ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

孫を訪ねて秋の旅4

2018年11月10日 21時35分46秒 | 最近の出来事

上の方は冷え冷えの天候という天候の中、
仕方ないのでバスでの登頂をやめ、
マイカーで上がれるところまで
行ってみようとチェックアウトしてから
車で登っていくことにしました。

昔はこのまま畳平まで登れたんですがね。

いまは通行規制をしているようです。
車で10分ほど上がっていったところで
規制していると宿の人が言ってました。
まあでもそこまででも行ってみましょう。
坂道を登りながら、ここはねえ
自転車で登るレースもあるんやでえ
とミセスに言ってると、
ほんとに登っている自転車がいましたよ。

ほとんど立ちこぎで登っていきます。

ウワー、こんな寒い時にすごい人やなあ
と言ってると、ミセスが

「あのさあ、寒いとかの問題じゃないんだよね。
たいがいあんたの若い時はもっと変な人やったで」
とつぶやいてはりましたわ。

途中の三本滝というところで
マイカーは通行止めです。



男性が一人道の番をしてはりましたね。
降りて話をしました。



「昔はここからまだ上にも
車で上がれたんやけど、今は無理なん?」
て聞くと
「今はもう一年中無理ですねえ。
そういう交通規制になっています。
そう思ってくる人も多くて大変です」
と語ってはりました。

と、そこへさっきのロードバイクの人が
上がってこられました。

「おはようございまーす」
といいつつ警戒を超えて
上がっていきはります。

「今日は畳平まで行くわあ」と
言ってはりましたな。

警備員さん曰く
「あの人はいつも来てはりますねん」。

標高3000mを超える山の
山頂近くまでいつも上るなんて、
やはり変な人やでなあ
と普通になったdoironは叫ぶのでありました。

駐車場の周りをウロウロ歩いて散歩しました。




この辺りの紅葉は、真赤になる木は
少ないけれど、広い山全体が
柔らかな黄色に包まれて
とてもきれいでしたよ。

さあ、ではのりくら観光も
これで終わりです。

ではこれから今回の旅行の
メインである孫詣でにむかいましょう。
とはいえ、待ち合わせは
夕方4時ですから、
途中もう一か所観光をして
向かうことになるでしょうね。

乗鞍の山の方から松本の方を
向いて下っていきましょう。

天気はうっすら曇り空ですねえ。

水殿ダムから野麦街道を
降りていきます。

ここから次に目指す
安曇野のちひろ美術館に向かいます。

松本から長野自動車道で安曇野へ。
まずは昼食を目指しましょう。
え~今日も昼食は道の駅でのお弁当購入です。
松川の道の駅に行きました。

それにしても地方の道の駅は
独特な商品なんかもありますねえ。
乗鞍からおりてくる道の駅にも
山の製品がたくさんあって
面白かったですが、
ここもなかなか興味深いものが。
少し紹介しましょう。



これがなんとあの漬物で食べる
野沢菜の生です。
これを買ってみなさんお家で
漬物作ったりするのかなあ。

え~勝手に撮影してるので
値段表とかは隠しておきましょう。
結構安かったですよ。
漬物の五分の一くらいです。



そしてこれはさすがに信州ですねえ。
アケビの実が売られてました。



さらにこれはもう驚きです。
なんとイナゴの佃煮なんかも商品です。
一瞬買おうかなあと思いましたが
ミセスに反対されました。



これは馬肉の燻製です。
ジダンが言ってたなあ、
長野の馬肉はうまいって。
違うかったっけ?



これは「ポンセン」と名づけられてましたが、
ちょっと違う気がするなあ。

まあ結局そういうものは全く買わずに、

って買わへんのかーい!

お弁当を購入しました。

この弁当を持って眺めのよさそうな
コンビニに行き、お湯で味噌汁を
温めてもらって、そこから歩いて
近所の畑のわきに座って
昼食としましたよ。



こんな景色をバックにいただいた
お弁当もまたいいものでしたよ。

続く


孫を訪ねて秋の旅3

2018年11月09日 20時33分16秒 | 最近の出来事

のりくらの大自然の中の
森の中を歩いていると、
昔に山にガンガン上っていたころを
思いだしますねえ。

小さな花たち、雄大な樹々、



でっかい大自然に心躍りますねえ。
ふと右を見ると池があります。



乗鞍の火山活動で出来た溶岩台地の
くぼ地に水が溜まって出来た池です。
名前は「牛留池」。



昔この辺りで放牧をやってた頃に、
牛がよく集まる池だったそうです。

この池の展望台に行ってみると、
おお~空が晴れて樹々の上に
乗鞍岳が見えていますよ。



ここで写真撮影ですが、
かなり暗くなり始めている上に、
山の上の方は明るいので露出が難しいです。
山がよく見えている写真を
載せておきましょう。



こうして熊にも会わず、
リスにも襲われず、散歩終了です。
では温泉へと向かって行きましょう。

実はここの宿は、今から30年くらい前に、
義理の父母と小さな子供を連れて
5人で来たことがあります。
子どもにとって温泉はとても楽しかったようで、
親子二人でお風呂で大騒ぎした
記憶がありますねえ。

そしてその時の料理はなんと
特別にチーズ・フォン・ドュを
食べたことを思い出します。
でも食べ過ぎて、胸が気持ち悪くなったのを
思い出します。

もう今はその息子の子ども、
すなわち孫を見に来るように
なってるのですから
月日の流れはえらいものです。

で、本日の料理はというと、
バイキングなんですが、
なんとミセスはそれに加えて
飛騨牛のすき焼きキャンペーンを
申し込んでいました。



これはもう大変ですねえ。

だから、昼間はあのおにぎりセットを
二人で分け合って食べたのですよ~
だからもうおなかペコペコです。

バイキングをとるのが難しかったですねえ。
食欲を押さえつつ、
これ以上とったら飛騨牛が食べられないぞ
と警戒モードです。


少しずつとり、種類もうんと減らしましたよ。
そしていよいよ飛騨牛です。



ああ、ここ一週間のダイエットが
台無しやなあ。
でもまあ孫詣でという幸せ旅の途中ですから、
天の神様には許してもらうことにしましょう。

山芋だれで食べる飛騨牛は、
とってもまいう~でした。
周りを見ますと、飛騨牛コースは
結構いますねえ。

まあそのぶんバイキング消費量が
減るだろうと見込んで、
お安く提供してくれているんですね。

お宿は結構いっぱいでした。

バイキングをいただく席を
探さないといけないほどになりました。
予約がうまくとれてよかったです。

食後は部屋でチューハイを
チビチビいただきながら楽しみましたよ。
夜の景色はどうかなあと窓を開けてみると、
おお~雲間に星も出ているじゃないですか。
さっそく外に星見学ですが、
これがきれい事はきれいなんですが
寒くて寒くて。
きっと気温は10℃以下でしょうねえ。

これは酔いがさめるぞといいつつ、
再度お風呂であったまって
のりくらの夜は更けていくのでありました。

翌朝もまたバイキングで、
昨夜おいしかったお蕎麦などを
中心にいただきました。



さあて今朝はのりくらに登ってみるかと、
往復バスを申し込みに行ったのですが、
なんとこの日は朝の山頂気温は
マイナス2℃で、雪もうっすら
つもっている状態なんだそうです。

まさかねえ、そんな重装備の服装は
もってきていないので、
登頂はあきらめました。
それに駐車場に出てみると、
わが軽自動車はこんな感じで
凍てついております。



これで陽が当たらなかったら、
氷を溶かしてからはしらないとなあって感じです。
で、その時に駐車場を眺めていて
気が付いたのですが、
どうも遠方から来ている車は、
ほとんど軽自動車ではありません。
地元の長野ナンバーの車は軽もいますが、
ほとんどが普通乗用車です。

軽で和泉ナンバーはかなり
目立つ存在ではありました。

続く


孫を訪ねて秋の旅2

2018年11月08日 20時50分42秒 | 最近の出来事

まあ節約も兼ねて
食堂の昼食を食べるのではなく、
公園で買ったコンビニ弁当を
のんびりと食べるというのも
いいかもしれないねえ。
年金暮らしだしね。

それに最近のコンビニでは、
あったかいお湯で味噌汁なんかも
作れるしなあ。
自然公園の中でベンチに座って
楽しくいただきました。



天気よくてよかったなあ。

しばらくのんびりした後は
運転をミセスと変わって、
次の休憩地である

「ひるがの高原」

のサービスエリアを目指します。

道はやがて木曽川から
長良川沿いのところを
走って行きます。
おなかもふくれてぼんやりと
景色を見ながら、関や郡上八幡などを
通り過ぎてゆきます。

そして、そのころからでしょうか。

前方遠くの山の上に黒い雲が出てきました。

じっと見てると、ドヒャーと
落雷の姿が見えてきます。
ああ~あんな中を運転するのは
いややあと叫ぶミセス。

なんとか「ひるがの高原」の
サービスエリアの中に
車をとめた途端に大嵐となりました。



上空を雷の音が走り抜け、
大粒の氷も少し混ざったような
雨がドヒャヒャヒャアと降ってきます。



もうトイレに行きたいのに
車から降りることもできません。

「天は我を見放したかあ」

とかいいながら、我慢我慢の約10分をすごし、
ちょっと小降りになったところで
トイレに走りましたね。

それでもなかなか雨は止まず、
30分くらいは待ちました。
ようやく普通の雨くらいになったところで、
今度はdoironの運転で出発です。

ここでこんな天気だったら
乗鞍はどうなっているだろう。
大嵐で雪でも降って、
普通タイヤの軽四では
上がれなくなってないだろうか。

明日は路頭に迷って
無事に孫にまで到着できるのだろうか。

そしてそれに加えて、
到着しても知らん顔見て
「うわ~ん」と大泣きされたら
どうしようなどと不安は
どんどん広がっていきます。

道は大変な山道に入っていきます。

ナビを見ていたらもう私は
一体どんなところを走っているの?
って感じです。



え~ポツンと一軒家を目指して
取材しているわけではありません。
乗鞍の国民休暇村という
山手の豪華旅館を目指しているわけです。

くねくねと体を揺らしながら
車で走って行きますと、
おお~なんとあらけた雲の間から
青空が見え始めたではないですか。



「おお~天は我を見放してなかったぞ」。

平湯峠から安房トンネルを抜け、



一般車は入れない釜トンネルの
横を通って進んでいきますと、



紅葉に包まれた景色の中、
宿の前に到着です。



チェックインすると、
もう山の方も青空が出ているようです。



夕食、お風呂の前に宿の周りの
自然道を歩いてみました。



宿裏の山の中に入っていきますと、
入り口のところにこんなものがあります。



「クマの生息域にあなたは入っています」

と書かれています。
鉄の棒で「かんかん」と
二、三回たたいてください
と案内があります。
余計にたたくと逆効果だとか。



う~ん、こんなに寒いともう
冬眠してるんじゃないかと思いつつ、
3度ほど叩いておきました。

木道を歩きながら、
もう一つ気になったのが、これ。



屋外のトイレかと思うと、
名前が「携帯トイレ」とあります。
どうも普通のトイレではなく、
「のりくら高原では携帯トイレの
使用を推進しています」とあります。

う~ん、どんなんかなあと
一瞬興味がわきましたが、
まあここは静かに見守るだけに
しておきましょう。
写真にも取れないだろうし・・。

周りはかなり深い森のようです。
奥の方からがさがさと
音が聞こえてきたりすると
緊張してしまいますねえ。

リスとかヤマネとかかなあ。

あ、こんな変わった姿の木がありますよ。



深い雪のせいでこんなことになったのか、
そこにある看板では
「樹根を保護するため」と
書かれています。

驚異の自然ですね。

続く


孫を訪ねて秋の旅1

2018年11月07日 21時29分13秒 | 最近の出来事

孫が生まれてもう三か月以上となる。
生まれた翌日にあって以来
まだ顔を合わせていない。

宮参りも、こちらの祭りの頃だったから
いけなかったしなあ。

じゃあぼちぼちお食い初めの頃かなあ
と思っていたら、
向こうの奥さん家では
そんな儀式はしないんだそうだ。

顔を合わせたといったら、
携帯電話のテレビだけだったよなあ。
こちらの顔なんかもう
全然なじみがないよなあと、
さみしさを感じる最近なのだ。

で、季節はもう秋。

向こうは秋真っ盛りの紅葉の
季節になっているだろうから、
そういう景色を眺めながら
孫に会いに行くかとたくらんだのだ。

向こうの孫は、奥さんが実家に連れていき
奥さんの母親が面倒をみてくれている。
なので、会うとなったら
土日を目途に行くしかないわけだ。

じゃあ、金曜日に家を出て
秋真っ盛りの乗鞍岳のふもとで一泊してから、
孫を訪ねていくという
秋の旅行を兼ねた旅行を計画したのだ。

たまたま電話した、乗鞍の
休暇村の宿が取れたので
そこに行くことになった。

向こうの家もちょうど予定が
いいのでぴったしだ。
でもねえ問題が一つだけあった。
祭りの時にひいた風邪が
きっちり直っていないのだ。

咳がまだ出るくらいだから、
こんな状態では顔を合わせることができない。
doironもそうだし、
ミセスもゴホゴホいってるのだ。



これはいけないぞと、旅行の週の
月曜日に二人して医者に行き、
即効直してくれる治療をと要求し、
薬をもらってきたのだ。

doironの場合、普段の常備薬でも
満載あるので、お薬手帳を持参して
飲める薬を選んでいただいた。

喉、鼻、せき、抗生物質だったかなあ。

だから朝の多い時には、
な、なんとこれだけの薬を
一度に飲まないといけないのだ。



心臓、脳、胃薬、血圧の薬など
含めるともう何も食べなくても
これだけで生きていけそうな感じやね。

亡くなったdoironのおやじも、
90歳を超えたくらいからは
大量の薬を飲んでいたけど、
最後はそれもちゃんと呑み込めなくて
ゲホゲホしつつ、最終は誤嚥で
排煙になってたなあ。

まあdoironももっと年老いたら、
こんなけの薬だったら
5回くらいにわけてのまないと
いけないかもしれないねえ。

薬を飲めるうちはまだそういう点では
大丈夫ってことなんだろう。
変な話やけどね。

とまあ、そんな感じで
孫に会う前に我々は全力で
風邪を追い出そうとしたわけだ。

おかげで、水曜日の夜くらいには
doironはほぼ全快となった。
しかしミセスがねえ、
金曜朝くらいまではゴホゴホ
言ってた感じだったけど、
孫と会う日にはすっかり全快
という感じで、かろうじて
まにあった感じだったのだ。

では、そんな孫詣での旅に、
金曜日我々は軽自動車で
出発したのでした。

軽だとミセスも運転できるからね。

近所の友達に留守宅の様子を
見てもらうことにして、
午前8時に家を出発をしたのでした。

通勤時間帯ですから、
近畿自動車道の八尾から東大阪辺りは
少し込みましたが、
なんとか第二京阪に突入。
京滋バイパスから名神高速へと
移動していきました。

これまで長野に行くのは中央自動車道を
通っていたのですが、
この日はまず乗鞍に行くので
違った経路で移動していきます。

一宮から東海北陸自動車道に乗り、
まず高山を目指します。
この路線はいいですねえ。
道もきれいだしすいているしねえ。

木曽川沿いの川島パーキングエリアで
大休憩です。
ここにはオアシスパークがあります。

こういう施設や自然公園、



遊園地、食堂街、



希望する人には木曽川水園を
流れる舟に乗ったりして
遊ぶこともできるようです。



ここで昼飯くらいまで休憩です。
食堂に入るのではなく
我々はコンビニでお弁当を買って
公園内をうろつきましたとさ。

続く


再び広報で何やかや4

2018年11月06日 20時58分46秒 | 仕事

広報紙の取材、写真撮影の
お手伝いをするようになって
5か月となる。

これまで市民プールの写真や
盆踊りの写真や盆踊りの写真
取材記事の採用とか色々ありましたが
まだまだ何となく撮影した写真とかを
掲載していただいている。

先月号に乗ったのは
臨海の音楽イベントで
はしゃいでいたラン友たちの
写真を掲載していただいた。
こんな感じ。



なかなか取材が難しい中
よくぞ私の姿を見つけて
声をかけていただきました。

え~皆さんオシャレで楽しそうに
音楽イベントを楽しんでいたので
カラーだったらよかったのですが
すみません!
そこに乗せていただくほどの
腕もなくて・・・

そして今月号は、祭り写真中心で
さすがに関係者であるdoironの
撮影は他に少ししかなかったので
何も乗らなかったなあと
思っていたら

な、なんと自分が講師をしている
こどもの交通安全研修の姿が
掲載されていました。



こういう市の広報というのは
永久保存版にしているところが多く
ずっと残るんやねえ。

市の歴史の隅っこに
写っているっていいやんねえ。
そのうち孫が探してくれたりしてねえ。

のんきにいろんなことをしながら
えへえへと楽しんだりも
しているdoironなのでした。


太子道8 八木に到着

2018年11月05日 21時38分20秒 | ウォーキング

川沿いの道はやがて
「小北稲荷大明神」へと
入っていきます。



この辺りの道案内とか見ますと
「おふさ観音」なんかも近いようですねえ。



境内の池から白い亀に乗った
観音が現れてそれを発見した
おふさが小さな堂を立てて
祀ったことから出来たお寺
といわれています。

この寺にはバラがたくさんあって
「花まんだら」といわれるほど
見事なんだそうです。



う~ん、今回は太子道を歩く
目的でしたが、立ち寄ったら
面白そうなところは
たくさんありますねえ。

河原をさらに進んでいくと、
結構整備されていて



こんなほおずきがあったり、



扶養の花がきれいに
咲いていましたねえ。



広い県道に出たら左折し、
近鉄の下をくぐっていきます。



すると、なんとコースはこれも
以前に行った今井町の方に出てきます。



ここも古い施設が
たくさんあって楽しい所でしたねえ。



ここが太子道とつながっていたとは
前回は気づかないでいましたねえ。



ここには蘇武井という井戸がありますねえ。
太子道を歩いていく途中、
太子はここで水を飲み、
黒駒にも水を飲ませたところなんだ
と案内板には書かれていました。

以前は「ああここには聖徳太子が
来たことがあるんやあ」
というような印象でしたが、
もう今となっては違いますね。

移動の途中で立ち寄ったという
エイドステーションのような
ところだったんですねえ。

太子と一緒に歩いてきてより一層
彼の動きが目に見えるような気がします。

今井町を出て八木西口のところで
とりあえずは太子道はいったん終了です。



今回は大体10キロの歩きでしたねえ。



西口で17時10分。

もう暗くなり始めていますから
コースの長さもぴったしでしたねえ。

しかも待ち合わせの時間にも
ほぼピタリです。

近鉄八木駅まで歩いていきましょう。

途中こんな伊勢街道の灯籠や



横大路道の案内を超えて駅前へ。



ほぼ時刻通りに合流となりました。



まずは駅前に出来た
橿原市分庁舎の見学です。



ここの最上階に展望台ができているのです。

ここに上がると、
太子道がよく見えますねえ。
この日歩いてきた道、
これから向かって行く道と
鮮やかに見渡せます。

太子道の別名である
筋違道もぴったしの名前で
平地を斜めにぶった切って
続いている道でした。

そしてここからは金剛生駒方面もみえます。
大阪から見るのとは逆の形ですね。
遠くの方までよく見える
なかなかの眺望でしたが、
残念ながらもう暗くなっていたので
写真は撮っていません。

次回は、安堵町の方からこちらを
向いて歩こうかなあ。



それともここからまた法隆寺向いて
歩こうかなあと夢を膨らませましたね。

そのあと、こんな豪勢な突き出しと



四国料理でカツオのたたきなんかを



つつきながら、山歩き、
街歩きの報告会。

いやあ、半日でしたが
充実した秋の一日でした。

おしまい。


太子道7 飛鳥川をさかのぼって

2018年11月04日 20時55分30秒 | ウォーキング

飛鳥寺を右に見ながら、
聖徳太子を載せた黒駒は
進んでいきます。

いまはここに「あすか夢の楽市」
という施設があって、



大勢のお客さんで
にぎわっているようです。



あ、でも「あすか」というのは漢字で
「飛鳥」と書いたり「明日香」と
書いたりしますよねえ。

どっちが正解?
という疑問がよくあるようです。

でもこれはネットで調べても
様々な説が出てきますよねえ。

「あすか」というのが王様の名前であったり、
「スカ」という地名に「ア」がついたとか、
あるいは明日香の里の枕詞が
「飛ぶ鳥の」であったことから
混同したなどとまあいろんな説があります。

いろいろと調べてみてください。

こういう謎が多いのもまた
この地方の魅力のひとつなんでしょうね。

doironはここまで駅の名前である
「飛鳥」を使っています。

そのあすか夢の楽市というところで
橋を渡り、コースは左の方へと
続いて行きます。



あ、ここには道標がありましたよ。



「聖徳皇太子誕生所」

と書かれてあったり
「岡寺」の案内もありました。

二年前に行った西国三十三所7番札所ですね。
道標があるのでこの橋は
交通の要所なんですね。

そこからしばらく北向いて歩くと、
左が「甘樫丘」です。





この辺りは昔からこう呼ばれていたところで、
蘇我家の屋敷なんかが
あったところといわれています。



山の上に登ると見晴らしのいい
展望台があったりするのですが、
きょうはちょっと時間が押していますので
スルーしていきましょう。



やがて町は「雷」という場所に
かかってくるのですが、
どうもこの辺りに聖徳太子の宮もあったようです。

太子道というのはこの辺りから
始まったのかもしれませんね。

飛鳥の村中から少し離れてきますと
緑も増えてきますねえ。

さすがに「飛鳥」。

あちこちから「ちちちち~」とか



「ちゅんちゅん」「ぴぴぴ」と



鳴きながら飛ぶ鳥が
たくさん飛んでいます。

歩いている飛鳥川沿いには



「ならクル」

という自転車道が整備されていますねえ。

「平城宮あとまで~」
とか書かれています。
この案内に沿って右岸を行ったり
左岸を行ったりするのが
よいようですねえ。



季節は秋真っただ中ですねえ。
道端の草々にも目が行きます。
カラスウリの実があったり
こんな黄色のコスモスも
最近はよく見かけます。



ああ、もうすぐハロウィンですねえ。
こんな巨大なかぼちゃも
道の横に転がっていました。



河原沿いの道は何となく
広々していて気持ちいいですねえ。



そして道の左側には、
遠くに畝傍山が見えていますねえ。



この辺りは4年くらい前に
大和三山巡り歩きをした時に、
通った道を横切る筈ですねえ。

猫がやしろで休憩していた
本薬師寺を通り、天の香具山に
向かう途中、飛鳥川沿いを
通った記憶があります。

あの時に川沿いをさかのぼって
歩いてきた集団は、
今から思えば太子道を
歩いていた集団だったかも
しれませんね。

そして橋のところに出ると、
ああ、河原の横のこんな石や



地蔵さんにも記憶がありますね。



午後三時くらいから
飛鳥から歩き始めて、
このあたりではもう4時20分くらいに
なっています。

影がだんだん長くなってきて、
日の暮れも近づいてきました。



いつもは歩きというのは
午前が多いですねえ。
何となく暗くなりはじめると
気持ちが焦ってしまいます。

聖徳太子も斑鳩で何かあった場合は
こうして夕暮れの道を黒駒で
進んでいったのかなあ。

あ、ならクルの案内も
この辺りでは平城宮ではなく、
「せんとの道」になっていますねえ。



どんな感じで名前が
付けられているんでしょうねえ。

そして道の周りは何となく
変わってきて、
今日のdoironの目的地である
大和八木が近づいてきました。

続く


太子道6 飛鳥の橘寺

2018年11月03日 20時48分32秒 | ウォーキング

こんなイヌタデや秋の花々が咲く



野原を見ながら進んでいきますと、
道はやがて突き当たります。

ああ、そうかあ、ここは
こんな道なっていたなあ。

そこで右を見てみますと
こんな石の碑が立っています。



そこには、右の石には
「日本仏教発祥の地」と書かれ、
左には「聖徳皇太子御誕生所」と
書かれています。



そう、彼が生まれたといわれる
「橘寺」の石碑です。



ああ、田んぼの向こうに見えるのが
「橘寺」です。
まあ言ってみれば彼の人生の
出発点があそこだったんですねえ。
そこを目指していきましょう
と歩き始めたその時です。

30代くらいのきれいな女性が
こちらに向かってきます。

「聖徳太子さんですか」
って聞かれたらどうしましょう。
病院に行けと言いましょうか。

「こんな薄毛の太子はおらんやろ」
とかえしましょうか。

「サインしてください」と言われたら
「事務所通してね」と断るか
などと考えていたのですが、
決してそんなわけではなくて、

「あの~亀の形をした石が
あると聞いたのですが、ご存知ですか」
と聞いてきます。

ああ、ちょうどいいところで
道案内を頼まれましたね。

「ちょうどいいところです。
この道を300m位戻っていくと、
右側にありますよ」と



簡単に教えることができましたね。

「橘寺に行かれるのですか」

「はい。中には入らないと思いますが
そっちへ行くつもりです」

「ほかにも行かれるのですか」
「はい飛鳥川沿いを歩いて八木駅まで行きます。」
と答えると「ぎょえ~」と驚いてはりましたね。

はいはい、どうせdoironは
変わりものですからね~。

「気を付けて~」とお別れし、
こんな龍神王の石碑などを
眺めながら橘寺へと向かって行きます。

ここは前回も飛鳥を訪ねてきたときに
入ったお寺でしたねえ。



二面石もありましたねえ。



まあ今回は彼の歩いた道ですから、
中には入らずくるりんと回っていきましょう。

下の方に降りていくと、
お寺が見渡せるこんな場所に、
また「聖徳皇太子御誕生所」の
石が立っています。



ああ、この辺りから太子は
歩いて行ったのですかねえ。



と思ったら違うんですねえ。
かれが斑鳩に通った頃は、
どうも雷という土地にあった
小墾田宮からのようです。

もう少し先の甘樫丘の近くだそうですが、
でもまあそれも推定だし、
この辺から進めていきましょう。

飛鳥川のところに出たら、
その道を左折して



川沿いのコースに入っていきます。



黒駒に乗った太子は、
さらさら流れる川の流れの音を
聞きながら法隆寺へと
向かって行ったのでしょう。

今の季節だったら彼岸花とかが
咲いていたのかなあ。



こんなコスモスやひっつきむしは





まだ日本にはなかったでしょうねえ。

米が実り、豊かな地域から
かっぽかっぽと進んでいったのでしょう。

道はこの先で飛鳥寺の
近くを通ります。
立派な大仏のいる所ですねえ。



特徴のある顔をしているので
すぐにわかりますよ。

この大仏は幾度かの火難とかに
さらされてきました。

そして補修もされ、多くの部分が
創建時からは変わっている
ということから、
日本最古級でありながら
国宝化されずにいます。

でも最近の研究から、
補修されているものの
当時の部品は多く残されている
ことがわかり、見直しが
されているようです。

重要文化財から国宝へ。

そんな飛鳥大仏の出世の報が
近々届くのではないかと
見られているそうです。

そしてそんな飛鳥寺から
少しだけ離れたところにあるのが、
飛鳥板葺きの宮で
大化の改新時に討たれた蘇我入鹿の首が
ここまで飛んできたという
五輪の塔があります。



飛鳥の「首塚」といわれています。

情報が少ない中で、
いろんな思いがさく裂し、
こういう場所を作ったんでしょうねえ。
まあ、この事件は聖徳太子より後の
時代の出来事でしたけどね。

続く


太子道5 飛鳥についた

2018年11月02日 21時07分12秒 | ウォーキング

さて、飛鳥と一口に言ってますが
この太子道の飛鳥は
小墾田宮付近と推定されています。

まあでも推定地だし、
doironが歩く太子道は飛鳥駅からとしましょう。
橿原神宮前駅からさらに
吉野線に乗って二駅目、
飛鳥駅に到着しました。



特急にも乗らず、
準急でやってきたので
3時少し前くらいになりましたねえ。
飲み会は八木駅で待ち合わせなので、
約十キロを二時間半で待ち合わせです。



う~ん、大体あちこちウロウロ見ながら
歩くにはぎりぎりのタイムですねえ。
時計に注意して歩いていくことにしましょう。



聖徳太子も時間を意識したのかなあ。
駅前でナビを入れ、
さあではスタートしていきましょう。
まずは駅前から飛鳥の方に向かって
東進していきます。

駅前すぐの交差点のところには、
高校生が山のようにいます。
学校から見学に来たんでしょうねえ。

午後3時ですから、
もう帰る所なんでしょう。
いっぱい勉強してきたかなあ。
石舞台を見学したり、
首塚で「ええ~、うそ~」とか
言ってきたんやろなあ。

そんな学生をかき分けながら、
doironは進んでいきます。



飛鳥はねえ結構よくいったんですよ。
どこかの旧跡とかに行ったら
位置関係は大抵わかります。

でも駅から歩いていくのは
初めてなので、
地図を見ながら歩いていきましょう。

どんどん観光客が歩いて帰ってくるのと
すれ違います。
おっさん連中なんかはもう
「さあ、これから飲むぞ~」
というような楽しそうな顔ですな。

田舎道を進み、山道へと入ったところで
出たのが、高松塚古墳を含む
公園の駐車場です。



高松塚は誰の古墳なのか
まだはっきりとわかってはいません。
そもそもこの地方の古墳は
被葬者が誰なのか
はっきりよくわからないのが
ほとんどなんだそうです。



今日はこの墓には寄りません。
まっすぐ道を進んでいきましょう。

やがて左前方に大きな古墳が見えてきます。



これは天武・持統天皇陵です。
ここはねえ被葬者が
ほぼ特定されている古墳です。



天武天皇は40代天皇で
聖徳太子は31代の用明天皇の
息子に当たります。

まあ遠いのですが太子とは
親戚関係に当たりますねえ。
ここも横をちょこっと寄りながら
通り過ぎていきましょう。



田舎の道を進みながら歩いていきますと、
ちょっと町の中のような
ところに出てきました。



ああこの辺りは結構見覚えのある
ところですねえ。



この石像の横をはいっていく
小さな道が飛鳥のメインの散歩道ですねえ。
ここは自分のバイクや
レンタルバイク、徒歩なんかで
何回か通りましたねえ。

右に曲がって入っていくと
すぐに現れるのが「亀石」です。



岩が削られてそこに
カメのような顔があります。



目玉が飛び出ているところから
「蛙」のような形という説も
あったりしますが、
全体の形はやはり「亀」の石ですねえ。

なぜ、このようなものがここにあるかは
いろんな説があります。

橘寺の敷地の隅っこを表しているとか



仏教伝来のまえの産土神みたいなもの、
あるいは猿石などのように
古墳に関する石造物などがあります。

そしてもう一つ、
この亀石の向いている方角に意味があって、
ある方向を向くと
この辺りが大水害になる
などというこわい説もあるようです。

謎が謎を産み、
いろんな見方がされる石なんですねえ。

この辺りには想像もつかない用途で
作られたりしているものが結構あります。

酒舟石や二面石、鬼の雪隠
なんかもそうですね。

他に同様物がないということで
その製作意図に様々な憶測が
されていたりします。

そんな亀石を眺めつつ、
もう少しのこの田舎道を進んで行きましょう。



こんな大きな木に囲まれたところにも
祠があったりしますと



聖徳太子もまだ出ないまま
二話が終わりましたとさ。

続く


太子道4 明日香からもスタート

2018年11月01日 21時24分35秒 | ウォーキング

斑鳩歩きから発展し、
太子道を歩き始めている。

距離的にはさほど長くはないのだが、
聖徳太子が黒駒に乗って通った道を、
同様に景色を眺めながら
プラプラと歩くのは何となく
太子と同行二人みたいで面白い。



聖徳太子は
「ああ、今日の法隆寺建設はうまく進むかなあ。」
「人々の暮らしをもっとよくする
法律をもっと考えなくては」
なんてことを奈良県西部ののどかな道を
かっぽかっぽと進みながら
考えていたのに違いありません。

doironも、わずかに残っている
カレンダーの作品を「何かこうかなあ」
「どんな言葉にしょうかなあ」なあんて
考えつつ歩いていれば、
いい作品につながるかもわかりませんねえ。

太子とともに歩く「太子道」は
飛鳥から法隆寺までの間を、
大和盆地を斜めに歩く
別名「筋違道」という名でも
呼ばれています。

この道を、今回は南の出発点である
飛鳥から飛鳥川に沿って
歩いてみることにしたのです。

日にちはどうしようかと思ったのですが、
奈良の友達とゴールでいっぱい飲める日を
選んで設定しました。

歩く距離を考えて、
スタートは午後くらいで十分です。
飲み会は夜ですので、
それでも結構な時間を歩くことになります。

では近鉄南大阪線に乗って、
飛鳥を目指しましょう。

南大阪線ということは、
かつてdoironが一番働いた
職場の横を通りますよ。

車窓を眺めながらのんびりと向かいましょう。

飛鳥まで行くとなると、
近鉄電車はよく考えていますねえ。
特急券のいる特急電車が最も便利で、
それ以外だととても時間が
かかるようになっています。

でもねえ阿倍野についたのが、
その特急電車が出た直後だったので、
ここは迷わず準急に乗って出発しました。

阿倍野から懐かしい景色が続きますねえ。
そう考えたら、通勤手段の
ひとつだったこの電車も
太子道同様にdoiron道でありますねえ。

あああの川は水質浄化に苦心したなあ。
あの田舎道はよく仕事で通った道やなあ。
あ、この家に住んでいる人は
口うるさいおっさんやったなあ。

などといろいろ考えつつ
揺られていきます。

そういえば聖徳太子も
「この川ももっと水の流れを良くしないとなあ」
とか
「この地域のおっさんは口うるさい奴やったなあ」
とか考えながら歩いたのですかねえ。

藤井寺駅を過ぎると、
準急は各駅停車になります。
座席はちょうど席の半分くらいが
埋まるくらいで快適です。

二上山、當麻寺なんかを見ながら
進んでいきますが、
この時ちょっと事件が・・・。

doironから左にひとり分の
スペースを開けた感じで、
高齢者のおじさんが座っています。

おお~電車はおっさんと
同行二人やなあと思っていると、
そのおっさんが居眠りを始めたのです。

そ、そしてなんとこちらに
傾いてくるじゃありませんか。

若い女性とかだったら
胸ときめくのになあ、
なんて考えてるとますます傾いてきます。

これはやばい。
高齢者にもたれられたら、
おっさんとおっさんの
ラブラブ電車です。
もう想像もしたくない異常な
光景が予想されます。

駅に着くたびにおっさんは
目覚めて姿勢をただすのですが、
動き出してしばらくするとまた傾いてきます。
いくら認知症サポーターである私でも、
こんな公共の場でその力を
発揮するわけにはいきません。

これはいかんぞと、
ひざの上に置いているリュックを
間に置いておくことにしました。

これで何かあっても、
私のおっさんとしての尊厳は
守れるぞと一安心です。

ようやく終点の少し前の駅で
降りていかはりましたねえ。
おかげで、途中の車窓の景色を
ゆっくりと楽しむことはできず。
えらい目にあってしまいました。

この電車の終点の橿原神宮につき、
ここで乗り換えです。

もうすぐ飛鳥駅というところで
一話終わりです。

続く。