仁徳天皇といえば、
そうあの堺市に世界最大の
墓を持つあの天皇ですね。
(2013年6月撮影)
あちこちを歩いていると、
大きな工事なんかに
関連してこの天皇の仕事
という記述をよく見かけます。
精力的に事業を行ってきた
天皇だったのですねえ。
この茨田堤は当時の水害対策の一つとして、
淀川の分流にそって
20km超にわたって
築かれた堤防だったのですねえ。
今もその痕跡は守口市内に残っています。
ネットにも掲載されていました。
「土佐日記」にも
「わだの泊りの分かれの所」と
記載されていたりもするようです。
しかし、こういう河川工事には
いろいろと大変なことがあったそうで。
日本書紀にはこんな記述があります。
どうしても2か所くらいが
何度も切れてしまう。
どうしようかと悩んでいたところ、
天皇が夢を見たそうです。
その場所から人を流しなさいとのこと。
「コワクビ(強頸)」と
「コロモコ(衫子)」という人が
選ばれコワクビは泣きながら
入水したそうですが、
「コロモコ」は機転を利かせて
入水せずに済んで、
「ロコモコ」を食べていたそうです。
その機転とは、
川に水に浮くヒョウタンを投げて
これを沈めたらわしも信じて
入水してやるといったそうです。
結局、ヒョウタンは沈まず
かれは入水せずに済んだという話で、
そのコロモコが入水しようという場所が、
この「太間」の当たりだったそうです。
川の近くには「太間天満宮」があり、
そこにこのコロモコのことも
書いた碑がありました。
この天満宮にはこんな狛犬もあります。
うう~、重量の増したdoironには
こんな狛犬の間を通り抜けることは
できませんなあ。
これは新たなダイエット狛犬?
そんなことはないか。
それにしても、この「太間」という
地名なんですが、
すぐ近くに「絶間」という
交差点もあります。
よく切れるという川の場所を
「絶間」ということから、
それがきっと「太間」の語源になったようです。
「大麻」でなくてよかったですねえ。
河原に戻ると、
そんな神社やその横にあった
松のきれいな「西正寺」のほうに向けて、
屋根に鍾馗さんを乗せている
家もありました。
ん?でもちょっと違うぞと思ったら・・・、
猫でした。
これが本物の鍾馗さんです。
そして町の中のほうに
大きな建物があります。
「摂南大学」ですね。
かつてのdoironの職場の人らには
おなじみの大学ですね~。
きっと社長はこの辺の
淀川河原でスポーツを
されたりしてたんでしょう。
おっ、この色形の統一された
自転車軍は何でしょう。
よく見るとレンタサイクルのようです。
しかし、これだけ赤い色が
そろうと驚きますよねえ。
サッカーやったり、
野球をやっている子供たちが
借りてきたんでしょうねえ。
帰りは、どれが誰の自転車か
わかるのだろうかと、
ちょっと不安になってしまいますわい。
で、そんなものを見ながら
淀川大橋をくぐっていきます。
この辺りは、
下の河川敷の緑が濃くなってきますねえ。
一度下に降りて歩いてみますか、
と思っていると、
前方にこんな手作りの看板があります。
文字が消えかけていましたが
よく読むと
「茨田樋遺跡 水辺公園」
と書かれてあります。
上から眺めると、大きな銀杏の木があって
ちょっと古そうな遊園地です。
草刈機などで整備をしている
ようでしたが、
降りて見に行くことにしました。
「茨田樋」とは、
昔淀川から生活用水を引いていた樋は
枚方から毛馬までに
8か所あったそうですが、
すべて大水害時の堤防決壊を恐れて
閉鎖されていき、
そのあとが現存しているのが、
この「茨田樋」だけになったそうです。
こんな大きな記念石や
説明版がたっていました。
おそうじメンテ中に失礼しますよ~
と言いつつ続く。
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