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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道 和歌山に参上 5

2014年03月08日 20時57分15秒 | ウォーキング

境橋より、思ったほど交通量の少ない64号を南下します。



右に側道が見えてきましたので
そこをのんびり歩いていると、
こんな道標がありました。



その案内に従ってJRの第一滝畑踏切を渡ると
すぐのところにあったのが、

「中山王子」跡

これまで大阪府では、
木製の道標を設置してありましたが、
和歌山県ではこういう独特のブルーの案内板が
各王子に設置されているようです。



以前、ラン仲間とN尾君の案内で
紀伊から紀伊宮原の間を走ったことがあります。

その時もこんな案内板が
あったことを記憶しています。

その当時の写真は残念ながら、
過去のパソコンクラッシュ事件の時に
消えてしまってありません。

また、クラッシュも想定しながら
いくつかのメディアに分けて
コツコツと貯めていくことになるでしょう。

それにしても山中渓の中山王子
とはなにか混乱しそうな名前やなと思っていたら、
現に藤原定家の日記には
「山中王子」と記されているそうです。

その後、藤原頼資の日記には
ちゃんと「中山王子」とされ、
後鳥羽上皇の熊野御幸記や
紀伊名所図会にも
「中山王子」の名が見られることから、
定家の錯誤だったのかもしれません。

案内板の下には、
王子名が刻まれた石もありました。
これには、あの熊野の三本足のカラスである
「八咫烏」の姿も刻まれていました。



ご存じ、サッカー日本代表の
シンボルマークでもあります。

そしてこの案内板には
紀伊名所図会の絵もつけられてありました。



それによるとこの王子の先には川が流れており
そこに橋が架かっているそうです。
赤丸の中に描かれています。
そしてその川の上流には
「音なしの滝」とやらが描かれていますが、
今回はそこまで訪ねていくことはできませんでした。
いつか機会があればと思います。

その絵に描かれた川と橋と思われるのが
この場所です。



この川の上流に音なしの滝があるのですね。
メダカがいそうな川でした。

この区間では唯一の山里の
街道らしい道を進んでいきます。





やがて道は左に直角に折れ、
第二滝畑踏切を渡り、
ふたたび64号に合流します。



道端にこんな古そうな石がありましたが、
何なのかはわかりませんでした。



また地元の人が付けたこんな看板が
ところどころ目につきます。



それにしてもすごい不法投棄ですね。
地元の人の嘆きが聞こえてきそうです。

警察管内を表示するこんな看板は初めて見ました。



泥棒を追いかけてきた警官は
ここでタスキリレーをするんでしょうか。

阪和自動車道のトンネルをくぐりながら、





道は雄の山峠へと登り始めました。



バイクで来ていた頃、
これが最後の登り坂だと
ペダルを踏む足に気合を入れたことが
昨日のように思い起こされます。

ようやく峠を登りきったあたりに
「小野山国有林」の看板が・・・



「雄の山」と「小野山」、読みは同じなんですが
微妙な地名の変遷があるようです。

ちなみに国土地理院の地図では、
この峠のすぐ東の山にある
(四等)三角点(246.24m)の名前は
「雄ノ山」になっています。

てことは、山中渓の住民センターから
150m以上登ったことになるわけですね。

峠を越え、道が下り始めたところにあるのが、
街道地図にも載っている

「峠の不動明王」です。



ここまでくれば先ずはひと安心と、
多くの旅人が手を合わせたことでしょう。
祠の中の不動さんは、
大勢の人の苦労を身代わりに引きうけて、
顔面がやせ細っておられました。

お見受けしたところ、
このお方も大阪府内で見てきた
数々の地蔵と同様
泉南砂岩で彫られたようなお姿でした。



そしてその先で人々は、
初めて紀州の街を目にします。



和歌山城は見えませんが、
眼前に横たわる紀ノ川を
万感の思いで眺めたことでしょう。

ここから道は急激に下り始めます。
自動車道はヘアピンが続きますが、





昔の人は転げるように下り、
登る人は四つん這いで登ってきたのでしょう。

そんな急な道を下りきったところにあったのが
この幸福地蔵。



お見受けしたところ
まだ新しいようでした。

そしてその横には木に彫られた奇妙な地蔵が・・・。



昼間でも歩いている人の姿を見かけないのに
夜中だとなおさらここを歩く人はいないでしょう。
でも、もし歩いている人がいたら
これを見てドキッとするでしょうね。

萩往還250キロレースの
190キロ地点手前の山中にある
マネキンの生首ほどではないでしょうが・・・
(今もあるのかな?)

しかも横にはこんな石も転がっておりました。



ここは、かつて事故があったとか、
そんな何らかのスポットなのかもしれません。

JRの下をくぐると、



いよいよ紀伊の街に入っていきます。

まだ続く。


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