ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

六地蔵を歩いてきた5

2019年11月06日 20時30分01秒 | ウォーキング

今シーズン最後の暑さにほだされて、
前回はこの地域をぐるりんと
一周する歩きをいったん
途中でやめてしまいました。

コースは面白かったんですよ。
ヒガンバナが咲いている山科川は



とても気持ち良くて、
こうして元気に歩けるのも
それとなく健康でいるからやと、
実感する歩きでした。

しかしやはり最近は暑い気温が
人々を襲います。

あんなに炎天下の下で
トライアスロンとかやっていたのに、
そういう面でも弱くなりましたね。
まあ普通になったというのかも。

脱水はdoironの天敵ですから、
それを意識したらやはり
暑さには弱くなりますねえ。

ふんふんと元気で歩いていても、
知らない間に体や精神的に
疲れがたまってきていたりするのです。

まあ歩きの経験も増えましたから、
その辺の危機察知能力も
知らずに高くなってきた
といっても過言ではないでしょう。

そんな中、朝晩が一気に冷えるようになり、
結局日差しも気持ちの
良いよさそうな日に、
今だとばかりに思い立って
早速前回の続きを歩くべく、
六地蔵方面へと向かって
行くことにしたのでした。

やはり途中でやめていたので
気になっていたからね。
このあたりは伏見や宇治に行った時に
車でだいぶ通いなれましたねえ。

第二京阪に乗って小椋で
降り伏見を抜けて走っていきます。

六地蔵に着くと駐車場も
この前と同じスーパーの駐車場に向かいます。
ここだともう乗るべき地下鉄の
駅に近いですね。

そこから前回引き返した
「小野」の駅を目指していきましょう。

ところで歴史の中に「小野」の名字は
よく登場しますねえ。

小野妹子、

小野篁、

小野小町、

小野道風と様々なところでの
この人たちの活動が見られます。

実はこの人たちは全部一族ですね。

この今回向かう小野駅も
この小野一族に関連しています。

そう駅の近くにある隋心院には
あの絶世の美女といわれた
小野小町が使ったといわれる
井戸があったりするからですね。

そんな小野駅で降りて、
さあでは歩き始めましょう。



まずは奈良街道のところで
前回最後の名所となった
隋心院を通り抜けて、
東の方へ進んでいきます。

ここがその隋心院の駐車場です。



入り口には奇妙な鉄塔が
立っていますねえ。



奇妙な目印ですねえ。

そんな横を通り過ぎていくと、
醍醐古道という交差点に出てきます。



へ~醍醐と名がついているから
いわれのある地名なんでしょうねえ。
でもこのあたり、醍醐で始まる
地名がなんと50以上もあるようで、
醍醐天皇ならびに醍醐寺が
強く関連している地域なんですねえ。

その交差点を右に曲がります。



道はちょっと並木のある下り坂で、
100mくらい行くと
左の奥に森が見えてきます。

そちらに向かって行きましょう。

そこは醍醐天皇後山科陵です。

この陵の管理は醍醐寺が
行っていますので、
他の多くの陵のように
所在が分からなくはなっていません。

かの菅原道真を太宰府に
左遷したことにより、
見方や身内を次々になくなどという
道真の怨霊にさいなまれたのではという
醍醐天皇の御陵です。

グルリンと半周回っていくと、



中年の男性が清掃活動を
している陵への道が続いています。



宮内庁の人かなあ。

近々天皇が即位の報告に
京都方面に来るそうなんですが、
それに向けての整備かもしれませんね。

まあとりあえずdoironが
お参りしておきましょう。

勧修寺で玉の輿で生まれた女性が
宇多天皇との間に産んだ子供が
醍醐天皇です。

菅原道真の追放など
父である宇多天皇に
背いたといわれて、
死後は閻魔大王に
地獄に落とされて今も
苦行が続いている
などといわれたりしています。

この陵は醍醐天皇後山科陵



といいます。
ん?山科の前の「後」というのは
何なんでしょうか。

掃除をしていた人に
聞いてみました。

「後」って何?



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