かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 227

2023-01-01 10:56:40 | 短歌の鑑賞
       新年おめでとうございます♪
       今年も「かまくらdeたんか」、よろしくお願いします♡

   2022年度版 渡辺松男研究2の29(2019年11月実施)
     Ⅳ〈悪寒〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P145~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


227 掬いては日溜りをたべ枯れ葉たべ過食症なるやわれ痩せてゆく

     (レポート)
 本当の「過食症」によって痩せてゆくのは大変辛い症状だと聞く。しかしこの一首はそれほど重い意味ではなく、慢性的な食べ過ぎ、くらいにとって良いように思う。(泉)  

    (紙上参加)
 日溜りや枯れ葉ばかり食べていたら私は痩せていくよ、と。秋の気持ちのいい日溜りや、堪能している感じ透明感があり快い歌。菊の花をたくさん食べた時に仙人のような気分になるのと似ている感じです。(菅原)


     (当日意見)
★過食症や痩せていくということから心地よい歌だとは思いませんでした。(岡東)
★菅原さんが「美しい落ち葉を味わい」と書かれているけど、枯れ葉をここで作者は美
 しい物として設定しているかなあと疑問です。「拒食症なるや」と疑問形ですが拒食
 症は食べても食べても満足できないので苦しい病気ですから快いには繋がらない気が
 します。川野里子さんがこの歌だか先々月鑑賞した「われひとりひとりであれば蟬を
 食べいいようのなき午後のしずけさ」だかについて鑑賞文で「かわいそう」と書かれ
 ていたのですが、その文章が見付からなくて、ごめんなさい。(鹿取)
★日溜まりと枯れ葉をどうとるかって事ですよね。日溜まりと落ち葉では駄目だった
 と思います。季節に対するデリケートな反応だけど虚ですよね。どんなに食べてもそ
 れは虚であって実じゃないから太らないですよね。焦燥感とか飢餓感を言っているの
 かな。渡辺さんは具体を持ってきているけど抽象的なことを言っている。(A・K)
★歌の中に「われ○○」と断りがある歌がありますが、やっぱり断りがなかったら主語
 はわれって考えていいのですか?(泉)
★そうですね。われをわざと計算で入れない場合もあるし、音数が足りなくて入らなか
 った場合もあると思います。書いてなければわれと読んでいいとは思いますが、われ
 =渡辺松男では決してないのでそこは注意が必要だと思います。A・Kさんがおっし
 ゃったあように、ここは焦燥感とか飢餓感をうたっているように私も思います。
   (鹿取)

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