新型コロナの陰謀で、
雨で中止になったドジ旅も
新世界を舞台にうろうろと
活動してきました。
まずは通天閣に行き、
新型コロナの陰謀に負けない
大阪人の熱い想い、深~い愛情を
感じてきました。
となるとやはり次は新世界の
串カツ探訪です。
このあたりが串カツで
有名になったという原点のお店が、
このだるまというお店です。
1929年(昭和4年)に
新世界に開店したこの店の女将が、
釜ヶ崎の肉体労働で働く人々に、
小さめにカットした
一口サイズの牛肉を串にさして
かつにして提供したというのが
始まりだといわれています。
子どもの時に何度か親父に
連れられてきた記憶があります。
ソースの二度つけは絶対禁止だと
きつく言われたのを覚えていますね。
その時の店はダルマじゃ
なかったような、
カウンターだけだった
ような気がします。
この狭い商店街はジャンジャン横丁
と言われています。
なぜ、こんな名前?と言いますと、
三味線を演奏したりなんかして
そんな音がジャンジャンと
していたからとか。
もう今からじゃ想像もできないような
「新世界」だったんですねえ。
え~では、この歩きの最後の
締めとして、串カツを
ここに食べに行きましょう。
現在だるまという
串カツ屋は何軒かあります。
どれが昔からのお店なのか、
あるいは昔のお店はもうないのか
その辺はよくわかりませんが、
まあ目に付いた店に
入っていきましょう。
普段はダルマは大行列なんです。
まあ舌の全然痩せている
doironにとっては、
どこの串カツもおいしいのですが、
やはり元祖串カツというのに、
人々は弱いんですね。
でも、今回はウイルスのおかげで
新世界に来る人々も
超減っているようで、
全く行列もなく呼び込みまで
やっているこのだるまに
入っていくことにしました。
え~では今日の新世界探訪を
記念して乾杯です。
ギュギュギュイーン。
あ~生ビールはうまい。
3回目の脱コロナ会ビールであります。
注文をと思いながら
メニューを見ようとしたら、
そのときです。
ソースがこんなケースに
入っておかれているじゃないですか。
二度付け用のソースケースは
ないんですね。
これもウイルスの影響やねえ。
食べた串カツのひとつに
紅ショウガがあります。
これは好きですねえ。
自分の親父も紅ショウガが好きでした。
近頃ミセスによく言われます。
お父さんにあちこちで
似てきたところが出て来たねえって。
さあではこのだるまで
憩いを付けて、もう一軒
串カツ屋に行きましょう。
次に行ったのはここ。
何となく雰囲気が高級そうですし、
飲み放題もついているのでよさそうです。
この店では、ホルモンの串が
うまかったですねえ。
通天閣を少しウロウロしただけで、
串カツ屋さんに二軒行きました。
ああ、しかしこんな食生活をしていると、
ますます体が「だるま」に
なりそうですねえ。
でもウイルスの陰謀に逆らいつつ、
新世界は元気に動き始めています。
ここにはウイルスの陰謀に
負けないこてこての愛は
ありましたねえ。
こうしてドジ旅12弾は終わりです。
さあ次のドジ旅はいつになるでしょう。
岸和田祭りもなくなったし、
地元の祭りももう中止でしょう。
今年のマラソン大会はどうなるのか、
高校駅伝や箱根駅伝はやるかなあ。
はたまた来年に延びた
オリンピックはどうなるのかなあ。
まだまだいろんなことが心配です。
そんな出来事は中止になれば
それでいいのですが、
社会そのものの存続も
危うくなってきますねえ。
何らかの力で
乗り切らないといけませんね。
いろんなことに注意しながら、
皆さんの健康をお祈りしている
二人なのでありました。
おしまい
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こうやって写真をみていると、一度は行っておきたかったなぁ、と、後悔 こちらの国の脂っこい食べ物は
苦手ですが、日本食の揚げ物は別!あぁ恋しい、串カツ。
「攻めてみたい、ドジ飲み屋街」
ですかねえ。
そりゃあ是非作ってみてください。
娘にも食べささなきゃ。
なんてことはない味なんですが
そこはかとなく人類の食べ物
って感じですよ。