。
彼は、芥川賞受賞作家をバカにしてきたので、もう、彼女のいる、セブンイレブン湘南台店には、恥ずかしくて、行くことは出来なくなってしまった。
しかし、彼にとって、コンビニ弁当は、絶対に必要である。
なので、アパートに、一番、近い、彼女の働いている、セブンイレブン湘南台店は、行くのをやめにして、少し、遠い、ローソンで、コンビニ弁当を買うことにした。
しかし、ローソンの、コンビニ弁当には、彼の欲しい、369円の、幕の内弁当がなかった。
なので、ローソンの、不本意な、コンビニ弁当を、買って、我慢することにした。
翌日になった。
7月20日(水)である。
彼は、急いで、湘南台駅の駅前の、文華堂湘南台店に行ってみた。
「コンビニ人間」は、もちろんのこと、彼女の、著書の本を、出来るだけ、手に入れて、読んでみたかったからである。
「コンビニ人間」、は、当然、平積みで、何冊も、積んであった。
昔は、湘南台駅の西口には、五階建ての、大きな三省堂書店があったが、出版不況のため、とっくの昔に、なくなってしまった。
それ以外でも、近隣の、書店は、どんどん、閉鎖していった。
文華堂湘南台店は、規模が小さく、彼女の本では、「コンビニ人間」と、講談社文庫の、「殺人出産」しか、置いてなかった。
彼は、その二冊を買った。
そして、アパートに帰って、さっそく、「コンビニ人間」を、読み出した。
「コンビニ人間」は、素晴らしかった。
特に、「コンビニ人間」の、P54に、書いてある、
「人間は、皆、変なものには、土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」
という、一文と、P115に、書いてある、
「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」
という、一文に、作者の強烈な、人間批判があった。
その後、講談社文庫の、「殺人出産」を、読んでみた。
講談社文庫の、「殺人出産」は、表題が、「殺人出産」、であるが、内容は、「殺人出産」、「トリプル」、「清潔な出産」、「余命」、の四作の短編集だった。
というか、「殺人出産」、は、119ページと、一番、長く、本の半分以上を占めていて、ついでに、他の、三作も、収録してある、というものだった。
彼女は、「コンビニ人間」、以外では、どんな作品を、書くのか、知りたくて、真っ先に、一番、短い、「余命」、という小説を、読んだ。文庫本で、たった、4枚、という、短い、短編、だったが、これが、怖い小説だった。
自分が、生き埋めになって、死ぬ、という内容の小説だった。
記者会見では、あんなに、おとなしそうな人が、こんな、怖い小説を、書くのかと、彼女の、精神がわからなくなった。
次に、彼は、「清潔な出産」、を読み、「トリプル」、を読んだ。
「殺人出産」、は、119と、長く、怖そうだったから、後で読もうと思ったのである。
「清潔な出産」は、子供は、欲しいが、セックスは、したくない夫婦が、セックスをしないで、子供を産む、という、小説だった。
これには、感心させられた。
人間が、生まれてくるためには、男と女が、セックスをしなくてはならない。
しかし、人間が生まれてくる、ということと、性行為とは、ちょっと、考えれば、全然、別の問題だ。
「トリプル」は、の男女の関係、は、男と女の、二人一組、という、常識、に反抗する小説だった。
どの作品も、世間の常識に、反抗するような、小説ばかりだった。
あの、おとなしそうな、顔をした、コンビニ店員が、こんな、小説を書いていることに、彼は驚いた。
「殺人出産」は、怖そうだった、し、もう、夜、遅くになっていたので、読まなかった。
その日の夜、彼は、彼女が、こわくなって、なかなか寝つけなかった。
しかし、いつものように、睡眠薬を飲んで、You-Tubeで、無理して、明るい、健全な、「ジャッキー・チェンの、コメディーカンフー映画」を、少し見た。
そうしているうちに、何とか、眠れた。
しかし、夜中に目を覚ましてしまった。
腹が空いていたので、何か食べたくなって、彼は、勇気を出して、おそるおそる、コンビニに、行ってみた。
「こんばんはー」
と、言って、僕は、コンビニに入った。
「いらっしゃいませー」
彼女がいた。
彼女は、いつもの、明るい口調で、ニコッ、と、笑って、挨拶した。
彼は、少し、ほっとした。
「あ、あの。芥川賞の受賞、おめでとうございます。テレビの記者会見、見ました。今まで、失礼な事を言ってしまって、申し訳ありませんでした」
と、言って、彼は、深く頭を下げた。
「いえ。いいんです。気にしてませんから」
と、彼女は言った。
彼は、彼女に許されて、ほっとした。
彼は、恥ずかしくなって、何を買おうかと、彼女と、少し離れて、コンビニの中の、食べ物を、探した。
彼は、カップラーメンと、ポテトチップスと、野菜ジュースを、手にとって、カゴに入れた。
そして、急いで、レジに持っていこうと、顔を上げた。
すると。コンビニの、ガラスから、彼の後ろから、彼女が、彼に、近づいて来るのが見えた。
何をする気だろう、と、彼は、戸惑った。
「あっ」
彼が、危機に気づいた時には、もう、遅かった。
彼女は、「えいっ」、と、駆け声をかけて、背中に隠し持っていた、スコップを、振り上げて、思い切り、彼の頭に振り下ろした。
・・・・・・・・・・・
気がつくと、彼は、横になっていた。
(ここは、一体、どこなのだろう?)
全身に、ひんやりと、土の、冷たさ、が、伝わってきた。
彼は、手と足を、動かそうと、してみた。
しかし、駄目だった。
手は、縄で、後ろ手に縛られ、足首も、縄で、カッチリと、縛られていた、からだ。
そこは、ちょうど、彼の体が、入るくらいの大きさに、地面に、長方形に、くり抜かれるように、掘られた、穴の中だと、彼は気づいた。
上を、見上げると、古倉恵子さんが、彼を、じっと、彼を、眺めていた。
「あっ。古倉さん。ここは、どこですか。一体、何をしようというのですか?」
彼は、焦って聞いた。
彼女は、小さな微笑を頬に、浮かべた。
「ふふふ。ここは、コンビニの裏の雑木林よ」
彼女は、言った。
「こんな、土葬の墓のような、所に、僕を入れて、どうしようと、いうのですか?」
彼は、声を震わせて、聞いた。
「あなたは、ここで、生き埋めになって、死ぬのよ」
彼女は、薄ら笑いを、浮かべながら、淡々と、言った。
「な、何で、そんなことをするんですか?」
彼は、焦って聞いた。
「あなたは、コンビニ店員を、バカにしたでしょ。私には、それが、許せないの」
「ご、こめんなさい」
「あなた。なぜ、私が、作家的位置を確立しているのに、コンビニ店員をしているのか、わかる?」
彼女が聞いた。
「そ、それは、あなたにとって、コンビニで、働くのが、生き甲斐だから、でしょう?記者会見でも、そう言っていた、じゃないですか」
彼が言った。
「ふふふ。ちがうわ。あれは、世間を欺くためのウソよ」
彼女が言った。
「で、では。何が理由ですか?」
彼が聞いた。
「ふふふ。私。小説で、人間を殺す場面を書くのが大好きなの。そして、人間が死んでいく場面を見るのも、好きなの」
「そ、そんな、こと。く、狂っている」
彼は、ゾッと、全身から、冷や汗が出た。
「ふふふ。このコンビニの、裏の雑木林の中には、18人の死体が埋まっているのよ。みな、コンビニ店員を、バカにした人間だわ。あなたは、19人目ね。梶井基次郎の短編に、(桜の樹の下には)、というのがあるでしょ。桜の樹の下には屍体が埋まっているのよ。人間の屍体を肥やしにしているから、桜は美しいのよ。あなたも、桜の樹の、肥やし、に、なりなさい」
そう言うや、彼女は、スコップで、土を彼の入っている、穴の中に、土を入れ始めた。
そういえば、コンビニの裏は、桜の樹だった。
そういえば、この近辺で、一年に一人くらいの割り合いで、失踪したまま、行方がわからなくなっている事件が起こっているのだ。
それは、警察で調べても、その行方は、まだ、わかっていない未解決事件だった。
彼女の言うことは、辻褄が合っている。
彼は、ぞっとした。
「古倉様ー。お許し下さいー。もう、コンビニ店員をバカにしたりしませんー」
彼は、必死で、叫んだ。
「ふふふ。人間が死ぬ時の、悪あがき、の姿、を、見るのって、最高の快感だわ」
そう言って、彼女は、どんどん、スコップで、土を、彼の上に、乗せていった。
・・・・・・・・・・・
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
全身が、汗、ぐっしょり、だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
時計を見ると、午前2時だった。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな)
そう呟いて、彼は、また、布団の上に横になった。
翌日になった。
7月21日(木)である。
彼は、藤沢駅前にある、藤沢有隣堂に、車で行った。
湘南台から、藤沢駅までは、小田急江ノ島線で、急行で、7分である。
各駅停車では、湘南台から、六会日大前、善行、藤沢本町、と三駅である。
距離は、7kmである。
彼は、藤沢には、車で行く。
車の方が、疲れないからである。
時間も、電車と、大体、同じで、7分、程度で行ける。
小田急線の、東を、主幹道路の国道467号線が、小田急線に、沿うように、走っているので、ほとんど、直線的に行けるから、楽なのである。
彼は、藤沢駅の駅前があまり好きではなかった。
ゴチャゴチャしていて、気分が落ち着かないからである。
しかし、藤沢には、ビッグカメラがあって、家電製品は、そこで買っていた。
そして、有隣堂は、駅前ビルの中で、4フロアーに、渡っていて、医学書の専門書も、あるほど、充実していた。
彼は、欲しい本があると、在庫があるか、どうか、を電話で、聞いてから、行って買っていた。
有隣堂では、古倉恵子著作の本では、「授乳」と、「マウス」と、「ギンイロノウタ」と、「しろいろの街と、その骨の体温と」と、「消滅世界」と、「タダイマトビラ」が、あった。
これで、ほとんど、彼女の出版してある本は、手に入れることが、出来た。
彼は、アパートにもどって、「マウス」から、読み出した。
「余命」ですら、怖い小説なのだから、「殺人出産」は、もっと、怖い小説だろうと、思って、彼は、読むのを、躊躇していたのである。
「マウス」は、(臆病者。弱いもの)という意味であり、社会的弱者を、いじめるな、という世間に対する、主張を彼は、感じた。
その日は、読書に、没頭した。
夜寝るまで。
夜12時になって、彼は、床に就いた。
そして、昨日と同じように、You-Tube、で、ジャッキー・チェンのコメディー・カンフーなどの、明るい、健全な、動画を見て寝た。
しかし、夜中に目を覚ましてしまった。
時計を見ると、午前2時である。
彼は、昨夜の夢の、コンビニの裏の、桜の樹に、本当に、屍体が埋まっているのか、どうか、ということが、気になり出した。
その想念は、強迫観念のように、時間の経過と、ともに、どんどん、大きくなり、ついに、彼は、耐えきれなくなって、懐中電灯を持って、コンビニの裏の雑木林に行ってみた。
そして、桜の樹の近くを、懐中電灯で、照らして見ながら、歩いた。
(この地面の下に、彼女の埋めた屍体が、本当に、あるのだろうか?)
と、思いながら。
と、その時である。
「うわー」
彼は叫び声を上げた。
地面に乗せた、足が、突然、ふっと、拍子抜けしてしまったからだ。
落とし穴だった。
深さは、3mくらいだろうか。
よじ登ることが、出来なかった。
落ちた時に、左の足首を挫いてしまったからだ。
上を見上げると、古倉恵子さんが、地中の彼を、じっと見ていた。
「ふふふ。あなたも、懲りない人ね。昨日、埋めたはずなのに、どうやって、出てきたの?今度は、絶対、出て来れないように、してあげるわ」
彼女は、そう言って、彼の頭の上から、バケツを、逆さにした。
ザー、と、何か、が、彼の頭の上に、かかってきた。
「な、何ですか。これは?」
彼は、聞いた。
「ふふふ。速乾性のセメントよ。セメントで、固めてしまえば、もう出て来れないでしょう」
そう言って、彼女は、次から次へと、セメントを、穴の中に、流し込んでいった。
「や、やめて下さい」
彼は、絶叫した。
しかし、彼女は、やめない。
「ダメよ。あなたは、コンビニ店員を、バカにしたでしょ。私には、それが、許せないの」
「ご、こめんなさい。古倉様―。お許し下さいー」
しかし、彼女は、薄ら笑いを浮かべながら、セメントを流し入れつづけた。
・・・・・・・・・・・・・
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。
時計を見ると、午前2時だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。また夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな。しかし、二日も続けて、こんな怖い夢を見るとは・・・)
翌日になった。
7月22日(金)である。
その日も、彼は、古倉さんの小説を読んだ。
彼は、古倉さんの小説を読むと、また悪夢を見そうで、怖かったのだが、読まないでいると、ますます、怖くなりそうで、読まずにいられなかった。
悪夢で、見た、コンビニ店、の、裏、の土の中に、埋められる、というのも、「余命」という、土の中に埋められて死ぬ、という小説を読んだことが、きっと、影響しているのだろう、と、彼は思った。
いや、その可能性は、大きいだろう。
「余命」ですら、怖い小説なのだから、「殺人出産」、は、もっと、怖い小説だろうと、思って、彼は、読むのを、躊躇していたのである。
彼女は、スティーブンソンの、「ジキル博士とハイド氏」、のような二重人格の人なのかも、しれないと、も思った。
しかし、読まないでいると、増々、怖い小説、に思えてきて、彼は、勇気を持って、読んでみることにした。
怖いものを、見ないでいると、想像で、実際とは、違って、過剰に、怖いもの、と、思って、それに、脅かされる、ということは、結構、あることである。
それに、彼は、もっと、彼女という人間を、知りたくなってもいた。
それで、「殺人出産」を読み始めた。
「10人産んだら一人殺してもいい」、という殺人出産システムが導入された、現代から、100年後の世界を描いた小説だった。
小説は、怖くもあったが、彼は、彼女の、度胸に、圧倒された。
こんな、内容の小説を、書いたら、文壇から、非難されるのが、彼女は、怖くないのだろうか。
石原慎太郎は、「完全な遊戯」という、問題作の短編小説を書いて、文壇から、不謹慎だと、滅茶苦茶に、批判された。
そういうことは、いくらでもある。
文壇の目は、厳しいのである。
しかし、彼女の、世間の、常識、や、既成の価値観に、真っ向から、挑む、勇気に、彼は圧倒された。
記者会見や、ネットでの顔写真からは、似ても似つかわない、度胸のある人だと、感心させられた。
「10人産んだら一人殺してもいい」、という殺人出産システムの、未来社会というのは、きっと、彼が、コンビニ店員である、古倉さんを、バカにしたから、彼を、殺したいために、思いついたんだ、と、思った。
読み終わって、彼は、怖くなってしまった。
その夜、彼は、床に就いた。
(もう、今日は、怖い夢を見ませんように)
と、祈りながら。
ついでに、彼は、手を組んで、久しぶりに、「主の祈り」をした。
「天にまします我らの父よ。願わくば御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪ある者を我らが許すごとく我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」
主の祈り、をするのは、10年、ぶりくらいだった。
彼は、特に、「我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ」、のところに、力を込めた。
「我らを試みに会わせず」、とは、「こわい夢をみるのが神の試み」、のように思われたからである。しかし、それに続く、「悪より救い出したまえ」、は、古倉恵子さん、を、「悪」、と言っているようで、それに、申し訳なさを感じた。
しかし、彼は、枕元には、しっかりと、十字架と、聖書と、ニンニク、を置いておいた。
彼は、You-tube で、つとめて、明るい、動画を見た。
無理に、笑おうとしてみたが、笑えなかった。
しかし、やがて、睡魔が襲ってきて、彼は、眠りに就いた。
幸い、その日は、夜中に、起きることが、なかった。
チュン、チュンという、雀のさえずりと、窓から、入ってくる日の光によって、目が覚めた。
時計を見ると、午前6時だった。
(はあ。よかった)
と、彼は、安心した。
その時である。
玄関の戸が、すー、と開いた。
彼は、時々、玄関の鍵をかけ忘れてしまうことがある。
昨日は、かけ忘れてしまったのだろう。
(こんな早朝に一体、誰だろう)
彼は、不思議に思った。
髪の長い、女の人が入って来た。
その顔を見た時、彼の全身の体毛は、逆立った。
入って来たのは、なんと、古倉恵子さん、だったからだ。
しかも、彼女は、靴を脱がず、スニーカーを履いたまま、土足で入って来た。
彼女が、彼のアパートに、入って来ることは、不思議ではない。
なぜなら、彼のアパートと、コンビニは、とても近く、(だから、古倉さんのいる、コンビニを利用しているのだが)、以前、彼が、アパートから出てきたところを、仕事が終わって、帰る途中の、古倉さんと、会ってしまったことが、あるからだ。
「あ、あの。ふ、古倉さん。一体、何の用ですか?」
彼は、咄嗟に、立ち上がろうとした。
しかし、体が、ビクとも動かない。
金縛りである。
以前にも、彼は、金縛り、にあったことがあった。
彼女は、腰を降ろして、彼の枕元に座り込んだ。
「あ、あの。古倉さん。一体、何の用でしょうか。それに、いくらなんでも、土足で、他人の家に部屋に入り込む、というのは、非常識なのではないでしょうか?」
「何を言っているの。あなたこそ、私の心の中に、土足で入り込んだじゃない。偉そうなことを言う資格があなたに、あるの?」
「そ、それは、心から謝ります。申し訳ありませんでした」
「謝ってすむことじゃないわ。よく、私が、深く掘っておいた、落とし穴から、出て来れたわね。しかも、速乾性のセメントをかけておいたのに」
「・・・・」
「私が来たのはね。あなたは、生き埋めにしようとしても、ゴキブリのように、しぶとく、脱出してくるから。こうなったら、もう私の方から、出向いて、あなたを、私の手で、確実に殺すしかないと、思ったからなの。あなたが、確実に死んだのを見届けてから、コンビニの裏の、桜の樹の下に埋めることにしたの」
「お、お許し下さい。古倉様―」
彼は、叫んだ。
しかし、彼女は、何も答えない。
「古倉様―。おわびとして、僕は、あなた様の奴隷になりますー」
「奴隷って。あなた、マゾなの?」
「は、はい。そうです」
「私。マゾの心理って、よくわからないの。でも、友達に聞いたところによると、男の、マゾって、崇拝する女性に、完全に服従することの喜び、なんでしょ。そして、マゾの極致って、崇拝する女性に殺されることに、最高の喜びを感じるんでしょ。なら、あなたは、殺されても、幸せなんじゃないの?」
「あ、あの。僕は、そこまで、本格的なマゾじゃないんです」
「じゃあ。いっそ、本格的なマゾになりきりなさいよ」
「そ、そんな・・・」
彼は、まだ、死にたくなかった。
もっともっと、生きて、小説を書きたかったからだ。
「古倉様。僕は、マゾは、今日限り、やめます。僕は、これから、清く、正しく、明るく、生きます。ですから、お許し下さいー」
「ふふふ。何、言ってるの。人間の、生まれつきの、感性や、性格なんて、一日で、変わったりなんかは、しないわ」
彼女には、彼の哀願など、聞く素振りなど全くなかった。
「今は、金縛りになっていて、動けないわね。私に、見つめられた男は、みんな、金縛りになってしまうのよ。なぜかは、わからないけれど。でも、金縛りだけじゃ、心配だから、ちゃんと、縛っておきましょうね」
そう言って、彼女は、金縛りで、動けない彼の、両手を後ろに廻し、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
そして、左右の足首も、カッチリと、縛った。
「ふふふ。これで、もう、逃げられないわね」
彼女は、そう言うと、小さな裁縫セットを取り出して、一本の、縫い針を取り出した。
「ふふふ。私。小説で、人間を殺す場面を書くのが大好きなの。そして、人間が死んでいく場面を見るのも、好きなの。あなたは、体中を、針で刺して、殺してあげるわ」
彼は、背筋が、ゾッとした。
「や、やめて下さい。そんなことー」
彼は、絶叫した。
「じゃあ、まず、右の目を刺してみましょうね」
そう言って、彼女は、彼の、右目の、角膜に、垂直に、縫い針を立てた。
針が、彼の、右目の角膜に、近づいてきた。
・・・・・・・・・・・・・
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。
時計を見ると、午前2時だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。夢だったのか。よかった。怖かったな。しかし、三日も続けて、こんな怖い夢を見るとは・・・)
翌日になった。
7月23日(土)である。
彼は、もう、あのコンビニや、古倉さんのことは、あまり考えないようにしようと思った。
ちょっと、古倉恵子さんの小説を読むと、怖くなってしまう、からである。
(あの人は、あの人で、独特の感性を持っている)
子供の頃から、無口で、変わり者で、人と違う、感じ方、考え方、を、する、という点では、彼と、共通する性格もある。
しかし、彼の、書きたい小説は、さわやかな恋愛小説である。
そして、彼は、後味の悪い小説は、書けなかったし、書きたくなかった。
しかし彼の書く小説は、ハッピーエンドでは、必ずしもない。
彼は、結末をつけるのが、嫌いで、小説の、ラストこそが、小説の、始まりで、その後、どうなるかは、読者の想像にまかせたい、というのが、彼の創作スタンスだった。
しかし、彼女の、小説は、いささか、怖い。
しかし、やはり、彼女の小説は、読まずには、いられなかった。
それで、彼は、おそるおそる、「タダイマトビラ」という小説を読んでみた。
自分が産んだ、血のつながっている、本当の、自分の子ども、を愛せないという母親、のもとで育った少女の話だった。
少女は、おそらく古倉さん自身であろう。
彼女は、母親の愛情を受けずに、育ったのではないか、と、彼は思った。
彼女は、小説の創作に、於いては、自分の、思い、を極限まで、表現しようと、追求している。
それが、文学的価値として、評価されているのだ。
いったん、読み始めると、つい、小説に、引きずり込まれて、読んだ。
しかし彼女の小説を読むと、怖くなってしまう。
それで。
彼は、読書の途中に、明るい気分になろう、テレビのスイッチを入れてみた。
彼は、テレビは、ほとんど見ない。
バラエティー番組は、もちろんのこと、テレビドラマも、見なかった。
テレビドラマは、受け身で、まだるっこしい、し、バラエティー番組は、ギャーギャー、うるさいだけだったからだ。
彼は、テレビは、ニュースしか見なかった。
それと、NHKの、「クローズアップ現代」では、時々、いいのを、やっているので、見ることもあった。その程度である。
彼は、テレビのチャンネルを、リモコンで、切り替えていった。
TBSで、「水戸黄門」を、やっていた。
「水戸黄門」は、同じパターンで、単純に楽しめて、明るい気分になれるかもしれないと、思った。
「水戸黄門」の、ストーリーは、いつものパターンだった。
極悪非道の悪代官が、弱い、町人の娘を、罠にはめて、いじめる。
水戸黄門と、角さん、助さん、が現れて、いじめられている、小町娘の言い分を聞いてやる。
悪代官が、水戸黄門に出会うが、悪代官は、水戸黄門を、偉い人だとは、知らず、老いぼれジジイと、見なしているので、バカにする。
忍術を身につけている風車の弥七、が、悪代官の、悪事の決定的な証拠をつかむ。
水戸黄門と、角さん、助さん、が、悪代官の、代官所に、乗り込む。
しかし、まだ、悪代官は、水戸黄門の正体を知らないので、手下に、「やっちまえ」、と命じて、斬りかかる。
しばし、乱闘シーンがあってから、角さんが、懐から、葵の印籠を、取り出して、「ええい。鎮まれ、鎮まれ。この紋所が目に入らぬか。こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも前の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ。一同、御老公の御前である。頭が高い。控え居ろう」と言う。
悪代官と、その手下は、「ははー」、と言って、水戸黄門の前にひれ伏す。
何だか、見ているうちに、彼は、背筋がゾッとしてきた。
何だか、自分が、極悪非道の悪代官のようで、水戸黄門が、古倉恵子さんに、似ているような、気がしてきたからだ。
彼は、急いで、テレビを消した。
彼は、もう、テレビを見ることも出来なくなってしまった。
その夜。
彼は、床に就いた。
昼間、見た、「水戸黄門」が、気になって、なかなか、寝つけなかった。
しかし、12時を過ぎたころから、だんだん、眠気が起こり出した。
気づくと、彼は、ある、見知らぬコンビニ店にいた。
研修中の、若い女のコンビニ店員の対応が遅いので、彼は、
「あんたねー。あんたは、やる気、というものがないんだよ」
と、説教というか、愚痴をこぼしていた。彼は不機嫌な顔で、そのコンビニを出た。彼が、そのコンビニ店を去った後、すぐに古倉恵子さんが、やって来た。彼女は、泣いている、女のコンビニ店員に、優しく声をかけた。
「いいのよ。コンビニ店員だって、立派な仕事なのよ」、
となぐさめていた。
彼は、翌日、古倉恵子さんが働いている、セブンイレブン湘南台店に、行った。彼は、古倉恵子さんにも、
「あんたねー。あんたは、やる気、というものがないんだよ」
と、いちゃもん、を、つけた。そこに、見知らぬ男が、現れた。なんと、その男は、水戸黄門の、角さん、だった。角さんは、
「ええい。頭が高い。ひかえおろう。このお方を誰だと心得る?」
と、彼を叱りつけた。呆然としている彼に、角さんは、言った。
「このお方こそは、畏れ多くも、第155回の、芥川賞を受賞なされた、古倉恵子先生であらせられるぞ」
彼は、顔が真っ青になって、「ははー」、と古倉恵子さんの前に、ひれ伏した。いつまでもひれ伏していると、
「山野哲也よ。面を上げよ」
と、古倉さんの声が聞こえた。彼は、おそるおそる顔を上げた。いつの間にか、古倉恵子さんは、杖を持って、服は、紫のちゃんちゃんこ、を着て、水戸黄門の格好になっていた。古倉恵子さんは、おもむろに話し始めた。
「山野哲也。そのほう、たかが、一介の医者の分際で、威張りくさり、社会の弱者である、コンビニ店員を、軽蔑し、見下し、愚弄しつづけてきた、その極悪非道の所業。いささかの許す余地も酌量もなく、その罪、万死に値する。よって、市中、引き回しの上、獄門、晒し首とする」
と、厳しく告げた。
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
時計を見ると、午前2時だった。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな。これで、四日連続だ。こんなことは、初めてだ。彼女は、本当に、僕を憎んでいるのかも、しれない。これは、本当に、彼女の、たたり、なのかもしれない)
と、彼は、恐怖した。
その後も、彼は、古倉さんの出てくる、怖い夢を、毎晩、見つづけた。
怖い夢は、あの手この手を、変えて、古倉さんが、彼を殺そうとする、夢ばかりだった。
彼は、それで、ヘトヘトに疲れてしまった。
彼は、芥川賞受賞作家をバカにしてきたので、もう、彼女のいる、セブンイレブン湘南台店には、恥ずかしくて、行くことは出来ない。
しかし、彼にとって、コンビニ弁当は、絶対に必要である。
それで、アパートに、一番、近い、彼女の働いている、セブンイレブン湘南台店は、行くのをやめにして、少し、遠い、ローソンで、コンビニ弁当を買うことにしていた。
しかし、ローソンの、コンビニ弁当には、彼の欲しい、369円の、幕の内弁当がなかった。
なので、ローソンの、不本意な、コンビニ弁当を、買って、我慢していた。
数日が過ぎた。
彼は、彼女に、とても恥ずかしくて、合わせる顔がなかったが、しかし、その一方で、彼女は、芥川賞を獲った後でも、本当に、コンビニのアルバイトを、続けているのか、ということが、気になってきた。
いくらなんでも、群像新人文学賞、だの、野間文芸新人賞、たの、三島由紀夫賞、だの、芥川賞、などの文学賞を獲って、彼女は、もう完全に、世間で、作家としての地位を確立して、小説の原稿料や、単行本や、文庫本の印税収入で、十分に、生活できるはずである。
彼女の芥川賞の、受賞の記者会見でも、彼女は、「これからも、コンビニ店員のアルバイトを続けたいと思っているけれど、店長と相談して決めようと思います」と、彼女は、言った。
「つづけたいと思っている」と、言ったのだから、続けるのか、どうかは、まだ、わかっていない。
さらに。
「店長と相談して決めようと思います」と、言ったのだから、やめた可能性もある。
芥川賞を受賞すると、芥川賞受賞者という、肩書きが、出来るから、受賞者には、出版社から、こぞって、執筆依頼が殺到するものである。
そして、芥川賞受賞者という、肩書きから、傑作でなくても、あまり、面白くなくても、小説を書きつづけていれば、読者は、買うのである。
そういう点で、日本で文学の最高の権威である、芥川賞を受賞してしまえば、もう、あとは、天下御免で、小説や、エッセイを、書き続けていれば、原稿料や、単行本や、文庫本の印税収入で、生活費は、保証されたも、同然なのである。
なので、彼女は、小説創作に、忙しくなって、セブンイレブン湘南台店を、辞めたかもしれない。
そう思って、彼は、そっと、セブンイレブン湘南台店に、行ってみた。
そして、店の外から、そっと、店内の店員に、気づかれないように、店内を見た。
彼は、びっくりした。
何と、彼女が、以前通り、コンビニの店員のアルバイトをしていたからである。
彼は、彼女に、見つからないように、そっと、店の中の、彼女の様子を見た。
客が来ると、彼女は、「いらっしゃいませー」、と、相変わらず、愛想よく、客に、挨拶していた。
山野哲也は、精神科医である。
大学を卒業して、ずっと、精神科医として、働いてきた。
しかし、彼は、精神科医という仕事に、やりがい、を感じては、いなかった。
医者など、誰がやっても、同じだし、かけがえのない仕事ではない。
慣れてしまえば、八百屋と同じである。
医者の中でも、研究者は、かけがえのない仕事で、やりがいを、感じている人も、いるだろう。
しかし、臨床医は、慣れ、で、あり、誰がやっても、同じなのである。
確かに、脳外科医の福島孝徳先生のように、日本の医学界から、アメリカに飛び出して、患者に侵襲の少ない、独自の手術法を考案し、そして独自の、器具を考案し、物凄い数の、脳手術をして、腕を磨き、脳幹に出来た、巨大腫瘍を取る、という技術を身につけて、福島孝徳先生、以外の脳外科医では、手術できない、困難な、患者の手術、を成功させた、という医師も、いないわけではない。福島孝徳先生は、ずば抜けた、才能と努力の人であり、他の医師では、救えない患者を、福島孝徳先生は、救っているのであり、そこまでいくと、やりがい、も、出るだろう。
福島孝徳先生は、かけがえのない医師なのである。
しかし、福島孝徳先生のような、臨床医は、極めて例外的であり、100人に1人、いるか、いないか、なのである。
他の医者は、大同小異であり、相対的に、少し、他の医者より、優れた医者もいるが、基本的には、医者は、誰がやっても同じ、仕事なのである。
彼の母校の、口腔外科の教授も、
「臨床医になるのは、医学者の恥」
とか、
「医者は知的職業じゃない」
とか、
「医者は、高校卒の知識があれば、慣れで、出来る」
とか、言っていたが、彼も、全く心の中で、同じ事を考えていた。
そもそも、そんなことは、彼は、直観力で、医学部に入る前から、わかっていた。
彼は、もっと、自分だけにしか、出来ない、かけがえのない、創造的なことをしたかったのである。
なのに、医学部に入ったのは、彼は、自分が、何をするために、生きているのか、わからなかったからである。
それで、医学部に入ってから、医学部は、6年間もあるし、医学部に、いる間に、自分が本当に、したいことが、見つかるんじゃないか、と思ったのである。
それに、希望をかけた。
そして、医学部3年の時に、それに、気がついた。
それは、「小説を書く」ということだった。
ある時、いきなり、「小説家になろう」という、突拍子もない、インスピレーションが、起こったのである。
それ以来、彼は、小説を、書き続けてきた。
しかし、彼は、自分の、天分の才能が、職業作家として、筆一本で、生きていける、とは、全く、思っていなかった。
しかし、自分には、表現したいものがある。という確信は、もっていた。
「人は、一生、自分の才能、以上の作品も、才能、以下の作品も書けない」
という、格言があるが、それは、彼も感じていた。
しかし、ともかく、彼は、自分の、表現したいものを、精一杯、書いていった。
彼は、聖書の中の、タラントの喩え、が、好きだった。
タラントとは、(=タレント。先天的能力)という意味である。
新約聖書によると。
神は、人間に、(どういう気まぐれでか)、ある人には、10タラント与え、ある人には、5タラント与え、ある人には、3タラント与えた。
人間が、死ぬ時、神は、10タラント与えられて、その10タラントを、使い切った人間を祝福した。
5タラント与えられて、その5タラントを使い切った人間も祝福した。
3タラント与えられて、その3タラントを使い切った人間も祝福した。
しかし、10タラント与えられても、その10タラントを、使わず、怠けていた人間は、祝福せずに、怒った。
つまり、先天的能力の差に関わらず、努力して生きた人間は、神は、すべて祝福する、というのである。
しかし、先天的能力の差に関わらず、努力せず、怠けて人生を過ごした人間に対しては、神は、怒るのである。
彼は自分が与えられたタラントは、どのくらいかは、わからないが、彼も、人間の価値とは、自分に与えられた能力を、どれほど、努力して、使い切ったか、であると思っていた。
なので、文壇で、認められたい、とか、文学賞を獲りたい、と、いう気持ちも、なかった。
たとえ、世に認められなくても、無名のまま、死んでも、それで、一向に構わなかった。
ただ、彼の、生きがいは、「小説を書く」、ことだけだったので、小説が書けなくなると、もう、生ける屍、に等しかった。
普通の人なら、健康だから、いつでも、書ける。
しかし彼は、過敏性腸症候群で、毎日が、便秘と、不眠の戦いだった。
普通の人なら、小説を書く、才能があって、10年も、小説を書いていれば、それなりに、何らかの、文学賞を獲って、多少は、文壇に認められる、ものだが、彼は、病気のため、書きたい作品が頭にあっても、気力が出ずに、思うように書けなかった。
しかし、彼は、病気と闘うことにも、生きる意味を感じていた。
努力しなければ、何も出来ないが、努力すれば、何かが出来るのである。
なので、彼は、週に、2回は、温水プールで、1回に、3時間、泳ぎ、週に、2回は、市民体育館のトレーニング・ルームで、二時間、筋トレをしていた。
それが、彼の健康を維持するのに、一番、良かったからである。
食べることは出来ても、食べると便秘になって、苦しむため、彼は、食べたくても、小食に努めた。
努力することに、人間の価値があると、そういう信念を、彼は、持っていた。
人間は、努力すれば、大抵の事は、出来るようになるものである。
スポーツとか、学問とか、芸術とか、どんな事でも、日本一とか、世界一、とか、では、先天的な、才能、も、関係してくるから、人間は、努力すれば、何でも出来るわけではない。
しかし、一心に努力すれば、超一流ではなくても、何事でも、それなりに、出来るようになるものである。
「人間は、努力すれば、大抵の事は出来るようになる。もし、努力しても達成できないのであれば、それは、本当の努力ではない」
とは、一本足打法の、ホームラン王、の王貞治の言葉であるが、彼も、そのことは、その通りだと、思っていた。
彼は、自分に、努力という、厳しい、試練を課した。そして、それと同時に、他人に対しても、そういう、目で、見ていた。
彼は、フリーターだの、ニートだのを、軽蔑していた。
世の人間は、政治が悪い、だの、IT社会となったから、たの、現代の病だのと、もっともらしいことを、言うが、彼は、そう思っていなかった。
フリーターは、仕事が終われば、遊んでいるから、いつまでも、フリーターなのだ。と、彼は思っていた。
実際、彼は、研修医の時、激しい、幻聴と妄想に苦しめられながらも、宅建の勉強をして、宅建の国家試験に通った患者の主治医になったことも、あった、ので、その思いは、なおさら、であった。
彼は、自炊を全くしなかった。
というか、何も、自分では、料理を作れなかった。
彼は、自分の興味のあることには、とことん、打ち込むが、興味のないことには、極めて、ズボラだった。
なので、彼の食事は、外食か、コンビニ弁当、であった。
彼は、食事は、いつも、近くの、コンビニ(セブンイレブン湘南台店)で、コンビニ弁当を買っていた。
彼の、アパートにも、電子レンジは、あったが、彼は、コンビニ弁当を、電子レンジで、温めるのも、面倒くさかった。
セブンイレブン湘南台店には、いつも、同じ女の店員がいた。
彼が、この町に引っ越してきたのは、千葉の国立下総療養所で、二年間の研修を終え、地元の、民間病院に就職するために、引っ越してきた、10年前である。
それ以来、彼は、精神病院の仕事と、小説創作に、寸暇を惜しんで、生きてきた。
しかるに、彼女は、10年間、ずっと、コンビニ店員をしている。
彼が、引っ越してきた時から、彼女は、コンビニ店員だったので、いつから、始めたのかは、わからない。
しかし、いつから、始めたのにせよ、10年間も、コンビニ店員を、やっている彼女は、彼には、憐れ、を、通り越して、みじめ、に見えた。
「よっぽど、やる気がない人間だな」
と、彼は、彼女を軽蔑した。
今年(平成28年)、モハメド・アリが死んだ。
モハメド・アリ、は、努力と不屈の精神をもった偉大な男だった。
その、モハメド・アリも、
「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状維持に甘んじるための言い訳にすぎない」
と、言っている。さらに、
「不可能なんて、あり得ない」
とまで、モハメド・アリは、言っている。が、それは、ちょっと、言い過ぎだ。
人間は、どんなに、努力しても、空中4回転は、出来ない。
体操選手でも、伸身の、空中2回転が、限度だろう。
そもそも、「不可能」とは、「人間が出来ないこと」であるのであるからして、不可能は、どんなに、努力しても、出来るようにならない。
人間は、どんなに努力しても、鳥のように、空を飛ぶことは出来ない。
つまり、モハメド・アリの言う、「不可能」とは、「非常に困難なこと」という、意味である。
ともかく、彼は、彼女を見ると、
「よっぽど、やる気がない人間だな」
「彼女は、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者だ」
と、思っていた。
ある日のこと、彼は、医学の文献を、コピーするために、コンビニに行った。
「いらっしゃいませー」
彼女が、マニュアル通りに、挨拶した。
彼は、コンビニにある、コピー機で、医学の文献を、コピーした。
そして、原本と、コピーを持って、コンビニを出てアパートにもどった。
原本と、コピーとを、確認していると、原本(これもA4のコピーなのだが)と、コピーの一番下に、医学の文献とは、関係のない、コピーが、一枚、混ざっていた。
原本を、コピー機の上に、乗せた時、一枚、前の客が、忘れたもので、彼は、その取り忘れた、コピーを一緒に、持ってきて、しまったのだろう。
なにやら、詩のような、文章である。
それには、こう書かれてあった。
文章の最初に、「コンビニ人間」と、書かれてある。
詩のタイトルなのだろう、と、彼は思った。
それには、こう書かれてあった。
36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
オープン当初からセブンイレブン湘南台店で働き続け、
変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。
日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、
清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、
毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、
私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
ある日、いつも、コンビニ弁当を買っていく、客に、
そんなコンビニ的生き方は
「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが・・・・。
と、そこまで、書かれてあった。
「ははあ。これは、あの女店員が、書いた、自嘲的な詩だろう」
と、彼は思った。
なぜなら、彼女は、コンビニの制服のプレートに、「古倉」と書いてあったから、彼女の、苗字だけは、知っていた。
それに、あそこは、セブンイレブン湘南台店であり、彼女は、年齢は、知らないが、見た目から、まず30代に、間違いないと思っていたからだ。
彼は、以前に、ある不機嫌な時、おでん、を注文したことがあった。
ちょうど、その時、彼は、ある不機嫌なことで、イラついていた。
おでんの鍋の中では、大根、ゆで卵、白滝、こんにゃく、がんもどき、さつま揚げ、焼きちくわ、ちくわぶ、ロールキャベツ、牛すじ、ごぼう巻、昆布巻、はんぺん、が、グツグツ煮えていた。
彼は、ゆで卵、と、がんもどき、と、さつま揚げ、と、焼きちくわ、と、白滝、を、注文した。
だが、彼女は、白滝、の代わりに、こんにゃく、を入れた。
「ちょっと、あんた。僕は、白滝、を注文したんだよ。こんにゃく、と、間違えてるよ」
と、ツッケンドンに、注意した。
彼女は、
「申し訳ありませんでした」
と、ペコペコ謝って、こんにゃく、を、とり、代わりに、白滝、を入れた。
彼は、フリーターの、コンビニ店員の、こういう、卑屈な態度も嫌いだった。
それで、つい、
「あんたねー。あんたには、覇気というものが、ないんだよ。だから、いつまで経っても、コンビニ店員なんだよ。やる気のないヤツは、いつまでも、フリーターから、抜け出せないんだよ」
と、説教じみた愚痴を言ったことがあった。
彼女は、
「申し訳ありませんでした」
と、また、ペコペコ頭を下げて、謝った。
こういう個人的な、価値観の、注意は、本来、客といえども、する権利はないし、また、店員である、彼女も、謝るスジアイは、無いのだが、彼女は、白滝、と、こんにゃく、を間違えて入れた、負い目があるので、ついでの説教にも、謝ったのだ。
日本のコンビニ店員は、みな、そんなものである。
(そもそも、日本人は、卑屈すぎる。やたらと謝る。その卑屈さが、やる気の無さ、とも通じているんだ)
と、彼は、思っていた。
それ以前にも、彼は、コンビニで、何か買う時、彼女が、毎回、
「ただいま、おでん全品70円均一セール中です。いかがでしょうか?」
と、マニュアル通りのことを、言うので、彼は、いい加減、腹が立って、
「うっせーんだよ。お前は、マニュアルに書いてあることしか、言えないのかよ。食いたい時にゃ、言われずとも、買うよ」
と、愚痴を言ったこともあった。
あいつ、大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目なのか。
と、彼は、あきれた。
また、バカにされたのなら、「なにくそ」と、一念発起、奮起して、必死に勉強して、宅建とか、税理士とか、公認会計士とか、中小企業診断士などの、国家資格を取るなり、して、バカにした、相手を、見返してやろう、と、いう覇気もなく、こんな自嘲的な詩を、書くような、彼女の、根性にも、彼は、あきれた。
とことん、やる気のないヤツだな、と思った。
しかし、ともかく、これは、まず、彼女が、置き忘れた物だろうから、彼女に渡そうと、彼は、急いで、コンビニに行った。
「いらっしゃいませー」
彼女は、マニュアル通りの、挨拶した。
彼は、彼女に、
「これ。あなたが、書いたのじゃありませんか。コピー機の上に、置いてありましたよ」
と言って、彼女に、コピーを見せた。
「あっ。そうです。それ私のです。どうも有難うございました」
と、彼女は、言って、それを、受けとった。
彼は、10年前に、ここに引っ越してきて、その時から、彼女は、あのコンビニで働いていたが、いつから、彼女が、働き出したのかは、わからなかった。
しかし、まさか、大学在籍中から、あのコンビニで働き出して、現在まで、18年間も、コンビニで、アルバイトしていたことには、あきれた。
(よっぽど、やる気のないヤツだな)
と、彼は、あきれた。
彼は、こういう、やる気のないヤツを見ていると、腹が立ってくるのである。
それで。
「あんたねー。バカにされても、口惜しくないの?バカにされたら、一念発起して、何かに、打ち込むなりしなよ。こんな、自嘲的な、バカげた詩なんて書いていないで。たとえば。小説でも、書いてみなよ。まあ、あんたみたいな、覇気のない人じゃ、芥川賞とかは、絶対、無理だろうけれど。今じゃ、ネットで、自由に小説を発表できるじゃない。僕なんか、才能がないから、文学賞なんか、獲れないとわかっているけど、それでも、一生懸命、小説を書いて、ホームページで発表しているよ」
と、つい、余計な口出しをしてしまった。彼女は、
「は、はい。すみません」
と、卑屈に言った。
こういう個人的な、価値観の、注意は、本来、客である彼には、する権利はないし、彼女も、謝るスジアイは、ないのだが、彼が、彼女の置き忘れた、コピーを、届けてやった、お礼、の気持ちからだろう。彼女は、ついでに、謝った。
「あんたねー。ちょっと、卑屈すぎるよ。少しは、・・・そんな、個人的なことまで、言われるスジアイは、ありません、くらい、の、こと、堂々と、言い返しなさいよ。あんたは、覇気がなさすぎるよ」
と、彼は、彼女の態度に、苛立って、そう言った。
すると、彼女は、また、
「は、はい」
と、へどもど、と謝った。
(全く、仕方がないヤツだな)
と、思いながら、彼は、アパートに帰った。
平成28年になった。
去年は、9月の、安保法案の強行採決くらいしか、大きな出来事がなかったが、今年は、やたらと、色々な、事件、出来事、があった。
3月31日。2014年3月から行方不明になっていた埼玉県朝霞市の15歳の少女が、東京都中野区で保護された。埼玉県警察は、未成年者誘拐の疑いで23歳男(寺内樺風)の逮捕状を取り指名手配。翌28日、静岡県内でこの男の身柄を確保し、31日に逮捕した。
4月16日。熊本県にてM7.3の地震が発生。
4月20日。三菱自動車工業は、自社の軽自動車を対象とした燃費試験でデータを不正操作していたことが発覚。
4月29日。野球賭博問題で元プロ野球選手、数名が逮捕される。
5月27日。バラク・オバマアメリカ合衆国大統領が現職のアメリカ大統領として初めて、1945年に米軍によって世界初の原子爆弾による核攻撃を受けた広島市を訪問。広島平和記念公園で献花を行う。
6月3日。モハメド・アリが死去した。
6月15日。東京都の舛添要一知事は、政治資金の私的流用疑惑などを理由にこの日行われた東京都議会の本会議に先立って辞表を議長に提出。その後、都議会において舛添知事の同月21日付での辞任が全会一致で承認された。
6月19日。選挙権年齢を18歳以上とする公職選挙法がこの日施行。
6月15日。イチロー選手が日米通算の4257安打でピートローズ氏の大リーグ記録を超えた。
6月23日。イギリスが、国民投票で、EU離脱。
7月13日。天皇陛下が生前退位の意向を示されていることが報道される。
○
世間では、8月5日から始まる、リオデジャネイロオリンピックの話題でもちきりだった。
しかし、彼にとっては、世間の出来事は、他人事だった。
彼にとっては、今年、どのくらい、小説が、書けるか、が、彼の関心事の全てだった。
寒い一月から、三月までは、割と、調子よく、小説が書けた。
しかし、内容的には、自分でも、それほど、自信作といえるような作品では、なかった。
彼は、喘息にせよ、過敏性腸症候群にせよ、副交感神経が、優位になると、体調が悪くなる。
寒い冬の方が、交感神経が優位になるので、彼は、季節としては、夏が好きだが、体調という点では、冬の方が、良かった。
しかし、四月になって、だんだん、昼間は、温かくなりだしたが、夜は寒いままで、気温の日内変動の差が大きくなった。そうなると、自律神経が、ついていけず、体調が悪くなり出した。
体調が、悪くなると、小説も、書けなくなった。
頭が冴えないのだ。
読書しようと思っても、本も読めない。
それで、仕方なく、何とか、頭が冴えるように、市営の温水プール、へ、行ったり、市営の、トレーニング・ルームで、筋トレをした。
それでも、自律神経の失調は治らなかった。
つらい時は、何も出来なくて、死にたいほどの気分になるが、耐えることも、必要だと、彼は、自分に言い聞かせた。
いつか、きっと、体調が良くなってくれる時も、あるだろう、と、無理にでも、思い込もうとした。
4月、5月、6月、と、何も出来なかった。
しかし、7月になると、猛暑になり、昼も夜も、暑くなったが、気温の日内変動がなくなって、体調が良くなり出した。
彼は、また、小説を書き出した。
彼は、テレビを、ほとんど観ない。
テレビなんて、受け身の行為で、テレビばかっり、見ていると、バカになると、彼は思っている。
バラエティー番組なんて、バカバカしくて、つまらないし、テレビドラマも、まだるっこしい。
しかし、ニュースだけは、見ていた。
彼は、内向的な性格だが、内向的といっても、世事のことには、興味があり、ニュースだけは、見ていた。
それと、彼は、ニュースで、女子アナを見るのが、好きだった。
四月から、NHKの、ニュースウォッチ9、の、女子アナは、井上あさひ、さんから、鈴木奈穂子さんに代わった。
報道ステーションの、小川彩佳アナも、古館伊知郎が、やめてから、なぜか、明るくなった。
古館伊知郎が、司会者をやっていた時の、小川彩佳アナは、堅苦しかった。
7月19日(火)のことである。
ニュースで、今年の、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。
そして、受賞者の記者会見が、行われた。
世間では、今年は、誰が、芥川賞や、直木賞の受賞者になるのかに、非常に強い関心を持っている。
世間の人間は、常に、新しいもの、最新の情報、に、興味をもっているからだ。
しかし、彼は違う。
彼は、楽しむために、小説は読まない。
彼が、小説を読むのは、その小説から、何か、自分が書くための、小説のネタが、思いつくのではないか、と思っているからである。なので、そういう視点で、本を選んで読んでいる。
なので、彼は、それほどの読書家ではない。
昔は、小説を多く読むことが、小説を書く、ネタにも、なると思っていた時もあり、そのため、かなりの本を彼は、読んできた。
しかし、小説を長い期間、書いているうちに、小説を読んでも、たいして、自分が小説を書くための、参考にはならない、ということが、わかってきた。
さらに、彼は、読書は、気をつけないと、想像力、も、創造力、も、つぶす、ことをも知っていた。
彼は、最近、野球小説を書きたいと思っている。
当然、(小説ではないが)、野球マンガの代表作である、「巨人の星」、は、読んでいる。
しかし、「巨人の星」、を、読んでしまった後では、野球小説を書きたいと思っても、どうしても、「巨人の星」、を意識してしまって、それに、引っ張られてしまうのである。
つまり、真似、二番煎じ、盗作、である。
しかし、「巨人の星」を、読まないで、自分の頭で、野球小説のストーリーを、考えて、書いてみれば、何らかの、オリジナルな野球小説、が、書けるのである。
そういう、創作の、精神衛生に、彼は、気をつけて、本を選んで、読んでいた。
小説とは、他人の、(想像力、創造力)の産物だから、小説は、気をつけて、読まないと、他人の、想像力、の発見だけに、終わってしまって、自分の、想像力を、つぶしてしまいかねない。
なので、彼は、読書は、フィクションである小説より、世の中の事実を知る、読書の方に、変わっていった。
もっとも、フィクションである小説でも、凄い作品を読むと、その、想像力、というか、発想力、の凄さに、驚くことがあり、よし、自分も、発想力を、根本から変えてみよう、という、ファイトが、起こることも、あるので、小説を、全く、読まなくなったわけではない。
しかし、自分が小説を書くためには、自分が、実生活で、何を体験したか、ということが、大きい。
もちろん、自分が、体験したことが、そのまま、小説には、なりはしない。
しかし、印象に残ることを、体験すると、それが、小さなヒントになり、それから、フィクションの、お話しを、作れることが、多いのだ。
それと、自分の体験ではなく、何か、作品を書こうと思ったら、調べなければならない。
今は、インターネットがあるから、何でも、気軽に調べられる。
それで、彼は、小説を読むより、調べることの方が、多くなった。
7月19日(火)の、ニュースで、今年の、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。
芥川賞の受賞者の記者会見がテレビの画面に写った。
今年の、芥川賞の受賞者は、女の人で、古倉恵子という名前で、受賞した作品は、「コンビニ人間」という、タイトルだった。
その女性の、顔が映し出された時、彼は、天地がひっくり返るかと、思うほど、びっくりした。
あやうく、ショック死するところだった。
なぜなら、受賞者の女性は、彼が、いつも、行っているコンビニの、あの、覇気のない、古倉、だったからだ。
彼は、目を疑って、よく見たが、間違いない。
顔も、声も、体格も、仕草も、態度も、完全に一致している。
しかも、古倉、という名前も、一致しているし、コンビニで働いている、と、自分の口から、言ったので、もう、これは、疑う余地がない。
彼女は、
「コンビニで働いています。これからも、コンビニで働きたいと思っています、が、店長と相談したいと思います」
と、飄々とした口調で言った。
彼は、急いで、ネットで、「コンビニ人間」で、検索してみた。
すると、色々な、感想が出てきた。
だが、どれも、「素晴らしい」と、絶賛する感想だった。
その一部。
古倉恵子さんは大学時代からコンビニでアルバイトを始めて、未だに週2~3日で働いています。
そして、芥川賞を受賞したあとも可能ならばコンビニでのアルバイトを続けたいとの姿勢を見せています。
芥川賞を受賞する前でもすでに小説家として成功しているので、収入に困って働いているとかそういうのではないはず。
だとしたら小説のネタ探しの意味で、人間観察目的にコンビニバイトをしているんじゃないか?と思いきや、
なんでも古倉恵子さんにとってコンビニでのアルバイトはすでに生活の一部となっており、コンビニで真剣に働くことに生き甲斐を感じるんだそうです。
コンビニ人間は、コンビニで働き続け、周囲の人たちからは正常ではないという見方をされながらも生きる36歳で未婚の女性の主人公・古倉恵子の姿を描いた作品です。
世間の常識から外れてしまう行動をとってしまう主人公の古倉恵子は、コンビニ店員というマニュアルが用意された仕事につくことによって、自分が生きる居場所を見つけます。
社会では、しっかりとした職について働いていなければ世間から認められません。
そんな世の中で、”コンビニで働く”という選択をとった主人公の古倉恵子は、その生き方に満足していました。
類型化された生き方を選択させられる世の中の成り立ちや、正常ではないものと社会とのすれ違い、その考えなどについて改めて考えさせられます。
現代社会に生きる人々の距離、人と人との干渉と不干渉との間ともいえる絶妙な感覚で主人公たちの行動が描かれています。
主人公だけが社会的な印象操作とは全く関係のないまっすぐな目で世界を見ており、独自の視点で世界を見ています。
これが人間の本質なのかな。と、感じる部分も多々ありました。
そして、選考者の二人が、「まさに芥川賞に値する傑作」と、絶賛していた。
彼は、今度は、「古倉恵子」で、検索してみた。
すると、「古倉恵子」のWikipedia、が、出てきた。
Wikipedia、には、彼女のプロフィールが出てきた。
それには、こんなことが、書かれていた。
古倉恵子(ふるくら けいこ、1979年8月14日―)は、日本の小説家、エッセイスト。
千葉県印西市出身。二松學舍大学附属柏高等学校、玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業。
文学賞
2003年、『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀賞受賞。
2009年、『ギンイロノウタ』で第22回三島由紀夫賞候補。
2009年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。
2010年、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補。
2012年、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補。
2013年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。
2014年、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞。
2016年、『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。
代表作
『ギンイロノウタ』(2008年)
『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)
『コンビニ人間』(2016年)
主な受賞歴
群像新人文学賞優秀賞(2003年)
野間文芸新人賞(2009年)
三島由紀夫賞(2013年)
芥川龍之介賞(2016年)
と、書かれている。
彼は、天地がひっくり返るかと、思うほど、びっくりした。
彼女は、単なる、やる気のない、フリーターだとばかり、思っていたが、蒼蒼たる、輝かしい執筆歴、受賞歴、をもった小説家だったのだ。
人は見かけによらない、とは、まさに、このことだ。
彼も、小説を、苦心して書いているが、彼には、いかなる文学賞なども、絶対、とれない自信というか、確信がある。
それでも、書いているのは、彼にとっては、小説を書くことだけが、生きていること、だから、である。
彼は、文学賞など、別に、欲しいと思わない。
もちろん、獲れるものなら、獲りたいとも思うが、彼は、長く小説を書いてきて、自分の文学的才能というものを、知っているつもり、である。
「作家は一生、同一レベルの作品しか書けない」
この格言は、彼にとって、救いでもあり、あきらめ、でもあった。
しかし、彼は、それで満足している。
彼の書く小説は、恋愛もの、エロチックなもの、ユーモラスなもの、であり、文学的価値は、たいして無いが、読んで、「面白い」と言ってくれる、人も、多いのだ。
スポーツの、水泳で、たとえれば、彼は、オリンピックで、通用するほどの、実力は無いが、基本の技術は、身につけていて、上級者であり、泳いでいれば、楽しいし、つまり、要するに、小説は、アマチュアの、趣味で、書いているのである。
そのことに、彼は、十分、満足している。
彼の書いてきた作品のうち、数作を、これなら、ある程度、売れそうだから、単行本で、商業出版しても、いいよ、と、言ってくれる、出版社があれば、もう、それで、御の字、なのである。
しかし、レベルは、高くなくても、また、世間で認められる作家にならなくても、そんなことは、彼には、どうでもいいことであった。
小説を書くことが、彼の生きがい、の全て、なのである。
だから、彼は、頭が冴えなくなったり、小説のネタが、思いつかなくなって、小説が書けなくなることの方が、文学賞を獲れないことより、はるかに、苦痛なのである。
もちろん、彼も、レベルの高い文学賞を、獲って、職業作家として、筆一本で、膨大な、量の本を出版している、作家を、うらやましいとは思う。
し、また、尊敬する。
彼は、まず、彼らプロ作家にまでは、どんなに、頑張っても、量においても、質においても、なれないだろうとは、思っているが、彼は、最初から、あきらめてはいない。
彼らを、思うと、彼も、頑張って、彼らに、負けないくらいに、頑張ろう、という、ファイトが起こるのである。
ただ、量が多ければ、いいというわけでもなく、仕事として、連載で、仕方なく書いている、面白くない、小説まで、評価しているわけではない。
そもそも、小説なんて、芸術であり、個性の世界であり、どの作品が、どの作品より、価値が、上とか下とか、絶対的に、いうことは、出来ない。
たとえ、レベルは高くなくても、また、アマチュアであっても、彼の書く小説は、彼にしか、書けない小説なのだ。
彼の小説創作観は、そんなものである。
ただ、彼は、芥川賞を獲るほどの、作家を、神様のように、尊敬していた。
もちろん嫉妬もしていたが。
それは、彼が、小説を書くことにのみ、価値を感じているのだから、当然のことである。
野球が、好きで得意な少年が、一流のプロ野球選手を、神様のように、尊敬するのと同じ理屈である。
文学的に価値のある作品を、書けるようになるには、努力だけでは、出来ない。
天性の才能というものが必要である。
しかし、天性の才能が、あれば、小説は、簡単に書けるか、といえば、書けない。
それは、彼自身が、昔から、小説を書いてきて、痛感していることである。
小説を書くには、小説や本をよく読み、世間の動向をよく観察し、絶えず、小説の題材を、日常生活の中で、根気よく、探しつづける情熱を持ち続け、インスピレーションが、降臨してくるのを、我慢強く待ちつづけ、インスピレーションが、起こったら、ストーリーの構想を、練り、必要な情報を取材し、最も適切な言葉を選び、美しい、滑らかな、文章を組み立て、呻吟して、ストーリーを、考え、そして、書いた後も、推敲し、最後の一行まで、言葉にしても、文章にしても、ストーリーにしても、一点の矛盾もない、作品に、仕上げなくてはならない。
それには、大変な根気と、情熱の持続と、頭の酷使が必要なのである。
そして、そういう、厳しい、難しい、小説という物を、作り上げようと、決断したのは、その人の、意志であり、努力なのである。
なので、彼は、芥川賞を獲るほどの、作家を、神様のように、尊敬していた。
しかも、彼女は、2003年に、『授乳』という作品で、群像新人文学賞優秀賞を受賞している。
なので、彼女は、10年、以上、小説を書き続けてきたのだ。
さらに、最初に書いて、投稿した小説が、いきなり、文学賞を受賞する、などという、ことは、まず、ない。
なので、彼女は、それより、もっと、ずっと以前から、小説を書いているはずだ。
そして、2003年に、文学賞を獲ってからも、その後も、小説を書き続け、
2009年に、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞を受賞し、
2010年に、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補となり、
2012年に、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補となり、
2013年に、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞を受賞し、
2014年に、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞を受賞し、2016年に、『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞したのだ。
さらに、文学賞候補や、文学賞受賞とならなかった、小説も、間違いなく、たくさん、書いているだろう。
彼女は、小説創作一筋に、努力に努力を重ねて、生きてきた、もの凄い人間なのだ。
彼の、彼女に対する態度は、180°変わってしまった。
彼は、今まで、彼女を、やる気も、覇気もない、フリーターだと思って、見下して、さんざん、イヤミを言ってきたのだ。
「あんたねー。あんたには、覇気というものが、ないんだよ。だから、いつまで経っても、コンビニ店員なんだよ。やる気のないヤツは、いつまでも、フリーターから、抜け出せないだよ」
とか、
「あんたねー。バカにされても、口惜しくないの?バカにされたら、一念発起して、何かに、打ち込むなりしなよ。こんな、自嘲的な、バカげた詩なんて書いていないで。たとえば。小説でも、書いてみなよ。まあ、あんたみたいな、覇気のない人じゃ、芥川賞とかは、絶対、無理だろうけれど。今じゃ、ネットで、自由に小説を発表できるじゃないの。僕なんか、才能がないから、文学賞なんか、獲れないとわかっているけど、それでも、一生懸命、小説を書いて、ネットで発表しているよ」
とか、
「あんたねー。ちょっと、卑屈すぎるよ。少しは、・・・そんな、個人的なことまで、言われるスジアイは、ありません、くらい、の、こと、堂々と、言い返しなさいよ。あんたは、覇気がなさすぎるよ」
とか、さんざん、バカにしてきたのだ。
彼は、「うぎゃー」、と、叫び、恥ずかしさに、床の上をゴロゴロと、転げまわった。
まさに、釈迦に説法である。
彼も、2003年、以前、から、小説を書き続けてきた。
しかし、彼の小説創作歴は、3回だけ、小さな文学賞に、投稿して、一次予選も、通らなかったのと、2001年に、「女生徒、カチカチ山と十六の短編」という、単行本を自費出版しただけであった。
彼にとっては、群像新人文学賞、だの、野間文芸新人賞、たの、三島由紀夫賞、だの、芥川賞、たのは、はるか、雲の上の、上の、一生、努力しても、到達できない、別次元のことだった。
以前、コピーにあった、詩みたいな彼女の文章の最後の、
「ある日、いつも、コンビニ弁当を買っていく、客に、
そんなコンビニ的生き方は
「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが・・・・。」
とは、間違いなく、彼のことだろう。
「もう、彼女に会わす顔がない。彼女は、芥川賞を獲っても、コンビニで、働きたい、と言っていた。ならば、もう、あのコンビニには、絶対、行くまい」
と、思い決めた。
しかし彼は、自炊が出来ない。
なので、食事は、コンビニ弁当を買う、しかないのである。
彼も、食事は、自炊が全く出来なくて、コンビニ弁当に、頼り切っているので、そして、コンビニがなくなると、生きて行けなくなるので、彼も、「コンビニ的人間」と、いえるかもしれない。
彼は、芥川賞受賞作家をバカにしてきたので、もう、彼女のいる、セブンイレブン湘南台店には、恥ずかしくて、行くことは出来なくなってしまった。
しかし、彼にとって、コンビニ弁当は、絶対に必要である。
なので、アパートに、一番、近い、彼女の働いている、セブンイレブン湘南台店は、行くのをやめにして、少し、遠い、ローソンで、コンビニ弁当を買うことにした。
しかし、ローソンの、コンビニ弁当には、彼の欲しい、369円の、幕の内弁当がなかった。
なので、ローソンの、不本意な、コンビニ弁当を、買って、我慢することにした。
翌日になった。
7月20日(水)である。
彼は、急いで、湘南台駅の駅前の、文華堂湘南台店に行ってみた。
「コンビニ人間」は、もちろんのこと、彼女の、著書の本を、出来るだけ、手に入れて、読んでみたかったからである。
「コンビニ人間」、は、当然、平積みで、何冊も、積んであった。
昔は、湘南台駅の西口には、五階建ての、大きな三省堂書店があったが、出版不況のため、とっくの昔に、なくなってしまった。
それ以外でも、近隣の、書店は、どんどん、閉鎖していった。
文華堂湘南台店は、規模が小さく、彼女の本では、「コンビニ人間」と、講談社文庫の、「殺人出産」しか、置いてなかった。
彼は、その二冊を買った。
そして、アパートに帰って、さっそく、「コンビニ人間」を、読み出した。
「コンビニ人間」は、素晴らしかった。
特に、「コンビニ人間」の、P54に、書いてある、
「人間は、皆、変なものには、土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」
という、一文と、P115に、書いてある、
「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」
という、一文に、作者の強烈な、人間批判があった。
その後、講談社文庫の、「殺人出産」を、読んでみた。
講談社文庫の、「殺人出産」は、表題が、「殺人出産」、であるが、内容は、「殺人出産」、「トリプル」、「清潔な出産」、「余命」、の四作の短編集だった。
というか、「殺人出産」、は、119ページと、一番、長く、本の半分以上を占めていて、ついでに、他の、三作も、収録してある、というものだった。
彼女は、「コンビニ人間」、以外では、どんな作品を、書くのか、知りたくて、真っ先に、一番、短い、「余命」、という小説を、読んだ。文庫本で、たった、4枚、という、短い、短編、だったが、これが、怖い小説だった。
自分が、生き埋めになって、死ぬ、という内容の小説だった。
記者会見では、あんなに、おとなしそうな人が、こんな、怖い小説を、書くのかと、彼女の、精神がわからなくなった。
次に、彼は、「清潔な出産」、を読み、「トリプル」、を読んだ。
「殺人出産」、は、119と、長く、怖そうだったから、後で読もうと思ったのである。
「清潔な出産」は、子供は、欲しいが、セックスは、したくない夫婦が、セックスをしないで、子供を産む、という、小説だった。
これには、感心させられた。
人間が、生まれてくるためには、男と女が、セックスをしなくてはならない。
しかし、人間が生まれてくる、ということと、性行為とは、ちょっと、考えれば、全然、別の問題だ。
「トリプル」は、の男女の関係、は、男と女の、二人一組、という、常識、に反抗する小説だった。
どの作品も、世間の常識に、反抗するような、小説ばかりだった。
あの、おとなしそうな、顔をした、コンビニ店員が、こんな、小説を書いていることに、彼は驚いた。
「殺人出産」は、怖そうだった、し、もう、夜、遅くになっていたので、読まなかった。
その日の夜、彼は、彼女が、こわくなって、なかなか寝つけなかった。
しかし、いつものように、睡眠薬を飲んで、You-Tubeで、無理して、明るい、健全な、「ジャッキー・チェンの、コメディーカンフー映画」を、少し見た。
そうしているうちに、何とか、眠れた。
しかし、夜中に目を覚ましてしまった。
腹が空いていたので、何か食べたくなって、彼は、勇気を出して、おそるおそる、コンビニに、行ってみた。
「こんばんはー」
と、言って、僕は、コンビニに入った。
「いらっしゃいませー」
彼女がいた。
彼女は、いつもの、明るい口調で、ニコッ、と、笑って、挨拶した。
彼は、少し、ほっとした。
「あ、あの。芥川賞の受賞、おめでとうございます。テレビの記者会見、見ました。今まで、失礼な事を言ってしまって、申し訳ありませんでした」
と、言って、彼は、深く頭を下げた。
「いえ。いいんです。気にしてませんから」
と、彼女は言った。
彼は、彼女に許されて、ほっとした。
彼は、恥ずかしくなって、何を買おうかと、彼女と、少し離れて、コンビニの中の、食べ物を、探した。
彼は、カップラーメンと、ポテトチップスと、野菜ジュースを、手にとって、カゴに入れた。
そして、急いで、レジに持っていこうと、顔を上げた。
すると。コンビニの、ガラスから、彼の後ろから、彼女が、彼に、近づいて来るのが見えた。
何をする気だろう、と、彼は、戸惑った。
「あっ」
彼が、危機に気づいた時には、もう、遅かった。
彼女は、「えいっ」、と、駆け声をかけて、背中に隠し持っていた、スコップを、振り上げて、思い切り、彼の頭に振り下ろした。
・・・・・・・・・・・
気がつくと、彼は、横になっていた。
(ここは、一体、どこなのだろう?)
全身に、ひんやりと、土の、冷たさ、が、伝わってきた。
彼は、手と足を、動かそうと、してみた。
しかし、駄目だった。
手は、縄で、後ろ手に縛られ、足首も、縄で、カッチリと、縛られていた、からだ。
そこは、ちょうど、彼の体が、入るくらいの大きさに、地面に、長方形に、くり抜かれるように、掘られた、穴の中だと、彼は気づいた。
上を、見上げると、古倉恵子さんが、彼を、じっと、彼を、眺めていた。
「あっ。古倉さん。ここは、どこですか。一体、何をしようというのですか?」
彼は、焦って聞いた。
彼女は、小さな微笑を頬に、浮かべた。
「ふふふ。ここは、コンビニの裏の雑木林よ」
彼女は、言った。
「こんな、土葬の墓のような、所に、僕を入れて、どうしようと、いうのですか?」
彼は、声を震わせて、聞いた。
「あなたは、ここで、生き埋めになって、死ぬのよ」
彼女は、薄ら笑いを、浮かべながら、淡々と、言った。
「な、何で、そんなことをするんですか?」
彼は、焦って聞いた。
「あなたは、コンビニ店員を、バカにしたでしょ。私には、それが、許せないの」
「ご、こめんなさい」
「あなた。なぜ、私が、作家的位置を確立しているのに、コンビニ店員をしているのか、わかる?」
彼女が聞いた。
「そ、それは、あなたにとって、コンビニで、働くのが、生き甲斐だから、でしょう?記者会見でも、そう言っていた、じゃないですか」
彼が言った。
「ふふふ。ちがうわ。あれは、世間を欺くためのウソよ」
彼女が言った。
「で、では。何が理由ですか?」
彼が聞いた。
「ふふふ。私。小説で、人間を殺す場面を書くのが大好きなの。そして、人間が死んでいく場面を見るのも、好きなの」
「そ、そんな、こと。く、狂っている」
彼は、ゾッと、全身から、冷や汗が出た。
「ふふふ。このコンビニの、裏の雑木林の中には、18人の死体が埋まっているのよ。みな、コンビニ店員を、バカにした人間だわ。あなたは、19人目ね。梶井基次郎の短編に、(桜の樹の下には)、というのがあるでしょ。桜の樹の下には屍体が埋まっているのよ。人間の屍体を肥やしにしているから、桜は美しいのよ。あなたも、桜の樹の、肥やし、に、なりなさい」
そう言うや、彼女は、スコップで、土を彼の入っている、穴の中に、土を入れ始めた。
そういえば、コンビニの裏は、桜の樹だった。
そういえば、この近辺で、一年に一人くらいの割り合いで、失踪したまま、行方がわからなくなっている事件が起こっているのだ。
それは、警察で調べても、その行方は、まだ、わかっていない未解決事件だった。
彼女の言うことは、辻褄が合っている。
彼は、ぞっとした。
「古倉様ー。お許し下さいー。もう、コンビニ店員をバカにしたりしませんー」
彼は、必死で、叫んだ。
「ふふふ。人間が死ぬ時の、悪あがき、の姿、を、見るのって、最高の快感だわ」
そう言って、彼女は、どんどん、スコップで、土を、彼の上に、乗せていった。
・・・・・・・・・・・
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
全身が、汗、ぐっしょり、だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
時計を見ると、午前2時だった。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな)
そう呟いて、彼は、また、布団の上に横になった。
翌日になった。
7月21日(木)である。
彼は、藤沢駅前にある、藤沢有隣堂に、車で行った。
湘南台から、藤沢駅までは、小田急江ノ島線で、急行で、7分である。
各駅停車では、湘南台から、六会日大前、善行、藤沢本町、と三駅である。
距離は、7kmである。
彼は、藤沢には、車で行く。
車の方が、疲れないからである。
時間も、電車と、大体、同じで、7分、程度で行ける。
小田急線の、東を、主幹道路の国道467号線が、小田急線に、沿うように、走っているので、ほとんど、直線的に行けるから、楽なのである。
彼は、藤沢駅の駅前があまり好きではなかった。
ゴチャゴチャしていて、気分が落ち着かないからである。
しかし、藤沢には、ビッグカメラがあって、家電製品は、そこで買っていた。
そして、有隣堂は、駅前ビルの中で、4フロアーに、渡っていて、医学書の専門書も、あるほど、充実していた。
彼は、欲しい本があると、在庫があるか、どうか、を電話で、聞いてから、行って買っていた。
有隣堂では、古倉恵子著作の本では、「授乳」と、「マウス」と、「ギンイロノウタ」と、「しろいろの街と、その骨の体温と」と、「消滅世界」と、「タダイマトビラ」が、あった。
これで、ほとんど、彼女の出版してある本は、手に入れることが、出来た。
彼は、アパートにもどって、「マウス」から、読み出した。
「余命」ですら、怖い小説なのだから、「殺人出産」は、もっと、怖い小説だろうと、思って、彼は、読むのを、躊躇していたのである。
「マウス」は、(臆病者。弱いもの)という意味であり、社会的弱者を、いじめるな、という世間に対する、主張を彼は、感じた。
その日は、読書に、没頭した。
夜寝るまで。
夜12時になって、彼は、床に就いた。
そして、昨日と同じように、You-Tube、で、ジャッキー・チェンのコメディー・カンフーなどの、明るい、健全な、動画を見て寝た。
しかし、夜中に目を覚ましてしまった。
時計を見ると、午前2時である。
彼は、昨夜の夢の、コンビニの裏の、桜の樹に、本当に、屍体が埋まっているのか、どうか、ということが、気になり出した。
その想念は、強迫観念のように、時間の経過と、ともに、どんどん、大きくなり、ついに、彼は、耐えきれなくなって、懐中電灯を持って、コンビニの裏の雑木林に行ってみた。
そして、桜の樹の近くを、懐中電灯で、照らして見ながら、歩いた。
(この地面の下に、彼女の埋めた屍体が、本当に、あるのだろうか?)
と、思いながら。
と、その時である。
「うわー」
彼は叫び声を上げた。
地面に乗せた、足が、突然、ふっと、拍子抜けしてしまったからだ。
落とし穴だった。
深さは、3mくらいだろうか。
よじ登ることが、出来なかった。
落ちた時に、左の足首を挫いてしまったからだ。
上を見上げると、古倉恵子さんが、地中の彼を、じっと見ていた。
「ふふふ。あなたも、懲りない人ね。昨日、埋めたはずなのに、どうやって、出てきたの?今度は、絶対、出て来れないように、してあげるわ」
彼女は、そう言って、彼の頭の上から、バケツを、逆さにした。
ザー、と、何か、が、彼の頭の上に、かかってきた。
「な、何ですか。これは?」
彼は、聞いた。
「ふふふ。速乾性のセメントよ。セメントで、固めてしまえば、もう出て来れないでしょう」
そう言って、彼女は、次から次へと、セメントを、穴の中に、流し込んでいった。
「や、やめて下さい」
彼は、絶叫した。
しかし、彼女は、やめない。
「ダメよ。あなたは、コンビニ店員を、バカにしたでしょ。私には、それが、許せないの」
「ご、こめんなさい。古倉様―。お許し下さいー」
しかし、彼女は、薄ら笑いを浮かべながら、セメントを流し入れつづけた。
・・・・・・・・・・・・・
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。
時計を見ると、午前2時だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。また夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな。しかし、二日も続けて、こんな怖い夢を見るとは・・・)
翌日になった。
7月22日(金)である。
その日も、彼は、古倉さんの小説を読んだ。
彼は、古倉さんの小説を読むと、また悪夢を見そうで、怖かったのだが、読まないでいると、ますます、怖くなりそうで、読まずにいられなかった。
悪夢で、見た、コンビニ店、の、裏、の土の中に、埋められる、というのも、「余命」という、土の中に埋められて死ぬ、という小説を読んだことが、きっと、影響しているのだろう、と、彼は思った。
いや、その可能性は、大きいだろう。
「余命」ですら、怖い小説なのだから、「殺人出産」、は、もっと、怖い小説だろうと、思って、彼は、読むのを、躊躇していたのである。
彼女は、スティーブンソンの、「ジキル博士とハイド氏」、のような二重人格の人なのかも、しれないと、も思った。
しかし、読まないでいると、増々、怖い小説、に思えてきて、彼は、勇気を持って、読んでみることにした。
怖いものを、見ないでいると、想像で、実際とは、違って、過剰に、怖いもの、と、思って、それに、脅かされる、ということは、結構、あることである。
それに、彼は、もっと、彼女という人間を、知りたくなってもいた。
それで、「殺人出産」を読み始めた。
「10人産んだら一人殺してもいい」、という殺人出産システムが導入された、現代から、100年後の世界を描いた小説だった。
小説は、怖くもあったが、彼は、彼女の、度胸に、圧倒された。
こんな、内容の小説を、書いたら、文壇から、非難されるのが、彼女は、怖くないのだろうか。
石原慎太郎は、「完全な遊戯」という、問題作の短編小説を書いて、文壇から、不謹慎だと、滅茶苦茶に、批判された。
そういうことは、いくらでもある。
文壇の目は、厳しいのである。
しかし、彼女の、世間の、常識、や、既成の価値観に、真っ向から、挑む、勇気に、彼は圧倒された。
記者会見や、ネットでの顔写真からは、似ても似つかわない、度胸のある人だと、感心させられた。
「10人産んだら一人殺してもいい」、という殺人出産システムの、未来社会というのは、きっと、彼が、コンビニ店員である、古倉さんを、バカにしたから、彼を、殺したいために、思いついたんだ、と、思った。
読み終わって、彼は、怖くなってしまった。
その夜、彼は、床に就いた。
(もう、今日は、怖い夢を見ませんように)
と、祈りながら。
ついでに、彼は、手を組んで、久しぶりに、「主の祈り」をした。
「天にまします我らの父よ。願わくば御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪ある者を我らが許すごとく我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」
主の祈り、をするのは、10年、ぶりくらいだった。
彼は、特に、「我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ」、のところに、力を込めた。
「我らを試みに会わせず」、とは、「こわい夢をみるのが神の試み」、のように思われたからである。しかし、それに続く、「悪より救い出したまえ」、は、古倉恵子さん、を、「悪」、と言っているようで、それに、申し訳なさを感じた。
しかし、彼は、枕元には、しっかりと、十字架と、聖書と、ニンニク、を置いておいた。
彼は、You-tube で、つとめて、明るい、動画を見た。
無理に、笑おうとしてみたが、笑えなかった。
しかし、やがて、睡魔が襲ってきて、彼は、眠りに就いた。
幸い、その日は、夜中に、起きることが、なかった。
チュン、チュンという、雀のさえずりと、窓から、入ってくる日の光によって、目が覚めた。
時計を見ると、午前6時だった。
(はあ。よかった)
と、彼は、安心した。
その時である。
玄関の戸が、すー、と開いた。
彼は、時々、玄関の鍵をかけ忘れてしまうことがある。
昨日は、かけ忘れてしまったのだろう。
(こんな早朝に一体、誰だろう)
彼は、不思議に思った。
髪の長い、女の人が入って来た。
その顔を見た時、彼の全身の体毛は、逆立った。
入って来たのは、なんと、古倉恵子さん、だったからだ。
しかも、彼女は、靴を脱がず、スニーカーを履いたまま、土足で入って来た。
彼女が、彼のアパートに、入って来ることは、不思議ではない。
なぜなら、彼のアパートと、コンビニは、とても近く、(だから、古倉さんのいる、コンビニを利用しているのだが)、以前、彼が、アパートから出てきたところを、仕事が終わって、帰る途中の、古倉さんと、会ってしまったことが、あるからだ。
「あ、あの。ふ、古倉さん。一体、何の用ですか?」
彼は、咄嗟に、立ち上がろうとした。
しかし、体が、ビクとも動かない。
金縛りである。
以前にも、彼は、金縛り、にあったことがあった。
彼女は、腰を降ろして、彼の枕元に座り込んだ。
「あ、あの。古倉さん。一体、何の用でしょうか。それに、いくらなんでも、土足で、他人の家に部屋に入り込む、というのは、非常識なのではないでしょうか?」
「何を言っているの。あなたこそ、私の心の中に、土足で入り込んだじゃない。偉そうなことを言う資格があなたに、あるの?」
「そ、それは、心から謝ります。申し訳ありませんでした」
「謝ってすむことじゃないわ。よく、私が、深く掘っておいた、落とし穴から、出て来れたわね。しかも、速乾性のセメントをかけておいたのに」
「・・・・」
「私が来たのはね。あなたは、生き埋めにしようとしても、ゴキブリのように、しぶとく、脱出してくるから。こうなったら、もう私の方から、出向いて、あなたを、私の手で、確実に殺すしかないと、思ったからなの。あなたが、確実に死んだのを見届けてから、コンビニの裏の、桜の樹の下に埋めることにしたの」
「お、お許し下さい。古倉様―」
彼は、叫んだ。
しかし、彼女は、何も答えない。
「古倉様―。おわびとして、僕は、あなた様の奴隷になりますー」
「奴隷って。あなた、マゾなの?」
「は、はい。そうです」
「私。マゾの心理って、よくわからないの。でも、友達に聞いたところによると、男の、マゾって、崇拝する女性に、完全に服従することの喜び、なんでしょ。そして、マゾの極致って、崇拝する女性に殺されることに、最高の喜びを感じるんでしょ。なら、あなたは、殺されても、幸せなんじゃないの?」
「あ、あの。僕は、そこまで、本格的なマゾじゃないんです」
「じゃあ。いっそ、本格的なマゾになりきりなさいよ」
「そ、そんな・・・」
彼は、まだ、死にたくなかった。
もっともっと、生きて、小説を書きたかったからだ。
「古倉様。僕は、マゾは、今日限り、やめます。僕は、これから、清く、正しく、明るく、生きます。ですから、お許し下さいー」
「ふふふ。何、言ってるの。人間の、生まれつきの、感性や、性格なんて、一日で、変わったりなんかは、しないわ」
彼女には、彼の哀願など、聞く素振りなど全くなかった。
「今は、金縛りになっていて、動けないわね。私に、見つめられた男は、みんな、金縛りになってしまうのよ。なぜかは、わからないけれど。でも、金縛りだけじゃ、心配だから、ちゃんと、縛っておきましょうね」
そう言って、彼女は、金縛りで、動けない彼の、両手を後ろに廻し、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
そして、左右の足首も、カッチリと、縛った。
「ふふふ。これで、もう、逃げられないわね」
彼女は、そう言うと、小さな裁縫セットを取り出して、一本の、縫い針を取り出した。
「ふふふ。私。小説で、人間を殺す場面を書くのが大好きなの。そして、人間が死んでいく場面を見るのも、好きなの。あなたは、体中を、針で刺して、殺してあげるわ」
彼は、背筋が、ゾッとした。
「や、やめて下さい。そんなことー」
彼は、絶叫した。
「じゃあ、まず、右の目を刺してみましょうね」
そう言って、彼女は、彼の、右目の、角膜に、垂直に、縫い針を立てた。
針が、彼の、右目の角膜に、近づいてきた。
・・・・・・・・・・・・・
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。
時計を見ると、午前2時だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。夢だったのか。よかった。怖かったな。しかし、三日も続けて、こんな怖い夢を見るとは・・・)
翌日になった。
7月23日(土)である。
彼は、もう、あのコンビニや、古倉さんのことは、あまり考えないようにしようと思った。
ちょっと、古倉恵子さんの小説を読むと、怖くなってしまう、からである。
(あの人は、あの人で、独特の感性を持っている)
子供の頃から、無口で、変わり者で、人と違う、感じ方、考え方、を、する、という点では、彼と、共通する性格もある。
しかし、彼の、書きたい小説は、さわやかな恋愛小説である。
そして、彼は、後味の悪い小説は、書けなかったし、書きたくなかった。
しかし彼の書く小説は、ハッピーエンドでは、必ずしもない。
彼は、結末をつけるのが、嫌いで、小説の、ラストこそが、小説の、始まりで、その後、どうなるかは、読者の想像にまかせたい、というのが、彼の創作スタンスだった。
しかし、彼女の、小説は、いささか、怖い。
しかし、やはり、彼女の小説は、読まずには、いられなかった。
それで、彼は、おそるおそる、「タダイマトビラ」という小説を読んでみた。
自分が産んだ、血のつながっている、本当の、自分の子ども、を愛せないという母親、のもとで育った少女の話だった。
少女は、おそらく古倉さん自身であろう。
彼女は、母親の愛情を受けずに、育ったのではないか、と、彼は思った。
彼女は、小説の創作に、於いては、自分の、思い、を極限まで、表現しようと、追求している。
それが、文学的価値として、評価されているのだ。
いったん、読み始めると、つい、小説に、引きずり込まれて、読んだ。
しかし彼女の小説を読むと、怖くなってしまう。
それで。
彼は、読書の途中に、明るい気分になろう、テレビのスイッチを入れてみた。
彼は、テレビは、ほとんど見ない。
バラエティー番組は、もちろんのこと、テレビドラマも、見なかった。
テレビドラマは、受け身で、まだるっこしい、し、バラエティー番組は、ギャーギャー、うるさいだけだったからだ。
彼は、テレビは、ニュースしか見なかった。
それと、NHKの、「クローズアップ現代」では、時々、いいのを、やっているので、見ることもあった。その程度である。
彼は、テレビのチャンネルを、リモコンで、切り替えていった。
TBSで、「水戸黄門」を、やっていた。
「水戸黄門」は、同じパターンで、単純に楽しめて、明るい気分になれるかもしれないと、思った。
「水戸黄門」の、ストーリーは、いつものパターンだった。
極悪非道の悪代官が、弱い、町人の娘を、罠にはめて、いじめる。
水戸黄門と、角さん、助さん、が現れて、いじめられている、小町娘の言い分を聞いてやる。
悪代官が、水戸黄門に出会うが、悪代官は、水戸黄門を、偉い人だとは、知らず、老いぼれジジイと、見なしているので、バカにする。
忍術を身につけている風車の弥七、が、悪代官の、悪事の決定的な証拠をつかむ。
水戸黄門と、角さん、助さん、が、悪代官の、代官所に、乗り込む。
しかし、まだ、悪代官は、水戸黄門の正体を知らないので、手下に、「やっちまえ」、と命じて、斬りかかる。
しばし、乱闘シーンがあってから、角さんが、懐から、葵の印籠を、取り出して、「ええい。鎮まれ、鎮まれ。この紋所が目に入らぬか。こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも前の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ。一同、御老公の御前である。頭が高い。控え居ろう」と言う。
悪代官と、その手下は、「ははー」、と言って、水戸黄門の前にひれ伏す。
何だか、見ているうちに、彼は、背筋がゾッとしてきた。
何だか、自分が、極悪非道の悪代官のようで、水戸黄門が、古倉恵子さんに、似ているような、気がしてきたからだ。
彼は、急いで、テレビを消した。
彼は、もう、テレビを見ることも出来なくなってしまった。
その夜。
彼は、床に就いた。
昼間、見た、「水戸黄門」が、気になって、なかなか、寝つけなかった。
しかし、12時を過ぎたころから、だんだん、眠気が起こり出した。
気づくと、彼は、ある、見知らぬコンビニ店にいた。
研修中の、若い女のコンビニ店員の対応が遅いので、彼は、
「あんたねー。あんたは、やる気、というものがないんだよ」
と、説教というか、愚痴をこぼしていた。彼は不機嫌な顔で、そのコンビニを出た。彼が、そのコンビニ店を去った後、すぐに古倉恵子さんが、やって来た。彼女は、泣いている、女のコンビニ店員に、優しく声をかけた。
「いいのよ。コンビニ店員だって、立派な仕事なのよ」、
となぐさめていた。
彼は、翌日、古倉恵子さんが働いている、セブンイレブン湘南台店に、行った。彼は、古倉恵子さんにも、
「あんたねー。あんたは、やる気、というものがないんだよ」
と、いちゃもん、を、つけた。そこに、見知らぬ男が、現れた。なんと、その男は、水戸黄門の、角さん、だった。角さんは、
「ええい。頭が高い。ひかえおろう。このお方を誰だと心得る?」
と、彼を叱りつけた。呆然としている彼に、角さんは、言った。
「このお方こそは、畏れ多くも、第155回の、芥川賞を受賞なされた、古倉恵子先生であらせられるぞ」
彼は、顔が真っ青になって、「ははー」、と古倉恵子さんの前に、ひれ伏した。いつまでもひれ伏していると、
「山野哲也よ。面を上げよ」
と、古倉さんの声が聞こえた。彼は、おそるおそる顔を上げた。いつの間にか、古倉恵子さんは、杖を持って、服は、紫のちゃんちゃんこ、を着て、水戸黄門の格好になっていた。古倉恵子さんは、おもむろに話し始めた。
「山野哲也。そのほう、たかが、一介の医者の分際で、威張りくさり、社会の弱者である、コンビニ店員を、軽蔑し、見下し、愚弄しつづけてきた、その極悪非道の所業。いささかの許す余地も酌量もなく、その罪、万死に値する。よって、市中、引き回しの上、獄門、晒し首とする」
と、厳しく告げた。
「うわー」
彼は、バッと、飛び起きた。
ハアハアハアハア。
彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。
しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。
時計を見ると、午前2時だった。
周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。
(はあ。夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな。これで、四日連続だ。こんなことは、初めてだ。彼女は、本当に、僕を憎んでいるのかも、しれない。これは、本当に、彼女の、たたり、なのかもしれない)
と、彼は、恐怖した。
その後も、彼は、古倉さんの出てくる、怖い夢を、毎晩、見つづけた。
怖い夢は、あの手この手を、変えて、古倉さんが、彼を殺そうとする、夢ばかりだった。
彼は、それで、ヘトヘトに疲れてしまった。
彼は、芥川賞受賞作家をバカにしてきたので、もう、彼女のいる、セブンイレブン湘南台店には、恥ずかしくて、行くことは出来ない。
しかし、彼にとって、コンビニ弁当は、絶対に必要である。
それで、アパートに、一番、近い、彼女の働いている、セブンイレブン湘南台店は、行くのをやめにして、少し、遠い、ローソンで、コンビニ弁当を買うことにしていた。
しかし、ローソンの、コンビニ弁当には、彼の欲しい、369円の、幕の内弁当がなかった。
なので、ローソンの、不本意な、コンビニ弁当を、買って、我慢していた。
数日が過ぎた。
彼は、彼女に、とても恥ずかしくて、合わせる顔がなかったが、しかし、その一方で、彼女は、芥川賞を獲った後でも、本当に、コンビニのアルバイトを、続けているのか、ということが、気になってきた。
いくらなんでも、群像新人文学賞、だの、野間文芸新人賞、たの、三島由紀夫賞、だの、芥川賞、などの文学賞を獲って、彼女は、もう完全に、世間で、作家としての地位を確立して、小説の原稿料や、単行本や、文庫本の印税収入で、十分に、生活できるはずである。
彼女の芥川賞の、受賞の記者会見でも、彼女は、「これからも、コンビニ店員のアルバイトを続けたいと思っているけれど、店長と相談して決めようと思います」と、彼女は、言った。
「つづけたいと思っている」と、言ったのだから、続けるのか、どうかは、まだ、わかっていない。
さらに。
「店長と相談して決めようと思います」と、言ったのだから、やめた可能性もある。
芥川賞を受賞すると、芥川賞受賞者という、肩書きが、出来るから、受賞者には、出版社から、こぞって、執筆依頼が殺到するものである。
そして、芥川賞受賞者という、肩書きから、傑作でなくても、あまり、面白くなくても、小説を書きつづけていれば、読者は、買うのである。
そういう点で、日本で文学の最高の権威である、芥川賞を受賞してしまえば、もう、あとは、天下御免で、小説や、エッセイを、書き続けていれば、原稿料や、単行本や、文庫本の印税収入で、生活費は、保証されたも、同然なのである。
なので、彼女は、小説創作に、忙しくなって、セブンイレブン湘南台店を、辞めたかもしれない。
そう思って、彼は、そっと、セブンイレブン湘南台店に、行ってみた。
そして、店の外から、そっと、店内の店員に、気づかれないように、店内を見た。
彼は、びっくりした。
何と、彼女が、以前通り、コンビニの店員のアルバイトをしていたからである。
彼は、彼女に、見つからないように、そっと、店の中の、彼女の様子を見た。
客が来ると、彼女は、「いらっしゃいませー」、と、相変わらず、愛想よく、客に、挨拶していた。