「かも」についてはこれまでに
何度も勉強しましたねえ。
始まりは葛城古道でしたね。
2015年の3月3日に
その話を書いています。
「かも」は「神」を語源とする
言葉だったんですね。
「かも」族はその後全国に流出し、
各地に「鴨」、「賀茂」、「加茂」
といった地名を残しています。
この上賀茂、下鴨神社もかつては
「賀茂社」という一つの神社だったのですが、
その勢力の拡大に恐れを抱いた朝廷が
勢力を二分するように、
上賀茂神社と下鴨神社に分けたようです。
「かも」の字を変えたのも
そんな狙いがあったから
なんでしょうねえ。
そしてそういった神社の変遷は
川の名称にも表れています。
この「かもがわ」も高野川と
合流するまでの上賀茂神社の
近くを流れるときには「賀茂川」、
合流後の下流を「鴨川」と
今も書かれています。
人々の思いはそんな川の流れにも
反映しているのですねえ。
ではまずその合流地点にある
下鴨神社を目指しましょう。
賀茂川部分にかかる
出町橋のところには
「鯖街道口」と書かれた
こんな石が立っています。
鯖街道(さばかいどう)は、
若狭国などの小浜藩領内から
主に魚介類を京都へ運搬するための
物流ルートを指します。
中でも特に鯖が多かったことから、
近年になって鯖街道と
呼ばれるようになったそうで、
別名は若狭街道とも呼ばれています。
距離は74キロあり、
これを走るウルトラマラソンもあります。
今年で第24回と
結構昔から開催されている
大会ですねえ。
そんな鯖街道の京都の入り口
みたいなところですね。
この橋を渡り、鴨川公園を抜けていくと、
前方に下鴨神社の「糺の森」が
見えてきます。
自動車道を渡り中に入っていきますと、
そこにあるのが「河合神社」です。
この神社の境内には鴨長明の
「方丈の庵」が復元されている。
これですね。
こういう簡易な方丈を各地に建てて
「方丈記」を書いたりしたのですね。
鴨長明はあの「鴨」族の一人で、
父は下鴨神社の禰宜である
「鴨長継」で、彼の次男であった。
鴨一族として神職を
継いでいくはずであったが、
一族の間でいろいろとあって
神職から遠ざかっていく
ということになった。
彼が禰宜の職を狙っていたのが
この河合神社だったのですがねえ。
その夢はかないませんでした。
ここで彼が読んだのが
「石川や 瀬見の小川の清ければ
つきも流れを たずねてぞすむ」。
そんな歌が残っているように、
この下鴨神社の瀬見の小川が
流れるあたりは
平安時代から名所だった
ということがわかります。
あの時代に寺社を訪ねて
歩きまわる人だったのかもしれませんね。
その河合神社は「玉依姫命」が
祭神なので、彼女がとても
きれいだったことから、
「女性守護 日本第一美麗の神」
といわれています。
この日も女性がたくさん
参ってましたね。
神社を出て、それでは
「糺の森」に沿って歩いて
下鴨神社に入っていきましょう。
「糺の森」は下鴨神社の原生林です。
資料では東京ドームの3倍
と書かれてありますが、
そんなに大きな感じはしませんね。
なぜ「糺の森」というなのかといいますと、
これには諸説あるそうです。
「偽りを糺す」、高野川と賀茂川の
合流点である「只洲」、
清水の湧き出ることから「直澄」、
「多多須玉依姫」の神名に
由来するなどいろんな説があるようです。
またこの森には川が流れています。
先ほどの鴨長明の歌に出てきた
「瀬見の小川」のほか、
御手洗川・泉川・奈良の小川と
四本流れています。
そんな水の流れもここでは有名で、
いろんな歌も詠まれているようです。
そんな「糺の森」をじっくり
抜けていく間にも様々な場所があります。
まずは、「任部社(とうべのやしろ)」
というサッカーの神様がいます。
続く
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