ここで、道成寺についてすこし勉強してみましょう。
御坊市の山手にあるこのお寺は、
8世紀末にはすでに創建されていたそうです。
創建時の話に登場するのが、
紀伊国の海女であったともいわれる
宮子姫です。
「かみなが姫」といわれるまで成長し、
その才能と美貌を見込まれて
やがて文武天皇の夫人となりました。
その宮子姫の故郷である御坊への恩返しとして、
文武天皇が建てたのが道成寺だといわれています。
一方、「安珍清姫」の伝説はといいますと、
このお寺の創建とは関係の無い話が残っています。
清姫は田辺に住んでいた娘でした。
その清姫がある日、
熊野詣にきた「安珍」を見そめ、
猛烈アタックをします。
しかし、安珍にその気はなく、
一時的に清姫のアタックから逃れるべく
「今は熊野詣に向かう身なので、
貴女をどうすることもできない。
熊野の帰りにまた立ち寄りますから」
と言って逃れたそうです。
しかし帰りに寄ることもなく、
熊野古道の復路を帰っていくときに、
それを知った清姫が激怒します。
あまりの怒りに蛇に姿が変わったそうです。
その姿で逃げていく安珍を追いかけ、
道成寺にたどり着いた安珍が
僧に頼んで鐘の中に隠してもらったそうです。
すると、蛇に化身した清姫が鐘に巻きつき、
口から火をはいて
鐘ごと安珍を焼き殺してしまったというお話です。
熊野とは直接の関係はないのですが、
熊野詣の途上での出来事ではあるようです。
後に安珍は熊野権現、
清姫は観音菩薩の化身であった
という話があります。
道成寺はむしろ創建に関わる
宮子姫の話よりも、
今や「安珍清姫」のお寺として
よく知られている感がありますね。
思わぬ出会いとなった隆光の道標をまっすぐ進むと、
そんな道成寺の森に出ます。
その森に沿って、左回りで回っていくと・・・
山門の下に出てきます。
そこにはお店も結構並んでいて、
最初に目に入ったのが
「つりがねまんじゅう」の文字でした。
四天王寺さんにもありましたねえ。
一度も撞かれずに戦争でなくなった
鐘の形を残しているといういわれがありました。
道成寺の鐘は今は秀吉の軍によって持ち去られ、
京都の妙満寺に奉納され
今もそこにあるそうです。
そのまんじゅう屋さんで
どれどれまんじゅうの形は・・・
と確認していると、
店の人が「焼きたてあるよ。お茶入れとくから帰りに寄ってよ~」
と声をかけてきました。
「はあい。帰りにね~」と言いながら、
まるで安珍清姫のようじゃないかと思ってしまいましたわい。
そんなに執念深そうには見えなかったけど、
これは帰りには必ず寄るべしじゃな
と思いつつ山門に向かいました。
山門に上がっていく階段には
視覚的トリックが施されています。
階段全体の幅が上に行くほど広くなっているのです。
これにより、そんなに高くないという錯覚を
参詣者に思わせるというトリックです。
いわばこれも寺による
「おもてなし」のひとつなんだそうです。
写真はこれ。
う~ん、視覚的トリックねえ。
どうなんでしょうか、比較しようがありません。
明治22年8月の竣工だそうです。
山門のところでまず目に入るのが、
「文武天皇勅願所」と書かれた大きな石碑です。
文武天皇?あ、そうだ。
なんか聞き覚えがあると思ったら、
今年5月の大和三山ミステリーツアーで行った
「藤原京」を統治した天皇のひとりではありませんか。
詳しくは5月31日のブログをご覧ください。
そして山門には例によって
仁王さんがおられます。
これが「阿吽」の「阿」像、
そしてこれが「阿吽」の「吽」像です。
いずれも筋肉隆々の立派なお姿。
腹筋なんかやばいほど割れまくりでありました。
では境内に入っていきましょう。
続く
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