今日は診察日だった。
転院してから、かなりの種類の
検査を行ってきた。
それらの結果が全部出揃った本日、
すべてを踏まえて
ドクターの診断が下る運命の日だ。
個々の検査について
ドクターの感覚的な見立ては
ほぼ問題なしであったが
前回行った心筋シンチは
心臓の状態を見る
かなり重要な検査だったので、
その結果について聞かされるのは
ドキドキもんだった。
朝イチで病院へ行き
検査のための血を抜いた後、
午後の診察まで6時間あったため
一旦仕事に行くことにした。
企業戦士でもあるまいし、
そんなに忙しくしなくてもよさそうなもんだが
今日はかなり大事な会議を
無理して欠席することに
なるところだったので
ちょうど、その時間に
仕事にいけることになって
非常にタイミングが良かった。
遅参していって会議を済ませて
早退して病院とは
長い社会人生活の中でも
そんなにあることではないよなあ。
再度病院に到着し、
循環器内科の待合で待機した。
これはたいていの病院が
待ち時間の負担を少しでも軽くするために
行っているんだろう。
この病院でも
ある程度順番が近づいてくると
「中待ち」といって
診察室の前の廊下のところに
呼び出されるシステムになっている。
「doironさん、中待ちにどうぞ~」と呼ばれる。
待っていることに変わりはないのだが
中待ちになると
まだかまだかの気持ちが一度リセットされるような気がするよね~。
さあ、いよいよ診断が下る。
かなりドキドキだ。
「このまま入院してください」
といわれたらどうしよう。
「あちゃー、こりゃ心臓の交換や」とか
「あと100キロ走ったら、爆発の
余命100キロや」とか
「もう一生死ぬまでビール飲んだらあかんよ」
なんていわれへんかなあ。
などと、発想が貧困な割りに
しょうもないことが次々浮かんでは消える。
高鳴る心臓、
ん?
こりゃいかんがな。
このまま診察室に入って、
血圧やら脈拍やらを測られたり
聴診器を当てられたら
「あちゃ~、血圧がこんなに高く拍動が激しいと
緊急入院やなあ」とかに
なったりせーへんやろか。
と、どんどんドキドキが高まっていく。
やがて、診察室から
「doironさ~ん」と呼ばれた時には
「ひゃーい」と上ずってしまいそうでした。
かろうじて冷静を保ち、
診察室に入り
ドクターの前に座ると、ドクターは
おもむろにdoironに向かってこう言った。
「ラブ、注入!」
ちゃうちゃう
「よかったですねえ」と言葉が投げられたのだ。
「ん?てことは、てことは?
どうなん、どうなん?」
と聞きたくなる気持ちを
抑えつつここはつとめて冷静に
「そうですかあ」と返しておいた。
う~ん大人の対応だ。
続いて、ドクターから
「検査の結果はすべてシロですね。」ときた。
まるで刑事のような口調じゃないか。
「じゃ、犯人(ホシ)は別に居るというわけですかい、銭形さん!」
と聞きたくなっても
そんなうっかりハチベエのようなことは口走らないよ。
「検査結果はすべて完璧で、
まるで健康優良児といってもいいほどですよ」だって。
「”児”ですかい!」といちいち反応はしませんってば。
大人だもん。
とにかく、検査結果はすべて良好だったとのこと。
だから、入院も今はしなくていいし、
検査も薬の副作用をあと一回見るだけで
それをしたらしばらく様子を見るだけでいいよとのこと。
よかったよかった。
ばんざあい
でも待てよ、ワトスン君。
だったら、あの事件は何だったんだ?ていう
疑問に突き当たるのだが・・・
それは一応の結論は出ている。
ストレス、血糖値、脱水、不整脈が
悪い具合に重なったんだろうってね。
それとも、誰かがdoironわら人形に
釘を刺したからでしょうかね~。
いずれにしても
原因はすべてdoironにある。
その上で、再びいただいた
命のともし火を大切に、
生きていくしかあるまいて。
結局、これからのdoironが
しないといけないのは
(1)適度な運動と
(2)半年に一度の診察と
(3)薬を毎日飲む習慣だ。
どれも大して苦ではない。
適度な運動・・・フムフム、しめしめ
doironにとっての適度ですね。
半年に一度の診察・・・人間ドックみたいなもんじゃね。
前立腺の検査も兼ねて受診しましょうかね。
毎日飲む薬・・・ビールは毎日飲んでるぜ。
ま、せいぜい笑って過ごしますわ。
「クスリ」っていうくらいやからね。
ともかくまずはひと安心。
気持ちがずいぶん軽くなりました。
切り取った爪のような月と
そのそばに寄り添う木星。
仕事を終えて帰る道すがら
澄んだ空気の空に見えていた
そんな月と星が
あまりにくっきりしていたので
公園に歩きに行くことにした。
突然の思い付きにも
対応できるように
doironの車には
運動の用意はいつも搭載してある。
中央公園に着き
車中で着替えをして
歩き始めた。
冷たい空気の中にも
春の気配はかすかに漂っている。
周回コース上に咲いている梅も
かすかなかすかな香りを放っている。
もちろん、空には車から見た月と星。
歩いていると
時折うりゃーと走りたくもなる。
そんなときに自分の気持ちを抑えないと
いけないのにはちょっぴり悲しくなる。
これくらいならいいかなと思いながら
それでも徐々にスピードアップ。
でも走りはしない。
気がつけば、ジョグで追い越していく人たち
がなかなか見えなくならない。
それほどスピードが上がってしまうのだ。
ふと、我に返ったら
何かに抗うように
夢中で歩いている自分がいる。
闘争本能というには
あまりにも、幼稚な無我夢中だ。
そんなときは一度立ち止まる。
立ち止まって空を見上げたり
携帯メールをチェックしたりするのだ。
自分を落ち着かせて
またまた歩き始める。
ひたすら歩いていると
身体が温かくなってくる。
走らなくても、ポカポカしてくるのは
山歩きに似ているな。
10キロをひたすら歩いた。
気持ちよかったなあ。
こんなに平地を歩いたのは
もしかしたら萩以来かも知れないぞ。
以前にもまして
自分の身体と心と対話しながらの
二時間弱でした。
さて、明日はいよいよ検査結果を見ながら
ドクターに今後の方針を決めていただく診察日だ。
もうどんな結果になっても
受け入れる準備は出来ている。
今日は仕事で駅伝に行ってきました。
知らない人が聞いたら、
え~、駅伝が仕事なんですか?
と思われるかもしれませんが、
もちろんそんな実業団ランナーではありません。
社長が開会の挨拶をするので
その随行でした。
したがって、服装はランニングジャージではなく
黒いスーツに黒いダウンジャケットで会場に行ったわけです。
会場に向かう車の中で、
「駅伝は、リレーを除いたら
陸上競技の中で唯一の団体競技なんです。
たすき渡しは、仲間との絆を渡すんですよ」
と社長にうんちく話をしていたら、
「それ、いただきます」
と言われて、開会の挨拶のときに、
そのフレーズを言葉の中に入れてはりました。
事前にあいさつ文は部下が作って渡してあるんですが、
直前のdoironとの会話を取り入れてくれる。
そんなときは秘書冥利に尽きるってもんですな。
そんな挨拶を含む式典が始まり、
社長が来賓の列に整列中は、
doironは遠からず近からずという
絶妙の場所に立たねばならない。
何かを突然要求されるときもあるので、
視線の端の方に必ず存在を誇示しておかねばならないのだ。
以前も、突然目で合図され、
そばに駆け寄ると、
「隣に立たれている来賓の人に
挨拶できる場面を関係者に手配して
作ってあげてください」
と、急に言われたこともあるしね。
随行はただ横に付いて
荷物を持ってるだけではないんでっせ~。
常に神経を研ぎ澄ませていないといけないから、
意外にしんどいのだよ。
ところが今日は、
doironがただ退屈して
立っているように見えたんだろう、
駅伝に来ていたかつての仲間や
ライバルや知り合いが次々に
「今日は走らへんの~」
と声をかけてきて大変でした。
そのたびに、
「今日は随行なんや。
それに、年末に身体を壊して
レースはもう引退かも。
詳しくはWEBで~」などと、
どこぞのCMのように言ったりしていた。
みんなは一様に
「え~それは寂しいなあ」
と言ってくれるのだが、
「えへへ」と笑ってごまかした。
もちろん目線は社長からははずさないでね。
そんな気配を察してだろう、
知り合いたちはありがたいことに
それ以上はあまり突っ込んでは来なかったわい。
しかし、実はそんな「えへへ」とは裏腹に、
本当はここんとこは
ずっとそのことばかりを考えていたのだ。
確かにトライアスロンやウルトラマラソンを始め、
レースから離れることは寂しい。
荒野にポツンと置いてけぼりを
くったような寂しさがある。
走り続けてきて、目の前の道が
突然なくなってしまうような、ね。
しかしそう思う反面、
心のどこかにほっとしている一面もないわけではない。
だって、もう自分は
命の極限までランニングを愛し、
走り続けてきたんだ。
僕は死ぬほど走ったんだと
言っても許されるじゃん、てね。
この世に受けた生のすべてを使い果たす
ところまで走ったんだ。
だから後悔はそれほど無いんだよな。
あとは生き続けることを神様に許されたこの身体で、
走ること以外で出来ることを
精一杯やればいいんじゃないかと
思ったりもするのだ。
もちろん、もう全く走らないというつもりはない。
現に、最近は5キロジョグくらいまでは
平気で出来るほどにまで、
身体も心も回復しているしね。
喉もと過ぎれば熱さも忘れる。
人間は意外に強いもんだ。
もう少し暖かくなったら
バイクにも気持ちよく乗りたいなと思っているし、
ハイキングで山にも行きたいなとも思っている。
じっとしているだけの人生なら
命をいただいた意味が無いもんね。
そうして生き続けて、なにかあったら
もうそのときは仕方ない。
そう人生は、
凸凹だらけ、アップダウンだらけ、
水たまりだらけやけど、
これからもひょいひょいと
超えて歩いていくしかないもんね。
社長の随行という仕事で
駅伝の現場に行くと、
「みんな走っているのを見たら、
さぞや走れない自分がつらくてヘコむやろなあ」
と思っていたのだが、
仕事中という境遇の中にいると、
冷静にいろいろと考えることが出来るもんだ。
そうして思った以上に
回復している自分の気持ちを確認できて、
季節も自分も、春を予感させる暖かさを感じながら、
仕事が出来たなと
満足しているdoironなのだ。
今年の旧正月は
2月3日
つまりおとといの
節分の日が旧暦の1月1日に当たる。
この旧正月は
チャイニーズ・ニュー・イヤーと
英語で言われることからもわかるように
中国を始め、ベトナム、モンゴルなどでは
新年の行事として
盛大なお祝いが行われる。
当の中国では春節といわれ
日本の神戸や横浜の中華街では
春節祭と称してにぎやかな
祭日行事が繰り広げられるのだ。
で、今日2月5日は
その三日目。
新暦では三が日の最終日というわけだ。
なので、というわけでもないが
年末のごたごたで
延び延びになってた
doiron家の新年会が
今日、盛大に催された。
といっても、テッサとてっちりで
豪華な食事をしただけなのだがね。
せっかくなので、ひれ酒もいただきました。
と、これがやはり曲者で
回って回って回って回るの
すっかり円ひろし状態である。
さて、明日は駅伝
といっても走るわけではない
あいさつをする社長の随行である。
知り合いもたくさん来てるでしょうねえ。
スーツを着て社長についてるdoironを見て
「そんな服着て、何してんねん」と
声をかけてくる知り合いも
いるやろなあ。
それにしてもかつて
結構頑張ってたその駅伝に
そんな形で参加することになろうとはね。
明日は暖かくなるかな。
朝早いので、早く寝て
ひれ酒の酔いを醒まさないとな。
ではおやすみなさい
当たりをチェックしていたときに
職場の先輩にいただいた年賀状が
二等に数番違いということ気づいたことがあった。
その先輩に
「先輩の年賀状が二等にカスリましたよ。
きっと先輩が誰かに出した年賀状が当たってますよ」
とメールしたら、
なんと先輩が書き損じて
手元に残っていた年賀状に
その当たりがはいっていたらしい。
もう軽く10年以上も前のことである。
その先輩が、
最近とてもブログに力をいれてはり、
たまに訪れては楽しませてもらってるのだが、
先日訪れてみると、
昔のその年賀状のくだりが題材になっていた。
そこに書かれてあったのは
「勤務先の友人がメールをくれた」、
「転んでもただでは起きませんねと言われた」
といったdoironとのやり取りが紹介されている。
その先輩のブログには、
今までほとんどコメントをいれずに
こっそりと訪れていたのだが、
「この自分のことが書かれているブログには
やはりコメントせねばなるまい」
と思い立って、投稿してみた。
すると、お互いの消息を
風の便りレベルくらいでしか把握していなかった先輩から、
非常に驚かれた旨のコメントが返されたのでした。
「doironを思い浮かべながら書いたら、
本人からコメントが入ってびっくりすると同時に、
こんなことがあるからブログを続けていてよかった」
とおっしゃってはりました。
先輩は定年退職して2年。
いろいろ時間の費やし方を
模索しておられる様子でした。
そうやねえ、doironもあと5年で定年退職だ。
先輩のブログを参考に、
今から徐々に身の振り方を
考えておくことにしますかね。
さて、ところで、今年の年賀状なんですが、
doironと親父あわせて
300枚近くあるのに
なんと当りがゼロでした。
こんな年もあるんやなあと思っていたら、
なんとなんと
二等とはまではいきませんが
先輩と同じく、
書き損じのはがきが
末等の切手シートに当たっていたでは
あ~りませんか。
こんな奇遇なこともあるもんなんやなと
にんまりしていたdoironなのでした。
明日は立春。
したがって今日は節分だ。
明日から新しい季節が始まる。
運勢的にもこの節分は
ひとつの節目であるらしい。
ミセスdoironは
昨シーズンは車の運転に
気をつけるようにいわれており
慎重に乗り切ってきた。
かといって、明日から
どうでもいい運転でいいかというと
それはそんなことはない。
でもまあ、そんな1年が今日で終わった。
doironも
こんなに波乱に満ちた年はなかった。
次期シーズンは
ぜひとも穏やかであってほしいと
願うばかりだ。
そんな節分だから
今日のお弁当はこれね。
お豆をふんだんに使い、
のりたまのゆかりと
海苔を細工して作った角を持つ
鬼の顔を作った、いわゆる
節分弁当である。
夜は、夜で
この日はなんといっても巻き寿司やね。
義母が朝から一日かけて
巻いてくれた巻き寿司をいただきました。
不自由な身体にムチ打って
一日がかりで作ってくれた
巻き寿司がおいしくないわけがありまっせ~ん。
職場の人たちが言ってた
南南東にちょっと右という恵方を向いて
いただきましたよ。
そして、その後は恒例の豆まき。
スーちゃんがデイで作ってきてくれた
鬼の貼り絵
これに向かって
「鬼は~外、福は~ウチ」と
やらかしましたぜ。
それにしてもこんなに優しい顔の
鬼はいませんて。
そしてその後は、
歳の数だけ食べるという豆。
お皿に盛るとdoironの分だけで
こんなにありました。
う~ん、うんざりするぞ~。
高齢の両親とdoiron夫婦で
合計300個足らず必要なので
撒く分も含めたら
近頃は一袋じゃ足りませんわ。
昔は、ひと袋あれば十分だったのになあ。
こんなにたくさんは食べ切れんぞーと
いうわけで何粒か食べた後は
残りを近所の氏神の神社に奉納しに
散歩していってきましたあ。
よい一年でありますよーに
すべてボタンをポン!
で手軽にできることを書いたら、
それを読んだ知り合いがメールをくれた。
メールじゃなくてコメントに入れてくれたらいいのだが、
どうもネットに自分の言葉が出るのは
照れくさいんだとさ。
どんなメールだったかというと、
技術の進歩に伴い
いろんな操作が変わってきているな
という趣旨のメールだった。
そうやねえ、例えば昔の音楽を聴いていると、
「ダイヤル回して~」
なんていう歌詞があったりするけど、
今どきダイヤルを回すような
電話なんか無いよな。
古い小説なんかでも、
「静かにレコードに針を降ろす」
なんて表現はもう現実味がない。
そう考えたらいろんなことが変わっていく。
「カメラにフィルムを入れる」
なんてのももうこの先あまり見られない光景だろう。
「車のキーを差し込んでエンジンをかける」は
「ボタンを押してエンジンを起動する」
になるだろうし、
「ビデオテープを巻き戻す」も
「過去のシーンをサーチする」
になるに違いない。
そんなふうにこれから変わっていくことが
予想されるものをあげると枚挙に暇がない。
今の時代に生きている高齢者は、
めまぐるしい変化の中で生きてきた。
体が動かなくなって
恩恵を受ける人も多いだろうが、
激動の時代を生き抜く中で、
社会の進化についていけなくなった人も
ずいぶんいたのではないだろうか。
生まれたときには、
カメラも珍しい時代だったのに、
いまや手の中サイズの機械で
動画が取れる時代になっているし、
電話もそんなに普及していない時代から、
個人個人が携帯を持つ時代にまで
変わってしまっている。
これから先どんなふうに変わっていくのか、
そろそろ高齢者の部類に
片足を突っ込んでいるdoironにも
予測がつかず、一抹の不安は拭えない。
そのうち、がんの飲み薬ができて、
ちょっと胃にがんができたみたいやから
薬局に行って薬買ってくるわ~
みたいな時代もすぐそこかもしれない。
アルツハイマーみたいやから、
医者で注射打ってくるわ~とかね。
下手したら
「あなたの新たな心臓をオーダーできます」
なんて臓器屋さんなんてのもできるかもね。
いずれにしても、
社会はめまぐるしく進化し変わっていく。
doironの生活も
いろんな意味で
これからどんな風に
変わっていくんだろうにゃ。
2回目の検査だ。
今日の検査は
「負荷心筋シンチ」
心臓に負荷をかけながら
投入した放射線物質で
血流や心筋の状態をみるというもの。
当日は朝から絶食で
この検査を受けなければならない。
前もって予習してたら
前日のコーヒーなども
控えておいたほうがいいとのこと。
う~ん、コーヒーは飲まないけど
缶ビール1本くらいならいいっしょ。
当日絶食の指示しかなかったしなあ。
で、前日は普通に過ごし、
今朝は朝食を抜いて病院に行った。
検査が始まったのは午前9時。
薬を点滴しながら
トレッドミルの上を歩いて
心臓に負担をかけていく。
横に付く看護師から常に
「大丈夫ですか?
胸は痛くないですか?
息苦しくないですか?」と言葉が投げられる。
そりゃまあ、そういう人を
検査しているのだから
心配なのはわかるが
頻繁すぎ!
15秒に一回くらい聞いてくる。
それがかなり窮屈で息苦しいんやけど・・・
と思いながら
「異常を感じたら言いますから」と
言ってあげた。
そこからは1分くらいは静かでした。
しかし、一向に心拍数が上がらない。
そりゃそうだ。
こんな速度で息が上がってたら
間違いなく病気でっせ
というほど、ゆ~っくりだ。
「一段上げますよ~」
「どうぞどうぞ」
「もう一段上げますよ」
「はいはい」
「さらに上げますよ」
「へいへい」
てな感じで
しばらく歩いた。
これで今日のウォーキングの
半分はこなせるかなというくらいのときに
ようやく目標心拍数に達したようで
トレッドミルは静かに停止した。
直ちに、MRIに似た機械に寝かされ
撮影が始まった。
これがまたとても時間がかかる。
腕を上げた万歳の姿勢で寝かされ
身体の周りを何やら機械が
地球の周りを回る人工衛星のように
動いたり、とまったりで、その間
20分くらい静止していないといけない。
しまいにゃいびきをかきそうになりましたわい。
撮影は全部で30分くらいで終わった。
ん?この時間なら
軽く飯を食って
午後から仕事にいけるじゃん
と思ってたら、
検査の人が
じゃあ、次の撮影は
午後1時過ぎからです、だと。
「それが終わるまで絶食ですよ」
え”~、まだ絶食う?
しかも昼からも~?
負荷時の次は
静穏時も撮影しないといけない。
そのためには3時間は
開けないといけないらしいのだ。
中央公園にでも行って
散歩するかと思ったが
次は静穏時とのことなので
それは断念して
一旦帰宅した。
水以外は何も口にすることが出来ないので
仕方なくコタツにもぐりこんで
録り貯めてあるTVを見ることにした。
映画を1本見て
ようやく時間になったので
再度病院へ行き
また万歳をして撮影。
もうこのときは空腹の絶頂で
お腹と背中がくっつくかと思いましたわ。
え?そんなやつはおらんやろって。
確かに!
この検査の結果を受けて
8日の診察で今後の方針が
やっと決まるというわけだ。
今日の予定のすべてが終わったのが
午後2時前でした。
もう仕事にもいけないし
カインズカフェで
すきっ腹にランチを補給してきましたぜ。
日頃あくせく仕事をしているので
一日がかりの検査も
たまには息抜きでいいかもね。
それにしても、ここんとこ
医療費がメチャかさばっている。
今日の検査も
請求金額は、約25000円。
カードを持ってて良かったわあ。
年末に倒れてから
今日まで
結局なんやかやと
医療費で50万近くかかっている。
高額医療費でいくぶんかは
返ってくるとはいうものの
痛いことこの上ない。
ま、命には代えられんが・・・
そんな話をミセスdoironにしたら
「グーが手術をしたときより
高くついてよかったね」だと。
かろうじて、人間としての
面目は保たれたというわけか・・・