かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  365

2021-12-02 17:31:49 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究44(2016年12月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P148~
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


365 触れんばかりの碧空があり今日こそは樹冠が何かしそうな気配

   (レポート)
 碧空をあこがれる者にとって、それはふれんばかりなのに、触れられないもどかしさがある。つねづね、そんな想いを抱いていると高木の樹冠が今日こそ何かしそうな気配だという。作者のみずみずしいあこがれは樹冠や碧空にある。(慧子)
 

    (当日意見)
★今日こそ樹冠が何かしそうというのは光合成ではないですか。樹冠は光合成をする所ですか
 ら。(曽我)
★何かいいことがありそう。木の先の方に希望がありそう。(M・S)
★樹冠が何かしでかしそうだ。レポートに「ふれんばかりなのに、触れられないもどかしさがあ
 る」とあるけど、これは違うのではないか。ふれんばかりって、そういう意味ではない。ふれん
 ばかりって、作者ではなく木が碧空に触れそうにあるということでは。(真帆)
★ふれんばかりって、普通によく使いますよね。手が届きそうな感じって。この場合は〈われ〉に
 とって、でいいと思うけど、樹冠でもいいのかな。何かしそうの具体はレポートには書いていな
 いので、曽我さんが光合成っておっしゃったんだけど。光合成はいつでもしているわけで、「今
 日こそは」には合わないですね。(鹿取)
★先端の動きが先鋭になってきて、いたずらでもしそう。(真帆)
★そうですね、空に届こうと背伸びしそうとか、そんな感じかしらね。(鹿取)

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