四日市に来て、
やはり海辺の大きなプラントを
眺めることができたのは
良かったですねえ。
我々の暮らしを支える
大きな石油関連プラント。
公害問題が叫ばれる中で、
私たちには欠かせない
プラントでもありますねえ。
しっかりと運営してほしいと思います。
さ、ではここまで歩いて
いいものを見てきました。
帰りの時間もありますので
臨海部はこれくらいにして、
歩いて駅方面へと向かいましょう。
道は広くて気持ちいいですねえ。
でっかいトラックとかの
交通量が多いかなあ。
先ほど三滝川にかかると、
遠くの方に山々が連なっています。
あの辺は鈴鹿の方かなあ、
御在所岳とか見えてるかなあ
と思いながら眺めていました。
また帰って地図を眺めてみよう
と思い写真を撮っておきました。
みちはそのうちに市役所の
ところまで戻ってきました。
ここから近鉄の駅の方に向かいます。
ああ、どんどんまちなかに
入っていきますねえ。
そしてやっと近鉄ビルの
ところに到着しました。
もう時間は二時半を回っています。
歩き始める前に商店街の中で、
ここもいいなあ、あそこもいいなあ
とみていたのですが、あきませんね。
この時間になったらたいがい
準備中になっていました。
仕方ないので駅ビルの上部の
食堂街にいくことにしました。
う~ん、なんかもう何を食べたい、
松阪牛を食べたいなどと
いうような食欲はもう消えています。
運動して歩きまわっていたら
あまりおなかすかないのかなあ。
結局入ったのが店の前の
ビールの看板にひかれて
高山ラーメンの店でした。
来た飯はこんな感じ。
まずはビールを一杯です。
「ぷは~うまい」
もうこんな至福のひと時は
ありませんなあ。
ここのお店は9階やったかなあ。
窓から見える景色もきれいでしたよ。
あ、窓のところにここから見える
山々の案内がありましたよ。
やはり御在所岳は見えていましたねえ。
ちょっととんがった山は鎌ヶ岳。
北の方にはあの緑が多くて
春の高山植物が多かった
藤原岳も見えていますよ。
山登り会で行った山で、
春の花を満喫した山でしたねえ。
持っている植物図鑑でも、
標本に写されている写真は
この山のものが多かったです。
ただねえ、ブトが多くて
一緒に登っていた人の足が
ぼこぼこになっていたのを
思い出しますねえ。
そんな景色を眺めながら、
高山ラーメンとビールのひと時を
楽しんだのでした。
さあそれではまた千里の駅に
向かいましょう。
快速電車と各駅停車を
使って向かいます。
順調に乗り換えられて、
少し早い時間に千里についたので、
時間待ちにここの海の方を
見に行きましょう。
この辺りは田舎ですねえ。
海辺の平地に畑がたくさん並んでいます。
話好きのおばちゃんが
家の前で近所のおばちゃんと
話し込んでいます。
そんな横を進んでいきますと
大きなヨットハーバーに出ました。
マリーナ河芸と書かれてありました。
ああ、こんなところにボートを預けて
休日に伊勢湾を遊泳しているんやろなあ。
離れ小島でイセエビとったり
してるのかなあ。
そしてその沖の方には、
船舶免許をとったりできるような
学校もありましたねえ。
海が好きで、こんなところで
海の勉強っていいですねえ。
広々としたところでした。
なぜか写真を撮り忘れて
しまいましたねえ。
さあ、ではまた駅へ戻りましょう。
ぶらぶら歩いていきますと、
先程話をしていたおばちゃんの会話が
まだ続いてましたねえ。
そして駅に戻って、
友達がやってくるのを待ちます。
たくさんの学生たちもおりていきました。
で、やっとやってきてくれた車に
乗って帰阪です。
帰りにはお礼に晩飯を
おごりつつ帰りましたよ。
次はまた7月頃に来るようです。
今度は亀山あたりを
ウロウロしようかなあと思いつつ
三重県四日市の旅は終わりです。
ーーーーーーー
送迎をしてもらって歩く
ありがたい三重県の旅も
5回目でした。
初めて歩いた四日市の旅は、
昔やってた公害の仕事なんかを
思い出して楽しく歩きましたね。
まあおっさん一人の旅としては
いろいろと学んだ半日でよかったです。
諏訪公園を出たら、
また商店街を海の方を向いて
歩いていきましょう。
商店街の名前が四日市一番街です。
シャッター商店もありますが、
全体的な雰囲気はまあまあ
かろうじて生き残っている感じです。
そうしているうちに
四日市市役所が見えてきました。
知り合いの方が働いてますねえ。
建物も周辺も割合きれいに
整備されていました。
この市の一般会計予算は1210億円と
やはりおおきいですねえ。
予算書を見ててdoironが興味を持ったのが
AIによる庁内業務改善ですねえ。
ああ、こんな行政のAIって
業務が複雑で大変やろねえ。
どんな風に働くのかちょっと
興味もありますが、まあもう
退職してるからいいかって
感じも否めません。
あと中学校給食を始めるようで、
そんな経費にもちょっと興味がわきましたねえ。
そんな市役所の中をちらっとのぞいて、
また歩きを進めていきましょう。
この中央通りをさらに海の方へ
向かっていきますと、JRの
四日市駅があります。
こんな感じ。
ウヒャー、さびれていますねえ。
近鉄の駅前とは大違いです。
さっき見てた予算書の中には
近鉄駅前の改修費用が入ってましたが、
こっちのほうは予算の概要の中には
なかったですねえ。
こちらはやっぱり、人のための駅
というよりは海に近いので
物の流通の方が熱心なのかなあ。
駅にやって来る電車を見ていたら、
こんな先頭に人が乗ってる
JR貨物なんかも走ってましたねえ。
駅の中にもプラットフォームだけでなく
こんな荷物線のエリアが広いようでした。
臨海工業地帯を近くに控えて
そんな港湾に向かう路線なんかも
あるような感じでしたねえ。
そんな線路をわたって
海の方へと向かいましょう。
あ、ここには四日市温泉という
風呂がありますよ。
かなりローカルな感じですねえ。
港湾で油にまみれたおっさんが
入浴してるのかなあ。
トレイルランを終えて汗まみれの
おっさんが入っているのと
どっちがええかなあ。
究極の選択ですなあ。
さらにずっと進んでいきますと、
海岸線にかかった橋の上から
周りを眺めてみますと、
どうも工業地帯はここから南または
北の方ですねえ。
では煙突がくちゃくちゃと
建ってる北の方を目指していきましょう。
国道23号線まで戻って
北向いていきます。
ああ、この辺は毎年11月に行われる
全日本大学駅伝のコースですねえ。
来年のレース中継が楽しみです。
四日市に近づいてきてコスモ石油の
製油所の前あたりですから、
観測しておきましょう。
あ、そう考えたら何時もおろして
もらう千里の駅のすぐ横も
駅伝コースなんですねえ。
今年はまた今年のトラックシーズンを
見ていたら、東海と青山と東洋大、
そこに早稲田、国学院と法政が
どのように迫ってくるかが見所ですねえ。
関西の大学にも頑張ってもらって
関東に一泡吹かせてほしいものです。
そんな駅伝コースを北向いて
進んでいきますと
川のところに出てきます。
四日市市内をながれる三滝川ですね。
川のプラントがこんな感じ。
こ、これは大気汚染の影響?
まあいまはもうそんなこともないでしょう。
川の左右に大きなプラントが
並んでいます。
ああ、なんか複雑なプラントですねえ。
ご近所の高石の石油プラントなんかと
やはり同じ雰囲気です。
北側がコスモ石油です。
ああ公害問題に対する意識は
高いようですねえ。
会社の壁にこんなプレートが
並んでいたりします。
そんな会社の出入り口のあたりから
写真をとったら、とっても広大な敷地。
移動がきっと大変なんでしょう。
弁当食べに事務所の戻るのに
15分くらいかかりそう。
こんな企業も昔からあったのかなあ。
あの四日市の公害問題の
ひとつだったのでしょうかねえ。
わかりませんね。
続く
鵜の森公園をウロウロと歩いたら、
歩くコースを海の方に向けて
伸ばしていきましょう。
まずは駅前の商店街を
抜けていきます。
あ、マンホールも一緒に
チェックしていきましょう。
四日市には三種のマンふたがありましたよ。
ひとつが、これ。
四日市の市の花である
サルビアが描かれています。
なぜサルビアがこの市の花なのか。
昭和43年に市民相手に
アンケートを行って
この花になったんだそうです。
で、こんなマンホールもありますよ。
パンダとコアラなんて人気者どりやん
という感じですが、実は四日市が
シドニー市、天津市、アメリカのロングビーチ市
と姉妹都市だからだそうです。
シドニーがコアラ、天津がパンダ
上部の港がロングビーチ市なんですねえ。
う~んどこも行ったことがないですねえっ
て、外国はホノルルしか知りませんがね。
そしてこれが歌川広重の
東海道53次四日市の宿の絵ですねえ。
絵に描かれてますけど、
この辺りは海沿いで
昔から風の強い所だったんでしょう。
この歌川広重は昔は安藤広重
といわれていましたが、
安藤は本名で広重は屋号。
それを一つにした安藤広重はおかしく、
本人も一度も使ったことがないから
最近はこの歌川広重を
使うようにしているそうです。
そうして商店街を床のマンホール見たり、
つるされている令和の旗とか
見ながらきょろきょろと抜けていきますと、
左手の方に公園があるのを見かけました。
あれが諏訪公園のようですから
向かいましょう。
あ、さすがに東海地区、
ここに世界のやまちゃんが
ありますねえ。
そしてここにはこんな名前のキャバクラが。
う~ん、大人のキャバクラねえ。
青少年や子どものキャバクラも
あったりしてねえ。
そしてここが諏訪公園です。
あ、なんか建物が立っていますよ。
これは地元の人の寄付で
鉄筋コンクリートづくりで
レンガ仕上げの図書館として
使っていた建物です。
でも図書館としての利用は終わり、
現在は「まちなか元気発信拠点」として
だれでも使えるようになっているようです。
ここの諏訪神社では毎年10月に
大入道山車という祭礼が行われます。
大入道に関する話は日本各地にあります。
いろいろあってひとつひとつ
確認していくとなかなか面白いです。
身近なところでは熊本県に
「今にも坂」という坂があって、
ここを大入道の話をしながら通っていくと、
大入道が現れるという坂があるそうです。
「今にも」といって現れるとか。
行ってみたいなあ。
そしてここの四日市の大入道は、
仕事をすごくする雇人が実は大入道で、
夜中に首を伸ばして行燈の油を
なめているところを雇い主に
見られて姿を消したそうです。
ろくろ首でもあったのですね。
でもそんな働き者の彼を偲んで
雇い主が人形を作ったのが、
この祭りの期限なんだそうです。
こんな大入道です。
そしてなんと四日市市のゆるキャラは、
この大入道の子どもということで
「小入道」君なんだそうです。
四日市の売り込み看板に書かれていました。
そういえばあちこちにこの人形の顔が
印刷されていましたねえ。
ここ諏訪神社のお祭りが
期限になっているんやねえ。
ここには「誓いの御柱」も立っています。
5か条の誓いの言葉が印刷されています。
この御柱は各地に建てられており、
それを立てる社会的背景は
とても深いものがあります。
それを取り上げてたらちょっと
ページが足りませんね。
またいつか、ほかで見かけたときなんかに
書いてみようかな。
そしてその公園の奥にあるのが
諏訪神社の本殿です。
こんな鳥居がありますねえ。
その根元には「百拝歩」という石が。
これは百度石の事なんでしょうねえ。
コレクションに加えておきます。
公園に接していますが、
意外に広い境内のある神社でした。
続く
公害という言葉にひかれてしまいました。
そうdoironはかつて公害担当の
仕事をしていたことがあるのです。
例えば、この博物館に展示されている
こんな硫黄酸化物の
測定機械も触っていました。
全く同じ機械です。
いや、触っているというよりも、
反応液を作って機械を
管理しながら測定をしていた
こともあるのです。
大気関係では、ほかにも窒素酸化物、
光化学オキシダント、浮遊粉じん
なんかも測っていましたねえ。
ほかにも、気象要素として日射量、
放射量、風向風速も測っていたなあ。
また実験室の手作業で
降下ばいじんや硫黄酸化物も
測っていましたね。
また水質でも実験室で
生物化学的酸素消費量BODや
化学的酸素消費量CODも
測定したことがあります。
BODなんか5日もかかるのですよ。
定性的には毒物の分析も
したことがあります。
もっと身近な公害である騒音では
音圧レベルだけでなく
周波数分析も行っていました。
いやあ、こういう公害関係の測定は、
日常茶飯事の仕事だったのです。
こういう分析結果の値が
人々の暮らしを脅かす
というシーンをもう
数えきれないほど見てきましたねえ。
年間で100件以上の事件が
あったのを思い出します。
でっかい工業地帯があるわけでもないのに
人々の生活を脅かす公害が
doironが働くこんな小さな町でも
あんなにあったことを思えば、
臨海地帯にでっかい工場を持つ
この四日市では、その公害が
どれだけ大変だったか
これはもう容易に想像できますねえ。
人々の怒りの思い、せつない思い、
耐えられない思いに向き合うというのは、
かなり大変な仕事だったかを思い出します。
今はいろんな楽しいことにかかわって、
このブログに昔の公害の事を
あまり書かなかったけど、
こうして四日市のでっかい
公害問題と向き合うと、
それなりに自分の中にも
こみあげてくるものがありました。
なので四日市の街歩きも、
市内のやまの方面と思っていたけど、
ここにきていきなり公害問題と直面し、
工業プラントのたくさん立つ
臨海方面へと向かうべきと
コース変更となりました。
ここを出たら、とりあえず海方向に
向かいましょう。
地図を見ながら、それだったら
また駅前に戻らないといけないなあ
と思いつつ見ていると、
あ、近くに鵜の森公園という
大きな公園がありますよ。
海に行く前にとりあえず
見ていきましょう。
四日市を東西に貫く中央通りを渡り、
狭い住宅街を100mほど歩きますと、
左手に緑の塊の公園が見えてきます。
入っていきましょう。
最初に目につくのが、
戦争時の昭和20年6月に
四日市が3回受けた大空襲の殉難日です。
四日市には大きな工場もあったし、
軍関係の作業場なんかも
あったからB29による
大空襲があったようです。
死者は約800人になったそうです。
戦争や昔の戦、大災害、
そんなものがなければ
古くてよきものも
いっぱい残っていたりするのに
残念ですね。
この公園にはこんな包丁塚もあります。
そしてここには浜田城跡があります。
室町の1470年ころに
田原氏が築いた城です。
この田原氏というのはのちに
浜田氏となりますが、
ずっと祖先が田原=俵藤太
だといわれています。
あの三上山の大ムカデを退治した人ですね。
その俵氏ゆかりの兜が
今もここにある鵜森神社の社寺として
残されているそうです。
最近では四日市の歴史研究を行う
「網の会」が、市民に広く
浜田氏の痕跡を認識してもらおうと
こんな「冠木門」を立てたそうです。
う~ん、木やからなあ
どれだけ持つかわかりませんが、
まあ地元の人らが頑張って作った
門になるわけですねえ。
田原氏を祀る
「田原稲荷大明神の参道には、
こんな毎年閲覧できる兜の案内や、
俵藤太のムカデ退治の
案内パネルなんかが展示されていました。
続く
昨年末から三重へ仕事で
行く人の車に乗せてもらい、
交通費ただで三重県への
各地を歩きに行ってました。
最初の年末には「津」市内を
歩き回りましたねえ。
せっかくここまで来ているのだからと、
津のメイン市内と
河芸の二か所を歩きました。
そして年が明けてからは
鈴鹿市内、桑名市内、松阪市内と
順番に歩いてきましたね。
最初の津は山にまだ雪の残る時でしたが、
あとは春先の気持ちいい時でしたねえ。
車でおろしてもらうのが、
最初は津の市役所で
次は鈴鹿の市役所、
以後はいつも千里という小さな駅です。
これらの場所を起点に目的地まで
電車などで移動していくのです。
三重県のこれらの場所は
大阪近辺と違ってまた違った
雰囲気があります。
ひとつは伊勢に近いということで
それに関しての遺跡もありましたねえ。
そしてもう一つが東海道や
それに関連する道が
通っている場所ということで、
そういう感じの充実した歩き旅が
できました。
そしてついに、
そんな三重県便乗の旅も
今回の旅で5回目を迎えます。
今回歩いたのは「四日市」です。
4の付く日に市が
開かれていたことによる市名です。
市内では今も各地で
市が開かれていると聞くところです。
この市は県庁所在地の津市よりも大きくて、
人口は31万人の三重県最大の市です。
この市の印象はというと、
doironの頭にはまず公害関係市
というイメージがあります。
四日市ぜんそくなんていう
言葉もありましたよねえ。
そしてもう一つが東海道の
宿があることです。
こんな浮世絵がありましたねえ。
広重のさいかくですねえ。
まあそんな印象を頭に抱きながら、
では5度目の三重県歩き旅に
出発していきましょう。
この日も天気はいい感じで、
暑くも寒くもありません。
雨だったら中止ということで
了解してもらっていますが、
幸い今回も乗っけていただいて
連れて行ってもらいましょう。
いやあ、本当にありがたい。
いつもの千里の駅に着いたのは
これまでより少し早い時間です。
道も順調だったのでいい感じです。
ここから電車に乗って北側にある
四日市を目指しましょう。
各駅から途中で急行に乗り換えて、
11時半過ぎに到着です。
いやあ、大きな駅ですねえ。
まずは駅近くにある
市民公園に行きましょう。
こんな裸婦の像なんかもありますねえ。
それにしてもこういう夫人像ていつも裸ですねえ。
その方が人間を表現していることになるのかなあ。
その公園の奥の方に
四日市市立の博物館がありますので
入っていきましょう。
常設展は無料です。
昔の暮らしなんかが再現されていますねえ。
昭和の時代の映像なら
何となく自分の子どものころと
重なったりするのですが、
ここではちょっと時代が古すぎますねえ。
この四日市の港は次々と
開発の日々が続けられて発展してきました。
地元の人の熱心な気持ちに支えられ、
商業港から製紙業、
そして昭和に入ってからは
化学工場や石油精製工業などで
どんどん発展していきました。
しかし戦争で大空襲を受けたのですが、
それらも克服して
ますます大きな工業地帯へと
なっていったようです。
町の暮らしも豊かになり、
もうdoironでも見たことがあるような
暮らしになって行きます。
そしてその後この地方で
起こったのが公害問題でした。
水質汚濁、大気汚染、悪臭、
騒音と様々な問題が発生していきます。
それに対して地元自治体は
対策を申し入れたのですが、
対策は進まず結局は裁判
という形になっていきました。
四日市公害裁判といわれるものです。
地元の人たちは喘息になり、
そのことで訴訟を起こしていきます。
そんな住民をサポートしたのは
四日市市の組合活動グループだったそうです。
続く
GW明け、まあすなわち世間でよく言ってた
10連休明けの5月7日に
定期健診でずっと通っている病院に行った。
いやあ、この休みの間、
BBQも二回したなあ。
平成最後の飲み会と
令和最初の飲み会もあったしなあ。
どこに行っても混んでるだろうと、
ふだんウロウロしているdoironは
こんな時はおとなしくしていたから、
ちょっと運動不足でもあるから、
前から少し高かった肝臓の数値が
高めだったことや血糖値が少し高め
だったことが少し心配だったのだ。
あ、もちろんメインの心臓も
まあちゃんと脈を打ってるし、
脳みそも加齢で物忘れはひどいが
日常的にはちゃんと動いているよ。
車の運転時にブレーキを
踏んでたけどエンジンがどんどん早くなって・・
などという変な運転も
しているわけではないしなあ。
マージャンだって役満上がったり、
競馬で驚くような勝ちもとってるしなあ。
普通の人間的なことはちゃんとできている。
そういう血液検査の結果は
おじさん部分の
状態が少し心配という程度であった。
当日病院には7時半ころには
着くように朝早く出た。
連休明けだから混むのも嫌だしね。
朝飯は血糖値も図るので
当然抜きである。
順調に病院に入り、
検査の順番待ちをしながら
本を読んだりする。
検査は八時から。
この日は40人待ちくらいで
検査に入れたので8時半には
血を抜いてたな。
血糖値が高めだったので、
3か月に一回の通院で
かならず血の検査もするのだ。
採尿なんかも終えて、
10時半からの受診までの間に
食事でも行こうと外に出ていくと、
おお~なんと病院に入ろうとする車が大渋滞。
ウヒャー、カインズカフェで朝食を!
と思っていたのに、このまま車で
外に出てしまうと今度はいるときが
困るよなあという感じだったので
仕方なくご近所のお店まで歩いていって、
適当に食事をした。
ああ10連休という休みの弊害が
ここにも出てるよなあ。
連休明けだからって、
こんなに病院って混むんやねえ。
やっとこさ受診すると、
もうその時点で検査結果は出ています。
「え~doironさん、血液検査の
結果が出ていますが心臓はどうですか」
「昔ほどは動きませんが、
しんどくなるようなことはないですねえ」
「それはいいですね。
で、最近ちょっと問題の血糖値はと言いますと、
ここへきて若干下がって
正常値になりましたねえ」だと。
う~ん、HbA1cが6.1となり、
ここんとこ最高6.8まで
上がっていたのだが、
うれしくも下がってきたのだ。
基準値は6.2である。
まあこれはいい方向なのだろう。
でもねえ、γ―GTPが
76と基準値73を少し超えている
のはこまりもんだねえという言葉。
でもねえ周りの酒飲みの
友達なんかに較べたら、
平常値みたいなものやん、
と言いたくなるような数値ですね。
「GWにバーベキューを複数回やったからなあ」
と医者にいうと、
今日の受診結果は
「アルコールを控えてください」
というものになりましたねえ。
え~そんなに飲んでないのになあ。
昔ほど運動しないのが原因かなあ。
なんて言いつつ無理したらあかんけど・・・
ほんとは心臓と脳の調子を
見てもらってるのになあ
とか思いながら
「はあい。わかりました」
としぶしぶ答えておきました。
まあなんとなるやろうという
そんな結果でしたな。
次回はまた三か月後です。
「先生、今度はこんな事とか、
あんな事とか気になるので
血液検査の項目を増やしといてくださいね」
と希望を言って検診は終わりです。
まあ、こうして少しでも
健康に注意してたら
いいんだろうと思っている
doironなのでした。
以前のお仕事で、
広報紙製作の仕事は結構派手にやってきた。
当時は、頑張って取り組んでやろう
という優秀な部下がいたので、
彼と色々とやり取りしながら
部署内でも熱い情熱で
毎月これでもかと
凝りに凝った広報紙を出してきたのだ。
おかげで、評価的には大阪府で
ナンバー1の広報紙という評価も
いただいたことがある。
そして広報紙出版だけでなく、
職員向けに広報紙の編集後記として
毎回重要な記事を紹介し、
今、市全体で取り組もうとしていることの
周知を職員そのものに
図らねばと頑張って内部向けの
記事を書いたりもしたもんだ。
これらはすべて残っていて、
仕事というよりいい思い出に
なっていたりする。
広報ではほかにも写真の賞を
何年も連続でいただいたりもしたし、
広報紙への民間広告掲載も
行うようになった。
まあそんなところが、
昔頑張ってきた仕事の情報だ。
そして退職した今、
働いていたところとは違う
地元広報紙の仕事にも
いろいろ関連してきたところがある。
まずは町会の役員として
広報紙の配布をおこなってきた。
そしてそのあとは広報紙モニターとして、
毎号意見を述べて送ってきたりもした。
そんなおかげかどうかは知らないが、
かつてのわが市の広報紙に較べて
ずいぶんと見やすい広報紙になった
ことは間違いないと思う。
そしてそんなモニターも卒業し、
まあこれで地元への貢献が
少しできたかなあと、
自分勝手に思ったりもしていたのだ。
昨年そんなことを考えていたら、
ある日突然広報に声かけられて、
今度は市民モニターとして、
広報の取材を市民目線でおこなう
という役割をしてもらえないか
というものだった。
毎月取材希望内容が伝えられて、
参加できるものには参加して、
そこでの写真と記事を提供するというものだ。
もちろん写真撮影には
広報関係者としての声掛けは必要だから、
いろいろと断りをつけて
取材をすることになるのは
その辺はお手の物だ。
そうして昨年は市民モニターという
仕事をそれなりにこなしてきた。
おかげで広報紙の表紙にまで
写真を載せてもらったりして、
それなりの実績を積み上げてきた
部分もあるだろう。
この市民モニターの仕事が、
一年間でひととおり終わり、
ああよく頑張ったなあと
振り返っていたのだが、
なんと今年もよろしくと
その役割が回ってきたのだ。
わかりました、やりましょう。
で、まずは広報紙に今年の
市民モニターの紹介記事を載せたいので、
写真と記事が欲しいという
要望が早速あった。
どんな写真にするかなあと考えてみた。
ああ、昨年に引き続き、
今年も写真撮影をしている景色なんかが
いいかもしれないと思い、
イベント取材時に、そこへ遊びで見に来ていた
ミセスに
「ポーズ取るから写真を撮って」
といって撮影してもらったのが
6月号に掲載となったのだ。
「いやあ、私の撮った写真が広報に!」
とミセスは舞い上がっていたが、
まあ角度も光線も姿もすべて
doiron指示で写した写真なのだ。
でもうれしいだろうて。
送った記事もあわせて
その写真が掲載されたのが、
24ページのこの記事だ。
そしてそのイベント会場で
取りまくった取材写真も送ったら、
それも三枚、最終ページの
別のコーナーに掲載していただいた。
できるだけイベントの中身と
参加者の顔がうつるようにと
考えて撮影したもんね。
皆さんに「広報のモニターです」
とちゃんと告げておきましたしね。
そしてその記事には
「楽しさをいっぱい発掘したよ~」
と副題をつけたのも良くて、
それにぴったしの写真が使われたようです。
今回はほかにも桜とメジロの
写真も使われたようです。
まあ責任もあまりなく、
のんびりとこういう
半分ボランティアの仕事を
今年も楽しんでやろうかあ
と思っているdoironなのでした。

今も「多」地区といわれています。
昔の祭神の子孫の名前が
地域の名前なんですねえ。
地名にも歴史がそこはかとなく含まれてます。
では飛鳥川の方に戻っていきましょう。
この辺りの川には鳥が
いっぱい飛んでいるのと、
亀が驚くほどたくさんいます。

doironがあちこちのぞきながら
歩いていきますと、少し先の方で
亀が驚いて水に飛び込んでいきます。
いいのにい、何もしないから
平和に暮らしていてくれたらいいのにねえ。
それにしてももうほんとに
多くのカメがいます。
今まで見た中では、四天王寺の
亀池に次ぐ多さでしたねえ。




シバザクラかなあ。





あ、ここには飛鳥川の

聖徳太子はこんな気持ちのいい所を

周りの田んぼでのんびりと





ここにあるお寺である


ウワーここに都村の

ここから近鉄田原本線の

前方にこんな地蔵堂が見えてきました。

ああ、ここは以前田原本の

ブログでも太子道は
11回書いていますし、
その前に田原本で一部歩いているのを
合わせると12回くらいにはなるでしょう。
地図を広げて、歩いた部分を
赤線で書き込んでいきますと、
もうあと一回歩くと
明日香から法隆寺へとつながるようです。
太子道を、太子と二人で
歩きつくすことになります。
同行二人ですな。
ということで、今回は太子道完歩を
めざして出かけていくことにしました。
最初は大和八木の駅に向かっていきます。
前回は明日香から川沿いに
ずっと歩いてきました。
結局八木西口の駅前あたりで
終えていますので、
今回はそこからです。
では始めましょう。
八木で降りて、ああここの飲み屋は
行ったなあとか思い出しながら、
西口駅前の浅香川沿いの

太子道に入っていきます。

季節的にはボタン桜の咲いている頃。

シャガや

どうだんつつじ、

セイヨウカラシナも咲いています。

太子道はそんな自然豊かな
飛鳥川に沿って進んでいきます。
そしてこんな地蔵さんもあって

犬の散歩に目を光らせていたり、

ときにはこんな役行者のような
像もあったりするのです。
なにせ聖徳太子が通った道
ですからねえ、
昔から多くの人の目に
触れる街道だったのでしょう。

ここを黒馬に乗って
太子は通ったんですねえ。
しばらく河川の左岸を歩いた後には、
近鉄大阪線をくぐっていきます。

八木から離れていくにつれ
どんどん静かになっていきます。
周りに車とかいないときは
飛鳥川の流れの音が
響いているだけです。
こんな気持ちいい散歩道を進んでいき、
自転車道の案内にそって

豊田橋のところで
川を渡って右岸に行きます。

橋の上から見た川の流れも




しばらく歩いているとまた

瑞保橋を渡って左岸へ。
この辺りから遠くに


いまは宝くじなどのお金で、


何かに使うのかなあと思うほど、

この休憩所のところから、




感動ものである。
で、話をよく聞くと、全くサラの新品
待ちわびていたのだが、
「機械はもう手に入っているんやけど、
こんな感じね。

まあ十分使えるタイプだ。
「と、取説がないんです」とのこと。

などと感動している場合ではない。
もうこわいので、それ以上