DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

経験則で動く人たち

2015-06-04 06:33:18 | 雑感

 経験則とは、経験から学んだ知識、決まりごと、常識はほぼ経験則から導き出されていると言える。大体のことはこの経験則に沿って処理していけば、対応に困るようなことはないのが普通である。しかし、経験則を金科玉条の如く振りかざし、声高に主張して、固執するのも困ったものだ。公務員などがその典型で、先例があるかないかで、先例にあるものは、簡単にそれを踏襲し、疑いを持たない。一方、先例にないものはできないと判断してしまう。先例に倣って処理していけば、おおむね大きな誤りをすることがなく、物事を処理していくことができるものなのだが、大きな見落としが生じてしまうことがままあるものだ。

 経験則は経験に基づく知恵だから、経験していないことには無力である。応用が利かないというか、想像力が働かない。他の可能性を検討することを後回しにしてしまうという欠陥が揚げられる。経験則の集まりが常識となる。ただ、常識というものは、ある集団には常識であっても、別の集団では非常識になるということもしばしばである。経験則を重視する人たちは経験則にないことはことのほか受け入れがたいようだ。そこには新しい発想というものが生じにくく、想像力は無用の長物と化し、想像力旺盛な人は、集団から煙たがられ、変人扱いされ、排除される。

 そんなこんなで、前回の「鳩の卵1,2」に戻ると、しばらく卵を処分した後、母親の鳩はしばらく卵のあった場所にじっとして動かずにいた。父親の鳩はそれを気遣うように何度か姿を見せた。しかし、母親の鳩は、諦めたのだろう、姿を消した。以後、鳩は全く姿を見せなくなった。鳩から見たら、私はもっとも危険な人物としてマークされ、記憶に深く刻まれたことだろう。「情けは人の為ならず。」という言葉があるが、可愛らしい、愛ぐるしい、可愛そうなど、鳩に親近感を持って接したことが結果として鳩をひどく傷つける結果となり、それによって、私自身も傷ついた。経験則に反した報いは実に大きい。

コメント
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