小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

人間の感情は、各個人特有の、Y=f(x)の関数である

2016-05-18 23:12:12 | 考察文
人間の感情は、各個人特有の、Y=f(x)の関数である。

xは、自分が、置かれた状況、自分に起こった出来事、であり、Yは、それによって、その人に、起こる感情である。

たとえば、xとして、「人にいじめられた」、という、出来事にしよう。

この時、その人は、相手を、憎んだり、つらさに、悲しくなったり、死にたい、と、思ったり、仕返ししてやろう、という、復讐心が起こったり、勉強や運動で、見返してやろう、と思ったり、人さまざまな、感情が、起こる。

いじめられたから、強くなってやろう、と思ったり、マゾヒストなら、喜ぶことも、あり得る、かもしれない。

それは、人それぞれで、異なる。

たとえば、xが、気温だった、という物理的な事柄の場合は、xが大きくなれば、暑いな、と感じる度合いも増し、大体、人間、皆に共通する、正比例の、関数になりやすい。

しかし、「人にいじめられた」、とかいう、人間関係などの、複雑な、出来事の場合は、人に、起こる感情は、同じではない。

その人、固有の関数 f()がある。

それは、その人が、先天的に生まれながらに具有している、その人間の条件が関与し、その人の、物事に対する、リアクショクであり、起こった出来事に対して、自分が、選択して、とろうとしようとする、その人の心に起こる、思考(嗜好)であり、意志であり、他の人間や、自分の人生に対する、その人のスタンスであり、それが、その人の、identityである。

サルトルが言うように、「人間は自分がつくった所の物になる」、である。

しかし、その、個人特有の関数、f()、は、固定的なものではない。

人間は、変わりうる。

時には、自分の、identityを、捨てることによって、自分の、identityを、得る、ということさえ、起こりうる。
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