「お百度詣り」とはどういうものだろう?
疑問が芽生えたのでさっそく調べてみた。
疑問→調査
これはライター&ブロガーの鉄則ね。
以前、ジダンに宿題をもらい、
T岡町の神社について調べた直後に、
編集でT岡町の神社のことが話題になったことがある。
自分の脚で歩いて、
地元の人の話も聞き、
町史まで調べていたので、
知らないはずはない。
うんちくをかまして
驚かれたといったこともあった。
ライターとしては知識が豊富な方が
もちろん歓迎も信頼もされるから、
疑問を抱いたら即調べてみるというのは、
大切なことなのであ~る。
で、お百度参りなのだが、
神社にお参りするときに、
その願いが切実な場合
何度も何度もお詣りをすることになる。
願いの切実さは
お詣りの回数に比例するもんだという
民間信仰もあるからね。
そんなお百度参りは
鎌倉時代初期にもすでにあったことが伺えるそうだ。
百日かけて満願、とはいえ
百日もかけてられない
切迫した祈願の場合を救済するために、
一日で百回参拝すればいいという信仰が広まり、
それを助けるために「お百度石」を置き、
本殿とその石を百回往復することになったというのが、
今で言う「お百度を踏む」ってやつだ。
なぜ、急に「お百度」なのかというと、
先日ある願をかけて
お百度参りに行ってきたのだ。
行ったのは石切剱箭(つるぎや)神社、
通称「石切さん」といわれる
東大阪の神社である。
ここは昔から「でんぼの神さん」といわれ、
できもの、腫れ物に悩む人々の信仰を集めている。
石も切る剱と箭(や)ということで、
強い御利益があると信じられてついた名前である。
別に、こんな石があるわけではない。
実は、この神社は大阪市内で育ったミセスと同じ沿線にある。
なので、小さな頃によく連れて行ってもらった思い出が
いっぱいあるのだそうだ。
以前から「私を石切さんに連れてって」
とせがまれており、よっしゃわかったと約束をしていた。
石切の指切りね。
そのこともあってこのたび
約半世紀ぶりに訪ねていくことになったのだった。
親父がデイに出かけた合間に、
車に乗って、近畿道、阪神高速をビューンと乗り継ぎ、
わずか30分で到着。
こんなすぐにこれるなら
もう少し早く連れてきてあげたらよかったな。
前日に、このあたりをよくほっつき走るジダンと
春のコラボ企画打ち合わせをした際に、
石切周辺事情や見所を
いろいろ伝授してもらっていたけど、
結局はナビ任せで行くことになり、
高速道を阪神高速の水走(みずはい)で降りて、
一般道を東進しているときに見つけた
新石切駅前のパーキングに車を止めて
そこから歩いていくことにした。
駐車場には「石切神社まで歩いて6分」の表示がある。
なーんや、6分しかかからんのか、
と不満そうなdoironに
「どんなけ歩くのんが好きやねん」て、
ミセスはあきれていた。
駐車場を出て歩いていくと、
道の先に生駒山が間近に見える。
「あの山のてっぺんやったらええのにな」
て言ってももう相手もしてくれない。
実は、お百度詣りは今まで一度もしたことがない。
同じところをグルグル回るのは、
これまでダブルフルマラソンの大会で、
公園内を34周したのが最高でしょうか。
道を歩きながら「こんな都会だったかなあ?」
と怪訝そうに言うミセス、
「行けば思い出すよ」と励ましつつ
看板に沿って歩いていくと、
その先に横断幕が見えてきた。
どうやらこのあたりから参道が始まるようだ。
後編に続く