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いい加減な借り方だから、市立図書館の本を読んでも今一つ気分が乗らない。堅い頭だから仕方がない。ただ先週借りたインタビュー集「あなたを選んでくれるもの」は久しぶりに好かった。著者は2005年カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した1974年生まれの米国ミランダ・ジュライさん。返本しながら帰りがけの図書館で別の好い1冊を探したい。としながら今、職場でググったら著者メッセージ動画と出会え、返本をどうしようかとしておる。
発展性に乏しい私は何年(何十年かな)もまえに気に入ってしまった=考えなくとも好い 本を枕元に置いて愉しむ。一時期は「街道をゆく」司馬遼太郎だったが、突然嫌になった。ここ数年は何度も読む「津軽」その横に「西郷隆盛の道」、そして娘が持って行ってしまっている=返せと催促せねば の「日本縦断旅日記」&「白川郷へ」。全部作者はアラン・ブースさん;1946年英国生まれ、1992年に永住権取得にもかかわらず翌年46歳で癌にて逝去。惜しい。柴田京子さんの訳とのマッチングが絶妙に思うのだが、もともとアランさんの日本語表現が好かったのかな・・・おかげさまで日本と日本人とを見直しております。以下に気に入った文章を。コピペでは失礼なので(今、職場でこっそり)「津軽」を読みながらテキスト手入力している。
なお、一緒にある本はもう一冊の夜のお伴。学生時代に無理して求めた、ガモフ(ウクライナ生まれの米国理論物理学者1904~1968年)全集のたった一冊No.6「1,2,3・・・無限大」。頭もないのに読んだつもりでも何にも糧になっていない。読み直せるかなぁ?もう一つ写ってあるのは賢妻のお勉強読本。
太宰の「津軽」をリュックの友として津軽を歩くアラン氏が暮れの雪の村落に居る。
テレビのクルーがナマハゲの密着取材を村民に申し込むものの、相手にされずに丁重にお引き取りを願わされたのに対して、アラン・ブース氏は『その顔、そのものが鬼じゃないか』との村民の賛意でナマハゲの一員に加えてもらう。さて・・・・(以下テキストママ入力)
~~ところがこの僕は、七軒の家の玄関に押し入り、七軒の家の七つの炉辺に腰を落ち着け、およそ百杯ものただ酒を飲ませてもらったのだ。その上に、正月が明けると村人たちを先導して、彼らの神霊に新年のあいさつをした。この話を聞いたら、おおかたの日本人はいうだろう。日本では外国人にかような親切と思いやりをもって接するのであり、自国の「文化」を部外者にわかってもらいたがっていることの好例であると。ぼくは、自分が外国人―部外者の骨頂―であることを疑わない。鬼どもだって部外者である。彼らは、湖をわたり、不毛の山からやってくるのだ。彼らは奇怪であり残虐非道だ。ひとを脅しものをぶち壊す。そしてぼくが受けたもてなしは、彼らに対するもてなしとまさしく同質だった。彼らは、一年三百六十五日のうちのたった一晩、この夜に限り、招じ入れられ、ちやほやされ―しょうがないとがまんしてもらえる。残りの三百六十四日は、近づかずにいてやるよ、と約束するわけだ。
ぼくはビールを飲み終えた。太陽が顔を出していた。ぼくは、ぼくなりの訪問儀礼をおこなうために弘前(アラン氏によれば;ずいぶんと前にヒロセキィ~ との駅アナウンスに惹かれて下車し、その後の色々を経て、日本の中で一番気に入っている と)のほうがくへと、どかどか歩いて行った~~
この書式で、すっきりと切り取ってくれてうれしい。また他に気に入った文を紹介します。あ、たしか「津軽」の中で恐山のイタコから『おまえは以前津軽で生まれたのじゃ』など言われ、書の終わりの方では『む すずむうぅん~ん が いぃ~』と氏には聞こえた(と記憶する)蜆貝売りの声が掲載されていて、好い余韻**帰宅後、「津軽」表紙をアップしよう
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