小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

時間は存在しない

2021-03-04 04:13:03 | 考察文
時間は存在しない。
不眠で眠れないので、くっだらない、記事を書くことにする。
(書けることは、無限にあるのだが、ブログのゴミ雑文記事は、あまり書く気がしないのだ。僕は、小説しか、書く気がしない)
(今、デコハゲクズの、狂った緊急事態宣言の延長で、毎日が苦しく、不眠で、小説が書けない)
なので、くだらない、ゴミ雑文を書く。

以前、2016年12月24日、で、このブログで、「時間は存在しない」、という記事を書いたが、あれでは、ちょっと、わかりにくい、と思うので、別の説明の仕方をする。
人間は、三次元の世界(空間)、の中に生きている。
なので、三次元、で、時間が存在しない、ことを、説明すべきなのだが、それだと、わかりやすい説明が思い浮かばない。
なので、二次元(平面)、で、説明する。
二次元、で、説明しても、時間の存在、の問題、は、納得させることが出来ると思うからだ。
こういうものを、考えて欲しい。
こういう物は、見たこととがある人も多いと思う。
500ページくらいの、枚数の多い、ノートのページの隅に、漫画の動物の絵を書く。
そして、次からの、ページでは、動物がほんの少し、動いている、絵を書く。
ほんの少しの動きなので、見ている人は、ほとんど、見分けが、つかない。
次のページでも、同じように、また、動物がほんの少し、動いている、絵を書く。
その繰り返し、の絵を、500枚、書くのである。
そうして、500枚の、ページを、サラサラサラっ、と、めくる。
そうすると、動物が、あたかも、動いているように、見える。
(要するに、アニメである)
これで、「時間」、というものが、説明できるように思う。
多くの人は、一枚の絵、が、「現在、という、一瞬」、で、その「一瞬」、「一瞬」、のつなかりが、無限に続く、ことが、「時間の流れ」、である、と思っている、のではないか、と思う。
世界は、それの、三次元(空間)版、である、と思っているのでは、ないか、と思う。
しかし、違うのである。
二次元(平面)、というものは、概念なのである。
一次元(線)、も、二次元(平面)も、三次元(空間)、も、唯物論的に言うと、「存在しない概念」、なのである。
(間違い。三次元の空間は、存在しうる)
二次元(平面)、は、概念なので、厚みは、ゼロmmなのである。
しかし、動物の絵、を、書くためには、どうしても、厚みのある、紙、という物質が必要なのである。
紙の厚みを、極めて、薄くすることは、出来る。
トレーシングペーパー、などは、0.1mm、くらいだろう。
しかし、絵、を、書くためには、どうしても、厚みのある、紙が必要なのである。
だから、二次元的(平面)、で考えてみると、「一瞬」、であっても、「一瞬」、に、「厚み」、というものが、存在する、となると、あたかも、100億万円の、(いや、無限の)、札束を並べるようと、塵も積もれば山となる、で、「無限の時間の流れ」、というものが、存在する、という錯覚が起こるのである。
しかし、平面(厚みのない概念)、に、絵を描くことは、出来ないから、絵を描くためには、厚さのある、紙、が、必要となるのである。
しかし、平面(という概念)、では、厚さ、は、あってはならない、ゼロだから、「時間の流れ」、は、存在しない、のである。
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これで、わかりやすい説明になったか、どうかは、自信が無い。
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さて、ここで、次に、こういう疑問が起こるだろう。
物理学では、時間の存在、を、認めているではないか、という問題である。
速度は、km/h、であらわされ、エネルギーは、E=1/2mv2、として、あらわされる。
そして、それで、物事の現象を、ちゃんと説明できているではないか、という疑問である。
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この答え。
結論から言うと、「時間」、や、「時間の流れ」、というものは、存在しなくて、「物の変化」、があるだけなのである。
ではなぜ、物理学で、「時間」、というものを、使うことが、出来るのか。
それは、自然界に、規則正しく、「変化」しているものがあるからである。
(万有引力のおかげで)
それは、月の地球の回りの公転、であり、地球の、太陽の回りの公転である。
特に、月の地球の回りの回転の方が、わかりやすい。
月は、28日で、地球の回りを一回転する。
(ちょっと、正確性を欠くが)
この、「正確な変化」、を、元にして、それを、均等に、細分化していって、それに、「時間」、という、言葉を名づけたのである。
だから、時間は、12、を元に、表現されるようになったのである。
1日は、24時間であり、(12×2)、一時間は、60分、であり、一年は、12カ月、なのである。

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