かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の短歌鑑賞  323、324

2021-10-01 16:50:27 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究39(2016年6月実施)『寒気氾濫』(1997年)P133
  【明解なる樹々】『寒気氾濫』(1997年)133頁
   参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子   司会と記録:鹿取 未放


323 ぶつけあうこころとこころ痛すぎて樹々のみどりへ眼そらせり

     (レポート)
 場面として2人以上そこにいて、近景か遠景か樹々のみどりがある。意見の相違などとは違ってもっと切実な人間関係、愛などにかかわれるもののように読み取れる「ぶつけあうこころとこころ痛すぎて」から四、五句へ続くのだが、確かにみどりには心の状態を快復や解放へ向かわせる力がある。(慧子)
 

     (当日意見)
★この歌読むとさっきの歌(木から木へ叫びちらして飛ぶ鵯が狂いきれずにわが内に棲む)に
 ついてM・Sさんがおっしゃった夫婦げんかという解釈が説得力をもちますね。(鹿取)


324 世紀末地球の肌に芹・野蒜・土筆を摘みてやるせなかりし

  (レポート)
 春の野に出て草摘みをしていよう。古代ならばうちたわむれたり、男女の愛の場だったりするだろう。掲出歌は現代、地球の抱えている温暖化、土壌汚染を思えば、この行為のひとときの幸を、また摘み取った草々をもふくめて切なく思うのだ。(慧子)
 

     (当日意見)
★世紀末に焦点が当てられていますね。「地球の抱えている温暖化、土壌汚染を思えば」とあり
 ますが、そこまで思っているのでしょうか。あの頃、世紀末思想というか、末法思想ではない
 けど悪いことが起きるというようなことがいわれていましたよね、そういう反映かと思いました
 が。(石井)
★私は「やるせなかりし」という部分が最初読んだときよく分からなかったのですが、レポー
 ターの文章を読んで、なるほど世紀末を迎えて破壊されそうな地球の肌を作っている芹・野
 蒜・土筆を自分はまだ古代の人と同じように草摘みをして喜んだりしているけれど、これが
 地球を滅びに向かわせることを切なく思うのだというのがよく分かりました。(真帆)
★草摘みをすることが地球を滅ぼすとは思いませんが。また、「地球の肌」って面白い表現で、
 ここが眼目ですが「地球の肌」から芹たちを摘んでいるのであって、芹たちが「地球の肌」
 を作っているのではないですよね。それから世紀末思想って19世紀末には終末論が流行 
 って特に芸術上でデカダンの気分が蔓延しましたけれど、20世紀末は少し違う感じだった
 ように思います。2000年問題とかITの世界で深刻な問題があったりしましたが、滅び
 の思想とは質の違うものだったように感じています。だから思想上の問題よりは温暖化、土
 壌汚染の問題の方が作者の頭にあったように思います。(鹿取)
★命を摘み取ることの切なさを、摘む行為、摘み取った草々どちらも切ないと、レポーターは
 解釈されているように思います。(真帆)


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