ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 初めての海沿い 4

2014年12月27日 23時00分34秒 | ウォーキング

祓井戸観音には、徳本さんの名号碑も建っていました。



本当に精力的に布教活動をされていたんですねえ。
さあ、熊野古道に戻りましょう。



あ、竹やぶに2体並んだお地蔵さんがあります。



仲良く並んで、ご夫婦でしょうか。

「長続きの秘訣は?」と聞いたらきっと
「あまりお互いをじっくり見ないことです」と答えそうです。

とか何とか言ってるうちに、
上野王子が近づいてきました。



あと半分くらいです。

あ、ここにも会社の看板に案内がさり気なく書かれています。



いいですねえ。今度我が家の塀に設置する予定の
自治会掲示板にもぜひ案内を入れるぞ~と決意を新たにしました。

一里塚の近くにも、



道標らしき石がありましたが読めません。



このあたりは潮風がきついのかなあ。
読めない石が多いような気がします。

こうして街道を歩いていると、
石でさえこんな風に朽ちていくのですから、
人間の一生なんてはかないものだなあと思いますね。

その先で案内に沿って
少し道をはずれて国道42号に向かうと、
そこに十三塚があります。



出羽の国、羽黒山の山伏の一行が、
熊野詣の際にこの地で
阿波の国の海賊に襲われ殺害されたことを悼んで
供養したのだと里人に伝えられているそうです。

さぞや無念だったでしょう。

でまた再び古道に戻り歩いていますと、
前から男性が一人何か言いたげにこちらに向かってきます。
さては阿波の国の海賊か
と身構えましたが、
「歩いてるんかあ。清姫はそこやで」
と指さしながら丁寧に教えてくれるではないですか。

いい人でしたあ。

で、その人が教えてくれたのがここ。



「清姫の草履塚」。

安珍を追いかける清姫が
ここにあった松に登り、
遠くを見はるかすと、
逃げていく安珍の姿が見えたので、
ここで草履を脱いで
裸足で追いかけて行ったといういわれがあります。

ふむ~、女の情念恐るべしです。

松は今はありません。

道案内のデザインは変わりません。



ということはここはまだ御坊市です。

御坊市は思ったよりも細長いんですねえ。
「ごぼう」だけに・・・。



このあたり、道のところどころに
水仙を良く見かけますが、
ほとんどまだつぼみです。
日当たりのよさそうなところに少しだけ咲いていました。



あの淡路島の水仙郷のことを思えば
ここはずっと南のはずですから、
年明けの歩行再開時には
きっと道端にたくさん咲いていることでしょう。

あらら、この道に直接書かれた
止まれのパンダはまたユニークですねえ。



脳しんとう起こすぞ!
と突っ込んでしまいそうです。

その先に海産物店が見えてきました。



本来なら昼食によさそうな位置ですが、
またもや路線バスの陰謀です。

あれ?シリーズが違った。

ここにある歌碑だけチェックしてスルーしました。



「あったかい伊勢海老、アワビ山盛り海鮮うどん
でも食べたかったなあ」。
きっとないでしょう。

このあたりはビニールハウスがとても目立ちます。



御坊の特産のひとつに
花き栽培があります。

失礼して開いた扉や
ビニール越しに中を覗いて見ますと、





今はカスミソウやスターチスの栽培が盛んなようでした。

親父の仏壇にミセスがいつも
白い菊をあげてくれています。

分けていただくのがあれば、
あとで車で来ようかなと思って見ていたのですが、
それはないようでした。

うん、この感謝の気持ちが長続きの秘訣かも。

へへ

ビニールハウスの向こうに海がキラキラ光っていました。



旧道と国道の歩道を交互に歩くように進んでいきますと、
こんな道標がありました。



「御首地蔵尊 東へ1丁」とあります。

ああ、もうこれはわかります。
1丁は109mです。
わざわざ熊野古道沿いに案内を出していることだし、
さほど遠くないので寄ることにしましょう。

なんでも首から上の病気に
御利益があるそうです。

「賢くなるかな~」



「髪が生えるかなあ」



「しわがとれるかなあ」



「目が良くなるかなあ」



などと欲張って考えながら
御首地蔵に向かうdoironなのでした。

続く


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