小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

西洋人について

2010-01-13 16:32:03 | 考察文
エロティシズム=目的に到達したがらない精神=無限。最終目的がないから終わりがない。

西洋人。肉体が精神を作っている。精神はその肉体に対して鈍感である。肉体と精神の分離。だから精神が分離して、精神は精神だけで極度に発達する。それに対して東洋人は、東洋医学にせよ、精神と肉体をつながったものと見ている。あるいは思考と感情。肉体と感情。つまり西洋では完全な二元論的な物の見方であり、東洋では、もっと一元論的な感性である。だから純粋な精神だけの発達は起こりにくい。日本人。肉体と精神の一致。だから切腹。精神が肉体にあると思っているから。日本の女は、足が太い、だとか、痩せたい願望が強い。日本の女全員が摂食障害といってもいい。それだけ自分の美に対する保持の意識が強い。「あーあ。ふとっちゃった」「食べたいなー。でも我慢」。何と日本女の化粧に凝る事か。アメリカ女にはそれがない。胸が大きいのはいいが、弛んでしまっては格好わるい。尻の肉も付きすぎは良くない。自意識がないのだ。東洋人くらいの体型がちょうど良く、アメリカ人になると、大きな体のあちこちに脂肪がついてくる。

私が日本人の女しか愛せないのは、日本人の精神もある。たとえ、ウエストが十分、引き締まってなくても、それを気にしている(だろう)繊細な感性が好きなのである。精神がシャイだから、動作もシャイ。アメリカでは茶道は絶対、生まれなかった。動作も人目を気にしがち。アメリカ女は自分の肉体に無関心。恥の観念がそもそもあるのかどうか、疑問である。その代わり、ヨーロッパで哲学が生まれたのは必然がある。肉体と顔つきは、一体化している必然がある。だろう。最も美しい女は白人かもしれない。しかし、それは例外的であり。日本人はまるで人形のよう。SM。アメリカ女は恥の観念がないから、日本のような、もっともされたくない事。つまり恥を晒した格好にされて縛られる事には、興奮しない。エロティシズムとは、もっともされたくない事を弄ぶことによって、する逆説の感覚を楽しんでいる悪徳だから。のだから、西洋では、もっともされたくない事とは、支配者による服従であるから、SMも服従の屈辱を弄ぶ事こそが欧米人にとってのエロティシズム。日本人には恥があり、アメリカ人には恥がない。はたしてアメリカの女に神経性食思不振症がいるだろうか。日本の女はプールや海でも、髪が濡れないよう長い髪を束ねて団子にしている。いついかなる時でも美しく見える事を気にしている。男も禿げると、それでも少ない髪をバーコードのようにしている人が多い。腹の出ている人は、腹が出ている事を気にしていないが。髪は気にしている。それと比較すると毛唐は、何も気にしていない。鈍感なのだ。だから、日本のような繊細な伝統、文化、芸術、が生まれないのだ。映画の日本語吹き替えで見ると、アメリカ人も日本人と同じように見えるが、俳優だけは特別デリケートなのだろうか。小説の映画化は特にそうである。それは、そもそも小説家という人種はデリケートだからだろう。
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