かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 50

2023-05-25 10:53:55 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究6(13年6月実施)wa
     『寒気氾濫』(1997年)橋として
      参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      司会と記録  鹿取未放
                   

50 ひっそりと蝦蟇ひきかえす断念を見届けてのち口をつぐめり

     (当日意見)
★レポーターは「蝦蟇」を「がま」と読まれたけれど、「ひき」でしょうね。ヒ、
 ヒ、ヒって頭韻を踏んでいる。(鹿取)
★私はこの「口をつぐめり」を何だろうかと思ったのですが。(慧子)
★口をつぐんだのは渡辺さんで、引き返したのは蝦蟇。それまでは何かしゃべって
 いたのを止めた。(曽我)
★考えを披瀝しようとしていたのを止めた。(慧子)
★この蝦蟇はたとえば獲物を狙っていたけど捕れそうにないと断念して引き返した
 のかもしれないけど、その姿を見ていて〈われ〉は何か大きなもの、とても深い
 ものに行き当たって、それで口をつぐんでしまった。情景はとってもリアルでユ
 ーモラスなんだけど、蝦蟇の引き返す姿から言葉にはならない何か大きなことを
 感じ取った。(鹿取)
★これはほんとに蝦蟇ですか?それとも何かを象徴しているのですか?(曽我)
★象徴より本物の蝦蟇を見ている方が面白い。いや、別に実際にはいなくてもいい
 んですよ。だけど歌の上では現実の蝦蟇が引き返す姿を見ている。人間の象徴だ
 とか自分の投影だとかいったら歌は全く面白くない。あの蝦蟇の姿を読者にリア
 ルに想像してもらうことがこの歌では効果的なんです。この歌は大好きな歌です。
 この一連、「45 キャ ベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のよう
 にくらくらとする」「47 児がじっと見ている沼の奥みれば真っ黒き木の沈み
 てゆけり」「49 渾沌のわ れなりしかど石膏の顔ひややけきかたわらに居つ」
 は特にそうですが、いわゆる 実存ということを考察した哲学的な歌ですね。
   (鹿取)
    

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