自分が身に付けたリハビリの知識、技術、経験のすべてを注ぎ込んだ。
また施設内の寮母さんたちのリハビリに対する理解も十分に浸透していたので、
Hさんのリハビリにはとても協力的だった。
リハビリを行っているとき、
介助員である私の仕事を代わってくれることもあった。
励ましの言葉と温かい見守りの中、Hさんは懸命にリハビリに打ち込んだ。
きつい訓練のときも明るく前向きに取り組んでくれた。
Hさん自身も歩けなかった人が歩けるようなった場面を、
何度もこの施設で目の当たりにしている。
だから、自分自身も歩けるようになると信じたに違いない。
そんな全員の思いが一つとなったとき、
何ともあっけないほどHさんは歩けるようになってしまった。
多少左足を引きずるものの、杖歩行で自立レベルまで到達してしまったのだ。
杖を使ってスタスタと歩くその姿は奇跡でも何でもなく、
驚きもせず、当然のことのように周囲は受け止めた。
ほんの2ヶ月間の出来事だった。
こんなことってあるのだろうか。
これには他ならぬ私自身が驚いていた。
「よしこうなったら、お世話になったS病院の先生にお礼に行こうぜ」
とリハビリスタッフに提案した。
「もう歩くことは出来ません」と宣言した医師のもとへ連れて行こうというのだ。
「先生、どんな顔をするかな?」
「さぁ、何とも思わないんじゃない?」
「自分が言った言葉は覚えてないよ、きっと」
そんな私たちの思いをよそに、Hさんは相変わらずニコニコ顔だった。
S病院の診療時間外に薬を受け取り行く用事があったので、
Hさんを一緒に連れて行った。
S病院に到着して、事務所でその医師を呼び出してもらった。
数分後、歩いているHさんを見るなり、立ち止まったままフリーズしてしまった。
そして、一言、
「あ・る・い・て・い・る・・・・」と小さい声で言うと、
おもむろに歩き始めて事務室の奥に引っ込んで行ってしまった。
(やったぁ!)と私は小さなガッツポーズを決めていた。
Hさんは、「先生、何も言わず行っちまったよ」と、
消え去った方向を指差しながら笑っていた。
帰りの車の中では大爆笑だった。
しかし、そんな私の浮かれた気持ちを打ち砕くかのように、
ある訃報が入ったのだった。
また施設内の寮母さんたちのリハビリに対する理解も十分に浸透していたので、
Hさんのリハビリにはとても協力的だった。
リハビリを行っているとき、
介助員である私の仕事を代わってくれることもあった。
励ましの言葉と温かい見守りの中、Hさんは懸命にリハビリに打ち込んだ。
きつい訓練のときも明るく前向きに取り組んでくれた。
Hさん自身も歩けなかった人が歩けるようなった場面を、
何度もこの施設で目の当たりにしている。
だから、自分自身も歩けるようになると信じたに違いない。
そんな全員の思いが一つとなったとき、
何ともあっけないほどHさんは歩けるようになってしまった。
多少左足を引きずるものの、杖歩行で自立レベルまで到達してしまったのだ。
杖を使ってスタスタと歩くその姿は奇跡でも何でもなく、
驚きもせず、当然のことのように周囲は受け止めた。
ほんの2ヶ月間の出来事だった。
こんなことってあるのだろうか。
これには他ならぬ私自身が驚いていた。
「よしこうなったら、お世話になったS病院の先生にお礼に行こうぜ」
とリハビリスタッフに提案した。
「もう歩くことは出来ません」と宣言した医師のもとへ連れて行こうというのだ。
「先生、どんな顔をするかな?」
「さぁ、何とも思わないんじゃない?」
「自分が言った言葉は覚えてないよ、きっと」
そんな私たちの思いをよそに、Hさんは相変わらずニコニコ顔だった。
S病院の診療時間外に薬を受け取り行く用事があったので、
Hさんを一緒に連れて行った。
S病院に到着して、事務所でその医師を呼び出してもらった。
数分後、歩いているHさんを見るなり、立ち止まったままフリーズしてしまった。
そして、一言、
「あ・る・い・て・い・る・・・・」と小さい声で言うと、
おもむろに歩き始めて事務室の奥に引っ込んで行ってしまった。
(やったぁ!)と私は小さなガッツポーズを決めていた。
Hさんは、「先生、何も言わず行っちまったよ」と、
消え去った方向を指差しながら笑っていた。
帰りの車の中では大爆笑だった。
しかし、そんな私の浮かれた気持ちを打ち砕くかのように、
ある訃報が入ったのだった。