日高生まれの徳本上人のことを少し書きましょう。
彼は江戸中期の念仏行者で、
四歳から念仏を唱え二十七歳で出家、
生涯を修行と布教活動に捧げた上人でした。
丸みを帯び、終筆を跳ね上げた独特の文字は
「徳本文字」といわれ、
その文字で南無阿弥陀仏と刻んだ石碑は
熊野古道沿いのみならず、
全国に千基以上あるといわれています。
これから先の熊野古道でも
たくさん出会うことでしょう。
日高町には彼の生誕の地に
「誕生院」がありますが、
残念ながら熊野古道とは離れています。
ただし、義父母の実家近くにある
とのことなのでそのうちに訪れることにしましょう。
道端にさり気なくおかれた
そんな徳本さんの名号碑から少し歩くと、
案内板があり交差点に出ました。
はて?ここはなんか見覚えのある景色やな
と思い周りを見回してみますと・・・
それもそのはず御坊にある
義父母の実家に行く際に
高速道路を降りて向かうときの道ではないですか。
もう何十回と通った道なのに、
まさかその道を熊野古道が横切っていたとは
つゆ知らずビックリ仰天の驚きです。
しかも少し歩くと王子跡があると、
案内板に書かれてありました。
小さな案内板に導かれ、
家の壁に張られた案内をたよりに、
こんなトトロの森のような
木のトンネルを抜け、
かぐや姫が出てきそうな竹の小経を歩いていくと、
到着するのが「愛徳山王子跡」です。
小さく古い石碑と御坊市の教育委員会が建てた
石碑があるだけですが、
周りを完全に樹に囲まれた
小宇宙のようなところでした。
ここは「紀伊続風土記」では
参詣物資の輸送基地として
設置されたのではないかと推定されています。
何度も復興されては荒廃したという経過を持つ王子ですが、
現在は旧地がそのまま残って
清々しく整地されています。
その姿にはある種とっても敬虔な想いが
込められているような気がしてなりません。
去りがたい王子でした。
しかしまあそんなことは言ってられません。
旅人は道を進めて行かねばなりません。
王子を出ようとすると黒猫がいました。
ダ~ル~マ~さ~ん~が~転んだ!
もしかしたらこの黒猫、
王子社に宿る熊野の神の影向かもしれません~。
元の道に出て北吉田川沿いに歩いていき、
八幡橋のたもとに出ます。
古道はここを川に沿って右に行くのですが、
御坊のここまで来た以上
寄っておかなくてはならないお寺があります。
この橋を渡ったところにある「安珍清姫」の伝説で知られる
「道成寺」です。
八幡橋を左折すると、
一直線の道の先の木立の中に
道成寺の三重塔の九輪塔と水煙が
わずかに顔を出していました。
この森は遠くからずっと見えていて、
「ここから目をこらしたら道成寺が見える」
と書かれてあったのですが見つけられず、
やっとここにきてその存在に気がつきました。
道端に石が建っており
「きよひめ」の文字が見えます。
道成寺への案内です。
古い道標ですね。
いつ頃のものかなと思って、
裏面を見て凍りつきました。
案内には何も乗っていなかったその道標を
建てた人の名前が刻まれていたのです。
その名も「神南辺隆光」。
記憶のいい読者なら覚えておいででしょう。
10月に書いた西高野街道のシリーズの中で
「この人物は、河内の国の鋳物師で殺生を好む
無頼漢だったのが、あるとき夢の中で地蔵に諭され改心して
各地に道標を建てたそうだ。」
と書いたあの神南辺隆光の道標だったのです。
思わぬ出会いがあったりして、
そんな驚きに似た感動が
街道歩きの醍醐味なんやなあ
と再確認した瞬間でした。
そんな隆光に導かれ、
道成寺に入っていくのでした。
続く。
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