ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都御苑から西へ4

2019年01月15日 21時07分08秒 | ウォーキング

清涼殿は天皇が日常生活を
送ったところというのが
位置づけになっていますが、
政治や神事などの重要な儀式も
ここでおこなわれました。

ここがその清涼殿。



この中央の畳を引いた場所が
「昼御座(ひのおまし)」といい、



天皇の日常の御座です。

ああ、ここに座って庭などを
眺めていたんでしょうねえ。



この清涼殿の前の庭には「漢竹」と
「呉竹」が植えられています。



その後ろの障子がねえ、
これがもう超絶障子。



芯の竹組は地獄網といって
左右上下がぐいちに重なっている。
障子はそこへもってきて
13枚の紙で下張りを
したうえで絵を張り付ける
というすさまじさ。

しかしまあなんともすごい
「昼御座」のところに
座っていたものです。

ちょっと寝ぼけて障子に
ぶつかったら大変ですなあ。

さらにその北に回っていきますと、
ここは小御所。



将軍や大名などの武家との
対面に使われたところです。

明治維新の際には将軍に対する
処置を定めた「小御所会議」が
開かれたところだそうです。

そしてその先で御学問所と
いうところに出ます。



前に池のある静かなところですねえ。
ここは、勉強をする部屋・・・



ではなくて読書初めや
和歌の会を開くところで、
歴史上の大きな役割と言えば、
ここで明治天皇が

「王政復古の大号令」

を発したところです。

そしてさらにその北側には
「御常御殿」があります。



もともと清涼殿が天皇の
居場所だったそうですが、
そこで歴史的なことが
どんどん行われるようになると、
今度はこの御常御殿が
天皇のお住まいになられました。

建物の中からこんな庭を
見て過ごされたんですねえ。



まあ、大体これで御所内の
大まかな参観は終わりですねえ。
なかなか天皇も立派なところに
住まわれてましたねえ。
でも日常の庶民の暮らしとは
かなりかけ離れた場所でしたねえ。
こんな様々な役割を持った
建物が続きますが、
本当の今の皇居内にも
様々な建物があるのでしょうか。

途中の清涼殿で掲示されていた
様々な年中行事のように、
今でも各建物でこんなに多くの
仕事が天皇に課せられている
のでしょうかねえ。

今年新天皇になられる皇太子さまも
体に気を付けて頑張ってほしい
と思います。

さあて、意外に奥深くまで参観できた
御所内から出て、また御苑の中を
北向いて進んでいきましょう。



台風で多くの木が被害を受けていますねえ。
あちこちで木が倒れています。
そして北の今出川御門のところから、
京都御苑を出ていきます。



ここには同志社大学があります。
doironもここの大学の入試を
受けるつもりだったのですが、
もしここに行ってたら、
この辺りがdoironの青春の
場所だったんでしょうねえ。



そしてその左には同志社女子大も
あったりします。
その二つの大学の間の道を
まっすぐ北上していくと、
相国寺の方に入っていきます。



ここの住所は
「今出川通烏丸東入・・・」
となっています。

それはそうと、京都の住所はややこしいですね。
通りの名前がメインになっていて、
通りを北に入ることを
「上ル」、
南に入ることを
「下ル」
といいますし、東に入ることを
「東入ル」、
西に入ることを
「西入ル」といいます。

この方式で行くと、
たとえば同じ位置でも
「上ル」と「東入ル」が
順番とかあるのですが、
正面玄関がどっち向いているなんかで
標記の順番が変わってきます。

尾道の郵便屋さんも
道の選択が大変でしたけど、
京都の郵便屋さんも
住所による場所の選択が大変ですねえ。

この「上ル」「下ル」は
御所を中心に行われていたそうですが、
今は御所の北側も
北が「上ル」なんだそうです。

続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿