「北郡(ほくそぎ)橋」とは、
コンクリートの塔で支えられた
木製の吊橋なのだ。
う~ん、熊野古道を歩いていて
一番大きな吊橋に出たなあ。
ていうか、いままで吊橋てあったけなあ。
ここは橋脚は結構高いが、
特に揺れることもなく
快適に渡れる橋だ。
きっと車も通るんだろうなあ。
おお~、
橋げたでそんなことしたらあかんよ~って、
ちょっと遊んでみただけです。
この橋を渡って、対岸の橋の下や
こちら側の橋の下を眺めると、
今わたってきた橋下に
旧橋の釣り橋の橋台が残っていた。
どうしてあんなに下にあるのかなあ。
調べましたが、
まったくわかりませんでした。
そこからは川の右岸を
さかのぼっていきます。
あっちにこっちに
くねくねと山道を行きますと、
ようやく表れてきたのが「清姫の墓」です。
清姫というのは、
これまでもいくつか関係場所がありましたねえ。
お寺や松など
結局彼女をほっちらかして
国へ帰ろうとする安珍を
蛇の姿になって追いかけて、
道明寺で鐘ごとやいてしまった
というお人ですね。
清姫は、この真砂生まれの娘でした。
なので、この辺りの清姫の状況は異なります。
安珍に惚れ、
嫁にしてもらえると思っていた姫は、
安珍の熊野もうでの帰りを待ちました。
ところが、安珍はそれを無視するように
去っていこうとしたわけです。
そのことを知った清姫は、
富田川のこの辺りに
身を投げ入れてしまいます。
悲劇の主人公になってしまったわけですね。
ところがその彼女の怨念が蛇に化して、
例の事件を起こすことになりました。
地元で愛された清姫は、
愛されたまま亡くなり
ここではワンテンポ遅れて蛇が誕生して
それが思いを告げに行くわけですね。
どんな話がどうして
こんな話になったんでしょうねえ。
清姫の墓がこれ。
そしてそのそばには
「清姫堂」が立てられ、
里人たちは今も年に一度の日を決めて、
彼女の霊を供養しているとのことでした。
そのお寺を出てしばらく行くと、
「清姫茶屋 まんだら」
という食堂があります。
中辺路の郷土料理が
味わえる場所として営業されており、
「熊野和牛すき焼き定食」
なんかがメニューにあるそうです。
こんなコーヒーも気になりますが
残念!doironはもうすでに
高級食材のおにぎりの食後です。
店には入らず、
裏手のトイレだけお借りしましたあ。
その先にあった橋はわたらずに行きますと、
おおこれがバス停でその名も「清姫」。
う~ん、地域の人たちには
愛されている名前なんですねえ。
公民館の名前でさえ
「真砂清姫会館」とこうなっています。
と、そんなところで右下に
国道311号を見ながら歩いていますと、
国道に何やら大きく
数字が書かれています。
こんな数字は初めてやなあ。
133と134の間は
まあだいたい1キロ程度あります。
これはまた、マンふたや
電プレ同様に
和歌山独特の位置情報なのか?
と思ってあとで調べてみますと、
これがどうも昨年春に完了した、
地震・津波災害のための
道路路面の対空表示だったそうです。
和歌山県内の国道6本と
県道1本に設置されたそうです。
設置場所は、
上空に邪魔者がないようなところで
場所の表示がしにくいところ
となっているそうです。
まあ、近々大きな地震が
よりされているときに、
行政もいろいろ大変ですねえ。
さあて、あとは本日の
終点滝尻を目指すのみ
となってきましたが、
この辺に来て一気に道路工事、
河川工事が活発になってきました。
見ていると、
どうも最近の台風か何かで、
路面が崩れたりしているようです。
よこの谷を見ますと、
こんな大掛かりな工事をしていたり、
道路横の斜面が埋め立てられたりしています。
道そのものもこんな大きな橋を
架けたりして変わっていくようです。
はたして熊野古道は守られるんでしょうかと、
ちょっと心配しつつ、続きます。
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