箱根の往路もだいたい予想通り
ま、ほぼ優勝は決まりでしょう。
え~、ブログのほうは
昨年のことなんですが
続きで書いていきますね~
奈良の友達と忘年会をすることになり、
またまた例によって昼間に近辺を歩き、
夜に忘年会に参加するという方法で
奈良県に行ってきた。
この日歩いたのは、
「重要伝統的建造物群保存地区」と言われる
橿原市の「今井町」だ。
その今井町はそもそも一向宗本願寺坊主の
「今井兵部卿豊寿」によって開かれた
寺内町に端を発する地域です。
ま、行ってみれば、平野の「平野郷」、
富田林の「寺内町」のようなところ
という感じである。
周囲を環濠で囲み、
内部の道路は一直線に遠くまで
見渡せる場所がなく、
ほとんどが一度屈折させる、
ちょうど富田林の寺内町に見られた
「あてまげ」のような形に道が敷かれてあり、
江戸時代には、
南大和最大の町となって
大いに栄えた町なのであります。
まあ、ここはだいたい橿原市の
観光案内なんかにも
必ず出るところでもありますし、
ここはまあいっておきたいところの
一つだったのでありましたから、
いよいよ実現したというところでしょうか。
範囲的には東西600m、南北310mの
狭い地位でありましたので、
この日は午後に家を出ていくことにしました。
夜にはアルコールが入りますので、
もちろん電車です。
それにしても近鉄は
あまり乗りなれないからややこしいなあ。
鶴橋から乗りますと
奈良行きと大和八木は
同じ線じゃないですからね。
よっぱらったら間違って乗る人も
多いのではないかと心配になります。
この日はちゃんと「伊賀神戸」行きにのり、
無事にきちんと大和八木についた次第ですけどね。
行きたいと思っている今井町は、
ここから近鉄橿原線に乗り換え、
一駅向こうの八木西口です。
乗った電車が動き出したなあ、
と思ったらすぐにスピードダウン。
これは渋滞なのかと思ったら、
もう駅についていました。
なんやあ、あっという間の
すぐの距離ですねえ。
ではここからナビをセットして
歩き始めましょう。
駅で降りてから道に出ると、
すぐに飛鳥川に出ます。
この川をもう少し上流に行くと、
以前歩いた香久山のふもとのほうに出ていきます。
その川沿いにある地蔵にまずは遭遇です。
う~ん、今井町とはどんなところなのかなあ
と期待はさらに高まります。
その地蔵のわきの橋は
「しんそふばし」
で、奥に「今井町へ」の看板が見えますが、
これはまだ渡らなくてよいでしょう。
しばらく駅側の堤防を歩いていきますと、
こんな案内看板に到着します。
教育委員会が作ったこんな看板で
造形を深めながら、
すぐに見えてくる「蘇武橋」を渡ります。
その橋のむこうづけに生えている
大きなエノキが「景観重要樹木」に指定される
「蘇武橋のエノキ」です。
樹齢は400年以上で、
もともと江戸時代には
一里塚に植えられることが多かった木です。
今井町の歴史をずっと見続けています。
その「蘇武」というのは、
この地にあった井戸の名前から来ています。
「蘇武」は「あそぶ」から来ている
という説もあります。
古い書物では、聖徳太子が水を飲まれたとも、
自分の黒駒に水を与えたともいわれています。
その井戸が、これ。
この蘇武橋周辺には井戸が二つあります。
これが橋のたもとで
これがもう少し奥のもの。
案内書きによると、
たぶん奥にあったこれが、
周りに石も立っており正解でしょう。
その石には
「今井ソンボの朝水汲みは桶がもるやら涙やら」
という歌の一節が刻み込まれています。
その石がこれ。
この井戸からは良質の水がこんこんと湧き出ていて、
今井の1000軒の家々が毎日この水を汲んでいて、
日照りが続いても枯れることはなかった
といわれている井戸だったそうです。
フムフムと続きます。
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