巡見使がとおったという道も
過ぎていきます。
東海道は東西の幹線ですから、
様々な顔を持っていますねえ。
やがて左に現れてくる看板には、
露心庵跡と書かれています。
昔、亀山が攻め込まれたときに
ここを守っていた関万鉄斎が
たった13騎でこれを撃退した
といわれています。
この戦の戦死者を亀山城の東の
この辺りに葬ったといわれており、
関氏の露心がここに
庵を立てたといわれています。
そういえば、先程江戸口門というのが
ありましたねえ。
あれは亀山城下の境で、
亀山宿となるとここが境となるようです。
その露心庵のすぐ先にいくと、
大きな鳥居が立っていますね。
この鳥居が能褒野神社の
鳥居ということになるといいます。
事前にネットで見てたのでは
まだここから、その神社までは
距離がかなりあるようです。
まだ食事もしていないし、
帰りの車のお迎えの時間を考えたら、
その神社に行くのはむつかしいですね。
鳥居のところで、
ヤマトタケルにお祈りしておきましょう。
さあ、ここまで来たら
あまり食堂もなさそうです。
その先にコンビニがありましたので、
中に入ってみましょう。
結局そこで弁当買って、
ビールを飲みながら食事を
することにしました。
ここで食べるといったら消費税が
10%になりそうなので、
持ち帰り風にしてもらい。
近くの駐車場のわきに
腰掛けていただくことにしましたよ。
あめももう上がって
青空も出てきているので
大丈夫でしょう。
駅で女性にいただいた傘は、
コンビニの傘立てに
置いていくことにしました。
また誰かが使ってくれるでしょう。
この時の弁当はこれです。
ちらし寿司とビール。
いいですねえ。
帰りのことを考えても
ビールは許されるでしょう。
井田川までかなり近くなりましたしね。
量は少なかったのですが、
ちょっと贅沢な昼ご飯です。
まあ交通費も浮くので
良しとしましょうかね。
ここからは高台を下がって
いくような感じで道が続きます。
あ、左に大きな木の生えている
ところがありますねえ。
近づいてみたら、
ここが和田一里塚跡です。
東海道の一里塚を復元したそうで、
大きな木が植えられています。
エノキかなあ。
そしてそこからさらに下っていくと、
左のすこし高台に大きなお寺がありますよ。
地図では石上寺と書かれています。
頑張って上がっていくと、
広い境内に結構多くの
参拝者がいましたねえ。
古い文書なんかが多く
残っているお寺だそうです。
七福神の旗も立っていましたよ。
ああ、渾身のお願いを
ここでしておきましょう。
さらに進んでいくと、
道が二つに分かれていますねえ。
ここは鈴鹿方向へ向かう分かれ道です。
そこに立っていたのが
「和田道標」ですね。
三重県内の東海道の道標の中でも
最古なんだそうです。
さらに進んでいきますと、
「谷口法悦題目塔」というのが
立っています。
これも昔から道案内の中で、
「河合の焼け地蔵さん」
とか
「法界塔さん」と呼ばれて
いたそうです。
昔の道案内になるのですねえ。
そこから椋川の橋を渡り、
大きな道路の歩道橋を
こえたら、ようやく
井田川駅に到着です。
時刻表を見るとうまい具合に
すぐに電車が来るようです。
電車で亀山まではひと駅ですね。
そこで亀山まで戻り、
お迎えの車を待つことにしましょう。
喫茶店のコーヒーを飲みながら、
お迎えの車の到着を待ちます。
そうそうお土産も買っておきましょう。
車の運転手に、
伊勢うどんのお土産を買いましたよ。
しばらくしたらやってきて、
行きと同じく西名阪で帰ります。
この日はいつもより少し遅くなるので、
帰宅したのは8時ころでしたね。
さあて次はまた三月くらいに
三重に行くだろうとのこと、
では次はどこに行こうかな
と考えつつ亀山の旅、終わりです。
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