ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 初めての海沿い 3

2014年12月26日 21時06分56秒 | ウォーキング

上野王子へと続くみちの案内に、
爪書太子堂と書かれてあるのを見つけました。



ちょっと寄り道しましょう。
どうせ寄り道人生ですから。

古道をはずれて、港の方向に向かいました。
これが塩屋港です。



サビキでアジが存分に釣れるそうです。

釣りかあ。

もう少し体が動かなくなってから取り組んでみようかな。
その港の少し奥まったところに
太子堂がありました。



お、二宮尊徳像です。



学校によくある薪を背負った像に比べて、
晩年の姿をしています。
あまり知られていないけど、
彼は「報徳思想」をもって、
農業から藩の財政立て直しをする請負人だったそうです。

分をわきまえて生活し、
その余力を拡大生産につなげよ
というその「報徳思想」が石碑に刻まれていました。

なぜ、ここにあるのかわかりませんでした。

碑台に「奉納」とありますので、
彼に心酔していた村人が建てたのでしょうか。

doironのように余力を持って遊んでいたら叱られそうです。

その奥に本堂があり、



本堂の裏に爪書地蔵があります。



これでもう爪書地蔵は和歌山に入ってから3つ目です。

弘法さんはよほど爪の強い人だったのか、
はたまた落書き魔だったのでしょうか。
う~ん、罰当たりです。

ここの爪書地蔵も信仰心の無い人には見えないそうです。
「きっと見えるだろう」「見えるに決まっている」
とタカをくくって探してみましたが・・・

どこ?み、見えない。

罰当たりなことを言ってたからでしょうか。
水をかけたら浮き出てくると
資料には書かれてありますので、
そこに準備されていた柄杓で
せっせと水もかけてみたのですが見えません。

資料をもう一度じっくり見てみると、
どうみても描かれてあると思われる部分に
新しい小さな地蔵がはめ込まれているではないですか。



まさか爪でこれを浮き彫りにしたのではないでしょう。

描いた石の部分が朽ちてしまったのかもしれませんねえ。

もしそうなら・・・石とはいえ
いずれは崩れてしまうんですねえ、
とあきらめるほかはありません。

脇に建つ「南淵や 壺江が浦の 太子尊 岩の肌まで 利益あらわす」
と彫られた石がむなしいというほかはありません。



信仰心が足りなかったのかも
という疑念も抱いたまま立ち去ることにしました。

熊野古道に戻ると、
「観音山自然公園遊歩道」の案内看板がありました。



確かここには、四国の八十八ヶ所の霊場から
持ち帰った石で造られた石仏が、
八十八ヶ所並んでいるはずです。

行ってみましょう。

軒先をかすめながら歩いていきます。



おお~これが四国の石仏か、



と一瞬思いましたが違うようです。

道案内に沿って歩を進めながら、





こんなきつい坂道も



がしがし登って行きますと、
あの馴染みの夕日百選のモニュメントがありました。



でも周りは樹木だらけで見晴らしがよくないのですが・・・
夕日の木漏れ日が素晴らしいのでしょうか。

いずれにしても夕日までは待てません。

と、山の中を見ると、
祠がずらっと並んでいるではありませんか、
行ってみると、そうです。

これが四国霊場八十八ヶ所の石仏群でした。



見るとこれが51番。



「熊野山石手寺」のものです。

初っ端から「熊野」とは何か因縁があるのですかねえ。

そんな祠が山の中まで続いています。
ひとつひとつ確認していきましたが、
途中でめげてしまいました。
時間もないしね。
それにしても八十八ヶ所とはたくさんあるものだ。

来春、首Dさんの快気祝いを兼ねて、
チャリンコでの八十八ヶ所めぐりを計画しているのですが、
これじゃあ先が思いやられます。

10か所ほど眺めて下山しました。

その山の下にあったのが

「祓井戸観音」。



役行者が掘られた井戸が
この近くの浜辺の方にあるそうです。

そこからこの名前がついていると、
この詳しい案内板に書かれてありました。



これまで、弘法井戸はいくつかありましたが、
役行者の井戸は初めてです。

探してみたいのですが資料もありませんので
パスしました。
あ~あ、バスの時間に支配されると、
この辺の自由さを奪われるのがちょっと残念です。

続く


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