この天橋立神社があるところは
「濃松」といわれている地域です。
いやあ、そのまんまの地名ですねえ。
そしてその神社は磯清水が
近くにある所から
「磯清水神社」と
いわれていたこともあるようです。
まあ天橋立に来たんですから
しっかりお参りもしておきましょう。
この神社の横には大きな
砲台が置かれています。
大正時代に、海軍の思想の普及のために
ここに置かれたそうです。
物は大したことはないんでしょうが、
昔の軍の姿勢がうかがえるものとしては
貴重なんですね。
さあ、ここから命名された松が続きますよ。
これが、「晶子の松」。
橋立を詠んだ与謝野晶子に
ちなんでつけられた松ですね。
松というのは常緑高木。
でもこの松は葉っぱが
結構枯れていますねえ。
松くい虫?だったら
もっと手当されているよねえ。
あまりにも寒いから?
そんなこともないでしょう。
ちょっとこの枯れ具合は心配ですねえ。
やっぱりこんなけたくさんの
松があるのだから、
管理は大変なんでしょうねえ。
そしてその近くには
「御手植えの松」というのが
二本あります。
一本は明治40年に
当時皇太子だった大正天皇が
植えられた松です。
そしてもうひとつが
大正5年に昭和天皇が
皇太子の時に植えた松なんだそうだ。
結構天皇家もここへきているんですねえ。
この辺にはいろいろと松がありますよ。
これは「小女郎の松」です。
これはこのあたりの
物語に関連します。
昔々、天橋立にはきれいな女性に
化けるという狐が居ました。
その狐が船の食べ物を荒らしたそうで、
それを知った船の持ち主が怒って、
狐を殺そうとしたら
いつの間にか狐が大根と
入れ替わっていたという
話があります。
そんな天橋立小女郎の通った道なんかが
近くにあるということで、
こんな名前が付いたんですねえ。
もう道の右や左をウロウロと
探索しながら歩いていきます。
阿蘇海には鳥がいっぱいいますねえ。
この海が静かで魚の産卵場所でも
あるそうですから
小さな魚がいるのかもしれませんね。
阿蘇海の名前の由来は
昨日書きましたねえ。
ではこの辺りの市名である
宮津の由来はどうでしょう。
これはねえ、宮津市役所の
横にある和貴宮神社なんですねえ。
昔はこのあたりまで海だったそうで、
海のすぐそばに小さい宮があるから、
宮津という名前になったんですねえ。
ぜひ行ってみようと思っていましたが、
忘れてしまいました。
また次の機会に行きましょう。
こんな天橋立の植物を
紹介する案内も立っていましたねえ。
でもここには記載のない
アキノキリンソウが咲いていましたよ。
そしてここには案内の無い
石像があります。
屋根もつけられているんですねえ。
前掛けや花も添えられています。
天橋立のほぼ中間点で
くるのも大変なのに
大切にされているんですねえ。
雪の時でもこうして
祀られているんでしょうねえ。
このあたりには「御上陸の碑」があります。
明治40年に後の大正天皇が
上陸されたという碑です。
先ほどの御手植えの松を
植えられたときでしょうねえ。
ほぼ半分まで来たというのに
まだまだ見どころが続いていきます。
これは「千貫松」。
いまはいろいろと手立てがされていますが、
さぞや立派な松だったんでしょうねえ。
解説には千貫目の値打ちの
あった木と書かれています。
おっ、ここには芭蕉の句碑がありますよ。
「一声の江に 横たふや ほととぎす」
一声碑と呼ばれています。
でもねえ芭蕉がここに来たという
記録はないそうです。
でも宮津の人たちは芭蕉を
リスペクトして隅田川の光景を
うたったこの歌を、
天橋立にだぶらせて
ここに句碑を築いたそうです。
いやあなんか面白いエピソードですねえ。
続く
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