今日は職場の部下たちと忘年会。
飲み放題とかでしたが
ま、そこそこで切り上げました。
だってあさってから
またまた土曜の忘年会2連荘。
飲むのは最小限にとどめなくては・・・
ということで
首尾よく一次会で切り上げたのだが
最寄の駅前で知り合いにばったり!
結局二次会でチューハイを
いただいて帰りました。
ま、そういうつきあいは
大事にしないとな。
ようやく開放され
帰宅の電車に乗った。
二人がけの座席が空いてる。
しめしめ~
と座ったのが大間違い。
隣に来たのが、酔っ払いのおっさんだった。
「にいちゃん、忘年会かあ」
ん?にいちゃんとな。
いい人かも?
と思ったのは大間違い。
「わしなんか、もう忘年会なんか
あれへんわ。今日も一人で飲んでたんやあ」
「そらさびしいなあ」
「にいちゃん、話しわかるがな」
「誰でもわかるがな」
「わしはなあ、某企業に勤めとって
肩たたきやあ・・・」
それから、うだうだといっぱい話を聞かされて
挙句に話の途中で寝てしまいよった。
「お前は、井上タツオかあ」と突っ込みたくなりましたが
起きられても困るので
そっと寝かしておいた。
無事、doironは目的の駅で
そろ~と降りたが
そのおっさんの降車駅はどこなんやろ。
電車は御坊行きだ。
目が覚めたらびっくり仰天も
ありえるよなあ。
ここはどこ?私は誰?
ってなるに違いない。
いくら、のんきに暮らしてるったって
ああはなりたくないもんじゃ
あ~あ、今年はここまで忙しく
doironの最大の楽しみである
高校駅伝の戦力分析が全然出来ていない。
通常なら都道府県予選からだけでなく、
インターハイの長距離あたりから
追跡をし始めているのに
今年は各都道府県の代表校さえ
わかっていないところも多いという状態だ。
昨年はかなりデータを蓄積し
その展望を予想していた。
都大路へ実際に見に行こうと思っていたからだ。
ところが、直前のあの宝塚の出来事が
doironの上京の楽しみを奪った。
それでもあきらめきれずに
病室のベッドで予想した
優勝校は男女とも見事に的中したんもんね。
展開もほぼ予想どおりであった。
今年は唯一、風の便りに聞くところでは
今年の仙台育英男子の強さが
際立っているということくらいだ。
本番まで、あと6日。
今年は用事で行けなさそうだが
テレビの前にオッチンして
しっかり鑑賞するよ。
テレビでパブリックビューイングだ。
スポーツバーの開店だ!
ミセスdoironにも
そのときは用事も一切しないからと
すでに告知済みだ。
だからそれまでネットも駆使して
できるだけデータを収集し
しっかり展望を固めておこう。
え?そんな予想はよそう?
いやいや、こういうのも
駅伝鑑賞の楽しみ方の
ひとつなんじゃて。
この勉強は無駄にならんよ。
将来の箱根駅伝や実業団駅伝の
展望へとタスキをつなげていく
まさしく、”駅伝”的な楽しみ方なのであーる。
いよいよ佳境に入って参りました。
忘年会。
明日は第7弾。
そして、しあさっては第8弾。
身体に気をつけないとなあ。
でもねえ、集まるメンバーごとに
いろいろ語り合うことになって
ついつい遅くなってしまうんだよなあ。
とっとと寝ます
あ~あ、昨年もこんなペースで
忘年会をこなしながら
無理してマラソンに参加してたなあ。
自分ではそんなに無理していたつもりは
なかったのだが
身体に負担がかかっていたんだろうな。
年末の宝塚事件は
そんな延長だったのかもしれないな。
といった教訓を、いかして・・・
ないない。
懲りずに今年もお呼びいただいた
忘年会にはせっせと顔を出しているのだ。
今夜の忘年会は
学校の校長や教頭先生の
集まりであった。
総勢84名の大宴会だが
どういう加減か、お酌の嵐であった。
ざっと50人にお酌されただろうか。
ちょっと口をつけては
注いでいただく、
それだけでもコップ5杯くらいは
軽く飲んでいるだろう。
これがもし
沖縄の宮古島地方の風習である
オトゥーリだったら
間違いなく急性アルコール中毒だな。
え、オトゥーリってわからん?
ま、酔った頭で説明するのは
面倒なので、各自調べていただくとして
帰り道、地震計が誤作動していたために
電車が遅れていた。
その取材に来ていた
新聞記者に駅を歩いているときに
目ざとく「doironさ~ん」と呼び止められ
取材を受けたわけだ。
混乱で何か支障ありましたか?
との問いで、マイクを突きつけられたときに、
「オシッコちびりそうでした」とでも答えていたら
明日の新聞に
通勤途上の男性(55歳)は
失禁しそうだと語っていた。
と、こうなってたかもねえ。
幸い混乱もなく
何とか電車で帰路に着いたdoiron。
今年中には後何回くらい
こんな夜を過ごすんだろう
スマホを使うようになって、
多用するようになったのが
「十字打ち」。
スマホじゃない人、および
背伸びあるいは好奇心から
スマホを買ったものの
使いこなせていないとお嘆きの
あなたのために解説しますと、
例えば「もみじ」と入力したい場合。
これまでだったら
「ま」を5回タッピング、
同じく「ま」を2回タッピング、
さらに「さ」を2回タッピングして
濁点キーを押す。
と、こうなりますね。
ま、慣れていれば、
タッピングも目にもとまらぬ速さで
できるようにはなりますが、
この場合「も」と「み」の間で
一度確定ボタンも押さねばなりません。
では十字打ちの場合はどうかというと、
「ま」に指を置いて下にスライド、
ふたたび「ま」に指を置いて左にスライド、
そして「さ」に指を置いて左にスライドさせ
最後に濁点キーに触れる。
とこうなるわけですね。
慣れれば、超速タッピングより
いっそう早い
文字入力が可能となります。
ただし、ボタンと違って
画面上の一定の場所に
狙いを定めて指を置かないといけないので、
親指や小指(そんな人はいないと思いますが・・)だと、
見当違いになったりすることがままあります。
細かい作業、
頭を使う作業と
いろんな意味で
ボケ防止にもつながるなあと
思いつつ、ふと脳裏をよぎったのが
いつ親父が「スマホを買ってくれ」と
言い出すかという不安であった
doironなのでした。
かくしてますます手軽に文書を作って
メールを送れる時代だ。
そんな中で
送る相手を間違ったり
文字の変換を間違えて
のっぴきならない状態に
陥った人も、この広い世間には
少なからずいるでしょうねえ。
便利な十字打ちも
打ち方ひとつで
「喜劇」
が
「悲劇」
になることも、
あるかもしれないので
みなさんご注意を・・・
このブログも、間もなく1700話を迎えます。
書きも書いたり、
読みも読んだりで、
ずっとお付き合いいただいている読者の皆さんには、
ご苦労様とありがとうを申し上げる次第です。
かなり前から、
このブログデータの保存作業に着手しているのですが、
少し間があくとすぐに溜まってしまい、
なかなか最前線にまで追い付いてきていないのが現状です。
それでも1年位前までは、
何とか保存を終えました。
保存の仕方としては、
データをすべてワードのデータに変換し、
外付けのHDDに落としていってます。
いずれこれをCDなりに落としていこう
と考えているんやけどね。
それにしても、すごい技術やねえ。
そんなブログに綴ったdoironの想いも、
写真に撮影した数々の思い出も
すべて0と1、ONとOFFで記録されるんやもんなあ。
一体世の中にどれだけの0と1があるのかと思うと、
これはもうまさに無量大数のレベルだろうな。
だがしかし、そんな膨大な
doironのブログデータも
CD一枚に十分収まる程度でしかない。
毎夜毎夜、パソコンに向かっている
こんな時間のすべてが
CD一枚とは・・・とほほ
てことは、多分生涯をついやしても
DVD一枚がいいところなんだろうな。
人生っていったいどんなけのものなんだ?
絶好の祭日和の秋晴れの下
今年の祭が幕を閉じた。
今年も無事故でええ祭でした。
初めての定点警備も
ええ経験になりました。
警備と言うことで
いつものdoironと、
かなり様相は異なるが
いつもと同じこだわりは
今年も実行した。
「祭期間中はヒゲをそらない」
つまり、刃物は当てないということに
昔からこだわっている。
おかげで今日はひげまむしの
doironでしたあ。
ま、途中パレードで一回だけ
だんじりの前に乗ったから
ジンクスを守っててよかったんやけどね。
定点にいると
いろんな友達が声をかけてくれる。
これまで他町のだんじりのやりまわしを
じっくり見ることも
できなかったから
それもよい経験でした。
祭り関係者や見物人の中には、
同級生もたくさんいました。
そのうちの一人とこんな話をした。
その友人は子どもの頃から
白髪頭だったので
あだなは「じいちゃん」でした。
さぞかし子どものころは
いやだったでしょうな。
でもねえ、今や同級生はもうみんな
歳をとってじいちゃんになりつつあります。
「お~い、じいちゃん、ひさしぶりやなあ」とdoiron。
「おお~、元気にしてるか?」と返事をくれたので
「あかんわ。もう今や同級生はみんなじいちゃんやなあ」
と、肩を叩き合ったのさ。
昔同様の時間がそんなふうに
鮮やかによみがえってきた二日間は
普段とはまったく別世界の二日間でした。
遠い夢の世界に行ってたみたいな
今年の祭。
さ、明日からまた来年の祭が始まる。
今朝起きて、カレンダーを見ると9月9日。
重陽の節句、もしくは菊の節句である。
待てよ、てことは確か今日は・・・と思い、
愛犬グーに聞いてみた。
「もしもし君の誕生日はいつだったけ?」
そしたらグーちゃんが答えた。
「くぅ~(9)。くぅ~(9)」
そうかそうか、今日は君の誕生日でした。
ハッピーグースデイ
で、君はいくつになったのと再び聞いてみると
「ワン(1)、ワン(1)」だって。
そうやね、グーちゃんは2000年9月9日生まれ。
今日で11歳になる。
う~ん、君は天才犬だ~
犬の11歳は人間に換算すると、
およそ60歳だそうだ。
そういえばようやくこのごろ
分別ができてきたなあ。
そんな年頃になっていたのね~
それにしても
いつの間にお前は主人の歳を超えたのだ?
そうか、おまえはもう人生、
いや犬生で定年の年頃なんやなあ。
もっとも、おまえはことのほか
のんびりと日々をすごしていたなあ。
定年ていったって、
毎日が定年後の暮らしのようなものだったもんね。
人間の場合、寝てばかりしていると、
すぐにぼけてきてしまう。
特に高齢者は大変だ。
だけど、お前の場合、
昼の大半は寝ていたし、
夜もお腹を上に向けて、
人間のようにムニャムニャいいながら
ぐっすり、いやむしろ人間よりぐっすり寝ていた。
よくぞぼけずにここまでこれたものだ。
やはり君は天才犬だ~
キミマロが言ってた。
ぼけないためには、
毎日ぼけたように暮らせばいいんだって。
そうすれば、
ぼけないていうか
ぼけてもわからないのだそうだ。
それからこんなことも言ってた。
今は四人に1人がボケる時代だから、
肝心なのは3人で行動することだって。
ま、そんなことはさておき、
君の誕生日をどのように祝おうか。
60歳にふさわしく、赤いチャンチャンコでも着るか?
とりあえず買ってきてあげた
スルメでもしゃぶっていただこうかね。
グーちゃんずっと長生きしてな。
スーちゃんのためにも、ね
先日、久しぶりに電車で梅田に出た。
そこで飲む機会があったからだ。
そうして街に出る日には
電車の中ではいつも本を
むさぼり読んでいる。
今、読んでいるのは
道尾秀介の「片眼の猿」
3分の2以上をすでに読んでいて
今日で読みきるぞと
電車で揺られながら夢中になって読んだ。
内容が後半になるほど
前半にちりばめられた
出来事や会話が
意味を持ち、謎の部分が
明かされていくというストーリーの
運び方が、いっそう夢中にさせた。
朝の通勤時に加えて
読み続けたから
梅田につくころには
ちょうど読み終えるようなペースである。
案の定、地下鉄が
淀屋橋を出たころに
最後の行となったのは
まったくもって計算どおりだ。
これですっきりと飲めるぜ
と、気をよくしながら
電車が梅田に差し掛かったときだ
なかなか面白い本だったなあ
と思いつつ、手にした本を眺めていると
あれ?以前この作家の
別の本を読んだことがあるけど
なんて名前の作品だったかな?と
いう疑問にとらわれた。
う~ん、気持ち悪い。
のど元まで出ているのに
出てこない。
こういうのを「ど忘れ」ていうんやなあ
と思っていたら
電車が駅に到着した。
「梅田~、梅田~」
「ど忘れものにご注意ください」
と確かに聞こえた気がしたけどな。
タイムリーな空耳でした。
本の名前が気になったのと
まだ時間があったので
紀伊国屋に行くことにした。
平日の夕方というのに
街は人であふれている。
もうまるで人の津波だ。
人の土砂崩れだ~
すみません
時期が時期だけに
不謹慎でした。
本屋に入ったら
さっきまで考えていたこととは別に
資格本のコーナーに
足が向いた。
少し前に、先輩がブログに書いてた
「語彙・読解力検定」の本を
探すためだ。
それにしても、資格本のコーナーは
人であふれている。
ま、たいていは若い人なんだが
英会話コーナーには
中高年も結構いた。
急に会社で英語力を
問われるようになり
あわてて勉強しようとしているのかな。
なんか皆さん、けっこう悲壮感を漂わせている
と思ったのは考えすぎだろうか。
結局お目当ての本は見つからないまま
タイムリミットとなったので
「ま、そのうち思い出すさ」と
思いながら、待ち合わせ場所に行き
合流してから店へと向かった。
途中、今年新しくなった
大阪駅を通ったよ。
そのときの写真がこれ。
すっかり、おのぼりさん気分で撮影した
doironであった。
それにしても大きな、開放的な屋根が
印象的ですね~。
「これだけ大きな屋根だったら
雨でも思う存分BBQができるなあ」と
思ったのは、やっぱり間違いなく
おのぼりさんである証ですな。
残念ながら、あの屋根の下は
電車のホームでしたわい。
その後飲んだのはパブ風のお店。
ていうか、パブでした。
外国ビールや
珍しいカクテル
変わったおつまみで
2時間過ごし、
店を出た後、ラーメンまで食べて
いっぱいになったおなかを抱えて
帰路に着いた。
甲子園帰りの、ユニホームを着た
阪神応援団が闊歩し、
ほろ酔いの親父や姉さんが
たむろする都会を歩き、
何とか家にたどり着いたころには
かなりdoironの足元も怪しかったです。
さすがに都会の刺激に毒されたんでしょうね~
そして何とかブログをアップし
さあ寝ようと思ったときに
まるで天使が舞い降りてきたように
記憶がよみがえったんです。
かつて、読んだことのあった本の名前は
「向日葵の咲かない夏」
でした。
やはり、都会の雑踏では
刺激が強すぎて
記憶も頭の奥に潜んでいたんでしょうねえ。
いつもと同じようにブログに向かい
いつもと同じように寝ようとしたときに
ひょこっと舞い降りた記憶。
もちろん、その日
すっきり熟睡できたのは
いうまでもありません。
いやあ、今年の夏は
大変やったねえ。
あの東北の震災は
日本各地に、良くも悪くも
いろんな影響を及ぼした。
津波がきたらどうしようと
たくさんの人が防災意識を持った。
震災当時は物が手に入りにくくもなった。
doironも震災をまたいで
携帯と車の発注をしていたので
どうなるかと思ったが
今は、「そんなこともあったなあ」程度に
しか思わないほど
身の回りの生活は正常化している。
でもよく考えれば
まだまだ影響は大きい。
「口に入る食品は安全なんだろうか」
いわずと知れた、原発の影響だ。
一般家庭にもその影響はある。
中央卸売市場では、
もちろん出荷制限がかかっているものは
扱われないし、
卸を経由しないものも
食品Gメンが厳しい目を光らせていると聞く。
問題は現地から産地直送で
買う場合だが
ま、一般家庭でそんなことを
する人はほとんどないだろう。
牛肉もきっちり検査されているという。
もうこれ以上、疑いを
少しでも排除しようとすれば
風評被害になっていく。
一日も早い復興を願う身としては
それは避けたいところである。
震災が今も影響を
及ぼしているのは
同じく原発関連で、
電気の供給についての
意識を強く持たねばならなく
なったことだ。
ある意味、電気に関する
日本人の意識を一気に高めてくれた。
こんな年に節電できなくて
いつするんだというほど
世間の意識は高まったように思う。
そんな世間を眺めながら
疑問に思い、ついにこの夏
解決できなかった問題が
「電気予報」のことなんだ。
今さらどうして
と思われる人もいるかもしれませんが、
まあ聞いてください。
いつもパソコンを開くと
doironの場合、ヤホーが立ち上がる。
その真ん中あたりに
いつも電気予報が配置されてある。
たとえば、今現在、電気使用量は69%と出ている。
最大供給量に比べて
69%が使われている。
たぶんそういうことなんだろう。
でも、今作っている電気に比べて
何%だというものなのかもしれない。
その辺は電力会社各社で
分母の決め方は
微妙に異なるようなので
一概にはいえないようだ。
百歩譲って、予報値の出し方には
決まりごとがあるようだから
調べればわかるだろう。
しかし、しかしだ。
わからないのは
先日ブログでチョロッと書いたように
この電気予報が100%を超えたとき
すなわち、需要が供給を上回ったときには
いったいどんな現象が
起きるのだろうということだ。
電線の末端から徐々に消えていく?
エリアごとブレーカーを落としたように
バシャン!と消えてしまうの?
それとも、電気が徐々に暗くなっていき
テレビも10チャンが8チャンになり
6チャンになり、最終的にNHKになって消える?
それとも、テレビのマツコが徐々にやせていく?
ま、それはないか。
とにかく
電池が減っていくみたいに
徐々に電圧が下がっていく?
そしてさらに疑問は続くんです。
そうして停電なり電圧低下なりすれば
次の瞬間には
供給が需要を上回るのですぐさま
回復する。そしてまた破綻する。
の繰り返しになるのではないか?
と、いろいろと想像が
脳みその中を電気のように
駆け巡るのだ。
そしてそして、さらに疑問は続くよどこまでも。
今の電気予報が69%なんだとしたら、
残りの31%はどこにいってるのだ?
どこか山の中の電線の端っこで
バチバチと放電されているのか?
それとも電力会社に戻って
リサイクルもしくは
蓄電されているのか?
蓄電されているんなら
足りないときにそれを使えばいいじゃないか。
う~ん、地下鉄にどうして
電車を入れたのかと同様に
そんな電気の疑問について考えはじめたら
夜も眠れないで
昼間に寝てしまうじゃないか。
これを読んでる人に
電力会社の広報の人でもいたら
教えてくださいな。