かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  258

2021-07-05 15:16:21 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究31まとめ(15年9月)
    【はずかしさのまんなか】『寒気氾濫』(1997年)107頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


258 芹青きながれに指を差し入れてわがとこおとめ登校をせず

     (レポート)
〈解釈〉芹が青々としている水辺に指を差し入れて遊んでいるわたしの常乙女は学校に行かないのだよ。
〈感想〉「とこおとめ」はとこしえに若い女、いつもかわらぬ若々しい少女、という意味だが、連作として読めば、257番歌(少女の胸真っ平らなり蘆の芽のむすうに尖るすぐろ野に立ち)の「少女」と同一人物とも思え、作者の娘さんかとも思える。一首にはどこか翳りが感じられる。なかなか学校に行きたがらない苦しい状況なのだろうか。(真帆)


      (当日意見)
★何か屈折した思いをされているんでしょうね。(石井)
★この一連は初めからおしまいまで娘さんのことを詠んでいると思います。「登校を
 せず」ときっぱり言っていらして、親の気持ちが出ていると思います。(曽我)
★子のことを否定していないと思います。上句を見ると肯定している気がします。
  (慧子)
★これ、見守っている姿勢ですよね。普通は学校へ行かないすねた様子の描写とかに
 なるところを、この上句がとても清新で、純粋なこころの娘を象徴してますよね。
    (鹿取)
★「とこおとめ」という言い方がいいですね。(鈴木)
★この古語が活きていますよね。万葉集などに歌の例がありますけど。(鹿取)


     (後日意見)
 「とこをとめ」の歌の例。伊勢神宮に参詣する十市皇女(とうちのひめみこ)に随行した吹黄刀自(ふきのとじ)が詠んだ歌というが、吹黄刀自は伝未詳。
 河の上(へ)のゆつ磐群(いはむら)に草むさず常にもがもな常処女(とこをとめ) にて(万葉集1-22)
十市皇女に対していつまでも今の若いままでいてくださいと詠んでいる。258番歌の情景は、この万葉集の歌の磐群あたりがヒントになったのかもしれない。(鹿取)

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