俺の家は集落のはずれにあった。同じ(集落)に同級生は女の子が一人いるだけ。後は、年下が1人2人いるだけだった。だから、小学校に上がる前に他所の子と遊んだ記憶がない。兄たちが学校へ行ってしまうと、後は一人ぼっち。親の農作業についていって、そばで見ていることが多かったように思う。
すぐ上の兄が帰ってくると、一緒に遊んだのだが、2歳離れていると、なかなか一緒に行動することができず、置き去りにされることも少なくなかった。今、思うと、兄は兄で、上の兄についていくことで手一杯で、下の俺のことを考えている余裕などなかったのかもしれない。そんなこんなで、あまり子ども同士で遊んだ記憶があまりない。
小学3、4年のころだったのだろうか?隣りの子と仲良くなって、遊ぶようになった。今から考えると、その子の家は本当に近い、目と鼻の先くらいの距離、200メートルくらいのところにいた。しかも、その家の近くにもう一人同級生がいた。また、1つ年下の子もいた。その子たちはいつも一緒に遊んでいたようだった。こんなに近いのに一緒に遊ぶことがなかったのだろうと思うが、子どもの世界は非常に狭い。親と一緒に出かけていく範囲が見える世界で、その先は全く未知の世界だったのだろう。が違えば、親同士が一緒に行動することもあまりなく、当然、子ども同士が知り合う機会もない。そんなこんなで、知り合うチャンスを逸していたということなのだろう。
ところが、私も相当無鉄砲な方で、一度行ったことがあるところは、深く考えずに出かけていくところがあった。確か、小学3年生くらいに中耳炎で耳鼻科に通うようになっていた。当時我が家には、車などなく、最初は、父親のバイクの後ろに乗せられ、連れて行かれた。その後、自転車に乗れるようになると、ひとりで通うようになった。これが、今、考えてみても、かなりの道のりで、良く行けたもんだと改めて思う。距離にして6,7キロメートルはある。途中、国道で、通行量も多く、狭くて長い橋(県境にある橋)を渡らないとたどり着けない、隣の県にあった。子どもようの自転車なんてもんは家にはなく、大人用の自転車に乗るしかなかった。当然、足は届かず、フレームの横から右足を差し入れて漕ぐ(当時三角乗りと呼んでいたと思う)しかなかった。自転車を覚えたての子に、良くそんな遠くまで行かせたのか、今では全く考えも付かないが、当時は、良くあった話なのだろう。俺も、何ら危険と感じずに、「俺ひとりでいけるよ!」と得意になって出かけ、それができると、すごく自分が強くなったような気がして、「俺ってすごいな!」と自画自賛していた。
そんな俺がどうしてわずか200メートルの距離にいる子と知り合うことなく、小学3,4年まで過ごしていたのか、不思議といえば不思議なことだ。やはり単純に知り合う機会がなかったというだけなのかもしれない。<次に続く>