私の記憶では、敬老の日というと、9月15日だったように思う。それが、ハッピーマンデー制度を受けて、9月の第三週に変更になったようだ。祝日が第何週というようになってから、どうもピンと来ない。敬老の日の他にも、第何週と規定されている祝日がいくつかある。仕事をしていた頃は、連休になるということで、嬉しく感じていたものだ。しかし、今年のように、東京オリンピックを受けて、開会式等に合わせて、祝日が移動され、連休としたのは異例のことだろう。しかし、このように政府が好き勝手に祝日を移動してしまうということにはやはり強い違和感を覚える。祝日の移動は、必ずと言って良いほど、利益を得る人と不利益を被る人が出て来る。人為的にそんなことをしてしまうと、心から祝おうという意味が失われてしまうような気がしてならない。
ところで、敬老の日は聖徳太子が悲田院を設けたことにその由来を求める説がある。
以下、四天王寺のホームページから抜粋します。
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4 つのことで、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたります。
現在の老人の日は、兵庫県多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、1947年(昭和22年)9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされる。これは、野間谷村の村長であった門脇政夫(1911年 - 2010年)が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開いたもので9月15日という日取りは、農閑期にあたり気候も良い9月中旬ということで決められた。昭和22年当時は戦後の混乱期に当たり、子供を戦場へ送った親たちも多く、精神的に疲労の極にあった。門脇は、そうした親らに報いるべく「養老の滝」の伝説にちなみ、9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上の人を対象に敬老会を開催した 。(以下フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 から抜粋。)
1951年(昭和26年)- 中央社会福祉協議会(現全国社会福祉協議会)が9月15日を「としよりの日」と定め、9月15日から21日までの1週間を運動週間とした。1963年(昭和38年) - 老人福祉法では、9月15日が老人の日、9月15日から21日までが老人週間として制定、翌年から実施された。1966年(昭和41年)- 国民の祝日に関する法律が改正され国民の祝日「敬老の日」に制定される。老人福祉法でも「老人の日」が「敬老の日」に改められた。
私も、若いつもりでいても、いつの間にか70歳代に入り、老人の仲間入りとなってしまった。私としては、ここまで元気に過ごせて来れたことを喜ぶとしよう!