ここが、総持寺。
西国三十三カ所第22番の札所だ。
本尊の建物中には木造の秘仏、
千手観音立像があり本尊となっている。
その千手観音はカメの上に
載っているようで、
そのためのお寺案内もこんな感じだ。
藤原高房が漁師に捕まったカメを助けた。
ところが継母のいじめにあって
海に投げ捨てられた高房が、
そのカメによって助けられた
といういわれがある。
いわゆる、カメの恩返しである。
そしてその子の山蔭が父の遺志をついで、
この寺を建立したそうだ。
そういえば、両親が集めていた
各お寺の集印帳にあった
この寺の印が我が家にはある。
そう思えば、doironが
こうして歩き始めてから
三十三カ所の内いろんな寺に行ったので、
印を集めていたら
結構たまっていたかもね。
しかし両親も来ていたという
三十三カ所のお寺に
始めてくるのは不思議な気分だな。
あ、そうそう、
この寺の建立者である山蔭は
料理の名手であったため、
境内にはこんな包丁塚も作られてある。
この寺の裏門から出てコースは続く。
JRの高架下を進んでいくと、
その効果をくぐる道路に出る。
その近くで80円のお茶や昼飯を買い足し、
歩いていくと小学校の入り口にある
二宮金次郎の像に鬼の面がかけられてある。
今日は節分なのだが、
二宮氏に鬼の面はあかんやろ~。
その先にあったのが、
通称「疣水さん」と呼ばれる
「磯良神社」
この神社には「玉の井」と言われる霊泉がある。
この湧き出る井戸水は
不思議な言い伝えが残っている。
むかし、神功皇后が戦いに臨むとき
この冷水で顔を洗うと
美しい顔が疣だらけの
醜い男の顔になった。
そのため、敵には女と思われることなく
勝利をおさめ、
その後再びその水で顔を洗うと
元の美しい顔に戻ったということだ。
本殿に参ってみると、
おお~社殿のテーブルの上に
「自由にお持ち帰りください」
と書いて「福豆」のセットが
おかれてあった。
こんなもの。
豆は全部で20くらい入っていたかな。
これはちょうどいいわと
一袋をいただいて帰り、
夜にミセスと半分こしたよ。
こういう節分とかの日に
お参り行くといいことがあるもんですねえ。
神社を出て、再び歩き始めます。
さあ、今度は大きな公園の中に入っていきます。
西河原公園です。
ここは「大阪みどりの百選」に
入っている公園です。
なのでみどりの結構残っている広い公園です。
森の中には川が流れていて、
ここでは蛍の飼育をしているようです。
こんな注意看板も何カ所かに建てられています。
タケノコ林の横には、
こんな立札が立っていたり、
草の深そうなところには
こんな警告看板も立っています。
ずっと北のほうに上がってきたところで、
道は河川敷のほうの道路に出ていきます。
ここが、安威川にかかる
国道171号線の橋「三島橋」です。
みちはこの国道を渡って、
安威川沿いに続いていく
この道に入っていきます。
川の中の水は、あまりごみのない
河川敷を平らにゆるゆると流れて行ってます。
なかなかきれいに整備されていますねえ。
西河原市民プールの前から
河川敷におりましたら、
たくさんの人が散歩をされています。
ベンチもきれいにおかれてあるので、
少し早いですが、
ここで昼飯にすることにしました。
え~っと、今日の昼飯は
先ほどのコンビニで買ったのですが、
何かわかりますか。
日にちは2月3日の節分です。
やはり当然これでしょう。
じつは帰ってからもお寿司を握ることには
してあったのですが、
やはり今日歩くには、お昼にも
これを食べないといけませんね。
恵方巻です。
この日は高かったけどね、
頑張って買うことにしました。
もぐもぐと続く。
最新の画像[もっと見る]
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
- 龍田古道を歩いてきた8 4年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます