ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都御苑から西へ5

2019年01月16日 21時18分25秒 | ウォーキング

相国寺に入っていきますと、
なんかこの中の道が
寺の中の道なのか一般道なのか
よくわかりません。



若冲なんかの絵のある美術館を
右に見つつ上がっていきます。

途中浴室なんかもありましたよ。



窓の隙間から扇風機のようなものが
見えていたなあ。
あ、ビールの自動販売機が・・・
それはないか。

相国寺の北の石票のところから



さらに北向いて進んでいくと
「御霊神社」にでます。



これまでdoironが歩いたところでも、
この名前の神社はよくありましたねえ。



難波、葛城、木津川、福知山、斑鳩、
五條などにありましたねえ。
それぞれの祭神が誰だったかは
ちゃんと忘れましたが、
ここの祭神は早良親王で
このひとは疫病で亡くなられ
そこから死後に天皇の名前が
与えられて崇道天皇と呼ばれています。

この疫病による祟りを鎮めるものを
御霊神社といい、特に崇道天皇を
祭神とするものを
「上御陵神社」といい、
この神社がその「上御陵神社」に
なるわけです。

あとは祭神が「吉備真備」などの
八柱とする「下御霊神社」もあるそうです。

ここの「上・・」神社は、もともと境内が広く
「応仁の乱」の最初の戦闘が
行われたので応仁の乱発祥地
といわれています。



これがその石碑で、
石の案内板も設けられています。



そしてdoironが行ったときには、
様々なお店が境内に出ていましたねえ。
多くの人が集まる神社なんでしょうねえ。

では、その「応仁の乱」とは、
これは有名なので皆さん勉強して頂戴。

先ほど書いた「蛤御門の変」なんか同様に、
京の町を脅威にさらした政変でした。
そんな御霊神社からは、
今度は歩く方向を北向きから
西向けに変えていきます。



しばらく歩くと、
最初に電車を降りた
丸太町通りの北側に出てきます。



交通量の多い道ですが、
昔の街中のように
その道をちょっとぐいちに
クニクニとこえていきますと、
本山妙覚寺やの横なんかを通ります。



この辺にあった公園で、
今日は昼飯にしましょう。
時間のある限り、
弁当を作ってきます。
今日はこれ。



このガスコンロが先ほどの
皇居の荷物検査で
もち入りを許されたものです。
doironの高貴な顔が
許される条件だったのでしょう。
でもねえ湯を沸かして
弁当を食べていると、
むこうの方から支援学校の
生徒たちが団体で箒を持ってやってきて、
doironのベンチの後ろを
ドドド~と掃除を始めました。

枯葉と舞い散る埃たち。

こんな高貴な顔の人が
弁当を食べているんやから、
先生何とかしてよ~と
叫んでしまいそうになりました。

まあでも京都ですし、
高貴な顔ですし、
文句は言いません。

パパっと食べて弁当終了です。
コーヒーはあきらめました。

そこから京都市内の狭い道を
西に向かって歩いていきます。

大きな墓場の横にある
公衆トイレで用事を済まし、
本隆寺の夜泣きとめ松も
おがんできましたよ。



もちろん、孫の爽ちゃん向けにねえ。
そしてここは、岩上神社です。
この中には「禿童石(かおろいし)」
と呼ばれる「石」がありました。



なんか「禿」の字が入っているから、
髪の毛に思わぬ効果がありそうですが、
けっしてそんなわけではなく、
様々な場所を転変とし、
多くの災害にあってきた石ですが、
今もちゃんと形を残しています。

どうも授乳、子育てなんかの
信仰を集めているそうです。

京都を回ると、途中いくつもお寺があり、
様々なご利益を持っているようです。
ありがたいですねえ。

でも宗教施設に税金がかからない
ことを考えたら、京都の政治も
大変ですねえとそんなことも
考えてしまいます。

そこからまたさらに西向いて
進んでいきます。

千本通に出たところで、
ちょろっと北向いて上がっていくと
釘抜地蔵が置かれてある
石像寺に出ていきます。



続く


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