ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 御坊彷徨5

2014年12月05日 21時28分47秒 | ウォーキング

道成寺境内に入ると、
目につくのは「鐘巻之跡」です。



ここで、蛇に姿を替えた清姫が
鐘の中に潜む安珍を
鐘ごと焼いたという場所ですね。

京都の妙満寺に現存する鐘は
焼かれた初代の鐘ではなく二代目だそうです。



では初代の鐘はどこに行ったのか。

それは不明なんだそうです。

面白いのはここ道成寺の住居表示です。

実は御坊市ではなく日高郡日高川町鐘巻となっています。
伝説が住居表示の名前になって
残っているんですねえ。

ちなみにマンふたは2005年に合併してなくなった
川辺町のものがまだ残っています。



陽気な三人の子どもの姿が刻まれています。

さて、話を道成寺に戻しますと、
伽藍を見れば1300年代に建立された
重要文化財の本堂と
1700年代に再建された
県指定文化財の三重塔が目立ちます。

本堂には国宝の千手観音立像と



日光・学校菩薩が安置されています。

中では「秋の特別展示」と銘打って、
絵巻の展示をしておりました。



掛け軸の絵を示しながら
絵ときをするのは各地に残っているものの、
絵巻物を使って絵ときをするのは
この道明寺だけだそうです。

各地で、巻物を広げて絵ときをしながら
勧進をしたのでしょうねえ。

加えて、安珍清姫を題材にした
古典芸能は「道成寺物」といわれ
今も各地で公演が続けられています。

中でも人気なのが「娘道成寺」。



これを演じるためには
大勢の人の協力が必要だから、
日本舞踊をする者にとっては
とてもやりがいのある演目なんだそうです。

本堂の各所にはその演目の様子を
写した写真が貼られてあります。

そして三重塔にはこんな言い伝えがあります。



この塔の1階と2階の部分は
並行垂木で三階部分が扇垂木と
見た目にもかなり違います。

これは二階まで積み上げた時に
旅人から扇垂木にした方が
見栄えがするのではと
指摘があったそうです。

もし行かれることがあれば
そのあたりはしっかりと
見ておかれるのが良いでしょう。

境内で写真を撮っていると、
本堂と三重塔と共に、
遠くに風力発電の羽根が見える
スポットを発見しました。



今風の伽藍配置ともいうべき姿です。

最後に、古道歩きスタンプを
社務所で押印して、
さあ、そろそろ昼食です。

今回は、いつものおにぎりとカップ物はやめ、
門前の食堂に向かいましょう。

階段を下りていくと、
先ほどのまんじゅう屋さんが
「お茶入ってるよ~」と声をかけてくれたので
立ち寄ることにしました。

寄らずに通り過ぎたら、
火をはいて追いかけられそうですから、
焼きたてのまんじゅうを購入し
まずいただくことにしました。

まんじゅうがこれ。



鐘の形に焼いて
中に入っているのが「あんちん」ではなく
「あんこ」

よくできた話やないですか。

もっちりとしておいしかったので、
その後の歩行の際に荷物になりますが
お土産に購入しました。

これでもう追いかけられることはないでしょう。

観光バスできている団体さんで
いっぱいの食堂を避け、
入り口近くにあるお店に入りました。

メニューを見ていて、
安珍そばなど安珍の名前のある料理はあったのですが、
「清姫」の名を冠したメニューはありませんでした。

う~ん、貢献度は清姫の方が大きいのになあ。

やはりイメージの問題なんでしょうか。

で、結局注文したのはこれ。



「安珍丼」です。
ご飯の上に、錦糸卵と鳥そぼろ、
生姜をのせあんかけのおつゆをかけた丼です。

安くて珍しい丼です。

あ、だから安珍丼なんやあ
などと言いながら、
食事を終え、道成寺を後にしました。

最初に向かったのが清姫蛇塚です。



住宅街の一角に残っています。

清姫が蛇になって安珍を焼き殺した後、
ここで身を投げたといわれる場所だそうです。

いまは近くにそんな大きな川はありません。

ちなみに蛇塚は「じゃづか」と読みます。



この前でよく音楽の演奏が行われる

それは「じゃづか」じゃなくて「JAZZか」

あ、ジダンのブログのようになってきました。

続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿