ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

泉北低速歩行 5

2016年02月24日 20時41分27秒 | ウォーキング

城跡さきの細い道を上がっていきますと、



そこにあったのが

「小谷城郷土館」です。



さあ、入ってみましょう・・・

あれ?

な、な、なんと。
本日休館日でした。

むむ、近頃こういう目にあうことが多いなあ。
仕方ないので、
帰ってから図書館に行き、
借りてきた本で調べてみますと、



鎌倉時代から続く
小谷家の子孫で
故小谷方明氏が集めたものを
展示しているそうです。

今回のこのコースは
栂の小谷氏、美木多の和田氏の地域を集めての
栂・美木多の二大巨塔の足跡を
見て回ることができるコースだったのですねえ。

この先の阪和第一泉北病院の敷地の中に、
小谷城の城跡があるので
尋ねに行ってみましょう。

さらに道をのぼっていきますと
病院の出入り口が見えてきます。
ここから中に入っていきますと、
これが病院の正面の入り口です。



この横に小さな階段があり



それをのぼり、さらに坂道を乗り越えていきますと、
こういうところに出ていきます。



これが、鎌倉時代中期にできた
堺市内では最も古い城と言われている

「小谷城」祉です。

南北朝時代では楠木正成ら
南朝について戦い、
千早赤阪城で挙げられた
「のろし」をここで受け止め、
浜寺の大雄寺へとつなぐ
そんな役目を持っていたそうです。

それだけに眺めが大変よく、



ただいま歩いてきた栂・美木多方面が
一望に見渡せます。

なんてことはない景色でも、
いろんな歴史に思いを馳せながら眺めると
見える景色も違って見えますねえ。

では、静かにこの場所を立ち去りましょう。
療養型の病院ですので、
静かに、静かに、です。

病院を出てしばらくは、
泉北一号線に向かって下っていきます。



そしてその1号線を超えたら、



コースは道下のトンネルを抜けて
泉ヶ丘地区ウォーキングコースに
入っていきます。



街と街の間にある緑地歩道が
ここにも続いています。



この辺は若松台といわれます。

この先にある大蓮池周辺には松林が多く、
古くは若松乃庄と呼ばれた
ところから付けられた名前です。

若松台小学校の横を道が続いていきます。

あ、こんな看板が・・・。



はいはい、もうここから
泉ヶ丘はもう間近です
そろそろ帰りますから。

公園内には猫がたくさんいました。

はい~こっち向いて



ホイ。



で、これが大蓮池です。



本来なら大蓮公園もあるのですが、
この日はスルーです。

泉北高速の別の散策コースを選んだ時に
行くように思います。
道は軽―くアップダウンをしながら
続いていきます。



この辺りは高層住宅が多いですねえ。

休みの日には結構散歩者も多いのでしょう。

この辺りには、
陶邑窯跡群の遺跡が残っています。
とくにこの「栂第61号窯」は
泉北地区の中でも最大級のものです。



doiron家近所の弥生遺跡から
出土した須恵器なんかも、
こういう窯で焼かれたんでしょうねえ。

泉北、和泉、岸和田辺りに
こういう陶業生産が熱心だったようです。

府道のトンネルを抜けると、
堺市の大型児童施設

「ビッグバン」が見えてきます。



宇宙船をイメージしたユニークな施設です。
そんな児童館を写真に撮りつつ、



ああ、やっと泉ヶ丘の駅に到着です。



写真がピンボケに
なってしまったようですねえ。

ここまで途中道に間違ったところもありましたが、
結局12キロを歩きました。



決まりきった道ばかり歩いていた
泉北ニュータウンとも
かなりお近づきになれたかもしれません。

この地域の二大巨塔のことも
ちょっと知りましたしね。

コースはこのほかにも
いろいろあるようで、
また徐々に歩いていくことにしましょう。

この日は、泉北高速の先で
人身事故があったようで、
電車の時刻表がおかしくなっていましたが、
何とかやってきた電車で光明池まで戻り、

泉北低速歩行終わりです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿