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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

瀬戸内一人旅 倉敷編2

2018年11月26日 20時52分04秒 | ウォーキング

バスを降り立ってみると、
ちょっと印象が変です。



海の浅瀬にあった石というのに、
海が近くにありません。

一面の畑地なんかが広がっています。

ああ、そうかあ海が倉敷川などによって
平地化されたんですねえ。
昔はもっと北の倉敷自体がもう
海辺だったんですねえ。

商人たちが海辺を埋め立てて街を作ったと、
ブラタモリでも言ってたもんねえ。

海辺の町で土地を作ったから
最初はコメが育たず綿を植えていて、
綿花産業が発展し
倉敷紡績があったんだって。

その倉敷の町からかなり
南の方にあるここ藤戸でも、
まだまだここから海へは
10km近く離れているもんね。

倉敷の歴史と海辺の浅瀬の藤戸石って
こんな歴史で関連してるんですねえ。

バスを降りて、道路沿いにある
「浮洲岩」の案内の石票のところから



入っていきます。

遠くから見た景色がこんな感じ。



畑地の中に円筒形の石を立てて、
なんと沼地のような形で
残しているそうです。

こんな石碑も立っていましたし、



「浮洲岩」と書かれた石の標識の
ところまでこんな石の橋が
かけられていました。



ああ、ここがあの石の生まれ
故郷なんですねえ。

昔の戦時に
ここにこんな石があって
浅瀬になっていると教えた漁師は、
その話をしたことが
敵側にばれないようにと
殺されてしまうんですねえ。
そんな謡曲も残っていたりするのです。

さあ、これでこの旅の一つの
目的は果たしました。
ちょうど来たバスに乗って、
大原美術館のところまで
戻っていきましょう。



ここから倉敷の美観地区に
入っていきましょう。

この倉敷市は人口が47万人。
当然中核市になっています。
もともと倉の敷地がたくさんあったことから、
倉敷地といわれ、
それが倉敷になったと
いわれているところです。

そんな蔵や昔の屋敷や
お店が倉敷川沿いに
多く残っているところが
美観地区といわれています。



ああ街路樹の紅葉も始まってますねえ。

こんな歩道をしばらく行くと、
こんなお菓子屋さんがあり、



そこから倉敷川が続いて行きます。



若干の紅葉と川の景色がいいですねえ。



遊覧の船が川の中を走って行きます。





こんな酒屋もありますねえ。



暗くなってきているので、
油断すると写真がぶれてしまいます。

ブラタモリでも紹介してたなあ、
この辺りには大きな
醸造場があるそうですから、
そんな地酒を売っているようです。

他にもいろいろとお土産屋さんが
続く道を、ぶらぶらと暇そうな
旅人風に歩いていきました。





倉敷川沿いから駅に向かう
商店街にも入っていきます。

あ、この神社はもともと
この辺りの海辺の地形を付けた
神社ですねえ。



みてみたいのですが、
駅に預けた荷物をとって、
あらかじめ約束していた
昔のトライアスロン友との再会時間が
迫っています。

神社仏閣などチラッと眺めながら
進んでいきましょう。

あ、ここのマンふたはこんな感じです。



倉敷の市の花である藤が
あしらわれています。
こんなカラー版もね。



そしてこれが昭和42年に
玉島市、児島市が合併した
二代目倉敷の市政50周年
記念マンふたかな。



doironも会社の50周年の時には、
冊子を二冊作るなど苦労したもんなあ。

そして倉敷駅にまた戻ってきました。



ここでトラ友に逢い、
久しぶりの再会を祝いました。

このトラ友は以前から
こちらに来いとずっと
言っててくれたのです。

レースでも一度お会いしましたねえ。
その友達と、今夜は居酒屋で宴会です。



彼ももう運動はやめていて、
いろんな思い出話に花が咲きました。
この居酒屋のイカとサザエの
網焼きはたまりませんでしたなあ。



案の定、彼の家に泊まっていけ
と言われ、思惑通りに夜遅くまで
楽しませていただきました。

瀬戸内ぶらり一人旅、
順調に進んでいます。

続く


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