2014年度版 馬場あき子の外国詠34(2010年12月実施)
【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵してここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
260 秋の水みなぎるとなく逝くとなく白馬江あかき夕日眠らす
(レポート)
メッセージ性の強い赤でありながら、夕日の場合は、没細部的な景となり、充足や安堵へ導かれるだろう。掲出歌は作者と白馬江の距離のためか「みなぎるとなく」「逝くとなく」として静的な大景が示されている。この二つの否定は悠然たるうちに生きていて永遠のような感じを導き出している。また「秋の水」「あかき夕日」の二つのア音のあかるさが働き、「夕日眠らす」という終末ではない大景へ自然に落ち着いている。印象深い動詞を3カ所配しながら、どれも邪魔にならず、大きな息づかいのうちに仕上がっているのは、白馬江の名による歴史性へのふかい感慨のゆえであろう。(慧子)
(当日発言)
★否定語を2度も使っているのに、こせこせしていなくて、ゆるやかなリズムが白馬江
の雄大な景を見せてくれる。白馬江という地名の白と夕日の赤の対比は、下手をする
とわざとらしくていただけないが、ここではさりげない仕立てで成功している。また
結句の「夕日眠らす」が独特で、普通は「夕日に輝く」とか「夕日に映える」とかの
客観描写にするところを、白馬江を主語にして「眠らす」とその包容力を讃えてい
る。とうとうと流れる大河ではなくゆったりとたゆたっているゆえに、白馬江が夕日
を入れる揺籃のようで、作者の感動もよく伝わってくる。(鹿取)
【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵してここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
260 秋の水みなぎるとなく逝くとなく白馬江あかき夕日眠らす
(レポート)
メッセージ性の強い赤でありながら、夕日の場合は、没細部的な景となり、充足や安堵へ導かれるだろう。掲出歌は作者と白馬江の距離のためか「みなぎるとなく」「逝くとなく」として静的な大景が示されている。この二つの否定は悠然たるうちに生きていて永遠のような感じを導き出している。また「秋の水」「あかき夕日」の二つのア音のあかるさが働き、「夕日眠らす」という終末ではない大景へ自然に落ち着いている。印象深い動詞を3カ所配しながら、どれも邪魔にならず、大きな息づかいのうちに仕上がっているのは、白馬江の名による歴史性へのふかい感慨のゆえであろう。(慧子)
(当日発言)
★否定語を2度も使っているのに、こせこせしていなくて、ゆるやかなリズムが白馬江
の雄大な景を見せてくれる。白馬江という地名の白と夕日の赤の対比は、下手をする
とわざとらしくていただけないが、ここではさりげない仕立てで成功している。また
結句の「夕日眠らす」が独特で、普通は「夕日に輝く」とか「夕日に映える」とかの
客観描写にするところを、白馬江を主語にして「眠らす」とその包容力を讃えてい
る。とうとうと流れる大河ではなくゆったりとたゆたっているゆえに、白馬江が夕日
を入れる揺籃のようで、作者の感動もよく伝わってくる。(鹿取)
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