さて、千里観音を後にして、
今回最後の王子である
三鍋王子に向かいましょう。
あ、三鍋は当然「みなべ」と読みます。
自治法上地域の表記はひらがなの
「みなべ」町です。
ひらがな表記の町は和歌山県内では
他に「すさみ町」と「かつらぎ町」があります。
大阪にはありません。
ひらがなにするのは
わかりやすく、親しみやすく
目立つようにと言う自治体の意図を感じますねえ。
カタカナの自治体もありますが
アルファベットはないようです。
マラソン大会などでも
結果の表から自分の名前を
見つけやすいように
ひらがなで登録する選手もいるようです。
古い文書や旧跡の名前に使われている
「みなべ」
はこの王子名の「三鍋」のほか
「三名部」など20種類もあるそうです。
実は「みなべ」の名前は、
元はといえば「三鍋」からきているそうです。
和歌山の民話で3つの岩が
天から降ってきてそれを石神様として崇めた
という話がもとになっています。
その石が鍋のような形をしていたことから
「三鍋」という名になったといわれています。
天から降ってきた三つの鍋・・・
う~んなんだか未知との遭遇っぽいですねえ。
漢字で表記すると様々な字になるのは、
昔の人はあまり文字に親しみがなく、
口伝えが主だったんでしょうねえ。
そんな例は熊野古道に関わらず、
全国各地で見られます。
そもそもdoironの姓も
読みは同じで別の漢字がルーツなんだそうです。
親父が生前に語っておりました。
熊野もまた奥まったところと言う意味の「隈(くま)」野からきていることは
以前にも書いた通りです。
その熊野古道の歩行に戻りましょう。
千里観音から道しるべをたよりに歩いていきます。
お、これはかなりオンボロの放置自動車です。
昔、この道沿いでだんごでも売ってたのでしょうか。
なおも道は山の中を
縫うように続いています。
千里の浜に出た時に遠くに見えていた一団も、
古道歩きらしく、このあたりでは
道を探してウロウロしているようでした。
山の中は道しるべも肝心なところになかったりして、
地図と首っ引きで歩いていかねばなりません。
JRの高架をくぐると
梅畑の中を通るようになります。
う~ん、このあたりも花はまだちらほらです。
最近は夕刊に各地の梅便りが掲載されますが、
そこでもまだ梅は「咲始め」となっています。
満開まであと1週間くらいはかかりそうですね。
これは昔doironが描いた梅の絵です。
今描けばもう少しマシに描けるかもしれません。
この春にチャレンジしてみましょう。
花はまばらですが
それでも梅畑ではほのかに梅の香りがしていました。
みなべは「ひと目百万、香り十里」といわれています。
もちろん梅の生産は日本一です。
時間が迫っていなければ
ここらでコーヒーでも入れたのになあ。
あ、でもコーヒーはあかんか。
次回は梅こぶ茶でも持ってきましょう。
ようやく山道を脱けました。
狭い舗装路を歩いていくと
そこに「南部峠の地蔵堂」があります。
古くから骨折に霊験あらたかで、
「骨つぎ地蔵」ともいわれています。
このあたりが南部峠のてっぺんです。
登りつかれて眺めの良い場所でちょっと休憩
ということで、このあたりには茶店も多くあったそうです。
今はどうかといいますと、
地蔵のすぐ前にお茶屋ではなく・・・
ラブホがあります。
一人歩行でちょっと休憩とはいかないでしょう。
あ、いけるのかな?
ここの地蔵は古く、
400年くらい前のものと推定されています。
ここの案内には昔の書き物の記載が
「南陪(みなべ)峠」
や
「見那辺峠」
などと記載されていることが
書かれてありました。
この地蔵で右折して
みなべの町へと下っていくのですが、
このあたりは古代からあった道だそうです。
なかなかの雰囲気でしょ。
そしていよいよ、山中の梅の花越しに、
南部の町が見えてきました。
時間的にもここまで頑張って歩いてきたので、
ようやく間に合う目途がつきました。
山中には大きな池があります。
梅畑に供給する貯水池でしょうか。
カワセミもきっといるに違いありません。
いやそれどころかカッパもいそうな
怪しい雰囲気に包まれた池でした。
井正免池といいます。
あと1話続く。
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