かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の22

2020-05-17 19:06:14 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究3(13年3月)【地下に還せり】
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       司会と記録:鹿取 未放


22 恍惚と樹が目を閉じてゆく月夜樹に目があると誰に告げまし

 ★月の光が空にあがって西の空に落ちてゆくまで、そういう月の光の推移する時
  間を自分が樹になったような感じで歌われたのではないか。(慧子)
 ★自分が樹になって月の光の強弱を感じているというのは分かる。でもそれを感
  じるのは普通樹皮のようなものかもしれない。目で追いながら感じるものでは
  ないような気がするのに「樹に目がある」というのはどういうことなのか?誰
  にでも感覚できることではない。(鹿取)
 ★月の光の強弱を樹の肌で感じるというのは普通の人間の感覚。それを樹の目で
  感じているところが渡辺さん。下の句は誰か言う、とか馬場あき子の歌にもた
  くさんある。(慧子)
 ★馬場先生の歌は自分の内面のつぶやきのようなものを誰かが言ったよという形
  で表現したものがたくさんありますね。でもここは「まし」だから文法上の意
  味はいわゆる「ためらいの意思」ですね、だから馬場先生の歌とは違う。樹に
  目があると誰に告げようか、誰に告げてもきっと信じてはもらえないだろうな、
  でも自分は樹に目が有ることを知っているよという気分でしょう。でもそれは
  日常的感覚では誰にでも納得してもらえることではないので、そのあたりをレ
  ポーターの崎尾さんはどう考えるの?ということを聞きたかった。(鹿取)
 ★人間も深くものを感じたいとき目を閉じるが、樹にもそういうことがあると渡
  辺さんが感じていらっしゃるのかなあと思った。あまりにもほれぼれする月光
  だったので樹は目を閉じたのかなあと思う。(崎尾)
 ★やわらかい月の光のなかで目を閉じる樹というのは分かる気がする。(曽我)




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