『京都で、鬼門を嫌う、本当の理由をご存知でしょうか!』
我が国で、『鬼』が登場するのは、700年前からです。
この頃、日本では、何が起こっていたかを、皆さんはご存知でしょうか?
そもそも、日本には、5000年程前に、南方の民族がやってきて、その後、
2000年程前に、北方の民族がやってきて、混血になって『ヤマト民族』が誕生
します。
更に、900年程前には、今のモンゴルあたりから、今の青森県の日本海側に、
『大人数の移民』がやってきます。
彼らは、『海賊』として、日本海を荒し回り、やがて、
青森県の『十三湖』周辺に、当時の人口で10万人の
街をつくりあげます。
実は、『10万人の人口』と言うのは、当時の京都の
人口よりも多かったのです。
…これに、危機感を抱いた『イケズな朝廷』は、都から
東北の方角にある、『海賊の街』に軍隊を送り込み、
『海賊を一掃しようとします!』
…ところが、『戦術にたけ、優秀な鉄の武器』を有する
『海賊』に朝廷の軍隊は、全く歯がたたなかったのです!
それで、都では、『うしとらの方角』(東北)には『鬼』
が居て、トラの様なパンツを履き、頭には角があり、鉄の武器を装備し、人の肉を
喰うと、言われたのです!
そんな、『鬼』は、青森では『神様』です!
『豊作』『金運』『家内安全』『航海』の神様です!
…ですから、青森県の津軽地方では、節分の時に、『鬼は外、福は内』とは言いません!
『福は内、福は内』と言って、豆を投げずに、種をまく様に、大地にまきます。
『皆さんも、今年の節分は、福は内で!』
『イケズな京都人は好きにしなはれ!』