『日本の歴史は、支配者のモノ! 実は、日本の海賊は最先端の文化を持っていた。』
歴史というものは、『支配者が都合の良い事だけを、書き残した記録です!』
その『見せかけの歴史』の裏には、『ダイナミックな歴史の真実』
が、隠されているんです!
先のブログにて、『鬼は外!』や、『鬼門』
と言うモノは、京都の朝廷が、今の津軽地方で勢力を拡大していた、『安東水軍』
を恐れて、考え出したものである事は、既に説明しました。
…その『海賊の10万人の街』は、今の青森県の十三湖周辺にありました。
この十三湖は、700年前は『海賊の港』だったのです!
この港には、いつも、外国の船が停泊し、『海賊と貿易をしていました!』
それら、外国の船は、大陸の船ばかりでなく、今の中東、イラクのあたりからも
来ていました。
そして、港に近い場所には、『木造3階建ての外国人娼婦の館』が
あり、港のランドマークになっていたそうです。
この『娼館』は、『日本最古の木造三階建て』
の建物であり、『イスラム様式で建築された』日本最古の建物と言う
事になります。
残念な事に、『海賊の街』は、日本海沖で起きた『海底地震』で
発生した、大津波で壊滅し、『歴史から姿を消します!』
今でも、満月の夜に『十三湖』の辺りに立つと、『イスラムの人達の会話』
が、湖底から聞こえて来ると言います!
『日本にも、ワンピースの世界が、あったのです!』
『そして、生き残った海賊は、何世代か経て、津軽藩をつくります。』