地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



これも時たま使う言葉なのに、柄にもなく考えてみるとワカラン。
精神的な気と心がこんがらがってくる。物質形状の無いもの(奉仕の気持ち など)を人の為に使うとき、決して”気は心”でない。 

”goo辞典;額や量は少ないが、真心をこめているということ。贈り物をするときなどにいう言葉。「―ですから、少しだけ値引きします」” 

検索を続けると、気は心の持ちよう も出てくる。そして、次の解に落ち着いてしまう。ま、そんなものであろう。何かをしないとムズムズする気持ちを落ち着けるために、自分の為にする”気は心”である。私ごときには、ナカナカ人の為に とはまいりません。

解の例=”「気」とは何かをやろうとする思いや、何かを思いつくことを指します。「心」とは喜びや楽しさといった精神作用、また思いやりのことなどをいいます。したがって、このことわざはもともと誰かのためにすることは自分の喜びになる、という意味でした。それが段々と、わずかなことであっても、人のためになにかすることは真心の表れである、という意味になったのです。


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