では水路橋とはどうなっているかというと。
こんな風に、橋の上に
歩道と水路が通っています。
入ってくる水は写真のように
背の山をくぐってきた水
だったのですが、
昔は山を巻いて硬い岩盤の上に
水路が作られていたそうです。
そんな水が水路橋の上を
流れて谷の対岸に渡り、
そこからこんな風に
道横の水路のトンネルに
流れて行ってるわけですねえ。
高野口から入ってきた水が、
こうしていろんな施設を
流れて岩出へと下っていくという
この水路も、たどっていったら
面白旅もできそうですね。
まあ、今日はそれはあきらめて
先に進んでいきましょう。
背の山を巻いて下っていきますと、
渡井の姿が見えてきますねえ。
そしてもう少し離れたところからも
見上げることができます。
紀の川に沿ったのんびりとした
村々の景色なんですが、
実はその景色の底に
こういう熱い想いの水路が
流れているわけなんですねえ。
そうそう、この水路を作ったという
大畑才蔵の彰功之碑が、
粉河寺の中に作られている
と資料に書いてありましたので、
先日粉河寺に行ったときに
写した写真を確かめたら、
おお~っ、ちゃんと映してる
じゃありませんか。
これがそうです。
いやあ、何でもこうして
興味を持って撮影しておく
もんですねえ。
今回訪ねてきた目立もひとつ
「龍之渡井」にちゃんと
出会えてよかったです。
ではまた先に進んでいきましょう。
背の山を巻くように進んでいきますと、
また和歌山線が見えてきました。
この辺りの道は、
サイクリング道路としても
位置付けられていますねえ。
やがて見えてきた西笠田の駅からも、
こういうサイクリング道路が
続いています。
線路と紀の川のあいだの
狭いところですが、
こういう水仙が咲いていたり、
石碑があったり、紀の川の景色が
見えたりといいところを進んでいきます。
結局次の踏切までの
短い区間でしたが、
気持ちのいい道が続いていましたね。
さて、この辺から注意しておかないと、
テレビで火野正平が自転車で
走って行った道がはじまったりします。
ああ、ここが国道24号から
自転車で登って行った道かなあ
って感じですねえ。
そこにあったのが
「才蔵掘跡」の石ですねえ。
小田井用水の碑が
こんなところにも作られています。
才蔵は橋本市の学文路出身の男性です。
義理の兄の出身地ですねえ。
いやあ本当に彼の仕事には
多くの人が助けられたようですねえ。
西笠田の駅を過ぎたら
次が本日目標値の笠田です。
背の山の下を歩いていきます。
ああ、この辺りは景色が
ひらけていますねえ。
和歌山線の向こう側には、
ぼちぼち町石道の山々が
姿を現し始めています。
ああ、そうかあこの辺から
笠田の町が見えるのかあ。
そしたら、あの火野正平も
訪ねていったという
クスノキの姿も見えるかなあ
と思ってみてみると、
おお~見えています。
町の中に大きな一つの森のような
クスノキの姿が見えています。
今日の目的はあそこまでですから
頑張っていきましょう。
しばらく行くと、
あれなんかにぎやかですよ。
鳥の声が響いています。
ふっと空を見上げると、
こんなにおおくの鳩と
その向かい側には雀がウヒャー。
最近雀ってみないなあ、
減っていってるのかなあ
とちょっと心配したときも
あったのですが、
大丈夫でしたね。
都会では雀の巣となるような、
昔の瓦やねなんかも
減っているからなんでしょうねえ。
でも田舎にはまだこんなに
いるんだから大丈夫でしょう
フンを落とされないように
注意して歩きましょう。
なだらかなアップダウンを
歩いていると、左に
「窪ふるさと館」
という施設への案内がありましたので
寄っておきましょう。
そこにはなんと、
寺子屋の跡がありました。
続く
最新の画像[もっと見る]
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます