ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

今井町だけど古い町 2

2016年01月03日 20時55分33秒 | ウォーキング

箱根はやはり青学でしたねえ
まあ、あれだけ各校のエース旧の選手
そろっていたんやから
間違いないだろう。
ハプニングも起こりそうもないくらい
各校と事情が違っていたね。
箱根に関しては、また細かいデータが
手に入ったら完走してみよう。

さて、こちらは今井町の続きです。

水による洗い場も過ぎ、
そこからしばらく南向いて歩いていきますと、
もう右側は今井町の一部なんですね。



道がきれいに整えられています。



早く歩きたいのですが、
まずは奥にある
「今井まちなみ交流センター花甍」
を目指しましょう。

道案内は、こんなのや、



こんなのがあるようです。



これがその今井町の南の橋にあるセンターです。



この古い建物は、
かなり年季の入ったものです。
以前は今井町役場として使われていたものを、
いまは今井町の歴史資料の展示など
地域の状況をよく知るための展示場として使われています。

中には、地域のミニチュア模型や



昔の道具が並べられるとともに、





織田、豊臣、徳川からの通知文書などが



展示されています。

入場はもちろんタダです。

今井町の歴史をしっかりと
学ばさせていただきました。

ではここから出て、
また北方向に戻っていき
今井町の街並みの中に入っていきましょう。

そうそう今井町はもともと平野郷などと
同じように周りを濠と土塁で囲み、
町内には決められた9つの門からしか入れませんでした。

その門のところには、
こんな地中の書き込みがあります。



doironが入っていったのは
蘇武井戸に近い
「中尊坊門跡」のところから入っていきました。

一番最初にあったのが「高木屋住宅」です。



かつて「大東の四条屋」の名前で
酒造業を営んでいたそうです。

その隣にあるのが、「河合屋住宅」です。



ここは今も「上品寺屋」の屋号で酒造業を
営んでいるそうです。
玄関先には立派な杉玉がぶら下がっていました。



そうそう、
これらの住宅は今も人が住んでいるそうです。
立派な重要文化財で
中を見てみたいものですが、
たいていが「見学有料」なんだそうです。

ま、そりゃそうでしょうねえ。

ここの家はちゃんと虫籠窓も付いていましたし、

店先にはこんな出窓も付いていました。



と、その中尊坊通りを
3区画ほど進むと、
道はガツンと突き当たっています。

ま、ちょっと規模の大きいあてまげです。

こんな感じ。



これを右にとって
がくんと回っていきますと、
道は御堂筋と言われる通りへと
入っていきます。

なぜ、「御堂」なのかと言いますと、
今井町が浄土宗のお寺の境内地として
発達したそのお寺である
「称念寺」があるからですね。

道はもう、かなり古い光景を作り出しています。

古い家にも虫籠窓が付き、
こんなお店や、
こんなお店もさりげなく並んでいます。



まあちょっと人の流れが
多い地域なのかもしれません。

そして、そんな中にあったのが「称念寺」です。



本堂は、江戸時代初期頃の建立
と言われています。



なかには、鐘楼やお墓の建設もあり、



長い間地域の人々の暮らしとともに
あったことが予想されます。

まあ、もともとこの地域は
商売等繁盛で

「大和の金は今井に七分」

と言われていたほどですから、
寺も多くの浄財に支えられてきたのでしょう。

あ、そうそう橿原市のマンふたには
何種類かあるようですが、

多くがこの今井町の旧家で使われていた
金具と馬止めの金具を表した
これが使われているようです。



その先にあったのが、
もとは材木商「西の木屋」牧村家の所有で、
虫籠窓の横には「木」
の字からできた彫り物が掘られています。

右はこれで



左はこれです。



そうそう、この今井町の通りは、
通りに面して家があるので、
庭なんかは家の中にあることが多いです。

家と家の間から時折のぞける庭先の景色も、
なんとなくのどかな感じのするところでした。



とまあ、そうして歩いていると、
こんな「紙半 豊田記念館」と名付けられた
展示館にやってきました。



すると、今回の旅を印象付ける一幕が
ここで起こるのです。

それはいったい何なのか・・・と続く。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿