なぜ、「みちのく」なのか?
ネットで調べると、どうも確定した説はなさそうで、
やはり一番素直に思うのが
「道奥国」(みちのおくのくに)
からきているという説だ。
道の奥であるからして、
遠いところである。
ましてや関西の人間となると、
遠いところだと一足飛びに
北海道へ行ってしまうもんね。
なかなか馴染みのないのが
東北だろう。
doironもこれまで東北には
二度しか行っていない。
一度は、盛岡中心の旅行だ。
バスを駆使して、八幡平や花巻にも足を運んだ。
もう20年以上前になる。
今回の旅の目的の一つは、
その時に訪ねた場所に
もう一度行ってみようということだった。
当時、そこまで行った交通手段は、
大阪から仙台まで夜行バスに乗り、
そこから開通して間もない新幹線で、
盛岡まで行った。
今回は友達と、大阪から飛行機に乗って
仙台に行き、空港で借りたレンタカーで移動した。
飛行機を降り立つと、
仙台空港の周りは、がらんとしていた。
言わずと知れた東日本大震災の影響である。
レンタカーの店で聞くと、
その店があったあたりは住宅地であったそうだ。
事務所もプレハブに毛が生えた程度で、
震災後に新しく建てたそうだ。
震災当時、社員は空港に避難していて
全員無事だったそうだ。
応対してくれた社員も、
その日は非番で難を逃れたそうだ。
被災地を歩くことも今回の旅の別の目的なので、
その社員の言葉に後押しされるように、
空港周辺に積み上げられたがれきを見ながら、
みちのくの旅に出発したdoiron一行であった。
借りた「マーチ」は快適に走った。
まず最初に向かったのは、
中尊寺。
ご存じ世界遺産の名刹である。
そこまでの高速道路は、
海岸から山を隔てているので、
復興作業のダンプが多く往来している以外は
まったく震災の影響を感じなかった。
中尊寺は、前回の旅でも行っていない。
初めて訪れる場所であった。
抱いていたイメージは、
山深いところにこの写真のような杉林があり、
その奥に寺が鎮座していると思っていたが、
杉林はほんの少し。
意外に町のはずれのようなところの
里山のような場所に建立されていました。
さて、中尊寺というと金色堂を思い浮かべますよね。
あの金色堂こそが、
中尊寺なんだと思っていましたが、
中尊寺というお寺が別にあるんですね。
こんな感じ。
そこからさらに、義経や弁慶に成りすまし
また時代変わって芭蕉
が歩いたであろう参道を進むと、
いよいよこの世界遺産の中心である、
国宝「金色堂」に到着します。
よく大晦日の「ゆく年くる年」
にも登場する金色堂参道でパチリ。
金色堂はお堂ごと後ろの建物の中におさめられています。
写真はNGなので、ここまでです。
金色堂は、実に美しく、
瓦は木製で、それはさすがに金色ではありませんでしたが、
床下の柱まで金色に塗り固められてました。
先に書いた芭蕉がこの地を訪れた時に詠んだのが、
「さみだれを 振り残してや 光堂」
芭蕉は「さみだれ」が好きなようです。
このお寺でかの地の無事復興をお祈りし、
次の目的地に移動しました。
20年以上前に訪れた頃、
doironは宮沢賢治に夢中でした。
彼の描くファンタジーは、
彼の広大な心象世界を反映し、
単なる幻想ではなく科学や宗教に満ちたもので、
今もdoiron家には、
当時に読んだ彼の全集が本棚に並んでいます。
当時、彼の記念館に行くべく、
新花巻に降り立った時です。
駅前でバスに時間を見ていると、
広場の奥のほうからかすかに
「セロ」の音色が聞こえてきました。
そちらへ行ってみると、
さすがに花巻ゆかりの賢治のことだけあって、
彼の作品である「セロ弾きのゴーシュ」をかたどったモニュメントがあり、
そこのボタンを押すと、
セロ(チェロともいいます)演奏が聞こえてくるしくみでした。
そのモニュメントがなんと今も残っていたのです。
記憶の中で消えつつある光景に出会って感動しました。
その後訪れた、宮沢賢治記念館も
周りの景色とともにそのままありましたし、
泊まった花巻温泉もほとんど変わってなくて、
まるで、タイムスリップしたような感動を覚えたdoironでした。
かつての思い出の地を訪ねるという、
この旅のひとつの目的はほぼ達成しましたわい。
本日、退職後の旅の日々が
ひと段落ついた。
本来なら、もう少し早く落ち着くはずだったのだが
みちのくを旅し、それを
完結させるために
どうしても行かねばならない所が
もう一か所あった。
それはどこかって?
いやいや、それはおいおい紹介しましょ。
今日は、その旅も終えて
ようやくひと段落の
自宅の夜だ。
明日は、家にいて、
少々出遅れた感は否めないが
近所に花見でも行くとしますかね。
そして12日からは
ミセスdoironと九州に行く予定だ。
テポドンを見に行く・・・
というわけではない。
目的は別にある。
う~ん、思わせぶりばかりでごめんなさい。
旅ばかりが続くものの
ブログにまとめる時間と気力が
不足しているんでね~。
ま、時間があるから
焦らずじっくり行きましょう。
そして、一生に一度の大きな退職の春だ
この機会に区切りの旅をもう少し続けるつもりだ。
ほんとはね、外国に行きたかったんだけど
老親のことがあるからね。
その分、じっくりとわがままを
国内で実行しようと思っている。
旅ブログ、明日からぼちぼち
始めます。
被災地の復興はまだまだ遠いというのが、率直な感想です。ひとつめは、南三陸町の流された船。津波のすさまじさをまざまざと見せつける光景に、言葉を失いました。そして二つ目は陸前高田の奇跡の一本松。まさに津波の生き証人。思わず手を合わせました。
伊丹から飛行機でビューンと仙台へ。そして途中中尊寺にもよりましたが、目的はこれ。わんこそばと宮沢賢治記念館。前者は初めてで後者は20年ぶりくらいで訪ねました。ほんとに久しぶりで、脚が震えるくらい高ぶりました。
さあさあ、いよいよ
doironのみちのくさすらいの旅が
明日から始まります。
何を見、何を思い、何を得る旅となるのか
職を辞し、家庭をミセスdoironに託し
満を持しての旅立ちです。
明日からのブログは
携帯でのアップとなりますので
少々見づらくなりますが
お許しください。
しばらくは足跡を紹介するのみかもしれません。
そしてその旅が
doironの中でどのように
発酵し熟成するのか
それは帰ってから書くことになるでしょう。
明日は9時35分の仙台便で
伊丹を飛び立ちます。
さ、早く寝よっと
新しい春を、しっかり迎えていくために
今日は、どうしても会っておかねばならない
人に強風の中会ってきた。
途中、嵐のような強風で
とめてあった自転車もこんな感じ。
すごい風でしたねえ。
まるで春2番。
それにしても桜が咲く前でよかった。
これが満開の後だったら
今年の花見はパアである。
よかったよかった
で、我が家の被害はというと
植木鉢が一つこけていたのと
屋外の物置の抑え板が飛んでしまったのと
ゴミ箱のふたが
庭の片隅に飛んでしまっていたことくらいで
すみました。
さすがに卑弥呼が住んでたかもと言われる
曽根遺跡のそばだけのことはあります。
長きにわたって繁栄をしてきた
災害に強い街なんです、ここは。
そんな風雨の中、退職の報告を
かねて、電車に乗って行ってきました。
いろいろと、目からうろこの話も聞かせていただき
実りある一日でした。
嵐の船出?
いやいや、ゼロからのスタートです。
心機一転、というわけでもないが
さっぱりしようと昨日散髪に行った。
いつもの行きつけの
バーバーで、チョキチョキ。
ボサボサだったもんな。
思い切ってショートカットにしてみました。
え?言ってる意味がわからない?
いやいや、ボサボサを
約30cmもバッサリ切ったんですったら。
うそうそ、本当は30mm
ただ、近頃斜面に比べて
頂上付近が砂漠化しつつあるので
斜面中心にカットをしてもらった。
いつもなら「いつもと同じで」と言うだけなのだが
珍しく注文を付けたので
バーバーにゆるい緊張が走ったもんだ。
ハサミを持つ親父の手にも
力が入ったようでしたぜ。
ブラシ捌きもどことなくぎこちない。
何度も何度も鏡を見ながら
「こんなもんでどうでしょう」と
聞いてくる。
「はい、いいよいいよ」と
こっちは眠いので、すべて生返事である。
終わってみたら
砂山のてっぺんに咲く枯れすすきみたいに
かっこよくなってました。
新生活にふさわしい
砂山のかれすすき・・・
どこがやあ!!
全然いけてないじゃん!
ま、いいか。(あきらめ早っ)
新しい髪形で新生活。
すべてリセットだということで。
散髪で思い出したのが
和歌山御坊にある義父母の家と庭。
さぞかし、草ボウボウであろうと
今日はその様子を見に行くことにした。
高速をおりてそこへ行くまでの間に
小学校の横を通るのだが
ソメイヨシノがすでにチラチラ咲いてましたわ。
さすがに南の方は早いもんだ。
レンゲや菜の花もしっかり咲いてました。
のどかでしょ。
で、さっそく目的地の、庭に行ってみると
こんな感じでした。
すでに、手作業での
草刈りでは追いつかない状態。
ボサボサじゃん!
仕方ないので、除草剤の登場です。
ほとんど手入れもしないで
放置していたので仕方ないかね。
でも、そんな放置扱いだというのに
桃の木はしっかりと花をつけてました。
たくましいもんです。
自然の力ってすごいねえ。
とりあえず、咲いてる水仙や
各種植物を、飾り用に摘んで
残りの部分に女装材・・・じゃなかった
除草剤を、次に来るときは
どうなっているだろうなと
想いながら撒布した。
がんばれ、除草剤!
今度来るときは
梅の実がなっていますように、と
そんなお願いもしながら
早いうちに帰ろうと
すぐに帰路に就いたのですが、
帰り道の景色に驚きました。
というのも、朝、ちらほらだった小学校の
桜がなんと帰りには
5分咲きくらいにまで咲いていたのです。
「三日、見ぬ間の、桜かな」
どころではありませんがな。
とにもかくにも
一気にやってきた春を迎えて
頭髪と雑草のカットに興じた2日間でした。
退職したら
あれもしようこれもしようと
いろいろ画策をしていたが
あまり頑張って次々取り組んでも
すぐに終わってしまいそうで
徐々にじっくりと取り組んでいこうと思う。
当面は、家庭内環境の改造だ。
介護が必要になった時には
家中のあちこちに
手すりを付けたもんだが
それをもう少し進化させて
家具の位置や
ドアノブなんかも工夫しようと思っている。
バリアフリーに加えて
ストレスフリーにも
改造しなければね。
最近の日曜大工道具の
進化ぶりは目を見張るものがある。
いろいろと便利なグッズが
探せば、いろいろあるようで、
まずはそのあたりを研究しながらの
改造に徐々に着手するとしよう。
と、同時に、息子の部屋も
大改造だ。
これはdoironのために、ね。
片づけていると
息子の中学時代の文集や
古い写真なんかが出てきたりして
いちいちしっかり眺めてしまうから
なかなかはかどらない。
ま、これまでだったら
次の片づけをいつできるかわからないから
はかどらないままとりあえずここまでと
中途半端に
終わらせてしまっていたけど
これからは違う。
最終形をイメージしながら
じっくりと取り組んでいけるもんね。
西日は入るけど
風のよく通る極上の部屋なので
結果を楽しみに少しずつ完成させようと思っている。
明日は、4月最初のウイークデイの月曜日。
もう退職したとはいえ
今日は日曜日。
世間も休みなのでいつもと同じ朝を迎えた。
(おかげで、今夜は星がきれいです。)
明日朝目覚めて、世間が動きだし
自分はもう出勤しなくていいんだということで
退職を実感する・・・そんな気がします。
では、